Moon Light   作:イカーナ

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22.交錯する意志

 バハルス帝国。

 アゼルリシア山脈を隔てた、リ・エスティーゼ王国の東に位置するこの国は100年前の魔神戦争の後に生まれた比較的新しい人間国家である。

 

 その規模は近隣の国家の中でも巨大であり、同時期に誕生したリ・エスティーゼ王国に人口は劣っているものの、国力という面では引けを取らないかそれ以上であるとさえ言われている。

 

 そんな帝国国土の西に位置するのは首都である帝都アーウィンタール。

 帝国の心臓部であるこの都市には、国の発展に必要不可欠な研究機関や各種行政を司る建物など重要な施設が数多く集まっている。

 

 中でもその中心にそびえる皇城は帝国で最も重要な場所だと言えるだろう。国の方針を決定し執り行うその場所では、国家の運命を左右するような選択が年百年中行われている──

 

 

 ────

 

 

「ついていると言うべきか、ついていないと言うべきか……」

 

 高級な赤の寝椅子に腰掛け、金の装身具で飾られた頭を両手で支えるようにして唸っているのは帝国の若き皇帝、アルフリッド・ルーン・ファーロード・シル・エル=ニクスだ。

 

 現在アルフリッドは自らの居城であるこの城の皇帝執務室にて、信頼できる部下より報告を受けながら会議を行っている。

 

 その内容は他国の情勢に関するもの。普段は帝国をより発展させるための話し合いに時間が割かれているため、たまに行われるこのような会議では特に厄介ごとが持ち込まれることが多い。

 

 中でも今回のそれは今までと比較にならないくらいの大事であった。

 

 頭を抱えたくなる気持ちでアルフリッドが力なくソファに持たれ掛かっていると、すぐに横から声が掛かる。

 

「まさか、王国の事件に続いてこのようなことが起こるとは……。私も信じられません」

 

 そう返答するのは、銘木を素材とした小さな椅子の上に窮屈そうに座る壮年の男。帝国軍の最高責任者である大将軍だ。

 

 黒の全身鎧に身を包み、肩から赤銅色のマントを羽織る冷酷な戦場の指揮官も今は困惑の表情を晒している。帝国の今後を心配しているのかその口調は重い。

 

 いや、見渡せばこの執務室にいる人間の大体がそのような雰囲気の中にあった。悲嘆しているわけではないが、その雲行きの怪しさは机に散乱した書類を見ても察することができる。

 

「王国の……ズーラーノーンの件を聞いた時は苦笑いを浮かべたものだが、あれも今となっては些事だったか」

 

 アルフリッドは皮肉気に笑う。

 帝国は目下のライバルである王国へ諜報員を送り込んでいるため、数週間前に起きた事件の全貌も粗方把握している。

 

 その内容から察することのできる王国の低迷具合は呆れてしまうほどのもので、成長中の帝国からしてみれば同規模の国の失速はまさしく追い風であった。

 

 加えて国王であるウィリアム・シャル・ボーン・デル・レンテスは子供にも恵まれておらず、後継者の取り決めもまだ上手く行っていない状況だ。代替わりをスムーズな期間に終え、既に三年が経過している帝国とはこれまた大きな差が生じている。

 

 そう──最近はそういった理由が積み重なり、帝国は大きく勢い付いていた。それはこんなご時世であるにも関わらず、腐敗を理由に王国を併合してしまおうという話が帝国大貴族から挙がるほど。

 

 無論そんな浅はかな考えは既に一蹴してしまったのだが、アルフリッド自身慢心していた部分もあっただろう。

 

 今になって思えば、一連の流れも小さな予兆の一つに過ぎなかったのにだ。

 

 

「一応、もう一度だけ確認する。先ほどの──神が現れたという報告に誤りはないな?」

 

 

 アルフリッドは未だに信じられないその内容を、左右開きの重厚な扉の前に立つ皇室護兵団(ロイヤル・ガード)へ聞き返す。しかし、返ってくるのは先ほどと同様のものだった。

 

「はっ。竜王国に向かった近場の間者の連絡によりますと、ビーストマン侵攻が解決したこと。その際に神らしき人物が現れたことは間違いないようです。伝言(メッセージ)の内容のためそれ自体の信憑性は薄いですが、確かに法国が新たな馬車を出している情報など平野の砦からも報告が挙がっています」

 

「……なるほど。確か事件から三、四日は経っていたな?」

 

「はい。正確には把握しておりませんが」

 

 アルフリッドは視線を外し、額に手を当てながら考える。

 

 神が現れたというのが本当なら、それはもう王国などに構っている場合ではない。世界情勢は瞬く間に動くことになるだろうし、その影響は既に周辺国家にも出始めているはずだ。

 

 竜王国はまさにその典型。その恩恵を最初に受けたとなると、弱小国家から一転、強国にのし上がる可能性も十分に考えられる。

 

 かといって今から同じように接触しに行くことは困難だろう。なぜならスレイン法国は神を待ち詫びていた背景があるために、恐らくその馬車とやらで件の人物を迎えに行っているはずだ。

 

 現状法国を殴れる人間国家などあるはずもないため、それを阻止するのは不可能。あの評議国でさえ、今は盟約で縛られているのだから。

 

「やはり伝言(メッセージ)というのがネックだな。何をしようにも情報が不確かではかなわん」

 

「でしたら陛下、何卒私をお使いください。飛行(フライ)転移(テレポーテーション)の魔法でなら直ぐに飛んでいき、事実を確認できましょう。それに私の"目"であればその力量も同時に測ることができますぞ!」

 

 すぐに対面から言葉が返ってきた。アルフリッドがそちらに目を向けると、そこには象牙色のローブと複数の水晶の繋がった巨大なネックレスを身に着けた白髪の老人が寝椅子の上に腰掛けていた。

 

 

 老人の名はフールーダ・パラダイン。帝国最強・最高の大魔法詠唱者にして主席宮廷魔術師である。

 

 

 その実力は大陸でも有数と言われる"第六位階魔法の行使者"であることからも窺い知ることができ、三重魔法詠唱者(トライアッド)の異名は周辺諸国に轟き渡っている。

 

 そんな化け物であるフールーダはもう百年以上の時を生きているらしく、祖父の代から皇帝に仕えている帝国の右腕のような存在なのだが──ここ最近は魔法省に入り浸りほとんど姿を見せていなかった。

 

 そのこともあり、アルフリッドはこの老人に度々不信感を募らせている。もっとも元々の信頼も大きいのだが。

 

「確かに悪くない考えではありそうだが……。竜王国内に要人を行かせるのは後々面倒になりそうな気がしてな」

 

「なるほど……。では国境の湖近辺まで魔法で移動し、そこから情報魔法で調査を行うのはいかかでしょう?」

 

「ほう、そんなことまで可能なのか?」

 

 魔法の見識自体はそれほど広くないアルフリッドは驚きに声を変える。

 

「情報魔法とはその名の通り、情報を得るための魔法。その用途は多岐に渡り地中を見る魔法は言わずもがな魔法的視力強化も──」

 

「あー、すまない。そういう話は後にして、今は実現可能か教えてくれ」

 

「申し訳ございません。できるか、できないかで言えば可能でしょう。移動より少々時間がかかるかもしれませんが……もし行かせて下さるのなら、全力を尽くすことを約束致します!!」

 

「あ、あぁ。そうか」

 

 普段の教師然とした態度とは明らかに違う熱の籠ったフールーダの進言を受け、アルフリッドもまたそのメリットについて熟考する。

 

 まず、フールーダを現地まで送ることはそれほど難しいことではない。

 

 帝国は王国と同様に封建国家である都合上、重要な決定などは大貴族なども交えて話し合わなければならないが、それでもやはり皇帝の権力というのは大きく、この程度の判断にいちいち議会を通す必要はない。

 

 今回が緊急という側面を孕んでいるのもそれを後押しする。しかし、それは同時に皇帝が責任を負うということでもあるのだ。

 

(まぁ流石に行って帰ってくるだけだ。日数がそれほど掛かる訳でもないし、リスクは低いだろう。いざという時は呼び戻せばいいしな)

 

 反してそのメリットは大きいと言える。

 

 まず主席宮廷魔術師の口伝えという信頼性の高さ。そして……それを得られる早さ。何より、フールーダの生まれながらの異能(タレント)によって神とやらのおおよその実力──言わば今後の立ち回りを大きく左右するであろう追加情報までが得られる可能性もあるのだ。

 

 法国内に入られてからの情報収集が難しいことを考えれば、今回の機会を逃すのはあまりに惜しい。

 

「よし分かった。ではフールーダ、今回の見極めはお前に託そうと思う。最悪見つからなければ実際に目撃した帝国の人間から話を聞いて来てくれるだけでもいい」

 

「ありがとうございますっ!!」

 

 少し気が立っているように見える老人は深々と頭を下げる。アルフリッドはそれを気にしつつ釘を刺すように続けた。

 

「今回の真の目的はあくまで神が本当に現れたかの確認だ。帝国として大々的に接触するにはまだ早いだろう。そこは慎重に頼むぞ? フールーダよ」

 

「ははぁ! 勿論でございます、陛下」

 

 それを聞いていた大将軍もまた頷く。立ち上がり執務室を後にするフールーダと皇室護兵団(ロイヤル・ガード)

 

 アルフリッドは再び机に目を落とすと、散らばった書類の整理を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

「そうなのだ……ツクヨミ殿。分かってくれるか」

 

「えぇ。まぁ私なんてドラクシス様と比べればまだまだですけどね……」

 

 雨上がりの空の下、燦々たる陽光に照らされた王族用馬車の内部では、二名の女性が話をしていた。

 

 一人はドラクシス・オーリウクルス。言わずと知れた竜王国の現女王である。その多忙っぷりは周辺諸国の人間(竜)の中でもトップクラスであり、今も仕事中と言えば仕事中である。

 

 そしてもう一人はツクヨミ。いつの間にか一般人から神に昇格していた彼女もまた心労の絶えない人間だ。

 

 そんな忙しい王様、神様の二名は室内の柔らかな長椅子の上へ(はす)向かいになるよう座っている。初日はぎこちなかった彼女らも数日の会食などを経て、少しは打ち解けている様子だ。

 

 政治的視点がないとは言い切れないが、置かれている状況の似ている二人は同性ということもあり共通の悩みを吐露している。

 

「ここまで忙しいと何もできなくてな。私もそろそろ結婚を考えなくてはならない年なのだが、相手さえ見つかっていないのが正直な所だ」

 

 世継ぎの問題というのは王にとって重要である。それは寿命の長い、竜の血交じりのドラクシスにとっても例外ではない。にも関わらず、相当な美貌の持ち主である彼女が孤独に苛まれているのは間違いなくビーストマンのせいだろう。

 

「それは辛いですね。私も長いこと独り身だったので少し分かりますよ」

 

 ツクヨミが何処か遠い目をしていると、顔にハテナを張り付けたドラクシスが疑問を投げかける。

 

「ん、ということは……ツクヨミ殿は既に結婚為されていたか?」

 

「あ、いや。違います違います! 今も未婚ですよ。先のは言葉の綾と言いますか……」

 

 あたふたしているツクヨミが少し可笑しかったのかドラクシスは微笑みながら呟く。

 

「まぁツクヨミ殿の見た目なら言い寄ってくる男はごまんといるだろう。いや、逆に少ないのか?」

 

 危機に瀕している種族であるからか、この世界で恋愛や結婚を行う人の数は存外多い。それは16歳ほどで成人と見なされることからも察することが出来るだろう。

 そういった背景もあってか、男性も女性と関係を持つことに関しては積極的であると言える。それこそ金を払ってでも。

 

 しかしそれもあくまで一般的な話であり、絶世の美女と呼ばれるような者や一国の女王など明らかに格が高い人物に対してはその熱も尻すぼみとなっていく。何とも不思議な話であるが、身分社会の弊害であった。

 

 

 その後も車内ではゆったりとした会話が続いていた。そうしているうちに、いつしかガタンと馬車が停車する。

 

 

「女王陛下、そしてツクヨミ様。北の門へ無事到着いたしました」

 

「うむ、分かった」

 

 執事のような高級な衣装に身を包んだ専用の御者へドラクシスが返事をする。それを確認したツクヨミもまた、ドラクシスの顔に目を向け頷くとその身体を起こす。

 

「仮面は被らなくても大丈夫なのか?」

 

「はい。やはりこちらの方がすっきりしていますから……」

 

 その言葉にどんな思いがあったのかは分からない。しかしツクヨミの飾り気ない笑顔を見たドラクシスは何かを感じたのか穏やかな表情を浮かべながら『そうだな』と頷いた。

 

 降りやすいようエスコートする御者の横をドラクシスが、そして最後にツクヨミが通り抜ける。

 

 

 

 ・

 

 

 

 ツクヨミはすっかり水の乾いた路地へと降り立つと、辺りを確認するため首を動かす。目に入る者の中に一般の住民は居ない。そのことから、どうやらこの場所は人払いの行われた後であるということが分かる。

 

 ツクヨミはふぅと足を前へと動かすと、門の正面を見据えた。

 

 そこには住民の代わりとなるように佇む陽光聖典隊員たちの姿があった。視界いっぱいに映る五十名を軽く超えるであろう陽光聖典の総勢は揃って片膝をつき、神の到着を待つように頭を下げている。

 

(寒くなかったのかな……)

 

 先程まで雨の降っていた冬の中、ローブ姿でピクリとも動かない彼らを心配しながら、ツクヨミは声を発する。

 

「顔をお上げください」

 

 辺りに声が響くと、訓練されたようにばっとタイミングよく顔が上がる。と同時に驚きの声が挙がった。

 

「ツ、ツクヨミ様……! そ、その尊い御顔は……」

 

 中央に位置する陽光聖典隊長が目尻に涙を浮かべながら尋ねてきた。数日前に本隊とも顔合わせ自体は済ませていたため、それほど反応は大きくないかと思っていたが……どうやら甘かったようだ。見るとマルセルらも体を震わせ、目から一筋の涙を流している。

 

 ツクヨミは何と言ったものかと、脳内で思考した後に返答する。

 

「仮面は外すことにしました。ですのでこれが、一応私の素顔となります」

 

 難しい理由や厳かな言い回しである必要は感じなかったためにツクヨミは事実だけを伝える。後ろに立つ竜王国女王への配慮も少なからず頭の片隅にあっただろう。

 

「我々程度の者にその麗しき真の容貌をお見せ下さるとは、なんたる慈悲深さ……。その深遠なるご配慮に心より感謝いたします」

 

 法国の彼らはその容姿を賛美するように空を仰ぐ。そこまでされると流石に少し気恥しくなってくるというものだ。

 

 ツクヨミが顔に伸びそうな手を抑えていると、使命を思い出したであろう彼らは動き始める。

 

「さてツクヨミ様。既にお聞き及びのこととは存じますが門の先には光の神官長、そして大元帥がおられます。どうか我らに恩寵をお与え下さい」

 

 ツクヨミがここに来る前にも告げられていた内容を、陽光聖典隊長より聞かされる。それはスレイン法国からの迎えに他ならない。

 

 陽光聖典の各員は機敏な動きで門の前から退くように整列していく。東の門より堅牢さでは劣りそうだが見栄えという点ではそれ以上であるよう感じられる、両端に巨大な石柱を構えた門が姿を見せる。

 

 ツクヨミはこの門の先はきっと別世界に繋がっていることを察していた。

 

 元の場所へ帰るようで、全く違う場所に旅立つような──何とも言えない不思議な感覚だ。しかしもう迷いはない。

 

「承知いたしました」

 

 そう言ってツクヨミが一歩前へ進もうとすると、後ろから声が掛かる。

 

「ツクヨミ殿……健闘を祈る!」

 

「こちらこそ。またお会いしましょう」

 

 わざわざ見送りにまで来てくれたドラクシスにそう言うと、今度こそ北門を抜けるべく歩みを進めていった。

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 同刻、光の神官長は歓喜にその身を震わせていた。その両膝は地面に落とされ、長いこと跪くような姿勢となっている。もしそうしていなければ、きっと足をがたがたと揺らすことになっていただろう。

 

 それはきっと隣で同様の姿勢を取り続けている大元帥も似たようなものだ。

 

 光の神官長はざっと周囲を見渡す。

 

 北の門からはまだ待っている存在は現れていない。そのことに落胆し、同時に安堵する。石橋の横には並ぶように"法国の切り札"達が五名、二・三に分かれるようにして片膝を突き、神の帰りを心待ちにしていた。

 

 彼らは言わずと知れた『漆黒聖典』。その内訳は隊長である第一席次、宝玉を操る第三席次、回復を司る第四席次、純戦士である第六席次、防御に特化した第八席次となる。

 

 そんな役で分けられた漆黒聖典の面々は殆どスレイン法国の外に出されることは無い。

 

 それが今回動員されているのは軍、そして陽光聖典が既に国外へ出ていたため神官長らの護衛となる人材が不足していたため。もう一つは神にそれ相応の敬意をお見せするためだ。こちらが比重としては大きいだろう。

 

(しかし我らは何と幸運なのか。竜王国に派遣したのが別の部隊であったなら、きっとこの場には参加できなかっただろうな)

 

 光の神官長は前の神官長会議を思い出す。あの知らせの後は本当に狂喜乱舞であった。全員が号泣し、我こそがと立ち上がり、現地へ赴こうとしていたのだ。

 

 しかし、いかに優れた法国と言えど国のトップが一斉に他国にその足を運ぶのは危険極まりない。そのため余力は残しつつ、最大限の敬意を払って、今回の最高責任者である二人が神に相応しき馬車をこの場まで運んで来たのだ。

 

 最速最高の馬、八本馬(スレイプニール)を七頭も所有していたのはこれまた幸いだった。普通の馬などでは神を随分と待たせる羽目になっただろうことが容易に想像できる。

 

(いや、もしかするとその考えこそが傲慢だったのではないか。神がもっと素晴らしい移動手段を持っているということも十分考えられる……。何ということだ……!)

 

 今更そんな考えのよぎってしまった光の神官長はその頭を抱えたくなる。そもそも余計なことだと、跳ね除けられることもあり得るのだ。そんなことになれば耐えられるか分からない。

 

 

 しかし──そんな考えもすぐに吹き飛ばされる。

 

「っ!!」

 

「なんという……」

 

 神……つまり部下から聞いていたツクヨミなる御方が、現れていた。

 

 門の先から迫ってくるその姿は想像を絶するほどに神々しかった。身に纏う光の全てを結集したような装備の数々は神殿で保管されている宝を遥かに上回る輝きを放っており、背中に浮かぶ光臨はまさに神の威光を体現していた。

 

 そのあまりに素晴らしい光景に自然と涙が溢れ出る。濁流の如く押し寄せる感情の波は口から嗚咽を漏らさせた。しかし神の御前であるため、それを必死に押し込める。

 

 徐々に近づいてくる女神。その顔もまた、完璧というのが相応しい造形だった。

 

 そんな非の打ち所がない絶対者を前にして、漆黒聖典の面々も同様に息を飲む──。

 ツクヨミはそんな漆黒聖典の手前で足を止めると、視線をぐるりと動かした。

 

「お忙しいところご足労頂き恐れ入ります」

 

 豪勢な馬車の前でひれ伏す光の神官長らへと、ツクヨミは挨拶を行う。

 

 光の神官長は自身にその視線が向けられていることに畏れ多さを感じながらも、どうしようもなく歓喜する喉を震わせる。

 

「とんでもございません。六大神に代わり人類を守護して来た者の一人として、神の御姿をこの目で拝むことが出来るのは何よりの喜び。我々一同、神のご慈悲に深く感謝申し上げます」

 

「どうか頭をお上げください」

 

 神官長は地面にこすりつけていた額を上げる。神と話しているという事実にこれ以上ない幸福を感じるが、酔い痴れている場合ではない。これは法国の──人類の命運さえ左右する会話なのだから。

 

「既に話は伺っております。これから皆様は法国へ移動されるのですね?」

 

「はっ! その手筈となっております……」

 

 いつしか喜びと同じくらいの恐怖が足音を立て迫ってきていた。

 それは拒絶という名の恐怖。この流れでそれはないと言い聞かせつつも、もしかしたらという思いは拭えない。最も彼らにとって耐え難く、もしそれを聞かされれば瞬く間に絶望し、自害するだろうと思える言葉。

 

 それを回避するため光の神官長は必死に頭を動かす。何を言うのが正しいか。不快を抱かれないか。それだけを考えて。

 

「神よ。このまま我々と、法国の神殿へお越しいただくことは可能でしょうか……? 拙いものかもしれませんが、馬車は精一杯の物を用意させて頂きました。勝手な願いであることは承知しております。しかし何卒、何卒、人の未来のためお願い申し上げます……」

 

「私からもお願いいたします。陰から見守っていてくださった神の温かさを、どうか、人類にお与え下さい」

 

 大元帥も続けて発言した。

 それを聞いたツクヨミは驚いたような表情をした後、どこか困惑している様子を見せる。捲し立てるような感じになってしまったのは不味かっただろうか。

 

 そのような思いを頭に浮かばせた光の神官長は額に汗を垂らす。冬の風に当てられた冷たいものだ。

 

 それから少しずつ足音が二人に近づいていった。心臓の鼓動が鳴り響く中、近くで音が止む──

 

「え、ええ。勿論です。寧ろそのつもりで来たのですから」

 

 それを聞き、光の神官長はそっと胸を撫で下ろそうとしたがすぐに言葉が続いた。

 

「しかし、一つだけ伝えておかなければならないことがあります。それは皆様の掲げる理念と私の理念に少々の違いがあるということです」

 

「それは……。どういった違いがあるのでしょうか……」

 

 光の神官長が恐る恐るといった具合に聞き返すと、ツクヨミはどこか言い辛そうに、しかしはっきりとそれを口にした。

 

「スレイン法国は人類を守るために活動されていますね。とても素晴らしく尊敬できることだと思います。ただ……私はこの力を人の為だけに振るうつもりはありません」

 

「そ、それは亜人にも神の慈悲を与えるということですか!?」

 

「友好に接することができる全ての種族の者に対して、です」

 

 光の神官長はそのあまりのスケールの大きさに絶句する。人類を守ることこそ至上であると教えられ、それが力の限界でもあった法国の民からすれば微塵の考えも浮かばない思想であった。

 

 しかし果たしてそんなことが可能なのだろうか? 

 

 憎しみさえ抱く化け物共を頭に浮かべると、無意識にそういった疑念が浮かぶ。しかしそれは神の力を疑うという絶対にあってはならぬことだった。

 

「もっとも、これはあくまで私の勝手な考えですので、皆様の価値観を否定するような意はありません。もしこれが法国として問題ということであれば、この場を立ち去ることでお許し下さい」

 

 それに対し光の神官長は必死に──けれど確かな光明を得たとばかりに首を振る。

 

「許しを請う必要など何一つとしてございません! 我々は神のために在るのです。人類を御守り頂けるのであれば神のあらゆる想いに応える覚悟があります!」

 

 漆黒聖典もまた一様に目を瞑り、頭を下げている。当然だ。それくらいのことで信仰心を失うような者がこの場にいるはずもない。

 

「ありがとうございます」

 

 そう言ってツクヨミは腰前に両手を揃え、軽く頭を下げた。

 

 光の神官長は大元帥と共に畏れ多くもその身を起こすと、神の案内を開始する。

 

 と同時に一番手前で誰よりも深く頭を下げていた漆黒聖典の一人、輝く金髪に銀と黒が特徴的な鎧を着た第一席次も動き出した。

 

 そうして他の漆黒聖典各員も隊長に続いていった──。

 

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