無限回廊に囚われし哀れな子羊の覚書   作:非対称ジメチルヒドラジン

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"なろう"からの移植作品です。
プラットフォームの都合上改行など不自然な点が見受けられるものの悪しからず。


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まるな。後ろを振り向くな。

この異常な空間から脱出する為に。生きて戻る為に。

 

虫一匹居ないこの空間。この階段に採光窓など無く、

あるのは細々と続くリノリウムの階段だけ。

切れかけた白色蛍光灯が唯一の光源だ。

 

背後に感じる不気味な気配。後ろは振り向けない。

振り向けば死よりも恐ろしい厄災が降り注ぐ。

第六感がそう叫ぶ。

 

体が言う事を聞かない。意に反して足が止まる。

急に意識が朦朧とする。

自分は誰だ?これは何なんだ?何かの悪い夢なのか?

夢なら早く覚めてくれ。

 

意識は遠ざかる。

現実と夢が混ざり合う。何が夢で何が現実か。

それすらも分からない。混沌。視界が歪む。

 

 

意識が戻った時、立っていたのは非常に不気味な、

いや、ある種の冒涜的な場所だった。

 

カルト的祭壇。灰色の蝋は赤褐色の炎を宿す。

手首の太さほどの巨大な蝋燭の集合体。

そして中央にはヒビの入った大人の骸骨が、何やら深い赤色の塗料で描かれた悪魔的魔法陣の中央に置かれている。

 

部屋は薄暗く、蝋燭の炎が唯一の灯りとなっていた。

先程までの背後からの悪寒も何故だかすっかり消え去ったので、後ろを振り返る事ができた。祭壇の他にはこの部屋には何もなく、窓や本来有るべき扉すらも欠けていた。

 

完全な密室だ。真の意味での密室。

部屋からは仏壇の香りがする。もしかしたらそれは線香の匂いだったのかも知れない。だが今の自分にとってそれはどうでも良く、今知りたいのはこの部屋からの脱出方法だけだった。

 

恐る恐る壁を叩いてみた。鈍い音がした。

壁はコンクリートで出来ているのかも知れない。

だが何とかなるだろう。蝋燭の炎が燃えている。

さっきまでここに人が居たはずだ。

 

悲観的な考えを捨て希望的観測を自身に言い聞かせ、俺は部屋を更に調べる事にした。だが特に変わったことはない。強いて言うなら引き出しから少々の硬貨と錆びついたカギが手に入ったくらいだ。

 

夢から醒めたいと願ったのは確かだ。

だがこのような事は望んでいない。

それとも俺はまだ夢を見ているのか?

 

良く出来た夢では夢が夢だとわからない。

もしかするとこれも夢の続きなのかも知れない。

自分が誰だか思い出せない。

逆にそれが証拠なのかも知れない。

分からない。誰にも分からない。

 

だがこのままでは、死ぬのは時間の問題だ。

餓死、酸欠、狂気。死に方はいくらでもある。

もしこれが現実ならば、俺は今相当不味い状況に置かれているということだけは確かだ。コンクリートは容易に破壊できない。

 

救助を呼ぶための携帯電話もない。

それにそもそも現在地が分からない。

 

 

だが何かがあるはず。

俺は悪魔的祭壇に手を付けることにした。

この意味有りげな魔法陣にヒビ割れた骸骨。

誰がこれを、そしてなんの為に?

 

 

骸骨に俺は手を伸ばす。

生理的嫌悪感は不思議と感じられない。

だが自分の手が小刻みに震えているのは事実だ。

骸骨を直に見たのは葬式以来。

誰の葬儀だったかは分からない。思い出せない。

 

この感じ、記憶が完全に消え去った、"波に飲まれてきれいさっぱり無くなった"というよりも、"記憶を金庫に仕舞われた"という感覚に近いだろうか。これが夢である事を願うばかりだ。

 

俺は骸骨に手を伸ばし、指先に何か触れる物を感じた。

冷たい感触。頭蓋骨は思った以上に硬かった。

その硬い骨に入った深い陥没痕。それが生前付けられたものではないことを祈りながら、俺は頭蓋骨を両手で持ち上げ、中の空洞を恐る恐る覗き込む。持ち上げた時に顎の骨が落ちるかと思ったがそういう事はなく、陥没痕付近の骨粉と言うべきものがパラパラと魔法陣の上に降りかかっただけだった。

 

強い衝撃で骨が変形したのかも知れない。

そんな仮説を頭の片隅で考えながら俺は、これからの事に思いを馳せた。俺はこれからどうなるのだろうか?夢なら早く覚めて欲しい。こんなリアルで悪質な夢は初めてだ。救世主など居ないこの暗闇の中では、俺は祈る事しかできない。

 

突然、意識が朦朧とする。さっきのと似た感覚だ。

現実と夢が混ざり合う。

 

意識が階段にまで引き戻される。

 

 

 

俺はきっと夢を見ていたんだ。

望まぬ事だが、先程の階段に引き戻される。

背後からの悪寒も先と一緒だ。

 

またこの階段を降りなければならない。

降り続けなくてはならない。

 

コツン、コツンという足音が階段に響く。

階段自体に異常性は見られない。

取り壊しになった県立ビルもこんな階段だったな。

それどころか階段には懐かしさすら覚える。

滑り止めゴムが各段に設置されていて実に歩きやすい。

 

そういえば俺は何故ここに居るのだろう?

記憶が曖昧だ。何をしにここに来たんだろうか?

 

ほとんど放心状態になりながら足を進める。

背後からの恐怖は相変わらずだが、別にそれといった実害はないし後ろのナニカもそこまで悪いものじゃないだろうとそんな事を考えながら進んでいると、突然、3度目のあの感覚が襲ってきた。

 

 

 

 

意識が戻った。

気がつけば一人広大な空間に立ち尽くしていた。

ここは地下鉄だろうか?

 

灯りもほとんど無く、人一人見当たらない。

ホームに停まった列車は動く素振りをまるで見せない。

付いているのは僅かな光だけだ。中に人は居ないだろう。

 

薄暗いプラットフォームの中を一人彷徨い歩く。

飲み物を買おうと自販機の前まで行ったが、自販機の目の前まで来て初めて全て売り切れていることを悟った。赤いランプが一列、また一列と並んでいる。やられた。

 

更に奥まで進むと、そこには確かな人の気配があった。

誰かが居る。そう確信した俺は声を出してその存在に呼びかけてみることにした。

 

「すいませーん、誰かいますかー?」

 

構内に声が響く。返答は直ぐに返ってきた。

 

「刃物は持ってないよねー?」

聞こえてきたのは女の声に近かった。

この異常な空間で武器があれば相当心強いだろう。

そう思ったが、俺は生憎そのような物など持ち合わせていない。俺は相手の良心に期待して返答した。

 

「ええ持ってませんよー」

 

 

少しの間の後、姿を現したのは長髪の女性だった。

ニヤニヤと笑みを浮かべてきて正直気持ちが悪い。

本人には悪いものの、嫌悪感が刺激される顔だった。

 

「ええと、ジュースがほしいんだっけ?」

女は探りを入れてくる。

これはもしかしたらもしかするかも知れない。

 

「ひょっとして私の行動を監視していたんですか?ていうか自販機が売り切れだったのは何でです?」

 

わざとらしい演技で女は言う。

「残念ながらジュースは買い占められてもう無いの、だけどかろうじて私は持ってるのよ、貴方が欲しがるような物を、幸いにして」

 

「もしや貴方が...」

 

「いやいや、私はやってないわ、他の奴らがやったのよ」

 

「とにかく800円、800円で好きなジュースを一本よ」

 

これは俗に言う転売ヤーだ。こんな所でも遭遇するとは。

資本主義社会では必ずと言っていいほど発生する類の人間、だがそれは少なくとも合法的に行われる。資本主義という観点から見ると非常に理に適っているやり方だがやられる側としては非常に迷惑であるものだ。

 

「はぁ..もういいですよ、要りません、それよりここはどこなんですか?"なんで"私はこんな所に?」

 

だが突然女はヒステリーを起こす。

全く予想のできない言動。もしかすると

こいつは既におかしくなっているのかも知れない。

 

「そんなの知らないわよ、私だってなんで自分がここにいるかわからないの!私はただ怪物から逃げてここに来たの!」

 

 

これ以上こいつとは喋っても無駄だ。

そう判断した俺はこの場から離れる事にした。

 

意識が朦朧とするあの現象を逆に利用する。

階段に自らを自分自身の意思で引き戻す。

もしかすると行けるかもしれない。

こういう時に大事なのは自分の気持ちだ。

 

本来混ざるはずの無い水と油が混ざり合うように。

 

 

 

意識は緑階段にまで引き戻される。

悪寒がするが、落ち着くのはこちらの方だ。

リノリウム床にほんのり香るゴムの匂い。

だがその"匂い"は醜悪なそれ以上の物に掻き消された。

 

階段の先には、何かが居た。人ならざるもの。

その冒涜的な見た目は海洋、とりわけ深海生物を彷彿とさせる。目は白く濁りきっており、青白い鱗が体を覆い尽くす。指と指の間は半分以上くっついており、爪は異常に長い鉤爪だった。

 

 

さっきまでは居なかった筈なのに。

何でこんな奴が!?幸いにも視線はまだ合っていない。このまま何とかやり過ごそうと思ったものの、後ろにはそれよりも遥かに恐ろしいナニカが居る。

 

先程の女が言っていた事がようやく理解できた。

幸いにもまだ気づかれていないのでこのまま駅に戻ろうかしら。そんな事を考え、必死に念じたが全く効果が無い。

階段に"入ることはできても出ることは出来ない"のか!?

 

これは夢だ早く醒めろ。

念じる事しかできない自分が見苦しい。

ええい、どうせ夢だ。それなら玉砕覚悟で突っ込め。

 

決意を顕にし、4段飛ばしで駆け下りる。

全速力で行われたそれは以前の行軍とはまるで格が違い、とてつもない速度で怪物の居る場所に迫った。

 

後少しのところで怪物はこちらの存在に気が付いた。

突然の奇声。この世のものとは思えないような、人間の脳に深く突き刺さるようなおぞましい鳴き声。耳を劈くような狂気じみたそれは反射的に両手に耳を押し当てさせる程だった。

 

だがそれが仇となり、階段に足を取られた。

怪物のすぐそばで俺は思いっきり転けそうになる。

最早攻撃どころではない。衝突回避が最優先。

 

奴の顔面に一発喰らわせる筈が、階段にクリティカルヒットを貰うという笑い話はこれまで無かっただろう。

 

まるでプールに飛び込むかのような勢いで、俺は階段に頭をぶつける。何年ぶりだろうか?

床から貰った会心の一撃。おそらく失神コースだ。

 

 

どうかこれが夢でありますように。

痛みは明らかに現実のものであったが、どうせ夢だ、何とかなるだろう。そう言い聞かせてこの非情な現実から目を背けた。

 

 

 

現実と夢が混ざり合う。

 

 

 

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