法国の朝は静かだ。辺りからは小鳥の囀りが聞こえ、薄明らしい冷たい風が吹いている。とはいえ、寒い時期が訪れるのはもう少し先のようで、肌触りも涼しいといった具合だ。
古めかしい宿から外へと歩き出た白髪の女性は見慣れない街並みを少しばかり歩くと、まだ眠そうな表情の住人がちらほら外へ散歩しているのを見た。法国の人々は一様に六大神を信仰しており、朝から広場へと足を運び礼拝を守っている者も多い。
彼女は唐突に足を止めると、道端の水路へと目を見やった。その水はスモッグの世界では見ることの叶わない澄んだ透明であり、その周りには若葉が茂っている。その中には白色の花も混じっておりとても綺麗であった。
その美しい光景に感嘆の声をあげ、見惚れている彼女へと横から声が発せられた。
「お嬢さん、この辺では見ない顔だね。観光かい?」
見ると白髪の老人がにこやかに話しかけていた。
「えーっと……。はい! そんな感じです」
少し戸惑いながらも返答した彼女に老人は続ける。
「そうか。そうか。ここは本当に良い場所だよ。とても穏やかで、落ち着いている。六大神様には感謝しきれないよ」
老人は遠くを見つめている。彼らの信仰は傍から見れば少し過度にも感じられるほどだ。しかし、やはり神の存在は人には大きく、その距離が極々近かった法国民の信仰が厚くなるのは仕方のないことなのかもしれない。
会釈すると老人は広場へと歩いていった。
法国は長い間、色んなものから守られている。街の風景を見ているだけならそれこそ、世界が平和だと錯覚してしまうほどに。それが良いことなのか悪いことなのか、判断するのはとても難しい。
────
ぶらぶらと散歩を続け、広間方面へ近づくにつれ少しずつ街に人が増えていた。立ち並ぶ店の看板は既にオープンへと変わっている。店は雑貨店、食料品店、野菜売り場、玩具販売店や武器らしきものを売っているものまで様々だ。本来なら片っ端から見て回るところだが、現在倹約に倹約を重ねているツクヨミは店に入ってしまえば財布の紐が
ただ、だ。RPGプレイヤーとして武器屋をスルーすることはできない。本来の目的地は開くまでにもう少しかかるだろうし時間を潰すには悪くないだろう。ツクヨミはレンガ造りの小さなその建物へと足を踏み入れた。
「まだ人は少ないのかな」
店内はこぢんまりとしており、微かに木の匂いがする。空間は壁で間仕切りされているようで、そこには剣や斧、弓など様々な武器が飾られていた。目立って高そうな武器は無いもののどれも綺麗な造形をしていて素人目で見ても質の高さが窺える。
少し店の奥の方へと歩くと鉄の甲冑を着たマネキンが目に留まった。売り物なのか鑑賞用なのかはちょっと分からない。
『こういうのを見ると昔見たホラー映画を思い出すんだよなぁ』
まじまじと見つめているとそれは聞こえてきた。
「あらぁ、お客さん〜?」
甲高く、それでいて低い声に反応し視線を向けるとそこにはガタイのいい金髪の男が立っていた。それなりに整った顔には薄く口紅が塗られている。──つまりオネエである。
「お、おはようございます」
先ほどツクヨミは朝だから人が少ないと思ったようだったがそれは違う。この店の店主は変人であり、人は良いのだが……まぁ色んな意味で有名だったのだ。
オネエが硬直しているので再び声をかける。
「あの……大丈夫ですか?」
「カ」
「……か?」
疑問を口に出そうとするとそれは唐突に叫び出した。
「カワイイイイイ! お人形さんみたい!?」
「うわっ!?」
いきなり抱きついてきたので反射的に突き飛ばしてしまう。軽く押した程度のつもりだったのだがLV100プレイヤーの筋力は凄まじかったようで、オネエは壁へと軽く叩きつけられると反動で倒れた。……明らかに悪いのは彼だろうが、さすがに心配で声をかける。
「あの、すみません。……大丈夫ですか?」
オネエは自身の服を叩きながら立ち上がると少しは冷静になったようで口を開いた。
「私は平気よ。それにしても見かけによらずとんでもないパワーをお持ちね……。もしかして引退したアダマンタイト冒険者かしら?」
「いや、ただの一般人ですよ。ここへ来たのは、外の窓から武器が見えたので気になって……」
「ふふ、私の武器の良さを見抜いたのね? 見えたのはこれでしょう? この武器、実は────」
すぐに元気を取り戻した彼は語り始める。その知識と見識は確かなもので彼が一流の職人だとすぐに分かるものだった。最初は感心していたツクヨミだったが、延々と続くオネエの話は終わるところを知らず、何度も逃げようと試みたが最後まで逃れることは叶わなかった。
◆◆◆◆
広間近くの昼下がり、何とか本来の目的地の前まで移動したツクヨミは既に疲れ果てていた。
「やっと着いた……」
目の前には歴史を感じさせる立派な建物が立っている。この場所はスレイン法国の国立図書館。距離としてはそこまで遠くない場所だが、ここまで時間がかかってしまったのは言わずもがなである。
扉を開けると視界いっぱいに本棚が広がった。天井は高く、二階建てのこの場所は吹き抜けとなっている。
司書がちらほら仕事をしている中、時計が14時を指すこの場所には既に沢山の人が本を手に取り、テーブルを囲んでいる。その外見は髭を生やした老人からまだ幼い子供まで様々だ。
今回、この場所には主にこの世界の情報や法律を知るために来ている。というのも最近は宿のジャーナルから情報を集めていたのだが、とうとう限界が来てしまったのだ。まずそれらには常識など書かれていないのだから。
場所を移動しながら本を手に取る。『スレイン法国の歴史と法律の関連性』これは良さそうだな。見てみるとそれなりに面白そうな本が沢山ある。元々本を読むのは好きなのだ。『魔法の構造体系理論 著:フールーダ・パラダイン』などというあまり関係ないものまで手に取りながら空いている席に座る。
最近は眼鏡無しで文字を読むことも少しずつできるようになってきたので、なるべく眼鏡は使わないようにしているのだが、やはりこういう本は難しい単語が出てくるようで……ハッキリ言って全然分からない。
ポケットから仕方なしに眼鏡を取り出し内容を読み解いていると横から少女の声がした。
「何読んでるのー?」
横を向くと、珍しい黒髪に白い目を持つ少女が佇んでいた。まだその外見は幼く十代前半だと見受けられる。
「はい、こんなやつ」
本を見せると少女は露骨に嫌な顔をした。
「うー、つまんなそうだね。私は御伽噺がいいな。……そういえば、お姉ちゃん名前は?」
「ツクヨミっていう名前だよー」
「ツクヨミ? じゃあツクちゃんだね!」
少女が続ける。
「私はアリシア。神殿から抜け出してきてよくここに来るんだ。ツクちゃんは初めてだよね? 髪色も珍しかったから声かけちゃった」
アリシアは自身の髪色とは反対の、艶やかな雪色の髪に興味を移しているようだったが、ツクヨミはサラッと聞こえてきた突飛な内容を聞き逃さなかった。
「抜け出すって、お家が神殿ってことかな?」
「うん、まぁそうかも。閉じ込められてるって感じだけどね。力がーとか言ってさ」
不服そうな表情で愚痴をこぼすアリシア。
話を聞くにかなり厄介な事情が絡んでいるようだ。ツクヨミがどうしたものかと考えていると、そのまま少女は隣に座り本を読み始める。
その様子は何だか妹のようだった。
(まぁ、そのうち迎えが来るだろうしここは看過しておこう)
甘々なツクヨミは読んでいる途中だった本に再び視線を向け、読書を再開した。
法国での時がゆったりと、過ぎていく──