ーーーへんな男だ。
阿倍野は三ツ矢と言う初老の中年に桑島の仲介で出会ってから半年と少し、半ば彼の無茶な頼みで『弟子入り』して以降、こう感想を抱いていた。
飛騨の山奥、それも人が寄り付きそうもない崖っぷちにあばら屋のような居を構え、服装などまともなものは殆んど無くて作務衣が二着しか無いものを使い回して着ている。
禿げ上がった頭に眼光は鋭く、右目には眼帯をつけていて顔面には半分やけどの様な醜いケロイドが刻まれており、三ツ矢なる彼は一切の言葉をしゃべらず最低限の指示を地面に文字を書いて伝えてくる。
聞くところによると、これは血鬼術なる鬼との戦いの中で刻まれた悪辣な術の後遺症らしい。
逃げ遅れた一般人をかばい毒だか熱湯だかなんだかを顔に浴びてこうなった、と。
右目が見えぬ髪も生えぬ…これは、別にいいがその鬼の血鬼術を口にも浴びてしまったらしく、そのせいで呼吸が効かなくなったのだ。
正確に言えば舌か喉かに被害があったとかだが、兎に角も三ツ矢自身は今は『呼吸』と言う形で息を意図的に口から大量に吸う事が出来なくなった末に足を失ってなお剣士として戦い抜いた彼も流石に引退を余儀無くされた。
最初にそんな話を聞いた阿倍野は、哀れだと思った…可哀想な
他人のために己の領分も才覚も犠牲にして、それで死に場所すら半端な哀れな野郎だ、と。
しかし、三ツ矢なる男は如何にも毎日ニコニコと楽しそうだ。
毎日毎日…彼は、怨みや妬みや怒りと言う表情は一切を見せない。
無論、桑島の伝手であり三ツ矢も阿倍野も『言われてやる事』の延長とはいえ、修業には容赦ない。
毎日往復九里(36キロ)の走り込みを準備体操とした上で、来る日も来る日も打ち込み稽古と型稽古。
吐くまで続く、吐いても続く、水をかけられ時には手も飛んでくる事すらあっただろう。
それでも三ツ矢の剣の継承の為にと、その手は緩むことはない。
そも『嵐の呼吸』とはそもそもが三ツ矢が若い頃にへまをして最初の鬼狩りの仕事の際に相討ちに近い形で、倒した鬼の頸と引き換えに右足を持っていかれた彼が、雷の呼吸の壱の型を使えなくなって以来に見よう見まねで風や水の呼吸の技の一部をちゃんぽんして無理矢理ひねり出した派生の呼吸…
悪く言い換えれば、嵐の呼吸と言うものは、要は雷の呼吸の我流の劣化チューンの呼吸でしかない。
要は『真っ当に強い呼吸』ではないのだ、少なくとも三ツ矢本人ならいざしらず阿倍野は嵐の呼吸では柱にたどり着く事は難しいだろう。
かと言うとも、源流の雷の呼吸を霹靂一閃が使えない三ツ矢が教える事は出来ないと言うジレンマすらある。
ならばこそ、呼吸が中途半端ならば阿倍野本人を鍛えるしかない。
鍛える、鍛える、鍛える、戦う…稽古と基礎能力の強化、逃げ出さず実戦式の訓練で稽古で覚えた型をものにする。
彼にはそれしかないのだ。
阿倍野は、それに応え続けていた、
「何で俺がこんな目に」と、それは幾度と無く感じてはいる。厳しい修業から逃げようとしたこともどれだけあるか。
だが…ついに逃げる事はしなかった。
理由はごく単純に、寝床が有るしメシが出るからだ。小遣いだって毎月くれる。
それだけ、ごくささやかな報酬の確約は阿倍野にとってどれだけ有り難いことか。
金を稼いでも稼いだはしから親父に奪われ、寝床だって床でしか寝かしてもらった事は無い彼にとってみたら布団で寝られると言う事はどれだけの贅沢か。
何より、三ツ矢と言う男は厳しいが理不尽ではなかった。
『何故』
『どうして』
『何のために』
嵐の呼吸と言う型は七つ、それら全てにおいてどのような状況を想定しどのように修業したら効率良く習熟できるかと言う剣戟の要訣を三ツ矢は乞えば必ず教えてくれた。
決して、阿倍野へ何故わからぬとは当たらなかった。
筆談ではあるが…三ツ矢は、こう阿倍野へと語った事がある。
曰く、こうだ。
嵐の呼吸とは、雷の呼吸が使えなくなっても鬼と戦うために考えに考え抜いて独自に研鑽を重ねた剣戟の型。それら全ては生まれた理由が有り、それを継ぐ者へ理屈で伝えられないと言うならば、それは自分の不明でしかない。
或いは、いつか貴様が嵐の呼吸から更に派生して自分だけの呼吸を見出だすのかもしれない。そうなれば尚更『要訣』と言うモノは知らないといけない。
要訣とは思考と試行における型、それを師匠が全て理も体術も伝えた上で弟子が考え昇華する事を『型破り』、それを怠り弟子へと
…それが正しいことなのか、尋常小学校もまともに通って無いレベルの頭しかない阿倍野はわからない事だ。
しかし、少なくとも筋は通っている男だと、そう感じてもいた。
筋と言うモノは、善悪問わず卑怯な人間には宿らずに、そして己の考え方を貫くモノに宿るだろう。
卑怯と言うモノは、自分に嘘をつき自分に甘さをかけても他人に厳しく、全てに妥協する人間の事を言う。
三ツ矢と言う男は、卑怯ではなかった…翻ってみたら、自分の親や兄はそういう意味で生き方が卑怯だった気はする。
少なくとも信念がありそれを貫き通し、そしてそれを他人の為に実行出来る男などそうは居ない。
だが、三ツ矢と言う師匠は、それを少なくとも阿倍野の前ではずっとこなしていた。
重ねて言うが…阿倍野自身はまだ、鬼狩りらしい自覚はない。
鬼に対して感謝すらしている時分の彼にとって、そこまでストイックな考えをする大人には困惑しかなかったかもしれないだろう。
ましてや剣などお伽噺の世界でしか半年ぐらい前まで見たことなかった男には、基礎訓練に型稽古など苦痛でしかないだろう。
潰れた剣道タコの血豆に血豆が重なり両手はボロボロ。
毎日毎日全身が筋肉痛、訓練であばらと肘と、骨折も二度経験した。
それでも、修業を止めようとは思わなかった。三ツ矢から逃げようと思えなかった。
ーーーまったく、へんな男だ。
阿倍野はそう、再びごちるのだ…