女性は神奈子と名乗った。そして、自らを神であるという。一瞬何言ってんだ、と思ったが、先ほどの戦いぶりや間近に今感じている凄まじい気を考えると、思わず納得してしまった。
濠と柵に囲まれた湖畔の環濠集落に着き、竪穴式住居の間を通り抜けると、やがて小高い山の上にある大きな木造の建物の前に連れていかれた。そして縁側の外の土のところに座らされる。
「ここにいろ。……さて、今後のことも決めていかなければならないが、まずはこの妖怪をどうにかしなくては。女王諏訪子、こやつはお前の手の者か?」
「そんなわけないじゃないか。そもそもうちは妖怪なんか飼ってないよ」
建物の中を下からのぞくと、奥の方には先ほどの戦闘の末に降伏した少女の姿が。確か諏訪子様とか呼ばれてたっけ。まさか彼女も神様だというのか。
そしてその隣――下座側に座っていた先ほどの将軍風の若い男が、僕を睨む。勾玉の首飾りをしていることから、もしかしたら王に次ぐ地位なのかもしれない。
「貴様、戦の混乱に乗じて俺たちの王国を襲うつもりだったか?」
「違います! 僕は迷い込んだだけです! いきなり知らない場所に飛ばされて、しかもいきなり妖怪呼ばわりって何なんですか!」
「
「何?」
そう口をはさむ諏訪子さんに、その場にいた面々は皆怪訝な顔をする。というか、敗者側だというのにさっきと違って随分と落ち着いてるなぁ。とりあえず、僕としては状況を説明してほしいところだけど。
諏訪子さんは席を離れて縁側に出た。そして僕を見て言う。
「まずは彼の拘束札を剥がしてあげな。大丈夫、何かあったら私が始末する」
ためらいつつも、先ほどの神官風の男は恐る恐る札を剥がす。ああ、自由だ。でも何気に始末とかいう言葉が怖いんですが。
「さて、ええと……」
「知道です。鳩崎知道」
「じゃあ知道。君は自分の体の中に何か知らない力のようなものがあるのが分かるかい?」
「ええ? よく分かりませんが……」
「何でもいい。体内にそれがあると仮定して、それを外側へ放出するように想像するんだ。ほら、息を吸って」
言われるがままに、大きく深呼吸をして、それから腹に力を入れて踏ん張ってみる。すると、何やら奇妙な感覚がした。うまく言葉に表せないが、体内にある得体の知れない力が大きくなって、皮膚から外側に向かっていくイメージが浮かんで……
次の瞬間。バサッ! ビリッ! という音がして、着ていたTシャツが破け飛んだ。
諏訪子さんがすかさず僕に銅鏡を差し出す。……あれ?
僕は普通の黒髪だったはずだ。しかし鏡の銅色を通して、そこに映し出されていた僕の髪は真っ白だった。それも老人のような朽ちた白ではなく、雪のような純白。おまけに元々外で運動してないためにほとんど日焼けしてない肌の色も、北欧人以上に真っ白になっている。
極めつけは、肌が露わになった僕の背中の後ろにあるもの。触ってみると、ふわふわした感触と、くすぐったい奇妙な感覚がした。
天使のような、白い羽だ。
「な、何じゃこりゃああああああああ!」
数秒遅れて、諏訪盆地に僕の叫びが響き渡る。何で!? いつの間にこんな体になったの!? もうここまでカオスな状況になったら笑うしかない。
「これは白鳩の羽だね。妖獣――いや、獣人ってところか」
顎に手を当てて僕をじっと観察する諏訪子さんとは対照的に、先ほどガタッと席を立ちかけたのだろう、膝をついて剣の柄に手をかけたままだった神奈子さんが姿勢を戻すと、神妙そうな顔をする。
「この妖力……やっぱり諏訪子に剣を振り上げた時に強く感じたものだ。何だか敵意やら殺意やらがゴッソリ削られる感じがする。あの時剣を振り下ろす気が急に萎えたのは、こいつの能力だったわけね」
「ということは、もしかして君は私の恩人ってわけかい? ……はは、妖怪に助けられるなんて私も堕ちたもんだね」
そう自嘲する諏訪子さん。すみません、勝手に色々言われてもよく分からないのでまた説明願います。
「ああ、やっぱり無意識なんだね。どうやら君の妖力には憎しみや怒り、殺意といった負の感情を鎮める効果があるみたいだよ。そうだね……『平和をもたらす程度の能力』とでも名付けようか。現にこうして流血は避けられたんだし」
何だ、それ。確かにあの時、僕は諏訪子さんが助かることを強く願った。もしかしてその時に、その能力が無意識のうちに発動していたということか。
しかし、能力かぁ。どうせなら火を出したり瞬間移動したりするようなものがよかったかも……まあ、でもこれはこれで僕らしいといえばそうなのかもしれない。
僕は根っからの平和主義者だ。喧嘩は大嫌い。みんなと仲良くしていたい。コミュ障気味で友達は少なかったけど、それでも敵を作るような真似はしなかった。もしかしたら、そういう性格がその能力につながったのかもしれない。
何だかちょっとワクワクしてきた。特殊能力を手に入れたなんて。それに、苦手な人間関係とかでもけっこう便利かもしれない。……というか、もしかして僕は歴史に大きな影響を与えてしまったんだろうか。
しかし、ということはこの羽は何なのだろう。鳩は平和の象徴だからだろうか。苗字が鳩崎だから、というのだったらさすがに安直過ぎるとは思うけど。
「妖怪には不似合いな能力だな。……それにしても」
ちらりと僕の上半身裸の体を見やる神奈子さん。
「……細いなぁ」
「貧しくて満足に栄養を取れなかったんだろうねえ。その割にノッポだけど」
「キャー! 気にしてるんですからそんな見ないでください! あと、何みんな納得したような顔してるんですか!」
身長一七〇センチ、体重五〇キロ。今まで何度モヤシだの何だのバカにされてきたことか。見たところ男性の平均身長は僕より五センチくらい低いのでここでは背は高い方になるが、それでもこんな痩せてる人はいないだろう。体質なんだからしょうがないんだってば。
◇
「さて、ようやくだけど本題に入るとしようか。ちょうどいい、便利な能力を持った彼にもこのまま同席してもらおう」
翼をしまって(ちょっと念じたらできた)ビリビリに破けたTシャツをなんとか体に巻きつけた僕をよそに、諏訪子さんが切り出す。
「まずはこちら側の要求を言おう。王国の引き渡しは当然として、それに加えてこの神社を明け渡し、今までそちらを中心としていた信仰を私に向けさせることだ」
「まあ一つ目はしょうがない。でも、後のは多分無理だろうね」
「……何だと?」
やばい、空気が張り詰めてる。よく分からないけど能力をフル稼働してみよう。イメージすれば何とかなるかな。
その時、日向彦さんが口を挟む。
「諏訪子様はミシャグジ様を束ねておられます。このミシャグジ様は祟り神であり、我ら王国の民は皆恐れているのです。蔑にしたら祟られると。ですから民の信仰が神奈子様へ向かうことは無いでしょう」
「むむ……それが本当なら厄介だな」
ああ、よく分からないけどそれで諏訪子さんは強気だったんだな。さっきから諏訪方が完全に話の主導権を握っている。しかし見た目は可憐な少女なのに祟り神って……やっぱりこの人恐いなぁ。
「国を明け渡すのはいい。でも、信仰までは譲ることはできないよ。力ずくで抑えつけようとするなら、間違いなく多くの血が流れるだろうね。せっかく平和的に解決できそうな時に、そっちだってそんなことは望んでいないでしょ?」
「だが、それでは人心を大和に服させることはできない。それに我々にも面目というものがある。何か良い策は無いものか……」
沈黙が続く。何やら難しい問題のようだ。とりあえず今までで僕が分かっているのは、諏訪は大和――おそらく大和朝廷にまだ従っていない独立王国だったということ。そして、これがその大和朝廷の征服事業の一環であることだけだ。大和朝廷が日本をほぼ統一したのは西暦三五〇年頃だったから、今は多分四世紀前半といったところか。
で、大和がこの地を支配するにあたっては諏訪の民衆に神奈子さんのような大和の神を信仰させる必要があると。うーん、未来人の僕にはなかなか実感が湧かない。
しばらくして、あ、と神奈子さんが手を打つ。
「では、こういうのはどうか。まず、信仰の対象はそのままで良い。ただし別の神――この際名前だけでもいいが――と融合してもらう。そして私ではなくその神が諏訪を征服したということにする」
「つまり、私に大和の神になれと?」
「表向きには、だ。そうすればそちらは神社の支配は続けられるし、我々大和の面目も保たれる」
つまり、今までは諏訪子さん一人の祭政一致だったのを、俗世の政治面だけを大和が支配し、祭祀は諏訪が続けるものの、表向きは大和が聖俗両方を支配しているということにするってことだろうか。神奈子さんもなかなか頭が切れるようだ。しかし……
「……確かにそれは名案です。しかし、果たしてそううまくいきますかな?」
「確かにすぐには難しいだろう。だが、百年、二百年と経つうちに定着させる」
日向彦さんの懸念は尤もだ。そりゃ昨日まで諏訪子様諏訪子様と崇拝していたのをいきなり今日から別の神様と一緒になりましたなんて言われても困ってしまうかもしれない。でも、そんな長い年月をかけてって……神様は人間とその辺の感覚が違うのだろうか。いや僕ももう人間じゃないらしいけど。
「……分かった。そこまで言うならやってみようじゃないか。まあ何、うまくいかなかったら別の方法を考えればいい。でも、それで神奈子自身はどうするつもりだい?」
「私は……そうだな、その名前だけの神の妻ということにでもして、ここの山の神にでもなろう。私は元々風の神だが、そのために諏訪子、お前の力を貸してもらえないか」
「ああ、それぐらいなら構わないよ。よし、これで話はまとまったかな」
こうして、諏訪の今後についてはひとまず決定されたのだった。それにしても、僕は今歴史的にかなり重要な場面に立ち会うことができたんだ。しかももし僕がそれに貢献できていたなら、やっぱり僕もまた歴史を動かしたことになるのか。
◇
「ふう……あああキツいよぉぉぉ」
「もう音を上げてんのか? 妖怪のくせに全然体力ねえなぁおめえ」
会談から約一時間後。何故か僕は高床式倉庫からの米俵の運び出しをやらされていた。どうしてこうなったかというと、諏訪子さん――いや、世話になるところの神様だからもうこの際諏訪子様と呼ぼうか――が「妖怪とはいえ恩人である以上この国にいるのは許すけど、その分人一倍貢献してもらわないとね」とか言い出したからだ。それで僕はまず地元の人たちの手伝いをやらされることになり、今に至る。
「だ、だって……今まで全然こういう経験無いんですからしょうがないじゃないですか」
「どんだけ恵まれた暮らししてたんだよ王様じゃあるめぇし……ほら、まだ残ってんぞ」
で、隣で軽々と米俵を持ち上げているこの人は僕の世話(と監視)を諏訪子様から命じられた|青田彦<あおたのひこ>さんだ。割と地位の高い農民だそうで、歳は二十代後半だという。
ちなみにTシャツの方はさっきのでとても着続けられる状態じゃなくなったので、ここの一般的な民衆のよく着てる簡素な貫頭衣を一つもらった。翼を出すためのスリットを後で背中に入れよう。
作業開始から十分ほどが経ったが、既に僕はぜえぜえと息を切らしていた。妖怪になったからか力は出るようになったけど、その力を出すのに体力が無い分妖力で補助している状態らしく、結果として体力も妖力も激しく消耗しているようだ。それでも僕としては頑張った方だと思う。妖力が無かったら米俵を地面から持ち上げることすらできないだろう。
「あと一つで完了だ。それやったら帰るぞ。ちょうど家で女房が米を炊きあげるころだろうしな」
「あ」
言われて、初めて気づく。僕、この時代で目が覚めてから何も食べてないじゃん……
急に強烈な空腹感が襲ってきた。今まで食べ物のことを考える余裕なんて無かったのか、それとも妖怪になって腹の燃費が良くなったのかは知らないが、よく今まで保ったもんだ。
「うぉぉぉぉぉ、ふぁいといっぱぁぁぁぁぁつ!」
最後の力を振り絞って米俵を動かし……作業は完了した。
◇
時刻は夕方。空は赤く染まり、竪穴式の家々からは飯を炊く煙が立ち上っている。そしてその微かな香りが鼻孔を刺激し、腹を鳴らす。この時代の人々は日が暮れるとすぐ寝床につくらしいので、今が夕食時のようだ。
フラフラとおぼつかない足取りで「ご~は~ん~ご~は~ん~」とうわ言のように呟きながらそのうちの一軒に案内されると、もう食事の支度ができているようだった。中から青田彦さんの奥さんと八歳くらいの息子さん、そしてそれより下の娘さんが出迎える。僕のこれからのホストファミリーだ。ホームステイじゃないけど。
奥さんは優しい人で、妖怪である僕も暖かく迎え入れてくれた。今日のおかずは川魚の串焼きと山菜だそうだ。この時代の庶民の食事量は今と比べるとやはり少なく、また一日二食しか食べない。一日三食の習慣が定着するのは鎌倉時代に入ってからだ。
そして土師器(弥生時代からよく使われている種類の土器)に盛られたのは|粟<あわ>や稗を混ぜた玄米。栄養価は低そうだけど、なんだか健康に良さそうだ。
いただきますと言うや否や、ご飯を一気に掻き込む。箸はまだ大陸から伝来していないようなのでインド人みたいに手で食べるのだ。
するとどうだろう。口の中に広がる、自然そのものの味。品種改良がほとんどされておらずそこまで美味しくは無いだろうと見くびっていたが、そんなことは無い。
「どうだ、働いて腹減った時の飯の味は」
ニヤッと笑いながら訊く青田彦さんは、自信たっぷりな様子だ。
「……美味しい」
身震いがした。それは今まで食べたどんな米よりも美味しく感じた。頬を伝って、器の中に涙が落ちた。
僕は現代にいた頃、毎日ご飯を食べることを当たり前のように思っていた。たまに料理をすることはあっても、やはり一人暮らしだったからだいたいはスーパーの惣菜で済ませていたし、食材を買うお金も僅かなバイト代の他は親からの仕送りに頼り切りだった。
しかし、本来は途方もない苦労をした上でようやく一杯の米を食べることができるのだ。機械なんてものの無い不便なこの時代に来て、初めてそれを知った。
「美味しい、美味しいよう……」
いつの間にかご飯は少ししょっぱくなっていた。しかし涙に濡れてしゃくりあげつつも、ご飯もおかずもあっという間に完食してしまった。
◇
食事が終わり後片付けも済んだ頃には、日はとっくに沈んでいた。静かな闇が諏訪盆地を包み込み、家の中は簡素な囲炉裏の炭火だけが柔らかな光を浮かべている。
未来から持ち込んだ腕時計を見ると、時刻は午後七時四十五分を過ぎたぐらいだった。ホストファミリーはもう寝床に就きはじめていたが、二十一世紀の生活リズムに慣れてしまっていた僕はまだ寝る気分にはなれなかった。
何となく、外に出てみる。街灯も建物の電灯もほとんど無いこの場所は真っ暗なはずだが、妖怪は夜目が利くようで、腕時計の針もはっきりと読めるくらいだった。
しかし人工の光が無いと、月明かりの蒼さがよく分かる。そして、何故だか春の日差しのように心地良い。まるで今日一日の疲れが癒されるようだ。月の光が妖怪の身体に何か影響を与えているのだろうか。
ふと見上げると、丸く澄んだ満月が浮かんでいた。そしてその周りには、満天の星。
「……美しい」
思わずそんな言葉が口から漏れ出す。天球を覆い尽くすダイヤモンドのような星々。牛乳を流したような天の川。二十一世紀の諏訪でも、こんな星空は見たことが無い。東京に出てからは、さらに見える星の数が減った。代わりに地上には人工の星々が溢れたけれど、今目の前にある天然の星空の美しさにはとうてい敵わない。
気が付けば、またしても両目から涙が流れ出していた。なんだか、この時代に来てから泣いてばっかりだなぁ。
でも、僕はこの時代を少し気に入ったかもしれない。暮らしは二十一世紀の何倍も大変だけど、それでもこの時代は、文明が発達する前のありのままの人間の営みというものを教えてくれる。
そうして、僕は晴れやかな気分で寝床へと就いたのだった。
◇
「おーい、起きろ。諏訪子様と新しい神様――神奈子様だっけか――がお呼びだそうだ」
翌朝起こされたのは、日の出から間もない時間だった。まだ東の空が赤い。この時代では日の入りと共に寝て、日の出と共に起きるのが普通のようだ。
昨日は結局八時半くらいには寝たけど、布団など無く藁でできた筵の上だったのでそこまで寝心地は良くなかった。おかげで、時間も時間だしちょっとまだ眠い。じきに慣れるんだろうか。
しかし、こんな朝から早速呼び出すとは何か大事な話だろうか。
◇
神社に入ると、諏訪子様と神奈子様が並んで座っていた。どうやら神奈子様はこの神社に同居することになったらしい。何だかんだで諏訪子様とはうまくやっているようだ。そして下座の方には日向彦さんと、僕を捕らえた神官もいる。後で訊いたところ、名前は伊豆早雄というらしい。『伊豆』が苗字というわけではなく、『伊豆早雄』で一つの名前なんだとか。
「おはよう、知道。昨日はよく眠れたかい?」
「ええ、……まあ」
「そうか、まあ慣れない土地では大変だろうね。……ここから先の話なんだけど、日向彦、伊豆早雄、席を外せるかい?」
「し、しかし……」
「大丈夫、大丈夫だから」
二人の神様に言われて、人間二人は退出する。どうやら人間のトップにも内密にしておきたい話らしい。
「――で、用とは他でもない、君自身のことだよ」
「昨日あれから諏訪子と国のことについて色々話し合ったんだけど、知道に関してやはり気になることがあってね」
ああ、やっぱり訊かれるよね。それにしても、神奈子様は昨日とだいぶ口調が違うなぁ。
「……ああ、私は元々堅苦しいのはそんなに好きじゃないんだ。神として相手に毅然として接しなければいけない時はあんな感じだけど、諏訪を支配下に入れるという目的をある程度果たした以上もう必要無いかと思ってね」
僕の表情の変化から察したのか、神奈子様がそう付け加える。なんか意外だなぁ。初対面があんな感じだったし。
「それは置いといて、本題に入ろう。知道が珍しく人に無害な妖怪で、しかもつい最近まで人間だったというのは分かった。でも、その奇妙な服装といい髪を結っていないことといい、大和の人間にも諏訪の人間にも見えない。とすると、いったいどこから来たのかい?」
「多分、ですけど……未来から来たものと思われます」
「……未来?」
「ええ。おそらく、今からおよそ千七百年ほど先の未来から」
そうして、僕は昨日までのことを全て話した。奇妙な夢の中で少女を追ったこと。目覚めたら森の中だったこと。そして、激しい音につられて戦場近くまで来たこと。
「なるほど……しかし、私としてはそんな奇妙な現象に心当たりは無いな」
「私も。多分、その女の子が何か知ってるとは思うけどね」
「やっぱりそうですか……」
何か未来に帰る方法とかも知ってるかと少し期待したけど、やっぱり駄目だったか。すると、神奈子様が何か思案しながら言い出した。
「ただ、あんまり未来から来たってことを言わない方がいいかもね」
「どうしてだい?」
「今がどれだけその未来に影響を及ぼすのかは知らないけど……知道の存在が、その知道が元いた未来を変えてしまう可能性も無くは無いんじゃないかい?」
頭を傾げながら訊く諏訪子様に、神妙そうに答える神奈子様。なるほど、タイムパラドックスか。しかし、それなら表向きにはどのように説明しようか。何か別の経歴を考えなくちゃならない。
「じゃあ、こういうのはどうかな? 遠い遠い遥か彼方の国からはるばる渡ってきた、みたいな」
「うーん、それは厳しいんじゃないですかね……未来では世界中の国々がつながってて歴史も世界規模で研究されているんで、下手にそういうことにしてしまうとじゃあその国とはどこなのか、って話になって辻褄が合わなくなっちゃう気がするんで……」
「よく分からないけど、不味いのか」
確かに諏訪子様の提案もアリだけど、歴史学をかじった身としてはそれは難しい。たとえば中国系の渡来人だとか、あるいはローマ人だとか名乗るにしてもこの時代のそこの風俗について僕は詳しく知っているわけでも無いし(専門は日本史なのだ)、そもそも未来から着てきた服装なんてこの時代のどこの国にも無い。だから未来の歴史学者に辻褄を合わせてもらうためには、もっとうまい方法を考えたほうがいいだろう。
あ、未来から論証のしようもないような方法ならこれが使えるかもしれない。
「未来には平行世界、という考え方があります。これは本当にあるかどうか実証されてるわけでは無いですが……つまり、この世界とは別にいくつか全く違った世界がある、ということです」
「全く違った世界……」
「ええ。で、実証されてないのだから確かめようもない。つまり僕がどのように未来人っぽく振る舞おうとそれは異世界人だから、という風にすればうまく誤魔化せるのではないかと」
「なるほど……では、世間的にはそういうことにしておこうか。うまくいけばいいけどね」
その『異世界』を巡って様々な論争を呼ぶかもしれないが、それは好きにやらせておけばいいのだ。……まあ正直僕がこれからそんな大々的に歴史で有名になるとは思えないんだけど、念のため。
◇
ひとまず話がつくと、諏訪子様に外で待っていた日向彦さんに着いていくように言われた。
「……これ、どこに行くんですか?」
「知道、お前は妖怪だ。妖怪とは人間を超える力を持つもの。そしてそれは戦闘でも役立つはずだ。今日はその訓練を行う」
「え……戦闘って、僕に戦えっていうんですか?」
「当然だ。妖怪としてこの国で暮らす以上、人並みの労働だけでは足りん。悪い妖怪がこの国を襲ってきたら、お前にも戦ってもらわなければならない。それが諏訪子様のお考えだ」
えええー。戦いとかそういうの一番苦手なんですが。間違ってもヤンキーなんかじゃないから殴り合いの喧嘩すらしたこと無いし、ましてや僕は運動嫌いの根っからの文化系だ。っていうか、あんなキツい仕事の他にまだやらなきゃいけないことがあるんですか。
「ってお前、その仕事すらロクにできてねぇじゃねぇか」
「ぐっ……何も言い返せない……」
トホホ、えらいことになったなぁ。
やがて湖畔の原っぱに着くと、日向彦さんはその場に立ち止まった。
「さあ、まずは霊弾を出してみろ」
「霊弾……ですか?」
「ああ。体の中の力を集めて、手から放出するんだ。妖怪なら簡単にできるはずだぞ」
うーん……翼を出した時の要領で、こうかな? すると、ポンッ! という音とともに手のひらから白い光の弾が生じた。
「おおっ、これが?」
「そうだ。それをいくつも出して、敵に向かって放つ。昨日の戦を見てたのなら分かると思うが、それが妖怪や神の戦い方だ」
「なるほどー……」
初めて、自分は不思議な力を手に入れたのだと実感した。そのまましばらくそれを眺めていたが、やがて日向彦さんが十五メートルほど離れるといきなりこんなことを言い出した。
「続いてはその弾を避ける訓練だ。覚悟はいいか?」
「え、ちょ、ちょっと」
「それ、行くぞ!」
うわああああああああああ!? この人、人間なのに弾撃つの!? ドーン、という音とともに慌てて転がるように避けると、元いたところから土煙が上がっていた。てかアレ当たったら痛いってレベルじゃないよね!? スポーツの中でも特にドッジボールは一番嫌いだったんですけどぉぉぉ!
「まだまだ! 俺は諏訪子様の末裔にしてその御力を借りて祭祀を行い現人神と呼ばれている身! 並の妖怪に後れを取るようなことは無いのだぁぁぁぁぁ!」
何それ、チートじゃないか! 妖怪になっていきなり身についた身体能力を不器用に活用しながら何とか避けていくが、それでもこのままじゃジリ貧だ。いつまで続くのか分からないけど、何か作戦を考えないと……
「……翼があった!」
そうだ、空に逃げればいいんだ! スリットから翼を展開し、うまく飛べないものかと羽ばたいてみる。するとどうだろう、まるで本能として備わっていたかのように自然に体が浮き上がった。
「ヒャッホー! 僕、空を飛んでる!」
ライト兄弟もビックリだろう。風が、青空が気持ちいい。やがて環濠に囲まれた集落を一望できるほどの高さまで飛び上がったところで、
「おい、その程度で逃げられると思ったか? ん?」
真後ろから声がした。ビクゥ! と心臓が跳ね上がって、恐る恐る後ろを向くとなんとそこには日向彦さんが翼も使わずに宙に浮かんでいた。
「ええええええええええ!?」
「はっはっは! これも現人神の力よ!」
やばい、このまま被弾したら確実に墜落する。転落死するかどうかは分からないけど、これ以上怪我をするリスクを増やしたくないので慌てて高度を下げる。しかし地上から三メートルほどのところまで下がったところで、左肩に強い衝撃が走った。
「もう嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そんなことを叫びながら、僕は地面が近づいてくるのをただただ眺めるしかなかった。
確かにこの時代はちょっと好きになったけど、ここで生きていくにはまだまだ僕には厳しそうです。
どうもお久しぶりです。諸事情あって全話投稿から四ヶ月近くかかってしまいました。今後ももしかしたらこのくらいの超ゆったりペースになるかもしれません。
神奈子様の口調は迷った末にあんな感じにしました。おかしいと思ったらご指摘を。
さて、作中で知道をエライ目に合わせた日向彦ですが、そのさでずむっぷりからしても誰のご先祖様なのかもうお分かりですね? ちなみに伊豆早雄の方の名前は神話で建御名方神の息子とされる神の名前から取りました。今後この二人とその子孫は諏訪の歴史にも、知道の今後にも深く関わっていきます。
この話を投稿してからかなり経ちましたが資料二話目をアップしました。http://yamataikokutosyokan.web.fc2.com/heya0/kantyou18.htm
それと、これから毎回あとがきの最後に高校レベルの日本史のクイズのコーナーを設けたいと思います。分かった方はコメントへ。
問題:土器の種類で弥生時代から使われている日本独自のものを土師器といいます。では、大陸渡来の土器を何といったでしょう?
答えは次回投稿時に発表です。それではまた近いうちに。