1.時の迷子
不思議な夢を見た。
真っ暗な空間に、数えきれないほどの目玉。気が狂いそうな光景だ。そもそもどうして自分はそこにいたのだろうか。
その時、ふっと目の前を通り過ぎる影。その通り過ぎて行った方を見やると、紫色の服と帽子をかぶった少女の後ろ姿が見えた。年は僕と同じ二十歳くらいだろう。しかも、そのきれいな金髪を揺らすことなく、まるで宙に浮かんでいるようにスーッと遠ざかっていく。
「ま、待ってくれ!」
思わず僕はそう声をかけ、その後ろを走って追いかけだした。この不気味な空間から抜け出す手は他に見当たらない。藁にもすがる気持ちだった。しかし少女にその声は聞こえなかったのかこちらを振り返ることなく、ただ前を向いて飛んで行く。ただでさえ運動嫌いの僕だ。どんどん距離は離され、とうてい追いつけそうにない。
やがて少女の前方に光が見えた。そして、その姿はやがて光に包まれて見えなくなった。僕はただこの暗闇から脱しようと、最後の力を振りしぼってその光の中へ飛び込んだ。
◇
木々のざわめきの音に僕――鳩崎知道は目を覚ました。ゆっくり目を開くと、差し込んできた木漏れ日がまぶしかった。
僕は身を起こし、ふと思案する。確か、昨日の夜は部屋でレポートを書いているうちに寝入ってしまったはずだ。服装はパジャマではなく、Tシャツにジーパン、それに何故か靴まで履いていた。
しかし、ここはどこをどう見まわしてみても森の中だ。時々鳥のさえずりが聞こえるが、今のところ周囲に人気は無い。まだ自分は夢を見ているのだろうかと思い、頬をつねる。普通に痛い。
まさか、寝てる間に強盗か何かに拉致されたか? とも思ったけど、ポケットには財布もスマホも入っている。その画面の左上には、『圏外』の二文字。
仕方ない、今はこの突然放り込まれた状況を把握しなければ。地図アプリも使えない以上、とにかく動くしかない。僕は立ち上がって服に付いた土を払い落とすと、おもむろに歩き出そうとした。
その時だった。ドン、という衝撃音が響き、鳥たちが一斉に飛び立った。僕は思わず尻餅をついてしまった。
何だ、何が起こっている!? ますます混乱し始めた脳を落ち着かせるべく、僕は立ち上がってその音のした方へ慎重に向かった。
◇
しばらく歩くと、木の間から川が見えた。そしてそこからそっと窺うと、何やら大勢の人間が皆同じ方向を向いているのが分かった。
奇妙だったのは、彼らの服装だ。大多数の人間は簡素な鎧らしきものを身にまとい、しかも髪は長く頭の左右で束ねてあった。あの髪型は確か、
「ああ……諏訪子様が押されている!」
「いや、まだ分からん! こちらには豊富な鉄器がある! 接近戦に持ち込めばきっとあの外敵を切り伏せてくださるはずだ!」
彼らはそんなことを口々に叫びながら、手に持った矛のようなものを振り上げたりしている。どうやら武装した兵士たちのようだ。映画の撮影か何かだろうか、と最初は思った。
しかしその視線の先を見やると、僕は驚愕した。
二人の女の人が、川を挟んで何やら光の弾のようなものを撃ち合っているのだ。
どちらも立派な衣装を着ているので、かなり身分が高いと思われる。対岸にいる方は、背の高い、二十歳過ぎくらいの女性だった。しかしこちら側にいるのは、まだ十歳過ぎくらいの少女。しかしどちらも一歩も退くことなく、相手の弾を避けつつ隙を見て攻撃しているようだった。さながら近世の銃撃戦だが、しかも驚いたことには、二人ともまるで重力を無視しているかのように宙に浮いたり高く飛び上がったりしているのだ。
いよいよ頭がパンクしそうだ。こんな非現実的なことがあるもんか。しかも戦闘中の二人からは周りを圧倒するような力――およそ人間のものとは思えない――が放たれていた。まるで神々の戦いを目の当たりにしたような、としか表現できない。
やがて弾幕をくぐり抜け、少女は高く飛び上がり、女性に向かって突撃していく。手にしているのは、鉄でできた輪のようなもの。対して女性が持っているのは……植物の蔓!?
鞭のように振るわれた蔓が、振り下ろされた鉄輪と交差する。その瞬間――
鉄輪が急速に赤茶色に変色し、ボロボロに形を崩した。
「なっ……!」
態勢を崩した少女はそのまま女性の目の前に落ちていく。こちら側にいた兵士たちの何人かが、矛を取り落とした。
女性は剣を抜き、それを振り上げる。こちら側の兵士たちは一斉に色めき立つ。もしこのままあの剣が少女に向かって振り下ろされたら――背筋がゾッとした。
あの子の命が奪われるだけじゃない。こちら側の兵士たちは全滅覚悟で突撃していくかもしれない。女性の背後にも、控えている兵士たちの姿がある。兵装はこちら側とは明らかに違うし、しかも圧倒的に数が多い。もしそうなったら、間違いなく多くの血が流れる。
いつの間にか僕は祈るような気持ちでそれを見ていた。どうかその剣を振り下ろさないでくれ、と。この兵士たちのこともそうだが――それ以前に、人が、ましてや小さな女の子が目の前で死ぬのを見たくなかった。
その時、女性の手が止まる。少女はもはやこれまでと思ったのか、うずくまったまま動かない。十秒ほど時間が静止した。しかしその十秒は、嫌に長かった。脇の下を汗がツーっと通っていくのが分かる。
女性は何やら迷っているような顔だった。だがやがてその剣先を少女に向けて、言った。
「降伏せよ。そうすれば命ばかりは助ける」
はっと見上げる少女。そして。
「分かった。降伏するよ……うぅ」
地面に俯くその声には涙が含まれていた。悔し涙だった。
「……ならば、我々も降伏するしかあるまい」
やがてこちら側の軍勢から、立派な兜をかぶった将軍と思しき男が進み出て跪いた。兵士たちも武器を置き、後に続く。
良かった、最悪の事態は避けられたみたいだ。僕はホッと胸を撫で下ろすと、静かにそこを立ち去った。もしこんな場に第三者である僕が進み出たりしたら、おそらく厄介なことになる。後で落ち着いた頃に、とりあえず状況を把握するために訪ねてみよう。近くに集落があるかもしれない。今は幸い、木の陰にいたおかげで誰にも気づかれた様子は無かった。
◇
川に沿ってしばらく歩くと、やがて大きな湖が見えてきた。ひとまずあの湖畔で休むとしよう。しかし、そこへたどり着くと僕は驚愕した。
ここは、諏訪湖じゃないか!
忘れるはずもない。ここは僕の故郷だ。夏の日差しにギラギラと輝く湖の向こうに見えるのは、左手から順に飛騨山脈、蓼科山、そして八ヶ岳。一流大学に進学して上京したものの、それまでは小さい時からずっとこの景色を見て育ってきた。
しかし、それにしては様子がおかしい。僕の知る諏訪湖の周りには、街があった。都会とは呼べないかもしれないが、観光ホテルなんかも立ち並んでいた。
だが、見渡す限りそんなものは全く見えない。あるのは森と、草原と、そしてこの湖だけ。しかしよく目を凝らしてみると、何やら小さな円錐型の構造物が少し離れた湖畔にあるのが分かった。僕の記憶が正しければ……あれは竪穴式住居か?
考えてみれば、さっきのは映画撮影にしては大掛かりな機材もラフな格好をしたスタッフも見当たらなかった。おまけに、目の前で起きたあの超常現象は画面越しのCGか何かでなければできるはずも無い。もっとも、あまりのことに今現在はそれについては考えることをやめてしまっていたが。
そして、ようやく確信した。認めたくなかった、タイムスリップ、の七文字が頭の中でデカデカと現れる。
だとしたら……僕はどうすればいいんだろう? 帰れる方法はあるのだろうか?
もし、帰れなかったら……?
一生この不便な時代で暮らすしかないのか。この時代でたった一人で生きていくしかないのか。春休みに帰省して以来会ってない親とも、コミュ障気味な僕の数少ない友達とももう会えないのか。
じわり、と視界に映る湖面が滲む。涙がぼろぼろと頬をつたった。男なら泣くな、なんて言われたって、弱虫な僕にはどうしようもない。そのまま草原に座り込んで手で涙を拭うけれども、あとからあとから流れてくる。照りつける夏の日差しは、涙の蒸発熱のせいか気にならなかった。
迷子の迷子の知道さん。僕のおうちは遠い未来。
◇
たっぷり十五分は泣いただろうか。目に残った涙をこすり、ポケットにあったティッシュで鼻をかむと、今度はボーっと放心状態になってしまった。さっきまでは悲しみと不安感と孤独感に胸が張り裂けそうだったが、それらはほとんど涙で流されてしまい、かと言って晴れやかな気分にもなれない。どうすればいいのだろう、と思考がただ堂々巡りをするだけだ。
その時だ。
ドーンドーンドーンと三つ衝撃音が鳴り、僕の周りの土が撒きあがった。な、何だ一体! 心臓が跳ね上がる。
土煙が晴れると、そこに立っていたのは先ほど対岸で戦っていた女性。そして押しつぶされそうな殺気を感じて、僕は震え上がってしまった。歯がガチガチと音を立てているのが分かる。先ほどの衝撃に姿勢を崩して地に肘をついたまま動けない。
「妖怪め、そこにいたか。先ほど戦場にいたのはお前だな?」
女性はこちらへ歩み寄りつつ、静かに、しかし威圧的に言う。やっぱり見てたのがバレていたのか。その迫力にしばらく僕は言葉を出すことができなかったが……待てよ、妖怪?
「……だ、誰が、よ、妖怪並みの不細工だっていうんですか」
「違う。むしろお前のような柔和で優しげな顔のやつほど何を企んでるか分からないものだ」
「じゃ、じゃあ、この服装ですか? け、決して怪しい者じゃないです! 知らない場所に迷い込んでしまったみたいで……」
「黙れ。その変な服も怪しいが、お前から妖力を感じる以上それは妖怪であることの動かぬ証拠だ。とにかくこの者をひっ捕らえろ!」
女性は二人の男を連れていた。そのうちの神官風の男がいつの間にか僕の背後に回り込み、何か紙のようなものを張り付ける。何だこれは、か、体が動かない!
「その札が効くのは妖怪だけだ。ほれ、立て!」
「ちょ、何だ、これっ!」
神官風の男ともう一人の兵士らしき男に両脇を抱えられ、強引に立たされる。足と口だけは動くようだが、全く抵抗できない。
「あの村へ連れていく。戦後処理の最中だがまずこの妖怪を何とかしなければな」
女性がそう言うと、僕はそのまま歩かされ、先ほど見えた集落の方へ連行されていくのだった。
どうしよう、よく分からないけどすごくマズイことになった。
どうも、作者の
ですが、他のタイムスリップ物とは明らかに違うところがあります。それは時代考証に細かいというところです。自分はその時代時代の衣食住や風俗の文化を調べた上で書こうと思っています。
ただし、一つだけ再現不能なものがあります。それはズバリ、キャラの口調です。というのも、当時の口調というのは大変再現が難しく、できたとしても我々現代人にとってはとても解読できないものになってしまうからです。
……まあ、実はというとキャラ付けを分かりやすくするためなんですが。なので口調だけは開き直って思いっきり現代風にしています。横文字だけはなるべく使わないようにしますけどね。
あと、もしかしたら実は時代考証が間違ってる、というようなこともあるかもしれません。発見した場合は、遠慮無く知らせて下さると助かります。
で、必然的に歴史ネタを多く含むし歴史上の人物も多数登場するワケですが、歴史全然知らない人でも分かるように書こうと思います。受験生の方にもオススメなので、勉強の息抜きにでもどうぞ。日本史の成績が10点ぐらいあがるかも?
ちなみに作中での鉄輪と弦(実は藤の弦)のシーンは『信重解状』『諏訪大明神画詞』などの史料によると実際の神話では鉄製の鎰(カギのようなもの)と藤の鎰を引っ掛けて引き合う力比べによって勝負したとのことです。
また、この作品はオリキャラが主人公ですが主人公以外にも多数のオリキャラや歴史人物(という名のオリキャラ)が登場します。苦手な方はご注意下さい。独自設定もてんこ盛りです。
さあ、準備はできたかい? 歴史を巡る、長い長い旅への出発だ。