Moon Light   作:イカーナ

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70.世界の行方

 世界の頂上で決着がつく、僅か数分前のこと。

 

 ぱらぱらと降る季節外れの雪をかき分けながら、二つの影が凍てつく高原を疾走していた。

 移動距離はこの時点で既に一国を超えるほどで、上空から何度も不審な魔力の波長を探す。だが、大陸中央の山脈は想像するよりもずっと広く、この時点では手掛かりも乏しかった。

 

()()()がこの地にわしらを飛ばした以上、少なくともあの戦争の舞台が竜王国から移動した、ということなのじゃろうが、如何せん広いのぉ。大体ここはどこじゃ」

 

「私に聞かれても困るぞ。……だが、あの山だけはどうも嫌な感じがするな」

 

 イビルアイがそう言って顔を向けたのは、夕焼けに染まった、天を衝く最大級の山脈だった。

 リグリットは目を細める。

 そうして二人がその山へと舵を切った、まさにその時──異変は起きた。

 

「……色が」

 

 ぞわり、と──背筋に嫌なものが走った。

 誰が見てもそれは、神々の戦いによるものだと分かるものだ。

 大気は震え上がり、目に焼け付いていたはずの夕焼けの空といった事象が全て、世界から消失する。

 

 二人は来たる衝撃に備え、反射的に全体飛行(マス・フライ)を解除し、防御を開始する。

 

(ここは麓の……はずなんじゃがのぉ……)

 

 全力でその場を飛び退き、盾を召喚する。

 極光が二人の前方を照らし、風圧が極限まで強まる中、この絶体絶命──さらに言えば間一髪というタイミングで、視界の端から声が掛かった。

 

「二人とも」

 

 見慣れた『がらんどうの鎧』が空中に現れているのを視認した瞬間、リグリットは険しく細めていた瞳に驚愕の色を宿した。

 

 

 

「まさかお前さん、あの流れから追いかけてきておったか……」

 

 

 

 漏れ出たのは呆れと困惑だった。だがその口元には微笑が零れる。

 次の瞬間には、天空が爆発でもしたかのような極大の衝撃波が発生した。

 

 身を守るための咄嗟の手段として召喚した腐肉漁り(ガスト)の群れは、一瞬で中空に吹き飛ばされた。

 そしてその先にはかつての友()()()男が、前方に金属の腕を突き出す形で立っていた。

 

 暫しそうしていると、山々から白い光が消え、世界に再び色が戻っていった。

 リグリットは息をつく。

 

 そうして先ほどの問いに答えるように、遠隔操作の金属鎧が腕を下ろして、こちらに振り向いた。

 

 

 

「そう言われてもね。本体で感知できる程度には、凄まじく巨大な力がこの地から放出されていた。

……いかに私が薄情だと言っても、自分の手で送り出した友が、いきなりこんな理不尽な死に巻き込まれるのは本意ではなかった」

 

 

 

 そう口を開くのは白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)、ツァインドルクス=ヴァイシオンだった。

 白銀の鎧が腕を突き出し指を弾くと、先ほどの突風が嘘のように消え失せていた。

 ただ、リグリットはいざ知らず、彼女の同行者──つまりこれまでの事情を知らないイビルアイは突如現れた旧友……正確にはかつて友だった者へ、殺気に近い視線を送っていた。

 

 

 ──どう言い繕おうと、もはやツアーはリーダーの仇でしかなかったからだ。

 またもや一触即発の空気が高原を凍り付かせるが、リグリットは静かに手を上げ、それを制した。

 

 

「まぁ礼は言っておこう。今のは本気で死ぬかと思ったぞ。じゃがなツアーよ……。飛ばすなら飛ばすで、もう少し事前に場所とか、そういうのを教えておいてくれんかのぉ……」

 

「それはすまない。しかし、私も正確に場所を把握できていた訳ではなかったんだ。こちらも手探りだったし、来るつもりも無かった」

 

「本当か? まさかお前、私達を囮に使ったんじゃないだろうな?」

「イビルアイ、その意図は本当に無かったよ」

「まぁまぁ。話は分かった。しかし、お主……なんで良い感じに着いてこようとしてるんじゃ?」

 

 

 隣にいるイビルアイが内心ブチギレていそうだったが、そんな二人を他所に、その白銀鎧の男はあまりにも自然な所作で、彼女らの同行者へと滑り込もうとしていた。

 

 

「君達に世界移動を使い、イビルアイの負傷を癒し、そしてここに飛んできて()()()()()()()まで防御したんだ。もう帰るための体力がこの鎧に残っていない」

 

「なるほどのぅ。……まぁ、そういうことにしといてやろう」

 

 リグリットは歩きながら、ツアーの尖った肩や胸部の装甲が小さく損壊しているのを後ろ目で捉える。

 先ほどの余波。即ち、山の頂上で発生した破壊の衝撃は──ここ──高低差にすれば10km以上、距離にしても数kmは離れた隣の山の麓まで到達し、この堅牢な白金鎧さえも損壊させたということだ。

 

 

 

(ツアーが無理やりにこの鎧で防御をしたと考えても、一体、どれほどの威力だったんじゃ……)

 

 

 

 リグリットは山頂で起きた"終焉"がどれほど凄まじいものだったのか改めて知り、息を呑む。

 そして、すぐに首を振った。考えるのは後だ。

 

「ツアー。お主は私達の目的を分かっているじゃろう? だから、今一度聞いておく。本当にもう……この期に及んで無用な手出しをする気はない、そう信じていいんじゃな?」

 

「あぁ。私はただその結末を、この目で見届けに来ただけだよ」

 

 寂寥漂う青い目の揺らめきを見て、今度こそイビルアイは何も言わず顔を背けた。

 そして再び──全体飛行(マス・フライ)を発動する。

 三人が宙に浮く。

 腰のポーチをぱたんと叩き、そこに入った()()()()──小屋にあったものだ──を見つめてから、再びそこを目掛けて進んでいった。

 

「しかし、悍ましい場所じゃのう」

「私も、アンデッドになってからこれほどの場所に来るのは初めてだな」

 

 アゼルリシア山脈とは比較にならない。

 大陸中央に聳え立つそれは、一言でいうなら隆起した自然の暴力だった。空の上にあるその頂はもはや見上げても先が見えず、途方もない。

 若干の陰りを見せ始めた夕焼けが、鬱蒼と茂る森林を金色の雲の下に照らしていて、それがまた"魔の巣窟感"を強めている。

 

霜の竜(フロスト・ドラゴン)霜の巨人(フロスト・ジャイアント)程度なら、後れを取ることはないじゃろうが)

 

 それでも徒歩での移動など危険すぎて不可能だ。

 三人は全体飛行(マス・フライ)の力で強引に、絶壁を這いあがるように加速する。

 

 

 

 幸いなことに、第二波が来る予兆はない。

 

 

 

 恐らく──先ほどの一撃で決着が着いたのだろう。

 あまりにも静かな十数分の時が過ぎ去り、白に塗れた森から黒い鳥が羽ばたき、唸り声が聞こえてきていた。獣たちは岩の隙間にでも隠れていたのだろうか。

 

 高度を上げ、空からの雪が少しずつ増えてくる……そんな視界不良の霧に覆われた、まさにその刹那だった。

 

 

 

 

 

 

 ──!

 

 

 

 

 

 地上から1800m付近。まだ完全には白くなっていない岩肌を回り込みながら上昇していたリグリットだが、その出鼻を挫かれるように、三人の近くに巨大な火球が飛んできた。

 

 現れたのは霜の竜(フロスト・ドラゴン)……ではない。

 空のように青い鱗に、輝く深緑の紋様、そして5mを超える壮大な体躯に知性のある瞳──

 

 

 

「スヴェリアー……」

 

 

 

 此処にいるはずがない存在、評議国の議員の一人である竜王、スヴェリアー=マイロンシルクがこの魔窟に姿を顕した。

 

 

「ツアー。お前まで、なぜ此処にいる? ……まぁいい。それより、丁度良いところに来てくれた」

 

 

 スヴェリアーは万全には見えない翼を強くばたつかせながら、遥か先の空を見上げる。

 

「先ほど、七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)の気配、消息が完全に途絶えた。()()がまだ生きているかもしれない」

 

「……つまり?」

 

「私はこの状況を遠目に観察していた。今回のぷれいやーなる者が上で死んでいるならいいが、万が一生きていたなら、その目論見を阻止するべきだ。評議国の一員として力を貸してほしい」

 

 呪術的な魔力の響きがあるように聞こえるほど、その言葉は邪悪に染まっていた。

 スヴェリアーはプレイヤー……つまりツクヨミの確殺を企んでいた。

 

 実際、先ほどの戦いで上がどういう結末を迎えたかは誰も知らない。

 ただ、彼の言うことはイビルアイ、そしてリグリットの思惑に明確に反する。

 二人の眉が剣呑な方向に倒れ、強者特有の威圧感が周囲に漏れだす。

 

「ツアー」

「大丈夫だ」

 

 だが、ツアーはリグリットが言葉を放つより前に、その首を横に振った。

 

「スヴェリアー。申し訳ないが今回……私がそれに手を貸すことはない。更に言うなら私は君の目論見こそ、このまま看過させることはできなくなった」

 

「……なんだと? 相手は我らの怨敵だぞ? 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)ともあろうお前が、正気か?」

 

「正気さ。大体、君が此処にいたという事実。これが全てを物語っている」

 

 衝撃を受けるスヴェリアーに、ツアーが四つの剣を周囲に浮遊させたまま、威圧する。

 

「ようやく合点がいったよ。

 私は当初、七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)が自発的にツクヨミの存在を感知し、攻撃を仕掛けたものだと考えていた。しかし現実は違った。

 

 ……君だろう? 君が評議国での私の決定に不満を抱き、そして独断で六竜へと話を通しにいった。それなら猶更、意図的に脚色した部分があってもおかしくない。違うかい?」

 

「……」

 

「これは評議国だけでなく、世界を無為に荒らす行為だ」

 

「ツアー、お前は多くのことに縛られ過ぎている。目の前で無限に成長していく敵さえ討たない、ましてやこの千載一遇の状況でも、私を糾弾するだけなのか?」

 

「君が何を言おうと無駄だ。私はもう対応を決めている。これ以上ここに立ち塞がるというのなら、その時は私が相手になろう」

 

 リグリットは瞠目(どうもく)する。

 これは……正直に言って予想していなかった。

 リグリットの隣で、ツアーがおもむろに白銀の剣を手に取っていた。

 スヴェリアーはそれを見てから、明らかに納得いかない様子で引き下がる。

 

「ツアー。その選択……お前らしくもない。後悔することになるぞ。私程度ならいざ知らず、それを慈母(マザー)や周りの方々が知れば、絶対に黙っていないはずだ」

 

「……そうだね。だけど生憎(あいにく)、後悔には慣れている。それも覚悟の上さ」

 

「……」

 

 逡巡したのち、ばつが悪そうにその竜王は遠くへと飛び去って行った。 

 緊張の糸が切れ、やれやれとリグリットが紺色のフード越しに白髪を揺らす。

 

「ふぅ。何とかなったな。……しかし良かったのか?」

「スヴェリアーのことかい? ……まぁ、いいんじゃないか」

「リグリット。悠長に話してないで再開するぞ。もう、だいぶ経ってしまっている」

 

 イビルアイが溜息を吐きながら声をかけてくる。

 

「あぁ、そうじゃな。すっかり終わった気になってしまったわ」

「そう。探索の続きの件だが……すまないリグリット。少し急用ができた。先に行っていてくれるかい?」

「ん? ……まだ何か残っているのか? まぁ、分かった」

 

 釈然としないやり取りが挟まりつつも、上ではなく()に降りていくツアーを見て、深く追求することはしなかった。

 リグリットは風で捲れた服を着直し、改めてイビルアイと共に猛烈な速度で巨大な雪山を駆けあがっていった。

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

『第一席次、現場の状況を聞こう。それと、ハンゾウ殿の近況も教えて貰えるか?』

 

 耳元の伝言(メッセージ)越しに、聞き慣れた壮年の男性の声が響く。

 闇の神官長たるグレームの声はいつにも増して冷静さを欠いているように思え、第一席次も息を吐きつつ答える。こちらも万全とは言い難かった。

 

「はい。まず状況ですが、芳しいとは言えません。盟主は()()討伐しましたが、街の損壊規模も大きく、死者複数。現在第四席次を中心に救護に当たっておりますが──」

 

 そこで漆黒聖典の隊長である第一席次は、一度言葉を切ってから告げる。

 

「蘇生できない者がいます」

 

「そうか……」

 

 その報告を聞いたグレームから言い知れぬ動揺と、深い沈黙が走る。

 ツクヨミから遣わされた二名のハンゾウ。その力は絶大という他なかった。

 漆黒聖典だけでは到底力及ばぬ盟主さえも圧倒し、デケムを従え、そして法国では最高位とされるレベルの天使と共にスラーシュの化け物などを祓い切った。

 

 しかし、それでも救えぬ者がいたという事実。そして法国が聖典の活躍と共に大々的に抑え込んではいるが、そうした死や壊滅は『降臨した神であるツクヨミは、このような危機の渦中にある聖王国を救ってはくれないのか』──そうした不敬極まりない声を……極めて少数でも発生させる結果となった。

 

 これは極めて屈辱的としか言いようがないが、第一席次はそんな空気感を無視して続ける。それより大切なことがあったからだ。

 

「ハンゾウ殿に関しては、盟主を倒した後に、直行いただきました」

「……なるほど。賢明な判断だ。聖王国がいかに状況が悪いとはいえ、御身の身が最優先なのは間違いない」

 

 グレームは自分に言い聞かせるようにそれを吐いていた。伝言(メッセージ)越しでも頭を抱えているのが分かる。

 正直なところ、第一席次もこの判断については、未だに正しいという確信が持てていなかった。

 何故なら、盟主の(しもべ)は自己蘇生を数度繰り返したのちにようやく死に絶えたため、盟主自身もそうなのではないかという疑念があったからだ。

 しかし、戦闘の最中。彼女の眷属たるハンゾウ達の動きが少しずつ豹変していたのも見ていた。

 

 主従関係、あるいは魂の絆とでもいうのだろうか。

 彼らは言葉を介さずとも──遥か彼方の地で──ツクヨミの命の灯がまさに潰えようとしていたことに気がついていたのだろう。

 

 だから第一席次は決断した。最高神官長、そして水の巫女姫、そして東方で特定座標に向けた生命探知を行っていた土塵聖典から得た全ての情報──即ちツクヨミの所在地をハンゾウに伝え、いち早く探索に乗り出してもらったのだ。

 

「勿論、デケムの件もあります。無理を言って一名には残っていただきましたが、それが果たして正解だったのかは、私にも分かりません……」

 

「そうか、いや……そうか」

 

 グレームの動揺に嫌な予感を感じた第一席次が眉を顰めた。

 

「何か、あったのでしょうか」

 

「うむ。実のところを言うとだが──あの後、聖域から『御身の反応らしきものが消失した』という連絡があったのだ。実際……神の神器から得た視界を使って、こちらでも莫大なエネルギー波を確認している。それ以来、何も視えなくなってしまった」

 

「──!!」

 

 握り込んでいた拳が、一層強められた。

 

「すまん、貴公に伝えるべき情報だったとは言い難い。……また連絡する」

「いえ、貴重な情報感謝いたします。まだ聖王国も負のエネルギーが収まったわけではありません。必ず、早く終わらせます」

「うむ」

 

 伝言(メッセージ)を強引に切った。

 第一席次の心に燻るのは、焦燥と後悔。自分の判断が数分遅れたために、御身を見殺しにしてしまったかもしれない。

 救護所からは、第四席次の啜り泣く声があった。神は不在であり、奇跡は立ち消えた。

 ガタリと動いた目の前の瓦礫に、今度こそ最大の殺意を向けるも、その魂だけは遥か遠くの山頂に置き去りにされたまま、虚空を彷徨っていた。

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 その頃、リグリットとイビルアイはようやく雲を突き抜け、更にその先の雪原へと足を踏み入れていた。風は冷たいなどという生易しいものではなく、氷点下に晒され、たちまち凍てつく吹雪へと変貌していた。

 もはや一刻の猶予も残されていない──そんな確信があった。

 

 モンスターはおろか、ただ一羽の鳥さえもその氷雪の世界には存在しない。

 何より、見上げた先の"その世界"には、幾つもの終焉の跡が絶望として残っていた。

 

「生きておる……と思うか?」

「……分からん」

 

 もう一度飛び上がるイビルアイも、その先を口にすることはなかった。

 それもそのはず。

 生存の希望など一欠片も感じられないほどに、山頂の様相が凄まじい変貌を遂げていたからだ。

 

 天を突いていたはずの山殻は大半が蒸発し、歪な形に削り取られている。分厚かった木々は津波に押し流されたように下を向き、大半の岩肌は不気味なガラス玉のように色が変色した状態で雪の傘を纏っていた。

 

 それを見やれば嫌でも抱いてしまう。

 また手遅れだったかもしれない──という情念。

 

 そんな仄暗いものを抑えつつも、最後まで希望を捨てず、リグリットは眼前に聳える巨塔を見上げた。これが頂上にある、更に先の建造物だった。

 

「これは……塔か?」

 

 パッと見ても、それは一つの城のような巨大さがあり、その先は超高高度に続いていた。

 

「みたいだな……。かなりでかそうだが、入り口はないのか? ……いや、まだ上があるぞ」

「インベルンの嬢ちゃん、まだこの老い耄れの無謀に付き合ってくれるかのぉ?」

「こんなところまできて今更言うことか、行くぞ」

 

 それでも力強く、凍り付いた残骸というべきか、あるいは氷壁というべきか分からないそれを二人は蹴り登る。

 辿り着いたその頂は暗くなり始めた夕焼けで染まり、雪が積もった頂点は大きく崩れ、残った部分も巨大なクレーターのような形にへこんでいた。

 

 二人はそれほど期待せず、その場に着地する。

 

 だがその中心にある光景を見て、リグリットは今度こそ呼吸を忘れ、息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 

「こんなところに、……おったのか」

 

 

 

 

 塔の最果て。

 尖った瓦礫が散乱するその淵に倒れ込むように──あるいは座り込むようにして、独りの女神が横たわっていた。

 

 一瞬ちらりと天を見上げる。

 

(落ちてきた……)

 

 ようにも見えた。何より驚くのは、その白いローブも、スカート越しの衣服も、白い靴も、頭の上の金の輝きも、そして背に宿る光輪も……その全てが汚れ一つなく輝いていたからだろう。

 

「あの奔流の中で消えていないとは……凄まじいな」

 

 イビルアイも敬服するように呟いていた。だが、それはあくまで表面的なものであり、決して負傷がないという訳ではない。頭の上や指先からは凍り付いた血液が地面に向かって融合するように爛れ落ちていた。

 

 何より──その表情はどことなく物悲しいものだった。

 この女神が倒れる最後の時に何を思ったのかは……リグリットには分からない。

 

「……リグリット、すぐに回復した方がいい。いや、蘇生が必要かもしれない」

 

 仲間の声で我に返る。

 はっきりと言えば、とてもではないが生きているようには見えなかった。蘇生が必要なのであれば、せめて遺体は運ぶ必要があるだろう。

 

 そう思い、近づいた瞬間だった。

 

 ──吹き荒れる吹雪が、落雷のように強まった。

 

 

 

「……ッ!?」

 

 

 

 凄まじいほどの殺気が眼前に立ち上る。

 一度(ひとたび)瞬きすれば、既にその場には漆黒の装束を纏った忍びの異形が立っていた。その両手には、横抱き──つまりお姫様抱っこの形で丁寧に収められたツクヨミの姿があった。

 

 

 

(化け物、いや敵か……?!)

 

 

 

 友好的な人間のようにも見えるが、覆面で顔を隠しており即座に判断は付かない。だが、目の前のそれが、こちらに向かってあろうことか声を発してきた。

 

 

「一つだけ問う。貴殿らは我が主、ツクヨミ様に害を為す者か──」

 

 

 それを聞き即座に理解する。これはツクヨミの従者なのだと。

 

「待て。待つんじゃ。わしらもツクヨミ殿を救いに来た身。……叶うなら、これを使ってくれんか。敵対する意思はない」

 

 リグリットはイビルアイに目配せし、すぐに赤色の溶液の入った小瓶を、その忍びへと静かに放り投げた。

 それは敵意がないことを示す無言の恭順でもあり、こんなところで──まだその命を潰えさせるわけにはいかない。そういった使命感からの行動でもあった。

 

 異形の忍び──ハンゾウはそれを主君を抱えたままそっと手首の先だけで器用に掴み取ると、驚きを含んだ沈黙を湛えた後、しゃがみ込んでから自らの腕に数滴だけ垂らした。

 やがて、その殺気は静かに消えていった。

 

「感謝する」

 

 ハンゾウは膝の上に持ったツクヨミの白の聖衣へ、再びその"神の血の如き赤"を垂らしていった。

 閉じられた目は……醒めない。

 

 一瞬、それを見て効果が無かったのではないかと、リグリットは冷や汗を流す。

 しかしハンゾウが恭しく頷いた後、もう一度それを抱えたまま立ち上がったので、恐らく効果はあったのだろうと理解し、再び話を振った。

 

 

「ツクヨミ殿は、助かるのか?」

 

「分からぬ……が。ただ一つ。……主の(ともしび)は未だ潰えておらず。我ら、ただそれを信じるのみ」

 

「そう……か」

 

 

 リグリットは今度こそ溜息を吐いた。隣にいたイビルアイも、緊張を少し解くようにローブをさっと翻して後方を見やった。

 

「あれほどの戦いだ。その程度の対応ですぐに回復する……ということでもないのかもしれん。まずは安全なところに降りるのはどうだ?」

「確かに。ここは……息も苦しい。寒さを考えても、まずは場所を移すべきじゃ」

 

 ハンゾウもまた、それに頷いてから、地を蹴り……ツクヨミを抱えたまま降りて行った。

 

「私達も降りよう」

「あぁ。そうじゃな。そういえばあやつ……どこ行ったんじゃ?」 

「ツアーか? まぁあれは捨て置こう」

 

 そういえば用があるなどと言っていたが、なんだったのか。

 結末を見届けると言っていた竜王の動向に意識を向けつつも、二人はハンゾウに追従するように下界へと降りて行った。 

 




前話では多くのアンケート回答をいただきありがとうございました。
来週も投稿予定です。
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