どうしてこうなった──
あれから二日後、ツクヨミはびしょ濡れだったのが嘘のように感じられる、太陽が照り付ける灰色の石畳を踏みながら心の中で頭を抱えていた。当初はゆっくりと王都の観光をする予定だったのだが……。ツクヨミの目の前には身分の高そうな騎士風の男が歩いている。
先ほど宿で朝食を終えた後、広間で今後のことについて考えながら王国の刊行物を読み漁っていると、この男が宿に現れた。彼はきょろきょろと視線を動かし、ツクヨミを見つけるとそのままテーブルへと歩いてきては用件を語った。
"陛下がお呼びです"と。
その理由は一昨日の一件のせいだ。あの日の夕方は、カーマインが呼んできた兵士たちが迅速に事件の始末をしながら様々なことを聞いてきた。急いで神殿に向かったのかその場にカーマインがいなかったため、ツクヨミが殆ど事の説明を行うことになったのだが……そのせいか、兵士の間では白髪の女性が事件を解決したことになっているらしい。目の前の騎士によるとカーマインもそのように考えているようで、結果ツクヨミが事件解決の功労者として王城に呼ばれることになってしまったのだ。
まぁ、とはいえあれを早急に"凶悪事件"として対応してくれたことには信頼が持てている。だからこそ、彼に黙って着いてきたというのも少なからずあっただろう。
「着きました。こちらへどうぞ」
「大きいな……」
ぽつりと小さく呟く。ロ・レンテ城、名前だけは聞いたことのあるその場所は想像よりも遥かに巨大であり、見上げると立派な塔がいくつも見える。それを眺めていると急激に胃が痛くなるのを感じた。ツクヨミは勿論
緊張した重い足取りで騎士の後ろを着いていく。
────
広大な城内、汚れ一つないほど綺麗に磨かれた広い廊下を横目で見ながら進む。広く清潔な廊下は全身を鉄の鎧で包んだ兵士……いわゆる騎士が警護にあたっているようで先ほどからちらちらと視線を向けられているのを感じる。目が合った騎士に会釈をすると、彼らもまた礼を返してくる。その動作は優雅であるだけでなく心がこもっていて、彼らの品の高さが随所から窺える。
そうして長い廊下を進んでいくと重厚で大きな扉が目に入ってきた。
「少々お待ちください」
目の前の彼がそう言うと、扉の横に立っている男へと話しかける。その男はほかの騎士と比べても年齢が高く、着ている鎧も少し立派なものだ。多分騎士の中でも偉い人なのだろう。話しながらチラっとその騎士がこちらを見ると、連れてきてくれた騎士に手をあげ、そのまま近づいてきた。
「ツクヨミ様ですね。急な招致であったにも関わらず、感謝いたします」
少し低い声で彼はそう言うと頭を下げた。目上の人に頭を下げられることは
「いえ、こちらこそこれ程の場にお招き下さりありがとうございます」
それは本心であった。身分として危うい立場であるツクヨミを王城に迎え入れるには様々な意見の調整も必要だっただろう。相手にも立場があるとはいえ、そこには厚意があったはずだ。
お互いに礼を終えると騎士が扉へと視線を動かす。そしてツクヨミへとその顔を向けた。
「この先が謁見の間となります。準備は宜しいでしょうか?」
「はい」
それを聞いた騎士は前へ向き直ると目の前の荘厳な扉を小さく四回ノックした。……少しすると中から威厳に満ちた低い声が聞こえてくる。
「入りなさい」
騎士はゆっくりと扉を開けると少し前へ進み、それから道のわきへ動いた。その顔はツクヨミへと向けられている。どうやら先へ進めということなのだろう。
ふぅ……。
ツクヨミは心の中で小さく息をつくとその足を謁見の間へと踏み入れる。
目に飛び込んできたのは絢爛豪華な広い空間だった。天井は少し高く、床に敷かれた赤い絨毯の先、小さな壇の上には初老の男性が椅子に座っている。その白みがかった黄色の髪の上には金の王冠をかぶっており、服装も豪奢なものだ。ツクヨミが絨毯の上を歩き、部屋の中心で立ち止まると、王はツクヨミが膝を折る前に口を開いた。
「突然呼んでしまってすまなかったな。まずは王国を救ってくれた御仁の名を聞かせてほしい」
ツクヨミは膝を屈める。
「私はツクヨミ……と申します。王国を救ったなどとんでもありません。寧ろ旅人の介入にて、各所にご迷惑をおかけした可能性を思案しておりました」
「ツクヨミ殿よ、どうか頭をあげてほしい。我は……此度の一件に心から感謝しているのだ。我々の失態が招いていたものは大きい。もしツクヨミ殿がいなければ、王国の未来が暗いものとなっていた可能性も十分にあっただろう。先の言葉も大袈裟ではない」
「それにさぞ苦く、王国の恥部とさえ呼べるものを見せてしまったことだろう。……頭を下げなければならないのは我々の方なのだ」
俯きながら発せられたその声は威厳とは程遠い弱弱しいもので、王というより一人の老人のものだった。
「私でしたら何の問題もありません。もし、お役に立てたのであれば幸いに存じます」
ツクヨミは内心おろおろしながらも柔らかく丁寧に返答する。
王はそれを聞くと皺のある表情を僅かに緩めた。
「そうか。……我も、もうじき選ぶ後継者にこのような問題を残さずに済んで安心している。ツクヨミ殿の功績は大きいだろう。その働きからすれば少ないかもしれないが既に褒美も用意してある。受け取ってくれるか?」
「はい。お心遣いありがたく頂戴します」
王が待機していた騎士へ合図をすると、その騎士はゆっくりとこちらへ歩いてきた。その両手には王国の紋章の入った銀の短剣と膨らんだ質の良い革袋を持っている。騎士はツクヨミの横に立つと深く礼をし、それらを差し出した。手のひらにずっしりとした感触が伝わる。心のこもった確かな重み。それを受け止めたツクヨミは微かに、何かが消失するような感慨に襲われた。彼女はふと思う。
もう、きっと戻れないのだろうな──
♦♦♦♦
王都大通りの一角、太陽の光によって路面も温まり始めた頃に、とある真新しい建物内には様々な人が集まっていた。
まだ新鮮な木の香りのする店内の雰囲気は落ち着いており、テーブルの前に座っている面々は主に飯を食べたり、メニューを見たりしている。ここは新しくできた定食屋であり、まだまだ発展中の王都ではオープンして間もない店にこうして人が集まることは少なくない。
「えー、このチーズオムレツってやつをお願いします」
カーマインはメニューを覗き込みながら注文を行う。それを聞いた店員は手に持った小さな羊皮紙にチェックを入れ、会釈をすると店の奥へと戻っていった。窓際の席に座っているカーマインは窓から通りを見やる。そこには少し多すぎると思うくらいに人が行き交っていた。
ずっと一人で暮らしてきた街。妹を失ってからは色無く見えていた場所だったが、一昨日の奇跡からカーマインの心も穏やかになっていた。
数分外を眺めた後、テーブルに置かれている冷たいグラスから水を飲む。
「ふぅ」
少し前、神殿で妹の見舞いに行っていたカーマインは今でも一昨日のことが信じられない気持ちだった。
「ツクヨミさんには感謝してもしきれないな」
今はどこにいるんだろう──小さく心中で呟いていると、それほど調理に時間がかからなかったのか注文していたオムレツが運ばれてきていた。正直お腹にたまるかといえば微妙であったが、今は神殿のこともあって倹約しなければならないのだ。
コトンと皿が音をたてると目の前には思ったよりサイズのある黄色一色の熱そうなオムレツがサラダと共に姿を見せた。良い匂いが鼻から伝わり、音を鳴らす腹が早く食えと急かしてくる。カーマインが木のスプーンを手に取り、いざそれを食べようとした時だった。
ザワッ
ほんの僅かに店内全体の空気、というより視線が変わったのを感じた。しかしそれもすぐに収まる。なんだったんだ? 不思議に思ったカーマインが顔をあげると……そこには見知った顔があった。
「ツクヨミさん?」
そこには珍しい白い髪を持つ、王族然とした女性が立っていた。思ったよりでかい声が出てしまったのか、ツクヨミはすぐにその声に反応すると、少し驚いたようにとことことこちらに歩いてきた。
「カーマインさん……二日ぶりですね。まさかここで会うとは思いませんでした」
「俺もですよ。色々ばたばたしててちゃんとお礼が言えていませんでしたが、先日は本当にありがとうございました」
立ち上がって礼を言う。するとツクヨミは小さく頭を掻きながら優しく笑みを浮かべた。それはとても様になっていて、少しどきっとする。
「お力になれて良かったです。前の席大丈夫ですか?」
「ええ。もちろんですよ」
お互いに腰を下ろすと、すぐにカーマインは周りの目線に気づいた。女性からの目線は特にないが、男からのそれは殺気に満ちたものだ。多少の居心地の悪さを感じていると、カーマインがそちらを見ていたからか少し遅れてツクヨミも横を向いた。すると途端に彼らは訓練された歴戦兵のようにピタリと顔を戻した。これにはもう苦笑いを浮かべるしかない。
「ツクヨミさん、これがメニューです」
「あ! ありがとうございます。カーマインさんも気にせず食べてくださいね」
そう言われるとまだオムレツに手をつけていなかったことを思い出した。
スプーンを再び持ち上げ、サラダから口へと運ぶ。一度食べ始めると黙々と手を動かしてしまい、ツクヨミもメニューと睨めっこしていたためテーブルには暫し沈黙が続いた。オムレツを半分ほど食した後にカーマインは気になっていたことを口にする。
「そういえば、ツクヨミさんは王都に住んでいるんですか?」
メニューからツクヨミが顔をあげる。
「いえ、私は法国に住んでますね。王都には観光に来ているので……もうじき帰ることになると思います」
「へー、そうなんですね」
カーマインは少しだけ安堵すると、目の前の女性へ言葉を続ける。
「……俺も妹が元に戻ったら、王都からしばらく離れるつもりです。まだ分かりませんが、村にでも越そうかなと思っていまして」
彼女は少し驚きつつ、何かを喋ろうとしたが一度その口を閉じた。しかしすぐに暖かな表情で喋り始める。
「とてもいいと思いますよ。私もそういう生活には憧れます」
「そう言ってもらえて何よりです。俺も、時間があれば法国に行ってみようかなと思います」
「ぜひ! それなら神都にも寄ってくださいね。もしかしたら宿で会えるかもしれませんし」
二人で雑談を続けていると、コトリ、横からグラスがそっと置かれた。去り行く店員にツクヨミは軽く頭を下げる。
「私も早くメニューを決めないといけませんね」
彼女は笑いながらそう言った。
~~~~
空が茜色に染まり出した頃、ツクヨミは小走りで王都の通りを抜け、広大な敷地にある門の前まで来ていた。ここは魔術師組合本部。新たな魔法の開発やマジックアイテムの研究を行っている建物だ。まだ門は開け放たれており、既に閉まっているのではないかと危惧していたツクヨミはほっと息をつくと少し先に見える白亜の大きな建物の方向へと足を運んだ。辺りには数人の警護兵が歩いているが特に止められる様子はない。
門を抜けてから少し歩き、緩やかな幅の広い階段を上っていくと開かれた扉が見えてきた。
「よし」
扉を潜る。建物へ足を踏み入れるとそこは広々としたエントランスになっていた。高い天井からは煌びやかなシャンデリアが垂れ下がっており、建物内を明るく照らしている。夕暮れ時であるにもかかわらずロビーには沢山の熱心な
特に目的もないツクヨミはカウンターへと向かう。歩いていくとすぐに受付の女性と目が合った。お互いに軽く会釈をすると、女性はそれから挨拶を始めた。
「魔術師組合へようこそいらっしゃいました。どのようなご用件でしょう?」
「マジックアイテムと
エ・ランテルでの組合で数時間は見たものだが、玩具のカタログなどを眺めているのが好きだったツクヨミにとってそれは幾ら見ても飽きるものではない。
まぁ、とはいえこれも完全に娯楽で来ているという訳ではなく、どちらかというと情報収集の側面が強い。
しかしリストが無かったらどうしようか。頭の中で少し心配していると、それが杞憂であるように目の前の女性が快く口を開いた。
「かしこまりました」
女性はカウンターの下を覗き込み、そこから厚い書物を二つ取り出すと手元に差し出してきた。それらは思ったより立派なもので、ソファに持っていって読もうかと考えていたツクヨミは嬉しさ半分、悲しさ半分でページを捲った。書物は羊皮紙ではない白い紙で、金糸で文字を縫い取ってある。そこ書かれている
「
頭の中で空に浮かんでいるシュールな板を想像し笑いそうになっていると、呟きを聞いていた受付の青年が声をかけてきた。
「その魔法は最近開発されたものなんですよ。第一位階の魔法で主に運搬に使われていますが、他にも色々できるんじゃないかと思います」
ツクヨミは考える。これはきっと転移か……召喚系の魔法だろう。この世界独自の魔法であるため使えるかどうかはかなり怪しいところだが、もし使えれば有用かもしれない。
「これ、人を乗せることはできますか?」
ツクヨミが質問すると青年は言葉に少し詰まりながら説明してきた。
「あー。この
「なるほど。ちなみにお値段はいくらになりますか?」
「一本ですと、金貨一枚と銀貨十枚となります」
一カ月の給料を上回る額を聞かされ、若干怯みながらお礼を言うツクヨミであった。
────
「見た? あの人」
「見た見た。すごい美人だったな」
閉館の準備をしている魔術師組合職員の青年たちはざわついていた。話題の中心となっているのは先ほど現れた白い髪の女性についてだ。長年勤めている彼らもその女性を目にしたのは初めてであり、その美しさと気品は言葉では言い表せないほどのものだった。
「王族? の人だと思ったけど護衛はいなかったし、ここらの人じゃないのかな」
近くで作業をしている女性の一人が男の浮ついた会話に辟易しながらも会話に混ざってくる。
「髪の色も珍しい色だったしね。まぁどの道、あれだけ綺麗ならお付き合いしてる人くらいいるでしょ」
現実を突きつけられた男たちは口籠る。確かにあの麗しさは本物だった。魔術師組合の受付を担当している女性陣もそこそこ顔は整っているが、あれはそういったレベルではない。言い寄ってくる男も星の数ほどいることだろう。
「で、でもなぁ」
「でも、じゃないの。まだ閉館準備終わってないんだから早く手を動かしなさい」
職員たちはその言葉を受けて止まっていた手を再び動かし始めた。魔術師組合の一日が終わる──