いくら人生が長いとはいえ、さすがに初めてのことには緊張というものが付きまとう。恐らくこいつとは切っても切れない腐れ縁であり、もはや観念して受け入れるのが良いと割り切っている。
本格的そうに見える木製の開放型発酵槽の樽を立てる。ゆっくりとコルクを引き抜くと、それだけでもう熟成されたブドウの芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。その穴にはコルクの変わりに蛇口を突っ込む。この完全に金属製の蛇口は、俺プロデュースの元、いつもお世話になっている某河童さんに製造してもらったものだ。いつも便利役ありがとう。
サイズがピッタリであることを確認し、やはり彼女の技術力はピカイチであることもついでに再確認して、今一度その樽を横に倒す。
上の方のコルクにも穴を開ける。この空気穴がないと、蛇口をひねってもワインは出て来てくれないのだ。
と、雄弁に知ったような口を聞いているが、自身もワインを作るのは初めてであり、そのほとんどは本から取り入れた知識ばかりだ。
だが仕方がない。よくよく考えて見ると、ここ幻想郷では紅魔館以外ではワインは見かけたことがなく、もちろん市場にも出回ってはいない。どのようにして紅魔館はワインを入手しているのか甚だ疑問ではあるのだが、今回はその件は置いておこう。
用意していたワイングラスを優しく手に持つ。それを取り付けた蛇口の下に持って行く。
そうして俺はゆっくりと蛇口を開く。
とつとつ、と音を立ててルビーの宝玉のような真紅の液体はアルコールの匂いと、爛れたブドウの脳を溶かすような香りを弾けさせながらグラスに注がれてゆく。
グラスの三分の一程度になると、俺は蛇口を閉める。垂れないように空いている右手で横に置いていたタオルで蛇口を拭う。
ステム部分を掴んだまま、ゆっくりと鼻先へ近づけ、先ずは匂いを味わう。
このワインを作るために選んだブドウは、『彼女』に選んでもらった定番のピノ・ノワール。爛熟した中でも十分な果実特有の甘みのある香りは繊細かつ上品である。
それを下へ降ろすと、スワリングをしてワインの香りをより一層引き立たせる。
──さて、待ちに待った実飲の時間だ。
唇をそっとワイングラスに当てる。そうして緩やかにワイングラスを傾けて、口内に流し込む。侵入して来たルビーレッドの液体を、舌の上で転がすようにして喉へ流し込む。
唇を、ワイングラスから離す。
鼻からそっと息を吸う。
──ああ、最高だ。
軽口であるピノ・ノワールの赤ワイン。苦味の元であるタンニンは薄めであるが、上品な酸味が口内を優しく刺激する。フレッシュな深い甘みは、やはりピノ・ノワールたる証であろう。
息を吸うと、まるで果実畑にいるのではないかと錯覚をしてしまうほどだ。
グラスに残ったワインも、決してがっつくことはせずに、飲んでいるこちらが気後れしないようにゆっくりと上品にそれを味わう。しかし、あまりの美味しさに、気がつけばグラスの中は空になっていた。
軽口であるこのワインは、本当に何杯でも飲めてしまいそうで恐ろしい。
しかし、ここらへんでセーブをしておかなければ。これはあくまで試し飲みであって、やはりこいつは真っ先に『彼女』に飲んでもらわないと気が済まない。
今回のワイン作成において、最も肝心である部分、俺は全くその分野に精通していないため『彼女』に多くの助力を請うた。
それは、ブドウだ。
このワインの原材料である「ピノ・ノワール」。実はこのブドウさえも自家製であり、季節の扱いや温度、湿度、育て方、また苗木や、能力を使った促進など、とある人物、先程から『彼女』と呼んでいる人物に助けてもらったものなのだ。
さて、その例の『彼女』とは。数多くない昔馴染みの一人であり、聞いてわかる通り植物関係の能力を持つ。確か、「花を操る程度の能力」。二つ名としては「四季のフラワーマスター」。幻想郷でも随一の妖怪であり、『幻想郷縁起』にして、「危険度:極高 人間友好度:最悪」とまで言わしめる人物。……とはいえ、先の書物は平和になっている幻想郷において、危険度などは水増しされているものであり、実際の『彼女』はそんなに無闇矢鱈と人を襲ったりせず、自分の邪魔さえされなければ友好的なものである。
まあ、何にせよ。俺の大事な友人の1人なのである。
『彼女』──風見幽香は。
・
そうして、今日は彼女とワイン完成祝賀会を開くことになった。初めて作ったワインであり、彼女の手を借りて作った、謂わば共同制作のようなものであり、どうしても最初に彼女と飲みたいと思った。今回のプチパーティーは俺から提案したものなのだが、紆余曲折あり彼女の家で2人ひっそりと開くことになった。
現在は昼下がりの森の中、俺が時間をかけて整備した道路(とはいえ古代ローマのそれにも劣る程度なのだが)をいつものスクーターで彼女の家に向けぶっ飛ばしてる最中だ。
スクーターには手製のワインがしっかりとボトル詰めされており、さらには合わせのお菓子も用意してきた。
ワインと甘いお菓子を合わせて食べたことがある人は少ないかもしれないし、その組み合わせは合わ無いという人もいるかも知れないが、残念ながらそれは違う。
一菓子職人から言わせて貰えば、お菓子はしっかりとワインの種類と合うように選べば、最高のコンビネーションを見せることができるのだ。
まあ、こいつのお披露目はまた後でということで。
取り敢えずは幽香の家に向かおうではないか。
「って、ん?」
順調に、爽快にスクーターを走らせていると、この幻想郷基準では奇抜な衣装をした人物が遠くに倒れこんでいるのが見えた。
奇抜、と言ったのだがこれはあくまでこの世界の基準であり、あの服装はおそらく外の世界のものであろう。なんて、呑気なことを考えているのだが、その倒れていた少女は現在、絶賛絶体絶命の危機に瀕していたのだ。
彼女を狙うのは知能も持たぬ名もなき妖怪。妖力も低く、精々死んだ畜生の成れの果てと言った感じではあるのだが、流石に外の世界から来た生身の人間がいきなり妖怪を見たらどうしようもないだろう。倒れて、へたりこんでいるのは、どうにも腰が抜けているみたいだ。
俺は、好き好んで外から来た人をいちいち救うような真似はしない。何故なら、そんなものを探していたらキリが無く、弱小妖怪にとっても生命線と言わざるを得ないので、この世界の調和のためには仕方のないことなのだろう。
とは言え、残念ながら俺は俺だ。
目の前で同族である人間が死ぬのを見るのはどうも居た堪れない。寝つきも悪くなる。
だから、あそこの少女は単に運がよかっただけだろう。偶々誰かが通りかかって、偶々それが俺だっただけの。
妖怪は少女を喰らうために、大地を強く踏み込む。そして、深く溜めを作ると、思い切り地を蹴──
ることは無く、不思議そうな表情を見せ、そこに固まる。
決して妖怪が観念したのではない。
俺がそうさせたのだ。
なんて事はない。ただの能力だ。
スクーターをその現場付近に止めると、俺は、少女と妖怪にゆっくりと近づく。少女は、突然動きを止めた妖怪、突然やって来た古風な男性とそれに似合わない近代的なスクーターという不可解な情報を急激に流し込まれたせいかただひたすらに呆然としている。
「君、大丈夫かい。怪我はないか」
へたりと弱々しく地面に腰をついている少女の前に行くと、腰を下ろし、彼女と同じ目線の高さになるようにする。
「は、はい。えと、その……」
しかし、だからと言ってそうすぐ落ち着けるわけもなく彼女は言葉を探し続ける。
「事情は、後で詳しく説明してあげるから、取り敢えず今は落ち着いて。ほら、深呼吸」
出来るだけ優しくそう声をかける。
その言葉に多少は落ち着きを取り戻したのか、その少女は言われた通りにゆっくりと深呼吸をする。
「君、名前はなんて言うの? それと、どこから来たの?」
字面だけ見たらナンパのように思えるかも知れないが、勿論そんなつもりではない。まず、彼女に意識はしっかりとあるのか確認しなければならないし、彼女の名前を呼べないとコミュニケーションも取りづらい。
「えっと、園田由依って言います。えっと、普通に東京出身なんですけど、その、質問を返すようで悪いんですけど、ここは何処なんですか? あなたは誰なんですか? それとさっきの、私を襲った、犬、みたいなのって」
「俺は、天永地久。「ひさ」でも「ちひさ」とでも読んでくれて構わない。それと、さっき言ったように詳しい事は後で話す」
俺の言葉に、少し恥ずかしそうに、ちょっとだけ慌てながら頭を下げる。
彼女は取り敢えず、この状況を打開できそうで、コミュニケーションが出来る人と遭遇することが出来たからか、少しだけ安堵の表情を見せる。
俺は、その表情を見てから、彼女が少し落ち着いたであろうことを察すると、茶目っ気たっぷりに、なんてことない一言を追加する。
「──でも、一つだけ質問に答えてあげる。ここは、幻想郷。人里離れた、忘れられたモノの、辺境の地さ」
・
突然出会ってしまった外来人のため、今日は残念ながら幽香の家を訪ねられそうにない。
……きっと、怒るんだろうなぁ。
今からでも少し憂鬱になる。
彼女は少し怒りっぽいところがあり、機嫌を悪くすると中々治らないのだ。それでも、話が通じないタイプなどでは決して無く、事情をしっかりと話せば理解はしていくれる。
取り敢えずはドタキャンになってしまったことを謝らねばならぬ。
俺は袖から一枚の和紙を取り出して、そこにアンバランスな現代チックな筆ペンを取り出す。筆ペンは楽なのだ。
和紙には、俺が急用で家にいけないこと、埋め合わせはキチンとすること、それと謝罪の言葉を軽く書き入れる。
それを折って紙ヒコーキを作る。
「その、何されてるんですか?」
先ほど助けた少女はこちらの手先を興味深そうに眺めている。
現在は、車の中だ。
なぜ車なのか理解ができていない方も多いかも知れない。そもそも、車などは、あそこには無かったわけなのだから。
しかし、この車は、例のスクーターの隠された七つの能力の一つ、変形を利用したものだ。
今、俺と少女は後部座席に乗っており、運転は式神に任せている。この式神を見たときの少女の興奮度合いと言ったらなんと例えればいいのか。まあ、仕方のない事だろう。彼女からしてみれば、このような術の類は見たことがないのだから。
この車モードの利点は、このように普通の人を運んだり、大人数で移動するときに楽という点であり、さらに言えば、このように俺自身に何かすることがあったときに、式神に運転を任せながら作業ができるのだ。
話はそれたが、彼女の質問への返答をしよう。
「今日訪ねる予定だった人に断りの連絡をね」
その言葉を聞いて、少女は申し訳なさそうな顔をする。
「その、私のせいで、約束を……」
そのまま謝罪の言葉を口にしようとするが、言わせるつもりはない。
「気にしなくていいいいし、謝る必要もない。これは俺が好きでやった事だから」
俺に言葉を遮られた彼女であったが、今度は目を歓喜の涙で少しだけ濡らして口を開く。
「ありがとうございまふ」
感謝の言──、あれ。
「まふ?」
「……か、噛みました」
顔を驚くくらいに真っ赤にさせて俯く彼女。
「ははは、そっちの方がいい。固くなって謝られるよりも、ぎこちなくても感謝の言葉を言われる方が何倍もいいさ」
その言葉に照れ臭そうにはしながらも、優しそうな笑みを彼女は浮かべる。
「それと、さっきの君を襲った妖の話なんだけどさ。許してあげてくれないか。あれも一応この世界の理でね」
先ほどの妖の姿を思い浮かべる。
この平和になってしまった幻想郷では、中々餌となるものは見つからず、それ故に痩せ細った四肢は、骨身になっていた。
「あいつも、生きたかっただけなんだ。ああでもしないと生きていけないんだ。偶々俺が人間びいきの部分があっただけで君を助けはしたけれど、あの妖のことは許してやってくれ」
先ほどの妖には、代わりに俺特製の妖フードを渡しておいた。多分人間よりは美味しいと思うし、栄養価も高い。あれだけでこれから先の彼の人生が変わるかどうかは分からないが、少なくとも今助けたこの少女を食べた時に得られる分の妖力などは渡したつもりだ。
「……はい」
複雑な思いを抱きながらも頷く少女。
優しい子だ。自分の命を理不尽に狙われたのだ。普通だったらこうも簡単には許せない。
「優しいんだね、君は」
言い終わると俺は車の窓を開けて、手紙ヒコーキを外に投げる。すると、手紙ヒコーキは意志を持ったように方向を変え、瞬く間に遠くに行ってしまう。
説明しよう。手紙ヒコーキとは、特殊な紙にメッセージを書き紙ヒコーキ状にして投げると、メッセージを送りたい相手に自動で届く素晴らしくメルヘンで恐ろしく原始的なメールなのだ。
「す、凄い」
「珍しいか? そりゃあそうか。外の世界から来たんだからね」
飛んで行く手紙ヒコーキをの背を眺める。願わくば、この手紙ヒコーキで幽香の機嫌が多少でも収まってくれますように。
・
今日は少し特別な日。
彼が訪れる日。
彼のワインが完成し、真っ先に私に飲んで欲しいとのことだ開かれることになった完成祝賀会。
鏡を前に髪型が変ではないか確認する。変ではないだろうか、少し変な気がする。いや、気のせいかも知れない。服も大丈夫だろうか、結局、何時ものお気に入りを着てしまったのだが、本当にこれで良いのだろうか。部屋も片付けはしたもののまだ汚くはないか。
気になって仕方がない。
……恐らく彼は気にしないのだが。
それでもやはりどこか浮ついている自分がおり、別段彼と会うのは珍しい事ではないのにどうも緊張してしまっている。
四季のフラワーマスターが聞いて呆れる。
こんな、たかが古馴染みと家で会うだけなのにこんなにも乙女チックになってしまうだなんて。
誰かに見せられたものでは無い。ましてや知られでもしたら恥ずか死ぬだろう。
重い女だなと自分でも思う。初恋をここまで引きずれる人も中々いないのでは無いか。しかし仕方がないのも事実。この幻想郷では女性の方にパワーバランスが偏っており、強い男性が数少なく、尚且つ自身はかなり強めの妖怪であり、孤独を好む性格でもあり、普通の男性が近づくことなどあり得ないのだ。故にいつまでも彼の存在というものは心のスペースを憎たらしいくらいに占拠しているのだ。
しかし、彼には女性の影が多い。
先ほど言った通り、数少ない強力な男性という事もあり、さらには社交性もあるという事で、彼はモテるのだ。気がついたら大抵女性といる
……あとイケメンでもある。
そんな彼と一緒になれたらな、とも思うが、その願いは絶対に叶わないだろう。彼は束縛を嫌う。1人の女の元に留まり続けるのはあり得ないのだ。
しかし、それは私以外の女性も同じであり、私に出来ることは優雅に振る舞う事によって余裕感を見せつける事だけなのだ。
とはいえ、こうして彼と会うのは楽しみなこと。私は落ち着かない心を花の香りで無理にでも落ち着かせて、今か今かと彼を待つ。
・
すれ違いや喧嘩なんて、些細なことがきっかけで始まる。
運という要素も深く関わってくる。
もちろん、どちらかに明らかに非がある場合も沢山あるのだが、どちらにも非がない、やるせないものもいくらかあるだろう。
タイミングが悪かったり、認識を誤っていたり、コミュニケーションに不慮の事故があったり、エトセトラ。
今回のこれも不慮の事故であっただろう。どちらにも非がない。
しかし、だからこそこういった喧嘩は原因を特定しづらいため、お互いが意固地なってしまい、複雑怪奇になりやすかったりするのだ。
例えば、運悪く彼の投げた手紙ヒコーキが、偶々弾幕遊びをしていたところを通りかかって撃ち落とされてしまったり、それが原因でちょっとした喧嘩が起きてしまう、とか。
・
──遅い、遅い、遅い、遅い、遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い。
遅い。
どれくらい待ったことか。
時刻はとうに19時半。もう来ないとわかっているのにずっとこの椅子に座り続けていることしかできなかった。
ああ、苛立たしい。連絡もよこさずに約束を反故にするなど憎たらしい。
結局彼は来なかった。午後の2時にはくると約束していたのに、それから5時間半、太陽もすでに沈んだと言うのに彼は来ない。
忘れたのか、アクシデントでもあったのか。
何にしても彼は来なかった。
どうしようもないくらいの憤りを感じてはいるものの、それを上回る虚脱感で動く気にもなれない。
はあ、と溜息をつくと、机に突っ伏す。
怒っている。もちろん怒ってはいる。けれども、ただ怒っているだけであれば、今すぐ彼の家にでもカチコミに行って、弾幕勝負でもなんでもしてやるだろう。
しかし、ここにある感情は「怒り」と一言で言える程単純なものではないのだ。
自分が惨めに思えるのだ。
私はこの日をこの上ないくらいに待ち望んでいた。彼が来ることを、彼と一緒にワイングラスを傾けることを、彼と一緒にの時間を過ごすことを。彼から申し出た今回の約束では、彼のことが好きな他の奴らよりも優越感を感じられ、独占できるという気持ちがあった。
しかし、彼は来なかった。
彼の身に何が起きたのかは知らない。もしかしたら大事なことなのかもしれないし、そうでないのかも知れない。連絡を寄越そうとしたかも知れないし、そうでないかも知れない。
──そんなことはどうでもいのだ。
私は、もし彼の家に行く約束をしていれば、例えどんなことがあっても必ず向かうという自信がある。しかし、彼はそうではなかった。彼に何が起きたかは知らないが、一つ分かる結論は、彼は来なかたということだ。
そして、何より大事な点は、今日という日が私にとっては大切な日であったといのに、彼にとっては取るに足らないただの1日であったということだ。
そう思うと、自分という存在が酷く惨めに思えてくる。私にとっての彼と、彼にとっての私は、相互的な意識が全くもって異なるのだ。
その事実がどうしようもなく、それも憤りを遥か上回る程に、遣る瀬無いのだ。
こんなにも私の心をかき乱しておいて。
──謝ってきても許してやるものか。
・
「幽香、開けてくれ」
どんっ、とドアを数回叩く。しかし、依然と反応は無い。
少女を助けた日から2日が過ぎた今日、幽香の機嫌をとるためには早めに行くのが吉だと考えた俺は、助けた少女の人里での手筈を昨日の丸一日でなんとか最低限だけは整え、こうして今日、彼女の家にやってきたのだ。
時刻はちょうど正午ごろ、いつものようにスクーターに乗り、今回の主役であるワインと、付け合せのお菓子とともにやってきたのだ。
しかし、問題は見てわかる通り。
「おとといは本当にすまなかった。許してくれ」
ドアを開けてくれないのだ。
さらに言えば、返事すらしてくれない。
「このワイン、一番最初に君と一緒に飲みたいんだ。頼むから開けてくれ」
様々な言葉を投げかけるも、なべて等しく無視。そんな此方を向くひまわり達はその光景を苦笑しながら見つめているようだ。
彼女が怒っている、とは勿論思っていた。しかし、どうもここまでの怒りを見せるとは思いもしていなかった。一応の事情は手紙ヒコーキにて伝えたはずであるし、それを見ていたのならそこまで怒るとは到底思えなかったから。
では、何故。
考えられるのは二つ。
まずは、彼女が、俺の想定以上に今回のプチパーティーを楽しみにしていたかもしれないということだ。もし、非常に楽しみにしていた約束をドタキャンされれば、例えそれにどんな理由があれど、腹を立てるのは彼女で無くても仕方ない筈だ。
次に、「手紙ヒコーキ」が届かなかった可能性だ。あれには自律機能を某人物と共同開発により搭載しており、基本的には危機などが迫ると自分で考えて行動ができるのだが、そもそもの性能自体はただの紙ヒコーキなので、想定を超えたイレギュラーが発生すれば届かない可能性も十全にあるのだ。勿論、そんなイレギュラーと言うものは滅多にないことであるし、事実、過去にも2、3回程度しか無かった。飛行回数を鑑みれば、母数が非常に多くなるので、「手紙ヒコーキ」が届く確率というのは、誤差の範囲でほぼ100%になる。しかし、それでも完璧な100%などではない。であれば、本当に運が悪く、偶々あの日にそんなことが起きてしまった可能性も十全にある訳だ。
と、2つの仮定を立ててみたものの、幽香が口を聞いてくれなければ真偽を確かめる手立てが無く、結局はどうしようもないのだ。
どうしよう。
本当に、どうしようもない。
果たして時間が解決してくれるのだろうか。例えそうだとしても、俺は嫌だ。勿論仲直りができるのは嬉しいのだが、自身に責任があるのに、その責任を取りもせず、時間に任せることなどやりたくはない。
だったら、どうすれば良いのか。
とりあえず、今はこちらの話を聞くつもりもなさそうだ。だとしても、意思疎通を図らなければ解決はしない。しかし会話はできない。
仕方ない、古典的なやり方でいこう。
日本においては元来から男女のやり取りはそう行われてきたのだから。別に和歌を出すわけではない。単純に手紙を書くだけだ。歳をとって、柔軟性にかける俺の思考ではこれが精一杯だ。
とりあえずは、遅れた理由を把握していない可能性があるので、事実経緯を明らかに書き記しておこう。言い訳がましいと思われるかもしれないが、それ以外に許してもらえる方法を俺は知りえていない。お次に書くのはひたすら謝罪の言葉。謝り尽くそう。おそらく彼女から折れる事はないから、徹底的に謝るしかない。
いつも通りに袖から筆ペンを取り出すと、自分で言うのもあれなのだが、達筆な字で文を綴る。
取り敢えずはポストに投函するしか無いのだろうか。他にしようもないし、それで良いだろう。
後はいい返事と、彼女の機嫌が直ることを祈るまでだ。
──さて、どれくらい続くのだろうか。
こちらだって仲直りしたいに決まっている。
彼女は数ある友人の中でも、特別な1人であるから。