スレイン法国の首都である神都。そこには、首都というだけあって様々な重要施設が存在する。
例えば神の住まいであった神殿群。寄付金を募り、時には人々の治療を、そして日課の礼拝も執り行う教会。国を守る軍の総本部。国を運営する議会などだ。
それらは一般に開かれているものも、開かれていないものもあるが、基本的にその知名度は高い。
しかし、中には名前だけで、あまりその細かな内情を知られていない機関というのも存在する。
その最たる例が『スレイン法国・魔法研究機関』であろう。
……
もし王国の人間が見たなら、まず間違いなく魔術師組合を連想するであろう建物内に一人の男がやってきていた。
一般の立ち入りが悉く禁止されているこの魔法研究機関において、この場まで立ち入れるのは彼を含めて他十数名程度だろう。
「おぉ、闇の神官長よ。君も来てくれたか。もう諸々の仕事は終わったのかい?」
「ああ。一先ず連絡事項も済んだ。問題はないだろう」
ガチャリと扉の閉まる音が響き、男──漆黒のローブと神官帽を身に纏う現闇の神官長であるグレーム・ラスタ・アーヴィングはこぢんまりとした部屋に入室する。
部屋に入るとすぐ、研究者というより学者然とした衣装、そして目元に付けられた上等なモノクルが印象的な研究館長の姿が目に入る。
彼は今回、グレームをここに呼んだ張本人である。……と言っても、グレームがここに来るのは国の研究成果を利用するためによくある事なので、今更あれこれ思うことはない。それに忙しい身であるとはいえ、こういう会合を設けるのは非常に大事なことであった。
グレームは研究館長の隣にいる同僚──今は机の上に置かれた見慣れない色のポーション類に目を向けている老人にも声を掛ける。後でグレームも研究物について話を聞けないかと心の中でメモをしながら。
「光の神官長も既に来ていたか」
「うむ。朝の会議以来だが、今日はあまり時間も無いだろう? 集まるのも早い方が良いと思ってな」
グレームはそんな光の神官長の言に強く頷いた。今日は本当に時間がないのがネックである。
そしてそんな二人の立場を理解してか、研究館長もいつもの長ったらしい研究自慢を隅に置いて話を始めてくれた。
「では早速、先の話に移ろうと思うんだが……いいかな?」
「勿論だとも。確か、今朝の会議の内容だったね?」
それを受け、研究館長が宜しくと言わんばかりに頷いた。
知っての通り、スレイン法国では多数の意見が重んじられているので、重要な会議がしばしば行われている。神官長会議がその代表例だろう。
ただ……当たり前の話だが、毎日国のトップ全員を集める最高議会が開かれている訳ではない。そのため、突発的な決め事や情報提供を行わなければならないときは小会のような形で、神官長だけで集まって意見を纏めることも多い。
勿論そこで重大な決め事などはしないのだが、それもあってか偶に
(とはいっても、こうして彼に呼ばれたのは初めてだがな)
役職柄上顔を合わせることはよくある研究館長。それもあって仕事中にさらりと聞いてくるパターンの方が普段は多いのだが……今回の件は
グレームは朝の小会の件──つまり神への対応についての内容を話すべく口を開く。
「ではまず決定事項。そうだな。帝国の件についてから話そうか」
グレームは人差し指を一つ上げる。
「皇帝の謝罪の件に関しては研究館長も聞いていたろう? あれが纏まったので、一先ずその内容をツクヨミ様の御耳に入れることとなった。早い方が良いだろうと思ってな。あとの受け入れの是非に関しては神の御判断次第となるだろう」
鷹揚に頷く研究館長。それを見て、グレームは続けて話を始めた。
「そして……これの方が今は重要だな。研究館長よ。神が西の辺境地にご滞在されているのは知っているな?」
「無論だとも。人類の為、そのような場所まで赴かれるとは。なんと慈悲深い御方か」
「間違いない。そしてその神が本日の午後帰られる。我々はその準備と──その帰路の安全を確保すべく動いている。既に動かしていた面々を含めて今は指揮の段階だな」
ふむ、と研究館長が顎に手をやり、話しかけて来る。
「お主が動いているということは陽光聖典でなく、漆黒聖典も動くことになったのかな?」
それに対し、グレームは首を振る。
「いや、漆黒聖典は動かさない。大神殿から動かすリスクが高いし、何より少数戦力としてだけ見れば我々は神の足元にも及ばぬ身だ。であれば
ふと昨夜の件を思い出して苦笑するグレームに、研究館長もまた苦笑いする。
「まぁそのため、今は火滅聖典と遠方の軍に南側の監査、空いていた水霊聖典に国家周辺の広域警戒、そして陽光聖典全てに神の近辺警護を任せているという具合だ。……光の神官長、補足はあるか?」
「いや特には。こちらも夜にちょっとしたトラブルがあった以外は何も問題は起きていないし、神もご無事だ。正直、これで問題ないとは思うのだが……」
そこで光の神官長の言葉が止まる。グレームも何が言いたいかは何となく分かった。研究館長がここぞとばかりに探りを入れる。
「何かあるのか?」
「いや何かというほどではないが、ツクヨミ様は行きと同様空から戻られるらしい。あの御方の海より深いお考えのことだ。何か御理由があるのだろうと思うが、その移動中に何もなければと思っただけだよ」
光の神官長の主張はつまりこうだった。帰り道は行きよりも敵に待ち伏せ等をされやすいので、国内とはいえ油断できないということ。特に最近は帝国のように……他国の動きも忙しなくなっているためだ。
ある意味過保護気味な内容に、だからこそか火が付く。
「しかし、空だぞ? それこそドラゴンでも出なければ……というのは有り得なくはないのか。これは仮の話なんだが、評議国の竜王が変な難癖をつけて飛んでくる可能性はどれくらいあると思う? 闇の神官長よ」
「まずないだろう。盟約に関しても未だ何か言ってきている訳ではないし、地理的にも厳しいと言わざるを得ない。ただ……0とは言い切れないのも確かだ。この前不審な動きもあったしな。……やはり、もう一度神に進言すべきか?」
「いやいや神の御決定に異を唱えるのか? それこそ神への不信ではないか。それに評議国より怪しげな動向をしている国は他にあるだろう? それこそ──」
そんなことを熱心に話している時だった。
丁度グレームの元に一通の
(何だこんな時に)
正直少しそう思ったのは内緒だ。しかし闇の神官長であるグレームに連絡してくる人間は多くはない。そのため、重要な内容である可能性もまた高い。
グレームは白熱しつつある場を少しばかし窘めるとその声を受け取った。
するとその声の主は光の神官長同様、よく聞き知る人物のものだった。
『闇の神官長。今は大丈夫か?』
「これは最高神官長。無論だとも。今ちょうど魔法研究機関にお邪魔している所だが、何かあったかね?」
『うむ』
そういうと最高神官長は一拍置いて厳かにそれを伝えてきた。
『……南の都市間・国境沿いで何か問題が起きた可能性がある。時期だけあって偶然ではないかもしれん。今は調査中だが、可能なら戻ってきてくれるか?』
グレームは迷いなく即答する。
「すぐに向かおう」
♦♦♦♦
「皆様、本当にお世話になりました」
スレイン法国西の辺境地。軍基地の立ち並ぶその平野内において、ツクヨミはようやく別れの挨拶まで漕ぎついていた。
正直結構な時間をここで過ごしたような感覚がある。しかし考えてみるとここに来たのは昨日のことであり、アンデッドの討伐もドワーフとの邂逅も昨日のことなのだ。加えて、今日も朝から他の基地を回ったり、そこに隣接していたアンデッドを軽く掃討したことも考えれば、その仕事量は誰がどう見ても多い。
まるで軍で働いていた時にそこらじゅうの部屋を綺麗にして回っていた時のようだ、と微妙な感傷に浸るツクヨミであったが、まぁなんにせよ新たな神に恥じぬ働きは出来たことだろう。
空からは柔らかな日差しが入り、もうここでの役目が殆ど終わったことを指し示しているようだった。
ツクヨミの目線の先にはこの軍内で出会った人々が感謝の念を湛えて平伏していた。
先頭には軍の指揮官であり主要砦の管理者であるコスタート。その隣には副官である副指揮官。そして後ろには多くの軍関係者と神官団が座している。
相変わらず壮観な見送りに胃を縮こませていると、コスタートがふるふると首を動かした。
「何を仰いますか。このような辺境の地まで来られ、我々──下々に姿をお見せ下さるどころか、更には数々の奇跡まで起こされた。世話になったなどとんでもない。我々が神にその身を、いや心までもを救われたのは疑いようもございません!」
コスタートが真摯にそれを語り終えると、後ろからは感極まって涙を流す者まで現れてきた。これはいつもの不味い展開だ。
(……そもそも奇跡って何だ!?)
そんな思いが一瞬頭を駆けるが、棒立ちではいけないので、何とかそれっぽい言葉を紡ぎ出す。
「そ、それは良かったです。皆様のお役に立てたのであれば、法国の──今回の件に携わってくれた神官長様なども幸いでしょう」
「はっ。誠に有難い限りです。私も折角であれば大元帥様や、先日より集まってくださっていた特殊部隊の方々にも御礼を申し上げたかったのですが……もうお帰りになられたようですね」
そう言い、きょろきょろと首を左右に動かすコスタートにツクヨミはこくりと頷く。
コスタートが言う通り、大元帥様と陽光聖典はつい先ほど首都である神都へと帰っていった。その手段はいうまでも無くツクヨミの発動した
正直に言えば、
しかしツクヨミはそうしなかった。
それは何故か。その理由は言ってしまえば単純で、個人的にちょっと時間に余裕を持ちたかったのと、見慣れた空をもう少しゆっくり飛んでいきたいという少々我儘な思いがあったからだ。
(流石に忙しそうな彼らにはそんなこと言えないけどね……)
なので表向きには大元帥への労いとツクヨミの地理把握のためということにはなっている。勿論一緒に帰りたがっていた大元帥への良心の呵責はあったが。
とはいえそれでも結果的に一つ良かったのは、帝国の皇帝への対応を少し遅らせられたことであり、その回答も空の旅の途中で少しばかし考えることが出来るだろう。
「では、そろそろ出ますが最後に」
ツクヨミは思考を目の前のそれに戻すと、忘れないうちにアイテムボックスからあるものを取り出す。
取り出したのは天使のラッパ。お馴染みの天使召喚系アイテムである。課金ガチャどころかイベントダンジョンの雑魚(※ユグドラシル基準)がドロップしていたのは内緒だが、そのため残している数も少ない意外にレアな代物だ。
ツクヨミはそれを両手で渡す。
「大したものではないですが、天使を召喚できるマジックアイテムです。きっと今後の防衛の役に立つでしょう」
「よ、宜しいのですか? 我々程度にこのような貴重なマジックアイテムを」
ツクヨミはそれにこくりと頷いた。正直に言うと本当はもっと強力な召喚アイテムを渡す予定だったのだが、大元帥に止められたのだ。やはり軍内とはいえ絶妙なバランスというのもあるのだろう。
「大丈夫ですよ。寧ろこのような物で申し訳ございません。どうか皆様に、良き加護があらんことを。そして決して、無理はしないでくださいね」
もし何かあったら──
そこまで言葉が出掛けたが、さっと引っ込める。それはきっと望まれていない言葉だからだ。
(頑張ってくださいね)
そうしてツクヨミは彼らの視線を背負うように、その場から
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太陽が真上にあるように、悉く照らされた草原を見下ろしながらツクヨミは帰路を進んでいた。
軍拠点を立ってからもう三十分程が経っただろうか。既に彼の地は遥か後方。
まぁある意味現実世界での旅行みたいなものだろう。それが生死をかけた世界であり、軍という懐かしい環境だったというだけで。
「……むぅ」
しかしいつまでも感傷に浸っている暇はない。ツクヨミは現在のスレイン法国の大変な立場にあるので、色々とやるべきことも多いのだ。
そうこう今後の事を考えていると、ふとツクヨミはあることに気が付いた。
「しかし早いな。乗ってるのが私だけだから、この子本気出してないか?」
気付けば草原が終わり、ぽつぽつと農村が現れてきている。これは都市に近付いている証拠であった。
……つまり30分弱程度で半分とまでは行かなくても結構な所まで戻ってきているということだ。
これは想定外だった。
普通は喜ばしいことだろう。しかし、ツクヨミは現在地上偵察、兼お空で休憩中なので、あんまり早く帰られても困る。帝国の件についてもまだ整理できていない。
そのため、ツクヨミは
ほぼ一般人であるツクヨミがなぜそんなことを出来るかというと、まぁ出る前に隊長にこっそり教えてもらったからである。
(神殿の皆は色々出来てすごいよね……)
特に戦闘のスペシャリストである漆黒聖典などは幼少の頃から様々な訓練を積んでいたりするらしい。勿論ツクヨミは彼らほど上手くは出来ないので、精々その話を頭の中でイメージし、何とか
幸い
「ふぅ」
、そんなこんなで帰路が良い感じになったことで、ツクヨミはもう一度地理について整理する。
この辺りは中くらいの都市が点々と存在し、その間に細かな農村と草原が存在するという典型的な国土だった。ただ王国と一つ違う所を挙げるとするならば、それは恐らく傾斜の緩さであり、この辺りはかなり平たく、逆に向こうに広がる森と繋がってか木々がぽつぽつ生えている印象がある。
そのため──人は少ないが上からの見晴らしはとても良い。
ただ──
(ん)
だからこそであろうか。
南に遠回りしながら10分ほどが経った頃、一台の馬車。今まで見てきた複数の馬車とは少し毛色が違うそれにぱっと目が止まってしまった。
「止まってる?」
まず気になったのはそれだ。その馬車は一切の動きをしていなかった。それも草原道のど真ん中でである。
ツクヨミは飛行速度を落とす。
続いて気になったのはその馬車が完全に孤立しているということ。普通ならこのような辺鄙な場所を進む馬車というのは危険を避けるため、ある程度の纏まった集団で動いたり、兵士や冒険者──スレイン法国にはいないが──を伴って進むことが多いのだ。
それはある種の旅人としての常識であった。
……
そして最後。これが近づいてみると一番大きな異常であった。
(ゴブリンの死体。それに……まぁ分かってたけど馬がいないな)
加えて御者もいないので、何かしらの事故が起こったのは明白だろう。
「助けない訳にはいかないな。乗ってた人は無事だろうか」
ツクヨミは
しかしツクヨミはこういう時、助けないという選択肢の取れない類の人間だ。だからこそすぐに思い知らされることとなる。
その面倒事が、自身の想像を遥かに超えた悪路に続いていることを。
『ツクヨミ様。突然の
「こ、これは最高神官長、何かございましたか?」
『はっ。誠に嘆かわしいことですが、緊急事態でございます』
それから最高神官長は怒りとも自省とも言えない声でそれを告げてきた。
『