神都の西区画には、法国特有の宗教建造物である教会が存在する。
それは何も知らない国外の人間からすれば、『神殿や聖殿と一緒だ』と大抵は思われそうなものだろう。
ただし、実はその内情と役割はかなり違っている。
まず、神殿は一般的に神官などが神に祈りを捧げ日々信仰系魔法の研鑽を行ったり、神殿事業として一般の民草への治療を行ったりすることで知られている。
ただ、これに対して教会は、国民が神へ礼拝するためのもの──つまりは純粋な信仰心を主とした場所であり、更に言うならば宗教国家である法国の教義を広めるための場所でもあった。また歴史を遡ると六大神の一人である風の神──輝煌天使ねこにゃんとも深い関連があるという。
まぁ、そんな教会なのだが、首都である神都にも当然……壮大で立派な教会というのが鎮座している。
規模的には聖堂、もしくは大聖堂といったそれだが、豪奢な反面その運営は国民達の日々の献金によってなされており、今日も今日とて多くの人が──厳密には主日ではないが──聖なる日ということで熱心に訪れていた。
「──ですので今日も、安寧の中を生きられることを神に感謝しなければならないのです」
ステンドグラスに囲まれた広い建物の中、ひと際目立つ奥の説教台の上では、男が胸に手を当てながら救いの神の偉大さを説いてた。
その見た目は短い金髪を後ろに流し、この辺りでは珍しい年季の入った眼鏡のようなものを掛けている。
また、法国の紋章の入った白黒の神官衣をすらっとした長身に纏う姿は優しげでありつつも壮年男性の貫禄があった。
そんな男の名前は、レーゲ・エイン・シュバイツという。
レーゲは現在説教を行っていることからも分かる通り、この神都にある教会の主たる神父であり、近隣の人々に親しまれる著名な人物であった。
……
あえてレーゲの過去を語るなら、それは誰もが「優秀だ」と答えるものだった。
彼は建国の時代に活躍したという法国の名だたる家々──俗にいう資産家の生まれであり、法国の教育機関では優秀な成績を多く収め、若くして第三位階の信仰系魔法の使い手にまで至ったという。
当然そんな逸材であったので、昔はその才覚を見込んだ国から何度も直接声が掛かっていた。
だが、かつてのレーゲはその全てを辞退。それから『人々にもっと神の素晴らしさを知って欲しい』という思いだけで辺境の教会に転がり込み、今では法国で名を知らぬ者はいないほどの立派な信仰者になったという過去がある。
そんなレーゲは普段と変わらず、手を振り上げたりしながら、それはもう熱心に聴衆に話を続けていた。
「六大神。我らがスレイン法国、その建国に携わりし偉大なる神は言うに及びません。しかしそれだけではない。そう──今宵再臨された神……」
「……陰で私達を照らしてくださる月の神、ツクヨミ様もまた──慈愛に溢れる、六大神様方と同様の救いの神なのです」
「……っ」
それは本人が聞いていたら顔を覆いそうな内容であるが、当然ながら彼の言葉を疑う者はここにはいない。寧ろ、聴衆の反応はそれが真実だと言わんばかりに涙ぐむものが大半で、もしここが厳粛な教会ではなく演説の場であったのなら――その一声はたちまち嵐となっていたほどだろう――
レーゲもそんな周囲に共感するように目を瞑り、再度見開いたかと思えば、続けて声高に告げた。それは直近の内容だ。
「皆様は知っておられますか。ツクヨミ様はこのほど国内のみならず、隣人たる"
戦場等で多用される黙祷ではなく、教会では胸の前で手を翳し、祈りの言葉を捧げていく。そうしてここでの説教は終了だ。
当然のことながら、主要な教会ということで礼拝にやってきていた人の数も多く、壁際で話を聞いている者も合わせれば、それは100を優に超える。また説教台に向かい整列された長椅子に座る面々はこの辺りの近隣住民から少し離れた国内の資産家……年を取った老人やうら若き令嬢まで多種多様であった。
そのような大舞台で神父レーゲは普段より長く祈りを捧げると、ようやく──その重い瞼を眼鏡越しに持ち上げたのだった。
(ふぅ……)
先ほどまでの熱弁とは裏腹に、レーゲは心の中で
辺りを見回せば、満足気な参拝者が両手に聖典を抱えそっと部屋を退出していく姿や、信心深い金髪の若い令嬢が神の偉大さに感動する姿などが散見される。
本音を言えばレーゲもまた、彼らに混じって日々の信仰を深めたいところだった。しかし、"今の自分には"残念ながらそれはできない。
その理由はこれだった。
「う……」
それは体の不調。レーゲが説教台から動こうとするや否や、突発的に全身を駆け巡る痛み──いや、単純な痛みというよりは足が攣った時のような不快感が発生し──堪らずバランスを崩す。
世間には隠しているものの、実はこの魔力欠乏症にも似た症状は恐ろしい呪いの一種であり、これのせいで最近の彼の生活は苦しく、更には神父としての活動の危機にも瀕していた。
(不味いな。思ったより前受けた魔物の攻撃が深刻化している……)
レーゲは額から冷や汗を流しつつも、それを気取られないように素早く説教台から降りる。
経緯を話すならレーゲがそれを受けたのは1か月ほど前のことで、珍しく国外に出張した際、人気の無い北の平原で出くわしたモンスターに置き土産を渡されてしまった。
本来であればこうした技は信仰系魔法で難なく治癒できるものであり、当初は大事には考えていなかった。教会や神殿、何なら専門家である自分であれば後からでも対処は可能だろう。そう浅慮ながら思っていたのだ。
……しかし、結論を言うとレーゲのそれは治せなかった。自分の保有する魔法でも当然のことながら、神殿所属の高位神官さえ、過去の文献や魔法の書物を漁ることが必要なほどに厄介な代物だったという訳だ。
「いや、本当に失態だ」
落ち込むように声を出す。だが、そう嘆いてもどうしようもないのは事実。一応本件、法国上層部にも相談済みであるが、まだまだ時間が掛かりそうな気配が見えていた。
ならばと、レーゲは気合を入れるように足を引きずる。幸い、今の今まで生活ができているように、その効力は命を奪うほどに強くはなかった。
「私はこんな状態だが……どうか信徒の皆様には……神の御加護がありますように」
レーゲは力ない視線と共に胸の前で十字を切る。
瞳には微かな悔しさを滲ませ、『いつまでこの仕事も続けられるだろう――』と、まさにそんなことを思っていた時だった。
その声は突如として教会内に現れた。
「あ、あれって」
「神官長様?」
「どうしてこのような場に……」
(ん?)
礼拝に来ていた者達の一部から、そんなざわめいた声が発生したのだ。
何事かとレーゲはその場で首を動かす。そして──目を見開いた。
「あれは……まさか。さ、最高神官長様!?」
見れば、奥から近づいてくるのは偉大な神官長の中でも、更に上位の存在。質素な立ち振る舞いにこれでもかというほどの威厳を漂わせる最高神官長その人だった。そしてその隣には質の良い灰色のローブを頭から足元まで身に纏う、
────
「レーゲ殿。少し急になってしまいすまないな」
「とんでもございません。最高神官長」
この国のトップである最高神官長の訪問を受け、レーゲは窓から日光の差し込む廊下へと速やかに移動していた。
最高神官長と相まみえるのはパレードの時以来であり、名だたる神父とはいえ最大限の敬意を払わなければならない。レーゲは平静を保ちつつも、現在頭に浮かぶ疑問を口にする。
それは無論、彼らが此処にやってきた理由について。
「しかし最高神官長。本日はどのようなご要件で? まさか私の要請に応えてくださったのでしょうか」
「うむ。まぁ……そうだな」
皺のある口をなぞる最高神官長ことオルカーの返答は実にシンプルであり、もっと複雑な事情があるのだろうと身構えていたレーゲは内心驚く。これほどの人物が自分のためだけに足を運んできてくれたというのなら、それはとんでもないことだ。
(ということはこの横にいる方が呪いに見識のある神官……もしくは特殊部隊の方なのだろうな)
「私程度の為に感謝いたします……」
レーゲは心から頭を下げる。だが、最高神官長はそれを見るなりすぐに手で制すと、小さな咳払いと共に、レーゲの思いもよらないところから発言してきた──
「まぁ待ちたまえ。少し驚かせてしまうかもしれないが──感謝はこの方にすべきだろう。レーゲ殿のことを大神殿の方で話した際、来てくださるということになった。其方も良く知っているだろう偉大なる御方、ツクヨミ様だ」
「……え? 最高神官長、それはどういう意味で?」
あまりの動揺に声が上擦る。というより、レーゲは淡々と話す最高神官長の言葉がいまいち理解できていなかった。
(ツ、ツクヨミ様?)
言わずもがな、レーゲとてツクヨミの事はよく知っている。
法国に再臨された神の一柱にして、慈愛深きこの国の光。
神父としてその再臨の際のパレードは"参加者側"としても最前列で拝んだし、今とてその御言葉の研究を重ねているのが自分という存在だ。
つまり、ツクヨミとはこの国のまごうことなき神その人であり、六大神と並べられて語られるような存在。到底レーゲがおいそれと会えるような存在ではない。
(そう。つまりツクヨミ様が来てくださった、というのは比喩か何か、ということだろう。なるほど、最高神官長様もお人が悪い)
それなら先ほどの言葉の意味も通らないことはない。そうレーゲが頷いていると、隣にいるローブ姿の神官が、こちらを驚かさないようにかそっとフード部分だけを捲っていた。
「神父様。ご紹介に預かりました通り、ツクヨミと申します。お忍びのため急になってしまいましたが、重篤な症状に悩まれているということで参りました」
「神官様ですよね。わざわざすみません……。──は?」
レーゲは目を見開き、顔を見合わせる。
そこにあったのは黄金の装飾具に美しい白い髪、そして知性の隠し切れない──宝石の如き紫色の双眸だった。
(っ!?!?)
それは見間違えるはずもない主の姿だ。そこでようやく、レーゲは先の神官長の言と神の慈悲深さを真の意味で理解させられたのだ。
「ツ、ツクヨミ様……。た、大変失礼いたしました。しかし……本当に? いえ、神が本当にこのような場にいらしてくださったのですね?」
驚くほどに声が震える。即座に身を屈めようとしたレーゲであったが、それは神本人に止められることとなった。
「頭をお上げください。そう──実はそれほど大したことではなくてですね。此度の体調の件に関しては私もささやかながら御役に立てるだろうと思ったのと、単純に私用も兼ねて……でございます」
「な、なるほど。そういうことでしたか……」
レーゲは神の直言を受け、その意図することを辛うじて理解する。つまり、神の真意はまた別にあるということだろう。それが何なのかは人の身では伺い知れぬものであるが、少なくとも「教会を見たい」とか「レーゲを治療する」とかそんな些事であることで無いのは確かな筈だ。
そして──だがそれでも──自分程度のことを神が気に掛けてくださったという事実にただただ胸が熱くなった。
「このレーゲ、ただただ感謝いたします」
片膝を付き、身を屈めるレーゲにツクヨミは一度だけ頷くと、それから本題に移った。
「それではレーゲ様。宜しければ見せていただけますか」
「はっ。大変御見苦しいものかと存じますが、攻撃を受けたこの腕は見ての通り黒ずんでおり、厄介な呪いに今は全身が侵されております」
「なるほど、これが」
「!? か、神よっ。私程度の手を」
レーゲは驚きのあまり再度目を見開き、目の前で屈もうとする神を見上げる。
それもそのはず、なんと呪われているレーゲの腕を、あろうことか神であるツクヨミが直接手に取ったのだ。
一瞬、レーゲはその感動よりも、己の身に宿る穢れによって神の御身を害してしまうのではないかと不安に駆られた。だが、再度立ち上がった目の前の神はそんな些事を一切気にしない様子で威風堂々とした姿を晒しており、先程のレーゲの不安……その内に渦巻いていた闇を軽々と蹴散らした。
この人はただただ光だったのだ。
「大体分かりました。恐らくその階位の呪いであれば、このマジックアイテムでも十分対応可能でしょう」
「ツクヨミ様。畏れながらそれは?」
見上げるレーゲに代わり、隣から最高神官長が恭しくそれを尋ねる。対してツクヨミはというと、昔のことを思い出すように天を見上げたかと思うと、次の瞬間には聖母のように微笑んでいた。
「これは呪い状態を回復させるためのアーティファクト、その一つです。昔めちゃくちゃなダンジョン……いえ、太古の遺跡を手中に収めた際、ドロップしまして」
「おぉ!! なんと素晴らしいっ」
「杯……でしょうか」
ところどころ理解できない言葉もあったが、気にすることなくレーゲもその貴重な品を見やる。ツクヨミの手に握られているそれは杯の形をしており、見た目は古い品でありながらも神聖さと荘厳さを醸していた。更にはその下部には水の張った皿が。そして杯の中からは強い水気を帯びた透明色の液体が滔々と溢れ出し、皿へと落ちている。
控えめに言ってもそのアイテムの見栄えは凄まじく、少なくともレーゲもそんな神々しいアーティファクトなどこの長きに渡る人生の中で一度も見たことがない。
ツクヨミはそれを手に取り、中の水を右手で救うと、再度屈みこんでレーゲに告げた。
「では、御手を拝借します」
「……っ!」
ツクヨミはたった一滴、その細い指先からレーゲの呪われた腕へとその雫を落とした。その情景はさながら教会の儀式の一つである洗礼のようでもあり、その水滴を受けるや否や、たちまちレーゲの体の中に蠢いていた暗い汚泥のような不快感が消えていく。当然、腕に現れていた黒ずみもだ。
そう──たったそれだけのことでレーゲの呪いは完全に治療されたのだ。
レーゲは今度こそ感極まり、その場に平伏してしまった。
「神の御業とその御慈悲に……ただただ感謝と賛美を捧げます」
瞳からは自然と涙が流れ落ちた。それは彼にとって、いや一信仰者として紛れもない"報い"に他ならなかったから。
────
「ふむ……」
目の前で治癒されたレーゲ。それを見て、最高神官長たるオルカー・ジェラ・ロヌスはというと、穏やかな面持ちでその場に立ち尽くしていた。
己の前では、今まさに立ち上がろうと灰色のローブをはためかせる自分達の神がいる。それを見てオルカーは『あぁ……』といつも──途轍もない安心感を覚えるものだった。
(本当に慈悲深き御方)
今回、この立ち合いを希望したのは当然ツクヨミであり、オルカーはそれを最初に聞いた時、内心かなり驚き、御身の負担も考えて正直止めようかとも迷ったものである。だが──それは杞憂だった。というよりも、今なら一為政者として確信できることが一つあったのだ。
この方はきっとこの国の……いや人類の平和という大局的な部分のみならず、こうした小さき民こそを見つけ出し、その大きな両手で掬い取ってくださるのだと。
「……」
それはかつての自分も同じであり。
そしてそんなツクヨミはあえて気が付かないふりをしているようだが、オルカーの視界端には今──今回の騒ぎを聞きつけてか、廊下の角からひっそりとこちらの様子を伺う教会関係者──若いシスターなどが見受けられた。
普段であればオルカーも神の御身を盗み見るような真似をおいそれと見過ごすことはしない。だが、神が"こう"されていることもあるし、何よりもそのオルカー自身が、この美しい光景を多くの者が目にし、我らの神の素晴らしさを更に多くの者がもっと知るべきだろうと強く思っていた。だから……オルカーは暫くそうしていた。
(ツクヨミ様。やはり貴方様は……)
多くの者を惹きつけ、護り、陰ながら救っていく至高の存在。オルカーは数多の言葉の中で、目の前の神に最もふさわしいものを探し出し、見つける。
「我々の夜を照らす――
できればいつまでもこの方の隣で一緒に微笑んでいたいと、オルカーはただただ願うばかりだ。
だが、現実というのはやはり非情なもので、オルカーの余韻は突如繋がった魔法──
(これは……光の神官長か)
緊急であろうそれを受け、この国の最高責任者たるオルカーもまたすぐにその表情を戻した。
「どうした」
「最高神官長。お忙しいところ申し訳ありませんが緊急です。監視していた聖王国の情勢ですが、実際に先ほどズーラーノーンとその首魁が現れたようです。規模はさほどですが、その戦力は……」
「なるほど、考えうる最悪だったか。それで……向かわせていた陽光は?」
「まだですが急がせます」
「分かった。私も速やかに戻る」
横を向いていたオルカーは耳に添えていた手を下ろすと、礼服をはためかせながら踵を返そうとする。丁度、その動きに反応するようにツクヨミも近づいてきていた。
「最高神官長様」
「はっ……。ツクヨミ様、先の件ですが、たった今、実際にズーラーノーンが現れたということで」
沈黙。だが、それもすぐに破られると、我らが神はその表情を厳しいものに変え告げる。
「私達もすぐに戻りましょう」
夕焼けはすぐそこにまで迫ってきていた。
♦♦♦♦
時は少しだけ遡り、法国の西に位置する国家であるローブル聖王国、その城塞地のことである。
半島の入り口となる、全長百kmに及ぶ
「おい、それは本当なのか?」
城門から特に離れた平原の前には、動揺を隠しきれない様子で目前の集団に話しかける守衛らしき男がいた。彼はこの地に配備された職業軍人、つまり聖王国の軍士の一人であり、現在起こっている未曾有の事態に内心震えあがっていた。
そしてそれに対峙するは、同じく緊迫感を表情に湛えた王国の冒険者の一人――そのリーダー格の若い男だった。
「本当さ。俺たち……いえ、私達は確かにアンデッドの集団に攻撃を受けたんだ。それも数体とかじゃない、数百とか、本当にそのくらいだった。あの人がいてくれなきゃ今頃どうなってたか……」
「な、なんと悍ましい……。それになんだ。あのズーラーノーンもそれに絡んでいるというのか? にわかには信じがたいが」
軍士の男は腰に下げた剣を握りながら呟く。だが、ローブル聖王国のれっきとした専業兵である彼もきっと、それが眉唾でないことくらいは頭で理解していただろう。何故なら今回このようにこの地に──ローブル聖王国の兵士100名近く、更には沿岸から退避してきた王国の冒険者数十名などが集められているのは、聖王国上層部からの明確な警戒命令があったためだ。
無論、元々はモンスター退治の依頼でこの国にやって来ていた銀級や金級の冒険者に関しては、"有志でこの場に残ってくれているだけ"というのはあるにはある。が……普段はアベリオン丘陵の平原を数人の弓兵が見回っている程度の場所にこれだけ人が集まれば、中には『動揺する者』もしばしば出てくる。
「やっぱり考えすぎなんじゃないか……? だってズーラーノーンと言えば新興の秘密結社だろう? そんな奴らが国に直接侵攻してくるなんて、正直有り得ない──」
「……そう思っているのなら、残念ながらそれは間違いだな」
「──え?」
だが、男の至極真っ当な考えは思いもよらぬ方向で断ち切られることになった。何故なら彼らの前に、その本人達が現れてしまったからである。
「しかしリヒター。転移というのは凄いな」
「……」
「お前は先に行かれた盟主様を追うのだろう? ここは我々に任せてもらおう」
男──皺だらけの腕に枯れ木のような杖を握るその老人は不敵に副盟主たるリヒターにそう言うと、その場に立ち尽くす百数十人に向け、その杖を掲げる。それは誰の目から見ても明らかな敵対行為だった。
「物知らぬ愚かな民衆ども。我らはズーラーノーン、十二高弟……。この国を破壊し、盟主様の理想の世界を作り上げる者である!」
即座に杖の先から酸の雨が降り注ぐ。それを見た人々はたちまち状況を理解すると、動揺する身体を突き動かしつつもすぐに装備を引き抜いた。まごうことなき"聖王国の敵"が目と鼻の先に現れたのだ。
「の、のこのこと現れやがったか! なら、我らの弓を食らいやがれっ!」
「……ふん。下賤な弓など、この稀代の魔術師たる俺には効かんな」
城壁から10mと言った位置だろうか。そんな至近距離であるが、弓兵たちが射る矢はことごとく、老人の隣に立つ青黒いローブ姿の高弟の魔法障壁にいなされてしまう。更に先程、
「
「な!? う、うぐぁぁぁ……!!??」
「ぐ、火、火を消せっ!!」
まさに桁の違う、圧倒的高火力によって場はたちまち混乱する──。直撃した者に至っては鉄製の装備が焼け爛れ、苦悶の表情と共に弓を振り回し、城壁から落下した。
そう、彼らはただの
非情なことだが、あまりにも個としての強さが違う。
「この屑共がぁぁ!!」
だが、そんな中でも果敢に武器を振り払う男がいた。それは先ほどまで怯えていた男だった。彼は腰の剣を振り上げ、目前にいる杖を持つ老人に突撃する。
「わ、私達も援護するわ!」
「俺もだ。こんなところで死ぬわけにはいかねぇ!」
「危険思想の犯罪者共がっ」
当たり前のことだが、この場に集う者たち皆に人生というものがある。ある兵士は友人と飲みかわす約束があり、ある男は父親で、ある冒険者は王国で家を買う夢を持っていた。
だからこそ必死に……男は剣を老人に打ち付ける。しかしそれは届かない。突如として現れた数体の
「
老人は歯向かってくる大衆をにたにたと眺めながら、更に懐からアイテムを取り出す。
「死の宝珠の力を受けるがいいっ!」
紫色の水晶が発光する。それはアンデッドへの支配力を増大させ、使用回数制限付きで死霊系魔法を行使できる希少なアイテムであり、老人がそれを発動すると、ズーラーノーン幹部と人間の間に、巨大な骨のドラゴン──討伐難度およそ48もある
「うっ」
「ぐぅぅ」
それは武装している人間であってもひとたまりのない一撃。戦場が絶望に染まり掛けたその時、門の中央から追加で魔法が発動する。
「
それはローブル聖王国の聖騎士が使用できる魔法であり、一定の集団を対象として恐怖への抵抗⼒を⾼める効果があった。若干とはいえ正気を取り戻した防衛軍に向け、聖騎士が告げる。
「退避だ!! 一度撤退する!! 総員急ぎ下がれっ!」
その声を皮切りに、兵士達が下がっていく。無論、既に
そうして凄まじい勢いで下がっていく大軍を見ながら、老人は気色悪く笑った。
「ふふふ。しかし素晴らしいな……」
「死の宝珠だったか」
「そう。これがあればあの女も……、まぁいい。とはいえ盟主様の理想にはまた一歩近づいただろう」
その場には空っぽの砦だけが残されており、この場での勝利はひとまず彼らが収めたことを如実に示していた。
ズーラーノーン十二高弟たちはそのまま門へと歩み寄りながら、事前に話し合っていた計画通りにことが進んでいることを確認し、頷き合う。
「我らが盟主様。あの方がアベリオン丘陵の寂れた小屋で、あのような実験をされていたのには驚いたが、今回はよい機会だったのだろうな」
「そう。盟主様が言うには、この国の一部をアンデッドの巣窟に変え、死の螺旋の儀式を執り行う。そうすることで最強のアンデッドを生み出し、世界に偽りの光をもたらそうとする偽神に鉄槌を下すのだ。そうすればこの世界は晴れて我らのもの。アンデッド至上の世界も実現するだろう」
「素晴らしい……」
心酔するように周りの狂信者共も思い出す。偉大なるズーラーノーンの主にして最強の存在──自分達とは格の違う、真のアンデッドたる盟主の姿を。
~~~~
「……死の宝珠。そうか、上手くやったようだな」
そんな中、聖王国城塞都市の方角へ一足先に向かう者がいる。
堂々と道の中央を闊歩するその姿は古ぼけた茶色のローブに包まれており、頭まですっぽりと被ったその姿はまるで死霊のようだ。
人呼んで盟主。悪名高いズーラーノーンの創始者であるそのアンデッドは暗い眼窩に赤黒い火を宿しており、ローブの足元からは骨のつま先が露出していた。
盟主は砦先の小都市でふと空を見上げると、自分の白く邪悪に満ち満ちた手を宙に翳す。彼は少し前のこと……自分達の部下がアベリオン丘陵に構えた自身の実験小屋を訪ねてきた時のことを思い出していた。
(法国の神が現れた……か。あんな者共でも少しは役に立つものだ。……この時を我が、どれほど待っていたかも知らずに)
一般的にズーラーノーンは死を隣人とする
だが、それは盟主から言わせればあくまで
「死の螺旋。その真の意義は生じる負のエネルギーを己に封じ、更に強大なアンデッドになることにこそある。だが──かつて我が失敗したように──それだけでは不十分だ」
盟主は歩きながら、思い出す。
自分が力を求めるようになったのはいつからか。それはきっと……盟主が真っ当に活動していた大昔に、南の大陸で地獄を見た時からだ。
「あの地獄には勝てない」
盟主が地獄と呼ぶもの。一度の魔法で数十、数百万の魂を破壊し、ゾンビに変えた古の竜王の魔法。
それを一目見た時、盟主は初めて恐怖というものを覚えた。
絶対的な力の前に……全ては無力なのだと。
それからの盟主は"力"に固執してきた。あらゆる力の在り処を調べ、500年前の六大神のことや――400年前――あの竜王達と互角の戦いを行ったという八欲王のことまで、各国を巡り巡った。
そうして成り行きで立ち上げたのがズーラーノーン。
既に形骸化してしまったと感じてはいたものの、いつか周辺諸国で強大なマジックアイテムを見つけてくれるかもしれない。そういった、塵ほどの期待を込めて。
「正直この"辺境の地"ももうじき去るつもりだったが……これはまさに我に残された僥倖だった。……この苦痛からもようやく解放される──」
「おい、そこのお前っ。止まれ!」
その時、一人の聖王国兵士が不審者である彼を呼び止める。が、盟主はそれを全く気にも留めないように、くつくつと歯を揺らす。
「まずは死の螺旋の儀式で、盟友共々、我が糧とする。その後は我の全ての力を以って……神に反逆しよう」
「おい、止まれ!! いや、こいつアンデッドか!?」
「そして我はついに神々の力を手に入れるのだ」
盟主は構わず道の中央を歩き続け、目前にいる数人の巡回兵を虚ろな目で射抜き、骨の指を宙に這わせる。
「聞け人間。……我は全てを超克する」
その"死"の魔法を以って、一人を瞬く間に殺害する。
「数多の骸が、我の下に築かれるだろう」
盟主がかなりの割合の負のエネルギーを放出し魔法を唱えると、その場には絶望を具現化したように
「そしてその時」
「我はようやく辿り着く。アンデッドを超えるアンデッド──