「そ、その御声は……!?」
ツクヨミが
遥か彼方とも言える地。
スレイン法国大神殿の一室──一般の民はおろか、敬虔な上級神官でさえ無断の立ち入りが厳格に禁じられている最高神官執務室内では飛び跳ねるような狂乱を見せながら、最高神官長オルカー・ジェラ・ロヌスが勢いよく立ち上がっていた。
最高神官長は手に持っていた銀装の羽ペンを床に取り落とす。
ただ、それは動揺からではなく歓喜からだ。
繋がった
その
偉大なる託宣を前に、室内に他の人間がいるにも関わらず恭しく
「はっ。はっ。承知いたしました」
最高神官長はそうして短く神とのやり取りを終えると、礼装の汚れも気にせず立ち上がる。
部屋の中でたまたま居合わせていた火の神官長、風の神官長も、最高神官長の変貌ぶりに動揺を隠せずにいる。それと、『もしや』『まさか』という期待も含めてだ。
声を発することもできず、息を呑む音が室内に響く。
それから最高神官長はふぅ……とこの世のものとは思えない満たされた溜息を吐くと、冷静さを取り繕いつつも、全く取り繕えていない声色で二人に告げた。
「神が……夜闇を迷い歩く我々に
ツクヨミ様はご無事だ。竜の脅威を排し、これから聖王国へ向かわれるとのこと。我らの神は、あの
「あ、ああああ……!!!???」
火の神官長が書類をぶちまけ、その場にへたり込む。風の神官長はぱくぱくと口を動かしたのちに天を仰ぎ、両の目から一筋の涙を流していた。
五十、六十代近い国家の最高責任者──枢機卿たる老人らが天を仰ぎ、互いに熱い抱擁を交わし合うという地獄絵図が巻き起こるが、それも数舜のこと。すぐに冷静さを取り戻した最高神官長が部屋を飛び出し、凄まじい手際で各所指示や連絡を飛ばしていく。
本来であれば人を使ったり、馬を出したりといった手順を二度三度は踏むのだが──今はとにかく時間が無い。
最高神官長の指示のもと、元々いた二名を含め、すぐにその場へと神官長達が集まる。
己をいれて計五名。火・水・風・闇の神官長である。
大神殿の入り口付近に集結した彼らは、その全員が自身の管轄内の神殿から全力で馳せ参じてきたために、老人特有の乾いた息が上がっていた。ただし、その顔には疲労の色以上に、広大な砂漠で喉を潤しにきた旅人のような渇仰が含まれていた。
「土の神官長と光の神官長も間もなく到着するだろう。皆、各色神殿および行政周りで
「そんなことより最高神官長。先ほどの……ツクヨミ様 御無事の吉報はまことか!?」
「誠だ。皆、分かっているだろうが、こうしてはおれん」
最高神官長は静かに息を
「すぐに、この場の全員でお迎えにあがるぞ」
──それは些か危険ではないか。
そんな声は、もはやこの場には存在しない。それどころか皆頷いている始末だった。
勿論、普段であればオルカーもこのような暴挙に出ることはない。神官長というこの国のトップが一斉に国を離れるのは誠意と云うにしても危険すぎるし、法国の指示系統が麻痺したり聖王国で噂になったり要人が一斉に怪我を負うといったリスクが大きかったりで、人類の味方たる神──ツクヨミが竜王国に初めて現れた時でさえ、全員で迎えに行くという選択は取らなかった。
それを今やる──
この行動に、理屈を超えた"信仰の爆発"という側面がないとは言い切れない。
ただ、これにも明確な政治的意図は存在している。
(正確な情報の動きは既に封じてある。副神官長と大元帥を水面下で立ち回らせ、内々で対応こそしていたが、その間も中枢は足を合わせて動いていた、という風に事実を書き換える)
竜王国へ神が移動し、そして
しかし、公的な見解を出す際に、それが切迫したものであった──などということを敢えて喧伝する必要はない。
『神は救いを必要とする世界の各地を、特に大きな手傷を負うことなく移動し、最後には神官長達を引き連れて聖王国へ出立した』。そんな脚色した物語を演じるための、この出立である。
(嘘はついておらん。ツクヨミ様が危機に陥ったなどという事象は、そもそも初めから無かったのだ。なんたる杞憂。なんたる不敬。これは……崇高たる神の御計画だった……。そうだ! そうだったか……っ)
オルカーはその遠謀を今更になって確信する。
恍惚としていると残りの神官長達も到着し、宝物殿のアイテムを借用しにいこうと腰を上げる。
その時、なんとその場に六大神の眷属であるルフスが現れた。
「最高神官長。あの者が無事だったと、小耳に挟んだ」
「ルフス様、御体はっ──」
「──よい。時間がないのだろう? 聖王国についても、実は私も少し
「それは……先ほど火の神官長とも相談しておりましたが」
風の神官長が言い淀むが、それを気にせずルフスは神官長らの横を通り、神殿の門をひびが入った骨の腕で押し開いてから外に出る。ひやりとした外気が周囲を包み込む中、敷地の南遠には朱色の礼装に身を包む火滅聖典が集まり始めている。
これは陽光聖典と漆黒聖典が外に出払っていたため、万が一の備えとして神殿に残されていた動かせなかった戦力である。それを幾らか使い、現場に正確に転移することを考えていたオルカーだったが、ルフスは静かに首を振った。
「全て連れていけ。神殿は私が……っと。そろそろとは考えていたが、丁度良いタイミングで帰ってきたものだ」
ルフスが空を見上げる。
外に爆風が吹くとすぐに、曇り空を切り裂くほどの巨体が大神殿に降ってくる。
神殿の僻地で飼っている
神の筆頭眷属たる
神官長達も結界を通して確認していたため、大きく驚きこそしない。
「お主らが不在の間……
ルフスはその骨の腕をそっと……けれど前よりもずっと柔和な雰囲気で持ち上げ、先導する。
最高神官長は裾で目尻を抑え、感謝の言葉を静かに漏らした。
そうしてティナゥ・アル・リアネスの神器で巫女姫と共に各地の状況を見守っていたであろうルフスに腕を引かれる形で、国家の要人達は火滅聖典を連れていち早く現地の戦場痕へと転移した。
♦♦♦♦
ズーラーノーンの
粗暴で凶悪な不死者と高弟達の"狂信"。
それらを誰よりも憎み、恐れたローブル聖王国は、法国とは違い、四大神信仰である。
その成り立ちは、遡れば魔神戦争後期たる100年前のことで、リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国などと同じく、スレイン法国が支援する形で国家として成立した。
現地に根付いていた四の神の土着信仰を彼らの拠り所とし、法国も国家の形成に大きく干渉はしなかった。それは法国の属国としてではなく、新たな人類国家の自立性を育むための選択であった。
ただ……この選択によって両国に小さくない宗教的な溝が出来てしまったのも事実だった。
法国はいつからか『不完全な信仰に生きる弟子国家』として彼らを見るようになったし、各国も死の神を最高神として崇める法国を怪訝な目で見るようになっていった。
法国は地理的に離れている聖王国を、そうした理由からも、本当の最大値を使って支援することは徐々に減っていった。アベリオン丘陵での間引きも年々減っている状況である。
だからこそだろう。
聖王国は今回、その法国が行った
それは──
『法国に新しく降臨したという神の御加護は、はたして我々にも与えられるのか』
──という信仰に基づく不安である。
自立という側面で見れば、決して悪いことだけではないかもしれない。
しかし、世は圧倒的な混迷の時代であり、こうして国の要衝となる都市を邪悪な
聖王リエンダル・べサーレスが首都から出てきて前線の指揮を保っているとはいえ、市民たちは、ここ最近で聖王国の上層部が法国と仲良くしている──ということくらいしか把握していない現状の中、破壊される街をただ闇雲に逃げ回る他なかった。
パレード? ……当然見に行けた者はいない。
神の姿? ……歴史書でも見たことが無い。
なにより、自分達が祈りを捧げてきた対象は、新たに降臨したというそれではなく、その遠戚とされる神である。そんな我らは救われるのか。天国に行けるのか──
城塞都市の高楼にある、朝の礼拝時間を知らせる見慣れた鐘が地に落ちて歪んでいるのを見て。
瓦礫に挟まる男は、そんな思いを口にしようとした……
「お、おい……。あ、あれを見ろっ!!??」
だが、丁度その時だった。建物の陰に身を潜めていた隣人が、突如として叫び出す。
男はそれが指し示す先に霞んだ目を向けた。
(……な、なんだ)
その瞬間、煤で汚れた戦場の空気が、まるで清らかな風雨に洗い流されるかのように空気が透き通り、
男は目を丸くする。
……突然転移したかのようにそこに立っていたのは、まごうことなき
白い髪。背に浮かぶ光輪。そして、右手に握られた力強い剣。
体型は華奢で、腰はローブ越しに分かるほどに細く、肩もすっと幅を狭めてはいる。しかしながらその存在が片腕をそっと持ち上げるだけで、遠くにいるはずの自分に降りかかっていた瓦礫が、逆に支配されるように
まさしく奇跡だった。
その後ろにも、黒い装束を着た忍者が静かに歩いている。
女神ツクヨミ。
残っていた不死の軍勢を、まるで塵を掃くように屠っていくそんな規格外の存在は……聖王国城塞都市カリンシャに突如として現れた。
その日聖王国は目にすることになる。神の、その絶大なる真の威光を。
♦
路面に張った水を踏みしめ、急ぎ足で聖王国の荒れた街をツクヨミは北上している。
ハンゾウの付き添いであったので、
ツクヨミは今、小さな息を心の中で吐きつつ、長すぎるその髪を風に靡かせながら
平時の様に、周りに気を遣って淑やかに参上するということはできず、雨雲の残る暗くなり始めた空の下、最低限の救護を行いながら、こちらを見て目を丸くする人々を半ば無視するような形で歩を進める。
(そういえば、二人は大丈夫だっただろうか)
夕日は既に落ちている。
そんな中、街の様子を見ていると、自分をわざわざ助けに来てくれたイビルアイ、そしてリグリットのことがふっと頭に浮かぶ。彼らは『聖王国を放り出してきた自分にも問題がある』と言い、すぐにツクヨミと別れて人命優先へと出て行った。
(それに──)
ハンゾウから聞かされた内容の不穏な響き。
右手のコンフラクゥスを強く握りしめたまま、何とも言い難い心持の彼女は、そうして荒れ果てた広場へと到着した。
「ツ、ツクヨミ様ッ……!!!」
すぐに声を掛けられた。
見れば、そこには最高神官長および六色神官長が勢ぞろいしており、更には灯りを手に持った夥しい数の火滅聖典と陽光聖典がずらりと平伏していた。
そしてその横には──あの時送り出した漆黒聖典の面々も
「本当に、お待たせいたしました」
ツクヨミは床に伏して嬉し涙を零す彼らに、ある種の罪悪感のようなものを憶えつつも、歩を更に進める。聖王国カリンシャの街の北部、そこには立派な噴水があり、その先の建物の周りには多種多様な存在が集まっていた。
ようやく盟主との激戦を終え、一呼吸というように周囲の残党の狩りに出たり、相方の治療を優先したり、手元に火を灯している者達。彼らも、突然この場に歩いてきたツクヨミを見て、凄まじいほどにざわつき始めている。
見れば聖王。……キャリスタ・カストディオ含む聖王国神官団、どこかの国のアダマンタイト級の冒険者、現地の兵士……あとは、服と腕が少し焼き焦げて不服そうにしているデケムと、それを監視するハンゾウ──
(エルフ王、
あまりにも酷い内心が浮かび上がり、ちょっとばかり申し訳ない気持ちと自省がやってくるが、それをすぐに捨て去り、もっと目を引いたそれへと思考を移す。
(亜人……? それも、結構強い部類だ)
そこには異形の小さな蛸のような物を抱いて静かに肩を庇っている、謎の
何はともあれ。本来であれば、この英雄達にもう少し礼儀ある対応をすべきなのかもしれない。
だが、ツクヨミは
そこには、噴水に立て掛けられた鎌と共に……もう元気には動かなくなった友人の姿があった。
(アリシア……)
彼女だけではない。多くの命がこの地で既に失われていた。
自分を信じ、戦いに出てくれた者。自分達の諍いに巻き込まれた者達。竜王国の時とはまた違う、一般の民の死という確かな重み。
ツクヨミは彼女の顔に掛かってた布を退かし、その白くなった頬をそっと撫でた。
「……怖かっただろうに。よく、頑張ってくれた……」
背を片手に抱き、噴水の縁にその身を立て掛ける。
ツクヨミは隣にいる第四席次になるべく優しく、そして動揺を悟られないように声を掛ける。
「ハンゾウから聞きました。皆、良く戦ってくれたと。その上で、現地の者の一部に対して蘇生魔法が効かなかったと聞きましたが、それは本当ですか?」
「はっ、はい……ツクヨミ様……本当に、申し訳ございません。……拒否、ではないと考えていますが、盟主の放つ死の気が……あまりにも強く……」
彼女の声は震えていた。
なるほど。心当たりがないことはない。
まぁ何にせよ。どのような魔法を使ったかは知らないが、この悲劇をそのままにするような選択肢は、ツクヨミには端から無い。
高位のアイテムが必要か、あるいは状況を考えて、更に重要なアイテムを……ここで切る必要さえあるように思う。ただ、それで済むのであれば、全く構わないとさえ思えた。
(私が今まで集めてきたアイテムは、
「アリシア、少し待っていてね……」
そうしてツクヨミが手を離したその時だった。
「……っツ、ツクヨミ様!!」
焼け焦げた瓦礫の山からゆらゆらと邪悪な気が立ち昇り、地獄から戻って来たかのように岩をかき分けながら、件の犯人がその場に姿を顕した。
ズーラーノーン創始者、盟主。
「や、奴だ!!」
「……まだ生きていたのか」
「奴が復活したぞ! み、皆、構えろっ!!」
それは
その骸骨姿が法国の神たるツクヨミを目視し、邪悪な歓喜にその身を震わせる──
「盟主、度重なる神への狼藉……到底許すことはできない。ツクヨミ様、ここは我らが──」
「ありがとうございます。しかし、それには及びません。実は私も……少々苛ついていまして──後はこの"貴方たちの神"に任せてください」
第一席次の制止を振り切り、法国の者達に釘を刺した状態で、ツクヨミは剣を地に向けたままコツコツと白い靴音を立て、広場の中央に躍り出る。
その瞬間、大気が震えだす。
Lv100特有の圧倒的な威圧感を前に、その行進を止める者は、もはや誰もいなかった。
いるはずが無い。
「ようやく来たか、法国の神よ……」
盟主がこちらに無遠慮な骨の指を向けながら続ける。
「長く待ったぞこの時を──。面倒な遣いが来た時は、この私とてどうなるかと思ったものだが、何はともあれようやく成った。我が術式により……貴様は完全に包囲された」
「……面倒なので一つだけ聞いて差し上げます。なぜこのようなことを?」
「ふふ。それは──神の領域へと昇華するためであろう。
もはや通常の研究では不可能だと、我だけは悟っていた。最強の死の神、
あまりにも高慢な盟主の態度に、ツクヨミはもはや論理的な会話が頭から抜け落ちる。
「そうでしたか。では、却下いたします」
「ほぅ、なるほど。それが偽神の選択か。だが──本当によいのか?」
にやりと盟主が笑う。
無論、その表情は骸骨なので変わってこそいないが、先ほどまで完全に討ち取れたと考えていたそれが再三見せた底知れなさ、不気味さを前に聖王も身震いし、見上げた冒険者達も多様な武器を構えた。
隠れていた民衆たちも……一体何が起きているのかと、恐る恐る廃墟の窓から顔を出し、その光景に息を呑んだ。
「貴様が法国で余裕をかましている間に、我は、ここで第九位階の領域にまで達したぞ!」
「だ、第九位階……!?」
「あ……あれはそんな領域の魔法だったのか?」
「惑わされるな。そんな魔法、たかが一介の
「そ、そうだ。絶対にあり得ない……!! 追い詰められた者のはったりだ!」
その声は法国の特殊部隊の者からも響いており、盟主を大いに愉しませた。
「先ほどは数度不覚を取りはした。だが、我は見たのだ。貴様の送り込んだ眷属が、密かに逃げ帰る様をな。しかも……神は此処に来るまでに、何やら大きく消耗しているように見える。これは実に好都合」
「ツクヨミ様。拝命いただければ我らもすぐに」
堪らず後ろから……無理やりにでも距離を取らされるように火滅聖典に道を塞がれ、中に埋もれていた神官長の声が聞こえてくる。
ツクヨミは横向きにそれを見て、彼らへと冷厳にただ一度だけ頷いてから、前へ向き直す。
そして、あろうことかこちらを嘲るように盟主は襤褸のローブ越しに腕を大きく広げ、民衆に恐怖を植え付けるように宣言する。
「法国の新たな神と謳われるお前も、あの口だけだった小娘と同じように──すぐに物言わぬ身へと変えてやろう」
そのうえでツクヨミはそれに対し、ただ一度だけ無表情に呟いた。
「ほぅ。それは……とても楽しみですね」
ズーラーノーン盟主の指先が仄暗く光る。
聖王国を侵略せし悪霊と、法国の神。この諍いに、いよいよ終止符が打たれようとしていた。
次回、盟主 vs ツクヨミ様