幻想郷の洋菓子屋さん   作:振り米

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ワインの調べは恋の香り 後編

 彼が来た。

 もちろん無視した。

 子供っぽい事をしているという自覚もある。だが、それでも私はやめる気は無い。

 

 ・

 

「はぁ──っ」

 

「まったく、そんな辛気臭いため息をつくだなんてお前らしく無いぞ」

 

 机に突っ伏すと、だらしないため息を大きく吐き出す。

 

「ほら、茶でも飲め」

 

「ありがとう」

 

 のそりと起き上がると、彼女、上白沢慧音は呆れたような表情でこちらを見つめている。

 所謂、ジト目という奴だ。

 

「うん、ありだね」

 

「何が“あり”なんだ」

 

「いいや、別に大したことは無い」

 

 渡されたお茶を取ると、ゆっくりと喉に流し込む。

 茶を飲むと、やはりどこか気持ちが落ち着く。

 

 現在俺がいる場所は、この目の前にいる上白沢慧音の家だ。用事ついでに、里にある彼女の家にちょっとお邪魔させてもらっている。

 用事というのも、大したことでは無い。少しだけあの少女の様子を見に来たのだ。

 

「あれ、地久さん来てたんですか」

 

 こちらに来た時の制服は、さすがに目立つので和服に変えたのだろう。先日助けた彼女、園田由依はゆっくりとこちらに顔を出す。

 

 ──彼女の様子を見に来た、それが理由だ。

 

「やあ、慧音先生に意地悪されてないかい?」

 

「まさか、すっごく良くしてもらってますよ」

 

「そうか、なら良かった」

 

「まったく、私を何だと……」

 

 慧音はもう2つお茶を用意すると、円型の卓袱台を3人で囲むように座る。

 

「地久さんも、そんな格好するんですね」

 

 そんな格好。

 おそらく、だらし無く机に突っ伏しているこの姿のことだろう。

 

「案外だらし無いぞ、地久は」

 

 口元にお茶を持ってゆきながらそう言う慧音。

 む、聞き捨てならない。俺は公私はしっかりと分けて、だらける時はしっかりとだらけて、働く時はしっかりと働いているだけだ。

 

「違うさ、慧音がいつも締まりすぎなのさ」

 

 俺は突っ伏しながらそう返す。ちょっとした仕返しだ。

 

「これが普通だ」

 

 特に気にした様子もない返事だ。

 こちらとは対照的に、綺麗な正座とまっすぐな背筋なことだ。

 

「お二人って、その、付き合ってたりするんですかね?」

 

 一瞬の沈黙の後、会話を持たせるためかどうかは分からないが、おずおずといった様子で由依は口を開く。

 

「な、な、な、なんて事を言うんだ! そ、そんな、こいつと付き合うだなんて──」

 

 慧音もパクパクと金魚のように口を開く。彼女は、こういうのに弱いのだ。

 

「うん、そんな関係じゃ無いよ」

 

「そうなんですか、なんか、やり取りが熟年の夫婦みたいに、すっごく自然だったので」

 

 俺の言葉に、意外そうな表情を見せる由依と、どこか落ち込んでいる様子を見せる慧音。

 

 あ、とまさに今思いついたと言わんばかりの単語を、茶目っ気をたっぷりと添えて口から発する。

 

「じゃあ、もしかして、お二人って夫婦ですか?」

 

「な、な、な、なんて事を言うんだ! こいつと夫婦だなんて──」

 

 ……なんというデジャブを見せられているのだ。

 

「どちらかと言うと、慧音はお母さんみたいだな」

 

「お、おか……」

 

 さすがにこの言葉には傷ついたらしい。生徒に「授業がつまらない」と言われた時のような、ひどく落ち込んだ表情をしている。

 

「嘘だよ、慧音」

 

 その言葉聞くと、青ざめた顔を一瞬で赤くする。

 

「……次は許さないからな」

 

 拳を深く握りしめ、わなわなと震えている。

 ……流石に次はやめておこう。

 

「あ、それなら、お二人って誰かと付き合ってたりしないんですか?」

 

 やはり、これくらいの歳の子は恋バナが好きなのだろう。意外にもあの霊夢でさえするのだ。それならば、外の世界からやって来た、普通の女子高生ならば当然であろう。

 

「俺はいないさ」

 

「私もだ」

 

「そ、そうですか」

 

 しかし、あっさりと終わってしまう。

 それも仕方がない。組み合わせが俺と慧音なのだから。恋バナなんて滅多にしないのだ。そのような会話を期待されても困る。

 

「そういえば、地久はどうしてあんなにだらしないため息をついたんだ?」

 

 ふと思い出したように慧音はそう言う。

 

「ああ、ちょっとね……」

 

 幽香と喧嘩した、それが原因である。──のだが、今は目の前に、間接的な原因となってしまった由依がいるわけであり、彼女に変な罪悪感を持たせる必要もないだろうし、わざわざ話すつもりはない。

 

「話してみたらどうだ。誰かに話を聞いてもらうだけで、少し楽になったりするぞ」

 

「まあ、大丈夫だから気にしないでくれ」

 

 そう言うと、どこか落ち込んだ表情を見せる慧音。

 

「……そんなに、頼りないか、私」

 

「そんなことは無いさ」

 

「なら、話して欲しい。いつも私が頼っているぶんくらいは、私に頼ってくれ」

 

 ……まだ、あのことを気にしているのか。

 律儀というべきか、それとも固すぎるというべきか。

 とは言え、どちらにせよ、それらは彼女の魅力であることに違いはない。

 

「もう、十分に頼ってるさ」

 

「そう、か?」

 

「ああ、ほら、そこの由依はまさに君に頼ったじゃあないか」

 

 すっと、指を由依に向ける。

 俺は彼女を拾ったが、世話をする気までは無い。今まで保護して来た外来人すべてにして来たことなのだが、人里で暮らせるように手はずを整えるのは手伝うが、そこから先は、自主自立を目指して欲しい。

 とはいえ、すぐに就職先や住居が見つかるわけでも無いし、だからといって女子高校生と同棲するというのもデリカシーに欠ける行為でもあるだろうし、こうして街に融通が効く慧音に少しだけの間ではあるが預けているのだ。

 

「あのー」

 

 由依はおずおずと行った様子で、こちらに声をかけてくる。

 

「もしかして、地久さんが話したくない理由って、私にありますか?」

 

「……どうしてそう思ったんだい?」

 

「いえ、その、私がここに来てからも色々と手はず整えていただいてるってこと、慧音さんから聞いてますし。あと、私がこっちに来た時に、誰かと会う約束をしてたって話をしてたんで、そのどちらかかなぁ、なんて」

 

 うん、なんと鋭い。まさに、正解だ。

 決して彼女を侮っていたわけではないのだが、それでも彼女の聡明さに少し驚く。

 

「まあ、そうなる」

 

 俺がそう言ったのを聞くと、凛とした、真っ直ぐで芯のある表情を見せ、口を開く。

 

「なら、教えてください。それと、力になれることがあったら、なんでも言ってください」

 

 ……彼女は、慧音に少し似ているのかもしれない。こんな律儀なところは。

 おそらく彼女は、俺への恩返しなどを考えているのだろう。もちろん、俺は恩が貰いたくて彼女を助けたわけでは無いしのだが、だからと言って恩を返したいと言っている人に、恩を返す必要はないとわざわざ言う必要もないと思っている。

 であるので、彼女が知りたいと言うのなら、俺は今回のちょっとした喧嘩を隠す必要もない。確かに、話したからと言って幽香との関係に直接何かができるわけではないだろう。

 

 しかし、女性サイドの意見などを聞いてみるのもありだろう。

 

「……それなら、お二方の意見でも参考にさせてもらうよ」

 

 ・

 

 経緯を説明する。

 ワイン祝賀会を開こうとしていたこと、行けなかったこと、彼女を怒らせてしまったこと、考えられる理由、など。

 

「また女絡みか……」

 

「またとはなんだ、またとは」

 

 慧音の口から出た不本意な言葉に対して、俺は不満を露わにする。

 

「……別に何でもない」

 

 拗ねたように見せる慧音を傍目に、由依は左手を顎に当て、考える人の像のごとくに頭を回転させている。

 

「その、何となくなんですけど」

 

 合点がついた、とまでは言えない、少し微妙そうな顔をしながら由依は口を開く。

 

「幽香さんって人は、もっと、大事にしてもらいたいんだと思います」

 

「大事に……か」

 

 大事にしてもらいたい。

 まあ、誰もが思ってもおかしくはない感情ではある。俺だってその例に違わず、誰かから特別に扱われるのは嬉しいし、求めていると思う。

 ……しかし、俺は彼女を大事にしていたつもりだ。

 俺の中でも彼女は、かなり特別な位置に存在するわけであり、この幻想郷の中でもトップ5には確実にはいるくらいの仲だと思う。

 

「地久さんって、幽香さんの事、好きですか?」

 

「どう言う意味でだい」

 

「意味なんてありませんよ。本当に、ただ好きかどうかです」

 

「もちろん、好きに決まってるじゃないか。……まあ、なかなか本人には言えやしないがね」

 

「それなら、近しい仲っては事で良いですよね?」

 

「そうなるね」

 

「まあ、そんな近すぎる仲だと、自然体になりすぎて、相手の気持ちを見落とすことってあると思うんですよ」

 

「……それも、そうかもな」

 

 何となく、彼女の言いたいことは分かってきた。

 おそらく、幽香は、俺に特別だと思われていないのではないか、ということだろう。

 幽香は、多分、こちらを特別に思ってくれている。しかし、彼女には、一方通行の気持ちでしかないように写っているのかもしれない。

 俺は実際に、彼女のことを特別に思っているのだが、それを口にしたことはないし、口にしたことがないのなら、伝わっていなくても全くおかしくはない。

 そして、確かにそれは嫌だ。

 気持ちの一方通行というものは、心が折れそうになる。

 思って見れば、こちらの行動は少し軽率だったかもしれない。最近幽香に会うときは、仲がいいことを理由にして、自然体でありすぎたのかもしれない。

 親しき仲にも礼儀あり、とはまた少し違うことなのだが、認識的には近いだろう。

 

「だから──」

 

 彼女はゆっくりと、そして堂々と口を開く。

 この子は、凄い子だ。

 会ってまだ2、3日だと言うのに、心の距離を容易くつめてくる。それに、他人の心の洞察力も鋭い。

 だから、つい期待してしまう。

 彼女なら、きっといい答えを導いてくれると。

 

「だから……どうしましょう」

 

 ……。

 さ、流石に答えまではそう簡単には出るわけがないか。少し期待しすぎてしまった。もちろん、彼女の洞察力が鋭いという事実は変わらないわけであるのだが。

 

「あ、今地久さん、期待外れって顔しましたよね」

 

「ま、まさか。むしろアドバイスしてくれて、本当にありがたいくらいだよ」

 

 ……洞察力が優れすぎていて、隙を見せれば心まで読んでくるときた。

 

「まあ、とりあえずは、幽香さんって人に、包み隠さない本当の気持ちを言ってみたらどうですかね?」

 

 回りくどいことは無しだ。

 通じていないのなら、通じさせればいい。

 俺にとって、彼女は特別であるということを。

 

「そうだな、それしかない」

 

 であるなら、明日には早速行こうではないか。時間なら無限のようにあるのだが、何事も早いに越したことはない。

 

「なら、早速明日の昼過ぎにでも行ってくるよ」

 

「それがいいと思います」

 

 少し、希望が見えてきた。

 彼女が理由で起こった、ちょっとした出来事が、彼女のアドバイスで解決するかもしれない。人間万事塞翁が馬ということか。

 

「と、ところで地久」

 

 由依との話が終わりを迎えると、わざわざそれを待っていたのかどうかは知らないが、不自然なまでに自然を装いながら、慧音は俺に話しかけてくる。

 

「ん、どうした」

 

 彼女はこっそり深呼吸をすると、あらたまって口を開く。

 

「わ、私は、特別か」

 

「はぁ?」

 

 ……特別、とくべつ。

 ああ、そういうことか。俺にとって、慧音は特別であるかどうかについて聞かれているのか。

 ……正直な話、幽香と比べると、特別さの度合いで言うならば少し劣る。もちろん、付き合いの長さや、様々な条件が重なり合った上なので、一概にどうとも言えないのだが。

 しかし、なんてことを言ってみろ。

 ダメに決まってるでは無いか。

 ここで「特別では無い」だなんて言ったら最低男だ。

 というか、慧音も割と特別な方だ。ただ幽香と比べると劣るというだけであって。

 であれば俺の今から言うことも間違えでは無い。

 この思考を0.1秒で終わらせる。

 作るのは、爽やか笑顔。接客業の賜物。俺の特技。

 

「何言ってんだ。当然だろう」

 

 嘘では無い。嘘では無い。

 

「ほ、本当か? 嘘じゃ無いか?」

 

「嘘では無いさ」

 

 顔をゆでダコのように真っ赤にさせながら、そうかと呟いて下を向く慧音。恥ずかしさのあまり、黙りこくってしまう。

 

「やっぱりそうか」

 

 今度こそは、と言った表情で、一人合点がついている由依。

 

「ど、どうしたんだい?」

 

 恥ずかしさから逃れるちょうどいい助け舟だと思い、彼女の言葉に乗っかる。

 

「地久さんって、タラシですね!」

 

 ……本当に、やめてくれ。

 

 ・

 

 さて、何度目の光景か。

 昼下がりの活気溢れる花達に囲まれた、一軒の家の前。

 成功するかはわからない。そもそも聞いてもらえないのかもしれない。だからと言って止めるわけにもいかない。

 ただ、自分の素直な気持ちをぶつけるだけだ。彼女に届いていないかもしれない本心をぶつけるだけだ。

 ……とはいえ、やはり聞き耳持たずに門前払いされたら、どんなに覚悟を決めてきたとはいえ、そんな覚悟は無意味になってしまう。

 ──なるようになるさ。そう自分を鼓舞する。

 軽く咳払いをして喉の調子を整えてから、握った右拳を、木製のドアに打ち付ける。

 それに続くように、俺は口を開く。

 

「幽香、話があるんだ」

 

 ……。

 

 やはり、反応は無い。

 であれば、もう一度やるまでだ。

 握りこぶしを再びドアの前に持って行き、その拳を打ちつけようとした、ちょうどその時であった。

 

「…………なに」

 

 ひどく不愉快そうではあるものの、望んでいた彼女の声がドア越しから聞こえてきたのだ。

 てっきり、反応を寄越してくれないものだと勘違いしていたため、一瞬の間だけ呆けてしまい、反応に遅れる。

 

「何も無いなら帰って」

 

 依然とこちらを突き放すような態度で対応してくる幽香。

 誰が帰るものか。予想だにしなかった千載一遇のチャンス、逃せるわけがない。

 

「なあ、幽香」

 

 語りかけるように、そう口にするが、反応は無い。だが、これは寧ろ話をしても良いということだろう。

 

「許して欲しい」

 

 まだ反応は無い。

 こちらの言い分は聞いてやる、と言った態度であろうか。

 

「長ったらしい事は言わない。ただ、君と喧嘩をしたままなのは嫌なんだ」

 

「……どうして」

 

 一瞬だけ静かになると、彼女はそう口にする。

 

「別にどうでもいいじゃない。あなた、交友関係なんて広いんだし。別に私と喧嘩したくらい、大した事はないでしょう」

 

 ……やはり、由依の推測は当たっていたみたいだ。

 俺にとって、風見幽香は特別である。

 しかし彼女はそれに気がついてやいない。

 

「なあ、お前にとって、俺ってその程度だったのか」

 

「その程度って、どう言う意味」

 

「仲直りをしなくてもいい程度の存在だったのかな、って」

 

 思考を巡らせているのか、少しだけ間を置いてから口を開く。

 

「それはこっちのセリフよ」

 

 今までは、極めて無感情に話していたはずの彼女であったが、その言葉には少し熱がこもっていたように感じる。

 

「貴方にとって、どうせ私なんて、ただの知人に過ぎないのでしょ」

 

 やはり、由依の言った通りであろう。

 幽香はおそらく、俺との間に温度差があると勝手に考えでもいるのだろう。

 確かに、それを引き起こしたのは普段の俺の行いだ。だから、その誤解の、絡まった糸はしっかりとこの手で解さなければならない。

 

「それはない」

 

 きっぱりと断言する。

 

「それだったら、そもそも君と最初にワインを飲みたいだなんて思わないだろ」

 

 反応は無い。

 これは続けろと言う合図だ。

 

「俺にとって君は特別な人だ」

 

 ドア越しに息を呑む音が聞こえる。

 

「だから、君に嫌われるのは、嫌だ」

 

 本心を、思ったそのままに口に出す。

 非常にクサい台詞だ。おそらく、関係ない時に聞いたら自分でも恥ずかしく思うくらいだろう。

 それでも、これは本心なんだ。

 彼女に伝わっていなかった本心なのだ。

 気持ちなんてものは、自分でも気がつかない時があるくらいなのだから、他人には、きっとこうして口に出さなければいけないのだろう。

 

 ドアの向こうからは嗚咽が聞こえる。

 ……涙でも流しているのだろうか。だとしたら、少し恥ずかしい。

 

「ぶふっ」

 

 ん? 

 嗚咽では、無い。

 

「『俺にとって君は特別な人だ。だから、嫌われるのは、嫌だ』ねぇ……」

 

 ……ちょっと待て。

 

「なにそのクサイ台詞、恥ずかしく無いの?」

 

 言葉の節々からは、笑い声が漏れている。

 ついに堪え切れなくなったのか、ドア越しにでも聞こえてくるばかりの笑い声をあげる。

 

「……え?」

 

 思考が追いつかない。

 一体どうなっているんだ。

 

「あー、面白かった」

 

 笑いが止むと、そう口にしながらドアを開ける。

 

「ちょっと待て、どう言うことだ」

 

 俺は、非常に混乱している。

 俺は、幽香にこの前の事を許してもらいにきた。当たり前だが彼女は怒っている。だからこそ謝りにきたのであり、今の彼女の対応は、まるで謝られる側のそれではない。

 

「──とりあえず、ワインを飲ませて頂戴」

 

 ・

 

 彼女の部屋の中へ行くと俺は迷わずに椅子に向かう。彼女は台所の方へ向かい、ワイングラスを取りに行く。

 俺はバスケットからお菓子を取り出す。それとほぼ同時の、ちょうどいいタイミングで幽香はワイングラスとお菓子用の白い皿を持ってくる。

 おれはその皿の上に、お菓子を並べる。

 今日のお菓子は、マカロンだ。

 普通ワインとお菓子の食べ合わせはしないのだが、このマカロンはおれの経験上では軽口の赤ワインに合うのだ。

 

「ええと」

 

 混乱しているこちらの様子を、ニヤニヤとしながら眺める幽香。

 

「……怒って、ないのか?」

 

 まずは単純にして、根本的な問題点。

 彼女は、怒っているのか。

 俺は先ほどまで、彼女は完全に起こっているものだと考えていた。が、どうも今の様子を見ると、そうは見えない。

 

「まあ、昨日までは怒ってたわね」

 

「それなら、どうして──」

 

「あの子に感謝しなさい」

 

 こちらの発言に対して、少し食い気味な反応を見せる。

 しかし、「あの子」とは一体何なのであろうか。俺と幽香の喧嘩であるというのに、突然出てきた「あの子」。

 一体誰だ。

 そんな人物がいるわけ──

 

 いや、一人。一人だけなら心当たりがある。

 だが、あり得るのか。

 彼女は、普通の人だ。そもそも、この家にたどり着くのでさえ困難であるし、わざわざ幽香を訪ねたいと思わないのが普通だ。無差別に襲う奴ではないとは思うが、里の人からは多少でも恐れられているのは事実。普通の人は訪ねようとしない。触らぬ神に祟りなし、という事だ。

 

 だが、やはり考えられるのは彼女しかいない。

 

「その人って、もしかして、由依?」

 

 そう、園田由依。

 この喧嘩の間接的原因として、俺にアドバイスをくれた張本人。

 事情を知っていて、わざわざこのような事をするのは彼女以外当てはまらない。

 

「あら、正解」

 

 ──やはり、そうであったか。

 消去法ではあるが、確かに納得はできた。

 

「あの子、一人でここに来たのよ」

 

 一人でここに来た、

 さらりと口にした言葉ではあるが、それは並大抵のことではない。彼女は、数日前に、この世界で命を失いそうになったばかりだというのに、また外を歩き回るだなんて。

 帰ったら説教だ。

 ……しかし、理由はわからないが、由依のおかげで幽香の怒りも収まっているようだ。

 説教は無しで許してやる。

 

「こんな場所に、一人でやって来た。里の人なら絶対にやらないわね。だって、ここに住んでるのは、この私よ」

 

 それもそうだ、と言おうとして止める。再び気分を悪くさせてしまったら、たまったものではない。

 

「それで、「私のせいだ」とか「地久さんを許して欲しい」とか言ってたわね」

 

 ……まさか、彼女が直接ここに訪れて、幽香を説得しに来たとは。昨日はそのようなそぶりすら見せていなかったというのに。

 

「で、あなたが机に突っ伏すほど悩んでたってことも聞いたわ」

 

 そこまで言わなくても良かっただろ、由依よ。普通に恥ずかしいではないか。

 

「まあ、なんていうか、あの子に免じて許してあげたってこと」

 

「そう、か」

 

 少し、腑に落ちない。

 あんなに怒っていた彼女が、こうもあっさり許すだなんて。そんなに由依の事が気に入ったのだろうか。

 

「はい、それじゃあこの話は私が許してあげるから終わり」

 

「……そうだな。本当にすまなかった」

 

「いいって言ってるでしょ」

 

 彼女はすらりとした白い指を伸ばし、マカロンを摘まみ上げる。

 それを口に運ぶと、満足気な表情を浮かべる。

 

「だから、飲みましょう。最初に、私に飲んでもらいたかったのでしょう」

 

 はにかみながらワイングラスを持ち上げるその姿は、まるで映画の1シーンかのように様になっている。

 

 ……それでもやはり、腑に落ちない部分はある。

 あんなにも怒っていたというのに、こうもあっさり終わるだなんて。

 

「ほら、貴方も持って」

 

「ああ」

 

 だが、何にせよ、彼女と仲直りできたのだ。

 理由は何であれ、それは変わらぬ事実。ここは、何かをしてくれた由依に感謝だ。

 

「それじゃあ──乾杯」

 

 グラスが擦れる、高い音がなる。

 それはまるで祝福を告げる鐘の音のようで、心地よく胸に沈んでいった。

 

 ・

 

 数時間前

 

 

 

「何かしら、それ」

 

 風見幽香は、園田由依がポケットから取り出した黒くて四角い何かに対してちょっとした興味を示す。

 

「これですか、これはスマートフォンです」

 

「……スマートフォン、ね」

 

 名前を聞いては見たものの、もちろん知っているはずもなく、適当な相槌だけを打つ。

 

「まあ、これが何であるとかはどうでもいいんです。──ちょっと、この、こっそり録音したやつを聞いて欲しくて」

 

 こなれた様子でスマートフォンの画面を触る由依。

 

「それじゃあ、再生」

 

 とどめに、指で画面を押すと、その物体から音声が再生される。

 

『「──地久さんって、幽香さんの事、好きですか?」

 

「……どう言う意味でだい」

 

「意味なんてありませんよ。本当に、ただ好きかどうかです」

 

「もちろん、好きに決まってるじゃないか。

 まあ、なかなか本人には言えやしないがね」』

 

 流れて来たのは、関係のない第三者が見ても恥ずかしくなるような内容の天永地久の声。

 

「………………馬鹿」

 

 ──そう言う彼女の頬は、薔薇と見間違えるくらいには赤く染まっていた。

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