スレイン法国、その主なる都市である神都にある巨大な神殿の最奥。
床は磨かれた大理石でできており、辺りには壮大な白亜の石柱が並んでいるこの場所は、一般人の立ち入ることの許されない神聖不可侵の聖域となっている。
そんな何者も近寄らせない雰囲気のこの空間の中央には巨大テーブルがあり、その席には12つの影があった。
集まっているのは、国のトップである最高神官長含む最高執行責任者達であり、現在彼らは国の今後の方針を立てるため、会議を行っていた。
「──それで、次の議題だが」
進行しているのは今代の最高神官長、オルカー・ジェラ・ロヌス。六宗派の中で光の神を信仰する神官長だ。
「近隣に増え続けている亜人の対処の問題だ。特に最近では竜王国が救援を訴えているようだ」
「ビーストマンだったか。こんな寒い時期に面倒なことだ。 しかし、数体が暴れているだけなのだろう? そのくらいなら彼らだけでも対処できると思うがね。私はそれよりアベリオン丘陵で群れの形成を始めている亜人の対処が先だと思うが……」
青色の神官服に身を包んだ男が、手元の書類を掴みながら声を上げる。
法国の東に位置する竜王国。その場所は年々ビーストマンによる被害を増やしていた。ビーストマンとは二足歩行する猛獣の姿をした種族である。その力強さは驚異的で、成人した種は人間の10倍ほどの力を持ち、加えて肉食性で残忍な彼らは人間を食糧としている。
そんなビーストマンの対処は想像するよりも遥かに難しく、例え数匹であろうと決して油断することは出来ない。しかし最近数を減らし──人間の生存圏まで逃げ延びてきたばかりの彼らの恐ろしさを知る者が、現段階で少なかったのも確かだろう。
普段から手の回らぬ彼らは、先の言葉に一様に頷くこととなった。
「わしも群れの対処を優先することに同意だ。丘陵は亜人の種類も多いうえ、放置していれば大部族の形成から手が付けられなくなる可能性も高い。亜人殲滅のエリートたる陽光聖典を早急に送るべきだろう」
「確かに、竜王国は丘陵の後に陽光で対処してもいいかもしれんな」
軍服姿の白髭の老人含め、皆が同感という雰囲気を出しているので、オルカーもまたそれを首肯する。
「では竜王国は様子見しつつ必要に応じて兵を出し、丘陵には陽光聖典を向かわせることとしよう」
それぞれが頷くと、大国としての中期的な方針──他国を巻き込んだ人類の脅威への対応策が、ここに定まる。まさにこれこそが、この会議が最重要とされる所以である。
……
「さて、では他にあるものは──居ないかね」
そうして議題も一段落し、会議がそろそろ終わりを迎えようとしていた頃だった。
赤色の衣を纏うもう一人の神官長が、疲労の色を強く反映した声で、額をその甲に預けながらぽつりと呟く。
「他という訳ではないのだが、最近やけに亜人被害が多いな。退治しても増える一方だ……。陽光と言い火滅と言い──我々の負担も日に日に大きくなっているように思える」
北東にカッツェ平野、西にアベリオン丘陵、南西にはエイヴァーシャー大森林が存在する法国は亜人やモンスターに囲まれている。これだけでもそれらの対処を行うには寝る暇も休む暇も到底無いほどであるのだが、最近では竜王国東のような、国土に直接面していないような場所にも問題が多発している状況であった。
それを鑑みれば、火の神官長の言うことも尤もだろう。周りに座っていた者達も堰を切るように溜息を漏らす。
「うむ。しかも、他国は討伐に参加しようともしない。一応の同盟国である
「本当に苦しい状況だ。我々だけではどうにもならない!」
「こんな時、神がいらっしゃれば……」
「……私たちはこれほど尽力しているというのに、まだ神はその尊き御姿を顕しては下さらないのか」
彼らは人類を守るため日々戦っている。ときに非人道的な手を使うことも少なくない。しかし、それだけの事をしてもなお、少しずつ弱小種である人間が追い詰められていることに不安を吐露していた。
場の空気が悪い方へと落ち込んだ中、法国でも少ない黒髪・黒目である闇の神官長は一点の曇りもない顔つきで胸元の十字を握りしめると、
「我々は六大神によって救われた。この国も、人類もそうだ。ならば神のご不在の間、人類を守護するのが我らの務めであろう。違うか?」
他の者はハッとした顔になると再び表情を引き締める。それを見てオルカーもまた神妙に語り始めた。
「正しくそうだ。人類の守護者である我々が弱気になっていてどうする。それでは次の議題へ行くぞ──」
◆◆◆◆
転移から早いこと二ヶ月、どうやらこの地にも四季が存在しているようで、現在12月であるスレイン法国はその街道に白い雪を垂らしては地面を濡らしていた。
軍はあの後大きな騒ぎ、それは暴動であったかもしれない──が巻き起こった。兵士たちはツクヨミが日雇いであったことに不満を爆発させ、口煩く正式雇用しろと文句を垂れた。
……人間とは欲深い生物なのだ。大元帥は苦渋を飲まされた後に、とうとう折れた。
そうして今、ツクヨミは正式に軍の手伝いをしながら慎ましく生活を行っている。この二ヶ月は
(……かぷっ)
もう夕方になる頃、ツクヨミは暖かい白のケープを肩にかけ、仕事帰りに買ったお気に入りの肉饅頭(固いが)を頬張りながらベンチに腰かけている。
ちなみにその値段は驚くほど安い。
貧しい者でも、ほんの少しの蓄えさえあれば手が届くような代物である。
ツクヨミの感想としては『アーコロジーでは到底考えられない』──ということで、こういった細かな部分に関しても、法国という国が如何に豊かであるかを窺い知ることができる。
「それ、好きですね」
ひとしきり景色を眺めていると、後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。
ツクヨミは振り返り、雪色の髪を微かに揺らしながら答える。
「……ルーインさんでしたか。これ、とても美味しくてオススメしますよ。人気なのかすぐ無くなっちゃいますけどね」
「なるほど、では今度食べてみましょう。見た目も面白いですし」
ツクヨミの視界にじっと映るルーインはそこで一旦言葉を置くと、ベンチの横まで歩を進めてから立ち止まる。その恰好は当然のように軍服。
法国でも特に規律を重んじる軍部とは言え、国内でも常にそれを着ている必要があるということは無いはずだが、ルーインはこうして── 日の終わり際まで長いこと見回りをしていることが多い。
そしてそんな彼は少しぎこちない様子で、隣から話を切り出してくる。その口調はいつもより固いもので、ツクヨミもまたそれへと真剣に耳を傾ける。
「……そういえばツクヨミさん。明日からでしたっけ? ここを出られるのは」
ルーインはこちらの様子を窺うようにしながら、同じく夕陽へと目線を戻す。
それは明日からツクヨミが一時的にだが法国を離れるというもので──
ツクヨミはなるほど、と先の口調の固さの原因に納得しつつ食べかけの肉饅頭を手元に置いて返答する。
「あー、はい。初めての纏まった休暇なので……折角ですしね」
ツクヨミは長期の休みが続く明日から旅に出るつもりでいる。
その行き先は北西の大国たるもう一つの周辺国家――リ・エスティーゼ王国だ。
それは前々からルーインにも伝えている内容だったが、やはり"他国への旅"というものには、軍部の人間として何か思う所があるのかもしれない。
(馴染んできた法国を離れるのはまだ少し不安だけど……。他の国の事もきちんと知っておきたいしな)
ここで緩く生活を続けているとはいえ、ツクヨミはまだこの世界の事を殆ど知らない。誰かが──例えば家族などがそのことについて詳しく教えてくれる訳でもない。情報という観点から見ればそれは致命的だった。
それにこのまま何気なく過ごしていて本当に大丈夫だろうか。
そういった、漠然とした思いが無かったとも言い切れない。
……まぁ、それでも一番は話に聞いていた王国に行ってみたい! という気持ちに他ならなかったのだが。
「正直少し不安もありますけど、王国は比較的平和らしいですし、前にルーインさんが教えてくださった御話からも楽しみにはしています。……寄り道しすぎて、お金を使い過ぎないかは若干心配ですけどね」
「ああ。確かに王都まで結構遠いですもんね。今だと足税とかもありますし、エ・ランテルは難所ですね~」
はははとルーインが冗談めかしく笑う。
この話は尤もであり、リエスティーゼ王国のような人間国家は現在戦争は行っていないため、足税さえ払えば観光程度の行き来は何の問題もなく可能となっている。つまりお金と時間さえあれば旅行はしやすい環境であるということだ。
(それが大変なんだけどね。税金に馬車代。それに宿代も……)
ツクヨミは心の中で唸る。
実のところ、転移当初は
……しかし結局そうはしなかった。理由としては出処の問題や、いるかもしれないユグドラシルプレイヤーの目に留まる危険性のこともあったが、一番は必死に働いている人に気が引けたことかもしれない。以来、地道に軍で働いて稼いだツクヨミは、今になってようやく外に出る機会に恵まれたという訳だ。
「──何はともあれ、羨ましい限りです。私は兵士なのであまり時間が取れなくて。王国にはずっと行ってみたいと思ってるんですけどね」
そう言うルーインの表情は先程と同様笑っているもののどこか寂しげで、彼が前々から行きたがっていたことを知っているツクヨミは小さく頭を下げた。
「すみません」
「いえ、謝らないで下さい! 私も分かっていたことですし、長期の休暇を取れたのはツクヨミさんが頑張って働いた結果ですよ」
「しかし本当に良かったのでしょうか。一ヶ月もお休みを頂いてしまって。お気を煩わせてはいませんか?」
ルーインは頭を掻きながら申し訳なさそうに返答する。それはどちらかというと軍の事情であったからだった。
「汚かった兵舎も今は拭くところも無いほどピカピカですからね。実のところ咄嗟の事だったので上も与えられる仕事がないんですよ。掃除以外だと他の人の仕事に触れちゃいますし。……まぁこちらが何とかすることですから、ツクヨミさんは気にしないで大丈夫ですよ」
続けて明るい笑みを浮かべて言う。
「そうだ。私にも王国がどうだったか教えて下さい!」
「はい。 ……勇者がいないかちゃんと探して来ますね!」
ツクヨミはベンチに座ったまま、手を伸ばし開いた。
手のひらには雪がこぼれ落ちながら、そっと消えていく。空は夕焼け色に染まり、心身共に暖かさを感じさせられるようだった。
彼女はまだそれほど古くないあの日の情景を頭に浮かべながら、長い旅に備えいつもより少し早く宿へ戻ろうと立ち上がった。
────
翌日の肌寒い朝、馬車は柔らかな日差しを受け揺れていた。この馬車は今朝スレイン法国を出発し、エ・ランテルへと向かっている。貴族などが乗る豪奢なものとは違う一般的な馬車の室内は狭い。加えて椅子は安い木製であり、長時間乗るにはお尻が痛くなりそうな固さである。
比較的料金の安い相乗りであるこれの乗客料は1銀貨であるが、エ・ランテルまでは直行でも数日かかる。到着までに止まる回数は最低限であるが、それでも数回の乗り継ぎが必要なのでその金額は決して易しいものではない。
そんな馬車に乗っているのはツクヨミを含め三人であり、前におおらかな茶髪女性、右前に八歳くらいの同じく茶髪の少年が座っている。顔立ちも似ているし年齢的には親子なのかもしれない。ゆったりと窓の景色を眺めていると、茶髪の少年がちょっかいを掛けてこようとしているのが見える。だが、それはすぐに止めさせられた。
「すみません、元気っ子でして……」
「いえいえ、お気になさらず。お二人はエ・ランテルへ旅行ですか?」
多少地名の発音が馴染むようになったツクヨミがそんな言葉を交わすと、女性がそっと首を振った。
「いえ、実は私たちは実家が法国にありまして帰省していたんですよ。本当は夫も来る予定だったんですが、ちょっと前に体調を崩してしまったようで。……今はその帰りなんです」
なるほど、とツクヨミは小さく頷く。
確かに最近の外は肌寒く、温度変化も急であったので体調を崩してしまうのも無理はないと思われた。特に、こんな時代であるので野外で働く人も少なくないのだろう。
納得していると少年も喋りかけてくる。
「お姉ちゃんはエ・ランテルに遊びに来るの?」
「私は少し遠いですが王都まで観光へ行く予定でして、エ・ランテルには行きと帰りの一日だけ滞在させて頂こうかなと思っています」
「それなら香る
見せかけだけのツクヨミよりも遥かに"通"であり、大先輩である女性からの推薦。これは良いことを聞かせて貰ったと心のメモ帳に書き留めたツクヨミは続く彼女の話を熱心に聞いた。
その後もしばらくたわいの無い会話は続いたが、心地の良い馬車の揺れと疲れからかとうとう女性は眠ってしまった。
ガタンと小さく馬車が揺れたので再び景色を見てみると、そこには雄大な草原が広がっている。沢山の草は風に揺れ、海のように地面に波を立てている。遠目には草食動物らしきものが見えるがモンスターはいないようだ。安全な地帯なのか、定期的に退治しているのか。
取り留めもない考えの中、いきなり膝の上に少年が乗ってきて窓の外を指指した。
「3匹いるー!」
「遠くにいるねー」
男性の時はあまりしていなかった口調で、多少ぎこちなく返答する。
未だ慣れないものは慣れない。
けれど遠目に見えるそれの造形を見て、そんな思考も吹き飛ぶ。それは小さな角の生えている羊のような生物で、地球のヤギに似ているのだ。名付けるならビッグシープ……いやビッグゴートがいいだろう。
小さな子供とのコミュニケーションは不慣れであり、無言でまた自分の世界に入り込んでしまっていたツクヨミはいかんいかんと頭を振る。
窓の外から再び少年に目線を移して会話を振ろうとすると、……ん?
少年は膝の上で既に丸くなっており小さく寝息を立て始めていた。彼を見ながら、『まさかそのために近づいてきたのでは?』と大人気ない勘繰りをしたツクヨミは、ため息混じりに自身のケープを少年の小さな体にかけた。
◆◆◆◆
夜に小さな拠点へ停まりながら、殆ど同じ風景を眺め寝ていただけの一行の馬車は、あれから3日後にようやく目的地へと到着した。
その場所はエ・ランテル。リ・エスティーゼ王国の東に位置する都市であり堅牢な城壁に守られている。この場所は王国と帝国の国境付近に存在しているため交通量も多く、大勢の人が集まり賑わっている。
そんな城塞都市の外周部にある検問所をこれといった問題なく通過したツクヨミは巨大な門をくぐった先で、寝起きの頭でこれから何をしようか考えていた。
「ここがエ・ランテル……。今は何時だっけ」
空を見上げると天頂で太陽が照り輝いている。丁度お昼間頃だろうか? お昼、という言葉に反応したのか自身のお腹が鳴る。うぅ、食い意地の張ったやつだ。昼から宿で昼食を摂るのもお金がかかりそうだと考え、ひとまず露店で食べられそうな物を探そうと歩みを進める。
「なんていうか、賑やかだなぁ」
それなりに整えられている街路にはあちこちに馬車が止まり、行き交う人の目には活力がある。商人は既に商談を始めており、朝から用意されていたであろう様々な物資が右へ左へと往復していた。
スレイン法国も栄えてはいるが、どちらかというと静かな雰囲気なのでこういう空気は新鮮である。
人波をかき分けながら中央広場らしき場所に着くと、そこには沢山の露店が立ち並び、各々が客を呼んでいる。売られている物は様々だが、目当ての食べ物からは憎たらしいほどに食欲を刺激してくる良い香りが放たれている。
ツクヨミの目線の先には焼いた肉を小さなブロック状に切りそろえ、それを数個、棒に刺した物が売られていた。あれにしよう。
「すみません、二つ頂けますか?」
「ま、毎度あり! 合わせて1銅貨だよ」
ポケットの財布から小銭を取り出し、若い男性の店員──ツクヨミを見るや否や何故かあたふたしている──から商品を受け取る。正直さほどお腹に溜まる物では無さそうだが、
人が多い場所だと、白い髪が目立つのかちらちら視線を向けられている気がするのだ。勿論ただの気のせいの可能性もあるが。
「ん、100点!」
まぁそんなことは一旦忘れ、肉を口に運びながらツクヨミは視界を広場の風景へ移す。その視線の先には子供がごっこ遊びをしていたり、冒険者風のチームが一休みで弁当を囲んでいるのが見える。
それは和やかで尊く、それでいて淡い。
軽い昼食を終え、思案する。
夕方は香る
すっかり観光客気分なツクヨミは、どこか不安定な気持ちを心の底へ押し込めつつ、ゆっくりとその腰を持ち上げた。
────
夜の8時、すっかりと暗くなってしまったエ・ランテルの街は昼間の騒がしさが嘘のように静まり返っている。しかし、それは一部分でしかない。仕事を終えた者、冒険から帰った者、他にも様々な人が一様に夜の帳を抜けて酒場へとその身を寄せていた。
エ・ランテルの酒場兼宿屋である香る紅葉亭も例外ではなく、一日の終わりを迎えようとする者たちが真新しいテーブルを囲んでいる。その姿は依頼の成功を祝うもの、料理にがっつくもの、ウトウトしながら食事を摂るものと様々だが……テーブルの中央でそんな光景を吹き飛ばしてしまうような突飛な事が起きようとしていた。
「一目惚れしました! 結婚してください!!」
即座に視線が集まる。田舎貴族であるロディー・ラス・デイル・ビョルケンヘイムはあろうことか初対面の相手にプロポーズを行っていた。対象となったであろう白の髪の女性は食事中で、飲んでいたであろう水を吹き出しむせている。
それを見ていたお付きの護衛らしい男が遅れて反応した。
「坊ちゃん! いきなりなんてことを言い始めるんですか。それに私たちは成人の儀の途中でしょう!」
「離してくれ! 人間言わなきゃならない時ってのがあるんだ。今を逃せば、それをいつ伝えればいい!」
お付きの男は予想外の力説をされ、小さく怯んだ。周りの客は面白いことが起こったと口笛を吹いたりしている。宿の店主もどうしたものかと慌てている中、女性はシドロモドロになりながら小さく答えた。
「そ、そんないきなり言われても困りますよ」
「あぁ。声も美しい! やはり運命の人か」
男には全く言葉は届いていない様子で、それどころか激励を受けたかのように勢いを増していった。もし彼女が
ある意味レイドボス戦より手ごわいこの状況は、お付きの男が何とか彼を連れ出すまで長いこと続いた。
ツクヨミの王都までの道のりは遠い。