第九位階魔法である
ズウゥゥン…ッと朱色の波動が不気味な地響き音を響かせ――
次の瞬間には、巨大な柱状の炎が彼女の全身を易々と覆い包み、灰さえ燃やし尽くすような勢いで内部を、周囲を盛大に燃え上がらせていく。
拘束の鎖とて、未だ破られてはいない。
滅ぼしたか? いや――
小さな警戒心を言葉の端に宿しつつ、老竜は一歩前へ進み、そのまま足を止める。
かつての戦争を経験してきた彼にとって、プレイヤーとは未知の象徴であった。
前衛・後衛といった具合にプレイヤーの個体差が激しいことも熟知しており、ましてや、蘇生・りすぽーんといった裏の手までもを、その長い年月の研究で把握していた。
「なに?」
しかし、そんな老竜の目の色さえ、それを前にして変わる。
深紅に染まる炎の中に、本来あるはずのない七色の光壁が出現していたからだ。
「――
炎を割り、凛とした声の残響がその場に残る。
ツクヨミは荒い息を吐きながら、その手首に意識を向ける。
(めちゃくちゃ熱い……けど、耐えられる……)
地獄の炎の中で髪の多くがゆらゆらと浮き上がり、白銀の聖衣が揺れ動く。だが、その何千、何万度ともしれぬ、物理法則さえもが溶解するほどの高温空間に反して、ツクヨミの白い肌は僅かな赤みも帯びていない。まさしく一瞬の判断だった。
転移はせず、そのまま耐性で受けきる――
何とも脳筋な対処法であるが、特殊な状況の行動としてはまずまず悪くない。それに、ツクヨミの着ているローブ――
結果として、露骨な隙は晒さず、致命傷も免れた。そのまま消えゆく炎の中から這い出るようにして、ツクヨミは右手の指先から細剣『コンフラクトゥス』をあえて手放す。
「っ!? 武器を捨てるか……!」
老竜が驚愕に目を見開くが、その判断こそが誤りだ。
ツクヨミは拘束されたままの左腕を、あたかも指揮棒のように振るう。
ツクヨミがそれを発動すると、落下するコンフラクトゥスが空中でたちまち軌道を変え、
右腕、右足、左足、そして――。
僅か一瞬。ツクヨミは自由になった右腕を使い、左手首の先――"龍の顎へと繋がる鎖"を、逃がさんとばかりに力強く掴み返した。
「……釣れましたね。降りてきな……さい!」
グンッ!! と、凄まじい衝撃が走る。
レベル80を超える龍の巨躯が、たった一人の女性の腕に引きずられ、主君の立つ地上へと真っ逆さまに叩きつけられた。
ドォォォオオオンッ!!!
地が割れ、雪原の頂上に、
それは回避動作を挟んでから即座に反撃へと転じており、巨剣の片方をブーメランのように投擲し、ツクヨミの方へと飛ばしてくる。すぐに距離をつめてくる。
「少々見くびっていたか。その野蛮で超常的な力。……かつてと同じ、世界を蹂躙した屑どもと同質の脅威だ」
ツクヨミは
『世界を破壊した』というのは、かつての八欲王のことだろう。
ツクヨミに反論する時間さえ与えず、続いて
(やはり、速いっ)
ツクヨミの目で見ても残像が残るほどの超高速だ。
老竜は他の龍を従えながらこちらの側部へと回り込み、更にもう一撃を加えてくる。
10m程度の距離をものの数秒で何十回も往復しながら、両者の間に無数の火花が散る。
防戦に回りながらも、ツクヨミは冷静に相手のことを分析する。
「――脅威っ、ですか。それは貴方たち、真なる竜王にとっては――そうかもしれません」
――
「ですが」
剣を交えながら、息を吐く。
「その脅威とは自分達と同等の、いわば立場を脅かす可能性のある力を一緒くたにして、ただ畏れているだけではないのですか」
ピクリと、老竜の側頭部を覆う白髪の奥で鱗のような何かが蠢く。
同時に剣の重さの
(まだ本気じゃない? ……いや、そんなことはないはずだ)
純戦士としての膂力は相手の方が上。更に彼が扱うのは1mを優に超える双剣であり、単純計算でツクヨミの倍の手数がある。だからこれほどに押し込まれるのだ。
「……畏れているだと? 違うな。我は、嘆いている。貴様らがこの世界に位階魔法という『毒』を撒き散らす前、この世界はもっと美しく、機能的に管理されていたのだ。それが今やこれだ。お前達の力は、その低俗な器に収まるにはあまりにも不相応な劇物。まさに猛毒なのだと……今この瞬間も確信している!」
不意に、老竜のテールアタックが飛ぶ。殺意に目を輝かせるそれは鋭く、巨大で、それでいて不可視だ。武器を持たない左腕でそれを強引に防御し、それでも相殺しきれない衝撃がツクヨミを後方に吹き飛ばす。
「――なら、世界盟約はどうなるのですか。かつてその猛毒と共生し、破滅を回避するために、五百年前、この世界に生きる者として双方言葉を交わしたと聞き及んでいます。……法国の記録に遺るその歴史さえ、貴方は無意味だったと断じるのでしょうか」
「あぁ、そうだ。大体、あれこそが最初の過ちに他ならない。六大神という異物を許したことが、あの傲慢な八欲王どもを招き、世界の理を歪める結果となった。我は端から認めてなどいなかった。……ぷれいやー、お前達が先に約束を違えたのだ。もはや、慈悲は、必要ないっ」
――大罪人の一人として消え去るがいい!
そこに、真っ黒に染まった波動が付加されていく。
ツクヨミはその魔法を知っている。
第十位階魔法、
MPを膨大に使い、無属性ダメージを与える。しかし純戦士の彼がそれを使えば、その破壊力は最大威力の
(っ……これは、どうするか……)
先ほどの比ではない、濃厚な死の気配。その凶悪な"魔力"に当てられたからか、ツクヨミは初めて、自分の肺が既に冷たく凍りついていることに気づく。
……痛い。腕が、足が、震えている……。
それは武人としての高揚などではなく、生物としての、根源的な拒絶だ。
「……はぁ、ふぅ……」
ツクヨミの精神は所詮大きく変質などしていない。
だから、本当は立派な神様になど、到底なりきれていなかった。
ただ、それでも――
「ぷれいやー、死に絶えろっ」
「
ツクヨミはぎりぎりまで引き付けたその攻撃を、バウンダリ・ホロウ由来の
しかし、ツクヨミは攻勢へ打って出る代わりに、アイテムボックスへとその手を突っ込んだ。
(何と言われようと私は……負けられないんだ……)
取り出したのは
『ツクヨミさん、ごめん! また今度ね。ちょっとギルメンから声掛かっちゃって』
『大丈夫ですよ。楽しんできてください』
ただ、掲示板ではぼっち用アイテム――一番必要なソロ狩りでは使用制限のある産廃――これを取った奴は必死すぎると叩かれ、それを見たツクヨミはそっとそれを外していた。
いつかなんて来なかった。
あの頃は、それでも周りに置いて行かれないように課金して、隠れてこれを使っていたものだ。
ツクヨミはそんな忘却の記憶を腕に付け、目を細めた。
("私たち"が世界を汚した……か)
コンフラクトゥスを構え、
「
先ほどの言葉を反芻しながら、ツクヨミは硬く閉ざしていた口をもう一度開く。
「貴方の言い分は……理解しました。
プレイヤー側が一切悪くないと言えば、そんなことはない。
八欲王がしでかしたことはそれだけ大きいし、取り返しがつかない。
「……しかし」
それはあくまで竜王という絶対的強者視点から見た、一つの都合の良い解釈だ。
ツクヨミはやはりそれを、全肯定などできない。
恐怖と同等、あるいはそれを超えた鋭い拒絶を心に湛えて、目の前の冷酷な黄金の瞳と向き合う。
「それでも私は――貴方たちの
ツクヨミは自身の持つ最強の技をついに解放する。
「神聖領域の顕現。……
その瞬間――
ツクヨミの足元が発光し、そこから広がるようにして巨大で神聖な魔法陣がこの塔を丸ごと覆う。更に上空にもう一つ、同じ大きさの魔法陣が出現――。
即座にその神聖な紋様から巨大な鎖が計八つ、地面に堕ちてくる。
「っ!! ……!!」
「
解析はもう完了した。なら、ここからはこちらのターンだ――
そう言わんばかりにコンフラクトゥスが青白く発光し、巨大な神の雷をその刀身に宿す。
「くっ、ならば! 防御結界、
「なっ……。我の、動きが……!!」
「見えています――
ツクヨミは障壁ごと老竜の巨躯を切り飛ばす。初めて彼は血に塗れながら、受け身を取り、地面に手をついた状態で
「何も知らぬ……外来種風情が……っ。轟く七の息吹!」
ツクヨミ目掛けて虹色に輝くそれが白髭を蓄えた口から放たれ、すぐに空気中で結晶化し、暴れ始める。恐らく防御貫通効果でもあるのだろう。数百を超えるプリズムのような光が空間に広がるが、ツクヨミはその全てを――まるで時間が止まっている相手をいなすように――回避する。
領域の上空から
「そろそろ鬱陶しいです。――跪きなさい」
だが、その数舜後。領域内の鎖が光り輝くや否や、猛烈な速度でそれらが地面に叩き落される。
ユグドラシルで10レベルの差は致命的、ましてや20レベルの差があるモンスターなど、本気を出せばいつでも潰せる。
そしてそれがいつのタイミングかと言うと、対峙している本命の相手が隙を晒した時。
ツクヨミは地を蹴り、床にへばりついた二龍を
更にもう一龍が領域外へ距離を取ろうとする。賢明な判断だろう。
それに対し、ツクヨミはその場の虚空へ向けて、意味なさげに剣を振り上げる。
「ユグドラシルには多くの初見殺し……と呼ばれる技がありました。私のこれは、その筆頭です」
領域の内と外に分かれるように
「プレイヤー。新参でしかない貴様の謳う正義など、所詮自己満足に過ぎない。世界には保たれるべきバランス、守られるべき『プロトコル』があるのだ。管理とは言わば必然、貴様のそれはあらゆる者への叛逆であり、唾棄すべき汚物でしかないっ」
「貴方たちの言う管理とは、人間種を亜人の『餌』や『奴隷』としてただ消費し、黙って眺めて必要になったら自分の為に使い潰す、それだけのことでしょう!」
「何と言おうとそれこそが自然の摂理だ。弱きは死に、強きが生き残る。その
転移は阻害されているはずだ。にもかかわらず、老竜は転移した。
ツクヨミは凄まじい速度で背後へ目を向ける。そこには既に魔法を発動する
「罪過を数える鎖。そして、
「っ……」
またもやツクヨミの足元にあの鎖が出現する。そして動きを封じたうえ、更に必殺技発動を連発してきている。ツクヨミはここで
「
「無駄だ」
バァァァアァァン!!!!
けたたましい破壊音が結界内に発生し、
ツクヨミは元々ステータス配分を機動力と火力に極振りし、各種耐性まで高めている都合、その耐久力は前衛職Lv100プレイヤーの中でもかなり低くなっている。
パリィのような形でそれを完璧に受けはするが、凄まじい威力と衝撃波により、足に嵌った鎖ごと、地面を引き千切りながら、くの字に吹き飛ぶ。
「
しかしギリギリのところで身体を逃がしていたこともあり、ツクヨミは領域の境界に身体を押し当てられるような形でその衝撃の全てを受け流す。そしてツクヨミが左手を前に突き出すと、それに呼応するように細い魔法の鎖が、天上から無数に降り注ぐ。
そしてそれらが
これは想定外だ。
決してツクヨミの攻撃が軽い訳ではない。寧ろ逆だ。火力が極めて高いはずのそれらをHPでそのまま受けながら――この老竜は体力差によるゴリ押しという最も効果的な判断を下してきている。
「全色散乱――」
「――現れるがいい、
「
ツクヨミはそのチートじみた行動に絶句する。
1v8。しかもその内3体は蘇生して出てきている。
だが、ツクヨミは確かに視認する。
(間違いない。相当HPは消費している)
MPこそ無尽蔵だが、
分体なのだから、本体にも幾分かダメージが通るという訳だ。
(しかしいくらこの領域内だからといって、このままだと確実に押し負ける……)
ツクヨミに仲間という手数はない。しかし……いつもそうだった。
それでも、独りでサ終まで遊び倒してきた。その経験が、今この場にも残っている――
「死に晒せ、竜帝の汚物が。
「……
敵の攻撃を避け続ける。
神聖領域の顕現の効果により、敵は転移を封じられ、外部には無傷で出られない。更に、この範囲内ではツクヨミに有利なバフがかかり、相手には不利なデバフがそれぞれ3つずつ、ランダムで押し付けられる。
無論そのぶん連発できず、
(長くは持たない)
ツクヨミは持ち前の速度と、二重三重に強化された
「
「
ツクヨミはそれを寸でのところで回避する。
すかさず
「
隙間がようやく出来た。相手の陣形を覇気で強引に止め、中央に潜り込む。
そのままそこに聳え立つ
「無駄な足掻きだ。貴様が死ねば、世界は再び安寧を取り戻す! なぜ、己の運命を拒絶するのか。……世界が貴様という存在を拒絶しているのだっ!」
何度も斬り合う。
ツクヨミは庇った左腕から血を流し、それを空中に掃き捨て、敵に攻撃される前に素早く後方へと着地する。
神聖領域に両者が包まれる中、青紫色の瞳を爛々と燃やして老竜を見据える。
「
吹雪が強く吹き荒れている。
「命を落とす者もいた。家族の命が助かって、泣いて喜ぶ顔も沢山見た。重圧に押し潰されそうになりながら、それでも民を救おうと必死に前を向く女王の横顔も、人類を守るために血を流す人も、何度も!私は、ずっと見てきた」
一歩、吹雪を踏みしめて前に出る。
「……世界のため? 管理のため? そんな空虚な言葉を吐く貴方に問いたい。貴方は、一人でもいい。この世界に生きる誰かの顔を、その名を……今ここで! 思い浮かべることができるのですか!」
「っ……!!!」
悲痛なまでの叫び。それが、老竜の心を、そして凍てついた戦場を薙ぎ払う。
深い沈黙。
言葉を失った竜王の瞳に、ツクヨミは答えを求めない。
代わりに、温存していた全てのリソースを解放する。
「――
出来ればこれは使いたくなかったが、仕方ない。
泥臭く、最後まで足掻かせてもらう。
あの時の約束を胸に秘め、ツクヨミは剣を構える。
剣先には冷徹な表情をしたこの世界の支配者と、八体の巨龍がいる。
そして――
(……来たか)
苛烈さを増した彼が怒りの表情で発動したのは、巨大な球体型魔方陣――。
ユグドラシル最強の魔法である超位魔法の輝きが、そこにはある。
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