リ・エスティーゼ王国のヴァランシア宮殿。主に宮廷会議などで使用されるその場所は大きく分けて三つの区画があり、そのどれもが一般の立ち入りを禁じている。その中でも特に厳重であると言えるのは王族の住居として使われる最も大きな建物だろう。
豪華絢爛という言葉をそのまま体現したような宮殿内は日の光を多く取り入れるための巨大な窓が連なっており、天井部に吊り下がる煌びやかなシャンデリアの数々と共に場内を明るく演出する。加えて広々とした廊下に立ち並ぶのは巨大な燭台を抱えた像の数々だ。
正しく光を結集させたような場所であり、そこは貧相な王国内とはとても思えないほど贅沢な造りとなっている。
昼前、そんな王族の住居である区画内──その廊下を歩く一つの人影があった。白髪の入った金髪の上に王冠を被り、肩から橙色のローブを背負うその人物はこの場所の所有者といえる存在。
王国の現国王であるウィリアム・シャル・ボーン・デル・レンテスである。
ウィリアムは真剣さを極めたような表情を皺の入った顔に浮かべたまま、上等な絨毯の敷かれた道を進んでいく。その足取りは少しばかり急いでいるよう感じられる。それはもうじき始まる会議──もしくは情報共有というべきだろうか、に遅れないようにするため……はたまた心の内に秘める焦燥感の表れか。
どちらにせよ、ウィリアムは足早にその場を後にする。宮殿の廊下には掃除や王族の世話のためにメイドなどが出張っていることが多く、ウィリアムの姿を目にした彼女らは変わらず最敬礼を返す。余談だが、王宮には貴族の令嬢などが箔をつけるためやってくることも多く、その所作は優雅なものから多少ぎこちないものまで様々だ。
特に気を留めることもなく、目的地に向かうウィリアムだったが、横の通路から現れた一人の青年を目にするとその足を止めた。
「国王陛下。これは失礼致しました」
考え事をしていたからか、少し気付くのに遅れた青年は身を屈めて頭を下げる。金髪に青の瞳。上等な絹で作られた衣服を纏う彼に対し、ウィリアムは目元を僅かに緩めながら語りかける。
「構わないとも。それよりランポッサよ。我は今議場へ向かっているのだが、良ければ少しだけ話をしていかないかな? 最近は話せていなかっただろう」
「私で宜しければ是非」
ウィリアムが歩き始めると、青年──ランポッサもまた後ろからついてくるようにその身を起こす。
「本当に、本当に最近は忙しないと言う他なくてな。今はまさしく王国の岐路といった時だろう」
「それ程なのですか?」
落ち着いたトーンの中に驚きを含ませたその声を聞き、ウィリアムは大きく頷きながら答える。
「問題が解決していると言っても、多くはまだ山積みだ。どこから崩れるか分からない。……それに周辺諸国は、いや世界は既に大きく動き出している。ランポッサは知っているか? 神が現れたという話は」
「聞き及んではおります。しかし本当なのでしょうか? 英雄譚や神話の中の話ではなく」
それはランポッサだけでなく、噂を知る全ての者の思いであろう。
「真偽はまだ分からない。ただ、もしそれが本当であれば国として立ち尽くしている場合ではないだろう。いや、もう出遅れているのかもしれぬな」
ウィリアムは目前の天井を見上げるようにして続けた。
「それも全ては我のせいだ。王としては無能もいいところだろう」
「そのようなことは……!」
「事実だ。しかし、だからこそこのままでは終われぬ。必ず王国の未来を明るいものへと回復させ、お前たちへ渡す。そうせねばならない」
「陛下……」
ランポッサは沈痛な面持ちのまま少しずつ歩く速度を下げる。会議の行われる部屋の前へと近づいてきたためだ。
「つまらぬ話を聞かせたな。さて、そうだ。神だったな……」
ウィリアムは扉前の通路で考える素振りを見せると、思い出したようにランポッサに向き直る。
「んん、ランポッサよ。行く前に一つだけ聞かせて欲しい。もし神が願いを叶えてくれるのだとしたら、お前なら何を望む?」
孫や子にする御伽噺のような内容の問いだったが、ランポッサは真剣に答えた。
「王国の安寧を願います」
「ほう。発展ではなく、か?」
「はい。確かに発展も大事ですが、それに人……民がついて来られなければ意味はありません。民が安心して暮らせる──それこそが国にとって何より大事なことではないでしょうか」
それを聞くなりウィリアムは目を瞑り微笑んだ。
「やはり我が弟の子というべきか、お前は既に王の器を持っている。跡取りの問題に関しては安心できそうで何よりだ」
それを聞いたランポッサは表情を崩すより先に首を左右へと動かし、辺りを確認した。誰かに聞かれていないかという風に。
子息のいない国王の跡取りとして最も優位な立場にあるランポッサといえ、実子である訳ではないため、そういった話で一切波風が立たぬわけではない。歴史的に例が少ないということも過敏になる要因だろう。
しかしウィリアムは特に気にする様子無く続けた。
「では行ってくるとしよう。体調には気を付けるのだぞ?」
そう言うと現国王は重厚な扉へとその老いた足を進めていった。
♦
ごく短い安らかな時間も終わり、といった気持ちでウィリアムは青の絨毯の先にある玉座へと向かう。開始時刻丁度であるが、それより早く集まっていたのか道の左右には二十名を超える貴族の面々が王の到着を待つよう立っていた。
静まった室内。ウィリアムは多くの視線を集めながら、玉座へとその腰を下ろした。
「さて、皆集まっているな?」
ウィリアムはそう言いながら集まった面々の顔を眺める。玉座近くには"一名減った"六大貴族が立っており、その周りには駆け付けて来た辺境伯含む伯爵たちが並んでいる。貴族社会を生き抜いてきた彼らの佇まいには一切の澱みがなく、その見てくれだけは心強いよう感じられた。
「今回集まったのは話し合いの為だ。既に聞いている者もいるだろうが、人類の神が竜王国近くに降臨したという噂が広まりつつある」
王国としてはどう対応すべきか、とウィリアムが付け加えると、それを聞いていたガタイのいい貴族──六大貴族に名を連ねるボウロロープ侯が話し始めた。
「対応ですか。……お言葉ですが陛下。今回の件はあくまで噂。神など誇張したものに過ぎません。わざわざこの忙しい時期に構うことはないでしょう」
「私もボウロロープ侯に同意です。王国はズーラーノーンの事件から何とか立ち直り、今はひと月後の舞踏会に向けて準備中ではありませんか。今注力すべきはそこであると考えますが」
鼻下に髭を生やした金髪の伯爵が追従する。確かに王国は伝統である宮廷舞踏会を来月末に控えており、今もばたばたした状態にあった。それを考えれば、言っていること自体は間違っていないだろう。見れば他の貴族の多くも頷いている。
(しかし……断定して動くのは愚かとしか思えぬ。まだ些事であればいいだろうが)
「一理ある。しかし噂であろうが、今回の件が只事でないのは事実だ。話では既にスレイン法国はおろか帝国も動いているというではないか。それでもお主らは外には目を向けぬと言うのか?」
「それは……」
言い淀む貴族たち。その中から若い六大貴族の一人が声を上げる。
「陛下の仰られる通りです。周辺諸国が動いているのなら、王国も少なからず調査すべきでしょう」
言い返すはボウロロープ侯。
「この大事な時に、不足している人員を更にそちらに割くと?」
「それしか方法はないと思われます。最悪、舞踏会の日程を遅らせるというのも視野に入れるべきかと」
「それは……王国の名声に響くのではありませんか? 宮廷舞踏会は他国の使節も参加する行事。下手なことをすれば王国が舐められる原因となりますぞ」
一度火がついてしまうと話は止まらなかった。元々タイプが違うのか六大貴族だけでも合議の意見が纏まることは少ない。その上今回は参加する人数も多いのだ。
「いっそ、その神とやらを舞踏会に招待するのは如何ですかな?」
「それはいい。それなら王国の地位も示すことができ、更にこの目で神を見定めることもできましょう」
あまりに短慮な物言いが室内を駆ける。いつの間にか表れていた頭痛が老体を襲う中、ウィリアムは迷走する会議を元に戻すべく咳払いを行う。
「話を戻そう。王国としての対応だが……まずは急ぎで件の調査を開始すべきだと我は考えている。決めつけて動くには内容が大きすぎるためだ。確かに人員を回す必要はある。が、このまま他国との遅れを広げるよりはましと言えよう」
それに賛同する老人の声が一つ。
「確かに。周辺国家との間に溝が生まれる可能性を考えれば、日程の遅れもこの際はやむ無しですな。それに何か判断するのも情報を収集してからの方が些か有意でしょう」
ウィリアムは白い髭を蓄えた老貴族であるウロヴァーナ辺境伯の言葉に頷きながら、強引に話を進めていく。というのも彼らに任せていれば碌な結論に至らないためだ。
「うむ。それが賢いだろう。今話した方針に異論がある者は?」
貴族はお互いに顔を見合わせるが、特に何もなくそれを戻す。国王の言に異論を挟む者はいないようだった。
「それでは、王国は降臨したという神の情報を収集する方向性で進む。具体的方策としては何やら式? を催しているらしい法国に人員を送るなどが考えられるが……他に何か思いつく者は?」
「はっ。それなら情報の出処であると思われる神殿勢力に話を聞くというのはいかがでしょう?」
「動いているという帝国を注視するのも良さそうですな。彼らなら何か隠していてもおかしくありませんから」
「では──」
開始してからというもの、ようやく会議らしい会議となったそれを眺めながら、ウィリアムは心中で深い息を吐く。一件落着というにはまだ早いが、それでも安堵の息の一つや二つは吐きたくなるものだろう。何せ不安の種は無限にあるのだ。
(神なる者か……。もしそれがまことの存在であるなら、せめて八欲王のような存在でないことを願いたいものだな)
ウィリアムはちらりと右側の壁にある大きな窓に目を向ける。そこから見える昼の空は果てしなく、遥か彼方の地平線まで続いている。
スレイン法国に居るという神。
ただただ国王はその現状に複雑な思いを巡らせる──。
♦♦♦♦
「っと。後は──そこの荷物を降ろしてもらっていいですか?」
「お安い御用ですぞ。ほれ」
スレイン法国の主なる都である神都。普段は静かな街並みであるそこも、記念すべきパレードの当日であるその日は溢れんばかりの人気であふれていた。
集まっている者の殆どは法国在住の国民であり、現在は監査も厳しいため、既に入国していた幸運な旅行者以外の他国の人間はほぼいない。まぁそれも当然であり、今回のパレードは駆け付けようにも他国の人間の耳に入る頃には諸々の準備が終わっているほど、突然で、迅速な開催であったのだ。
それでも国内にいる殆どの民が無事参加できているのはスレイン法国の国家体制がこれでもかというほどに整っているからであろう。
既に通告が完全に行き届いている状況下。神がその御姿を現されるという一大行事に、全ての法国民が歓喜し、神都へ殺到していた。熱心である彼らは通告を受けたその日から準備を開始しており、神都から遠い者は早々に移動を。パレードの通りに住居を構えた者は外に出ているあらゆるものを退かした。
しかし、それだけタイトな日程であったので慌て顔で最後の準備を行う者も少なくはなかった。
──
「いやはや、助かりました。お爺さんありがとうございます」
「何のこれしき。魔法を使えば、効率化は容易いですからの。0位階魔法、つまり生活魔法はその名の通り生活の為の魔法。これだけでも魔法の実用性が窺えますな。しかしそれだけではありませぬ。魔法は──」
聞かれてもいない魔法のうんちくを語るのはぼろ布のような衣を全身に羽織った老人、フールーダ・パラダインだ。
フールーダは周知である通り、帝国所属の主席宮廷魔術師であり、スレイン法国の住人であるどころか旅行者でもない存在。神の降臨を歓ぶパレードに居合わせる者としては幾分か相応しくないよう感じられる。
しかしフールーダは数日前に仕事を放り出し──神の乗る馬車を追って法国内に転移してからというもの、ここに住む信者を凌ぐほどに神のお披露目というこの日を心待ちにしていた。
それは帝国の皇帝から受けた『他国との摩擦を避けるため慎重に動け』という注意を放り捨て、平野にいる部下からの制止を振り切ってまで、他国に不法侵入していることからも窺い知ることができるだろう。
まぁそれでも神聖不可侵とされる大神殿へ直行していないのはフールーダなりの国交への配慮か、微かに残った理性……もしくは危険本能が働いたからか。何はともあれ本人は慎重に立ち回っている。
「──つまり」
意気揚々と話していたフールーダは、先の荷物を両手で抱えた若い店主らしき男が苦笑いしていることに気付くと、ハッとした様子で演説するよう上げていた手を下ろす。それは本来の衣服である象牙色のローブが身を隠すための衣から軽くはみ出していることに気付いたためだ。
実際のところ青年は特に気にした様子もなく、物置に移動しようとしているだけなのだが、過敏になっているフールーダは警戒した様子でフードを深く被り直す。というのも、パレードの始まる前ということで人通りが増えると同時に、警邏の数も増しているからだ。
(私としたことが目立ち過ぎたか……? 見れば何やら"一般人に扮した者"もおる。ここまで来て捕まるのは何としても避けねば)
フールーダは鋭い眼光でちらちらと左右を確認すると、もはや店主は眼中にないといった様子で人波へと足を運んだ。周辺諸国でも有名であるフールーダは顔バレの危険も少なからずあり、ぼろのローブで目立つのを避けていても、不審者然としたその姿で呼び止められる可能性は残っている。
そのためフールーダはこのタイミングで歩道へと移動し、人混みに紛れるよう身を隠す。本来であれば、ここで透明化の魔法まで使用するところであろう。
しかし、高位の魔法使いであるフールーダは透明化の魔法が有用であると同時に、それが第一位階という低位の魔法であり、看破される危険性を孕んでいることを理解していた。そして看破に引っ掛かろうものなら不審者として詰所まで連行されるのは確実である。
そういった考えを巡らせているからかフールーダは慎重に息を潜め、ただただ過行く時間の中、神の到着を待つ。最悪、大魔術師であるフールーダは
(まだか、まだ始まらんのか? 神の魔力を早くこの目で見たいぃ)
準備の手伝いなどで気を紛らわすことのできないフールーダは今にも発狂しそうな気持ちの中、手元にある時計型のマジックアイテムの時刻を確認する。
11:12。
針が示すのは昼前。パレードは正午丁度から開始され、大神殿前から神都の大通りを馬車が進んでいくという。見れば他の信徒たちもそわそわとした様子を隠し切れずにいた。
一応フールーダが待機しているのは神殿敷地内から少し離れた場所にある──比較的兵士の少ない通りであり、開始されてからも到着まではもうしばらく掛かることが予想できる。
(はぁ……はぁ)
時間が近づくと、急くような気持ちも一層強くなるのが人間というもの。危険は知りつつも『少しだけ』という思いでフールーダは通りを上り、人波から顔を出す。もはや己の役職も、皇帝への愛も、帝国への忠誠も今のフールーダにはどうでもいいものであった。
全ては魔法の深淵を覗くため。
それこそがフールーダの人生の全てであり、神の降臨は正しくその祈願──長らく待った教えを乞うことのできる師の存在を叶えるかもしれないものだ。だからこそフールーダは期待と不安を抱え、背を低くして待った。
大神殿に居るという神。強引に立ち会うことが難しかったその御方が、遂に人前へと姿を現すその
♦♦
(は、はぁぁぁ、緊張するー……)
一方その頃。神殿敷地内の中央に坐する大神殿の最上階、最高の神聖領域とされる神の住まう一室でがちがちに固まっている者がいた。
光り輝く純白のローブに背中を照らす光輪。全身に装備された金色の装飾品の全てがおそろしいほどの神聖さを醸しており、頭から垂れる特徴的な白の髪は傷一つない状態で繊細なベッドの上に丸まっている。
まさに準備は万端……という状態で現在、正座待機しているその者の名はツクヨミ。1000万を超える人々からその登場を待たれているスレイン法国の神である。
パレードの当日ということもあって普段よりも早起きをしていたツクヨミは、既に湯浴みなどによる身の清めは済ませ、装備の状態なども完璧なものを保っている。神官長らのお墨付きであるのでそれは間違いないだろう。……多分。
しかし、元々は一般人であったツクヨミからするとパレードに主役として出席するなど想像もできないことであり、沢山の人の注目を受けるというのにはやはり大きな不安があった。胃がきりきりと痛んでいるのもきっと気のせいではない。
「それに何かこう、少し目的から逸れちゃって無いか心配だな──」
元々は人助けの為にこの道を選んだツクヨミであるが、最近では人に何かをさせることの方が多くなっている。まぁ今回のパレードが人々に勇気を与えるという神の仕事、そう考えるなら特に間違ったことはないだろう。
しかし……
ツクヨミはベッドから立ちあがると、
そこには本日の日程が緻密に記載されている。正午……つまりあと1時間弱で始まるパレードの進行から、終わった後の大神殿でのもてなしの内容まで。また直接関与することのない国の祭りに関しても全て、各色神官長や行政機関長らがツクヨミの許可を経て計画していた。
それは相当な手間であっただろう。対して今回ツクヨミが彼らにしてあげられるのはパレードで手を振ることくらいだ。そうなると不満……というより、このままで大丈夫なのかという不安の方が強く現れてくる。
(まぁ、竜王国の会談も今回のも地盤固めの時期、というとそうなんだろうし……。焦るのは良くないか)
ふぅと息を吐いたツクヨミは手にしていた紙を懐にしまう。そうして再びベッドの方へ歩み寄ると、扉の方を向くようにして腰掛ける。今はただ目の前のことに集中するのみだ。
目を瞑り、息を整える。
「せめて……足は引っ張らないようにしないとね」
時間になれば、神殿の関係者が迎えに来るという話だったので、ツクヨミはゆっくりとそれを待った。
時計の無い静寂の室内に時が流れる。少しずつ時刻が進み──
間もなくして扉がノックされた。
「ツクヨミ様、御部屋にいらっしゃいますか?」
低い、老いた男の声だった。ツクヨミは多少は聞き慣れたその声の主に返事をする。
「はい。どうぞお入りください」
ツクヨミがベッドから立ち上がると同時に、失礼致しますと最高神官長が扉を開ける。白に近い金髪。苦労が絶えないからか皺の広がった顔には緊張と安堵の色が混ざっていた。
最高神官長はローブを着た腕を揃え、その場で最上のお辞儀をすると、ツクヨミの方を向きその口を開く。
「無事パレードの準備が整いました。お時間となりましたので、共に下の階までお越し頂けますか……?」
ツクヨミはこくりと頷く。それを確認した最高神官長は喜色の表情を僅かに見せると、開いた扉を抑えたまま数歩後ろに下がった。
ツクヨミは部屋内の青白い硬質な床を純白の靴で踏む。軽いコツコツとした音が密閉された部屋から微かに鳴り響く。
そうして扉を抜け、巨大な廊下へとその足を踏み入れた。
「では、参りましょう」
最高神官長は案内するように廊下の先を歩く。魔獣でも通れそうなその大きな廊下には多数の巨大な窓が付いている。が、それは王国にある光を取り入れることに特化したそれとは違い、外から覗かせず、高い耐久度を持っているという特異な性質があるため、魔法のような青白い日の光がそれを通して室内に差している。
大神殿の建物自体が蒼っぽいということもあって光源の少ないこの場所は少し薄暗く、並び立つ石柱も相まって聖なる領域であることを実感させる。
「最高神官長……いえ、オルカー様」
法国のトップである最高神官長──他の神官長もだが、の距離感をイマイチ掴みかねているツクヨミは、失礼にならないよう目の前の老人を呼び止める。
「重ねてになりますが、本日はこのような機会を頂きありがとうございます」
「滅相もないことでございます。我々にとって神に尽くすことこそが至上の喜びであり、救いそのものなのですから。寧ろ、ツクヨミ様を長くお待たせしてしまったことを申し訳なく思います」
険しい表情のまま歩みを止める最高神官長。それを見てツクヨミは優しく首を振る。
「いえ、私なら大丈夫ですよ。……それよりどうでしょうか? 街の様子は」
「はっ。既に神都にはツクヨミ様の降臨をお祝いするべく、多くの国民が集まっております。また公道近辺には多くの兵士や民に扮した聖典が警護にあたっており、そちらの方も万全を期しております」
「なるほど。パレードが終わった後のことは、紙に書かれた通りでしたよね」
最高神官長は深く頷く。
「はい。既定の道を行列が走り終えた後はツクヨミ様を正式にもてなす為、大神殿の一室にてお食事を御用意させて頂こうと思います……。またツクヨミ様にお手間を取らせぬよう、その際には行政機関長らが神都での指揮を執り行いますのでどうかご安心ください」
「祭りの準備ですね。何から何までやらせてしまって申し訳ございません」
今回の行事は間違いなくパレードがメインであると言えるが、一応それに伴って祭りも開かれるとのことだ。それは言葉通りの"祭り"であり、神の降臨をお祝いするため──という理由で同時に準備が進められている。
まぁ本来祭事の中にある行事の一つとしてパレードが存在していることを考えればそれほど驚くことでもないのだろう。ただ、この短期間でそこまで手を回しているのは流石法国と言う他なかった。
(そういえば、今年はあれか。六大神の祭りがあったとかルーインさんが話してたっけ……。対応の早さはそれも関係してるのかな)
ツクヨミはかつての同僚の言葉を思い出しながら、今回の祭りに思いを馳せる。神都にそれだけの人間が集まっているのなら、準備期間が短いなりにも賑やかなものとなるのだろうか? いや多すぎて混雑するのだろうか?
そんなことを考えながらぼーっと窓の外に目を向けていると──
「ツ、ツクヨミ様。どうかされましたか……?」
最高神官長から戸惑いの声を掛けられる。ツクヨミはハッとしたように表情を戻した。
「あ、いえ! なんでもありません。時間も迫っていますし、そろそろ行きましょうか」
今は目の前のことに集中しようと通路の奥へと足を進める。
ツクヨミは最高神官長の後ろを着いて行き、左手にある直線の階段を下りる。そして一つ。もう一つと段を下りていき──。
「ツクヨミ様、お待ちし」
「ツクちゃあぁん!」
「ぐはっ」
一階に続く二階の扉前。そこにいたのは金髪に銀と黒の鎧を着た漆黒聖典第一席次、そしてその肩に乗る白黒の緩い衣装を着た少女だった。
不服そうな表情を浮かべた小さな少女はあろうことか
「ツクちゃーん……私も連れてってぇ。隊長が煩いんだよぉ」
「ば、番外席次。ツクヨミ様に対し不敬であるぞ。早く離れるのだ」
「全く、ツクヨミ様はお忙しいのですよ? 貴方はもう少し漆黒聖典としての自覚を持つべきです」
(誰もケガの心配はしないのね……)
ツクヨミは各々の反応に若干複雑な気持ちになりつつも、自身の胸部に張り付いている番外席次と格闘している最高神官長に目を向ける。どうやらツクヨミの背中に手を回しているからか、二人とも引き剥がしに難航しているらしい。
その様子に少しおかしさを感じるが、今は遊んでいる時ではない。
「ごめんアリシア。私もいっぱいいっぱいで……。ほら? すぐ帰ってくるからさ」
「えぇぇ」
ぽんぽんとアリシアの頭に手を置くと、観念したように彼女はその身を地面へと下ろした。その表情は落胆しているのが一目で分かるものだ。可哀想だが仕方がないだろう。
(
前衛職である自分の性能に心の内でため息を吐きながら、ツクヨミは扉を開いてくれている漆黒聖典隊長の横を通る。すかさずそれに最高神官長も追従した。
「では、行ってきますね」
──