ん?もう5月も中旬だって?
知らんなぁ
「……おかしいよな、これ」
2月14日。
バレンタインデー。
起源は、古代ローマ時代にあった、女神ジュノーの祝日から端を発し、悲劇の死を迎えた聖ウァレンティヌスの殉職日。そして、主にカトリックを中心として、恋人達が愛を誓い合う日。
現代日本においては、某大手製菓会社の策略により、女性が男性にチョコレートを送る日となっている。
洋菓子屋であるこの店も、今日はいつもより多くの客が来店し、多くのチョコレートが売れる日である。
最近では「義理チョコ」や「友チョコ」の風習も里で流行っており、小さい子供からお年寄りまで、沢山のチョコレートが誰かに届けられる。
もちろん、本当だ。
現に、この日は特別に、普段より多くのチョコレートを作って待ち構えて、そのほとんどが売り切れる。
……であると言うのに、ここには多くのチョコレートが存在する。
なぜかと疑問に思うか? いや、なんとなく察しはつくだろう。
何故なら今日はバレンタインデーで、俺は男性なのだから。洋菓子屋さんの店主が貰ってもおかしくはない。
だが、問題はそこではない。
おかしいのは──この量だ。
まず、里の人から大量にもらうのだ。チョコレートとは言はずとも、里の人たちでも作れるような和菓子類などが沢山ある。うちをご贔屓にしてくれている山田さん家の五つになる娘さんから、長寿で有名な元気溌剌お婆ちゃんの時枝さんまで。里の人から貰ったぶんだけでも計り知れない。
それに加えて、だ。
少し特別な奴ら。妖怪であったり、色々いるが、そいつらから貰うものにはおかしな奴が混ざっている。
人間としての常識が当てはまらないのか。あり得ないほどの特大チョコレートや、信者会員証付きチョコレート、キノコチョコレート、チョコレートのゴミetc.
もちろん、もちろんだ。普通の、本当に美味しそうなチョコレートは沢山ある。
例えば、このトリュフチョコレートとか。トリュフチョコは、確かにそんなに難しくないものではあるが、綺麗な形と、お洒落な装飾などを鑑みると、かなり良いもの──
ぼんっ。
……。
チョコレートが、爆発、した?
だ、大丈夫なのだろうか。ここに山積みにされたチョコレートを食べても。
まともに菓子づくりをしたことがない奴らが、適当に作るものだから、毎年こうなる。経験上で言えば、2:3:5くらいの比率で、左から順に、ヤバイ、美味しくないだけ、普通に美味しい、という配分だ。
二分の一ではずれ、さらにその中の五分の二で死にかける。
捨てても文句は言われないだろう。
いや、文句など言わせない。言う奴がいるのなら食わせてやる。
と、このように、本当におかしい状況なのだが(お菓子だけに)。
──だが、食べる。
それが、洋菓子屋さんを営む俺の意地であり矜持。
洋菓子を作る俺にとって、洋菓子は、作り手の思いそのものであり、それを無下にすることができるはずもない。実際に、自分の作った物が捨てられたとしたら、本当に悲しい。
自分がやられたら滅茶苦茶に悲しいことを、他人にできるはずもない。特に、洋菓子を捨てるという事となれば尚更だ。
……流石に、能力は使わせてくれ。
俺の能力は「フヘンを操る程度の能力」。簡単に言えば、変化を起こさせないことができる。さらに簡単に言えば、輝夜の「永遠を操る程度の能力」の劣化版。
これのおかげで俺は不死身であり、これを使うことによって、「チョコレートは美味しい」という定義を固定化させる。
そうすれば、行ける。
……残念ながら、胃にダメージは来てしまうのだが。
・
ぎゅるぎゅると、胃が悲鳴をあげている。大丈夫、俺は不死身。
時計に目をやると、時刻は11時半であり、早寝の俺にとっては普段ならもう寝る時間だ。
今日は本当に疲れた。
バレンタインデーということで、いつも以上に客は多いし、食べなければならないチョコも多いし。
日を分けて食べれば良いと思うかもしれないが、和菓子の場合は日持ちがしないものも多いし、さらに、苦行は一度に受けた方が楽であるからだ。そもそも、俺の能力を使えば和菓子も洋菓子も日持ちさせることはできるし、何より店先に並んでいる洋菓子たちはそうしている。
──しかし、何よりも。
一番大切なことは、そのお菓子に込められた気持ちを無下にできるはずがないから。
ちょっとした失敗があったり、形が悪かったり、美味しくはなかったり、極端にまずかったり、突飛な発想であったり、作為的に感じるものがあったりはする。
けれども、その全て、一つ一つに、一人一人の思いが篭っており、明日にでも彼女達はこの店に来るかもしれない。そんな彼女達に感想を言うことが出来ないなんて事態は起こしたくない。
ゆえに、食べるという選択肢しか俺の目の前には無かったのだ。
さて、寝室に向かおう。
そう決めると、卓袱台に手をついてゆっくりと立ち上がる。天井から吊るされている電灯のコードを引くと、辺りは一気に闇の世界へと変貌する。普段の生活感覚のみを頼りに左手側に歩みを進め、手が触れるのを感じると、そのまま戸を引く。流石に夜であり、中は真っ暗だ。一歩踏み入ると、いつも通りに左手をその部屋の壁にそっと置く。そこには電灯のスイッチが付いており、ぱちっとスイッチを押すと電灯は一瞬で灯り──
「ハッピーバレンタイン」
俺はもう一度スイッチを押す。
再びあたりは黒に染まる。
……気のせいか。
気のせいだ。
もう一度スイッチを押す。
光が一瞬のうちに広がるが、
「全く、いきなり何よ──」
すかさずにスイッチを押す。
視界は物理的に遮断される。
「ちょっと、なんで電気消したのよ」
が、聴覚だけは無駄に冴え渡っている。
「……いや、なんで居るんだよここに。というか、何、その格好は」
流石に暗闇のままではいけない。
……つけたくはない。つけたくはないのだが、もう一度電気をつける。
三度光が駆け巡る。
「だから、ハッピーバレンタインよ」
……頭が痛くなって来た。
目の前にいるのは、この幻想郷の中でも軒並み外れた大妖怪。
ミス・スキマ。
八雲紫だ。
「だからって、なんだその格好は」
俺が頭を痛めている理由。それは決して彼女が俺の布団の上にいるからだけではない。
その格好に問題があるのだ。
「あら、嫌いかしらこういうの」
胡散臭い上目遣いに、いつも通りのふんわりとしたZUN帽。
良いのだ。そこまでは別に良いのだ。いつも通りであるし問題はない。
下だ。首から下に問題がある。
布団の上に座る彼女は、ほとんどが裸なのだ。
そして、さらなる問題。
「……どうしてリボンを巻いているんだ」
所謂、裸リボン。
体に、少し緩めに、そして適当に、リボンが巻かれている。
ふっくらとした乳房の前でリボンは結ばれており、ちょうど良い感じに突起は隠されている。
流石に少しは恥じらいがあったのだろうか、パンツは履いている。
履いているのだが、それも紐パン。
そうして、軒並み脱いでいる中でなぜか履いているオーバーニーソ。的確に俺の性癖をついてきている。
「だから、今日はバレンタインじゃない。どうせ貴方のことだから、チョコレートは飽きてるでしょ」
ああ、正解だ。
あれだけ食えば、チョコレートは見るのも怖いくらいだ。
……とは言え、だからと言って。
「それは無いだろ」
「でも貴方、こういうの好きでしょ」
「………………否定はしない」
というか、大抵の男性は、このような場面に遭遇して嬉しくないはずがない。さらに言えば目の前の彼女は絶世の美女であり、眼福といえば、間違いなく眼福なのだ。
「でも、手を出す気は無いからな」
「あら、据え膳食わぬは男の恥って言うのよ?」
「今日はもう疲れた」
「仕事と私とどっちが大事なの?」
「仕事」
「あら」
ふざけたやりとりにクスクスと笑う紫。
「そんな態度じゃ、愛想尽かしちゃうわよ?」
「好きにしろ。というかお前は俺の何なんだよ」
その言葉に対して、妖艶な笑みを浮かべると、何処から取り出しのか、扇を口元に持ってゆく。
「貴方の、彼女、でしょ」
「“元”彼女、な」
何を隠そう、この目の前にいる八雲紫は──俺の元カノなのである。
「あら、私は“今”カノのつもりなのだけれど」
「おかしいな、俺は今独り身のつもりなんだけど」
「貴方が一方的に別れ話切り出しただけで、こっちが了解した覚えは無いのだけれど」
駄目だ。
話が噛み合わない。噛み合ったとしても飄々と躱されてしまう。
苦手だ。
「はい、じゃあおやすみ」
「あら、とうとう私と寝る覚悟が決まっ──」
言葉を最後まで聞かずに、俺は戸を閉める。
今日は畳の上で寝よう。
「ってちょっと!」
戸に背を向けて、寝るために部屋の真ん中へ向かおうとした丁度その時、先ほどの戸が勢いよく開け放たれる。
……おかしい、俺の能力で開かないようにしたはずなのでは。
「そんなの私の能力でちょちょいのちょいよ」
「さいですか」
ドヤ顔をしながらこちらに詰め寄ってくる。
近い近い近い。
流石に理性というものが俺にはあるとはいえ、これほどの美女がこんな格好で近づいてきたらそう簡単に耐えれるものでは無い。
「どうしたんだ、今日は。ちょっとおかしいぞ」
一歩後ろへ引くと、俺は彼女を落ち着かせるために、そう声をかける。
……いやはやそれは自分を落ち着かせるためか。
「貴方、結構押しに弱いじゃない。だから、せっかくのバレンタインでしょ」
その言葉に合わせるように、一歩だけこちらに詰め寄る。
……彼女がいつもこうというわけではない。であるというのに今日は積極的だ。
おそらく、彼女は俺のそういった考えを見越した上でやっているのだろう。気に食わないが、そういったところでは勝てそうにもない。
俺は再び一歩下がる。
「言っただろ、当分は少し、自由で居たいって。俺がどうしようが俺の勝手だろ」
再び一歩詰め寄ってくる。
「なら、私がこうするのも自由ってことね」
ああ言えばこう言う。
全く、本当に困った。苦手だ。
俺は再び一歩、下がろうとしたのだが。
「……あ」
足下には卓袱台が。
引いた左足は思い切りそこに引っかかり、俺は豪快に後ろに倒れこむ。
その時に、たまたま泳がせて居た右手で彼女の左手首を掴んでしまう。
……これは、ToL ○ VEるパターンだ。
バランスを崩した俺は態勢を立て直すことができず、彼女は気がついていると言うのに笑ったまま抵抗を見せずにこちらに倒れ込んでくる。
俺はそのまま卓袱台の上に仰向けで倒れこむ。
彼女はそんなこちらの顔の横に右手で支えを作り、所謂床ドン、いや、卓袱台ドンの体勢になる。
紫色の双眸が、底なし沼のように深くこちらを飲み込もうとする。
──と言うか胸が思い切り押し付けられているし、足も逃げられないように絡みつけられている。
「あら、大胆」
「頼むからどいてくれ」
そう言うと、紫は俺の下腹部を見ると、再びこちらの顔を覗き込むと、見惚れてしまうほどの満面の笑みを浮かべる。
「でも、体は正直みたいね」
お前はエロ漫画のおっさんか。
ふと、どうでもいいことが頭をよぎる。
紫という色は、高貴な色とされている。
昔は紫の染料は少なく、高値で取引されて居たということもあり、冠位十二階の最上級の色でもあった。その後にも、僧侶の中でも徳の高いものしかつけられない色でもあった。ローマでもフェニキアなどの限られた地域の貝から抽出される染料であり、皇帝や、それに次ぐものしか着用できなかった。カエサルのマントやユスティニアヌス大帝の衣などが有名だろう。もちろん中世以降のヨーロッパでもその価値観は失われず、まあ、何にせよ、やはり紫色と言うのは高貴な色なのだ。
目の前の女性を見る。
確かに彼女は気品高い。
普段は紫色の服装に身を包み、胡散臭くはあるが、割と常に上品であり、確かに紫色が似合う。名前も、読み方は違えど紫であるし。
しかし、こうも押し倒されてしまうと、高貴な色とは何なのだかわからないなってしまう。
……。
ああ、もうどうにでもなれ。
「……好きにしろ」
「そう。なら、お言葉に甘えさせてもらうわ」
全国の恋に悩める少年少女達に告げる。
無理やりは、良くないぞ。
それと、
……ハッピーバレンタイン。