「これだけ渡されてもな……」
俺と塚端は朝のHL前、一枚のチラシとにらめっこする羽目に陥っていた。あの金髪先輩、無駄にデカい態度で渡してきたくせに体験入部などの情報を一切言わなかったのだ。もう一度会ったときに伝えるつもりなのだろうか。生徒総数は七五〇人。マンモス校とは言えないが、少ない数字でもない。その中から俺らみたいな普通の見た目の新入生を探せる気でいるのか……。
「もしかして自分が見つけてもらうつもりじゃない?」
「え……?あ、確かに目立ってそう……」
あの見た目と態度だ。他の生徒よりも目を引くのは確かだ。自分に自信ありすぎだろ。
「だけど、それならクラスぐらい言うはずだし……」
俺たちは先輩が二年生か三年生なのかすら教えられていない。全部のクラスを周る?新入生が?
「あー、ダメ。私、胃が痛くなってきた」
あーでもない、こーでもない、とチラシを二人の間で交わしながら話していると、
「あの、それ……」
と、俺の後ろの席に座る眼鏡をかけた大人しそうな男子生徒、沢辺喜鶴が声をかけてきた。
「たぶん、こすり出し……かもしれません……」
「こすり出し?」
「はい、貸していただけますか?」
俺も塚端もこすり出しが何のことかわからず、とりあえずチラシを彼に渡す。
「ありがとうございます。これを……」
彼は筆箱から鉛筆を一本取り出すと、ものすごい速さでそれでチラシを黒に塗り始めた。
「うわぁああ!何してんだ⁉」
唯一のヒントとも言える「求む!」から続く文字も黒色だからすべて消えてしまう。
「いや、ちょっと待って」
塚端は何かに気づき、止めようとする俺を制止する。
黙って見ていたらあっという間にチラシは黒一色に染まってしまう。
「あ……」
何も見えなくなるはずだったチラシから丸みの無い、直線と直線を繋いで書いた文字が浮かび上がる。四方八方に飛び回る流れ星を組み合わせた星座みたいな文字だった。夜にしか見えない星。沢辺が白地のチラシを夜空にしなければ見られなかった文字だ。そこにはこう書かれている。
『ホウカゴ ブシツトウ イチバンハジ』
面倒な手順を挟ませたくせに、書いていることはシンプルだ。何がしたいんだこの部活は……。
「それより、こんなのよく気づいたね」
「光の加減か何かで、こっちからは見えたので……」
沢辺は指で天上の蛍光灯とチラシを繋いで申し訳なさそうに俯く。それにしたって浮かび上がった文字は大きくない。そこから見えるの?
「凄いよ!目がいいんだね!」
「いや、目がいいだけで、僕は……」
「すごいよすごいよ!私なんて勉強もろくにしてないくせに頭良くなんないし、かわりに目だけは悪くなったし!」
自己肯定感が低めの沢辺と、とにかく褒めまくる塚端との二人の攻防を耳で追いつつ、チラシを眺める。本当によくわからない。
教室の扉が開き、チャイムが鳴る。
入ってきたのはパンツスタイルのスーツを着こなす、我らが担任、年齢不詳、桐原歩鳥先生だ。
教壇に立つなり、俺らを見て、
「──」
笑った気がした。間違いではない。ただ、それは微笑ましい光景を見たからではなく、早く元の席に戻れと、そう言うことだろう。だから、歩鳥先生は俺や沢辺ではなく、席が離れた位置にある塚端の方に視線が飛んでいた。俺たちはついで。
「それじゃあ後でね」
塚端は席に戻り、近くの女子友達とお喋りを始めて、また歩鳥先生に怒られている。また後で……。昼休みのときは各々別に飯を食っているから、放課後のことだな。本当に行くのか。気が重い。
ぼんやり金髪先輩のことを考えながら、朝の一件をきっかけに話すようになった沢辺と昼飯を共にし、気が付けば帰りのHLも終わっていた。
「それじゃあいこっか」
荷物を纏めた塚端がこちらの席に来て言う。
「ああ……。あ、沢辺もどうだ?このシェア部?何するところかわからないけれど。入りたい部活が決まってないなら」
「ありがとうございます……。けど、ちょっと決めたところがあるので……」
「そっか、それがいいな……」
こんな意味の分からない部活より、入りたいところに入ったほうが何倍もマシなはず。
それじゃあ、と別れて部室棟へ向かう。
朝よりも活気に満ちた勧誘地獄を抜けて、打ちっぱなしコンクリートがむき出しの建物に辿り着く。
入学間もないが、知っていることはいくつかある。
そのうちの一つに、この学園に部室棟が二棟存在することがある。
二棟は校舎とグラウンドの間に、校舎と平行になるように建てられている。
そのうち、グラウンド側に建てられているのが運動部部室棟。ギラつく熱気に満ちた熱き青春を燃やす人たちの巣窟。
校舎側に建てられているのが、文化部部室棟。不思議な方向性がよくわからない熱気を乱反射させながら青春を燃やす人たちの巣窟。
今、俺たちが来ているのは文化部部室棟。俺たちが一歩足を踏み入れた瞬間から何種類もの勧誘チラシを握らせてくる。人をポストか何かだと勘違いしているんじゃないだろうか。この学園、チラシの種類に制限は無いらしく、一つの部活から何枚も渡される。部活の種類は少ないが、結局手から溢れるほどだ。
ポストされたチラシを落とさぬよう必死に抱きかかえながら、ついに部室棟の一番端に辿り着く。
「ここか……」
「ここね……」
扉にはこう書かれている。『暫定 シェア部』と。
暫定……。決まっていないのか……。
部室には既に人が集まっているようで、話声が聞こえてくる。
行こう、と塞がった手をドアノブに手をかけようとしたその時、
「よく来てくれたっ、待っていたよ新たな同士たち!」
勢いよくドアを鳴らして、あの金髪先輩が両手を広げて出迎えた。
気圧の変化か、強烈な追い風が俺らの背中を押し、前によろめき、バランスを崩して、つんのめて、
「おっと」
金髪先輩が見事な身のこなしで脇に避ける。
両手にチラシを抱えていたのが駄目だった。
受け身など取れるはずもなく、俺は顔面を床へと盛大にぶつけた。部室の床は外観と同じくむき出しのコンクリート。こんなに間近で見る機会などそうそうないが、チカチカする謎の光で視界は支配され、立つことすら精いっぱいだ。
「だ、大丈夫!」
聞き覚えのある声に抱き起され、椅子に座らされる。教室の椅子とは違う、パイプ椅子だ。
この声……、
「歩鳥先生……?」
ぼやけたシルエットがくっきりと形を成していく。
朝と帰りのHRで見た歩鳥先生の姿がそこにある。
「なんでこんなところに」
「それは私たちシェア部の顧問だからだよ」
「ちょ、ちょっと離してくださいっ!」
塚端の腰に手を回して体を密着させている金髪先輩が教えてくれる。塚端は離れようと手を突っぱねたりしているが、先輩の体はビクともしていない。身長は先輩のほうがあるが、それでも動かないってあるか?
「もう、まだ暫定、でしょ白河さん」
白河……。その髪色と海外セレブの娘を思わせる顔だちには似合わない苗字だ。
俺の不思議そうな視線に気づいたのか、金髪先輩が自己紹介を始める。
「所謂、私の父がハーフだ。父方の祖母の血が色濃く出ている。
ついでにまだ名乗っていなかったね。自己紹介だ。
私は二年の白河・明日翔麗亜。明日に翔ぶ麗な亜空間の亜と書いてアストレアだ」
「え、んん?え?」
「わかりにくい?」
明日翔麗亜先輩が塚端を腰に抱いたままホワイトボードの前に立ち、ペンを取る。
「明日」
明日、と書く。普通の読み方だ。
「飛翔の翔」
ギリギリわかる。〝翔〟の字にそんな読み方は無いが、名前で使われているのは何度か目にしてきている。
「れ」
と言いながら〝麗〟と書く。
「これは無理が出てきてますね……」
「華麗、麗人とどれも読みは〝れ〟だよ?」
「〝れい〟だよ!自分で言ってたじゃん!」
「うん、正しい反応だ。素晴らしい。
そして最後は亜空間の亜」
「…………」
「何か言いたいことがあるなら聞くが」
「いえ、最後は何だかやっつけだな……と」
「失敬な。これは母が三日三晩寝ないで考え、最終的にくじ引きで神により定められ決まった大切な漢字だぞ」
「やっつけじゃねえか!」
金髪先輩、もとい白河・明日跳麗亜先輩はケラケラと笑って、ようやく塚端を離す。
「なるほどなるほど。歩鳥先生の言う通りだ。確かにこの子は面白いね。物事をはっきり言う。勧誘して正解だった」
「塚端さんも素敵な子よ。日下部君に負けず劣らずね」
「うん、その辺りもこれから味わっていこう。私の手足として相応しいかどうか含めてね」
舌なめずりして僕ら二人を舐めるように見る。値踏みされているわけではないが、何かを探られているような気分になる。
塚端も同じ気分を味わったのか、わずかにこちらへ身を寄せてきた。
今の僕らは例えると、腹を空かしたヒグマに遭遇した狸か何かだ。身を寄せ合うことでしか目の前の脅威に立ち向かうことができない。
「レアちゃん、その辺にしてあげてください。二人とも怖がっていますよ」
そんな狸と明日跳麗亜先輩の前に別の先輩が割って入る。
俺たちに「沖野・奈々。三年生です。奈々って呼んでくださいね」と軽く自己紹介すると明日翔麗亜先輩に向かって小声で言いつけはじめる。さっきまでの先輩の言動からは想像できぬほど従順に頷き、奈々先輩の小言を受け止めていた。
奈々先輩の雰囲気は明日翔麗亜先輩と真逆だった
明日翔麗亜先輩はその雰囲気と言動から、その場にいる人たちを引き締めていきそうだが。奈々先輩からはゆるいとフワフワを体現したオーラが放出していて、近くにいるだけで頭が働かなくなりそうだった。ツインテールに眼鏡と言う図書委員みたいな出で立ちだが、いかんせん髪を結んだリボンが大きすぎてとても賢そうには見えない。本を貸出ししている姿よりも、図書室で借りたい本を見つけられず困っているところのほうが容易に想像できる。二人に共通しているのは、どちらも学園でタメを張れそうなぐらい美人だということ。
「あの二人、すごく綺麗だけど彼氏とかいるのかな?」
塚端が疑問に思うのもわかる。あんなのがクラスに居たら学園生活に集中できる気がしないし、男どもはこぞって狙いに行くだろう。
だけど、彼氏がいないことは察しがついてしまう。
そもそもこの学園は異性が付き合うことを禁止している。
加えて二人の会話だ。
節々から「夜」とか、「イかせない」とか「ワンちゃんみたいに」とか、明らかに先輩後輩で交わされるものではないニュアンスの言葉が聞こえてくる。異性交遊は禁止されているが、なるほど、同性は禁止されていない。
「ごめんなさい。レアちゃん、可愛いモノを見るとちょっとアラブっちゃって……」
一通り一方的な話し合いが終わったのか、奈々先輩がまた僕らに頭を下げる。
「いえ、その、大丈夫です」
目の前で話をされたからと言って、二人の深い仲のことまで聞いてしまったことが申し訳なくて、目を直視できない。
「あの、俺たちも……」
自己紹介したほうがいいですよね、と訊くと「ぜひお願いします」と返ってきた。
「日下部・章です。よろしくお願いします」
もうこのセリフを言うのは入学してから何度目だろう。自分よりも他人に使われることが多い名前だが、ここ数日はほぼ同数だ。名乗った後によろしくお願いします、というのも体が覚えてしまっている気さえする。
「塚端まこ、です。よろしくお願いします」
塚端も同じようなものだろう。名前以外は俺と同じことを言う。
「章にまこ。二人が揃ったのは偶然かな?」
萎れていた態度からは立ち直り、さっきまでの調子に戻った明日翔麗亜先輩が歩鳥先生に向けて質問する。
偶然?そう言えば今朝、先輩はチラシを僕たちに渡してすぐに校舎へと歩いていった。あれは、先輩が適当なんじゃなくて、最初から僕たちにしか渡すつもりはなかった?なぜ?心当たりがない。
歩鳥先生は何も答えなかった。代わりに、口を開いたのは隣にいる塚端だった。
彼女は笑顔で、明るい声で。
「偶然なんかじゃないですよ」
だけど、一声目は降り出した雨の最初の一粒のようだった。一瞬、雲行きが怪しくなる。
「私の母がこの部活、シェア部の卒業生なんです。だからせっかくだから、ここに入部しようって。青春!したいなって」
雲の切れ間からはすぐに太陽が顔を出し、塚端の声に明るさが宿る。
「なるほど。まこちゃんはこのシェア部の中に青春部を作るつもりなんですねっ!素敵です!は~っ、青春って響きが既に素敵ですよね。青い春。暑い夏も、寒い冬も、ドキドキしていればいつだって青い春!私、暫定シェア部部長として応援しますからね!」
奈々先輩が手を差し出し、塚端が応じる。
二人の間に固い握手が交わされるが、
「あの、そもそもシェア部ってなんですか?」
何か当たり前のように話が進んでいるけれど、俺にはシェア部が何であるかわからない。シェア部の中に青春部を作る?どういうこと?
「それは私が説明するべきかな、と思うのだけど……」
歩鳥先生は小さい腕時計をこちらに見せつつ、
「ごめんね、これから職員会議なの。あとは白河さんお願いね」
小走りで出ていく先生を見送って、奈々先輩を見る。まだ先輩と塚端は青春について熱い談義を交わしている。説明を部長に頼まなかったのはこういうことか。
「さて、章後輩。シェア部についてだが」
「あ、はい」
「昔も今も、この学園には一つのルールがある。〝所属する生徒は部活動又は生徒会執行部及びそれに付随する組織に所属しなければならない〟。これは知っているね?」
「はい、入学して最初のHRで習いました」
長ったらしいルールだが、要は全校生徒、部活動に入部するか、生徒会執行部に当選しなければならないと言う訳だ。生徒会執行部に付随する組織も可とあるが、現状この学園にはそのような組織は存在しない。さらに、体育委員会や美術委員会はこのルールに含まれていない。だから、僕らに与えられた選択肢は二つだ。
「私たちには二つの選択肢がある。
一つは大人しく部活動に入ること。
もう一つは生徒会に所属し、半年の任期の間、部活動から逃れること」
だけど、と明日翔麗亜先輩は続ける。
「ここにもう一つのルールが絡んでくる。
〝部員数四名以下の部活は原則廃部とする〟
これらは悪法だよ。生徒全員に部活動を強いるくせに、やりたいことを制限してしまっている。人気のある部活はいいかもしれないが人気の無い部活。ましてやこの学園に無い部活の内容をやりたい人にとっては窮屈なルールでしかない。
例えば、レスリングをやろうとしているないしやっている生徒が入学したとする。しかし、この学園にはレスリング部が無い。
このとき、この生徒はどうすればいい?」
「えっと、頑張って部員を集めて部活を作るか、外部に練習を受けにいく、とかですか?」
「そんなところだろうね。だけど、わかるね?この学園の生徒は必ず部活に入部しなければならない。だからこの生徒は外部でレスリングをしようにも、自分の学園の部活に精を出さなければいけず、満足に練習できない。
頑張って部員を集めると言ったが、それも難しい話だ。この学園の総生徒数は約七五〇。一学年、約二五〇人だ。二、三年生は既に部活に入っているので五百人は望み薄。ならば、一年生の二五〇人の中から見つけるかい?未だに部活ができていないマイナーなジャンルの部活に興味を持ち、青春と言う貴重な時間を捧げてくれる人がどれだけいると思う?」
二百人もいれば二、三人ぐらい簡単に見つかりそうなものだけど……。こう考える時点で甘いのだろうか。
「それは二、三人ぐらいなら余裕だろうっていう顔だね」
うわ、バレている。
「実際、難しいんですか……?」
恐る恐る訊いてみる。二百とか三百とか実感のない数字が出てきて、なんだか掴みどころがない。
「最近、オリンピックなどの国際大会での活躍により女子レスリングは注目されている。選手個人の知名度で言えば、もしかしたらマイナースポーツ界のメジャースポーツ、ハンドボールよりも上かもしれない。けれど、」
けれど、
「日本のレスリング女子人口は約二千人。高校生に絞れば約二百人だ。つまり、日本にはこの学園一学年分の高校生選手もいない。もちろん、その人たちは各地の高校に散らばるだろうし、元から部活が存在する高校に進学するだろう。だけど、全員がそんなことできるとは限らない。この地を離れることができない人のほうがほとんどなんだ。ならば、と自ら行動をしようとしても校則というルールにぶつかる」
本気でやりたいのなら寮生活という選択肢が無いわけではない。実際、高校野球の強豪校の選手は各地から集まってきたチームを作っている。しかし、それにはお金がかかる。入試とは別で実力を測るテストもあるだろう。それらの課題を全てクリアして、望む場所でやりたいことに辿り着ける人がいったいどれだけいるのか。
「実際に夢を叶える人はあらゆる困難を打ち破る力を持っている。だけど、私はこうも思う。学生生活は夢を見つける場所だと。色々な可能性を見つけ、挑戦し、打ちひしがれながら、進むべき道を見つける場所だと」
わかるような、わからないような話だった。と言うよりも、俺もそうあってほしいと思った。俺自身、何がやりたいのかわかっていなかったから。これから始まる学園生活で何か見つかるのなら、そうあってほしい。
「だけど、それとシェア部ってどう関係するんですか?」
「シェア部に決まった活動は無い。各人、やりたいことをやり、面白そうだなと思った他の部員が手を貸したり、口を出したりする部活だ。
──いわば互助会だよ。学園に同じ志を持った人がいなくとも、このシェア部に入れば同じような人間が集まっている。その人たちが手を取り合って、各々のやりたいことを達成できれば万々歳だろ?運動系ならここを隠れ蓑にして外部に練習に行ってくれてもいい」
もちろん、部活内の秩序は保ちたいから一定の参加は求めるけどね、と明日翔麗亜先輩は付け加える。
「じゃあ、奈々先輩や明日翔麗亜先輩も何かやりたいことがあって……?」
「奈々は詩歌、まあポエムだね。枕の上でまどろみに浸りながら彼女の詩を聴くのは実に気持ちいい。
私は何もない。強いて言うなら征服だ」
「は……?」
そう言えばチラシにも書いてあった。学園征服をどうのって。
「私はこの学園を征服したい。全校生徒、ひいては教職員たちを私の一挙手一動で動かし、より良い方向に導き、私が正義だと崇められる人間になりたい」
「それなら生徒会長でいいんじゃないですか?全校生徒のトップで先生たちとも関係深そうだし」
「生徒会長は駄目だよ。二期ほど務めたけれど、結局あれはほとんどがハンコ作業。文化祭の時に出しゃばれるぐらいで、結局全校生徒の一部でしかない」
先輩は苦笑した。余計な回り道をしてしまったと言いたげに。
二期ほどって……、先輩は二年生だから入学してからずっとその地位に上り詰めていたことになる。
「だからね、私はここに辿り着いたんだよ」
そう言って、床を指し示す。
コンクリートむき出しの底冷えするシェア部の部室。
長机三つで構成された島があり、パイプ椅子が五脚。
壁際の本棚には埃を被った本が並べられているが、一角は手作りの冊子で埋まっている。
あとは『明日翔麗亜』と書かれたままのホワイトボード。
他には何もない。どんな活動をするのか、初めてここに訪れた人にヒントを与えてくれるものは何もない部室。
だからこそ、何もかもができる可能性を持っている部室。
「部活なら、権力を持てる。崇められる。古臭い考えと言いたげだね?けど、有象無象の人間たちが集まったとき、求められるのは自分たちを纏め上げるリーダーだ。そこに私が君臨すれば、私が正義となる。もし、全校生徒の半分もこのシェア部に入部してくれれば、私は学園の半分を征服したことになる」
全校生徒の半分。三五〇人。途方もない話だ。さっき、二、三人も集めるのは難しいと言っていたくせに、この自信はどこから来ているのか。
「今すぐは無理かもしれない。もしかしたら私の在学中も。だけど、いつか。五年後、十年後、生徒全員がシェア部に入部したとすれば、この部活のルールを作った私が正義となる」
俺は息を呑む。
この人は自分の言動に自信しか持っていない。
靡く金髪も。日本人離れしたスタイルも。均整の取れた顔だちも。全て、白河・明日翔麗亜にとっては飾りでしかない。
彼女の根本は内から出ている。
「だがね、このシェア部は今や正式な部活として認められていない。と、言うより今年の四月まで歴史の土層に埋もれていた」
今や……。この言い方はまるで、
「昔はあったんですか?正式な部活として」
「あった。また機会があれば歩鳥先生に訊くといい。詳しくは知らないようだが、一度発足し、三年ほど活動を続けた後に廃部となっている」
「なんで、ですか?」
いつの間にか静まり返っている。
塚端も奈々先輩も話すのを止めて、こちらを伺っている。
遠くから届く運動部の掛け声だけが空気を読まず流れ込んでくる。
「自殺だよ。かつての部長がシェア部という有象無象を纏め上げるプレッシャーと受験勉強に押し潰されて、自ら命を絶った。それが理由だ」
何でもない、ただの事実だと、先輩は言い切った。
人が死んだから、廃部になった。
何でもないことだと。ただの歴史に過ぎない。偉人が死んだことと同じように。
「明日翔麗亜先輩は、大丈夫なんですか?」
塚端が問う声は固く強張って、空気に触れあっただけで粉々に砕けてしまいそうだ。
「レアでいいよ。みんなそう呼んでいる
私は大丈夫だよ。それに部長は私じゃない奈々だ」
「え?」
てっきり明日翔麗亜──もといレア先輩が部長だと思っていた。
奈々先輩と言えば「ははは」と笑っている。
「楽しそうだからね。私も一年生の時はあまり部活動に本気になれなかったし、こういう部活があってもいいかなって。まあ、楽しいも苦しいも今しかできない素敵だからね」
相変わらずフワフワしたオーラで言ってのける。苦しいことがあること前提か……。
「だけど、これは私たちだからできることだ。大事なのは誰が務めても問題なく遂行できる仕組み作り」
レア先輩がホワイトボードをひっくり返し、新たに書き加えていく。
「当面の私たちがやるべきことは、」
・シェア部部長の負担を減らす仕組みづくり
・生徒会への当選。及び、学級委員長への就任
「この二つだね」
「仕組み作りはわかりました。でも、なんで生徒会に入る必要が」
さっき先輩は、生徒会では野望を叶えることができないと苦言していた。
「部活動の承認には教職員の承認と、それに加えて生徒会の承認と学級委員による投票で三分の二を獲得しなければならない」
「それじゃあ、皆で生徒会を狙いますか?」
「確かに、生徒会議席のほとんどをここにいるメンバーで締めてしまってもいいが、それをすると各学級委員から反発を買いかねない。せっかく生徒会側で承認したとしても、最終的な決定を下す学級委員たちから反対されれば水の泡だ」
なんたってこの学園は面倒くさいルールが多いな、と改めて思う。たかだか学生なんだから適当に流してくれたらいいのに。
「だから、私たちの中から一人、生徒会へ。そして、残りのメンバーは学級委員を目指す」
レア先輩は僕と塚端に目配せをする。たぶん、生徒会へは俺たちのどちらかが入れってことだ。理由はたぶん、反感を買わないため。部長やその側近──どっちがどっちかわからないが──が生徒会へ入ってしまえば、それこそ権力の強行を疑われる。先輩はそれを懸念している。
俺達の返事を訊く前に最終下校のチャイムが鳴った。
窓から見える校舎は夕日で朱く照らされている。
「今日はここまでだね。また明日──は土曜日か。それじゃあ月曜日に。またここで」