冬も本格的に寒くなってきた頃
そう言えばバーテンダーになりたいなら毎朝新聞だけは読めと師匠言われていたのを思い出し、まぁコイツには無縁だろうなと俺が黙々とグラスを拭いている前でカウンターに噛りつくようにメニューとにらめっこをしている奴に視線移す。
「むむむぅ……」
次のグラスへ、次のグラスへと手を伸ばして磨きあげているうちにもう拭くものも無くなってしまった。次は腕でも磨くか…いや、ぼっちは影で努力するもんだ…その方が格好いいからな。うんうん、と思い耽っているとパタンとメニューを閉じる音がする。
「決まったか?」
「こういうのって何頼んだらいいか分からないし…私ってお酒そんなに飲んだ事ないから…」
シュンと縮こまるようにみるみる落ち込んで行く彼女、由比ヶ浜に助け船を出してやる。
「だったら、デザートタイプのカクテルなんてどうだ?」
「えっデザート!?」
さっきまでの様子は嘘のようにキラキラとした目でこちらを見てくる。コロコロと表情が変わって行く姿は昔のままだな。
「カクテルにデザートなんてあるの?」
「最近じゃ女性客も増えてるしな、昔からそういう需要はあるもんだ。例えば、甘いものが好きならアレキサンダーは定番だな」
コトコトとカウンターにボトルを置いていき説明を続けていく。
「カカオリキュールにブランデーと生クリームをシェイク。口当たりも滑らかで飲みやすいだろう。それにチョコレートリキュールもストレートやロックで飲みやすいぞ」
「ほえーそうなんだーふーん」
そう言ってボトルに手を伸ばす由比ヶ浜に一言告げる。
「おっと、バーではカウンターのボトルを勝手に触らない方がいい」
「え!?そうなの?」
「バーやバーテンダーにはそういうルールがあるんだ。誤って落としてしまった時、想像以上に高価なボトルだったりすれば責任も大変だろ?まぁここじゃ気にしなくていいがな」
と言って両手を軽くあげておどけてみせた。
「そっか…ごめんね…」
先程までの明るさはまたも鳴りを潜めてしまった由比ヶ浜に励ましの意味を込めて大袈裟にカクテルの準備を始めた。
「由比ヶ浜、これは知り合いのバーテンダーの話なんだが…」
そう言って由比ヶ浜の方に視線を向ける。
やっぱり恥ずかしいから少し斜め上を見る。いつもの語り始めで自分の失敗談を話し由比ヶ浜を不器用に慰めると彼女は少し元気を取り戻した。
「じゃさっきのあ、あ、あれくさんだー?がいいな」
アホらしさ全開だがアレクサンダーでも正解なのが凄い所だ。
「ある程度適当な注文でいいんだよ。後はバーテンダーが最高に美味い一杯を作る」
「なにそれ、変なの…」
やっと肩の力が抜けた由比ヶ浜はそう呟いて微笑んだ。
「どうぞ…アレキサンダーです」
素早く作り上げた一杯を由比ヶ浜に差し出す。
作っている時にこちらを見る熱を帯びた瞳はまるで初めて誕生日を祝われる少年のような目だった。
「ホントだ!ムースみたいでふんわりしてて美味しい!」
「そりゃよかった」
「そうだ!ヒッキーも一緒に飲もうよ!」
「残念だが由比ヶ浜、基本的にバーテンダーは味見以外はお酒を飲まないんだよ」
「えーいいじゃん、のもーよーねぇヒッキーのもーよー」
目の前で子供の様に駄々をこねる由比ヶ浜が俺の服の袖を掴みながら体を前後に揺らす。
おぉ…凄く立派なメロンちゃんが……
「さ、さっきも言ったろ?る、ルールみたいなもんがあんだよ…」
「なぁんだつまんないのー…それじゃ何かもう一杯ちょうだい。とびっきり美味しいのね!」
「へいへい…」
その後に出されたグラスを幾つかの会話をはさみながら飲み干して由比ヶ浜は帰って行った。
ーー数日後ーー
またもやカウンターに腰掛け暗い顔で俯いた由比ヶ浜。
テーブルの上に置かれたバキバキに割れたチョコレート。
おそらくあの時の家庭科室から練習して錬金術から料理へと昇華させるほどに腕をあげたのだろう。
「電車の中で割れちゃった…」
そういえば世間はバレンタインだったなと思い、まぁ俺には関係ないかと心の中で独りごちた。それにしても由比ヶ浜が手作りチョコレートとは成長したもんだ。
「これじゃせっかく作ったのに渡せないよ…」
「心配すんな、これもちゃんと生き返る」
「ホント…?」
ニヤリと笑みを浮かべコンロに火をつけ準備に取りかかる。
「まずミルクを沸騰させないようにチョコレートをよく混ぜて溶かす。好みで生クリームを少し。アレキサンダーは普通ブランデーを使うんだが、今日はせっかくだしアマレットを使うか」
「アマレット?」
少し恥ずかしいが自分の成長の為と言い訳をし言葉を紡ぐ。
「アマレット、正式にはアマレット・ディサローノは愛のリキュールと呼ばれているんだ。そう呼ばれるようになったエピソードがあるんだがそれは割愛しよう」
メジャーカップに注いだアマレットを由比ヶ浜に差し出す。
「香り…嗅いでみるか?」
差し出されたアマレットの香りをクンクンと嗅ぐ由比ヶ浜は少し考えて口を開いた。
「杏仁豆腐みたいな、甘くて優しい香りだね」
言い得て妙だな、と思った。
手早く作業を終わらしグラスを差し出す。
「どうぞ…アマレット・アレキサンダーです」
「…美味しい…凄く美味しいよ!チョコレートの甘味にアマレットの香りがあって、それで、えと、とにかく美味しいの!」
「そりゃよかった」
ふぅと一息つきながら由比ヶ浜がチョコを渡す相手を考えていた。どうせ雪ノ下辺りだろうがアイツだったら少々チョコが割れていても気にしないだろう。由比ヶ浜の事大好きだし。
無論俺は帰れば小町のチョコが待っている。
アイツが成人して酒を飲めればこれを作ってやるんだがなーっと思っていると袖をクイクイと引かれた。
「ねぇ…ヒッキー…私がチョコレートを渡すつもりだった人もこれなら飲んでくれるかな?」
「ん?あぁそりゃ当然だろ」
深く考えず雪ノ下とのゆるゆりを想像していると目の前にグラスが差し出された。
「じゃ…私からのバレンタインプレゼント」
「お、おう…あ、ありゅがとう…」
渡されたグラスを静かに飲み干す。
「へへっこれ義理チョコじゃないかんね!」
やられた…アルコールのせいか顔が暑くなっていく。
ちょっとここ暖房効きすぎじゃないですかねまったく、昨今は地球温暖化が騒がれているのにと恥ずかしい気持ちを誤魔化していた。
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「ヘッ…クシュ…」
だからバーテンダーは飲めないって言ったのに…と酔っぱらい運転にならないように自転車を押して帰る。
でも、愚痴りながらも帰る体はいつもより温かかった。