17.閑話~追憶
アンデッドの蔓延るカッツェ平野から無事にスレイン法国へと移動を果たしたあの初日から、ちょうど一週間ほどが経過した日のこと。
スレイン法国所属の軍から正式に仕事を貰ったツクヨミは今日もいつもと変わらず施設内の掃除に勤しんでいた。
軍事施設には兵舎の他にも、武器や防具、マジックアイテムから食料まで様々な軍需物資の集まる倉庫や大元帥管轄の司令部、専用の鍛冶場などまで存在している。当然、日も浅いツクヨミが立ち寄れるのはその中でもごく一部であり、現在も掃除を行っている部屋は特に珍しい物もない蒸し暑い部屋だ。
無地の制服に着替えを済ませているツクヨミは両手に持った木製の箒を器用に動かしながら、床に溜まった埃どもを一掃していく。異世界にまで来て何て地味なことをしているのか、そう言われるかもしれないがツクヨミはそれなりにこの仕事を気に入っていた。それはリアルでの社会があまりに酷かったこともあるだろうし、ツクヨミの人生において人と関わり、誰かの役に立つということが極端に少なかったことも関係している。
部屋の角に置いていた塵取りで埃を除去したツクヨミはその後も手際よく水拭き、物の整理を行っていく。小さな部屋でありながら本棚から落ちた本がそのままにされている状況を見て、『誰もこの部屋使ってないのでは?』とツクヨミは掃除の必要性を懐疑する。まぁ、仕事だからと割り切ってしまえばそれまでであり、作業をしていた方が考えることも少なく済むのでツクヨミからすればどうでもいいことではあるのだが。
そんなこんなで15分弱。途中鼻歌を挟みながら行われた掃除は無事終了する。目立って早い訳ではないが、蜘蛛の巣さえ張っていた汚れ切った部屋をその面影なく綺麗にしていると考えると、それは尋常でない仕事量である。
「ふう。よし、この部屋もおしまいと。……時間的に今日もこれで終わりかな」
窓から差す爽やかな日の光を受けながら、ツクヨミは額の汗を拭うよう腕を動かす。それはリアルでの人間としての癖のようなもので、実際のツクヨミの体からは汗一つ流れていない。今が冬の時期だからという訳でなく、単にLV100の身体がこの程度の運動で疲れ、熱を持つことはないためだ。
ここに来てから何回目かのその気付きにツクヨミは手をさっと下ろす。
(これも気を付けないといけないか……)
今回のようなものは言ってしまえば些細なものであり、それだけで他人が疑問を持つことは稀だろう。しかし実際のところ、その人間離れした力がもたらす日常への弊害はこんなものではない。それはうっかりで人すら殺しかねないほどのものだ。そのためツクヨミも感覚の違いに関してはそれ相応の注意を常日頃行っている。
ツクヨミは手元に掃除用具を束ねると、帰り支度をするため部屋のドアに手をかける。光沢感あるドアノブが微かに音を鳴らすと目の前には立派な石造りの廊下が姿を見せた。ちなみにここも既に掃除済みであるのでピカピカである。
ツクヨミは初日に比べれば慣れてきたこの廊下を軽い足取りで進んでいく──
「あら?」
ツクヨミが広間へ向かっていると廊下の先から見慣れた人物が歩いてきていた。
「お疲れ様です、ツクヨミさん。定時なので一応声を掛けに来ましたが、その様子だと大丈夫そうですね」
短い金髪に生真面目そうな顔立ちの若い兵士は優しげな表情で口を開く。彼の名はイーヴォン・リット・ルーイン。転移したツクヨミがこの世界で出会った最初の人物である。身寄りのないツクヨミに気を遣ってか、はたまた隊長であるカールに言われているからかは分からないものの、こうして度々声を掛けてくれる彼はツクヨミの最も親しい人物であった。
「ルーインさん、お忙しいところありがとうございます。もしかしてわざわざ探して貰ったんでしょうか。それなら申し訳ないです」
ツクヨミが掃除している部屋の前には作業中であることを示す小さな看板が立ててはある。ただそれでも兵舎はそれなりの広さがあるため、人を探すなら多大な労力を必要とする。
その容易に想像できる大変さにツクヨミが縮こまっていると、ルーインは首を軽く掻きながら笑顔を返した。
「いえいえ、私の班も丁度訓練が終わったところでして。私も暇してたので大丈夫ですよ。それよりどうです? 法国での生活は」
逸れるようツクヨミの横に移動したルーインは、歩きながら話題を切り替える。
「少しずつですが慣れてはきました。ただ、まだ分からないことだらけではありますね」
「まぁそうですよね。その、分からないことがあれば何でも聞いてくれて構いませんよ。私もツクヨミさんの力に少しでもなれればと思いますし」
「そう言って貰えてありがたい限りです。……あのそれでしたら、もし良ければ後で話せませんか?」
半ば振り絞るようツクヨミはそれを口にする。元々ツクヨミは昔から人と一定の距離を置いてしまうタイプだったため、こういった会話は不慣れ中の不慣れであった。ユグドラシル時代では誘う機会さえ無かったことも、それに拍車をかけている。
ルーインが考える素振りを見せると、ツクヨミの心臓がとくんと小さく跳ねる。だが、それもすぐに杞憂に終わる。
「勿論です。ただ、今日は昼過ぎから西の地区に用があるんですよね。丁度街の方なので、ツクヨミさんが良ければ歩きながら話しませんか?」
「はい! お願いします」
ツクヨミは心の中でそっと胸をなでおろす。長いようで一瞬だった廊下はもう終わりを見せており、その先には昼を迎えようとする軍人たちが、忙しなく広間を行き交っていた。
〜〜〜〜
太陽が神都を暖かな光で照らす中、ツクヨミとルーインは街の通りを一直線に進んでいた。既にツクヨミは制服から私服である白を基調とした衣服へと着替えを済ませており、その肩には寒さ対策のケープを羽織っている。
対して隣を歩くルーインは制服姿のままで、巡回の任務ではないのか腰に武器などは見当たらない。それは比較的に平和である法国ではさほど珍しい姿ではない。しかし、そんな身軽さとは反対にルーインの表情は疲れ果てたものだ。そこに先ほどの元気な面影は微塵も感じられない。
「流石と言いますか……、私もツクヨミさんの人気っぷりを甘く見ていたかもしれませんね。広間を抜けるのにこれほど苦労したのは初めてですよ」
ルーインは項垂れつつも、はははと笑う。
先ほど広間に到着したツクヨミは昼休憩に入った兵士、いやそれ以外もいたかもしれない──に囲まれた。隣にルーインがいたことも原因の一つだろう。彼らの動きは訓練でも見せることのない俊敏なもので、普段は鋭い気配を漂わせている兵士が濁流の如く押し寄せてくる様はホラーといってもよかった。
予期せぬ足止めを食らったツクヨミは状況を脱するのにそれはそれは苦労したのだった。
「ま、まぁ偶々でしょう。それに何とか出てこれましたし……ね?」
「ええ。それにまぁ、お祭りみたいで少し面白かったです。普段はああいう姿も見れませんからね」
多少は調子を戻したルーインを横目で見ながら、ツクヨミは心地の良い冬の風を肌に感じる。
(祭り、か……)
深刻な環境汚染で外に出ることも危険だったリアルでは当然祭りなど存在せず、ツクヨミも歴史の本に書かれていたものや、ゲーム内で開催されていたそれに関する知識しか持ち合わせていない。未だ印象に残っているのは街に赤い提灯をたくさんぶら下げることと、中には魚を掬うイベントがあるといったものくらいだ。
「法国でも祭りとかってあるんでしょうか?」
「はい。たまーにですけどね。今年は六大神が降臨為されてから五百年目の年だったので大きなものが開催されましたよ。祭りと言っても静かなものではありますけどね──」
「なるほど……」
ツクヨミは意外だと思いつつルーインの話を聞く。普段の信仰ぶりからするとそのような特別な年に祝い事があるのは別に変なことでもなく、自然だと思える。しかしながら、いつも静かである法国の人間とツクヨミのイメージする祭りの様相はいまいち合致しない。
(まだ知らない色んな顔があるんだろうな)
法国に来てからまだ一週間であるので、寧ろ彼らについて知っている点の方が少ないだろう。
ツクヨミは当たり前でありながら、それでいて見落としがちなそれについて考えを改めると、もう一つ、話の中で気になっていた点を口にする。
「ちょうど五百年目なんですか? 六大神が、その降臨されてから」
「? ええ。そういうことになってます。皆が間違っていなければですが……」
予想外の確認を受けたからか顔にハテナの字を張り付けるルーイン。ツクヨミはそんな彼を他所に顎に手を当て考える。
500年前、超常の力で一からスレイン法国を建国したという六大神。同じく400年前、その絶大なる力でこの世界を支配したと伝えられている八欲王。そして彼らが遺したとされるユグドラシルに存在したアイテムの数々。
図書館にある文献の内容を見てみても彼らがプレイヤーであることはほぼ間違いないと言える。そう、そこまではおおよそ予想できるものだった。
(今回の話が本当ならプレイヤーの出現にはきっちり百年の周期が存在している?)
ツクヨミは新たに生まれた可能性について思案する。それは年数でみれば誰でも思いつきそうなもの。しかし、正確な根拠となるのは現状六大神とツクヨミの出現時期のみであって、八欲王に関しては多少ずれている可能性も無くは無いだろう。しかも300年、200年、100年前に関しては不明である。
そもそも600年以前の転移もあったのか、もしそうだとすれば見つかっていないだけでプレイヤーは沢山いるのか。その問いは、プレイヤーとの関わりの薄いツクヨミにとって面倒事の山に他ならない。
「あぁ……頭痛が痛い」
「ん、何か言いましたか?」
なんでもないです、とツクヨミは両手をぶんぶんと振り、それから心の中で小さな咳ばらいをする。迷宮に入り込んでしまった思考を切り替えるためだ。
すっかり会話の流れをぶった切ってしまったツクヨミは何か話せそうなことを見つけるため、頭を左右に動かす。
ツクヨミの視界に映るのは平和で、美しく、静かな法国の風景。先ほどより人気も増え、立ち並ぶ店の前を人々がゆったりと進んでいる。店は雑貨店、食料品店、野菜売り場、玩具販売店や武器らしきものを売っているものまで様々だ。
……。
「あ」
見ているだけで落ち着けそうな、そんな長閑な光景にも関わらず、ツクヨミはその既視感に嫌な予感を覚え、体を震わせた。
「どうかしましたか?」
ルーインが若干心配そうに声をかけてくる。ツクヨミはそんなルーインへゆっくりと振り向くと息を吸ってから口を開く。
「すみません。少し道を変えたいなと思いまして……」
「特に目立ったものはなさそうですが……。ツクヨミさんがそう仰るなら大丈夫ですよ!」
ツクヨミは機転を利かせてくれたルーインに頭を下げると、いそいそと賑やかな街路を後にしようとした──
「ミ……ゃん」
突然、近くから誰かの声が聞こえてきた。聞き覚えのあるような低い声だ。ツクヨミはその脅威となる気配を察し、息を飲む。──すかさず、隣にあるレンガ造りの建物の扉が勢いよく開かれた。
少し暗い店内から風が漏れるような錯覚を受けると、中からそれは飛び出した。
何かが走ってくる。
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──
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「ツクヨミちゃあぁぁぁああぁぁぁん!」
「ぬわぁぁぁ」
電光石火の如く走ってきたのはガタイのいい金髪の大男でその整った顔には口紅が塗られている。その気迫に後れを取ってしまったツクヨミは、オネエに抱えられたまま地面に倒れ込んだ。
そんなツクヨミを心配して声をかけるルーイン。
スレイン法国は今日も平和だ。