(おや……)
ツアーは空中で僅かに歩みを止め、その特殊な周波数の出処を探りながら白銀の腕を持ち上げてみせる。
「すまないリグリット。少し急用ができた。先に行っていてくれるかい?」
努めて穏やかに発したはずの声は、鎧の奥で微かにくぐもっており……。
二人が不審がりつつも先を急ぐのを見届けてから、ツアーは本来の最優先事項を放棄し、静かに山の麓へと降下した。
(この辺りか……?)
その気配の主は、よく知る魔力を放っていた。
遠隔操作した鎧──その視界から見える白銀の世界を抜け、山の裏側へと回り込む。
そしてその場にひっそりと
「やはり……君だったか」
──
密集した高い針葉樹の下で、その巨竜は地面と同化するように横たわっていた。
頭部は地に倒れ伏し、かつて虹色に輝いていた翼は朽ち果て、胸部から腹部へと繋がる青と赤が混ざった繊細な鱗も痛ましいほどに傷だらけだった。
何より……その巨体は今にも光の粒子──というよりも、燃え尽きた煤が竜の骨を取り囲んでいるような姿へと変わり、今にも風の中に消え落ちようとしていた。
(魂を使い過ぎたか)
戦いの結末を悟ったツアーのもとへ、目を瞑り、口を閉ざしたままの同胞の声が響く。
『……遅かったな、ツアー』
荘厳な声色を宿した念話だった。
ツアーはその場で軽く膝を折り、重そうな彼の瞼に手を伸ばしかけてから、それを止めた。
「すまなかったね」
『いや、謝らずともよい。今更責めるつもりはない』
真なる竜王同士だからこそ、二人は"此処にまだ残っている"魂の残滓──その深部での会話が可能だった。
「……彼女はそれほどまでに、強かったのかい?」
『あぁ……稀に見るほどに強大だった。……強さとは何か、あの時失った輝きがどれほど大きなものだったのかを、戦いの中で悟るほどに』
『ツアー。──私は最後まで、世界のことを何も
ツアーはそっと首を横に振る。
「そんなことはないと思う」
ただ、そう否定するツアーとは反対に、どことなく彼だけは満足そうだった。
『ぷれいやーの齎す可能性を見た。まぁ、今のお前に言っても仕方ないかもしれんな。
……最後に。共に肩を並べた六竜として、二つ頼みがある』
「なんだい」
七彩の竜王は低く喉を鳴らすと、掠れた声で続けた。
『まず一つ、これは頼みというより忠告だ。我はもう不可能になってしまったが、プレイヤーの他にも、
「……なんだって?」
『──カッツェ平野だ。我が目を覚ましたときには、
「カッツェ平野か。……情報に感謝するよ」
率直に言えば、そんな馬鹿なと否定したい話ではあった。
何故ならここに滞在していたツアー自身が、一切その波長を感知できていなかったからだ。
……ただ、そうとは言えど心当たりが皆無というわけでもない。
確か、宮廷舞踏会の前日頃だったか。
リグリットが『カッツェ平野近くで怪しげな黒のローブを着た女に出会った』と連絡してきたのをツアーは憶えている。
当然、あの時は
(何のために……? カッツェ平野に。 あの……間違ったことをしている連中が)
しかし、それを深く考察する時間は残されていない。
七彩の竜王の巨躯が、端から粒子となって崩れ始めていた。
『時間だ。ツァインドルクス=ヴァイシオン。これが我の、最期の願いだ』
ツアーはそれを見て、明確に一歩後ろに下がる。
(真なる竜王の、秘技──)
ツアーも可能であるそれを、彼は
そして、その後に続いた言葉はにわかに信じがたいものだった
『ツクヨミだ。今回のプレイヤーに──我の、この魂を渡せ。なに……ただ、多少の火花が出る、その程度の代物に過ぎん……』
巨躯がとうとう空に立ち昇る光の奔流に変わり、徐々に霧散していく。
「正気かい? ……私がそれを他者に渡すとでも? ましてや、彼女に」
『ふん。お前は隠すだろうな、あるいは破壊するか。だが、今の我にできるのは……ただ願うことのみ』
──頼んだぞ。ツアー。
……からんっ。
そうしてあまりにも呆気なく、世界を共に守護していた竜の一体が消滅し、その形見とも言える指輪が地に転がった。
ツアーは重い足取りでそれに近づき、目の前で暫しの間見つめてから、そっと拾い上げる。
その膨大な始原の魔力を感知し、ツアーは今度こそ呆れて苦笑した。
「嘘つきにもほどがあるよ、君は」
七色の宝石が収まった竜の指輪は、千年を優に超える時間を生きた同胞の"魂"そのものだった。
始原の魔法の上書きが叶わぬほどに、それは巧緻な技術で完成されている。
何より、あまりにも純粋で完璧に──あの『ツクヨミ』のためだけにそれは調和されていた。
恐らく始原の魔法にではなく、異界の力にこそ対抗するためのものに見える。
しかし、そうとは言えど、極めて危険な代物に変わりはない。
本来であれば、このまま此処でのやり取りを全て秘匿してしまうのが最も安全かつ手っ取り早い。
"物"は深い雪の下に埋める。自分の拠点に隠す。この場で砕く。
いっそ他の者に無理やり使わせる。
方法は幾らでもある。前までのツアーであれば、間違いなくそうしただろう。
しかし、今のツアーは迷っている。
「はぁ。……私はどうすべきだと思う?」
100年前にこの地で命を落とした
ツアーは
目に見える危険を潰すことの何が悪い? そう開き直り、無惨に死んでいった友に報いるために、端から期待しないことを選んだ。
だが、心の奥底では理解してもいた。かつてのスルシャーナのように、善の性質を持ち合わせ、世界を変革させつつも将来の
ツクヨミもきっとそうだ。彼女の善性に懸ける勝算は、きっと一人で今後の脅威と戦い続けるよりもずっと高い。
『貫くことだけが、正しいとは限らんぞ』
不意に、そんな友の言葉が頭の中で響いていた。
「リク。リグリット、イビルアイ。私は……この手で世界を」
苦々しく指輪を握り込んだ右手を見やる。
四百年の憎悪に生きた六竜──ヴェクスルシオンでさえ、最期にはあの者の光を信じて指輪を託した。自分は、どうだろう。
「……ただ、守りたかっただけだ」
煙の一筋さえも残っていない、夕焼けの黄金がそこにあった。
彼の魂にはもう、これから吐く言葉は届かないだろう。ただ、それでもその意思だけは、ここにずっと残り続けているような気がして。ようやく決心を零した。
「ヴェクスルシオン。他ならぬ君の願いだ。力を持つ者として、この約束は守ろう。……ただ、勘違いしないでほしい。もし君の見立てが間違っていたのなら。もし彼女が八欲王のように力に呑まれ、世界をその手で踏みにじったのなら──」
「──その時はこの私が一切の容赦なく、彼女をこの世から消し去ってみせる」
恐れを抱き、過去を遠ざけ、力の責任を理由に──未来から迫る破滅を悉く受け入れてきた自分。ツアーは肩に巻いた白の毛皮の襟巻きを翻す。
(私にも……ようやく分かったよ)
明日の可能性を信じ、その結果生じる全ての責任を──この両手で引き受ける。
「それが君の見た、本当の強さだったのだろうね」
ツアーは目を閉じ、その場を後にした。
♦
(…………ん)
思考の暗がりから、ゆっくりと意識が浮上していく。
完全に気を失ってしまうなど、この世界に来てから初めてのことだった。
痺れる手足が少しずつ輪郭を取り戻していき、全身の感覚が戻ってくる。
鋭敏に外気の寒さを察知しつつ、ツクヨミはゆっくりと、その白い睫毛を動かした。
「……うっ……ん?」
──!!!
その瞬間、自分を抱きかかえていた黒い腕が……歓喜に震えるように小刻みに揺れ動く。
ようやく青紫色の瞳に光が戻った。
見下ろせば、そこには横になっている白と金の装飾が連なった神聖なローブ、そして膝を曲げていることで宙に向けられた靴と、折れ曲がった白く透明なスカートがあった。
外は……雪山ではなく……その麓の、木々がまばらに生えた高原のような場所だった。
「ツクヨミ殿、意識が戻ったかっ」
「リグリット、お前は直接話したことは無いだろう。あぁ、ツクヨミ。私のことは知っていると思うがこいつはリグリット。お前を助けに来た」
そしてもう一つ。
隣に目を向けると、そこにはツクヨミに合わせるように歩みを止めた二つの人影があった。
相変わらず怪しげな乳白色の仮面を被っているイビルアイと、老婆リグリットである。
ハンゾウが此処に来ている理由も含め、イマイチ状況が掴めないなと感じつつも、ツクヨミはそのまま上体を起こし、そっと片足から順に地面へその足を下ろす。
「そうでしたか……。助けていただき……ありがとう、ございます」
「おい。あまり無茶はするな。推測にはなるが、恐らく先ほどまで……あの
「
ハンゾウに導かれるまま、近くにあった木の幹に少し寄りかかり座り込む。
未だ身体の節々に残る痛みと、右手の掌。そこに存在していた先の重みが、記憶を急速に呼び覚ましていく。
ツクヨミは──そうだ。
(彼は、どうなったのだろうか……?)
反射的にそれを確かめようと視線を動かす。
勿論、あの一撃は命に届くものだったと確信してはいる。ただ、それでも気になった。
命を懸けて死闘を共に演じたあの者の結末が──
「主よ。……死の淵より戻られたこの折に、不敬、御許しを……」
ただし。そんな思考を遮るように、先ほどツクヨミを支えてくれていたハンゾウが滑り込むように地面に膝をつき、地にめり込むほどに頭を下げていた。
「え……?」
「聖王国の件、許されぬ不覚を取りました。人々の盾に成れず。蘇生も叶わず、主の危機にも遅参する始末。どうか、介錯を」
腰に下げた短刀を差し出してくる相手に、ツクヨミは冷静を装って問いかける。
「待ってください。……聖王国で、何かあったのですね?」
それに対し、ハンゾウは震えながら首肯した。
無論、ツクヨミとて彼を責める気は毛頭ない。もし、ツクヨミの了承を経て聖王国に出てくれていた
リグリットとイビルアイが近づき、そっと何かを言おうとしたその時だった。
──地を踏みしめる音と共に、白銀の鎧がその場に現れる。
「ツクヨミ」
「貴方は……」
それは何かを手の中に握り込んでいるような素振りで、こちらへと近づいてきた。
ツクヨミはおろか、リグリットやイビルアイさえも緊張した面持ちをしているように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。
(宮廷舞踏会以来。そうか、彼は……真なる竜王。ヴェクスルシオンの仲間だ)
であれば、同胞の仇であろうツクヨミに、業を煮やしていても何ら不思議ではない。
ツクヨミが戦闘態勢に入るか否かというぎりぎりの時に、ツアーはこちらに向けてそっと右手を差し出してきた。
それはあまりにも予想外の行動だった。
「
反射的に受け取る姿勢を作った掌の上に、七色の輝きを宿した純白のリングが落ちてくる。
(これは……)
色々と混乱しているが、触れた瞬間に理解した。
ヴェクスルシオンの"最期"の感情と、その魔力の形質についてである。
そのうえで、言い知れぬ巨大な魔力の波がこちらに流れ込んできた。それについては──
(凄まじい)
──としか、今のツクヨミには形容できなかった。
恐らく性能で言えば、ユグドラシルの最高位アーティファクトはおろか、
尤も、始原の魔法で作られたこれの魔力量を、ユグドラシル基準で測ることさえ意味のないことだろうが。
「今回の件、私はその結末に口は出さない。彼も……それを望んでいるはずだ。
ただ──もし君がその指輪を使い、
ツクヨミは眼前の竜の兜から漏れ出る青い光を見つめ、ただ一度だけ無言で頷いた。
そして、左手の人差し指のリングを外し、迷いなく
「届けていただき、ありがとうございます」
ツクヨミは立ち上がり、ハンゾウと、自分の恩人たる二人の方に向き直る。
「ハンゾウ、リグリットさん、イビルアイさん。私はこれから聖王国へ向かいます」
「その身体でか……? 無茶じゃぞ」
「あまり責任を背負いすぎるな、碌なことにならんぞ」
二人が静止するが、ツクヨミは苦く微笑みつつ首を振る。
「私は大丈夫です。それより、現地の皆様が心配です」
神殿を出立する前に神官長から聞いていた話を思い返す。
その後、ツクヨミが遅れてハンゾウを送り込んだわけだが、あの盟主という存在の真の目的は、恐らくツクヨミを戦場で迎え、そのアイテムを強奪することにあった。
現地の儀式だけでは、恐らく最高位の
(
モモンガ。かつてグレンデラ沼地でソロ狩りをしていた時期に何度も見かけた、アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスター。ツクヨミは、ついぞ彼に声をかけることはできなかった。
思考を戻し、ツクヨミはツアーへと改めてその双眸を向ける。もはやあらゆる迷いは無い。
「聖王国の一件は、実質的に私が引き起こした事態です。盟主がユグドラシルのアイテムを使い、世界に混沌を振り撒こうと言うのなら……その悲劇は私自身が清算します。それでいいですね、ツアー殿」
ツアーは腕を組んだ状態で少しの間無言だったが、すぐに周囲に浮く武器を収めた。
「……いいだろう」
ハンゾウが畏まった様子で懐から水晶を取り出してくる。
それに続き、イビルアイとリグリットも二人の下に近づいてきた。
「後は、私が全て終わらせます」
──盟主とかいう存在がこちらのことを利用しようとしているのなら、その目論見を一瞬で粉砕して差し上げよう。
有無を言わせない決意を纏い、法国の神は今度こそ、何の憂いもなく彼方の地に転移した。
そろそろ3章も終盤です。
以降閑話など書くかもしれませんが、本作全体としても後半戦に向かう予定になります。
ーーー
おまけ設定(微情報)
ーーー
竜の秘宝「
・始原の魔法で作成可能な竜の秘宝の一種。
・五行を司る真なる竜王ヴェクスルシオンがその悠久たる魂を回収・凝縮させて、最期にツクヨミへと捧げた指輪(始原の魔法と位階魔法を繋ぐ特異点的アイテム)
・端的に性能を表すなら、ユグドラシルでもまず見られないレベルの超ぶっ壊れ装備("二十"級アーティファクト)であり、原作ガゼフ→クライムの持つ指輪(上限突破)と比較しても軽く二回りくらいはヤバい代物。
・月を冠する指輪でほぼ専用装備。つまり激重感情(※背後からハンゾウの殺気を感じたので撤退)
・ゲーム的に言えば入手難度・条件は測定不能なほどのHard。