Moon Light   作:イカーナ

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30.巫女姫

「ふむ、なるほどな。なるほど……?」

 

 その頃、法国の北東に位置する国家である帝国でも国の今後を左右するような重大な会話が為されていた。

 場所は帝都アーウィンタールの中央に位置する皇城。その煌びやかでありながら無駄のない造りの内装は、近代における帝国の順調な繁栄を表していると言える。しかし、それもこれまでの話だ。

 

 帝国は今、建国史上最大の危機に直面していた。

 

「フールーダよ、今何と言った……? 私の聞き間違い──いいや、きっとそうだろう。すまないがもう一度言ってくれ」

 

 帝国の若き皇帝であるアルフリッドは対面からの信じられない言葉に、さらりと伸びる自身の金髪の髪をくしゃりと掴む。現在起こっている問題──それは端的に言うと法国との著しい関係悪化だ。

 突然齎された"苦情の書簡"の詳細を知るためにも、朝の緊急会議を終え皇帝執務室に戻ったアルフリッドは、今回の一件の元凶を部屋に招き話を聞いている。

 

 対面に座る白髭を蓄えた老人は昨夜魔法で帰還してから今の今まで城の別室にて謹慎中だった訳だが、その表情は反省というより、悔しさを目いっぱい表現していた。それを見た時から怪しむべきであったのだ。

 

「ですから、陛下。神のパレードに参加したまでは良かったのですが、神に魔力が感じられなかったのです。そのため、せめてっ……せめてその身に纏う物が魔法の武具でないか確認するべく、列から飛び出し近づきました」

 

「参加‥‥いやただの不法入国なのだが、まぁそれはいいか。さっき飛行(フライ)がどうとか言っていたが、まさか近づいたとはそういうことなのか?」

 

「はい。何せ神が高い場所にいたものですから」

 

「……止められなかったのか?」

 

「いえ、それについては残念ながら止められました。隠れていた精鋭部隊がすぐに出現し、邪魔をしてきたのです。ですのですぐに魔法で応戦し──」

 

「もういい……。お前が帰って来れたのは奇跡だったのだと、よく分かったよ」

 

 一通りフールーダの話を聞き、聞き間違えは無かったことと当初の認識が甘かったことを痛感したアルフリッドは、二人しかいない静寂の室内でだらんとソファに身を預けると、メイドに事前に用意させておいたテーブル上のティーカップの一つを手に取る。

 気を落ち着かせるようカップに注がれた極上の紅茶を嗜む。

 

「はぁ。関係悪化……というより崩壊の危機だな」

 

 パレードの前、魔法狂いの老人が失踪してから嫌な予感がしていたアルフリッドは法国に万が一の連絡を入れていたが、そのフォローを遥かに下回る部下のやらかしにはもう絶望するしかない。

 

(書面には神の慈悲によって許しとくみたいなことが書かれていたが……実際そんなわけはない。周辺諸国同様スレイン法国の庇護下にある帝国だが、この非礼……そのままにしておけば爪弾きは免れない)

 

 対立や戦争まで行くかはまだ分からない。しかし例えば法国が今回の件に憤りを感じ、発展途中である帝国への支援を止めればそれだけで帝国は今後あまりに大きな不利を背負うことになる。そうなれば笑うのは王国だ。

 

「王国……。王国。くそ、ズーラーノーンの事件があった時は間抜けな奴らだと笑っていたが、こうなると来月の宮廷舞踏会で指を指されるのは間違いなく帝国になるぞ。とっくに招待状も来ているしな」

 

「へ、陛下」

 

 半ば独り言のように呟いていたアルフリッド。皇帝のそんな焦燥とした姿を見て流石のフールーダも事の重大さを理解してきたのか、息を呑み、そして視線を落としている。

 

 アルフリッドとて何も件の犯人を吊し上げ、叱責したい訳ではない。特に目の前に座るフールーダにはこれまで魔法技術、軍事、皇帝の顧問などあらゆる面で世話になっているし、魔法に狂っているのも事前に分かっていたことだ。であれば、安易に情報収集に行かせたアルフリッドにも当然責任はある。

 

 アルフリッドは冷静さを取り戻すと手に持ったティーカップをテーブルに置き、そしてそれらを踏まえて真剣に語る。

 

「フールーダよ。お前はこれまで帝国に多大な貢献をしてきた。それは間違いない。しかし今回のお前の失態が大きいのも事実だ。向こうが許したとはいえ、()()()での対応はせねばならない」

 

 アルフリッドは息を吸う。

 

「まずフールーダ・パラダインは当分謹慎だ。魔法省への出入りも控え、研究は一時中止だ」

 

「そんなっ!?」

 

「私とて手痛いのだ。しかし宮廷主席魔術師はお前にしか務まらん。こちらを貴族派から守るには表向きの処分は必須。……もっともそれで許されるかは周りの出方次第だがな」

 

 身の振り一つ。それが今後の帝国の発展を大きく左右する。いきなり球体の上で踊れと言われたものだ。アルフリッドは出来る限りの打開策を捻り出しているのだが……

 

「主席の座はよいので、せめて魔法研究だけでも何とかなりませぬか……」

 

「お前というやつは……。まったく。忠誠心を持てとは言わんが、機を待つことは覚えてくれ。神も魔法も帝国にいれば近づけるときは来よう。その時はお前にも振ってやる。だから今は大人しくいていろ」

 

「……」

 

 フールーダがようやく大人しくなったのを見て、アルフリッドは頭痛を感じながら空を仰ぎ、そして最後の言を放つ。

 

「そして帝国は──私は謝罪の機会を得られるよう法国に書簡を送ろう。これに全てが懸かっている。お前もせめてそれらが上手く行くよう祈り、そして反省していろ。……下がっていいぞ」

 

 アルフリッドがそう言うと、フールーダは一礼した後に背を向け、両手開きの扉を潜り去っていく。

 先ほど宮廷主席魔術師が座っていた席は空席となり、辺りは静寂に包まれていた。

 

 アルフリッドは机の上に残された手の付いていないティーカップを眺めながら、今後の帝国の未来、そしてスレイン法国に現れたという神──。それを取り巻く法国上層部の動向について思いを廻らすのだった。

 

(切り捨ての準備とか、してないといいな)

 

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

 

 百名を超える集団を連れ、長い石段を上ったツクヨミは、巨大な石柱に支えられる仄暗い青を帯びた建造物──大神殿に戻ってくると巨大なエントランスの中央でようやく彼らに振り返った。

 

(……)

 

 丁度後ろには、彼らの先頭に立つ最高神官長であるオルカーと水の神官長。先ほどまで行動を共にしていた闇の神官長の姿がある。そしてその丁度横に立つように並ぶのが、先ほど下で見た()()()だった。

 

 背はツクヨミよりひと回りほど小さい彼女たち。恐らく年齢は十代半ばほどである彼女らは全部で6名であり、皆身体には裸同然の薄絹を纏っている。そしてその頭には奇妙で透明感あるサークレットを。顔には虚ろな表情が常に張り付いており、両目には布が巻きつけられている。

 

 

 

 それは言うなれば人ではなく、物であった。

 

 

 

 ツクヨミは眉を顰め、息を呑む。ツクヨミが立ち止まり、無言であるのでその後ろにいる人物たち──いつの間にか片膝を折っている長く伸びた青の衣が特徴的な水明聖典の人々と、同じく平伏する鎧を着た女性の儀仗兵たちにも微かな動揺が漂っていた。

 

 

 しかし、その状況で最も動揺していたのはやはりツクヨミ自身であっただろう。

 

 

 ツクヨミは先程の紹介でこの少女らの正体は分かっていたが、もう一度オルカーに聞き直した。

 

「彼女たちが……巫女姫なのですか?」

 

「は、はい。彼女たちこそ、長年スレイン法国を守るため、その身を捧げてきた巫女姫でございます」

 

「……そう、ですか」

 

 一言で言うならばショック、だろうか。スレイン法国。こちらに来て最も長く暮らしてきた国。人類を守るため奮闘する国家。触れてきた人々も、景色もまた綺麗なものが多すぎた。だからこそ、こうした闇をここでも目の当たりにすると思っていなかった。

 

 

 分かっていたはずなのに。

 

 

 ただ、知ろうとしなかっただけ。いつしか救いや理想を押し付けていた。力のない彼らはそんなことをしなければならないほど追い詰められていたのだ。世界は、人類はそうだったじゃないか。

 

「すみません……」

 

「ツ、ツクヨミ様!?」

 

 目の前のそれは確かに非人道的な行いである。命を道具として扱うのは到底許されることではない。しかしそれでも、口汚く罵倒したり叱責したりする気は起きなかった。

 

 ツクヨミは己の不甲斐なさを恥じ入るように額を手で覆った後、少女たちに近付き、そして少し屈んだ状態で巫女姫の一人の手を取った。

 水気を含んだ手は小さく、驚くほど冷たい。当然表情は変わらないので、微かに感じられる脈さえなければ生きているか死んでいるか判別することさえ難しいだろう。

 

 自分が彼らにとっての神であるなら、どうすべきかは分かっている。自分本位な選択、はたまた傲慢さから来る行動であるかもしれない。しかし、ここまで来たのならせめて正しいと思うことを為したいのだ。

 

 ツクヨミが目を瞑り、確たる思いをその身に宿していると、隣からバッと音がし、そしてすぐに震えるような声色が発せられた。

 

 

「申し訳……ございませんっ。まさか神がそれほどご傷心されるとは思わず。無配慮な行いでした。また巫女姫に関しましても人類の危機、そして彼女らの了承あってのこととあれど、この国の守り手として許されざることを行っているのは理解しております……。ツクヨミ様。どうか、どうか御許し下さい!」

 

 

 そう懺悔するよう跪き、目に涙を貯めながら言うのは最高神官長だった。他の神官長も程度の差はあれど震えるよう頭を下げている。ツクヨミが心を痛めている、というのはあまりに見て分かりやすかったのか。しかしその他にも彼らなりに感じる所があったのだろう。

 ツクヨミは手を離すと、真剣な面持ちで語りかける。

 

「頭をお上げください。非道なれどその恩恵に肖っていた私も、また皆様に謝らなければならない立場です。もっと、目を向けるべきでした。ずっとそれを抱えられていた神官長様を責めることなどできません」

 

「ツクヨミ様……」

 

「今まで巫女姫という存在が必要だったのも理解はできます。そしてそれを承知でお聞かせください。彼女たちを"元に戻すこと"は可能ですか? 私がいる今だからこそ、この役から救えるなら救いたいのです」

 

 頭を上げ、少しはホッとした様子の彼らだが、ツクヨミのその問いに数瞬固まる。

 

「元に、でございますか。それは目だけでなく、心の正気も取り戻した状態ということでしょうか?」

「はい」

「それは……。少し難しいと言いますか」

 

 明らかに言い淀んだオルカーを見て、代わるように隣で聞いていた闇の神官長が頭を下げてから説明してくる。

 

叡者(えいじゃ)額冠(がっかん)。それが巫女姫の自我を消失させているアイテムなのですが、これは強大な魔法の発動を可能にする反面、適合、そしてその取り外しが非常に難しいアイテムでもあるのです。……端的に申しますと、外すと彼女たちは発狂し、それを治療する術は我らにはございません」

 

「なるほど……。つまりデバフ系装備なのですね。……今までは、いえ。額冠を外してから大治癒(ヒール)を使用したことは?」

 

「そのような魔法は……。畏れながら伝わっておりません。我々ではせめて眠らせる魔法を掛けることくらいしか」

 

「……状態の重ね掛けは可能、なるほど。であれば、オルカー様。破壊まで行かずとも、もしかしたら私の知る魔法でなら目も発狂も纏めて治癒可能であるかもしれません」

 

「本当でございますかっ!!」

 

 ツクヨミは喜色の声を上げる最高神官長を向き、そしてなお懸念の一つを口にした。

 

「しかし、この方法だと叡者の額冠を一度外すことになるので、巫女姫の力は国から失われることになります。勿論その穴は私の力で出来るだけ埋めたいとは思っていますが、如何でしょう。 私としては少女は少女として笑っていてほしいのですが……」

 

 ツクヨミはそう言うものの内心少々の罪悪感を感じていた。何故なら現地のマジックアイテムである叡者の額冠のデメリットのみを消し去る方法を多分自分は有しているからだ。

 それは流れ星の指輪(シューティングスター)の力。今は左の人差し指につけているその指輪は魔法職以外でも発動できる3度のみのお願い系アイテムであり、課金アイテムの中でも超貴重でどの職にも人気があった。しかしそれはツクヨミでさえ一つしか持っていない替えの効かないアイテム。こちらの世界に来て間もない今、それをいきなり使うのはあまりに短絡的。

 

 そんなツクヨミからすれば完全な策とは言えない少々狡い提案であったが、最高神官長は当然と言わんばかりに首を縦に振った。

 

「元々六大神に建国されたこの国──人類を守るため、戦ってきたのが巫女姫。その神が降りて来て下さり、その役目を終えろと言って下さったなら、それ以上の救いがどこにありましょう。神の力と光は絶対。それに比べれば我らの力など矮小です。どうか我らを御導き下さい」

 

「ありがとうございます。出来る限り……私も尽力致します。ですから、どうか皆様も私にお力添え下さい。私は……人の力になりたくてここにいるのですから」

 

「神……」

 

「ツクヨミ様っ!!」

 

「おぉ光よ……」

 

 心底真面目に話しているとその何処かが彼らにクリティカルヒットしたのかツクヨミを讃えるような声が静かに湧き上がっていた。先ほど普通に話していた最高神官長も感極まったような感じになっている。この感じは未だに慣れず、少し落ち着かない。

 

「あ、でも。一旦は集会で他の方の了承も取らないといけませんね。巫女姫は……一度ベッドのある部屋などで休ませておいて頂けますか?」

 

「か、畏まりました……」

 

「ではそろそろ──」

 

 

 

 

 

 バタンッ!! 

 

 

 

 

 

 その時、勢いよく扉が開いた。それは上の階のものだ。恐らく騒ぎを聞きつけてきたのだろう。その影は左右に伸びる階段の手すりから身を乗り出すと、こちらを見てすぐに大声を出す。

 

「え? 何事!? ツクちゃん? 神官長達泣かせてるの?」

 

 そう言うのは黒髪と灰白色の瞳の少女。槍のような戦鎌(ウォーサイズ)を背負った少女、アリシアは漆黒聖典の仕事を投げ捨ててこちらに来たようで、何やらとんでもない勘違いをしているようだった。

 

「え? いやいや違うよ。 これには色々と訳があってだね……」

 

「わ、わけ? ま、まぁ、色々大変だよね……うん」

 

「おい」

 

「番外席次、お前、神に対しまた……。しかも持ち場を離れておるではないか」

 

「どうかされましたか」

「おや、ここに集まられていたのですね」

 

 時間も時間であり、集会に参加する他の神官長も集まり始めたことでエントランスはしばらくカオスな状況となった。それから半ば逃げるよう、奥の間に消えていった神の姿が目撃されたという。

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

「では、あらためて集会を開始致しましょう」

 

 磨かれた大理石。巨大な白亜の柱が並ぶ神殿の最奥。神聖不可侵であるこの場にはなんと十三名の者が集まっていた。これだけの人数が集まったことは、スレイン法国の建国以来でもそうないことであろう。

 

 席にはそれぞれ最高神官長に六色神官長。司法、立法、行政の三機関長に研究館長。そして軍の最高責任者である大元帥の十二名が座る。この面々がこの場に集うことは最高会議である神官長会議にてしばしば見られることだ。

 

 

 しかし今はこれに加え──神が最奥に座られている。

 

 

 この事実は最高神官長であるオルカー・ジェラ・ロヌスにとって夢のようで、泣きたくなるほどの幸福であった。いや、オルカーはツクヨミとこの面々の中では比較的対話している方であるので、まだその感動も小さいだろう。激務の間を縫うようにしてこの場に参加してきている神官長以外の長たちは、きっと心臓が張り裂けるほどの至福と緊張を味わっている。

 

 見れば、神であるツクヨミ──白銀の髪を靡かせる、この上なく綺麗な紫の瞳を持ったその御方と同じ席に座ることに、皆少なからず畏れ多さを感じているようであった。

 

「今回は、先に通達したように我らが神であらせられるツクヨミ様にも御参加頂いている。これは神を迎えたスレイン法国の方向性を今一度確認するためであり、集会と言えどその重大性は神官長会議より高いものである」

 

 オルカーは面々を見渡しながら続ける。

 

「時間にして今回はそれほど長くないが、皆も心して神の御言葉を聞くように。……ではまず私から、今までの法国の経緯(いきさつ)と方針について話させて頂きます」

 

 オルカーは最も離れた椅子からツクヨミの方を向くと、スレイン法国について説明するように口を動かした。それはこの国に住んでいれば周知である内容が殆どである。

 

 

 スレイン法国が人類を守るため、人類至上を掲げて力の限り活動してきたこと。

 エルフなどの近縁種はまだしも、亜人とは生活圏を守るため敵対していること。

 他国には間接的支援をしていることなどである。

 

 しかしそれを踏まえたうえで、とオルカーは言葉を足す。今まではそれで良かった。というよりそれしかできなかった。しかし今は神の降臨によって大きく状況は変わりつつある。

 

「我々は法国を、そして人類を守るため在る。そして誠に有難いことにそれには神も力をお貸しいただけるという。しかし──人類至上ということに関しては神は異なる意見を持たれているとのこと。それは皆も聞いていることだろう」

 

 見渡せば、神官長や三機関長、大元帥なども鷹揚に頷いている。この前、光の神官長と大元帥が竜王国に神を迎えに行ったとき、それは神より告げられ広まった。オルカーもそれを初めて聞いた時は驚いたものだ。

 

「ではツクヨミ様、お願い致します」

 

「は、はい」

 

 少々緊張した様子で神もまた頷くと、すぐにその美しい声を響かせた。

 

「最高神官長様が語られた通り、私は人類にお力添えすることは勿論の事、それ以外……可能なら友好に接することのできる全ての種の為にその力を使いたいと思っています。これは皆様の方向性と少々の乖離があるものかと私も思っていますが、これについて何か疑問はございますか?」

 

 一拍置いて、恭しく声が掛かる。

 

「それは亜人だけでなく、例えば異形に分類される種も……ということでしょうか」

 

「おい……それは」

 

 闇の神官長の突飛な問いに火の神官長が食いつくよう止めに入るが、ツクヨミはそれを静止してから話す。

 

「まぁ、あまり現実的でないですがそうですね。たとえ異形のものであっても、友好であれるなら友好であれるようにしたいと思います」

 

 その言葉に一同が衝撃を受けたのは言うまでもないだろう。

 オルカーもまた生者を憎むアンデッドなど敵以外として認識したことは無い。力無き者がそんなことを言っているのであれば『何を馬鹿なことを』と笑っていたところだ。しかし、相手は神。それを可能にする力を持っている存在であった。

 

「何たる慈悲深さ。それはもはや、弱き我らの想像も及ばぬ領域でございます。しかしツクヨミ様、何故に彼らにそれほどこだわるのでしょう? ツクヨミ様の優しさは既に我ら人間にこれほどまでに広がっているというのに」

 

「……」

 

 どうしても分からない疑問をオルカーは神に尋ねていた。人類至上であれという思考にいつしか染まった"最高神官長"はどうしてもその答えが出なかった。それは極限のマイナスを辛うじてプラスに保っていた自分たちがそのプラスばかりに目を向かわせていたからであろうか。

 

 ツクヨミは数瞬考える素振りを見せると、少し儚げに笑うよう話を続ける。

 

「私にはこの世界で魔獣の友人がいます。亜人の仲間も少ないですがいます。彼らと話してみて、本質的に私たちはあまり変わらないなと思いました。それを種族が違うからと受け入れないのはやはり寂しいですし……それにこれは何もただの施しではありません。人間にとっても大事なことだと思います」

 

「と、申しますと……?」

 

「……至上性はやはり差別を生んでしまいます。それが皆様に必要だったことも勿論重々承知してはいます。しかし、それはいつか排他的な思考を生み、将来同じ人間にも向けられるようになるでしょう。私たちの世界がそうでしたから」

 

「っ!!」

 

 オルカーは、いやこの場にいる神官長や大元帥などの全員が息を呑んでいた。大を取り、小は切り捨てる。それが当たり前になっていた自分たち。仕方がないと巫女姫のような存在を作り出し、懐疑の念さえ抱くことなく運用していた我らの果て。それが、傲慢以外の何なのだろうか。

 

「ですから……私は平等は難しくても、少しは相手に寄り添えるようこの力を使っていきたいのです。すみません、少し説教じみたことを言ってしまって」

 

「いえ、本当にありがとうございます。我らは……我らは嘗ての六大神の思いを都合のいいよう解釈し、大義と称して傲慢になっていたのだと今更気付かされました。ツクヨミ様の御言葉のお陰で、ようやく自身を顧みることができました」

 

 オルカーは震える声を絞り出すように、必死にツクヨミに言を返す。他の者も同様だ。力が及ばなかったのは事実だが、それでもあまりに自分たちは未熟であった。このまま神が現れず、我らが寿命で死んでいたらと思うと法国の未来はぞっとするものであっただろう。

 

「ツクヨミ様のご方針、よく理解できました。元々それに対して異は無かったのですが、益々素晴らしいものであると確信しております。……他の者、他に意見や質問はないか?」

 

 左右の席の者も異論はないという風にこちらを向き、頷く。

 

「では以後、スレイン法国は神の方針に付き従うものとしましょう。とはいえ、こちらは民の心情もあるので、方針の融和も少しずつとなるかもしれません。……ツクヨミ様、宜しいですか?」

 

「勿論でございます」

 

「ではそういうことで。今回の集会の大きな内容は以上。それと最後に皆、先ほどの巫女姫の件なのだが──」

 

 これは後のスレイン法国にとって大きな転換となる集会であった。

 

 オルカーは先程エントランスで行われた巫女姫に関する処遇について話す。ツクヨミの先ほど話した内容込々でだ。

 結果、満場一致で巫女姫の治癒が決定したのはすぐ後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 大神殿内の一室、六つのベッドが置かれた青暗いその部屋の中には巫女姫たちが眠らされている。赤・青・緑・茶・白・黒の宝石がそれぞれ付いたサークレットを被る金髪の少女達の目隠し布は剥がされ、近しいベッドに横たわっている。

 

 

 コツコツと足音がすると、開け放たれた部屋の扉から人が入ってきた。

 

 

 その内訳は魔封じの水晶や他アイテムを抱えたツクヨミ、そして最高神官長と光の神官長。加えて巫女姫の発狂処理と深いかかわりがある漆黒聖典(アリシア除く)の面々であった。

 

 皆緊張した面持ちである。

 

「では、光の神官長。これを」

 

「これは?」

 

「第十位階の信仰形魔法である清浄の場(フィールド・オブ・クリーン)の魔法が込められた水晶です」

 

 

 

「第十位階っ!!???」

 

 

 第十位階。明らかに常軌を逸した位階を告げられ、光の神官長のみならず、最高神官長や漆黒聖典もまた目を見開く。叫んだのは一人ではないだろう。当然だ。この世界では第六位階以上の魔法はもはや異次元の領域とされており、使える人間は殆どいない。それなのに第十位階とは……彼らの予想の範疇を遥かに超えている。

 

「そのような貴重な物を!! なりません! 我らには勿体なさすぎます」

 

「いえ。大治癒(ヒール)だと巻物(スクロール)で行けるにせよ枚数が嵩みますし、上位のそれも後掛けでどうなるか心配なので先に発動しておけるこれで回復と状態異常が何とかなるなら安いものですよ」

 

 実際、前衛プレイヤーであるツクヨミからすればこういうアイテムは必需品であったので、バンバン使うだけに量だけは多く持っている。こちらで入手の機会がないにせよ、レアな課金アイテムに比べればかなりましな方なのだろう。

 ツクヨミは一瞬指輪に目配せすると、紫の花のようなものを漆黒聖典の隊長に手渡す。

 

「これは状態異常を直す代わりに眠り状態にするもの。いざという時はこれを嗅がせて下さい。それでも駄目な時は……別の方法を取ります。では、光の神官長。準備を始めましょう」

 

「はっはい……!」

 

 そうして、光の神官長が水晶を掲げると辺りが光に包まれ──

 

「最高神官長、外しますよ」

 

「はっ」

 

 

 

 

 ────

 

 ──

 

 ──

 

 

 

 

「……」

 

 ここは何処だろう。闇。無限に広がる闇の中で、少女は意識を取り戻した。一切の無から立ち直った自分の意識はまだぼんやりとしており、何か考えるようなことはできない。しかし、確かに肌で感じられることはあった。

 

(寒い……)

 

 そこはとてつもなく寒かった。それと体も鉛のように重かった。自分の身体が自分のものでないように、そして自分が誰なのかもイマイチ理解できないまま、少女は目の前に映る──一筋の光に向かって歩き出す。

 何故かはわからない。ただ、本能的に吸い込まれるように。蛾が光を求めてその炎のぬくもりに飛び込むように少女もまた手を伸ばした。

 

 ゆっくりと……意識が戻っていき──。

 

 

「っ!!」

 

 

 突如として目を覚ました。くっきりと映る天井は青暗いが、部屋全体がまるで天国にいるようなふわふわとした光に包まれており、毛布に包まった自身の身体を包み込んでいた。

 

「て……ごく?」

 

 慣れない舌遣いで話すと自分の声が部屋に響く。咄嗟に違和感を感じた目に手を伸ばすと、皮膚の柔い感触と共にすべすべとした瞼。そして、視界に微かに映り込んでいた人影に意識が行った。

 

「!! し、しんかんちょう。……様?」

 

 ゆっくりと体を起こすと、そこには他にも自分と同じような格好をした少女がおり、そして優しく手を握ってくれている女の人。そして見慣れた神官長の姿があった。

 

 少女は……いや光の巫女は思い出す。

 

「そ、そっか。戻って……これたんだ」

 

 それに安心感を覚えると、途端に両の瞳から涙が流れだした。

 両手で取り留めない涙を拭う。記憶がフラッシュバックするように、ここに来た時のことが思い出されていた。

 

 

 突然神様の新たな巫女として送り出され、親を置いて神殿に向かった時のこと。

 出迎えてくれた神官長の背が高く怖かったこと。

 自分がどうなってしまうのか、不安で仕方なかったこと。

 

 

 

 最後に、神官長が祈ってくれたこと。

 

 

 それらのことを思い出し、今になって震えと涙が止まらなくなる。しかし──

 

「良かったです……。本当に」

 

 隣に屈む女性。白い髪を流すこの上なく美しい身なりをした、神々しい御方。最高神官長でさえ恭しく接しているこの御方を、光の巫女姫は直感で理解した。

 

「か、神様? 貴方様は、神様……なのですか?」

 

「ええ、きっとそうだと思います」

 

 女性は歯切れ悪くそういったが、光の巫女姫にはもうそうであるとしか思えなかった。

 

「……神様っ!!」

 

 不敬であるかもしれない。しかし、光の巫女姫はただ目の前の女性に抱きつく。その時、最高神官長が何か言いたげにしたが、結局その言葉は発せられなかった。

 

 

 

「今は、ゆっくりお休みください」

 

 

 

 それが、光の巫女姫が神と会合した最初の時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 

 

「本当に行かれるのですか? 本当に?」

 

「ええ。それしかもう道は残されていないわ……」

 

 スレイン法国の南西。深い樹木に覆われたその場所では、国の命運を決める新たな遠征が始まろうとしていた。王城の前、柵の前で周りを気にするよう話しているのは二人のエルフ。

 

「なぜ貴方様のような聡明な方があのような王のために……。今回の一件も法国と戦争になりかねない滅茶苦茶なものであると聞きました。それなのに!」

 

「ん。貴方も第二兵団の騎士長様なのだから、もう少し口には気を付けるべきね……。それに貴族や生まれなんて今のエルフ国には関係ない。私はただの女で、多少使えるからと置いてもらってるに過ぎないのだから」

 

 黄緑色の髪をした女エルフ。宮廷文官というかなり高い地位にいるはずの女エルフは服の調子を整えるように細い指で生地を引っ張ると、目の前の鎧を着た青年に続ける。

 

「それに、私は戦争を始めるために行く訳ではない。他の国が動く前に書簡を送って、解決の糸口を探る。そのために中継地まで行くの。……ここに長々いたら殺されそうだしね」

 

 その言葉に青年のエルフは眉を顰める。まだ納得できていないようだ。

 

「しかし、彼らはそうは思っていないようですが」

 

「あー、彼らはそうね……。古い時代のエルフだから不安だわ、本当に」

 

 そう言って二人が目を向けるのは如何にも隊長といった風貌をした中年のエルフと、弓などの武器を抱えた感情の無さげなエルフ共。彼らは文官である女エルフと共に送り出される、言わば"実戦用の部隊"であり、エルフ王に忠誠を誓っている屑である。しかし王が送り出してきた以上、もはやそれを邪魔立てすることはできない。

 

 女エルフは戻ってきた同じ文官である二人を遠目で確認しながら、最後に青年に小さく笑いかける。

 

「まぁ頑張るわ。これが例え法国に対する裏切りだとしても……私たちは暗闇で止まる訳にはいかないのだから」

 

 そう言って、女エルフは青年から離れると実戦の部隊と合流していく。遠くに離れていく彼らの背中は、とても小さなものだった。

 

 




エルフに関しては16巻での名前を一部引っ張ってくる可能性が微レ存です。

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