吹雪が止み、砕かれた巨塔の残骸が、白く染められた山脈の上に露出している。
あれから数十分、一時間……あるいはさらに長い刻が経過した。
正確な時間の感覚はとうに失われている。
激痛に悶え、貫かれた胸の内側で血みどろの息を吐きながら、目の端に映る遠い空を一瞥する。
──そこに広がった夕暮れの赤が、老竜の網膜を焦燥の色に染め上げている。
(……何故だ)
思えば評議国の永久評議員、スヴェリアー・マイロンシルクから揺り返しの
だが、それだけではなかった。
──相手は一人だ。
──
──いくらでも自分の領域に引き込める。
今回は楽に勝てるはずだ。
"安堵"
それがあの時抱いた感情の真の姿だ。
──ガキィィンッ!!
そんな安い打算は今、目前に広がる現実によって完全に打ち消されていた。
白の雪原は、既にその多くが焼け焦げた。
己の巨躯の至る所からも、赤色に輝く血液が滝のように……無残に流れ落ちている。
ぼたぼたと地に垂れる血は強烈な喉の渇きを誘発し、頑強な五指の先に伸びた震える爪は痛みを、怒りを……あるいは恐怖を、磨かれた水晶のように反射する。
「プレイヤー。なぜ……堕ちない」
竜の形態さえ解放した
そこに立っているそれは、初見と何ら変わらぬ無垢に輝く白い髪を、塔の上に優雅に湛えていた。同じく白のローブを纏い、五つの剣と漆黒のオーラを周囲に揺らめかせながら、こちらに鋭い視線を向けている。
矮小な虫けらのはずだった。
どこぞのエルフ王や過去に屠った異物共と同じように、早々に始末できるはずだった。
だというのに、これだけの死闘を繰り広げてもなお……勝負は未だついていない。
雪が静かに世界へ積もる音だけが流れ、そこにもう一度巨竜の血が落ちようとした時、何十・何百と繰り返された剣戟の幕を開けるように、両者が動き出す。
「光よ、散れッ」
「ラディアンス──」
数百年をかけて地界に集めていた魔力はもはや尽きた。だからこそ、
対するツクヨミも……見てくれこそ完全無欠の女神の姿を保ってはいるが、その負傷が凄まじいことを──無論彼女自身を除けば──この
(肉体を引き千切り、身体の内部に至るまで
にも関わらず、この女は限界を超えるような速度で宙を舞い、見たこともない技を次々と繰り出し、世界の頂点たる自分の放った無限に近い濁流の如き光の竜たちを、身体を切り刻まれながらでも全て押し返してくる。
洗練されている……とは言えない。
痛みを感じない
消耗戦という名の泥仕合でしかないだろう。
ただそれでも──その瞳に未だ宿る輝きだけは──
覚えがある。これはあの時感じた
────
異世界からの転移者、その者達の台頭である。
その転移者──八名のプレイヤーは──今対峙している"これ"とは全く違い、誰が見ても一目で分かるほどの規模・異質さを持つ巨大な天空の城と共に、突如としてこの世界に現れた。
それらのプレイヤー達は無法としか言いようがなく、
のちに"八欲王"と呼ばれるその存在達の力は、真なる竜王をもってしても絶大という他なかった。
「
仲間の一体が、東の地で研究を続ける老竜に怒りの表情を湛えて詰め寄った。
それを自分は、終始疎ましく思っていた。
「ギルヴェンティス。分かっているはずだ。このままでは勝てぬ。奴らは……率直に言って強い。このような無駄な戦いは避け、まずは相手の情報を得ることこそ先決だ──」
この時代、竜の中でも特に長齢だった
だからこそ彼らのことを遠くから観察し、使う独自の魔法を調べ、『何が効果的なのか』『何を得意としているのか』『リソースの出処はどこなのか』。そうした情報を徹底的に調べあげていた。
投げかけた言葉は正論だったかもしれない。
自分の行動は正しかったかもしれない。
しかし、そんな血の通っていない言葉は、当然誰にも受け入れられなかった。
「ふざけるな。貴様こそ、それ以上無駄なことに時間を費やすのを止めるべきであろうが」
書物を記すような
「我らの魔法を穢されたのだぞ……。世界を歪められたのだぞ? ……あのような下賤な存在にこれ以上の時間を与えるなど、ありえぬ」
仲間達は怒りの表情と共に
……
……
何故だ。
何とも皮肉なものだ。暴力で世界を支配していた自分達が、暴力によって破滅するなど。
「ギルヴェンティス、アエロナヴァー、ステラシオン、レヴィアンタム……キルケリス……」
かつては聡明だった仲間達の名を呼ぶ。彼らはもうこの世にはいなかった。
多くの種族がそのまま、八欲王によって駆逐されていった。
愚かだと笑うのは容易かった。
しかし、"賢い行動"をし続けたはずのそんな自分こそ、まさに何の役にも立っていなかったのだ。組織的な力を失った竜王たる自分はその侵略に対し、ただ身を潜めることしかできなかった。
この時になって初めて、言い知れぬほどの後悔と、仲間達を奪った敵への憎悪が噴出した。
(──
頭に鳴り響く呪詛は、最後まで受け入れられなかった。
異様な力で握り込まれた両手からは、自分自身の爪が突き刺さることで血が滴り落ちていた。その血を使って、また本を書いた。
いつか、仲間の無念を晴らすために。いつか、敵と血を流して戦うために。
いつか……これほど惨めな思いをしなくて済むように。
────
──バァアアアンッッ!!!!
──!?
不意に、とてつもない炸裂音が地中から発生し、塔を引き裂きながら無数の紙片を雪原へ撒き散らし爆発した。
(……
超がつくほどの圧力で地中から吹き飛んできた大量の水晶の破片が、雪山を貫きながら大量に飛んでくる。
そして──五行相克の力を再び行使する。
「我が血よ、"姿"を変えよ」
凍った川のようになった『己の残滓』を全て、空中に撒き散らされた水晶の破片と融合し、世界を断絶する刃として素早く飛ばす。
当然のようにそれを目の前の女は避けてくるが、
そのまま握りしめた拳ごと、音速を超えた速度で地面に叩きつける──
──ダァァァアアアアンッ!!!!
今までの攻撃を遥かに上回る超質量の暴力。
叩きつけられた塔の片側は粉々に叩き潰され、その側面が凍り付いた山々から轟音を立てながら崩れ落ちていく。白の世界に現れたのは削られた建物の内部だった。
そこには千切れた無数の本と、人間が使うにしては巨大すぎる本棚が幾つも立ち並んでいた。それらが外気に吹雪かれ、ページが千切れていく。
「ようやくこの時が来たのだ。我が動ける間の……最期の
「言ったでしょう。私には、私の世界があるからです……」
叩きつけた巨大な掌の下──あの時代の仇敵であるはずのプレイヤーは膝を屈しながらも、たった一振りの剣でその虹の
力が、完全に拮抗している。
(私があの日、心の底から憎んだプレイヤー……)
それは未だに脳裏に焼き付いている。
だがしかし。
(血肉を撒き散らし、息を絶やし、それでもなお命を懸けてぶつかり合う、この輝き)
──この光は……四百年もの間憎み続けていたあの者達と……
雑念だとは……分かっている。
甘さかもしれない。しかし、戦士として呼応するところが少なからずあった。
ガリッと……牙を強く噛みしめる。
「プレイヤー……改めて、もう一度だけその名を聞こう」
竜王国の玉座の間でも、名乗りを聞いたはずだった。
それでも己の意志で、
「ツクヨミ」
「……そうか」
ギィィィンッッッ!!!!
"ツクヨミ"の剣から放たれた衝撃波により、巨竜の掌が空へ大きく跳ね上がる。
その隙を消し去るように、
燃えるような赤色の空を背負いながら、ボロボロになった七色の翼をめいいっぱいに広げ、その言葉を絞り出す。
「ツクヨミよ。ならば知るがいい。我が名はヴェクスルシオン。
……ヴェクスルシオン=アルクヴァース。貴様が最後に見る……この世界の支配者だ」
「そう……ですか……。
では、貴方が見る最後の相手も……この私、ツクヨミとなるのでしょうね」
死の恐怖に怯える者とは思えない、あまりにも澄んだ瞳だった。
その瞳が、あまりにも不可解だった。
「ふん、分からぬな。
──
「──仮にこの目を盗んで生き返ったとて……どうだ。その先にも、希望などないぞ。……所詮神など……都合が良いと考える者達から、その力を切望されている偶像に過ぎぬ……。分かっているはずだ」
六大神、八欲王。どれも同じだ。その先には無意味な死が増えるのみ。
なぜそのような虚無の道を行くのか。世界を荒らすのか。その手で染めようとしてしまうのか。
ツクヨミは山の上に立つ半壊した塔の内部に身を置きながら、後ろ手で千切れた書物を撫でつつ、こちらから視線を外さない。
──そしてその返答は、老竜の想像していたものとは大きく違っていた。
「その通り……かもしれません。私は……とても都合の良い、人々に便利な力です」
「そうだろう。ならばなぜ──」
「しかし私は……。何もしないで隠れていた頃の私の心は──それ以上に空虚でした……。誰かの悲鳴から、本当の意味で耳を塞ぐことなど、できなかった」
自嘲をほんの少し混ぜながら、彼女は剣を力強く構えているままだ。
「だから、たとえ利用されているのだとしても、私はこの世界の
「……」
──ヴェクスルシオン、お前は何の為に戦う?
「そうか」
その声音からもう、"嘲りという色"は完全に消え失せた。
目の前に立つこれは、淘汰されゆく者達に都合よく利用されるだけの存在ではなかった。
己の欲を満たし、己の道を行きながら、世界の
「いいだろう。ならば、我が原初の光の全てを以て、貴様の身勝手な魂を
天地を揺るがす始原の咆哮とともに、空間そのものを削り取るほどの膨大な魔力が竜王の
「こちらも……全力で行きます」
ツクヨミは再度剣を前に掲げ、それを仰ぎ見た。
♦
視界が揺らぐ。
眩暈などというレベルではなかった。
ツクヨミは既にその血液の大部分を失っている。
指先の感覚はなく、立っているのも奇跡という状態。心臓はまるで壊れかけの時計のように不規則で凄まじい強さの脈動を続けており、吸い込んだ外気は肺の中で凍りついて激痛を胸に浴びせかけていた。
(……っ)
折れた足を引きずり、それを見上げる。
その時──世界がゆっくりと──けれど確実に"崩壊"を始めた。
「光よ」
ツクヨミの頭上で広がる、数十mに及ぶヴェクスルシオンの両翼。それが七色に光り輝きながら脈動する。更に、その開かれた大口に収束していくような形で、あらゆる魔力が『収奪』されていく。
──全てを無に帰すがいいっ!!
「……っ!?」
ツクヨミはローブで顔を覆う。
真なる竜王の開かれた大顎──その中心に──徐々に虹の球体が出現する。その規模は……尋常ではない。
周囲数百m──いや、半径数キロに及ぶほどの広範囲からあらゆる光が奪われていく。
遠くに群生した針葉樹の緑が、視界いっぱいに広がる夕焼けの赤色が、足元の塔を染めていた青黒い光沢が……そして、降り積もる雪の"白さ"までもが、その虹の中に吸い込まれていく。
(
そのまま血の色さえもが根こそぎ奪われ、世界は色を失った白黒の世界のように変貌する。
暗くなった空を見上げる。
そこには、唯一残された"漆黒の夜空"と、冷たく瞬く無数の星々があった。
(逃げる……というのも一つの選択か)
如何せん何も情報がない。即死攻撃という線もある。
ユグドラシルのプレイヤーとして、撤退してやり直すのが最も合理的な判断のように思える。しかし……きっとそれでは駄目だ。
(ここで、決めきらなければ。……
ツクヨミはもう一度剣を──コンフラクトゥスを──右手に握り直す。
雪のように白く、何よりも細い刀身──
それを見つめ、
これが最後に残された、正真正銘の切り札。
退路を全て断ち切ったそれの名は──
「
色の失われた漆黒の世界の中で、ただ一人、ツクヨミの手の中にあるその剣だけが、虹色の光を纏いながら敵の生み出した巨大な光球と向かい合うように爆発する。
その効果は……『四属性魔法全ての"融合"と同時発動』。
加えて、ツクヨミの持つ"コンフラクトゥス"の効果により、それは光属性を含む五属性へと効果が拡張され、更に反射含むあらゆる属性耐性を貫通し、無属性の一撃としてもダメージを与えられる。
残っていた残り滓のようなMPでは本来魔法を発動できない。しかし、この
灼熱の赤。
凍てつく青。
吹き荒ぶ深緑。
猛る
そして、全てを包み込む神聖なる"白"。
奪われた全ての属性が白銀の刀身の上で混ざり合い、純白すら超えた『極光』となって収束していく。
白く輝く夜空の月の
(
失うことが恐ろしく、愚痴を吐露して涙を流す日もあった。だが、それでも自分で道を選び取り、此処まで来た。たとえその先の道が悉く途絶えていようと、私はこれほどまでに"今"、満たされている。
──神よ、滅びるがいいっ!!!!
ツクヨミは、一切の回避を捨て、足元が砕けるほどの力で地を蹴り、
ドッッッッッオオオオオォォォオオオオオオオンッッッ!!!!
極大の衝撃がツクヨミを襲う。
0.1秒にも満たない時間で頭部を庇った左腕が蒸発しかけ、不壊のローブが深淵に染まり、肉が焼き焦げて骨が軋む。
だが、右手に握る五色に輝く剣先だけは──1
右腕を後ろに倒し、そして──
「……
「……ぐ……っ!?」
白の髪を揺らめかせ、敵の極光を突き破り、同じく右手に宿る極光を、ツクヨミは剥き出しになった竜王の大顎──その深奥へと突き立てる。
「"光"よ。爆ぜなさい」
その瞬間。
けたたましい轟音と共に
敵の体内のあらゆる急所を引き千切っていく。
二つの虹が、大量の
ツクヨミは右手の剣をヴェクスルシオンの喉から引き抜き、
ヴェクスルシオンは、もう何も言わなかった。
力なく垂れ下がった腕を地に向け、穴の開いた翼を再び赤色に染めながら、ボロボロになった体の制御を手放した。
目が合った。
「……」
その瞳に最後に映ったのは、奇しくも長年の怨嗟に塗りつぶされたものではない。
それはまるで、死にゆく者が最期に自分の運命を受け入れたかのような、穏やかな色だった。
……
静寂が世界を包み込む。
雪がぱらぱらと頭上に降り落ちていた。
(終わった……か……)
ツクヨミもまた、ぱたりとコンフラクトゥスを握った腕を下ろし、
白い髪が揺れ、金の装飾から黒い煤が剥がれ落ち、そして、左手で己の顔を拭う。
濁った青紫色の瞳で……目前に帰ってきた夕暮れの空を眺めながら、ツクヨミはその左腕でもう一度自分の胸に手を当てた。
先ほどまで自分を奮い立たせてくれていた心臓はもう、自分を強く叩いてはいなかった。
「皆は……無事だろう……か」
聖王国は、アリシアは大丈夫だっただろうか。
神官長達は不安で涙を流していないだろうか。
ドラクシスは……上手く自国を守れただろうか……。
そんな思いがふつふつと心の中に湧き起こる。
ツクヨミは空中でもう一度だけ振り向き、遠い空を見た。
それは……本当に綺麗な夕焼け空だった。
(あの日を、思い出すな……)
そっと掌に落ちてきた雪を拾う。
そうして、ツクヨミは今度こそその夕焼けの中に、静かに消えていった。
第69話『月虹』、ようやく終わりました。
お気づきかもしれませんが、第16話『月光』から続いてのまぁまぁ重要な回でした。ただし三章はもう少しだけ続く予定です。
執筆に関しては……今回は大変でした。。。自分でも「何回書き直すのか?」といった形でしたが、読者の皆様が少しでも楽しんでくださっていれば幸いです。
宜しければ最後に、読後感についてのアンケートに答えてくださると嬉しいです。
その他あれば感想でお願いいたします。(Lvについて、七彩は正確には95の設定)
アンケート
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100Lv同士の死闘が見られて良かった
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今後の展開が不安 / 胃が痛い
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聖王国側の戦況がどうなったか気になる
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平和な日常をまた見たい
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おぉっ!!これぞ魔法の深淵――(限界化)