なんやかんやあってムチ子はそのままの状態で行動することになり、極力彼女を走らせないため俺がムチ子を背負って行動することになった。
催眠おじさん大量発生の時なんか、インと先輩とムチ子の三人を抱えて逃げてたくらいだし、いまさらムチ子一人を背負ったくらいで逃走の足が緩まることはない。
健脚で追手から逃げつつ、奇襲に近い形で各地の敵を各個撃破していくと、次第に学園の付近まで近づくことが出来た。
そして、その学園近くのコンビニの裏手で見つけたのが──
「ご゛う゛は゛い゛ぐう゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ん゛っ゛!!!」
グズグズに泣きじゃくって抱きついてきた合法ロリと。
「どう……して……」
目に見えて動揺している、額に脂汗を浮かばせた無表情っ娘であった。
……
…………
………………
とりあえず人気の無さそうな公園に移動して、丸いドーム型の遊具の中に身を隠した俺たち……だったが。
「馬鹿コウ。バカ。ばか。しね」
「いっ
インの『大人しく待っていろ』という言いつけを破ってこの世界に飛び込んできたせいで本人の逆鱗に触れてしまったらしく、俺は彼女に思いっきり頬を引っ張られていた。
彼女はこの世界にきてからすぐに式上先輩を保護し、彼女が所持していた逃走用ガジェット一式が詰め込まれているバッグを背負って立ち回っていたらしい。
どうやら覚悟を決めたインの能力は凄まじかったようで、彼女が本気を出して保護していたおかげか、式上先輩は傷一つ負っていない。あったとしてもインが来る前に負っていた軽傷程度だ。
式上先輩を無事に守り、さぁ次はムチ子だ──といったところで彼女らの前に現れたのが俺だったわけで。
わざわざ自分を追って命の危険があるゲームへ再び飛び込んできた俺に、インはぷんすか状態だ。
ほっぺをつねる手は離してくれたものの、眉を顰めて俺を睨みつけている。
「何で追ってきたの、馬鹿なの」
「いてて……ぃ、いや何でって、お前ひとりじゃ不安だからに決まってんだろ」
「は? コウは私のこと信じてくれないの?」
「信じる信じない以前の問題だろうが。相手はあの悪魔どもだぞ?」
「……問題なんてないよ、なにも」
視線を逸らすイン。どうやら自分の力不足は実感していたらしい。これは明らかに強がりだ。
式上先輩一人ならなんとかなったかもしれないが、そこに負傷したムチ子も加わるとなれば厳しい部分もあったのだろう。
加えて驚くことに、なんとインは自分がウサギ悪魔に利用されていることも自覚していた。
「だって、こうでもしないとそもそもNTRの二人を助けるチャンスを得られない。……それに勘違いしないでほしいんだけど、私別にコウの為だけにこんなことしてるワケじゃないよ」
お、ツンデレかな?
「私は式上先輩とムチ子を助けるためにこのゲームに参加した。それだけなら何とかなったかもしれないのに、コウがわざわざ介入してきたから算段が崩れた。どう責任取ってくれるの?」
「言っとくが俺は謝らねぇぞ。断言するけどお前ひとりじゃぜっっったいに失敗してたね。インが思ってる以上にこのゲームは無理ゲーになってるんだから」
「はぁ? 放課後はひとりでウジウジしながら悲劇の主人公に浸ってた中二病にナニができるって?」
「うるさ! は? おまえうるさ……。女の体で自分がしてたこと思い出して独り言ブツブツ呟きながら一人で赤面してたヤツがよ」
「なんだって?」
「やんのかコラ」
取っ組み合いが始まった。
せっかく助けに来てやったのにこの態度じゃこっちだってムカっ腹が立つってものだろう。
「この馬鹿コウっ」
「いてっ! テメぇッ、ついに殺してやる!」
「んぎゃっ……!」
ボカスカ。ぺちぺち。
「あわわ……後輩君たちがケンカしてるの初めて見るよぉ……!」
「いやアレ戯れてるだけでしょ。ロリっ子も見てないで早くとめなさいよ」
「ロリっ子じゃありませんが!?」
「……こいつらめんどくさい……」
ややあって。
「──じゃあ、行くよみんなっ! NTR出発!」
俺と再会した時は『う゛ぇ゛~゛』と年甲斐もなく泣いていた式上先輩もすっかり立ち直り、彼女の合図で俺たちは一斉に公園から飛び出した。
一時的に俺が仮眠を取って夢を見ることで、そこから微量の精気を吸ってムチ子も少し回復し、万全とは言えないがとりあえず動けるようにはなったので一安心だ。
インが前衛でガジェットを駆使した斥候。
次に先輩がラジコンやドローンで周囲の索敵。
そしてムチ子は精気を吸って復活した翼で空を飛び、全体の状況を把握しながらそれぞれのメンバーのカバー。
最後に残った俺は、もちろん主に戦闘を担当する。
フライパンで暴れまわるだけでは厳しい部分もあるだろうが、そこにNTRのメンバーの力が合わされば無敵だ。
「おらぁぁぁぁぁっぁぁ!!!!」
道行く敵をバッサバッサと薙ぎ倒し、ウサギがインに課せた難題を全員で乗り越えていく。
肉体に触れたら強制的にこちらが絶頂してイキ死ぬ怪物を、式上先輩特製のスーパーラジコンカーで撹乱しつつ俺の催眠術で眠らせることで倒し。
リベンジということで再び俺を狙い、仲間を連れて舞い降りてきたあの変態天使たちを全員フライパンで天界へ吹っ飛ばして帰宅させ。
次々と襲い掛かってくる強敵たちを撃破していき──ついに俺たちは学園への一路を切り拓くことが出来たのだった。
「いくぞ!」
全員で学園の中へ突入していき、一心不乱に前へ突き進む。
そこでは外以上に多くの敵たちが待ち構えており、だがそれでもそれら全てを倒して俺たちは進む。
賞金に目が眩んで事の真意を測ることなく、式上先輩を裏切った科学部の部員たちを。
天使たちと同じくリベンジマッチを目論んでパワーアップして再び挑んできた元クラスメイトの青城を。
大勢の痴女や種付けおじさん、催眠術師や白ハゲマッチョ、果ては巨根生意気ショタやら時間停止能力持ち目隠れ竿役やら触手モンスター服だけ溶かすスライム下品なゴブリン諸々すべてを、先輩のガジェットと俺のフライパンで亡き者として、着々とゴールへと近づいていった。
──そんな俺たちの前に現れた最後の敵は。
「い、行かせないぞ! 生放送の題名は【死亡確定の無理ゲー】なんだ! お前ら全員ここで死んでもらうからなぁッ!」
旧約聖書にでも載ってそうな、いかにも『悪魔』といった風貌へ様変わりしたウサギ悪魔本人だった。
とても分かりやすい。この生放送の締めくくりは、全ての事の発端であるウサギというラスボスを撃破すること、という事なのだろう。
「……いくぞ。イン、先輩、ムチ子!」
俺の声に三人が頷く。
これから挑むラストバトルには、NTRの総力を結集して立ち向かわなければ勝機はないだろう。
だが、俺たち四人が力を合わせれば、そこに不可能は存在しない。
そうだ、NTRならできる。
「うおおォォーッ!!」
俺たちの戦いは──これからだ。
★
まだ、少し眠い。
後頭部をボリボリと指でかきながら、机に立てかけられている時計を一瞥する。
今は早朝の七時半前後だ。流石に二度寝をする時間ではない。
昨晩寝た時間が夜中の三時過ぎだったせいか、嗽や洗顔まで終わらせても、未だ眠気が取れてくれないのが、少し悩ましいところではある。
鉛のように重い寝ぼけまなこに力を入れ、なんとか眦を決して寝起き気分を切り替え、俺は制服に着替えてから洗面所を出た。
向かう先は二階。俺の部屋の隣だ。
「もしもーし。起きてますかー」
軽くドアをノックしたが、返事はない。
ハァ、と軽くため息を吐いた。
いつもの事というか、最近は毎日行っている
変わらぬ調子で部屋のドアを開けたが、これで彼女がもし普通に起きていたら、俺はきっと声を上げて驚くことだろう。
それほどまでに、この行為が日常的になっていた。
「スピー……ぐぅぐぅ……」
「いまどき鼻提灯ふくらませて寝る人なんているのかよ……」
ベッドの上で漫画のキャラのように分かりやすく眠ってますよアピールしている
部屋で起こそうとしても無駄なのだ。もし起きたとしても彼女は二度寝するか、ノソノソと亀の如きスロースピードで階段を降りてくるため、時間の短縮と無駄の排除という点も兼ねて、こうして運ぶのが一番手っ取り早い。
「ほい、コップ。ちゃんと嗽してくださいね」
「んぅー……?」
洗面台の前に立たせてコップを持たせたものの、少女は未だにポケーっとしている。
面倒くさいなこの人。
もう最終手段を使ってしまおう。
「早くしてください、このロリちんまい幼女センパイ」
「ロリちんまい幼女じゃないのですがっ!?」
起きた。
どういう条件反射なんだこれ。
「あれ? ……ぁ、後輩くん。おはよぉ」
「おはようございます、式上先輩。早くしないと置いてきますよ」
「わわっ、まってぇ。ガラガラ……」
俺に急かされて急いで水を口に含み、音を立てて嗽をするその姿は、まさに年長者に世話をされる子供そのものだ。
「
「ちょっ、口に含んだまま喋らないで! はねるっ!」
そんな一幕があって、ようやく俺の一日がスタートするのだった。
光陰矢の如しとはよく言ったもので、NTRの二人を救うためのゲームに飛び込んだあの日から、すでに一ヵ月が経過している。
ゲームのラスボスとして立ちはだかったウサギは俺たちの手によって戦闘不能にされ、その後は直接的に人間へ危害を加えたという罪で、悪魔たちの中でも下位の存在に降格されたらしい。
反対に、そんなウサギの悪行を摘発したクマはさらに昇進したようで、いまや悪魔界ではかなり上位の存在に位置付けられているとのことだ。
ちなみにクマの連絡先であるあの電話番号は今でも繋ぐことができて……というか、それ以前に連絡しなくてもクマのやつは頻繫にウチへ遊びに来るようになった。
いったいどういう風の吹き回しなのかは分からない。
クマは何故か美少女に擬人化して俺の家に入り浸るし、放課後はクラスメイト達の前で俺に抱きついて周囲をからかっていやがるので、正直いってクソ迷惑だ。インをだまそうとしたウサギよりタチが悪い。
……ちなみにクラスメイト達から呼ばれている俺の最近のあだ名は『ラノベ主人公くん』だ。
NTRのメンバーたちと交流する姿がよく見られていたせいもあるだろうが、確実にこのあだ名になった決定打はあのクマ公のせいだろう。
全くもって不本意である。
「準備できたよ、いこっ!」
「……はい」
制服に着替えたロリと一緒に家を出ると、この季節特有の肌寒い風が頬を撫でた。
先輩も『さむい~!』とプルプル震えながらマフラーを巻きなおしている。
まぁ、見た目がロリとはいえ式上先輩も容姿が優れている方だし、学生としてウチの高校に通うようになった『赤髪美少女サキュバス』ことムチ子もツンツンしつつよく俺に突っかかってくるので、状況だけ考えれば確かにラノベ主人公とか言われてもしょうがないとは思う。
むしろエロゲ主人公とかじゃなくてホッとしたくらいだ。
「ねっ、そういえば後輩くん。家にムチ子君がいなかったけど?」
「あぁー……アイツ風紀委員だから、今日は校門前で持ち物検査するって言ってましたね。だから早めに出たのかも」
「げげっ。ガジェットの部品、没収されちゃうかな……?」
どうしようどうしようとワタワタしながら、バッグの中の部品を胸ポケットやらワイシャツの中にやら隠すピンク色のロリ。
そう、彼女との会話からも分かる通り、式上先輩とムチ子はこの世界に来て以降、俺の住まう主陣家で生活をしているのだ。
全国民に狙われるレベルの指名手配犯になっていたあの世界から、ゲームクリアの報酬で此方の世界に逃げ込んできたはいいものの、彼女たちはこっちにはそもそも存在しない人間(あとサキュバス)。
というわけで戸籍やら諸々の問題を片づけた結果、ウチの親の判断でとりあえずしばらくは主陣家で引き取ることに決定して。
もちろん俺はラノベやエロゲの主人公なんかじゃないので、当然両親は二人とも家で生活している──のだが、何を思ったのか二人は『若い子たちのお邪魔にならないように』などとニヤニヤしながら意味不明な事を口にして、祖父母の家に泊まったり休日は旅行に行ったりと、よく家を空けるようになってしまった。
「ハァ……」
「おや? 朝からため息なんてよくないぞ後輩。アメちゃんいるかい?」
「これはどうも……」
常に飴を持ち歩いているロリっ子から一粒受け取り、それを口の中に放り込みつつ、心の中でもう一度嘆息をついた。
別に空気とか読まないでくれてよかったんだけどな、あの両親……。
おかげで俺はあの平行世界で鍛えられた一人暮らしスキルを(料理以外)遺憾なく発揮するハメになったし、今朝のように朝弱い式上先輩をお世話したりするのも日課になってしまった。
まぁ料理に関しては先輩の独壇場だったり、めちゃくちゃ吸収力が高くてすぐに高校までの学習内容を網羅してしまったムチ子に勉強を見てもらったりとかもしてるので、実際は持ちつ持たれつかもしれない。
「おはようございまーす。持ち物検査実施中なのでカバンを開いて並んでくださいーい」
先輩と並んで歩いていると、いつの間にか高校の校門前に到着していた。
数多の生徒たちの持ち物検査を素早い手際でこなしながら、周囲に声をかけているムチ子の姿が目に入った。
「よぉ、おつかれ」
「ん? ……あぁ、主陣くん。おはよう」
すっかり制服姿が様になっているムチ子に声をかけたものの、彼女の対応は素っ気ない。
この世界に来てからはほとんど人間として生活している彼女は模範的な常識人になり、俺の呼び方もフルネームではなく苗字だけになってしまった。
なんだか特別感が薄れて少し寂しいような気もする。
「な、なによ。検査おわったんだから早く行きなさいって」
「もうあの呼び方はしてくれないのか? ムチ子ォ」
「ちょっ!? こっ、こんなところでその名前呼ばないでよ!」
ムチ子は戸籍云々のアレで一応日本人名が与えられ、学校でもその名前で通っている。
たしか……何だっけ。
田中花子?
「
あー、そうだった。確か『サキュバス』から文字ったらしいけど、大概へんな名前だな。
友達からのあだ名はスッキーだったか?
「アンタはそれで呼ばないでよ? ムチ子もダメだから」
「さ、寂しいぜそれは……! 俺からエネルギー(意味深)を絞ろうとしてた距離感近いお前はどこ行っちゃったんだよッ!」
「やめなさいってば!?」
「いでっ!」
頭を引っ叩かれた。
そんな……俺たちの関係性はここまで冷え切ったものになってしまったのか……?
「……い、家じゃ普段通り呼んでるでしょうが……」
「──」
「なによそのキモい笑顔!? 馬鹿にしてんの!?」
いつも通りツンデレてくれるムチ子に安心感を覚えて笑顔になってしまったのだな。
「おーい。朝からイチャイチャを見せつけんの勘弁してくれー」
「ん? ……おっ、海夜。おはよ」
後ろから男子の声が聞こえたと思って振り返ってみれば、そこにはクラスメイトの海夜蓮斗がいた。
どうやら傍目には俺たちがイチャついているように見えていたらしい。反省せねば。
「一緒に教室までいこうぜ、主陣」
「おう。じゃあムチ……佐遊馬さん、先輩、また」
「はいはい」
「また昼休みにねー、後輩くーん」
お昼にまた一緒に集まって飯を喰らう約束をしつつ、俺は海夜と並んでその場を後にした。
そのまま昇降口でスリッパに履き替えて進むと──
そこにいたセミロングの女子と会話をしている、黒髪ポニーテールの少女が目に入った。
「えへへ、それでですね! お兄ちゃんはビックリしてベッドから転げ落ちたんですよ! もうドッキリ大成功も大成功でっ!」
「そう。よかったね。ちなみに小春ちゃん、その話これで三度目だけど──あっ」
そのポニーテールの、まるで虚空を見つめる猫のように無表情な少女と、俺の目があった。
「…………」
「…………」
両者の間に沈黙が流れる。
気まずい、というよりなんて声を掛けたらいいのかわからず、俺たちはお互いに黙ってしまった。
「おぉ、小春」
「あっお兄ちゃん!」
そんな静寂を破ったのは、彼女の隣にいた少女と、俺の隣にいた少年だった。
確か海夜と小春と呼ばれたこの少女は、二人で兄妹なんだったか。
おそらく重度のシスコンなのか、海夜は聞いてもいないのによく妹の小春ちゃんの話をしている。
「小春おまえ、今日も
「うん。インちゃん先輩おもしろいから!」
俺と無表情な少女──火路インを置いて、海夜兄妹は二人で会話をしながら昇降口を去っていく。
そしてその場に残されたのは、互いにまだ一言も会話をしていない俺とインのみだった。
……そういえば、あの小春ちゃんって女の子は一つ下の後輩で、インと同じコンビニでバイトをしているんだったっけ。
あのゲームが終わって以来、女の体になってしまったインだったが、先ほどの小春ちゃんのように交友関係自体は以前よりも増えたように思える。
女と化したことで異性になった俺とは少し距離が離れ、それが幸いしたのかは分からないが、彼女は端的に言って『ぼっち』を卒業した。
性別が変わった事に関しては未知の奇病ということで片づき、あれから一ヵ月が経過しているという事もあり、クラスメイトたちもインにはだいぶ慣れた感じだ。
無表情なのも一種の個性になっていて、彼女は美少女無表情っ娘ということで、密かに人気者になっているらしい。
また元男ということもあって男子とは無意識に距離感が近くなっており、クラスメイトの中には肩が触れたり顔を近づけられたりしてガチ恋しちゃった男の子もいるとかいないとか。イン曰く一応告白とかはまだされてないらしいが。
まぁ、そんなこんなで、とりあえずは丸く収まっている。
彼女との接し方が少し変わってしまい悪戦苦闘している俺以外は。
「……コウ」
「ひゃいっ!」
「……おはよ」
「ぉっ、おぉ。おはよう……」
何だこりゃ。こんなはずでは……。
いや、なんというか、元々親友でめちゃくちゃ距離感が近かったせいか、逆にいろいろと意識してしまうというか、普段通りにしようとしてカラ回っちゃうというか。
「ほら、教室いこ」
「お、おう」
ギクシャクしつつ、二人並んで廊下を歩いていく。
「……」
「……っ」
会話がない。俺たちってこんなんだったか?
くそっ、いつまでもこれじゃあダメだ。
お互いに中身は男だが、ここは外側も男のままな俺から何とかするべきだろう。
よし話しかけるぞ。とりあえず天気の話でも──
「ねぇ、コウ」
──俺が口を開く前に彼女が喋り、喉まで出かかった言葉を自然と飲み込んでしまった。
気がつけば俺たちは、人気のない廊下の隅っこに立っていた。
どうやら会話の内容を考えるあまり前が見えなくなって、ただインの後ろを付いていってたらしい。
そして彼女が立ち止まった事で、俺もその場で立ち往生してしまう。
「ど、どうした?」
俺が聞き返すと、インは自分の服の胸元をギュウと握り込んで、上目遣いで此方を見つめた。
昇降口の時のように、再び視線が交錯している。
──チャイムが鳴り響いた。
俺たちは時間内に登校できたにもかかわらず、現時点をもって遅刻者となってしまった。
しかしそんなことは気にも留めず、俺はインを、インは俺の瞳を注視している。
そしてついに、インはその口を開く。
「私のこと、女として……みれる?」
──言葉に詰まった。
彼女の言っている言葉を、一瞬で理解することが出来なかった。
たしかに氷の様な無表情なのに、その白皙の頬をわずかに赤らめて、彼女が俺にそう問うたのだ。
「っ……」
すぐに返事ができない。
だがインは急かさず、なにより俺から目を離さずジッとそのまま待っている。
答えは急がせないが、答えなければ解放しない──そういう事なのかもしれない。
今一度、よく考えてみなければいけないのか。
インと共にこの世界へ戻ってきてから、ずっと無意識に考えないようにしていたことを、ここで言葉にしなければならないのか。
いま目の前にいる親友は、以前と違う体になっていて、もはや『彼』が『彼女』になってしまった事実を否定することは出来ない。
正真正銘、インは女だ。十数年間男の親友だった彼は、女になってしまったのだ。
性別が変わった事に関しては否定しようのない事実──だが、インが聞きたいことは、きっとそんなことじゃない。
俺がどう見ているのか。
インをどういう目で見ているのか。
彼女を元男の親友ではなく、一人の女の子として認めることが出来るのか。
……そんなこと言われたってわかんねぇよ。
インは何て言ってほしいんだ。どんな答えを求めてんだ。
昔のように、昔のまま、ただ男の親友として見ていて欲しいのか。
それとも変わった自分を、そのまま俺に受け入れてほしいのか。
分からない。
彼女の求める答えを、寸分の狂いなく与えることは、きっと今の俺にはできないのだろう。
だから、面倒くさいことを考えるのはここまでにして。
俺はただ、自分の心に従い、ただ正直に答えることにした。
「えっと……み、見れる」
ただの親友ではなく、一人の女の子として見れる、と。
そんな自信なさげな、それでも自分の心を偽らないで答えた俺の言葉を聞いて、インは一瞬目を見開いて。
一歩詰め寄って。
俺との
「ほんと?」
「ぉ、おう。ほんとだ」
「ほんとにほんと?」
「くどいぞ。二言はない」
「…………ふーん」
納得したようにそう呟いたインは一歩離れ、無表情だったはずの表情をほんの少し、よく見なければ分からないくらい──ほんの僅かに崩して笑った。
「それなら、いい」
……。
ん?
それならいい、ってどういうことだ?
「コウの周りには、かわいい子がいっぱいいるよね」
「そ……そう、だな? そうかな……?」
しどろもどろになりながら、自信なさげにそう言うと。
「だったら、今はそれだけ聞ければ十分」
「十分って……それでいいのか?」
「うん。それでいい。
一人納得した様子のインは、俺の横を通って教室へと向かっていく。
何がなんだか分からないがとりあえずインは満足してくれたらしいので、俺もこれ以上考えるのはやめよう。
……いや、うん。
まさか、な。
「待てよイン! お互い遅刻してんだから一緒にさぁ!」
「やだ。後からコウが入ってくれば、それより早かった私の方があんまり怒られない」
「そうか!? ソレたぶん変わんないんじゃ──おい置いてくなって!」
自分が何かとんでもない事を言ったような気がしつつも、それを気のせいだと飲み込んで。
今はまだ
同じ遅刻者のくせに抜け駆けしようとする親友を道連れにするべく、俺は先を走る少女を必死になって追いかけるのだった。
これにて完結です。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
書いてて楽しい作品でした。
また作者名でバリ茶を見かけましたら、そのときもまたよろしくお願いします まる