Moon Light   作:イカーナ

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13.一人と一匹

 月明りが木々の上部を薄っすらと照らす。透明色の淡い光は数多の木々に阻まれ、地表部分には一切届かない。そんな真っ暗闇なトブの大森林の奥地は今、一つの強い灯りによって照らされていた。

 背の低い草の生えている道の中心を走るのは、白銀の毛皮を持つ大魔獣、森の賢王。その背には永続光(コンティニュアル・ライト)のランタンを手にした、雪のような色の長い髪を持つ女性、ツクヨミが座っている。 長袖のふわりとしたブラウンの服と肩にかかった薄いケープ。長めの動きやすそうなズボンとその足は揃って右を向いている。

 彼女は同じく目の前に座る黄色髪の村娘然とした十歳ほどの少女を左手で落ちないよう支えていた。

 

「そういえばさっきの天使さんたちはどこに行ったの?」

 

 少女が振り向きツクヨミへ問いかける。先ほど少女が目覚めた際、ゴブリンは下がっていたものの天使は取り囲むようにあの場で佇んでいた。そのインパクトが大きかったのだろう。ツクヨミは若干視線を横に逸らすと後ろ首に手を回しながら答えた。

 

「えーっとね。天使さんは時間が来て消えちゃったよ。消えずに着いてきてる別の子もいるんだけどね……」

 

「あー、そうなんだ。でもその子? も賢ちゃんには追い付けないよね?」

 

 少女がそう言うと森の賢王はピクリと耳を動かしちらりと振り向いた。その顔は少し不満そうだ。

 

「なんでござるか、その変な名前は! 某はもっとかっこいい名前が良いでござるよ」

 

「森の賢王さん。危ないですから、よそ見運転しないでください」

 

「うー。よくわからないでござるが……すまないでござる」

 

 道と言っても周りには蔦の生えた巨木から、曲がりくねった細い木まで様々な種類の木々が行く手を阻んでいる。普通は走っていればどこかしらに体をぶつけてしまうだろう。それをすいすい進んでいけるのはトブの大森林を熟知している森の賢王くらいであるが、それも前を向いていればの話である。

 しばらく会話なしで一行は森を進んだ。静かな森を横目で見ながらツクヨミは鞄からコンパスを取り出し位置を確認する。それは走り始めてから三回目だ。じーっとそれを見つめていたツクヨミは突然その口を開く。

 

「そういえば森の賢王さんはいつもこの辺りにいるんですか? 勝手なイメージですけど森の主ってもっと奥の方にいると思ってました」

 

「主と言っても縄張りはまだまだでござるけどな。実はあんまりこの辺については詳しくないでござるよ」

 

「なるほど。ではここには視察に?」

 

 ツクヨミの言葉を受け、森の賢王は何か言いにくいことがあるのかそっと口を閉ざした。その表情には若干の恥ずかしさと戸惑いが浮かんでいる。それはもし彼女が走行中でなければその頬を掻いていただろうと思わせるものだ。突然喋らなくなったことにツクヨミが小首を傾げると森の賢王は小さく語り始めた。

 

「いや、違うでござるよ。今は冬でござるから……その、探しても中々食べ物がないでござる。それがしはこう見えて沢山食べるでござるからなぁ」

 

 見た通りじゃないか、という突込みを喉の奥に引っ込めたツクヨミはその言葉を聞いて鞄の中を漁り始めた。 取り出したのは2個の黒パン。ライ麦でなく黒糖を使った茶色のパンであり、先ほど宿で買ったものだ。

 

「でしたら、これ食べますか? もう冷えちゃいましたけど」

 

「なんでござるかこれは。焦げ付いてるでござるよ?」

 

「焦げてませんよ。美味しいですから騙されたと思って食べてみてください」

 

 田舎のお婆さんのような台詞を吐きつつ、ツクヨミは森の賢王の顔に手に持ったパンを持っていった。しかし、当人は食べたいと思っていないようで差し出されたパンから顔を背けている。ずっと口を閉ざしていた少女はそれを見て堪えきれなくなったのかお腹を抱えて笑い始めた。

 

「やっぱりいいでござる。それがし、腐ったパンは食べれないでござるよ」

 

「この……強情くんですね。はぁ。とっても美味しいのに」

 

 しゅんとなったツクヨミはそのままパンを鞄に引っ込めた。

 それから数刻の時が流れる。片目を瞑った少女は軽く目をこすると話題を切り替えるべく喋り始めた。

 

「それで賢王さん、さっきの名前の話なんだけど……あれはもういいの?」

 

「そうでござるなぁ。森の賢王と呼ばれるのも何だか水臭いでござるし、ここはカッコいい呼び名を付けて欲しいでござるよ」

 

 今度こそとツクヨミは鞄から羊皮紙と鉛筆を取り出す。やる気は上々であった。

 

「分かりました。お引き受けしましょう。ではそうですね。ハムスターにちなんでハム……。ハム仙人とかどうでしょうか? 聞くところ長く生きているようですし」

 

 何だろうと耳を傾けていた二人はそれを聞くと神妙な顔つきで唸った。

 思っていた反応を得られなかったツクヨミは即座に羊皮紙のメモ帳にハム×を書き入れる。仙人は傑作だと思ったのだろう。

 

「んー、なんでござるかなぁ。絶妙なダサさが滲み出てるでござる」

 

「ハムは可愛いと思うんだけどねー」

 

 少女がうんうんと頷くのを見てツクヨミは鉛筆を止める。

 

「可愛いのはいただけないでござるが、折角姫が考えてくれたものでござるからな。カッコいいを足してそれがしは……ハムスケウォリアーを名乗るでござる!」

 

 え? 

 

 声にならない誰かの言葉は、少女の絶賛とハムスケの自画自賛の中へと消えた。

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 1時間も一直線に走ると、人間の手が入った明るめの森へと出た。とはいえ時間はまだ真夜中なので暗さは相変わらずだ。ツクヨミは先にハムスケの背中から茶色の地面へと降り立つと、上から降りてくる少女を器用に両手で受け止める。

 少し早いが別れの時だ。

 

「お父さんが待ってるだろうから行こっか」

 

 ツクヨミが少女の手を引くと彼女はハムスケへと寂しそうな顔を向けた。

 ハムスケもまた黒いつぶらな瞳をうるうるさせている。事前に分かっていても悲しくなるタイプであった。

 

「姫ぇ、置いて行かないでほしいでござるぅ」

 

「そうは言ってもハムスケ、ウォリアーさんは街に行けませんし。私は一度戻ってきますから……ね?」 

 

 ツクヨミは巨体の友人を宥めると少女と共に小都市の方向へ歩みを進めていく。

 森の入り口付近であるとはいえ、亜人やモンスターは生息しているので油断することはできない。踏み折る木の枝が静かな森の中に音を立てる。少しずつ頭上にある木々が薄くなり、そこから淡い光が入ってくる。

 

 そうして二人は小都市の端に歩み出た。

 

 その場所は薬師の店の前から100mほど離れているくらいで歩いていくのにそれほど時間はかからない。二人は少し足早で目的地へ向かった──

 

「お父さん!」

 

 騒動からそれなりに時間が経ったため、薬師の店の前に未だ残っていたのはイングレと宿の店主、薬師のお爺さんと他数名程度だった。

 彼らは予想していなかった方向、つまり後ろ側から声を掛けられ一斉に振り向いた。一番最初に声をあげたのは胸の前で祈るように手を作っていた男性、イングレだった。

 

「ソフィー!」

 

 イングレは少女の名を呼ぶと緊張した表情を崩しながら走ってきた。そして目の前でしゃがむと優しく彼女に抱き着いた。

 

「あぁ、無事で……よかった、ぁ」

 

 溢れ出る感情はイングレの目からそのまま流れた。ソフィー自身も今の今まで怖い思いをしてきたのだ。彼女も父のそんな姿に感化されたのか、我慢していた涙をぽつりと地面に落とし、大きな肩に顔を埋めた。

 

「しかし、あんたも……本当に無事でよかったよ」

 

 ツクヨミの横から体の大きな男、宿の店主が話しかける。それはきっとここに集まっていた全員が思っていた言葉であろう。どれだけ強い人物であろうと、女性をたった一人で行かせてしまったことへの自責の念、そして無事を祈ろうというせめてもの思いが彼らをこの場所に引き留めていたのだ。 

 

「ありがとうございます。皆さんも夜遅くまでお疲れさまでした」

 

 ツクヨミは残っていた面々一人一人の顔を見る。そこには安堵しているような温かい表情がいくつもあった。それは一夜の事件が幕を下ろしたのだと皆に実感させる。

 

 ツクヨミは最後に抱き合うのを終えた親子に近づいて行った。しゃがんだままのイングレはそんな彼女に気づく。下から見上げるような彼女の姿は綺麗な月明りに照らされ、神々しささえ感じさせた。彼は呆然としていたことに気づきハッとすると、慌てたように立ち上がる。そして、めいっぱい頭を下げた。

 

「本当に、本当にありがとうございました! この御恩は一生忘れません」

 

「頭をお上げください。私は、その言葉だけで充分ですよ」

 

 ツクヨミが言葉を言い終えるとイングレもそっと顔を上げる。

 彼女はそれを確認すると、続けてイングレの前に立っている少女、ソフィーの目線まで体を落とした。少女の青い目は潤んでいるものの、その幼い表情はとても満たされているようだった。

 そんな小さな友人にツクヨミは小声で話しかける。

 

「もう夜歩き回っちゃダメだよ?」

 

「うん。約束する……」

 

 少ししょんぼりした少女の返答を聞き、ツクヨミは目を細めて温かく微笑んだ。そしてそっと立ち上がる。ハムスケが森で待っているからだ。そんなツクヨミを見て、ソフィーは不安げに口を開く。

 

「あの! また、会えるかな……?」

 

 先ほどまで近くで喋っていた二人の距離は再び離れようとしている。

 ツクヨミは星空を軽く見上げた。

 

「うん、きっと会えるよ」

 

 その言葉は彼女の『願い』だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

「ハムスケさん……ほんとすみません……」

 

 深夜のトブの大森林、少し開けた空間の中心には小さな焚火と、それを囲んで座っている一人と一匹がいた。また、その横にはマジックアイテムであるグリーンシークレットハウスによって建てられた拠点がある。その小柄な建物は魔法で作られたコテージであるため、中は外見とは想像もつかないくらい広く、現在は帰ってきたゴブリン達が中で寛いでいる。

 

 問題はまさにそれであった。ゴブリン将軍の角笛で召喚されたゴブリンは微妙なメリットとして死ぬまで消滅しないといったものがある。それは基本有益でしかないものだが、現在のツクヨミの立場からすると珍しくデメリットとなっていた。

 元々外れアイテムであり、ユグドラシルでも殆ど使用されていなかったそれの詳しい効果をツクヨミもすっかり失念していたのだ。

 

「いやいや全然いいでござるよ! それがしも縄張りを広げようとしていた身、仲間ができて頼もしい限りでござる」

 

 スレイン法国は人間至上主義であるため勿論ゴブリンを連れていくことはできない。間違いなく駆除の対象となるためだ。

 悩みに悩んだ結果、ツクヨミがそのことをハムスケに相談すると、なんとハムスケがゴブリンたちを引き取ってくれると言い出したのだ。

 

「それに彼らも召喚されて嬉しそうだったでござるよ? さっきもやる気満々だったでござるし、あんまり心配し過ぎなくても大丈夫でござるよ、姫」

 

 ハムスケは手に持った一級品のキノコを串で焼きながらそう言った。ツクヨミはアイテムボックスから食べられそうな物を取り出しながら喋る。

 

「それならいいのですが。何か──いえ」

 

 ツクヨミは頬を軽くペシペシと叩く。ツクヨミは元々会社員であったため、どうしてもこういった問題では責任を感じずにはいられなかった。それは“生命を生み出す”という内容だけに大きい。しかしこれ以上グダグダ言っても仕方がないのは間違いがなかった。

 口を噤んだツクヨミを見るなり、ハムスケは話を変えるべくキノコを頬張りながら声を出した。

 

「それにしても、姫は強かったでござるなー。それがし初めて殺されると思ったでござるよ。あの時は神様か何かだと思ったでござる……」

 

「神様なんて、そんな。私はただの人間ですよ。少し……異常かもしれませんが」

 

 ハムスケの言葉にツクヨミは苦笑する。そう──ツクヨミは一般人だ。降って湧いた力が大きすぎただけで。

 

「異常、でござるか」

 

 ハムスケは口に運ぶ手を止めた。

 本来、真に強き者は生まれた時から強者である。そのため力を持っていることは当たり前であり、自分の強さに疑いを持つことなど無い。それは自分に手があったり、足があったり、そんなレベルのものなのだ。──だからこそ、ハムスケも意外だったのだろう。

 ツクヨミは上を向き、木の隙間から覗く星空を眺めながらポツリと呟く。

 

「はい。……時々思うことがあるんですよ」

 

 

 

 こんな力無かったらな──って……

 

 

 

 ツクヨミは目を閉じ、この世界に来てから初めての弱音を零した。間違いなく、周りの者は贅沢だと言うであろう悩み。実際その通りだ。しかし、ツクヨミを常に苦しめてきたのは必要以上に与えられた力に他ならなかった。

 

「それでも最初は無いふりをして過ごしてきたかもしれません。でも、それこそ私の我儘だったんです」

 

「ふむ。姫は、先のように責任を感じてしまった……でござるか」

 

 森の賢王である彼女も薄らと真意を理解したのか、真剣な瞳でぱちぱちと音を立てる火を見つめる。ツクヨミはハムスケの問いにそっと頷いた。

 

「──苦しみながらも神に祈る人、命を賭けて戦っている人、差し伸べられる手を待つ人。私が思っていたよりずっとこの世界は助けを求める人でいっぱいだったんです。……それなのに私は」

 

 力があったにも関わらず、ツクヨミはそんな状況からずっと目を逸らしてきた。大切なものを失うのが何より怖くて。しかしこうして向き合ってしまった今、もう、薄明かりの日常に一人帰ることはできそうもなかった。

 だからこそ平凡な日々を求めていたツクヨミは自身が何も出来ないことを望んだのだ。

 

「すみません、変なことを言ってしまって。元から高望みだったんです」

 

 よいしょ、という掛け声とともにツクヨミはその場で立ち上がった。ぱんぱんと土を落とすようにお尻をはたく。そしてツクヨミが具材をハムスケの座る方へ運ぼうとした時だ。

 口を閉ざしていたハムスケがぽつりと話し始めた。

 

「──姫は、優しいでござるな。それがしは知らぬ誰かの分までは頑張れないでござるから……」

 

 ふっと語られるそれに立ち止まる。

 嫌に夜風が頬を撫でているような感覚――。何故か心の動揺を隠せないツクヨミを他所に、ハムスケは昔を思い出すようにそれを続けた。

 

「姫の力がそれがしのものとは比べ物にもならないことはよく分かっているでござる。そのせいで失くしたことも、独りになることもきっとあったでござろうなぁ。……ただそれでもそれがしは、失うものばかりじゃないと思うでござるよ」

 

「でも。でも、相反するんです! 私の求めているものは……」

 

 返答するツクヨミの声は小さく震えていた。それはハムスケの変に真剣みを帯びた話と、自身の悲観的な気持ちがぶつかったためだ。胸の奥の苦しさからか、ツクヨミは左手を胸の前に(かざ)し、静かに掴む。その感情を押し込めるために。しかしそれももう――

 

「遠くからでも見ている者は見ているでござる。ちゃんと繋がっているでござるよ!……少なくともそれがしは姫の苦悩も頑張りも知っているでござるし、たとえ遠くに行こうとも、いつも傍にいるでござる」

 

 ハムスケはいつものつぶらな瞳で、ツクヨミの方を向くとその短く小さな手を伸ばしていた。自分は仲間であると、そう訴えるように。

 

 

 

「……」

 

 

 

 いつの間にか地面に涙の粒がぽつぽつと落ちていた。それはツクヨミの瞳から自らの意思で落ちてきたかのような、そんな涙だった。

 

「あれ」

 

 ツクヨミは半ば困惑するように、いつからか我慢してきたであろうそれを片手で拭う。

 ゆっくりと指先から手の甲へと水滴が伝っていく。

 リアルでも泣いた経験が殆ど無かったツクヨミは、それを見て初めて自分の心が一人で転移してきたあの時から少しずつ擦り減っていたことを知ることとなった。

 

 

 すっかり重たい空気になってしまったトブの大森林の時間が過ぎていく。両者とも口を開かなかったため、少しばかり無言の時間が続いた。ただ、それでも不思議と空気の悪さや気まずさ等は感じられない。

 

 ハムスケは食事を進めることなく、その場でツクヨミを待っていた。とても落ち着いた雰囲気だ。

 

 そうして火が陰る頃、ツクヨミもようやく決心がついたのか心の底にある『一つの想い』を口にした──。

 

 

 

「彼らも……私を忘れないでしょうか」

 

 

 

 ツクヨミは空を見上げて、問いかける。それは涙がまた零れてしまわないようにか。はたまた遠い誰かに思いを馳せていたからかもしれない。

 

 ハムスケは"彼ら"を知っているわけではなかったが、それでも断言した。

 

 

 

「忘れるはずがないでござるよ」

 

 

 

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