昼休み。最後のミーティングということで俺たちは暫定シェア部部室に集まった。
「最初に噂を流したのは相馬のクラスメイトらしい」
らしい、と言うのはレア先輩もその人物を問い詰めたわけでもなく、確証が無いからとのことだった。
「流した人の確定については職員室に任せましょう。これは立派なプライバシーの侵害です」
奈々先輩が珍しくきっぱりとした口調で発言する。この人でも怒ることがあるのか。
「そう、私たちが問題は誰が流したかじゃない。この噂によって、選挙にどう影響するかだ」
「やっぱり、影響するんでしょうか?」
「どうだろうね。五分五分だと私は考えている」
「良い方も悪い方にも、ですか?」
「そうだ」
レア先輩はまず、右手の人差し指をあげる。
「良い方は、何よりも君は更なる注目を得ることができた。不純異性交遊が禁止されているとは言え、それは学園の都合だ。私たち学生の都合じゃない。むしろ、学生の恋愛は特権だ。そうだろう、青春部」
「え、ええ……」
いつもなら元気よく同意するであろう塚端も、今回は噂の渦中にいるからか覇気がない。
「投票するのは私たち学生だ。学園側の都合を持つ教師たちじゃない。投票結果を弄られるなんて近代国家にあるまじきことをされない限り、ここはいったん無視していい」
そして悪い方、と左手の人差し指をあげる。
「君が、君自身に負けることだ。訊くが、ビビってはいないだろうね?」
ビビる?
「俺が、ですか……?」
震えを隠すので精いっぱいだった。膝は今にも折れそうだし、拳を握ってなかったら腕もどこかへ行ってしまいそうだ。
「君以外誰がいる。いや、私たちはビビってもいい。なぜなら、これから行われるのは君の戦いだ。私たちはもう見守ることしかできない。伝えたはずだ、これはもう、誰が相応しいかの勝負じゃない。君が相応しいかの勝負だ。敵なんて、もうどこにもいないんだよ」
俺が相応しいか。
何に?
生徒会庶務に。
無意味で虚しいだけの生きる屍に、誰が一番相応しいか。
じゃあ、なんで相馬先輩や他の役職への立候補者は生徒会入りを目指す。
生きる屍に何を感じているのだろう。
俺は、なぜ生きる屍になるための勝負で本気になっているのだろう。
答えの出ぬまま、昼食を広げることになる。
先輩たちが質問への答弁について何か言っていたけど、俺は塚端がゲン担ぎで作ってくれたカツサンドを食べることで精いっぱいで、ほとんど入ってこなかった。
結局半分も食べきれなかったのだけど。
「──!」
舞台袖から、対抗候補である相馬先輩のスピーチを見る。
それはもう、単純に上手かった。
体育会系らしい大きい声に、だけど蒸し暑さは感じさせない爽やかな言い回し。ジェスチャーも適度に混ぜ込まれていて、話のどこに集中すればいいのかわかりやすい。何より、レア先輩ほどじゃないが相馬先輩も自信に満ち溢れているのがわかった。
レア先輩は敵なんてどこにもいないと言ってくれたけど、俺には相馬先輩に勝てる気がしなくなっていた。俺はあんな風に上手くやれるだろうか。まだ入学したての、何者でもない俺が。
頭を振って考えを止める。ダメだ。順番が近づくにつれネガティブな方へ引きずり込まれる。レア先輩に訊かれたろ、ビビっていないかって。あれは、ビビるなってことだ。
そうだ、何も臆することは無い。ただ、練習した通りにすればいい。
やがて、相馬先輩への質問が終わって、彼が舞台袖へと入ってくる。
彼は僕を見ると何か声をかけようとして、視線を逸らした。
噂を流したのは、おそらく相馬先輩のクラスメイト。
また嫌な想像が膨らむ。やめろ、まだ相馬先輩が指示したとか、そんなことが決まったわけじゃない。今するべきは憎むことじゃない。
名前が呼ばれる。
汗ばんだ手に奈々先輩が書いてくれた原稿をもって壇上へと上がる。
「──っ」
思わず、息を呑んだ。
全校生徒、教師含め、ほとんど全員が俺を見上げている。相馬先輩はこの光景を前にしてもあんなスピーチが出来たのか。
落ち着け。マイクに乗らぬよう、軽く深呼吸。
原稿を広げて演説台に置く。奈々先輩の気の抜けた丸文字に緊張が和らぐ。
「──」
口を開く。
言葉を発する。
それは確実に全員の耳に届く。
耳だけじゃダメだ。
目も奪え。
手を動かせ。
無表情もダメだ。
表情筋を動かせ。
笑って、見せろ。
反応はいい。
聴いてくれている。
奈々先輩と一緒に作った言葉を言葉以上のものにしろ。
言うことが目的じゃない。伝えるんだ。
「──。ご清聴ありがとうございました」
伝えきった。
大きな拍手が束になって投げられる。
拍手が収まるのを待って、質問の段に移る。
レア先輩は質問なんかほとんど何も来ないと言っていたし、予想できるものについては答えを用意してきた。
だから、大丈夫。
一人の男子生徒が手を上げる。
位置からして三年生だ。
「えっとー、」とこちらの緊張を逆撫でする調子で質問を投げてくる。
「塚端さんって人と付き合って同棲してるって本当ですか?この学園、恋愛禁止っすよね?」
その一言で雰囲気が変わった。
張りつめたコンサートホールみたいな空間が一変する。俺が壇上に立ち、自らの言動で保っていた世界が音を発てて崩れていく。
挙手制だった発言が、無秩序に崩壊して、四方八方から飛んでくる。「言われてみればそうだな」「ああ、あいつが噂になってた」「ヤッたのかー」「塚端さんって誰?」「ほらあそこの」「はっきり言わないとダサいぞ~」
実際は小さな呟きの数々だったのかもしれない。でも、聞こえてくる音は石のように硬くて、体を抉っていく。
静かに、という司会の声ですら棘のように刺さる。
味方が、いない。
今立っている場所以外剥がれ落ちてしまったような感覚だ。一歩でも動けば奈落の底へ落ちていく。
板の下に潜んでいた魔物が口を開けて待っている。
このとき、俺は初めてレア先輩が言っていた言葉の意味を知る。「君自身が相応しいかの勝負」。敵なんていない。そうなるように今日のこの時まで戦ってきた。だから、このスピーチも俺は相馬先輩と比べられていたんじゃない。俺は今試されているんだ。ここに立つに相応しいかどうか。
そうだ、味方はいないのだ。ここに立てば、もう俺だけの戦場だ。レア先輩も奈々先輩も、塚端も何もできない。俺だけがどうにかできる。
さあ、今何を求められている。
質問されたのだ。
聞きたい答があるのだ。
俺の口から発せられることを心待ちにしている言葉があるのだ。
はっきり言わないとダサいと言われた。
それだ。何をはっきり言えばいい。
ヤッたことか?
ヤッてねえよ。だとしても場所を考えろ。言うべきじゃない。これは、相応しくない。
塚端と付き合っていて同棲していること?
二つともしてない。
この学園が恋愛禁止だってこと?
それは知ってるよ。おかしなルールだとも思っている。実はしてるやつなんていっぱいいるだろ。質問してきたやつだって、絶対している。
ああ、これだ。他の質問は無視していい。だって、許可を得て発した質問じゃない。答える義務はこっちに無い。
答えるべきは最初の質問だけだ。
「まだ、していません」
熱っぽい声がマイクに乗る。知らず知らずのうちに煮えたぎっていた怒りが喉を上ってくる。今はそれでいい。静寂の隙が生まれた。ただ、セーブしろ。感情的になっていることを悟られるな。
「まだってことは」ほら、誰かがまた口を開く。すぐに連鎖するぞ。そうなる前に、生まれた隙を見逃さず、言葉をつき刺せ。
「まだ、していません。なぜならこの学園は不純異性交遊禁止、所謂恋愛禁止だからです」
最初の質問をしてきたやつを見る。ニタニタと気色の悪い笑顔面と目が合う。調子に乗るな。お前のいいようにはならない。もうそこで黙って聞いとけ。お前は自分の言葉で場を支配出来たつもりか知らないが、今この場の支配者は俺だ。
視線を外して、全体に向ける。一人に構っている暇は無い。俺の相手はこの全員だ。
「でも、きっとしていない人がいないなんてことは絶対にあり得ません。皆さんは一度考えたことがあるでしょう。こんな意味の無い校則なんで存在するのだろうかと。だってそうでしょ、人から恋愛を奪うことは不可能です。している人はきっといる。最初は片思いかもしれません。その想いを秘めて、卒業まで隠し通して、やがて忘れてしまえば確かに不純な交友はしていません。何も学園に咎められることは無い。だけど、それで満足できますか?」
返答はない。けど、それでいい。聞いている人たちは皆、俺の言葉を待っている。
「片思いをして、両想いにしたいのが人間です。私たちは一人じゃない。一人で生きていくなんて不可能です。相談したくなる。心のうちに抱えた膨れ上がる爆弾みたいな感情を吐き出したくなる。だから、共有する。それが友人か家族か。いや、このどちらよりも多いのが恋慕の相手でしょう。成就させて、一人で思い描いていた以上のことをしていくことこそが青春だ。今、私たちは青春を生きている。それが私たちの特権だ。だが、この学園にはその特権を奪い取る校則が存在する。実はもう形骸化しているのかもしれない。学園に内緒で行っている人たちがいたとしてもおかしくない。だけど、隠れて恋愛するなんてばかばかしくないだろうか。私たちは人として、学生として、当然の権利を行使しているに過ぎないのに、つまらぬ校則に怯えタブーみたいな空気を吸わされ続けている」
昔読んだ小説の一節を思い出す。人は恋と革命をするために生きている。
「私は先ほど、マニフェストとして購買部の商品にシークレットブーツの追加と校内着用の許可を掲げましたが、そこに二つ付け加えます。
一つは不純異性交遊禁止の撤廃。
もう一つは、撤廃した暁には私がその見本を見せてやる」
塚端を見る。
全校生徒の視線が俺と塚端の半々に分かれた。
もう、どうとでもなれ。
「俺が息苦しいだけの詰まらないルールぶっ壊して、合法的に大手を振って手を繋げる学園を作ってみせる!やり方がわからないやつには俺と塚端が手本見せるから心配するな!恋愛だけじゃない、この学園にある窮屈なルールを削り倒して、自由を手に入れよう!少しでも自由を手に入れたいやつは俺に一票を!清くても不純でも一票は一票だから気にしなくていい!全部ひっくるめて片っ端から職員室に叩きつけてやる!」
以上、と言い切って、再び静寂がやってくる。いや、完全に静寂じゃない。興奮した血管が破裂するんじゃないかってほど音をたてている。
反応は拍手じゃなかった。
「──っ」
雄叫びに似た歓声が壇上を越えて天井を揺らす。
一人一人の熱気が渦となって、うねった上昇気流を形成する。これに乗れたら空を跳べるかもしれない。浮遊感で言えばもうそんな気分だった。空気が震えて、よろめかずにいるのが精いっぱいだ。
板の下で大口を開けていた魔物はもう見えなくなっていた。
「静かに!静かに!」
司会が声を張り上げて制止するのを背に俺は舞台袖へと帰る。もっとこの景色を見ていたかったけど、静まっていくところも見たくなかった。とんでもない贅沢だと、我ながらそう思う。