難しい話をするわけじゃないよと、一言断りを入れた彼はそう言った。
とは言っても、私自身の存在というのが所詮世界の忘れ物みたいな扱いなので、それをどう肯定否定してきても納得出来ないと確信しているので、その言葉は正直意味を成さないと心の隅でそう呟く。
彼は純粋に私の事を認めてくれているし、私以外のゴミみたいな人にも分け隔てなく接している。嬉しいような寂しいような。あの笑顔は私だけのものだと、そう思ってしまうのは、なんとも気持ち悪い事だ。
「……まず訂正するんだけど、俺は美森の事を大切に思っている。容姿がどうとか俺には関係ないよ」
「……嘘はいけません。仮に、大切に思っているというのなら、本心を話して頂けますか?」
そう、本当は殴りたい程ムカついていると。
ことの発端はそう、私が退院して自宅での生活に苦難しながら過ごして一週間。未だに難しい距離感である自身の義兄と二人きりになり、義兄が私に話しかけ始めたのが始まりだ。
義兄は私の事をもっと知りたいといい、記憶がある範囲内で様々な事を聞いてきた。これからずっと生活するのだから、相手のことを知るというのは当たり前のことなのだろうが、私が見るになにか裏があるようにも思える。
この一週間、よく母と二人きりで部屋にいた事を目撃したし、一緒に床についていた事も把握済み。母は義兄にベッタリのようで、自ら進んで体を寄せつけていた。母の容姿は醜いものの、義兄から言わせればそんなの眼中に無いと言いそうな勢いでボディタッチを許している。妹か弟が欲しい?と母から言われた時はどう反応すればいいか分からなかった。
お互いに愛のある行為であるから私は何も言えないが、そう思うと自然に義兄の事が不可思議に思えてくる。
男であるはずの義兄が何故あそこまで許しているのか。世間一般では男は女をこき使い、美人美女を侍らしたり、部屋にずっと引きこもってたりと。タイプ的には二種類に分けられる。
だが義兄はどれにも当てはまらない。侍らす、というフレーズには引っかかるがそこまで酷いわけじゃないと思えるし、何より義兄が暴力を上げた姿は見たことが無い。
内心どう思っているかはさておいて、表にその顔を出さないのは中々の策士である。
だから私はそれが気になった。その鬱憤を母にぶつけているのかもしれないが、私には分かりかねる。だからその疑問を義兄にぶつける事にしたのだ。
「……嘘って言われてもさ。ん〜……、どうすれば納得してくれる?」
「私の質問に一語一句本心を込めて話して頂ければ納得します」
「それをやってるんだけどさ〜……」
やれやれといった表情で首を振る。私だってそんな言葉に納得したくは無いのだ。
「では質問を変えます。義兄様はどうして私のような醜い存在にも優しくして頂けるのですか?」
「美森、あんまり自分を卑下しないでくれ。美森を大切に思っている人からすれば、それは悲しい事だよ」
「誤魔化さないでください。私はそんな薄っぺらい話を聞く為に質問している訳ではありません」
「……な、なんという独走。相変わらずだなぁおい……」
「?さぁ早く質問に答えてください」
プンプンですっと、頬を膨らめながら私は問い詰める。赤面しているのは怒っているからだ。義兄はそれを横目にうーんと唸りを上げて深く考え込む。
「……俺は正直、容姿だとかそんなもの二の次、いや四の次ぐらいに思ってる。だから、容姿なんてどうでもいいって考えてるんだ」
「……信用出来ません。なら、その三つは一体何なのですか?」
「一、人柄。二、俺の意思。三、将来像」
「しょ、将来像?」
「これから先この人と関わって楽しく過ごせるのかという俺の予想だ」
「意思とは違うのですか?」
「意思は俺が関わりたい、助けて上げたいと思うかどうかの現在進行形の体現だ。俺がその人を見た時どう感じるかでっていうのは糞みたいな話だが、そんな感じ」
馬鹿なんですかとしか言えなかった。どう考えても損する。人柄はまだわかる。だが、容姿を考えればその周囲のイメージから本人の評価なんて目に見えるようなもの。義兄は他人の意見は考えず、自身の考えのみで行動している。自分から壁を作って生活しているようなものだろう。馬鹿としか言いようがない。
「糞、なんて御下劣な言葉はさておき、義兄様がそんな考え無しだとは思いませんでした」
「考え無し?」
「義兄様の言葉は認めましょう。ですが、世間一般的には容姿が生活を左右すると言ってもいい。女である私達がそれを選択するのはまだ血迷ったと思えるでしょうが、義兄様は男性です。殿方です。殿方というのは言わば世界の財産。言ってしまえば替えのきかない存在です。義兄様、考えを改め下さい。人柄はまだ分かります。ですが、義兄様の感覚では必ず損をする立場にあります。義兄様のような方に想われる私達は幸運な事なのでしょうが、世間からすればそれは異常。兄を思う妹の差し出がましい気持ちです。考えを改め下さい」
「………」
男性は将来安定を願う。又は自分の世界に引きこもる。それが当たり前の事である。義兄は話を聞く限りでは家庭を持ちたいと考えてるように思える。ならば、将来の事も考えると私達では無く容姿の整った女に焦点を置いた方がいいと思う。今まで優しく接してくれたのだから、義兄には幸せになって欲しいと身の程知らずの考えを抱いてしまう。
何も言わない義兄。目を閉じてじっとしているだけ。義兄の中で何かが変わって欲しいと思いつつ、私は口を開く。
「義兄様は養子の身。お母様にお願いして許嫁でも───」
「───美森」
不意に、義兄は口を開いた。
今までに無いその真剣な表情に、私は思わず圧倒されてしまう。
「訂正しよう美森。俺は嘘をついていた」
なんて言葉が耳に届いた。何処でそんな嘘をついたのか。虚言を口にしたなんて思っても見なかった。
「俺は、世間一般で言う美人美女が大嫌いだ。いっつもいっつも彼奴らと会話してる度に、その顔面に拳を叩き込みたいとずっと思っているクズ野郎だ」
義兄は何を言っているのだろう?言葉が理解出来ない。
「俺はブスだのカスだの世界の忘れ物だのと言われてる世間で言う底辺の女性が好きだ。助けて上げたいと思うんだ」
義兄様は真っ直ぐな目で私を見つめている。頭の中が真っ白だ。
「俺が美森の事を、母さんを大切だと思っているのは世間一般的に俺は異常者だからだ。大切な人達に悲しい顔をして欲しくないっていう単純な考えで動くただの馬鹿だ」
「だから美森」
ここから先は私とお兄様の秘密。
「俺はお前を───」
なんとも簡単で、単純な考えで。
「───愛している」
馬鹿だ馬鹿だと言っている割に、私だってそんな言葉に騙されてしまう馬鹿なんだって、気付いてしまった。
母が帰宅した。げんなりとした表情を浮かべる母は、ぐてっとそふぁーの上に寝転がった。いつも凛としている母の姿は無く、完全に弱りきった小動物のよう。
耳を澄ませば聞こえてくる啜り泣く声。今日も心砕かれるような言葉を身に受けたのだろう。
今日は週末である為、明日明後日は休日となる。少しでも母の鬱憤を晴らせればどれだけいいと思ったことか。
しかし私では母の気持ちを晴らすことは出来ない。最も、この家には母の気持ちを晴らすことが出来るうってつけの人がいる。
「───母さん、おかえり」
そう、我が兄である。我らがお兄様である。私の車椅子を押しながら居間の扉をくぐると、お兄様はそふぁーに横たわる母の元に駆け寄った。
宛ら、母犬に甘えにいく子犬のよう。しかし実際は真逆で、母がお兄様に甘える構図となっている。
「……力、くん?」
「そうだよ。お仕事お疲れ様」
一度体を起こし、そふぁーに座ったお兄様は膝の上にお母様の頭を乗せる。俗に言う膝枕である。
体を鍛えているお兄様の体は、何処も筋肉がついてゴツゴツしている。しかし、私たちからすればとても嬉しい事で、世間からすれば金を払ってでも触りたいと言う人達が後絶えない。
心做しか少し表情に喜が見えたお母様を見て、お兄様はゆっくりとお母様の頭を撫で下ろす。
「明日明後日はしっかり休んで、来週も頑張ってね」
「……うん、うんうん。ありがとう、力くん」
私はそれを眺めながら、私が車椅子でも台所が使えるようにバリアフリー設計された台所に移動し、今日の夕餉が入ったお鍋を火にかける。
「美森がご飯温め直してるから、取り敢えず着替えに行こう」
「……力くん、連れてって」
お母様は役所勤めで、表に出ない事務系の仕事をしていると聞いた。最もお母様の境遇を考えると、とても辛い現場なのだと理解出来る。
お兄様はお母様を抱き上げると暗い廊下に消えていった。お兄様は体を鍛えていらっしゃるので、線の細いお母様を抱き上げて運ぶ事など造作もないことなのだろう。
私はそのままその場に居座ったまま、じっと鍋の中を覗き込む。ボゥボゥと燃えるガスコンロの火の音、鍋の中の水分が蒸発し始めパチパチと弾ける音。静かな台所に聞こえる心地良い音は、嫌にモヤモヤする私の心情をゆっくりと溶かしていく。
「───っ」
嫉妬している。お兄様がお母様にずっとかかりきりで、私の事は二の次でお母様を優先している事に嫉妬している。
炊いたお米を温め直し、お味噌汁の入った鍋にも火をかける。火をつけていた煮物の鍋の火を切り、お母様が食べれるであろう量をお皿に盛り付ける。
鶏肉の旨味を隠し味に使った、大根と人参の煮物。お兄様に美味しいと仰って欲しくて作った一品。お母様に食べて頂くことに何故か嫌悪感を抱く。抱いてしまう。
それから数分後、ご飯とお味噌汁を注いだ頃にお兄様とお母様が戻ってきた。ベッタリとお兄様の肩にもたれ掛かるお母様の姿に、思わず舌打ちしたくなってしまったが、私は表情に出さないよう取り繕う。
「あ、美森。俺が運ぶよ」
私が運べないのを見たお兄様はそう言って、お母様を居間に座らせた後早足で台所にやってきた。
お盆を取りだし、箸を一膳と湯呑みを乗せてから食器を乗せる。
私がお兄様にだけ作ったはずの料理が、他の女に食べられてしまう。そう思うと一層、嫌悪感は膨らんでいく。
自分の生みの親にすら嫉妬してしまう自分に嫌気がさすものの、この恨めしい感情は抑えきれない。
「───美森」
ふと、お盆を持ったお兄様が台所に戻ってきた。何か忘れ物をしたのか。
「美森、ありがとう。料理を温め直してくれて。母さんも喜んでるよ」
私の目線に合わせて下さったお兄様は、ニッコリと私にそう微笑んだ。キュンと、胸の奥が疼いた。心臓がバクバクと鼓動し、顔が熱くなっていくのを感じる。
「……お、お兄様……」
「居間に行こう。母さんも待ってるよ」
不意に抱き上げられた私は、思わずギュッとお兄様の首に腕を搦める。落ちないようにした処置は、お兄様との物理的な距離を縮める事となり仇となった。お兄様のご尊顔がすぐ近くに……。
居間に連れられた私は、お兄様の膝の上に座る形でお母様の隣に腰を下ろした。無論お兄様はお母様の隣。ゆっくりと箸を動かし咀嚼するお母様の姿を眺めつつ、湯のみにお茶を注いでくださったお兄様からお茶を頂く。
「今日は美森の自信作なんだって。今まで食べた中で一番美味しい出来だよ」
「……確かに、いつにも増して味が含んでる。美味しいわ、また上手くなったわね」
「……はい、お母様」
お母様は私にそう微笑んでくれた。私は正直、お母様からお褒めの言葉を頂くことに慣れていない。お母様にお料理を習ったが、それも過去の話。記憶が曖昧で、いつ褒めて頂いたのかなんて覚えていないので、私からしたらとても新鮮である。
「母さんも、煮物は得意なんだろ?今度食べて見たいよ」
「えぇ。明日か明後日はよりをかけて作るわね」
「偶には俺も手伝うよ。家事は分担してるとはいえ気が引ける」
「いいのよ、力くんは殿方なんだから。家事をやってくれるってだけでも有難いのにそこまでしてくれるのは女として恥ずかしいわ」
「それこそ俺だってそうだ。足の不自由な美森に無理はさせられないし、母さんだって仕事で疲れてるのに家の事もやらなきゃならなくなるのは家族として嫌なんだ。俺だって、養子とは言え母さんの子供なんだから。ちょっとでも甘えてくれよ」
「……力くん♡」
何ときめいてるのかこの人は。目にはーとを浮かべながら肩に頭を乗せるお母様にお兄様はまるで恋人のように肩に手を置く。私の事は既に眼中に無いと言いそうな雰囲気である。思わず歯ぎしりしてしまう。
「……美森、そんな顔しないで。お兄ちゃんは、いつでも妹を見守ってるぞ」
そっと頭に手を置いてくれた。その手からお兄様の温かさを感じる。
ゆっくりと私はお兄様に寄りかかる。
何処までも世の中の女という生き物は、単純なんだなと思うのだった。
「お慕い申しております、お兄様───」