ある日。普段と変わらない校内で、犬吠埼風は校内で一番会いたくない生徒と出会ってしまった。
「───おはようございます、犬吠埼先輩」
「……え、ええ。おはよう、東郷」
東郷美森。東郷力哉の妹で、何かと鋭い殺気を放ってくる女だ。
「挨拶ですらしっかり出来ないなんて、犬吠埼先輩が習うべき先輩であることに疑問を抱きます」
「……わ、悪かったわね」
アンタのせいだ。なんて、そんなこと言える訳もなく。無理矢理口元を釣り上げて笑ってみせる。
冷たい目を向ける美森は、興味をなくしたのか車椅子を転がして移動して行く。
「……?何処に行くの?」
「……それを貴方に教えて何の意味があるのでしょうか?」
「うぐっ、な、何よ。ちょっと会話してやろうって思ったのに」
「別に頼んでもいませんよ?……まぁ、丁度聞きたいこともあったし、この際」
「……?なによ、今日はなんか変ね」
「お兄様に媚びるしか能のない雌の分際でほざかないで頂けますか?……それより、犬吠埼先輩は今お暇でしょうか?」
前半部分ガンスルー!?無駄に私罵倒されてない!?というか、媚びるに関してはブーメランなのでは……。なんて、口が裂けても言えない。最近の後輩は口が悪い、と風は驚きつつ、頭の中で予定を思い浮かべる。……どうせ教室に戻った所で、やってくるのはパシリぐらいなので、予定は無い。
「暇と言われれば何も無いから暇よ。何?なんか用事?」
「犬吠埼先輩にお願いするのは不本意なのですが、お兄様の為。どうかお時間頂けますか?」
ぺこりと頭を下げてそういった。
「………記念日?誕生日って事?て言うか力哉って7月産まれだったんだ」
「……誕生日では無いのですが、まぁそれでいいです。それで、お兄様に何か贈り物を差し上げたいのですが、私自身そのような事は初めてで」
「……贈り物、ねぇ」
意外とまともな話だった。いや、風が一方的にヤバいだの怖いだのと恐れおののいだからこそ、拍子抜けしてしまった。
贈り物、プレゼントか。言ってしまえば、本人らしからぬ行動なのでは?と勝手に風は想像してしまう。
極度のブラコンを拗らせたこの妹。普段なら尽くせるだけ尽くし後は時間を一緒に過ごすみたいな、ドラマのラブラブカップルがやるような全女性から憧れるシチュエーションを毎日のようにしていると聞いた(力哉談)。羨ましいことこの上ないと思いつつも、その時は適当な流れで済ませてしまったが、もう少し話を聞いておくべきだったとちょっぴり後悔。
「……あれだけ力哉にラブコールしてるんだから、プレゼントの一つや二つ兄妹なんだから渡し合いっことかしてるんでしょ?」
「………そういう事は一切。私の家の事情もある為省かせて頂きますが、お兄様への贈り物は未だにした事がありません」
「……成程、じゃあ難しいわね」
事情、なんて言葉で誤魔化すのは美森らしくない。そう言うのなら、何か複雑な事でもあるのだろうと理解する風。
しかし、初の贈り物となると絞るのは難しい。特に相手が異性である為、モラルの範囲内でしっかり役立つものを選ばなければならない。
「……まあ、力哉はそこら辺普通の男性じゃないし。貴女の選んだ物には絶対ケチなんてつけないでしょうけど……」
「……もし仮に、私が選んだものがお兄様の趣向に合わないものだった場合でも、お兄様は私にはにかんで喜んでくれるでしょう。そうさせてしまう自分に嫌気がさしてしまいます」
「……溺愛してるからこそ、無理して喜んでくれそうな雰囲気よね」
力哉は美森の事を大切に思っている。思っているからこそ、自分の感情を押し潰してでも、ありがとう、と笑顔で感謝してくれるのは想像がつく。
意外と面倒くさい事案である。力哉の性格を今初めて邪魔に感じてしまった。
「……犬吠埼先輩は、樹ちゃんにどういったものを贈られてるのですか?」
「私?私は……そうね。樹は歌が好きだから好きそうなジャンルの曲だったり、好きなアーティストのアルバムをプレゼントしてるわ」
「……成程。やはり定番は趣向に合ったもの、と。犬吠埼先輩から学ぶ事など無いと思っていましたが、少しは学べそうです」
「……素直に喜べないんだけど」
とは言え。本、雑誌等でもプレゼントの内容は相手が好き、興味を持っているものを用意するのが定番だと紹介されている。そういった系統の本を読まない美森には情報不足であった。
「じゃあ彼奴の趣味とかで絞ってみましょう。私まだ関係は薄いからよく知らないんだけど」
「まだ、ではありません。これからも、の間違いです」
まだ関係は薄いから───では無く、これからも関係は薄いまま───。
素直に泣けません。
「……お兄様は基本的自宅にいる際は私かお母様の隣に居ます。お兄様がお一人になられる時は、学校内かお部屋でお休みになられている時だけですので」
「……一人の時間少なくない?」
「それは私も少し疑問を抱きました。お話を聞いた所、一人よりも一緒に居た方がいいと仰ってくださって」
何となく分かった。明らかに誤魔化していると。このドッロドロハートのブラコンは兄の言葉に疑いなど抱く筈もない。それを逆手にとってかは分からないが、美森が納得するような言葉を述べて話を完全に逸らしている。理由は分からないが、力哉は何かを隠している。
「……成程、ね」
だが敢えてそれを指摘しない。したところでどうという訳でもないし、力哉のプライベートに触れてしまう可能性も否定出来ないのでそのまま鵜呑みにする。
「……という事は、服かアクセサリーか何かプレゼントするのはどう?」
「……お兄様が着飾ってしまっては余計に雌蚊が近づいて来てしまいます」
「じゃ、じゃあ本は?力哉の部屋にいっぱい本あったでしょ?」
「は?お兄様のお部屋に入られたのですか?」
「いいいいい今のなし今のなし!!」
美森の地雷を踏み抜いてしまった。溺愛する兄の部屋に他の女を入れるのはアウトなのか。
「………お兄様の所持されている書籍は、まだ私には難しいものばかり。歴史ならいざ知らず、科学や言語等幅広いものが置かれています。私ではどんな書籍が好まれるのか分かりません」
「………り、力哉って中々渋い趣味してるじゃない?掛け軸とか刀とか」
「私が払える金額ではありません」
「………プレゼントじゃなくて好きな料理を振る舞うのは?」
「週に一度決まった曜日にお兄様の好きなお料理をお出ししています」
「………な、なんでも言うこと聞くとか」
「お兄様は他者優先な志をお持ちですので、私が満足出来ません」
「……なんなのよ!!全部否定じゃない!!」
「在り来りな案を出すからです」
こんなのアイデア出したら無駄骨だ。美森が何かしら否定してくる。
あれだけお兄様好き好きな美森も、自分からそこまで積極的に行動出来る訳では無いのは、ここ数週間で分かったことだ。愛は重いが奥手過ぎる。
「じゃあ何?東郷は何かアイデアがある訳?」
「……そ、そう言われるとなんとも」
お互い様では無いか。いや、寧ろアイデアを沢山出した風の勝ちなのでは?内心ガッツポーズで喜びの舞を踊る。
が、今の問題を考えると喜びは一瞬で冷める。打開策が見当たらない。
「……こう思うと、お兄様に私は何も恩返しできないのですね……」
「ちょ、ちょっと。諦めるのは早いわよ。何かアイデアが……」
「……いいんです。犬吠埼先輩が足りない脳で出してくださった案は全て駄目。ならば私が考えるしかありません。どうもお時間頂き、ありがとうございました」
「ちょちょちょっ、待ちなさいって。そんな諦めなんて……」
「……ならばどうすれば宜しいのですか?お兄様に献上できて私が満足できる方法なんて……」
「落ち着きなさい」
ピシャリと風が言い放った。ピクリと美森の体が跳ねる。
風がそんな声を放つのは珍しい。
「アンタがどれだけ力哉の事を想ってるのか分からないけど、簡単にそう言いきれるってことはその程度の気持ちだったわけ?」
「……なんですか。私は、私はただ一人で考えを……」
「人に頼んでおいてよく言うわね。教えて上げるわっ、アンタがやってるのはただの自己中よ。いつも私に暴力振ってる奴らと同じよ」
「……あ、あんな人達と私は……」
「……私も力哉に感謝してるんだから、少しは一緒に考えさせてよ。大切な後輩なんだから」
「………犬吠埼先輩、ありがとうございます。………ですが、その言葉は想像以上に寒いです」
「いや失礼ね!?」
それからピンと何かが浮かんだ美森は、風に感謝しつつも罵倒を浴びせて解散するのだった。
終始風は涙目だったとか。
「んなぁぁあんでよぉおお!!」
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日付がかわった深夜の月明かり。照らされるのは世界で数少ない男の寝顔。この世の女なら口を揃えて、神々しいだの、しゃぶりつきたいだのと言い放つに違いない。
一定のリズムで上下に動く胸部。微かに聞こえる呼吸音は、部屋の主が熟睡している事を表している。
カラカラカラと、ゆっくりと音を最小限に抑えて動く引き戸。廊下の闇から、背丈の低い人影が部屋の中に入ってくる。
人影が座る車椅子の車輪が床を引っ掻き、引き戸を閉めて部屋主の元に近づいて行く。
今宵は満月。雲一つ覆っていない漆黒の空から指す月の明かり。光は人影を照らし、その人物像を露出させる。
人影は部屋主の寝顔をじっと見つめる。
「………あぁ、お兄様」
光に照らされてみえたのは、とろんと表情を蕩けさせ、三日月のように開かれた口元から愛を零す。寝巻きの着物を羽織り、そのはち切れんばかりの双丘をキュッと締め付けて体のラインをより強調した格好。薄らと、蕩けた瞳から覗くハートのマーク。愛おしく見つめるその視線は、淫魔の如き魅力を放ち、惜しみなく兄に対する愛を溢れさせている。
世界の忘れものの一部である、部屋主の妹、美森である。
「……素敵ですわ、お兄様……。その寝顔、その姿、その存在感。まさに大和男児たる規範ですわ」
視界には兄、力哉の姿しか写っていない。最早狂った愛を形どってしまった彼女は、抜け出せない泥沼にどっぷりと足を取られてハマってしまっている。どうやった所で、彼女が正気に戻ることはもう無いだろう。
「………釈然としませんが、犬吠埼先輩には感謝しています。私がこの案を思いついたのは他でもないあの人のお陰。……まぁ、次会ったら少し優しくしてあげましょう」
身体にかけられた掛け布団を捲り、両腕を器用に使ってベッドの上に上がり込む。
昼間、風との会話で思いついた名案。最愛の兄が喜び、自身も満足する最高な案。思い出すだけで笑い転げてしまいそうな喜びを感じてしまう。喜びが昂って表情筋が蕩けきってしまっている。愛の液も零れ落ち、心と体全身でその喜びを表している。
「……ん?っ、うぉあっ!?美森っ、何やってんだ!?」
「こんな夜遅くに申し訳ございません、お兄様。実は、日頃の感謝を込めてお兄様に贈り物を差し上げたいのです」
「……お、贈り物?突然だな。起きてからじゃ駄目なのか?」
「はい。私の想いが強い時でないと駄目なのです。お兄様には普段から私事をやらせて頂いているというのに、再びご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「気にするな。可愛い妹の為。迷惑だなんて思ってないよ」
「……お兄様」
最早美森には限界であった。勢いよく腰に巻かれた帯を解き、肩からゆっくりと着物を脱いでその裸体を露わにする。
絹ごし豆腐のような艶やかな白い肌。車椅子で運動制限がかかっているにもかかわらず、細いウエストにたわわに実った二つの果実。ピンクの突起が恥ずかしげに身を隠し、ギュムッと果実を寄せてより強調させる。
傍から見れば強姦の一部始終。クソブスで肉の無い華奢なゴミクズが男を襲っているという薄い本案件。
しかしこの場にそれを止める第三者は居ない。兄の腹部に座った美森は、若干息を荒らげながら身を寄せる。
「なななななななな何やってんの!?!?ばっ、早く着物着てくれ!!」
突然の事に顔を赤面させた力哉は、美森が脱いだ着物を羽織らせようと上半身を起こそうとするが、美森が胸部に手を置いてそれを阻止。ググッと顔を近づけて、蕩けきった表情で美森は甘い息を吐く。
「……だーめ、ですよお兄様。女性に夜這いかけられてるのにそんな反応しては………。了承、と捉えられますよ?」
「よ、夜這いってお前。自分が何しようとしてるのかわかってるのか!?」
「私は言いました、贈り物だと。贈り物の中身はわ・た・しですっ」
ギュッと首に手を回して体を押し付ける。柔らかい肌が接地面を刺激し、クラクラする甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「な、何を……」
「酷いですお兄様。私が脱衣した時点で突き飛ばすなり罵倒するなりしてくだされば、未練なく他の事で尽くそうと思いましたのに」
力哉は言うなれば特別な存在だ。美森もはっきりと理解出来ているわけでは無いが、力哉の概念と世間の概念はズレが生じている。いやはや、これをズレと表現していいのか分からないが、力哉は世間で言う不細工な女性を美人に見えてしまう変わり者なのである。
無論、それを大っぴらに発言している訳では無いが、関わった女性達からは顔の美しさ関係無く接してくれる本から出てきた理想の王子、といった憧れ、理想、恋心を抱かせてしまう。
勿論それは妹である美森も例外ではなく、可愛い可愛いともてはやして大切だと言い聞かせ、美森も力哉の愛にどっぷりハマり、力哉にならば甘えていいのだと認識するようになった。
美森は今回の件で一つ自分にかけていた。
力哉の今までの行動を疑っている訳では無い。が、それがまやかしだったとして、力哉に無理強いさせているのではと疑問に思った。
ので、その真意を確かめる+力哉に自身の愛を伝えるために体を差し出した。振り払うならそれまで。そうでなければ、と言った流れである。
この世界で男は貴重だ。そもそも男が女の数を上回った話など旧暦の時代にも無く、これが世界の普通である事が生きる人々の感覚だ。
何より、男というのは基本的に自身のプライベートスペースを作り、決まった異性しか入れない。そう、身体に肉を蓄え、ほくろやシミだらけの美しいボンボンボンといった体型の女のみである。
力哉は周りと価値観が違う為、内心そう言った女性とは絶対にNGだと心に刻み込んでおり、自分の身をこの世界で蔑まれている女達に囲わせて変人だと思わせようと考えついた。本音を言うとそう言う女の子達の好感度を上げてハーレムを作りたいと下心100%で接しているのだが、前者と後者では一応6:4の比率なのでまだ健全と言えよう。
だが、そんな考えを抱く力哉でも、美森の行動には心底驚かされた。
彼女との付き合いは小学生から。美森に記憶は今は無いが、当時はそんな事をする女の子では無かったはず。
「……何がそこまで美森を動かした?」
「……決まってるじゃないですか、お兄様」
「───お兄様への、愛、ですよ」
しっとりとした感覚が唇を支配した。目の前にあるのはグリーンライトの輝かしい瞳。その奥に浮かぶハートマークは、力哉を離さないと言わんばかりに映し出している。ぐにゅぐにゅと口の中に入り込むブニャブニャした何かが口内を蹂躙する。舌を吸われ、唾液を吸われてはそれと交換されたように唾液が入ってくる。
何秒何十秒。時間では測れなかった濃厚な一時は、美森が離れた事で終わりを告げる。透明な糸が口と口から伸び、ペロリと美森が上唇を舐めとった事でプツンと途切れてしまう。
熱を帯びたように赤くなった頬をした美森は、顎に手を置いて唇の感覚を味わっている。
「………美森、俺は」
「……はしたない哀れな雌だと罵り下さい。お兄様のためだと言いながら、私利私欲の為に身体を貪りつくそうとする薄汚い女です。……どうか、どうか今だけは、私にお慈悲を頂けませんか?」
さっきまでとは違う、黒く濁ったグリーンライトの瞳がよく分かる。全てに絶望しているような、光を寄せ付けない深い闇が力哉をギュッと締め付ける。心拍数が跳ね上がり、嫌な汗が流れ出す。キュッと心の臓を握られているような感覚。痛みではなく、背筋が凍るような直観的な恐怖が力哉を襲う。
美森はこの世界に絶望している。でもそれに抗っている。
なぜか。力哉がいるからだ。
美森は依存先を求めているだけなのかもしれない。だから自分の身体で繋ぎ止めようとしている。
昼間相談を受けた風が聞けばどういう事なのと仰天するに違いない。
力哉はそれを理解している。しかし、実の妹では無いとはいえ、妹と関係を持つ事は力哉の気持ち的にどうしても抵抗してしまう。
母親と関係を持っているのは置いといて、このままでは力哉は都合のいい依存先としか見られなくなるのではないか。ギョッと自分の考えに恐怖する。
だが、そんなこと否定できるわけが無い。自分の役割を果たす駒となり、妹の為に動く兄になる。
ゆっくりと上半身を起こすと、内股座りをしている美森をそっと抱き締め、唇を合わせる。
「……月並みかもしれないけど、美森は綺麗だ。俺にはそう写ってる。だから、その……。自分をあんまり卑下しないでくれ。美森だけじゃなくて、俺も痛いんだ」
「お兄様……、お兄様っ。私は……」
「お前は俺の妹だ。これからも、ずっと俺がそばに居るよ」
───お慕い申しております、お兄様。
───俺もだ、美森。
月明かりに照らされながら、二つの影は一つに合わさった。
夜はまだ空けることは無い。