【完結】Sorge il sole   作:あきまさ

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第十九話 Lacrima Grave

 天界が震えていた。

 戦いの衝撃だけではない。常闇呪文と天照呪文のぶつかり合いが、時空の歪みをも引き起こしている。

 ダイと拘束から解放されたバーン、二人の攻撃は天帝に傷を負わせていた。

 ダイは直感に近い本能でバーンの動きを捉え、バーンはダイの目線や呼吸から行動を読む。二人は言葉を交わさぬまま連携し、流れるように攻防を組み立てる。

 それでも天帝を倒すには至らず、ダイの心を焦りが蝕む。

 常闇呪文を食い止めていると言っても、取り込んだ命そのものを捧げている天帝側と違い、こちらは疲れ果てた中で力を振り絞っているのだ。いつまでももつわけではない。

 このままでは勝てない。

 ダイは地上にいる人々の顔を思い浮かべた。ポップ、アバン、ヒュンケル、マァム、レオナ、クロコダイン。ラーハルトやヒム、ブラス。

 彼らのいる世界を守らなければならない。どんな手段を使ってでも。

 次に思い浮かんだのは父の顔。双竜紋が存在を主張するように光を放った。

「これしか、ない」

 ダイの呟きに天帝は興味深そうに目を細めた。戦いの手を止めないまま、少年に言葉を投げかける。

「怪物に成り果ててもいいのかい?」

「おまえを倒して皆を守るためなら、どんな姿になろうとかまわない! ……ここにいるのはおまえとバーンだけだ。皆に見られなくてすむ」

 悪魔の目玉を模した首飾りも戦いに巻き込まれ、すでに砕け散っている。

 心置きなく危険な力を解放することができる。

 化物に、なれる。

 

 

 双竜紋が額で合わさり一つになると、大魔王と天帝が一瞬動きを止めた。凄まじい力と殺気が膨れ上がり、弾けたためだ。

 黒い髪が逆立ち、目に凶暴な光が浮かぶ。ダイになく、父バランにあった殺気。絶対に相手を滅ぼすという強い決意がみなぎっている。

 攻撃に転じる寸前に天帝はダイの手から剣を弾き飛ばした。砕け散った冠を踏み砕き、剣すらも忘れ、ダイは突進した。

 天帝も光陰矢の如しで迎撃する。ダイの手刀が太陽の剣と、拳が月の鞘と激突する。互いの紋章から光が奔り、激突の衝撃で部屋の壁が崩壊していく。

 ダイは防御や後退など考えていないかのような動きで天帝に飛びかかり、拳を叩きつけた。獣さながらの俊敏な動作に天帝も応じ、凄まじい力がぶつかり合う。

 ダイの放ったドルオーラと天帝のグランドクルスが宮殿の一部を消し飛ばし、空へ吸い込まれていった。

 いったん後退したバーンは再び太陽の光が食われつつあるのを目撃した。もう下界の者達も限界だろう。天使と戦い、天の弓を止めるために奔走していたのだ。今まで常闇呪文を防ぎ続けているだけでも驚嘆に値する。

 殺意を研ぎ澄ましつつ、バーンの眼は冷静に戦況を分析していた。

 今までの姿からは想像もできないレベルでダイの全身から殺気が迸っている。少しでも敵意を向ければ、即座に相手を八つ裂きにしかねないほどの。

 それでもなお人として意識をとどめているのは、人間の血のなせる業か、心ゆえか。

 彼は全てを捨てる覚悟で戦っている。地上の平和を望み、それを守るために元に戻れない可能性を承知の上で。

「……捨てる、か」

 たった一つの譲れぬもののために。

 これ以上時間が経てば、常闇呪文が完成し、何者だろうと絶対に敵わぬ力を天帝が手に入れることとなる。

 それは敗北と同義だ。

 彼にとって許せぬのは自身の、大魔王バーンの名を汚すこと。今まで掲げてきた正義にかけて、培われた信念と力にかけて、負けるわけにはいかない。

 何を犠牲にしようと、己の誇りを守らねばならない。そう結論付けた彼の中で、かすかに何か引っかかった。

 心の棘に引きずられたかのようにバーンの視線が天空に注がれる。彼は、弱々しい光を心に焼き付けるように目を細める。

 それから覚悟を両眼にみなぎらせ、額の鬼眼に手を伸ばした。

 鬼眼に触れ力が解放される刹那、天帝の額の紋章から青い光が疾走し、鬼眼にぶつかった。禍々しい閃光が辺りを照らし、消失する。

「君まで化物になるなどお断りだよ。君ではただの怪物になってしまう」

 解放しかけた力が暴発し、バーンの額の眼から血涙が滴り落ちた。

 脳の奥で激痛が弾け、視界が暗くなる。

「……ッ!」

 体が揺れ、膝をつく。倒れ伏すのはこらえたものの、傷だらけの体にこの衝撃は無慈悲だった。眼光は鋭く戦意も衰えていないが、限界に近い。

 天帝は、オディウルのように光の闘気を、ガルのように流星を呼ぶ能力を、ミランチャのように武器を操る高い技能と敏捷性を、ラファエラのように相手の力を利用する術を持つ。彼らの命を吸った天帝だからこそ可能だ。

 天帝は、吸い込んだ精霊の命の一部を己の力として使い、一部は常闇呪文に捧げ、更なる力を得ようとしている。捧げたものが大きければ大きいほど常闇呪文で手に入る力も大きい。

 完成してしまえば、失われた神の力が取り戻されるだろう。

 太古の時代、生命を生み出し、世界を変革した全盛期の力が。

 竜魔人と化したダイも徐々に押されている。

 大魔王は激痛に塗り潰される意識を繋ぎとめながら機を窺う。残り少ない力を蓄えるかのように、拳を握って。

 戦闘の衝撃で宮殿は崩壊が始まり、首飾りも攻撃に巻き込まれ砕け散っていた。地上にいる者達はこの状況を知ることはできない。

 次第に周囲が暗く染まる中、ひたすら獣のような攻撃を繰り返すダイと、残された力を静かに高めるバーン、猛攻を受け流し、高みから見下す天帝。三者の姿も闇に飲まれようとしている。

 

 

 暗くなる世界の姿にポップは焦っていた。天照呪文の力が弱まっており、世界は闇に染まりつつある。天界があるはずの空は考えられないほど暗い。もう長くは呪文を抑えられない。

 ヒムは天照呪文を唱えながら生命エネルギーと言える光の闘気を放った。反動で全身がヒビ割れているが、光の闘気をポップに向け、少しでも呪文の力を高めようとしている。

「ここで諦めちまったらハドラー様に叱られるぜ!」

 ヒムの言葉に勇気づけられたかのように他の者も残りわずかな力を振り絞っているが、限界だ。

「くそっ、ダイに声を送ってんのにさっきから弾かれちまう……!」

 ポップの言葉がダイの力を呼び起こすと天帝も悟ったため、声を遮断している。苦しい状況の相棒を力づけることができない苛立ちに、ポップは歯をくいしばっている。

 魔力を集め放ち続けるポップの姿に、メルルは自問していた。

 何か自分にできることはないのか。天使襲来以後、一度も視えていない。ポップの苦しみは手に取るように伝わってくるが、今最も知りたいのはダイ達の状況とそれを好転させるための手段だ。

 ポップ達が駆け回る間、ほとんど何もできなかった。今も天照呪文を唱えているが大して役に立っていないかもしれない。

 自分の存在などいてもいなくても同じなのではないか。

 暗い疑念が頭をかすめかけ、慌てて首を振る。

 大切な人から諦めない強い心を学んだはずだった。今、それを教えてくれた相手が苦しんでいる。

(どうか力を……!)

 やがて、彼女の想いに応えたかのように光景が見えた。

 解放しかけた力を叩き返された大魔王と、勝利のためだけに獣と化したダイの両者が、天帝に破れそうになっている。

 メルルは目を閉ざし、己の内なる眼を研ぎ澄ました。

 力になりたいという一心で、ひたすら深い深い祈りを捧げる。

 すると、一筋の光が視えた。天帝が今までにない威力の雷を叩きつけようとしている。

 それを薙ぎ払うは、下方から飛来した陰りを帯びた光。

 暗黒に塗りつぶされそうな彼らを救うには、闇を切り裂く光の矢が必要なのだと知った。

「視えました! ああ、でも――」

 言葉にしようとするが上手く説明できない。そこでミストが彼女の中に入り込み、光景を知った。ポップに潜り込んで情報を直接届けるが、ミストの思念は絶望に染まりつつある。全身に傷を負い、血まみれになった大魔王を見てしまったためだ。

『バーン、様……』

 時の凍ったミストバーンとして戦えるならば、どれほど苛烈な攻撃だろうとその身で防ぐ盾となる。いかなる干渉も受け付けぬ肉体で、最強の拳を振るえる。

 主のために戦うことは今の彼には不可能だ。

 全てを飲み込む闇がダイとバーンを侵食していく。

 太陽の剣を持ち、自身が太陽となると宣言しながらも天帝の最大の呪文は相手を闇に閉ざすものだ。ポップ達からすれば世界が暗くなり周りの空気が歪んでいるという感覚しかないが、直接戦っているダイにとっては闇が形を持ち、自分を押しつぶすような恐ろしさを味わっているはずだ。

『私が、こんな体でなければ!』

 ヒムが力をほぼ使い果たしながらも光の闘気を注いでいるというのに、暗黒が形を成したミストは天照呪文に力を捧げることはできない。

『私だけがッ……!』

 他の者達は立ち向かうことができるのに、彼は力になれない。自分では選べぬ生まれのせいで。

 主の危機に何も出来ず、己の体を恨むしかないミストの嘆きがポップの心を震わせた。地に突っ伏して涙を流した日の、雨の冷たさを思い出したためだ。

 方法があるならば生命でも何でもくれてやるという、ミストの叫びが伝わってくる。

 単に強敵と戦い、敗れるならば、ここまで嘆きはしない。力こそ全てという信念があるため、大魔王も、ミストも、そこまで動揺はしないだろう。

 戦うことすらできず、主の夢が失われる様を見ていることしかできないからこそ、ミストは血を吐くような叫びを絞り出すのだ。

 大魔王も、求めてきたものに唾を吐かれ、目の前で壊されるのは耐えがたいに違いない。

 

 

 ポップは何かを思い出したような表情になった。やがて意を決したように語りかける。

「あんたに一つ提案がある。危険だけどな」

 ポップの中のミストが弾かれたように顔を上げた。

「おれが天照呪文とマホプラウスを同時に使ってることは知っているな? おれ一人だと同時に二つの呪文を使うことしかできない。でも限界以上に能力を引き出すあんたがいれば、さらにもう一つおれの呪文が使えるかもしれない」

 メルルの視た闇を切り裂く光の矢。それはメドローアだ。

 天照呪文とマホプラウスを止めることはできない。さらにメドローアを放つ必要がある。存在を足すことで、同時に使う呪文の数を増やそうと言うのだ。

 寿命が縮もうと危険だろうとやらなければいけない。

 ダイは元の体に戻れないかもしれないのに竜魔人となって戦っている。今度はポップが勝利のために命を懸けるつもりなのだ。

「幾つもの呪文を同時に使うなんて無茶だし、下手すりゃ暴発して一緒に死んじまう。それでもやるか?」

 魂を消して乗っ取るのではなく、互いの意識を残しつつ難しい呪文を操らなければならない。ミストにとってこのような試みは初めてだろう。ただでさえ消耗しているのに、これ以上無茶な力の使い方をすれば消えてしまうかもしれない。

『あの御方には返しきれぬ恩がある。少しは報いなければ、死んでも死に切れん……!』

 ミストは黒い手を掲げ、叫んだ。

『バーン様の大望の花は、汚させぬ!』

「そうこなくっちゃ!」

 

 

 双方が力を振り絞る中、ミストの視界にハドラーの面影がよぎった。

(ハドラー……。お前は涙したのだな。この男のために)

 ハドラーの落涙は以前目にしたことがあった。

 胸に黒の核晶を埋め込まれていたと知った時だ。

 主君が肯定し、称賛したはずの覚悟と闘いは、無惨に踏みにじられた。

 戦闘の最中、敵の前で弱さをさらけ出すなど愚かだと嘲笑する者もいるだろうが、ミストはそうする気にはなれなかった。

 彼には、自分の体を捨てて挑んだ闘いを穢された苦痛を正確に知る日は来ない。想像することしかできない。

 そんな彼にも、水滴に込められた感情が軽くないことは理解できた。見ていただけの彼の精神まで沈み込んだのだから。

 今回、それを上回る衝撃がミストの心を襲った。

 魔王と呼ばれ人間を家畜扱いした魔族の男が、人間の少年のために涙を流す。

 その雫の重みは計り知れない。

 戦いを穢された男泣きはミストの心を冷やしたが、今は違う。正反対の温度が魂に宿る。

 かつては自分のため。

 最後は誰かのため。

 涙を流した男は、満ち足りた笑みを浮かべて退場した。

(お前は変わり続けた。最期の瞬間まで……!)

 そして、遥かな高みへと駆け上った。

 その変貌は、誰も予想しえなかっただろう。

 本人も。神さえも。

(この男も、そうなのか?)

 誰よりも尊敬する戦士が涙を流し、生存を望んだ少年。ハドラーの生き様に大きな影響を与え、また、ハドラーから勇気を与えられた男。覆せぬはずの状況を逆転させ、主の計画を挫く鍵となった大魔道士。

 

 

 内なる者の激情に押されたかのように、ポップの片目から涙が落ちる。

 ほんの少し前までは、役に立つから手を組むだけだった。

 今、彼らの魂が共鳴し、心が一つになる。

 仲間になったわけではない。わだかまりが消えたわけでもない。過去の争いや反発より優先すべきものがあるだけだ。

 大切な誰かの力になりたい。二人はただそれのみを願う。

 体の奥から呼び起こされる力によって全身が熱くなる。

 熱と冷気が腕に集中し、一つに合わさる。

 引き絞られた弓から真っ直ぐに矢が放たれる。天空へ向けて。

 

 

 天帝が究極の雷を呼び寄せようとした時だった。

 闇に閉ざされようとしていた空間を閃光が走り抜け、天空へと伸びた。

 放たれる寸前だった雷に突き刺さり、完全に消し飛ばす。

 闇を切り裂く一条の光に、ダイは相棒の姿を見た。

 ダイは剣を拾い上げ、天空へとかざした。その切っ先は太陽のわずかな輝きを指している。

 彼の全身から爆発的な光が放たれる。天帝のように冷たい輝きではない、暖かな光が。

 その姿を見た天帝は咄嗟に目を背け、バーンは凝視した。

 天帝の表情が曇り、バーンの面から憎悪が霧消する。

 バーンの右腕が導かれるように上がる。何かを掴もうとするかのように手が伸ばされ、指がピンと張り詰める。

 彼の五指に順に炎が灯り、全ての力を託したカイザーフェニックスが放たれた。

 ダイへ。彼の剣へ。

 気高き鳥は、止まり木に止まるように優雅に剣に舞い降り、刀身に宿った。

 赤熱する輝きを放ちながらダイが走り出す。突進の勢いはそのままに、途中で剣を逆手に持ちかえる。

 眩しい光を放出しながら走るダイに天帝は剣を振りかざし、額の紋章から衝撃波を放った。光に圧され、勇者の剣先が地面すれすれにまで下がる。そのまま攻撃が止まるかと思われた瞬間、先ほどの閃光が心を照らす。

 心に蘇るは、友の言葉。どんな苦境にも諦めぬ相棒の姿。

『一瞬……! だけど……閃光のように……!』

 下がった剣先を上方へ振りぬく。渾身の力を込めて。

 昇る一撃は振り下ろされる太陽の剣を砕き、天帝の体を切り裂いた。

 ダイの背中に何を見たのか、大魔王は敗れた天帝にもダイにも言葉をかけようとはしなかった。

 天帝の口が動き、聞き取れないほどの小さな声で何かを呟く。ダイがハッとしたように天帝を凝視した瞬間、彼の体は光り輝く砂となり崩れていった。

 微かに曲がった天帝の口元は、勝者のようにも、敗者のようにも見えた。

 

 

 太陽を覆っていた闇が完全に消え去り、激震が宮殿を揺らす。天帝の命が潰えたため天界は存在を許されなくなった。

 天帝から解放された無数の命が光と化して周囲を漂う。少しずつ落下していく彼らが地上に降り立ってどうなるかは確定していない。そのまま霧散する者もいれば、姿や力を取り戻す者もいるかもしれない。

 ダイは最後の一撃に全力を込めたためか、竜魔人化の反動か、意識を失っている。

 天井が無いため瓦礫に生き埋めになる心配はなかったが、天界そのものが崩壊している。逃げなければ危ない。

 常闇呪文から解放され、時空の歪みは一層激しくなっているようだ。

 力の奔流に傷だらけのダイの体は虚空に投げ出された。

 バーンがそれに追いつき、咄嗟に腕をつかんだ。ゆっくりと降下するなか、彼の理性が囁く。

 殺せ、と。

 竜魔人となったダイは己よりも強いと先程の戦いで分かった。今にも魔力が尽きてしまいそうなほどバーンも消耗しているが、ダイは無防備だ。ほんの少し、力を込めて首を斬りつけるだけで簡単に殺せる。

 人間を滅ぼすのに最大の障害となる勇者。葬るならば今が最大の好機だ。

 全身に深い傷を負い、意識を失っているダイを見つめる大魔王。その手に光が宿る。

 室内に漂っていた金色の粉が両者の姿を包み隠し、二つの影はゆっくり下方へ降りて行った。


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