季節感?知らんな。
「先月は紫様が、本当に申し訳ございませんでした!」
開幕直後、俺の目の前に広がる光景は、ダイナミックな土下座。
本日の仕事も一段落といったところで、疲れを感じながらも満足して部屋へと戻ったのだが、その部屋には先客が土下座をして待っていた。
……そろそろ自宅のセキュリティーを考えた方がいいかもしれない。
とはいえ可愛い侵入者さんは、侵入しているのにも関わらず、土下座をしている。不法侵入についての土下座では無いのは、彼女の口から発せられた言葉から想像し得る。
「……一体、何のことについてだい」
──だが、彼女がなぜ謝っているのかは想像がつかない。
なぜなら、心当たりがありすぎるからだ。何についての謝罪なのか、全く分からない。
とはいえ、全く情報が無いわけでは無い。最初に彼女の口から出た「先月は」という言葉。これが最大のヒントだろう。なぜなら、ちょうど1ヶ月前の今日に紫と会っていたのだから。その1ヶ月前の今日とは、すなわちバレンタインデーのことだ。
「その、紫様が押しかけて……」
「押しかけて?」
やはり、あの日の事だろうか。バレンタインデーのあの日の晩に、押しかけて来た紫にそのまま──
「その、せ、せ、せっ」
「せっ?」
「って何言わせようとしてるんですか! セクハラですよ!」
いけない。つい楽しくてやってしまった。というか絶世の美女であり、何千年と生きてきた最高位の妖獣である九尾の狐であるというのに、どうしてこんなにも生娘のような反応を見せるのだろうか。そんな反応をされるものだからこちらとてつい弄ってしまうのだ。
「と、とにかく、この前は紫様が、その、迷惑をかけたので謝罪をと思いまして」
「ふーん」
「って、なんですか、その軽い反応は」
……なぜ、と言われても。紫なんてそんな奴なのは重々知ってるわけであるし、そもそもあの日に関してはキッパリと断れなかったこちらにも問題があるわけであり、正直、今更と言った感じなのだ。
「とりあえず、今日はもう疲れたから寝させてくれないかね」
「ね、寝るって、そんな、いきなり言われましても」
こちらの言葉を曲解したのだろう。明らかに会話が行き違っている。というか、頭の中が愉快なピンクでできているのでは無いか。
「いや、そっちの寝るじゃなくて、普通に睡眠をとるって事だからね」
「いや、そんな大胆な──、え?」
彼女の脳内で勝手に話が進んでいたのか、こちらに勘違いを諭されると、みるみると顔を真っ赤に染めてゆく。
「あ、いえ、その、違うんです。違うんですよ」
この、八雲藍という人物は、基本的には割と完璧超人であるのだが、割と抜けている。
「それじゃあ、おやすみ」
俺は彼女を気にする事もなく、戸を閉める。
別に、藍のことは嫌いでは無い。むしろ好きな方だ。紫に比べれば、面倒臭くも無いし、普通に接している分にはこの幻想郷の中でもかなり楽な部類だ。
だが、時たま面倒臭い時もあるのだ。そこは流石、紫譲りとでもいうべきか。いや、面倒臭さのベクトルは全然違うのだが。今のように、テンパって抜けているときは、某お笑い芸人の勘違いネタのような行き違いを一方的に遂行してくるのだ。そういうときはシャットアウト。彼女が落ち着くのを待てばいい。落ち着いてさえくれれば、彼女は話ができるしっかりとした人物であるのだから。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!」
戸の向こうから必死に呼びかける声がする。紫と違って勝手に能力を破って抜けては来ないみたいだ。
「待つって、何を」
「そ、それは……」
であれば、よし寝よう。俺は普段は他人に優しくをモットーにしているが、時には厳しく接しなければならない。可愛い子には旅をさせなければならないのと似たようなものだ。
……いや、そういえこちらにもやるべきことがあった。
予定は変更だ。
俺は能力を解いて、戸を引く。
「用事はそれだけかい?」
「いえ、そのー」
なんとか言葉を紡ごうとしている様子の彼女を見ると、どこか微笑ましいものを見ているような気がする。
……いや、もちろん彼女はそんじょそこらの生半可なものでは無い大妖怪であるのだが。
「それなら、ちょっとこっちに来てくれないか」
「……………………え?」
急に変わった俺の態度と反応に、彼女はこちらでも見て取れるくらいには驚きの表情を見せる。
「なに、すぐに終わるさ」
その言葉を聞いてから、ようやく落ち着いたのか。八雲藍はゆっくりと頷くと、歩き出した俺の背中から離れすぎぬように、歩みを始める。
・
「ふ、ふわぁ、なんですか、これ、天国ですか?」
「大袈裟だなぁ」
なんて言ってみるが、彼女にとってこれは大袈裟ではないと言うことは知っている。
彼女の目の前にあるのは、高級油揚げの詰め合わせであるのだから。
「これ、どこで、というか、なんで」
言葉が言葉を成していないその様子を見ると、つい笑ってしまいそうにもなるのだが、それほど喜ばれてしまうとなると、なかなかどうして嬉しいものだ。
「この前外に行った時に見つけて来てね。藍が喜ぶかなって」
「喜ばないわけがないじゃないですか! というか、なんでわざわざこんな……」
おや、どうも彼女は今日がなんの日か気がついていないようだ。
今日は、残念ながら俺にとっては非常に忙しく、出来ればそんなに来て欲しくない日であるのだが。
「藍、今日がなんの日か知らないのか?」
「え、今日、ですか」
私の誕生日でなければ何かの記念日でもないな、などと呟く藍。
「ホワイトデーだよ、今日は」
「ホワイトデー?」
想像の通りだ。彼女はホワイトデーを知らなかったのだ。
「バレンタインにチョコを受け取った男性が、それを3倍にして返す日だよ」
「そんな日があったんですか」
納得したと言わんばかりの表情で、彼女は尻尾をゆらゆら揺らす。
「というか、私のバレンタインのチョコ、気づいてくれてたんですね」
「もちろん」
俺は、毎年アホみたいな数のチョコをもらう。そのもらった分は一応しかと確認はしているつもりだ。そして、チョコがたくさんあったとはいえ、彼女のチョコは妖怪サイドでは珍しく、まともかつ美味しいチョコであったから印象には残っていた。さらに、チョコをくれたその人達すべてにお返しも用意してある。だから、今日という日はあまりに忙しく、残念ながら少し面倒臭い日となってしまうのだ。
……ちなみに、お返しをする際はあまりに数が多くてあちらからこの店に来てくれないと返したかどうか忘れてしまうと言うのは内緒だ。現に、わざわざ高い金をかけて外の世界に買いに行ったというのに、この油揚げを彼女にあげようとしていたことを忘れているのだから。
「そうですか、なんか、嬉しいです」
先ほどまでとは打って変わって、恥ずかしそうにはしながらも、どこか照れ臭いといった感じの表情を見せる。やはり美貌で言うならばさすが九尾の妖獣だ。この幻想郷の中でもズバ抜けているではないか。
「まあ受け取ってくれ。味は保証する」
「はい、ありがとうございます」
こちらに向き直ると、あらたまってぺこりと一礼をする。頭を下げるとその後ろからひょこりとふさふさの尻尾が顔を覗かせる。もふもふしたい。
「──でも、地久さん」
顔を上げると、こちらに指をピシリと突き立てる彼女。その表情は凛としたそれに戻っており、この一瞬で少し落ち着いたようにも見える。
「なんだい、いきなり」
それにしても急に真面目な顔になって、あらたまって何かを言われるとなると、自然と背筋が伸ばされてしまう。
「油揚げを買っていただいたのはありがたいんですけれど、また勝手に外に出ましたね?」
「──あ、バレた?」
「バレバレですよ! ていうか堂々と話しすぎでよ! 私をなんだと思っているんですか!」
……舐めてるつもりは無かったのだが。高級油揚げさえあれば納得してくれるだろうとは考えていたのだが、その認識は流石に甘かったらしい。
「すぐに紫様に報告ですよ……と言いたいんですけど、今日はこれに免じて許してあげます」
えへへ、と珍しく人懐っこい笑みを浮かべる。ここまで崩した笑顔はなかなかお目にかかれない。
──訂正。高級油揚げさえあれば納得してくれるだろうという考えは、正しかったらしい。
「そうかい、それはありがとう」
「いえ、礼を言わなければならないのは私の方ですよ」
「いやいや、ホワイトデーだと言うのにお洒落さのかけらもないもので申し訳ないね」
「いえ、多分、他のどんなものより、私は油揚げの方が嬉しいので」
「──なら、良かったよ」
これ以上謙譲合戦を続けても出口は見えてこないので、感謝の言葉はおとなしく受け入れることにする。
「あと、そうだ」
そしてもう一つ、ついでの用事を思い出す。
「ちょっと藍に頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」
「はい、なんでしょうか」
喜んで、といった様子で言葉を返す藍。であれば問題ないだろう。というか、紫へのホワイトデーのものを思い出したのであり、藍は彼女の式神であるので断られるということもないだろう。
俺はもう一つ用意してあった紫へのホワイトデーのプレゼントを取り出す。机の上の木箱をとり、その蓋を開ける。
「これなんだけど」
「はい」
俺が手に取ったものは、そう、ワイン。
これは以前自家製として作ったものであり、今回はちょうどいい機会というのもあり、数人分のホワイトデーのお返しはこのワインを用意していたのだ。
「これ、一応紫にもバレンタインのお返しでさ。渡しておいてくれないか?」
そう言って木箱の蓋を閉じて、藍の方へと差し出す。
予想と反して、藍は渋々といった様子でその箱を受け取る。
「………………そうですよね、分かってましたよそれくらい」
頬を膨らませ、そう口にする。
怒って、いるのだろうか。
だとしたら何故だ。俺は彼女にもプレゼントをあげたし、そもそも渡してと頼んだ先は彼女の主人のような存在の紫へだ。怒られる理由がわからない。
だとしたらやはり、油揚げだけではお洒落度が低かったのだろう。木箱に入れたボトルワインはたしかにお洒落だ。
「私だけでは、無いですよね」
「まあ、それはそうだけど、ホワイトデーだしね」
「そうですよね」
などとよくわからないやり取りをした後に、今度は少しだけ落ち込んだ様子を見せる藍。
……どうしてか、悪いことをした気になる。
「あー、なんだ。話しているうちに眠気も覚めてきたな」
どうすれば彼女の機嫌を治せるかはわからない。わからないが、無視というわけにもいかない。それでは男が廃る。
「そうだ、今夜の酒盛りに付き合ってくれないか?」
少し強引でわざとらしかったであろうか。
「え? 私ですか?」
と、思ったが、彼女の反応を見る限りでは存外強引ではなかったらしい。
「うん、藍と。嫌、だったか?」
「いや、まさか、全然。寧ろお誘い頂いてありがたいくらいですよ!」
……よかった。どうやら選択肢は誤らなかったようだ。先ほどまで落ち込んだり、少しだけ怒ったりしていた藍の様子はもう無い。
「それじゃあ、二人きりの晩餐といこうか」
「──はい」
それでは軽いおつまみで用意しよう。菓子を作るのは、ホワイトデーのお返しを用意するので流石に少し飽きてしまった。
たまには、こういうのも悪くは無い。