事態が進展したのは、それから二分後くらいのことだった。
さすがに本屋の前で立ち尽くすわけにもいかず、俺は変態の彼女が視界に入る位置の、別のベンチへと移動する。
すると、視界の端に映った白のレースがひょいと上にあがったのを観測する。
女が、一つ息を吐いて立ち上がった。
そして、彼女は堂々とモール内を闊歩し、ホームセンターへと入店する。
俺は尾行しているのが後々バレると面倒なことになると思い、出てくる彼女をその場で待つことにした。変な女だ、最悪訴えられかねない。
しばらくベンチで彼女を待ちながら、持参した文庫本を読み始めた。
それは、最近話題になっている、感動系の小説だった。
タイトルはいかにも感動を誘うことを目的としたようなわざとらしい文章。
そして、表紙の女の子は笑っているような、泣いているような。
そのどちらともいえない複雑な表情で、こちらを振り返っている。
途中まで読んでみたが、ありがちな設定と当り障りのない文章に嫌気がさし、続きを読むのをためらっていた作品だ。
それも、最後まで読まなければもったいないよな、と思い暇つぶしがてら読み始める。
数十分後、俺は静かに大量の涙を流していた。
いや、だってさ。こんなの反則じゃんかよ……。
ヒロイン死んじゃうし、主人公と交わした約束は果たされなくてさ……。
でも、主人公はヒロインとの誓いを胸に生き続けるんだぜ?
切なくて、こんなの泣いちゃうだろ……。
とまあ、こんな感じで時間をつぶした。
しかし、いくら待ってもあの変態女が店から出てこない。
感動して涙を流してる間に、見失ってしまったんだろうか。
さすがにこれだけ時間が経っていれば彼女をつけていることもバレるまい。
そう思って、俺はホームセンターの中を確認するべく、立ち上がった。
ところが。
「うぇっへぇぇぇぇぇぇい! わたしの醜態ご覧あれだよ! もっと見てぇぇぇ!」
確認するまでもなく、中から声が聞こえてきた。
うん、変態にGPSは必要ないらしい。
このモールに居さえすれば、どこに行っても彼女を見つけられそうだ。
警備員、駆け付けなさい。
しかし、あれだけの格好をしていて話題にならないのがすごいな。
今言った通り警備員が対処するとか、人が集まって写真撮り出したりとか、どんなかたちであれ騒ぎが起こりそうな状況だ。
それなのに、騒ぎどころかあの女は、むしろ見向きもされていない。
変な人と目を合わせたくないというのは分かるが、あれだけの美人な女がセクシーな格好で発狂していて、少しも気にならないやつなんてこの世に存在するだろうか。
不思議に思いながら、もう一度ホームセンターのほうに視線を向ける。
すると、ちょうどあの女が店をあとにするところだった。
その手には、三本の鉄の棒が握られている。
そのまま、先ほどまでいたベンチに近付いていく彼女。
何やら、手に持った棒を組み立て始めたようだ。
しばらく観察すると、穴にはめ込んでその形が完成する器具だったらしく、みるみるうちにその三本は自立し、その本来の完成形を形づくる。
あれが何なのか。大衆は疑問に思っていることだろう。
俺もその一人で、あのH字型の鉄の棒が何に使われるのか、全く見当がつかない。
凝視はしないようにしていた俺も、今回ばかりは女の謎の行動、一挙手一投足に思いっきり注目してしまっていた。
そんな注がれているであろう大衆の視線を知ってか知らずか、彼女はその棒を見て、納得したような満足げな笑みを浮かべ、一つ大きくうなずいた。
そして、高らかに宣言する。
「ミュージック・スタート!」
もちろん、そんなものは鳴らなかった。
しかし、彼女は口でズンズンドコドコとメロディーを口ずさみ始める。
そして重心を低くし、上半身を後ろに倒して――
リンボーダンスを始めたのだった。
「いぇぇぇぇぇぇぃっ! みんな見てるぅぅぅぅぅぅぅっ?」
かなり低めに設定された鉄の棒を、しなやかな上半身の動きで潜っていく。
復路も同じように、器用に腰を動かして滑り込み、難なく元の場所へと帰ってきた。
それを見て、俺は余計に彼女に興味を持ってしまう。
だって、大衆の中でリンボーダンスをしながら絶叫する女。
それもレースの下着姿で。
彼女の目的がさっぱり見えてこないし、それを止めない周りも異様だ。
確かに自分も見て見ぬふりをしている一人ではあるから、何とも言えないんだけど……。
それにしても、この状況は普通じゃない。
夢の中の出来事だったとしても、これが夢だと自ら気づいてしまうくらいには異様だ。
彼女が、リンボーダンスの棒を、さらに一段低くする。
しかし、一向にそれに向かって行く様子はなく、何かを躊躇っているようだ。
普通なら、あの低い棒を前にしての躊躇。
挑戦することを恐れていると考えるのが普通だろう。
あんなに低い位置に上半身を反らせば、最悪大きなけがに繋がってしまうことも考えられる。
ただ、ずっと彼女に注目していた俺にはわかる。
彼女のあの目は……挑戦を躊躇っている目ではない!
彼女の、あの狂気に満ち溢れた、一見躊躇しているように見える目は――
興奮に間違いない!
俺が彼女の感情を見破ってからのち、数分。
彼女の興奮度は、周りの誰が見ても読み取れるくらいまで最高潮に達していた。
頬は熱にうなされているかのように赤く染まり、吐く息はそれこそ熱を帯びている。
彼女の脳内はいま、どんなことになっているんだろう。
きっと、大衆の突き刺さるような熱視線にさらされて、煮えたぎったマグマのように火を噴いてるんじゃないだろうか。見られて興奮する変態の気持ちなんて分かりたくもないけど。
それからまた一分くらいが過ぎたときだった。
しばらく足をくねくね動かしてみたり、火照った体を抱いてうねうねと動いて見せたりした彼女だったが、ついに動きがあった。
ベンチに座ったまま、俺は全神経を視力に集中する。
ここまでの度を超えた変態が葛藤した次の行動。それが何かを見逃すという選択肢は、もちろん俺の中には存在しなかったからだ。
彼女は、意を決したように閉じていた目をゆっくり開く。
そして、彼女の柔肌、下半身を覆っていた薄い布に手をかけると、それを一気に下へとずり下ろして――
「って、それはダメだろぉぉぉぉぉぉ!」
「……えっ……きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
気が付いたら俺は、彼女に関わりたくないなんて気持ちは一切忘れて、彼女のもとへと走り出していた。