こつこつとカーマインの靴が音を立てる。それに続くようにツクヨミもまた扉から薄暗い娼館の床を踏んだ。
入ってすぐは普通の店内と変わらぬカウンターとなっていた。本来客の相手をするために従業員が立っているであろうカウンターの先に人はおらず、その台の上では小さな蝋燭が静かに火を揺らしているだけだ。先頭を歩いているカーマインは一度立ち止まると後ろをちらりと振り向き喋った。
「今のところ人は居ないようですね。さっきので全員だったんでしょうか?」
「確かに倒した人数はそれなりに多かったと思いますが、まだ分かりませんね。ここの店も思ったより広そうですし」
外からは複数の壁が繋がっているように見えていたため建物の大きさは分かり辛かったものの、店内はカウンターだけでも数人が行き来して不自由ない広さがあった。
曲がりなりにも娼館であるなら、この先にそういった部屋が複数あると考えられるため規模はそれなりのものであると推測できる。また、その広い空間の内装も薄っぺらなものではないようだ。少しだけくすんだ白い壁には絵画が数個飾られており、床の一部分には質の良い茶色の絨毯も敷かれている。
違法であるにも関わらず、さながら高級店のような雰囲気──
少なからずこの娼館が金銭的に潤っているのは確かなようで、どこかの誰かが膨大な金を落としているということは疑いようもなかった。その事実に、カーマインは眉を顰める。
「時間帯的に客が少なそうなのが救いですね。会ったら平静を保てる気がしませんよ」
半分独り言であったそれにツクヨミは冴えない表情を浮かべる。
勢いで来てしまったために感情の整理はまだついていない。
「とりあえず……カウンターの奥は後回しで右手の廊下から探してみますか?」
現時点で行けそうな場所は隠されていなければその程度であり、カウンターの奥は関係者以外立ち入り禁止といった雰囲気が漂っている扉があるのみだ。そこにカーマインの妹がいる可能性は低いと考えられる。
カーマインもそれを理解したのかこくりと頷いた。
「はい。案内されそうなのはこっちですしね。先へ進んでみましょう」
二人は右へ曲がる。
足を踏み入れた廊下は壁にかけられた複数の蝋燭に小さく照らされている。左側は所々が窪むような形となっており、そこには重厚な木の扉が見える。その全てがしっかりと閉められており、中の様子を確認できないようにしていた。
ツクヨミは一番近くの扉の前に立つと隣に立つカーマインに言葉をかけた。
「全て使用中ではないと思いたいですが、これじゃ片っ端から確認していくしかないでしょうね……」
「見たところ結構部屋もありますね。骨が折れそうです。あっ、俺が開けましょうか」
カーマインは冷たい金属の取っ手を掴むとそれを捻った。『ガチャ』という低い音が二人の入室を拒否する。先程から扉の前に立っていても中の音が聞こえて来ることはなかったが、今もそれは変わらない。
防音になっているか、無人なのかは不明である。
「鍵がかかってますね。どうします?」
「仕方ないので私が開けましょうか」
ツクヨミは代わるように取っ手を握り強引に回した。ドアノブから金属が砕けるような音が響くと、それはくねくねと回転するようになった。
何とも脳筋な発想であるがどこにあるかも分からない鍵を探すよりも手っ取り早い。
「おぉ……。ドアノブに初めて同情しました」
「ん? 何か言いましたか」
カーマインが小さく首を振るとそのまま二人は中へと颯爽と踏み込む。
これでも至極真剣な救出班二名なのだが、それでもこの後の惨劇を考えると、多少なりとも軽口を叩けたのはこれで最後だっただろう。
────
「シモーネッ!」
薄暗い部屋の中、カーマインは力無くベッドの上に座り込んでいる少女の名前を呼び、走り寄って行く。
あれから探索は続き、四つめの扉にしてようやく兄妹は再会を果たしていた。
突然の事で呆気に取られていたツクヨミも、そんな彼らに近づいていく。
見ればシモーネという少女は荒んだ茶髪のロングヘアにボロボロの衣服を身にまとっていた。その姿は"無事"という言葉の対極にあった。
青アザは当然と言わんばかりに身体中に広がっており、顔は大きく腫れている。
裂傷や火傷も多く、鼻が曲がっているため、元の顔が想像もできない。
そんな彼女の姿を見たカーマインは堪えきれなくなったのかその身を優しく抱きしめた。
しかし、彼女の虚ろな瞳は恐怖へと変化しただけで、ガクガクとその体を震わせ始める。
「…………て」
「た……て……」
ツクヨミは苦い表情で拳を握りしめる。
ここに来るまでの他の部屋でも、同じような被害者の女性を何人も見てきた。
中には暴力を振るわれている最中の女性や、まだ明らかに未成年と思しき女性もいた。そんな彼女たちは皆激しく衰弱していて、今は最初の部屋で保護を行っているものの、一様に心を閉ざしてしまっている。
その姿はとても痛々しく、どれだけの目に遭ってきたのか想像もできなかった。
(あまりにも酷すぎる……)
グロテスクな光景入り混じる生理的な吐き気を前に、先ほどからずっと悲しみと怒りが交じった心地の悪い感情が胸の奥深くで無限に渦巻いている。
現実感が無く──そのうえで強い衝撃で突然ぶん殴られたような──ある種の戸惑いに似た感情。
今は解消のしようがないそれを、ツクヨミは一度強引に胸に留めていた。
自分が取り乱している場合ではなかったからだ。
我に返ったツクヨミは、目の前の少女の傷をすぐに癒すべく、鞄の中にまとめておいたポーションの一つを素早く取り出した。
俯いているカーマインの肩にそっと手を置き、その後彼女の手へと溶液を垂らす。
本来ならポーションは飲むものであり、その方が効き目が高いとされている。にも関わらずそうしないのは、被害者の恐怖を煽らないためであった。
効果はすぐに現れ、みるみる外傷を消し去っていく。
「ツクヨミさん、すぐにここから連れ出してあげるのは難しいですかね……」
その言葉はとても人情に満ちていた。
ツクヨミは少し考えると、愁然と返答する。
「妹さんだけなら恐らく可能でしょう。でも他の女性のことも考えますと、二人では厳しいと思います。兵士の方を呼べればいいんですが……」
「兵士ですか……。確かに今までとは違うかもしれませんが、信用できますかね」
少々疑いすぎにも感じられるその言葉だが、確かにツクヨミもこの国の兵士……というよりその組織全体に小さな懐疑の念を抱いてはいた。それは職務怠慢というより……そう、もっと別の不安だった。
しかし、最終的に女性たちを救い出すためには彼らの協力が必要なのは事実。
頭を悩ませる問題の中で一つ幸いなことがあるとすれば、度々部屋の中に怪しげな薬が放置されていることくらいか。
「まぁどちらにせよ、私たちだけでは手詰まりですからね……。考えすぎかもしれませんし、やるだけやってみませんか?」
提案するとカーマインも躊躇いを断ち切ったのか真剣な面持ちで口を開いた。
「分かりました。それじゃあ兵士は俺に任せてください。必ず連れてきます。ツクヨミさんは……妹と被害者の方々をお願いできますか?」
こちらが力強く頷くと、それを確認した彼は頭を下げ、急ぎ足で部屋を出ていった。
ツクヨミもまた、即座に行動を開始する。
────
「なんじゃあお前は! ノックもしな……ぶべぁ!」
女性にのしかかっていた貴族然とした太った男の顔に拳を叩き込む。
顎が外れ、白目を剥いた男は地面へとその巨躯を倒した。
「ここで最後か」
ツクヨミは一番奥の部屋にいた女性二人に目線を移す。
ベッドに倒れた彼女たちは死んでいるのかそうでないのか分からないほどに、ピクリとも動かず音もたてない。
僅かに血の匂いを放っている二人にツクヨミは静かに近づくと、鞄から下位のポーション──インベントリ内に無数と言えるほど持っている物の一つである──を取り出した。
実を言うと取得クラスに神聖系の戦士が多く含まれることもあって、第六位階の信仰系魔法である
しかし、この世界では金銭を受け取らずに治癒の魔法を他人に使うことは神殿により原則禁止されていた。その理由はかなり複雑だが、どの道使える魔法もポーションの効果とさほど変わらない"応急処置的なもの"に過ぎないため、人前でないにしろその溶液を溢す。
これも現地の基準からすれば、殆ど魔法の行使と変わらない気はするが──。
「んん。さて、少し急ぐか」
被害者を集めている部屋は高位のマジックアイテムで不可視化してあるが、それでも心配性な彼女は今も早く戻るべく、手際よく治療を進める。
数十秒後、空瓶を鞄に戻したツクヨミは二人をどう移動させるか思案していた。
筋力的には二人纏めて抱えていくことも容易いが、怪我人に対してそれはあまりに乱暴な対応に感じられたので、結局安全に一人ずつ抱えていくことに決める。
ツクヨミはしゃがみ込み、横たわる女性の背中と膝裏にそっと腕を回して抱え上げる。
僅かに意識を取り戻したのか、女性は怯えるように身を
無惨な被害者の痛々しさに胸を痛めながら、ツクヨミは暗い面持ちで来た道を引き返そうと歩みを進める。
──そんな時だった。
コツ、と。
薄暗い廊下の奥から、静かな足音が耳へと届く──
音を殺しているのか極々小さな音であるが、規則正しく響く一定のリズム。
先ほどまで相手をしてきた悪漢とはまた違う、もっと別の悪意に満ちた気配がツクヨミへと伝わってくる。
危険かもしれない。
女性の安全を考え、一度部屋へと避難しようと身を翻しかけたその刹那、視界の先で人影が輪郭を表すのがはっきりと見えた。それは半透明であり──
「──
掠れた声がそう叫ぶと、突如空中に炎の球体が出現し、辺りを照らしながらツクヨミ目掛けて飛んでくる。
閃光が宙を舞い、ツクヨミは両手の中の女性を庇うようにそれを背で受ける。しかし、それもスキル『上位魔法無効化III』によって彼女へと衝突する前に掻き消される。
第六位階以下の魔法を無効化するという……ある種フレーバー的な側面が強い、高レベルクラスに付随するパッシブスキルの一つだ。
「っ。いきなり攻撃とは……」
ツクヨミは被害者の服に火の粉が飛んでいないことに安堵しつつも、薄暗い闇の中の人影へと鋭い視線を向ける。そこには痩せこけた長身の男が立っていた。
頭まで黒色のローブを覆い、その右手には枯れ木のような長い杖を握り込んでいる──
本人は
男の発動している魔法は低位の魔法でこそあるが、効果としてはそれなりに有用。
油断せずに魔法や装備で対策しておく必要があるため、この世界においてはかなり厄介な部類だと言えるだろう。無論、完全に気配を消す上位の魔法と比べると些末なものであり、
「ネズミが迷い込んでいるとは思ったが、ほぅ。わしの術を見破ったか。……どんな小細工で
男は第三位階たる
ツクヨミはそれに対し、可能な限り思考を回す。恐らく強さで言えば大したことは無い。しかし、だからといって油断はできない。
(未知の技を使う可能性。それに……まだ他の部屋に彼女達がいる)
一体どうしたものかと考え、一先ず周囲を警戒するに至る。
隠された魔力の気配や罠が無いかなどを念入りに探っていると、相手はその様子に気分を良くしたのか突然煽り出す。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
痩せた顔へ嫌らしい表情を浮かべる男。
ツクヨミは相手のペースに乗らないよう冷静に言葉を返す。
「あなたは誰なんですか?」
「ふん、それはわしの台詞だ。だが……そうだな。死にゆく哀れな者に特別に教えてやろう」
男は自慢するように言葉を続ける。
「わしは偉大なるズーラーノーン十二高弟の一人よ。聞いたことはあるだろう?」
ズーラーノーン。
それは邪悪な秘密結社として有名であるものの、裏で暗躍しているのか殆どその情報は存在しない。そういった背景があるため、唐突にその名前が出てきたことにツクヨミも内心驚きはしたが、それを表には出さない。
「それで、そんなあなたが何故こんな所にいるんですか?」
「それを答える必要がどこにある? お前たちのような虫けらが知る必要の無い高尚な目的のためだ」
「高尚……? 低俗の間違いでしょう」
男はそれを聞くと馬鹿を見るかのように自分が正しいのだと言い返してきた。ツクヨミは両手に抱える女性を後ろわきへと寝かせる。
「馬鹿が。我々はゴミ共を利用してやっているのだ。全ては
「なるほど。そんな事のために彼女達は……。まったく不愉快です」
とりあえず容赦が微塵も必要ないことは理解できた。
ツクヨミがそう言い終えると、男は不機嫌に杖を構え戦闘態勢に入る。
どうやら痺れを切らしたらしい。
「ほざけ!
男はすぐに顔を強ばらせる。ツクヨミがいつの間にか剣を握っていたからだ。
まるで瞬間移動させたかのように出現したその鞘と、腰に伸ばされた白い腕を見て、男の視線が釘付けになる。
「覚悟はいいですか」
初めて銀の鞘から細剣が抜き放たれる。その時、まるで雪が零れ落ちるような音がした。
──細剣の名前は『コンフラクトゥス』。ツクヨミの持つ
「なんだそれは……」
男は剣にただならぬ気を感じたのか今までの余裕を崩すと、焦り気味に骸骨の戦士へと命令を下す。
「ス、
骸骨の戦士が武器を振りかぶって突進してくる。間合いに入り、四つの武器が振り下ろされようとした時、ツクヨミは恐るべき速度で細剣を横に振るった。突風が吹く。見るとスケルトンたちの体は空間から切断されたように横に真っ二つとなり、その断面には僅かな凸凹さえ存在しない。
「馬鹿な!? 有り得ん」
前衛が一瞬で灰と化してしまった男は信じられないものを見るように立ち尽くしていた。だがそれもほんの数秒。いくつもの死線を抜けてきた男はすぐさま魔法で応戦しようとする。しかし──
「ライトニっ……ぐぁあぁ!!」
詠唱が完了する前に続けて細剣が男の右手を切り飛ばした。枯れ木のような杖が地面にカランと音を立て転がり落ちる。そこにもう自信溢れた姿はなく男は血の滴る右手を庇いながら歯軋りをした。
「く、くそ! 分かった……! 今回は手を引こうじゃないか」
返答は極めてシンプルであった──
「地獄へ落ちて下さい」
ツクヨミは目を閉じ、体を捻って左肩から拳を振るう。それは死なない程度であれど、今まででの中では最も力が込められた一撃だった。
攻撃を受けた男の体はたちまち宙を舞い、恐るべき回転を見せながら廊下の奥へと転がっていく。この世界で猛威を振るうはずだった存在は異界の化け物によって呆気なく瞬殺された。
〜〜〜〜
「なっ!? ……なんですと!?」
既に日は暮れ、王都の街も夜を迎えようとする中、ロ・レンテ城にあるヴァレンシア宮殿はとてつもない騒ぎに包まれていた。
ことの発端はつい先程。兵士長から緊急の用件が届いたことからだった。
執務を終え、寝室に戻ろうとしていた国王は何事かと近衛の騎士に聞いたものの、どうやら彼らにもその内容は伝えられていなかった。
兵士長が王に直接謁見することは殆どないが、あまりに念を押されたために王はすぐに準備を行った。そして、兵士長から聞かされたその内容は想像を絶するものだった──
「王よ。これは本当か!?」
「まさか……書類が偽物ということはありませんな?」
現在宮廷会議が開かれている。集まっているのは極々少数だ。その理由は扱う内容があまりに危険すぎるからである。
「兵士長から直接渡された正式な書類になる。緊急性が高いと判断したのだろう。本日急ぎで私達に用意されたものだ」
「し、しかし王都にズーラーノーンと関わりのある建物があり……さらに我ら貴族の一部も繋がりがあったと、にわかには信じ難いですね……」
手元には決定的とも言える多数の証拠が存在する。今も限られた兵士と騎士が忙しなく調査を続けているようだが、王国上層部に違法娼館との癒着があったという事実は疑いの余地がなかった。既に捕まえられる者は拘束している。その中には六大貴族の一人までもが含まれている始末だった。
『これがもし見つかっていなかったら……』
いつか王国はこの巨大な膿に飲み込まれていたかもしれない。そう思うと国王は背筋に怖気が走った。──いや、何も終わった訳ではない。
実際に今回の事件の打撃は現状の王国にとって厳しいもので、その調整も今後は必要となることだろう。
「皆よ。今回の件は非常に嘆かわしいことだ。だがそれでも悪い事ばかりではない。王国の膿が取り払えれば、必ず転機は訪れるだろう。今後は忙しくなるぞ」
夜闇に覆われ始めた王都の星々は微弱ながらも、燦燦と煌めいていた。