Moon Light   作:イカーナ

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3.スレイン法国

 神妙な面持ちで動きを止めていたツクヨミは、小さく息をつき、今は目の前のことに集中しようと思考を切り替える。

 

 さて、現在の装備は初期防具に丸腰という襲われたら一溜まりもない状態だが、これの対処法は考えてある。そうでなければこんなところでうかうかしていられないだろう。

 

 ツクヨミが再び虚空に手を伸ばし、アイテムボックス内の無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)から取り出したのは……知識の無い者からしたら何の変哲もない木の札二本だ。この札はユグドラシルでも課金でしか手に入らない貴重なもので、その効力は『札をへし折ることで、事前に登録しておいた装備可能な武装を転送し装備できる』という便利なものだ。

 

 ユグドラシル時代でも使用していたこれは、既に自身のメインウェポンである神器級(ゴッズ)の2アイテムを登録してあるのでそのまま持っていけば良いだろう。

 畳んで地面に置いてあるメイン装備に視線を移し、入れ替えるように無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)に詰める。

 

「……暫しお別れだね」

 

 存外と着替えに時間がかかってしまったことに、焦りと気疲れを感じつつ、右手で灰色のローブを掴んだツクヨミは慌てて元いた場所に踵を返したのだった。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「その、お体は大丈夫ですか? 少し歩くことになると思いますが……」

 

 現在、ツクヨミは隊列の最後尾を歩いている。既に太陽は隠れ始めていて、馬車の荷造りを終えた百人程の軍団はやっと出立できたのだが……ずっと気を遣って貰っていて少し申し訳ない気持ちになってくる。

 

「はい。今のところ平気です。……そういえばスレイン法国まではどのくらいあるのでしょうか?」

 

「ここはカッツェ平野と言っても、法国にかなり近い場所ですからね。普段よりは時間がかからない方ですが、それでも……四、五時間ほどはかかると思います」

 

 そうか、五時間か。……現実(リアル)ではそんなに長い時間外を歩くことなど考えたこともなかったが、こういう新鮮な体験も悪くはないだろう……。そう考えていると彼が慌てて口を開く。

 

「やっぱり厳しいですよね。隊長に頼んで今からでも馬車に乗せてもらいましょう!」

 

「いえいえそれには及びません! きっと話してたらすぐだと思いますよ」

 

 馬車は荷物をぎっしり積んでいるため、勿論乗っている隊員はいない。そこに一人で乗るというのは強靭な鉄の胃袋が必要だろう。ツクヨミには到底無理な話であるので話題を変えるべく、話を切り出す。

 

「あっ、一つ聞きたいことがあるのですが宜しいですか?」

 

「私に答えられることであれば大丈夫ですよ」

 

「その、スレイン法国とはどのような国なのでしょう?」

 

 ルーインは顎に手を当て一時考えると、考えが纏まったようで少しずつ語り始めた。

 

「スレイン法国は人間国家です。5()0()0()()前に六大神様によって建国されてから、長い間人類の守護を行ってきました。ずっと残っている人間国家は法国だけですね。今は魔神との戦争を境に、100年ほど前に誕生した他の国が成長している……といった流れです」

 

「……なるほど、歴史のある国なのですね。他の国というのは?」

 

「主なのは、北東にあるバハルス帝国、北西にあるリ・エスティーゼ王国です。西にローブル聖王国というそれなりに大きい国家もありますが、位置の関係で殆ど国交はないですね。他には竜王国や……評議国も100年前にできました」

 

 大量の知らない言葉が押し寄せて来るので、必死に頭の中で整理する。聞いただけでそれなりの数の国があるようだが、これだけあれば関係も拗れている可能性は高い。

 思ったより複雑そうな世界情勢に辟易するも、同じくらい未知への興味も掻き立てられる。もし可能なら他の国に行ってみるのも良いかもしれない。

 

 ツクヨミは少し熟考した後、再度口を開く。

 

「ルーインさんは気になっている国……みたいなのはありますか?」

 

 何だか女子高生みたいな質問になってしまったが気にしてはいけない。

 

「そうですね。うーん……兵士としては亜人被害で不安定な竜王国、と言うべきなんでしょうが個人的には王国ですかね。あそこは肥沃な土地もあるので、良い人材が育つことが期待されているんですよ。それこそ勇者とか……」

 

 ポリポリ頬を掻きながら答えるルーイン。やはりどの世界でも男の好きな物は変わらないのかもしれない。

 ふっと笑い、返答する。

 

「良いですよね、そういうの。……自分たちの子供とか孫の世代からいずれ世界を引っ張っていく人が生まれてくるって、何だか感慨深くて」

 

「そう、そうなんですよ! それで──」

 

 こうして人と喋るのは本当に……久しぶりな気がする。事務的でない会話は楽しくて、暖かくて、何だか涙が出そうだった。

 

 

 少し熱っぽく語り始めたルーインの話を聞きながら、月明かりに照らされた沿道を、ツクヨミは少し軽くなった気持ちで歩き続けた。

 大変な事態に巻き込まれているのは未だ変わらない事実であったが、それでも聞いたことのないリアルな情報を、リアルな表情をした他人から常に聞き続けるという行為が──まるで全く別の物語に陶酔するような──そんな楽観的な気持ちの一助になったのは疑いようもないことだった。

 

 まだ夜は長い。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 出発からそれなりの時間が経った頃、特になんの問題もなくスレイン法国に到着した軍の兵士達は前の方から少しずつ門を潜り入国を始めていた。

 既に日が落ちてから長い時間が経ち、夜空には煌めく星々と静かに光を反射する大きな月が浮かんでいる。

 

 短い金髪に生真面目そうな顔立ちをしている若い兵士、イーヴォン・リット・ルーインは隣で月をまじまじと見つめている女性に声をかけていた。

 

「私たちは宿舎に戻りますが、ツクヨミさんはこの後どうされるのですか?」

 

 ツクヨミは声の方向に振り向き、暫し考えた後、困り顔で返答した。

 

「宿に泊まれたらいいのですが……もしかしたら野宿することになるかもしれませんね」

 

「それは……。失礼ですが手持ちが無いという?」

 

 彼女は自嘲の笑みを浮かべている。ルーインが慌てて言葉を紡ごうとしていると、丁度前の兵士達が入国を終え、検問の時がやってきたようだ。

 門には茶色髪のがたいのいい年輩者と、手に紙のリストを持っている兵士が立っている。

 

「それでは次の……あー、隊長の言っていた方ですね。その灰色のローブを取ってもらっていいですか?」

 

 そう兵士が言うとツクヨミは上に着ている灰色のローブを脱ぐ。下から現れたのは質は良いが、どこにでもありそうな平凡な茶の衣服だ。

 

「持ち物はないんです?」

 

「はい。手持ちはこの御守りの札二本だけですね」

 

 彼女が取り出したのは誰が見ても何の変哲もない棒切れのような札で、兵士が一応確認するがやはり見た通りだ。

 

「ポケットには……確かに何も入ってないみたいです。隊長、大丈夫ですかね?」

 

「ふむ。しかし驚くほど何も持ってないな……」

 

 それを聞いていたルーインが一歩前へ進んだ。

 

「隊長。その、この状態で街へ放り出すのはやはり良くないと思います。彼女は女性ですし……」

 

 ツクヨミが言葉を挟もうとしたが、先に隊長であるカールが口を開いた。

 

「そうだな。治安の問題でも良くないと、私も考えていたところだ。丁度宿舎に行くまでの道に宿があるだろう。代金は私が持つから今日はそこに泊まるといい」

 

「度々ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません……。いつかお返しが出来ればいいのですが」

 

 傍から見れば、ツクヨミは個人情報無し、国籍無し、一文無しという三種の神器が揃っているので、今後の生活を心配されるのも無理はない。別のことを心配している者もいるようだが……ルーインは彼女の身を案じているようだった。

 

「もし法国で仕事を探すなら……それこそ酒場や宿ですかね? 隊長」

 

「うーむ……」

 

 ツクヨミもまさか異世界で無職となり、それを他人に心配されるとは思ってもいなかったようでガックリと項垂れる。

 誰もが黙り込んで重苦しい表情を浮かべていると、門の先の方から隊長を待っていたであろう若い兵士達が近づいて来て、意気揚々と提案を始めた。

 

「それなら、軍で雇っちゃダメなんですか? 掃除とか全く行き届いてないですし、俺達も訓練後の雑務はきついです」

 

「いや、さすがに」

 

 隊長が答える前に他の兵士も賛同を始める。彼らの心情は楽をしたいが三割、下心七割である。また、ここぞとばかりに、見目麗しい女性であるツクヨミに今まで話しかけることの出来なかった隊員たちが会話に混ざり始める。彼らも男なのだ。何とも複雑な話であるが──。

 

「絶対いいですって! 隊長頼みます!」

「訓練が捗るだろうな……」

「どうか救いを! 信じてますよ隊長!」

 

「はぁ、お前たちは……。そうだなぁ。長期は流石に無理だろうが、臨時の日雇い程度なら特に問題はないと思われる。数日の宿代くらいは出せるだろう。ただ、こればかりは彼女の気持ちもある。……どうかね、ツクヨミ君」

 

 ツクヨミは少し考える素振りを見せた後、顔に柔らかい笑みを浮かべた。

 

「とても有難いことですし、お受けしたいです。それと、もし可能なら今日の宿代はそちらから引いて頂けませんか?」

 

「分かった。私は明日の早朝にでも大元帥に掛け合おう。……朝の9時頃に部下を宿に向かわせるから、その時間にはよろしく頼む」

 

 

 ────

 

 

 

(もう0時半か)

 

 とっくに日は落ち、街灯の光が静かな街並みを照らす。

 軍の隊長であるカール・エィム・バラックはマジックアイテムである懐中時計で時刻を確認しつつ、ようやく静かになった一行と共に宿舎方面に向かっていた。

 

 そんなカールの後ろを歩くのは殆どが部下の兵士たちであるが、ただ一人、右後方を歩く人物だけは見知った顔ではない。

 その人物は質の良さそうな茶色の衣服を着ている女性であり、今日の昼にカッツェ平野で一人佇んでいたという。

 

 少し幼さも感じさせる顔立ちは今まで見た事のないほど整っており、一国の王女だと言われても驚かないほどだ。しかし如何せん彼女は情報が無さすぎて、あまり信用することはできない。

 

 法国内で聞いたことはないが、闇の組織であるズーラーノーンや薬の売人、スパイである可能性も捨てきれないからだ。

 人類の守護者であり治安を守る隊長という立場である彼は、その相反する使命に頭を抱えている。

 

 歩き慣れた街を進んでいると、街道の端に目的の古めかしい宿が見え始めた。

 

 カールは彼女を送り届けた後に、宿屋の店主には不審があれば報告して貰うよう取り計らおうと考えながら、後ろを振り向き手招きする。

 

 そうして宿に近づき──ゆっくりと扉を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅぁぁぁ……」

 

 ツクヨミは背伸びと欠伸をしながら、寝ぼけ眼で辺りを見回した。部屋の大きさはさして広くはないが、一人部屋だ。部屋には木製の小さなテーブルと安価そうなベッドが置かれており、現在自分はそのベッドの上にいる。

 昨日の夜、騒ぎの後バラック隊長と宿に入ったのは覚えている。ただ、着いてからの記憶は少し曖昧で、疲れていたらしい私はすぐに眠ってしまったようだ。

 

 

「……夢では、無かったんだ」

 

 

 ツクヨミは寝ぼけながらも、割と深刻めに息を吐く。

 あの転移の後、浮かれながらも確かに自分は道中で手がかりらしきものがないかを探し、あわよくば元の世界──現実(リアル)に戻る方法はないかと考えていた。

 無論、別にそれは今でもさして変わった訳ではないが──正直、GMや専門家と連絡がつかない時点で、一般人が思いつく帰還方法の殆どは絶たれたと言っていい。頭の上にあったヘッドセットがどこに消えたかなど、ぶっちゃけ見当もつかない。

 

 大体、そもそもここは現実なのか?

 

「分からん……」

 

 目をこする。

 そしてツクヨミを真に悩ませるのは、この現状に加え、仕事以外何も残っていないあの場所に、自分が本当に帰りたいと思っているのかという己の問題でもあった。

 朝から録でもない悩みである。

 

(はぁ)

 

 はっきり言って、無人島に一人取り残されるような絶望的話だ。

 

 しかしこれ以上寝起きの頭で考えても仕方ないと考えたツクヨミは、とりあえず顔を洗うこととした。

 服は寝る時も着替えなかったので、体を起こした後に髪を後ろ手で整え、そのままドアノブに手をかける。

 

 ──

 

 広間に入るとまだ朝は早いようでテーブルを囲む人は少なく、白髪混じりの銀髪のお婆さんが声をかけてくる。

 

「おはようさん! よく眠れたかい?」

 

「お、おはようございます。はい、お陰様で熟睡できました……」

 

「そりゃあ良かった。あっと、顔を洗うならそこを真っ直ぐ行って左手だね」

 

 同じ人間としか思えないお婆さんにぺこりとお礼をし、言われた方に移動するとそれはあった。

 現実(リアル)の頃と同様に蛇口を何も考えずに捻り、それから水を掬って顔をそっと濡らす。尤も、こんなに透明な水が出ることは無かったが。

 

「ん、冷たい。……っん?……あ、私の腕か」

 

 意識的に手元を見やると、そこにあるのは当然ながら細くて白い腕であり、屈めば長い髪が目の前に垂れてくる。それに驚けば高い声が次は発生する。

 

 ゲーム時代の慣れがある分人より馴染んでいるというのはそうかもしれないが、やはり現実にそれが発生すると困惑もしてしまうものである。そんなこんなで何度か丁寧に顔を洗った後にしっかりと蛇口を閉め……ようやく頭が起きたことを体感する。

 

「ふぅ……何だかんだ色々と不安だな。それにこの後は、待ち合わせだったっけ……」

 

 ツクヨミは はぁ、と朝から謎に疲れた息を吐き、今来た道を戻る。確か、隊長であるバラックは9時に待ち合わせるようにツクヨミに言っていたが、今は何時だろうか。

 いつもより少しだけ低い視線から広間を見渡すと、壁に円形の小さな時計が掛かっているのが見えた。

 

 6:07

 

 まだだいぶ時間がありそうなので……そうだ。昨日判明した『文字が読めない問題』について考えよう。

 ツクヨミは広間に置いてあるゴワゴワしたジャーナルを手に取り、引き返した。

 

 

 ────

 

 

 部屋に戻ってから、小さな丸テーブルの前の床に座り込んで、ジャーナルを見ながら解読を進めている。

 

 YGGDRASIL(ユグドラシル)にはダンジョンの文字が異国語で書かれている場所もあったので、それを解読するための眼鏡が存在した。その外見はほっそりとしており、銀の金属には細かな紋様が彫られている。

 さほどレアでもないこれをツクヨミも所持していたので試しに装備してこの世界の文字を見ているのだがどうやらきちんと機能しているようでスラスラと内容が頭に入ってくる。

 

 ……そういえば、一つ分かったことがある。それはこの自身の体は身体能力もだが、どうやら脳の能力も100lvであるみたいなのだ。本来、物覚えは良くなかったと記憶しているが、さっきから見た情報の殆どを暗記してしまっている。

 ただこの情報群を上手く扱えるかはまた別のようで、日本語とこれの文法の違いを理解するのは現実(リアル)の魂が悲鳴をあげているように感じる。

 

 

 長い間、机に向き合っていると唐突に扉をノックする音が聞こえた。どうやら迎えが来たらしい。

 

「今行きます!」

 

 そう言って扉を開けた。

 

 

 

〜〜〜<以下 閑話>

 

 

 

 

 スレイン法国の軍は朝から忙しなかった。小さなことであったので、すぐに大元帥がOKを出したまでは良かったのだが、ツクヨミが宿舎に到着し掃除を始めてからはことある事に理由を付けては練兵場から抜け出そうとする兵士が後を絶たなかった。

 

「おい、あれが昨日言ってた人だな?」

 

「そうだ。ツクヨミさんっていうらしい」

 

 注目を受けている本人は仕事に集中しているため、影でこっそりしている兵士達の視線に気づいていないが、どことなく楽しそうだ。

 

 ツクヨミの髪の毛は地面に届くほどの長さであるため、今日は汚れないよう中間で折って纏めている。箒を持った姿は正しく『良いお嫁さん』像であった。

 

「俺、喋りかけてくるわ。労いは必要だしな」

 

「おい、そこを動くな」

 

 ──

 

 彼女はこの世界に来てから苦悩が絶えないし、今とてそうだが……確かに現実世界で自分が求めて止まなかったものに囲まれているのかもしれない。

 

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