また、その体躯も非力な人間からすれば十分大きく、戦場を颯爽と駆け抜けながら即死のオーラを撒き散らし、更には死者の魂を吸収して強大になっていくその姿は、まさに死神と言っていい。
ではこの世界でもし、偶然にでもそれに出会ってしまった場合──
スレイン法国の特殊部隊として数々の亜人や異形を相手取り、日々駆逐することを生業とする陽光聖典の隊員達であっても、取るべき行動は変わらない。
──撤退。
あらゆる死を体現したその怪物から持てる全ての手段を用いて姿を隠し、出来る限り距離を取る。それこそが、法国のマニュアルにも書いてあるようなお手本の行動だ──
……
……
「お前達、まだ生きているか」
濡れた金髪を額から取り除くように、陽光聖典第二班の班長たるマルセルはそれを両手で掻き分ける。
その後、濡れた地面に座り込んでから、後ろにいるであろう自分の部下たちに向かって、そう呟いていた。
(本当に今日は悪い日だ)
それはきっと、あの竜王国での出来事を上回るほどだろう。
マルセルはそんなことを思いながら、後追いになるように隣を見やった。
ぱっと目に映るのは狭い路地であり、マルセルが何とか
けれどそれでも幸いだったのは──自分に今もついてきている白フードを被った部下たちが先のマルセルの問いに対し、一様に頷いていたということであったろう。
マルセルは柄にもなく、心の中で安堵の息を吐く。
(まだ……全滅はしていないか)
今もマルセルに向かって気遣うような表情──実際それは見えないが──を向けてくる部下たち。
しかし、それは実のところ此処に来た時よりも数が減っている。理由はもはや、語るまでもないだろう。
「やはり
見えないように拳を握り締める。
それからマルセルは泥で汚れた膝をぱんぱんぱんとはたき、数秒もしないうちに起き上がった。
法国の特殊部隊──人類の守り手として解決すべき、
軽度ではあるが恐らく折れているであろう左足をさすりながら、マルセルが雨の降り続く道路へ移動すれば、すぐにその街並みが見えてくる。とはいえそこは見慣れた街ではない。
……
「ギュオオオオオォォォオォ!!」
近くから獣の雄たけびが聞こえてくる。
聖王国の東街、ロイツ。最初にここに足を運んだ時、襲撃を受けている最中ではあったものの、街の雰囲気としてはスレイン法国に近しいものを感じた。民家は多いが街の交通網がよく整理されており、移動がしやすい。
そして、だからこそだろうか。
この国でマルセル率いる陽光聖典は──突如として現れた
勿論、聖王国の聖騎士たちやこの国の近衛戦士という男、数多の低級冒険者たちと連携し、その場で役割分担できたのも大きかった。
だが……
「ここの住民共はもう避難できたようだな。お前達は先に戻り……ロイツの兵団と合流して敵を討て」
「合流、ですね。内容は承知したのですが、その……」
「なんだ」
「は、班長は……。これからどうされるのですか?」
街路の中央で長雨に晒されるマルセル。それを見て、今も不安げに立ち尽くす陽光聖典隊員たち。
それらからマルセルは──ただただ視線を逸らした。
「私はこの怪我だ。恐らく奴からは、もう逃げきれないだろう」
今までマルセルが交戦してきたどんな相手よりも難度の高いモンスターだ。
そしてこの国でそれと対峙し続けた中で一つ分かったのは──このモンスターがマルセルの想像を遥かに上回るほどに"凶悪"なモンスターだということであり、今の今まで、最も警戒すべき即死のオーラこそ全力で回避し続けてきたものの……俊敏で巨大な体躯から放たれる攻撃というのは、いかに陽光聖典と言えどもやはり手に負えるものではなかった。
何度も猛攻を受け防御に穴を空けられた。
時にはオーラに触れてしまい、気が狂ったように自傷する部下もいた。
中でも骨を飛ばすような攻撃が厄介極まりなく、マルセルはこれによって自身の左足を大きく負傷──
今も下のローブ越しに少なくない血が漏れ出ており、人手を借りずに走る事さえ困難な状況となっている。
つまりここからどうあがいても勝つのは厳しい。
距離を取るという戦法でも、地の利を活かすという戦法でも、隠密を続けるという戦法でも。
奴は必ずこちらのことを見つけ出し、瞬く間に蹂躙しにやってくるだろう。
「奴が来たぞっ! お前達は早く行け!!」
「……オォォォ……」
ならば、自分が囮になるのがこの場で選べる最善の手だ。彼らならきっと、マルセル亡き後も、本国にこの状況を伝えてくれるだろうという確信もあったからだ。
(そうだ。だからこそ……)
マルセルはすぐに視線を戻す。
骨の反響するような気味の悪い音はもう鼻先にまで迫ってきており、そこには縦1.8mほどはあろうかという骨の化け物──
また、その身体には地味だが小さな傷が無数に刻まれている。それらはマルセル率いる陽光聖典達がここまで逃げる間に天使によって稼いだダメージであり、実際どれくらいの損傷をやつに与えられているのかは分からない。
(ちっ。せめて脚だけでも切り飛ばすくらい出来ていれば)
マルセルは自嘲気味に舌打ちし、それを構える。
「
陽光聖典が最も得意とする天使召喚の魔法だ。
そしてそれを唱えた瞬間──地面の水たまり──その水面から湧いて出るかのように、白銀の体に黄金の剣を携えた
それは今の自分が取れる最大の抵抗でもあった。
マルセルはそれを敵目掛けて突進させる──
(神のご加護を)
手元で素早く十字を切る。
今さら告白させてもらうならば……マルセルは昔からかなりの現実主義者で、非情な人間だ。
今回だって自己犠牲の精神だけでこの
無論、もしここがアベリオン丘陵のど真ん中であったのなら、流石に両手を上げて逃げ出していたかもしれないし、結局のところそういった算段も全て無駄だったのは確かだ。
しかしそれでも──。
マルセルは右腕を前に掲げる。
この信仰心だけは嘘偽りなく、神に対して常に恥じぬ行動を貫いてきた──それだけは、はっきりと断言できる。
全ては祖国のため。そして偉大なる神々の為に、マルセルは最後まで戦うのだ。
「来い……」
目の前から警戒気味に向かってくる敵。それにマルセルが鋭い視線を送り、天使越しに光剣を握った時である。
横から水溜まりを踏む音が聞こえてくる──
「神よ。どうか我らに御力を。
「サ、
部下である陽光聖典の隊員達があろうことか……マルセル目掛けて走ってきていたのだ。
一人が魔法を唱える間にも、水音はどんどん増えていく。
「お前達……」
ここにいる全員──MPはもはや残滓のような量で、殆ど残っていないはずである。即ちここで魔法を使ってしまっては、逃げる為の魔力など残るわけがない。
マルセルはその自明の理を分かっていないはずがない部下の"そんな行動"にただ困惑し、彼らのあまりに無謀な命令違反を叱咤しようとした。
しかしそれより先に、マルセルの最も近くに立った部下の一人がフード越しに口を開く。
「班長、あの時も言ったはずです」
それはあのビーストマンとの戦いの時において、真っ先に
「私たちは、班長と最後まで戦います」
そしてそれを聞いた周りの隊員も魔法を発射しながら──力強くそれに頷いていく。
「……」
今も手が震えている者はいる。しかしそれでも、彼らは一様に宙に十字を切る。
全ては神の為に。
「ぐぅぅぅるうる…………っ!!!!」
そんな部下たちを止めることは、たとえ隊の一部を任されている身だとしてももう不可能だ。
マルセルは覚悟を決め──ついにこちらに突っ込んできた
金色の焔……黒く揺らめく死のオーラの威圧感は凄まじく、
マルセルはそれを見てすぐに指示を飛ばす。
「天使で防御しろ! 奴の視界を遮るように天使を移動させ、こちらに近づけさせるなっ!!」
「はっ!」
がきんっと硬質な音が鳴り響き、
更にその隙に、陽光聖典隊員の一部はその側部に回り込み、距離を取りながら拘束魔法や光の弾丸を目の前の悪魔に連打する。
しかしそれでも、相手は全く怯む様子はない。
寧ろ
後退。
前進。
後退。
前進。
時に左右に暴れ……その身体を捕らえていた天使を民家の壁に叩きつけ、破壊。地面を蹴り、その場で飛び跳ねると、数体の天使を瞬く間に蹴散らしながら、目の前の天使をあっさりと転倒させ、その頭部を踏み潰す。
「く……」
どれだけ命懸けであろうと、結局のところマルセル達のそれはあがきでしかない。この世界において圧倒的な力量差が絶対にひっくり返らないということは、マルセル達がよく理解していることだった。
(無念だ)
しかし……何事にも例外はある。
「ォォォオォ……」
仲間がいるという状況に限って言えば。
実のところ──時間稼ぎという一点として──陽光聖典のこれらの行動は、決して無駄ではなかった。
「──"第三席次"、見つけたよ」
「此処か」
瞬間、隣から複数の水音がやってくる。それはまごうことなき増援──
……
「陽光か。すまぬ、待たせた」
「その風貌。まさか……漆黒聖典か……!」
マルセルは目を見開く。漆黒聖典、それは法国の中でも最強の精鋭部隊であり、表では決して出てこないような、人類の切り札的存在。
それらが今、マルセル達の目の前にいた。
「後は私達で片付けますので、ひとまずは傷を回復しましょう」
そういって陽光聖典を素早く後退させるは長い金髪の女性。緑の服装──羽の生えたようなそれを着た彼女は
しかも、それだけではない──
(私も同じ聖典として目にしたことはあるが、それにしても……)
凄い、というのが率直な感想だろう。
目の前の街路──
そこには今、異色な見た目をした英雄が七人も佇んでいる。
そのうちの一人、長槍を持った銀髪の男がマルセルらを庇うようにその前に立つと、その槍を空中で回転させ、目の前に構える。
「隊長に連絡を」
「了解した」
「ねぇ第二席次。これは"第一席次"が到着するまでに処理してもいいの?」
そして最後に白黒の服を着た少女が巨大なハルバードを地面に振り下ろすや否や、目の前の男はこう言った。
「構いません」
♦♦♦♦
聖王国に到着した時と比べると、降りしきる雨はさらに激しさを増していた。
ときおり雷鳴が響き、辺りは視界も悪い。
そんな中、人類の切り札──そのまとめ役である漆黒聖典の隊長はというと、所用で別行動を取っていた。
というのも、スレイン法国から出発し、
それによって分かったのは、此処にいるズーラーノーン十二高弟は一人を除いて既にロイツの兵団に撃破されたということ。ただしその例外である一人のズーラーノーン幹部に関してはトラブルに乗じて東に逃げたということ。そして──救援に入った陽光聖典が今も、
当然、漆黒聖典もロイツに突如現れたという
そういった緊急の事情から、一時的に漆黒聖典はそのメンバーを分けた。
隊長は己の
第二席次にその間の隊の指揮を行ってもらい、
そうして捜索を続けること十数分。
高速で民家の屋根を飛び回る隊長は、自身の
隊長が狭い路地の水をばしゃりと踏み抜くと、その瞬間、脳裏に
『第一席次。
「承知しました。こちらも見つけたので……これを終わらせ次第すぐに向かいます」
そうして隊長は
「会って早々すみませんが、あなたを始末しに来ました」
「な、なんだ貴様は……っ!!」
青みがかった刀身が光を反射し、大声でこちらに向き直る老人の姿を映し出す。
そこにあったのはしわがれた鼠のような男であり、その手には枯れ木のような杖を握っていた。
またその頭もぐっしょりと濡れており、長い白髪が醜悪な老人の顔に張り付いている。
そして何より異様なのは黒いローブにこれまでかというほどの黒い血がべったり付いていることだろう。それは数多の裏の仕事をこなしてきた隊長でも分かる、人々の乾いた血だった。
(神が一度は御慈悲をかけられた……というのに、なんと悲しきことか)
隊長は一度目を伏せた後、次の瞬間にはその瞳に冷徹な炎を宿す。これに慈悲がかけられることは、もうない。
「私は神の法の執行者です。最後にお聞きしましょう。偉大なる神の御慈悲に背き、数多の蛮行を重ねてきたあなたに、何か弁解の言葉はありますか?」
「弁解……? 神? 何を言っておる……」
老人は今も何かの痛みに悶えるように身体を動かすと、次にはっとした表情を浮かべる。
「そ、そうか……貴様! 先ほどの白装束の仲間か」
「その通りですよ」
「馬鹿め。ならば、もう一度……我が魔法で破壊してくれるわっ!!」
老人は懐から紫色の宝珠──もうあまり力が残っていないのか色がくすんだそれを取り出しながら、強気な態度を取り戻していく。その顔に後悔や懺悔の色はまったくなく、隊長の目の前にあるのは、見るも耐え難い憎しみに満ちた邪悪な笑みだけだった。
そんな男はかつての日を思い出すように、雨の降る空に腕を掲げてはそれを振り払う。
「貴様らの言う神とはあの女らしいな。白い髪の……思い出すのも反吐が出る女だ。あの忌々しい女に王国で滅茶苦茶にされてから、わしの人生は最悪だ──」
──
「だからな。貴様を殺したら……次はあの女もいたぶり殺してやる。盟主様の力を賜り、今度こそあの女を地面にたたき伏せ、服を剥ぎ取って、薬中毒の貴族共に囲わせて犯してや──」
「なるほど。もう十分です」
一閃──
空間を切り裂くように剣が中空を滑ると、次に雨の雫が地面に落ちる時にはもう、老人の首はその身体から切り離されていた。
ぼとり、と……なんとも呆気なく、老人は喋らなくなった。
もっとも、隊長はそれを一瞥することもなく路地から踵を返すと、すぐに仲間たちの元へ向かうべく、その場から跳躍した。
(これでこちらの用は終わった。十二高弟も殆どこの世から消え失せた。しかし……)
なぜか、あまり良くない感じがする。
そんなざわつきにも似た思いを心中に抱き、第一席次は漆黒聖典に合流する──
「戻りました」
「お帰り。こっちも今終わったよ」
隊長が戻った頃には、既に完膚なきまでに倒されたらしい
「……」
ただ、そんな中で隊長は雨を受けながら一歩進むと、周囲を見渡したのちに呟く。
「第三席次。あのスカーフは何でしょうか」
「ふむ、モンスターの首に巻かれていたものか。あまり詳しくはないが、魔法のアイテムであることは確かだろう」
「そういえば我々も、
そんな発言に対し、隊長は口元に指をあてる。
「……陽光聖典の隊員方に一つだけお聞きしたい」
目の前で骨塚のようになった
「あれは一体……どれくらいの魂を吸っていましたか?」
そしてマルセルは答える。
聞くにそれは最小限に抑えていたものの、横たわっている死者からも魂を吸い上げるような所作を取り続けていたという。
その内訳は、住民不明、一般冒険者30ほど、陽光聖典の隊員が10数名。そして──
「敵の幹部らしき者で言えば……ほぼ全員、だろうか」
その炎は、濃ゆい負のオーラを湛えて。
ロイツからカリンシャ、果てはホバンスの空まで、延々と立ち上っているように見えた。
ロイツでの戦いはこれにて終結です。
一時は聖王国全体の状況も書こうかと思っておりましたが、あまりに尺が無限膨張していたので一旦区切りました汗(いつもの)