Moon Light   作:イカーナ

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15.辺境の大戦(2)

 竜王国首都の中心にそびえる巨大な建造物。その外周は五百数十mほどもあり、その敷地内は複数の馬車が走ることができるほどだ。そして、その周りには堅牢な外壁が続いている。

 

 首都内に敷き詰められた多くの建物を押し退けるように建っているこれは竜王国王城。竜王国建国当初から存在している建物であり、中心に向かい高くなっている石造りのこの城は正統的な姿形で、どこか古めかしさを感じさせる。

 

 そんな竜王国の歴史を象徴するであろう王城は夜闇に包まれており、上下様々な位置に存在する窓からは黄色の灯りが漏れていた。

 

 最上階に位置する国王の自室も例外ではなく、竜王国女王である黒髪の女性、ドラクシス・オーリウクルスは慌ただしい様子で、普段は疲れを癒すはずの深夜の時間帯に寝巻着から正装へと着替えを行っていた。

 

 最近の彼女は早朝から晩まで休む暇がないほどの激務をこなしている。それに加え竜王国は災難続きであり、国のトップであるドラクシスは精神的ストレスも多く抱えている。

 そのため就寝の時間さえ奪われたドラクシスの体は伸びきったゴムのようにくたびれた状態であった。

 

 睡眠を妨げられたドラクシスはてきぱきとした動きで豪華絢爛な衣装に手を通す。いつになく早く、少々乱暴だと言える着替えは傍から見れば安眠を邪魔された女王が怒っているよう見えるかもしれない。しかしドラクシスの心中に燻るのは怒りでも悲しみでもなく大きな焦燥のみであった。

 

「ふぅ」

 

 勢いよく着替え終えたドラクシスは扉へ向かう前に王室としては質素な作りの部屋内を小走りで移動し、首都を一望できる巨大な窓の前へ立った。

 

 冬の夜風に晒されたひんやりとしたガラスに手を当てるとドラクシスは目を細めるようにして遥か遠方を見やった。

 

 目線の先に映るのは延々と並ぶ建物と地平線まで続く広大な荒野。城の上層から目にすることのできる、竜王国のいつもと変わらぬ美しい風景だ。しかしそれは今のドラクシスが見たいものではない。

 

 ドラクシスは眉間に皺を寄せ、目線をすぐ下に落とす。そこには多くの兵士たちが緊迫した様子で街の外へ移動しているのが見えた。

 それは普段では目にすることのない光景であり、ドラクシスを叩き起こした緊急連絡の内容が真実であることを雄弁に語っていた。

 

「本当に……止められなかったのか?」

 

 それを言葉に出すとドラクシスは小さく体を震わせた。

 

 二十日以上連続で行われているビーストマンの侵攻。建国以来のその重大な危機はスレイン法国の援軍のおかげでようやく鎮静されるだろうと考えられていた。しかし集まったビーストマンの群れは減ることなく嵐のように膨れていき、食料を食い尽くしてはそのまま竜王国の本土へと向かってきていた。

 

 大勢の国の守り手たちも大群を完全に止めることはできなかったようで、後退しながら今もなおビーストマンと死闘を繰り広げているという。そしてつい先ほど、竜王国首都に隣接する小都市から十数キロの地点にある前線基地にて黒煙が上がっているのが確認されたのだ。

 

「……くそ、この国はどうなってしまうのだ」

 

 右手で握り拳を作ったドラクシスはそれを窓に押し当てる。先ほど目にした通り竜王国にはまだ多くの兵が待機してはいる。しかし、それも雑兵交じりであり実戦経験の無い者が大半だ。

 

 送り出した精鋭である彼らが止められなかった今、ドラクシスもそこに過度な期待はできなかった。

 

「法国からの本隊とやらは間に合うのだろうか。いや、厳しいか……」

 

 陽光聖典の本隊が法国から出発したのはつい一昨日の話である。

 

 法国と竜王国の距離はそれなりにあり、どれだけ急いでも特殊な移動手段でなければ四日はかかるため、順当にビーストマンが進めば彼らの到着は都市内がビーストマンに荒らされた後となる。

 それもどれだけ粘れるかにかかっているが、本当にギリギリなラインだろう。

 

 こみ上げる頭痛を抑え、ドラクシスは窓ガラスから右手を離すとすぐに踵を返した。黒みをおびた深く艶やかな絨毯の上を靴で踏み、そのまま高級な木製の扉の取っ手を掴む。

 

 ドラクシスがこれから向かうのは宰相のいるであろう会議室。兵士長や国の重鎮が集まっているそこで今後の舵取りを行わねばならない。

 

 ドラクシスは思考を重ねながら、いつになく重いその取っ手をそっと下へ引いた。

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

「班長……その、まだ、下がるんですか?」

 

 太陽の昇り始める前、まだ月明りの照っている薄暗い荒野で男がぽつりとその疑問を目の前の男に投げかけていた。その声は平坦なものではなく微かな怯えの色を帯びている。曲がりなりにも法国の特殊部隊の一員である彼がこうも精神的に追いつめられているのは、この場で戦う数百人の軍勢が今までにないほどの窮地に陥っているためだ。

 

「ぬぅ……」

 

 班長と呼ばれた三十代前半の金髪の男、マルセルは部下の言葉に小さく唸ると状況を再確認するべく首を小さく動かし、左右を見回した。

 

 まず彼ら陽光聖典が立っているのは軍勢の最中心。そこは戦況を確認しやすいよう拓けた形になっており、腕の立つ魔術師やそれを守る重装の兵士が十数人、前を見つめている程度だ。

 

 そしてそれほど離れていない左右には数えることも難しい幾多の兵士が"扇状"に広がっている。それは同じく眼前に無数に群がるビーストマンが味を占めたように人間を取り囲もうと立ち回ってくるためだ。

 

 常に敵が横に広がり迫ってくる以上、力で負けている軍勢はただただ下がり続ける他なかった。

 

 マルセルが苦い顔で言い淀んでいると隊員の一人が焦るように止まっていた口を動かした。

 

「班長、後ろを見てください。街がもう、目に見えるくらい迫ってきているんです。このまま行けば──」

 

「分かっている。分かっているんだ。しかし、どうしろというのだ」

 

 前方にはまだ見えるだけで五百近いビーストマンが蠢いており、その遥か遠方には破壊された前線基地から上がる黒煙が今もなお、人々を絶望させるように上がり続けている。そして荒野を挟んだ後方十数キロ先には朝闇の中でも分かるほどの、街を取り囲む巨大な壁が建っている。それは竜王国の大きな都市のひとつであり、その中心に近づけば首都も存在する。

 

 つまり、これ以上退くことはできない。

 

 前門の虎後門の狼とはまさにこのことと言わんばかりの状況でオリハルコン級冒険者である赤髪のソーサラー、アンジェシカはビーストマンに魔法を叩き込みながら隣に立つマルセルに顔を向けた。

 

「前も後ろもダメならいっそ横に逸れるというのはどうなの?」

 

「そんなことはもう今までずっと試している。ただ、奴らは……我々が大きく動いても街に一直線に移動をし続ける。強い個体に着いて行っているのか、指揮をしているやつがいるのかは知らんが狙いは食料だろう。あれだけの量だからな」

 

 切迫した状況で額に汗を滲ませながらも冷静に説明を行うマルセル。彼はその間にも召喚している炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)に指示を続けている。しかし、それは現状においては問題の先延ばしに過ぎない。

 

「そう、なのね。ただ……そうだとしてもこのままじゃ街が壊滅するだけだわ」

 

「ではどうする? 奴らは我々の大半より強いうえに数もずっと多い。戦っても街を守るどころか、ほぼ間違いなく全員死ぬぞ。それでもいいのか?」

 

 特殊部隊で長年任務をこなしてきたマルセルはアンジェシカへとその顔を向ける。そこに軽視やいつもの余裕はない。彼もまたどうしていいか分からないというのが本音だった。

 

 向けられた重たい言葉にアンジェシカはぎゅっと手の中の黒い杖を握る。そこに怯んだ様子はないが彼女もまた難しい顔をした。言葉を探すように、その場に数秒の静寂が流れる。

 

「確かに勝てないかもしれない。でも、私たちは覚悟を持ってこの場に立ってるわ。少しでも可能性があるのなら、竜王国の人が少しでも助かるのなら私は戦いたい」

 

「何故、そこまでできる?」

 

「……応援してくれてる人たちがいるから、かな。それに私にはあの場所に大切なものが沢山あるの。それ以上にね。……だから、もしかしたらこれは私の我儘なのかもしれないわ」

 

 アンジェシカは切なげな表情で頬を小さく掻く。想いを馳せている内に少し気恥しくなってしまったのだろう。

 

 彼女はすっかり沈黙してしまった班長を見てこれ以上何か言うことは難しいと判断したのか、数歩前へと足を進める。元々彼らは竜王国民でもないのだ。戦場では確かに指揮官的な動きを見せているが、責任を押し付けられるような立場ではない。

 

 彼女は長い赤毛を揺らし、前線で戦うガレットの元へ向かうため駆け出そうと足に力を入れた。

 

「待て、待つんだ冒険者」

 

 突然マルセルがアンジェシカを呼び止める。その声色はもういつものものへ戻っていた。

 

「そうだな。ようやく決心がついた。もう逃げるのは止めだ」

 

「……いいの?」

 

 振り返ったアンジェシカは小さく、それでいて驚いたように声を上げる。嬉しさよりも申し訳なさが色濃く見える彼女が再び口を開こうとすると、マルセルは右手でそれを遮り話し始めた。

 

「我々は陽光聖典、人類を守護する者だ。亜人を前にして敗走など有り得ん。そう、そんなことをすっかり失念していた。本当にどうしようもないな」

 

「班長……」

 

 マルセルは自身の首から垂れている十字架を祈るように片手で握る。

 

「すまない。私の気持ちは先の通りだ。お前たちは──まだ戦えるか?」

 

 振り向いたマルセルから声をかけられた陽光聖典の隊員たちは互いに目配せしながらその場に立ち止まった。頭まで白のローブを被っている彼らの表情は分からないものの、その困惑は容易に見て取れる。

 

 これまでに彼らも犠牲者を出さなかった訳ではない。残酷な死は何度も彼らを追い詰め、絶望させようとしてきた。それは今も似たようなものだろう。ただ、それでも彼らがここまで戦い続けられたのは幼少期から培ってきた神への信仰、そして信頼する班長の存在があったためだ。

 

 運命の選択も僅か数秒。隊員たちは当たり前と言わんばかりに強く頷き返した。

 

「勿論です!」

「はい。どうか連れて行ってください」

 

「そうか。よく言ってくれた」

 

 マルセルは目の前に立つ女性へ視線を戻す。

 

「分かったと思うが、これが我々の答えだ」

 

「ありがとう。本当に感謝するわ」

 

「礼はいらん。憎き亜人を殲滅することこそが我々の役目だ。これ以上奴らに好き勝手されては陽光聖典の名が廃ってしまう」

 

 

 口元に微笑を浮かべたマルセルは腰に下げた笛のような形のマジックアイテムを手に持った。それの効果は単純なものであり、簡単に言えば声を大きくする"拡声"の機能がある。

 マルセルは荒野に声を響かせるべく大きく息を吸う。周りにいる全員がそれを見守っていた。そして──

 

 

「一同! これより我々は、反撃を開始する! これ以上奴らを街には近づけさせんぞ!」

 

 反撃への第一声と共に陽光聖典が前へ動いた。決死の防戦──決して勝算の高くはないそれに、身を投じるように。

 

 

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