Moon Light   作:イカーナ

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16.月光

「はぁ……はぁ」

 

 あれから数十分、いや一時間ほどが経過しただろうか。

 すっかり薄闇に慣れてしまったマルセルの視界には弱りつつある前衛の兵士たちと、当初と比べると余裕の無くなりつつあるビーストマンの群れが映っていた。

 

(しかし、まだまだいるな。見積もりが甘かったか)

 

 微かに照らされた黄土色の地面には大量の猛獣たちが倒れている。十数体倒すことさえ困難なそれを相手に、兵士たちが奇跡的な善戦をしたことは確かだった。しかしそれだけ倒しても状況は好転するどころか悪化の一途を辿っていた。

 

「班長! 炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)、半分を切りました。それと……冒険者の中にも前線を離脱する者が出始めています!」

 

「くっ、追加で召喚しろ! 空いた前衛を埋めるような形でだ!」

 

「は、はい!」

 

 部下たちが魔法詠唱の構えに入るのを見ながら、マルセルは歯軋りする。

 マルセルも別に離脱した冒険者に腹を立てている訳ではない。彼らも今の今まで勇敢に戦っていたのだし、負傷して離脱せざるを得なくなった者も多かったからだ。

 

「そう、そうだ。皆命懸けで戦った。なのに……我々はなぜそうまでして勝てない!」

 

 不快感の正体は何も上手くいかないこの状況。そして漂う敗北の気配。人類の守護者として亜人と戦ってきた陽光聖典の班長としては最も屈辱的なものだった。

 

「くそ! 負けられるか。第3位階天使召喚(サモン・エンジェル・3rd)!」

 

 マルセルは倒されてしまった炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を再び召喚するべく魔法を詠唱する。召喚魔法による急激な魔力の消耗により貧血のような感覚に襲われたマルセルだったが、目の前にはすぐに炎の翼を持った白銀の天使が現れた。

 

 マルセルは光の剣を携え、召喚主の指示を待っているそれを見ながら今取るべき行動を思案する──

 

「ぐぁぁ!」

 

 けたたましい叫び声がすぐにその思考を遮った。声の発生源はマルセルの右前方。荒れ地を踏みしだく竜王国兵士の一人からだ。見れば他の兵士より重装に身を包んでおり、銀のクローズドヘルムは彼がそれなりの地位にいることを示している。そんな彼の体は屈強な体つきの武装したビーストマンによって強く殴りつけられたのか、特に大きな衝撃を受けた脚があらぬ方向へと曲がっていた。

 

「まずいな」

 

 武装ビーストマンが拳を振り下ろそうと男に近づいているのを見て、マルセルは召喚した炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を向かわせる。

 剣を前に構えた天使の突進速度は速い。しかし絶妙に距離が遠かった。

 

(これは間に合わないか……)

 

 男へと瞬く間に距離を詰め切った猛獣は、今まさに宙に上げた拳を振り下ろそうとしていた。周りの者たちも目の前の敵に必死であり、とても助けに行けるような状況ではない。

 内心マルセルも諦めかけていると、突如それは聞こえてきた。

 

「武技:疾風加速っ!!!」

 

 目にも留まらぬ速さで、大剣を構えた巨漢が倒れた兵士の前へと割って入ってきていた。

 突然のことに思わず呆気に取られたマルセルだったが、すかさず鳴り響いた轟音にはっとする。

 

「あいつは……」

 

 重厚な大剣を両の手で握る特徴的な茶髪の大男。オリハルコン級の冒険者であるガレットだった。

 咄嗟に駆けつけてきたのか、無茶な態勢で下から攻撃を受けたガレットの腕は小刻みに痙攣していた。大剣にもひび割れが生じている。

 

(天使での援護、いや、こうなると万一にも負けられては困るか)

 

「班長。どちらへ向かわれるのですか?」

 

 マルセルが足を一歩前へ進めると部下である隊員から声がかかった。

 

「冒険者のフォローに回る。お前たちはこのまま天使での攻撃を続けよ。もし魔力が尽きたら残っている治癒薬(ポーション)での治療に当たれ。私は危機を脱し次第戻る」

 

「分かりました」

 

 部下の頷きを確認したマルセルは、天使と共に足早にガレットへと駆け寄っていく。

 

「しかし無茶だな。敵が多すぎる。……雷撃(ライトニング)

 

 マルセルの指先から前衛に押し寄せるビーストマンへとまばゆい光が放たれる。そして

 

「がぁぁ!!」

 

 もがき声と共に獣の体がくの字に折れ曲がり地面に倒れ込む。脳天を貫いたそれは第三位階魔法。それもビーストマンに有効な雷属性のものだ。

 

「んん。威力はでかいがその分消耗もきついな」

 

 マルセルは頭を軽く押さえる。まだ限界には遠いものの、行く手を阻む敵を殲滅するのはやや骨が折れそうだった。

 

 先ほどの雷撃(ライトニング)で僅かに怯んだビーストマンだったが、そんなものもほんの一瞬。すぐに落ち着き……いや、それを上回る"怒り"に支配された猛獣たちが蛮声と共に迫ってくる。その速度は人間のそれより遥かに早く、巨体と鋭い爪から放たれる威圧感は相当なものだ。

 

 マルセルも若干その勢いに気圧されそうになるが、長年亜人と戦い続けてきた経験はマルセルに鋼のような冷静さを与える。

 

「よし、そろそろ出番だ。来い」

 

「?」

 

 マルセルは中空で待機させていた炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)をすかさず急降下させる。当然ビーストマンは反応することができず、頭をその光の剣で貫かれた。天使はそのまま剣を逆手から持ち替え横に薙ぐように振り抜く。そうしてビーストマンは地面に血を撒き散らし倒れた。

 

(ふぅ)

 

 マルセルは心の中で小さくため息をつき、額の汗を拭う。一体ずつならこの通り問題はない。とはいえ前衛の少ない今、マルセルに攻撃が集中した場合、受けきれるかどうかは不安が残る。そのためにも今なお大量のビーストマンを抑えているガレットを一刻も早く援護する必要があった。

 

「ぐごぉぉぉ!」

 

「くそ、今度は三体か。しかし! 私を舐めるなよ」

 

 人間より遥かに身体能力の高いビーストマンだが、それはあくまで物理的な力だけだ。人間にはそれを上回るための知恵や魔法がある。そして陽光聖典はそれを極めた者たち。その班長を任されているマルセルに、目の前で荒息を立てているだけのたかが三体のビーストマン程度相手ではない。

 

「……散れ、雑魚ども。魔法二重化(ツインマジック)衝撃波(ショック・ウェーブ)

 

 第二位階魔法の魔法が炸裂する。それは同じ攻撃魔法である火球(ファイヤーボール)雷撃(ライトニング)等には劣るものの、それでも全身鎧を大きく凹ませることすら容易い威力を持つ。それが二重で放たれるのだ。特定範囲内で複数体に攻撃するのなら、これほど最適な魔法はない。

 

 マルセルの思惑通り、不可視の衝撃波をその身に受けたビーストマンはまとめて後方へと吹き飛んだ。殺傷は出来ていないが当分は動くことすらできないだろう。

 

「天使よ、そのまま着いてこい。さて冒険者は」

 

 マルセルは視線を移動させ、ガレットの生存を確認する。但しその屈強な体からは多くの血が滴っており、震える膝が地に落ちそうになっていた。

 

「おい、冒険者。大丈夫か!」

 

「あんたは、陽光聖典の……ぐぁっ」

 

「無理をするな。くそ、しかし。やはり武装ビーストマンは手強いか。単体で見ればそうでもないと思っていたのだがな」

 

 マルセルは屈んでいた体を起こし、再び戦闘態勢に入る。しかしすぐさまそれを止めるようにマルセルの腕は横から掴まれた。

 

「確かに、あいつは難度にすれば多分60か70そこらか。勝てなくは……ない」

「なんだと? ならば何故」

 

 マルセルから離されたガレットの腕が前方へよろよろと動く。そこには当然武装ビーストマンが居た。ただし──

 

「三体……だと」

 

 マルセルはゴクリと息を飲む。果たして勝てるだろうか、そんな不安がマルセルの頭を掠めた。

 ガレットの言う通りなら単体であれば何の問題もないだろう。なぜなら今までマルセルが経験してきた戦場には稀に難度80を上回る強敵もいたのだから。しかし、今はそれが複数体もいる。既に魔力も消耗してしまっているし、周りには囲むように佇むビーストマン付きだ。

 ガレットを庇いながら戦うのははっきり言って無謀であった。

 

「下がる。そう、一度下がるべきだ。それなら勝てなくはない」

 

 その方がリスクは遥かに低い。

 

「だが、兵士が……それではここに倒れている兵士たちが死んでしまう」

 

「それは……」

 

 マルセルは口篭る。確かにここで下がれば負傷した兵士たちはビーストマンの食糧と化すだろう。治療できればまだ戦えそうな者も少なからず存在する。ただ、大を取り小を切り捨てることも戦場で生き残るには必要不可欠。言わば仕方の無いことだ。

 

 マルセルの心は既に決まっていた。だが、周りの縋るような視線がそれを口に出すことを憚らせる。

 

 その数瞬の迷いが余計だった──

 

「な」

 

 当たり前だが敵は待ってくれるような相手ではない。武装ビーストマンの一体は既に駆け出しており、その巨腕を掲げて距離を詰めてきていた。驚くべきはその速さ。

 

「て、天使よ! 奴を止めろ!」

 

「がぁ!」

 

 咄嗟にマルセルが指示を出すも、金属を叩きつけたような不快な轟音と共に炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)が光の粒子へとその姿を変える。

 

「な、いかん。冒険者! 前だ! 奴が来るぞ」

 

「ぐ……。武技:斬……撃ぃぃ!!」

 

 青白い閃光を放ち、大剣が振り下ろされる。しかし──

 

 ガキン。

 

 小さな金属音が鳴ると呆気なく剣は宙に弾き飛ばされた。支える体力も、構える時間も足りなかったのだ。

 

「馬鹿な」

 

 あまりに唐突で、それでいて一瞬。マルセルはどうしようも無く腕を止めた。そう、既に猛獣はもう片方の腕を振り上げており、がら空きとなったガレットの頭へと狙いを定めていた。避けようのない致命の一撃。

 

 

 

 それが無慈悲にも振り下ろされた。

 

 

 

 途端に凄まじい勢いで土煙が舞い、とてつもない大きさの衝突音が響き渡る。地面を叩いた音ではない。それが意味することは一つだった。

 

「だから、見捨てるべきだったんだ。なぜそうしなかった。くそ……」

 

 マルセルは拳を握りしめる。どっと心の奥底から虚無感が湧き上がり、次に後悔が押し寄せる。しかしそれに呑まれている時間は無い。ここは戦場の最前線なのだから。

 

(隙をついて部下の元へ戻る。もうそれしかない)

 

 ガレットが死に、自身も危機に晒されているのだ。もはや他国の兵士のサポートなどしていられるわけもない。

 マルセルは思考を切り替え、体を翻す──

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 

 土煙が少しずつ落ち着き、その内部が姿を見せ始める。驚くことにマルセルの目に飛び込んできたガレットは頭蓋骨を粉砕はされておらず、尻もちをついているだけだ。

 

 そしてそんな間抜けな体勢の巨漢の前にはもう一つ影があった。

 

 暗闇に溶けそうな灰色のローブで全身を覆う怪しげな人間。視認できるのはその背中とローブの足元付近から僅かに覗いている白の長髪のみ。

 

 あまりに不可解な状況にマルセルが困惑していると、ビーストマンの巨腕を軽々振り払ったその人物が振り返る。

 

「貴方たち、すぐに下がりなさい。あとは私が何とかします」

 

 仮面。

 

 そうその人物は縦長の渦巻きのような奇妙な紋様をした鉛白の仮面を被っていた。その声はくぐもっているが僅かに高いことが分かる。体格的にも女である可能性が高いだろうとマルセルは踏んでいた。ただ、問題なのは話しているその内容だった。聞き間違えでなければそれは冗談だとしても馬鹿馬鹿しいものだ。

 

「それと、負傷者もできる限り回収して頂けると助かります。あと……」

 

「待て!」

 

 焦るよう続ける仮面の女にマルセルは待ったをかける。

 

「まずお前は誰なんだ。見たところ通りすがりの冒険者といったところだろうが……軍を下がらせるなどそんな無理が出来るわけないだろう」

 

「……」

 

「敵はビーストマンの大群なのだ。多少……いや、どれだけ強かろうと一人で相手するなど不可能。先ほどは防御魔法でも使って防いだんだろうがそう甘くは無い。共に戦うというなら……歓迎しなくもないが」

 

 マルセルは怒りを通り越して、口から溜息を漏らした。

 

(とりあえずこれで状況は理解しただろう。そうなれば命の危険を冒してまで加勢は無いか)

 

 マルセルは冷や水をかけられたように冷静さを取り戻すと、当初の予定通りここから退く準備を始める。幸いにも、今はビーストマンの動きも止まっていた。ある種不自然なほどに。

 

(ん?)

 

 マルセルは目の前の武装ビーストマンを見上げた。パッと見ると外傷は無いように見えるものの、その表情は一切動かない。

 

「……こいつ、まさか死んでいるのか? いや馬鹿な。有り得ん」

 

 視界を左右に動かす。他の、近くにいるビーストマン達も同様だった。

 

「あの、少し待ってください。まず私は冒険者ではありません。言うなら──多分貴方たちがよく知る者だと思います」

 

「どういう……」

 

 早くなるマルセルの心臓の鼓動を傍に、左腕によってバっとローブが捲られる。

 

 ローブの中から姿を見せたのは──頭から地面まで伸びた雪のような白い髪。そして見たこともない豪華絢爛な純白の聖衣だった。その身には控えめでありながら極めて巧緻な金の装身具など、数々の装飾品も身に着けている。それに加え、右手には青白く発光する細剣が握られていた。

 

 マルセルは一秒たりとも目が離せない。かつてスレイン法国の神殿で見た、どんな秘宝よりも神々しいそれらから。

 

「もう一度言います。すぐに全員下がってください。いいですね?」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「しかし班長……良かったんですか?」

 

 あれから数分後、戦場の全ての兵が後退を始めたにも関わらず、残っているビーストマン数百体は中央の人物をじっと威嚇するようその場に留まっていた。

 

「賭けるしかないだろう。あの御方に」

 

 マルセルは胸元の十字架を握る。実際のところ、何の被害も無く隊列を持ち直せただけでも結果としては上々である。しかしマルセルの不安はもはや別のところにあった。

 

「動き始めたぞ……」

 

 ちらちらと後ろを振り返りながら後退する兵士たちの一人がそう呟いた。

 マルセルは息を止め、その場で足を止める。他の隊員たちも同様だ。一人が足を止めると隣の者が。そうして、まだ先頭に立つマルセルからビーストマンまで20mも離れていない状況で、この場にいる全員がじっと荒野の中央を見守るような形で停止した。

 あまりに異様な光景だ。

 

 普段ならマルセルもこのような場面で立ち止まることは無い。他の者を叱責し、全力で安全を確保しに行くだろう。しかし今マルセルを支配しているのは『この人物が何者なのか』という思いだけであり、できるだけ遠くに離れるという選択肢ははなから存在していなかった。

 

「班長、ビーストマンが」

「静かにしていろ」

 

 隊員へ振り向くことなくマルセルが数歩前へと移動する。すると、とうとう痺れを切らしたのかビーストマンも動き始めた──

 

 

 

「スキル発動。付与(エンチャント)神炎(ウリエル)

 

 

 

 静寂に支配された夜明けの戦場。前のめりとなったマルセルの耳に微かにその声が届いた。すると瞬く間に透明色を帯びた炎が剣から立ち昇り、超高温の熱波が流れ込んでくる。

 

 マルセル含め、数百人全員が顔を覆い、後退りする。

 とても目を開けられないような熱気。微塵も容赦のないそれを受けつつも、マルセルは半開きにした目で必死にその光景を凝視した。

 

 ──中央に立つのは静謐を湛える女性。その身に纏う純白の衣は薄明かりを反射する月のように煌めいている。

 既に膨れ上がった透明色の炎は刀身の百倍以上の大きさになっており、右手に握られた剣から一直線に伸びている。刻一刻と姿を変えるそれはまるでのたうつ(ドラゴン)のようで、正しく神話の領域だった。

 

 マルセルは確信する。

 

「神……だ。間違いない……。神が、神が降臨為された……!!」

 

 マルセルが震える声でそう呟くとそれを聞いていた陽光聖典の隊員たちも同様に声を上げる。

 

「か、神……。神よっ!」

 

 自然とマルセルの頬に涙が流れ落ちる。他の隊員も嗚咽を堪えきれずにいた。

 もはや頭を上げることさえできない陽光聖典の各員達は一斉に土下座を始める。それだけ神という存在はスレイン法国の者には大きなものだった。

 

 マルセルがそうしているうちに剣は襲い飛びかからんとするビーストマンへ向けられ、一振りされる。たちまち辺りに落ちた木の葉が舞い上がり、人工物の無い荒れ地をランプのように照らす。

 

 そう、たったそれだけで無数のビーストマンの群れとその脅威は跡形も無く灰と化していた。

 

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 

(はぁぁ……)

 

 急激に精神を弛緩させたツクヨミは先ほど適当にアイテムボックスから取り出した仮面を左手で被り直し、右手に握られた愛剣、コンフラクトゥスに目を向けた。スキルによって付与した追加効果はもう存在しておらず、飾り気のない刀身は夜風で冷やされている。

 

「相変わらず燃費悪いんだよね……これ」

 

 ツクヨミは暗い気持ちを抑え、苦笑い気味にそう呟く。ツクヨミのメイン職業、神聖剣士(ホーリー・フェンサー)聖騎士(パラディン)などと同様に純粋な戦士としての火力は低い。ただ、それを補うようにスキルが存在しており、その内の最も基本なものは一時的に神聖属性の一部魔法を物理攻撃に上乗せするというものだ。それだけ聞くと強そうに感じるが、スキル消費に加えMPも消費し、その効力も短時間の一発屋とはっきり言ってしまえばロマン寄りの性能である。

 

「ふぅ」

 

 ツクヨミはビルドのあれこれを思い出しながら剣を腰に戻し、行動を開始する。

 

 まずアイテムボックス内の無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)から移動中に用意していたアイテムを取り出す。右手へと移動したのは青白い巨大な水晶。その名を魔封じの水晶といい、魔法を予め込めることで一度のみ使用できるというユグドラシルのアイテムである。

 

 ツクヨミは数秒水晶を眺めると、後ろを振り向くことなくそれを宙に掲げた。既定の使用方法に従いクリスタルが破壊され、すぐに極光が辺りを包み込む。

 

「出でよ、寂静の智天使(ケルビム・トランクイリティ)

 

 封じられていた第九位階天使召喚(サモン・エンジェル・9th)の魔法により、地上に光り輝く巨大な天使が降臨する。合計四枚の翼を持つその天使の顔は人間のものと似ており、鎧から伸びる両腕は機械のようだ。そんな異様な外見であるものの、その神聖さは一目で理解できるものであり、その光を受けた荒れ地からは新たな生命が芽吹いていた。

 

「このミスマッチさがあの運営らしいというか、まぁ今はいいか。じゃあそう……ですね。後ろの方々に治癒魔法をお願いできますか? すぐに」

 

 この世界では容易に都市を破壊し尽くせるであろう超級の天使もツクヨミからすれば大した存在ではない。指示を受けた寂静の智天使(ケルビム・トランクイリティ)は小さく小首を傾げ、念話を返す。

 

「ええ、MPは幾ら使っても構いません。ただ蘇生は」

 

 後半は小声で、苦し気に首を横に振る。

 

 天使が魔法詠唱へと移行するのを確認したツクヨミはようやく大衆へと振り返った。そこには呆然と口を半開きにする兵士、土下座し嗚咽を上げている怪しげな白ローブの集団、杖を地面に落とした魔法詠唱者(マジック・キャスター)等、様々な様相の人々が立っていた。

 そしてツクヨミは発見する。傷だらけになりながらもこちらを向いている、この世界での家族とも言える同僚たちを。

 

 ツクヨミは走りだしたくなる気持ちを抑えそっと視線を外す。そうして竜王国首都の方向へと歩みを始めた。

 

 当然のことながら今、ツクヨミは他プレイヤーの存在を心配していた。いやそれだけではない。この世界にもプレイヤーである自分の脅威となるような存在がいるのではないか、そう考えていた。

 天使を召喚したのも治療のためだけでなくそのような存在がいないか監視、そして消滅まであわよくば"網"になってもらうためだ。そのため彼らがツクヨミの正体に気付いていようと気付いていまいとこれ以上近づくことはできない。そこにはもう多くの壁ができてしまったのだから。

 

「(いないと思いたいけどな、三カ月何も無かった訳だし。でもまぁ、一度お別れか。……寂しいな)」

 

 体から息を吐きツクヨミは空を見上げる。

 

 新たな一日が始まるように、いつの間にか空も白み始めていた。




これにて第一章はおしまいです。後半は少し説明フェイズとなりました。
次話は幕間となります。
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