勇者の力の源はうんこなのでは? と疑惑を掛けられてから数日、男達が熊対策の罠を設置せども捕まえられず、不良猟師とうんこたれが熊を追えども狡猾に逃げられ、越冬のための食糧確保が難航していた時に怪物達が旭川市周辺に襲撃を仕掛けてきた。
『勇者様、そこから北に二回くらい大ジャンプすると怪物が三体いるっス。そいつらで最後みたいっスね』
「わかった!」
通信機から聞こえるうんこたれの声に勝利が間近な事を知る雪花。しかし、応答の声は荒く、不機嫌さを隠さない物だった。
「たしかに状況をリアルタイムで観測して貰った上で緊急性の高い場所を教えてくれるのは私もやり易いけどさ、本来なら君も避難してなきゃいけないんじゃないの!」
『いや、逃げ遅れちゃったんで……。化物は人の気配が多い場所に向かうし、いっその事誰もいない建物でコソコソしてればなんとかなるんじゃないかって思ったんス』
「で! ついでに屋上から街を見渡してた訳ね! そんな丸見えな場所で気配も何も無いじゃん! 危ないでしょ!」
怪物が人を襲い始めて一年以上、怪物達から襲撃を受けている状況で誰かが身勝手な行動をすると怪物の行動パターンが乱れて勇者による迎撃に余計な手間が増えると言うのは徹底して周知されている。身勝手な行動をした者は当然怪物の標的になって危険であるし、それに対処せざるをえない勇者に負担が掛かる上、それで迎撃のペースが落ちればしっかりと避難している人々に迫る怪物を倒しきれなくなるかもしれない。たった一人の身勝手で生き残りの人類全てに危険が及ぶのだ。身勝手をした者を見捨てればいい、それが最大効率ではあるがそうしないのは、雪花が勇者である高潔で無垢な少女だからだろう。
故に、雪花は怒る。
『サーセンっス! でも逃げ遅れてみんなの足並み乱して守られるべき人達を危険に晒してしまったからにはそれ以上に貢献すべきなんじゃないかって──』
雪花は高潔であるが、もしもに備えて自分一人だけでも生き延びる事ができるように勇者の力を利用して自分専用の避難場所を作る程度には自分を優先するクレバーさもある。だがしかし、雪花はやはり無垢な勇者で、自分がすべき人を助けるという行為に最大限努力する少女だ。
人を助ける、守る。そのために戦う雪花。なのに、守られるべき人間が、怪物に狙われてしまえば逃げる事さえできない弱い人間が自分と同じ最前線に立つ無茶をする。それが雪花にとって無性に腹立たしかった。
「君も守られる対象!」
『ッス! サーセンっス!』
最後の怪物を手に持った槍で貫きつつ怒鳴る雪花。その声量によって通信機のスピーカーから放たれる音が割れ、迫力のあまりにうんこたれが言い訳を中断して元気よく謝罪する。
『ゆ、勇者様、本人も深く反省しているようですし……そこまでにしてやって頂けないでしょうか』
雪花とうんこたれの通信に割り込んで雪花をなだめようとする及び腰な声、この声はたしかまとめ役の内の誰かの声だと気付いた雪花、同時にこの通信はまとめ役達が連絡を密にするために持ち歩いている通信機に筒抜けだった事に気付く。
『逃げ遅れた理由も避難の遅れた老人や子供を庇うために走り回って囮になっていたからのようですし、酌量してやって頂けたらと』
それは、雪花も知っていた。天に向かってライフル銃を発砲しながら走り回り、群れなす怪物に追い回されていたのを助けたのは雪花だからだ。発砲音と一ヶ所に集まる怪物の群れに気付いた雪花がその場に向かわなければ今頃うんこたれは怪物に喰われて怪物のうんこになっていただろう、それほどまでにギリギリの状況だったのだ。
それなのに、せっかく拾った命をまた危険に晒す。多勢に対する危険な戦闘をしてまで助けたのはそんな無茶をさせるためではなく、死なせないように避難させるためなのに。と、雪花は怒っているのだ。
「戦闘終了、敵影無し。もう安全だから避難指示を解除してください!」
言い捨てて通信機の電源を完全に落とす雪花。
目立ちたくてこんな行動をした訳ではない、カッコつけようとしてこんな行動をした訳でもない、ましてや虚栄心を見たそうとした訳でもないし名誉を欲しがった訳でもない。うんこたれは純粋に人を助けたくて、必死に戦う勇者に協力したくて危険に飛び込んだのだと雪花は解っている。
雪花はうんこたれがなにやら凄いらしいと知った翌日から無性にうんこたれの事が気になり、こっそりとうんこたれがどんな人物なのかと調べたのだ。それで知ったのはうんこたれの純朴で博愛的な人柄と多くの人に慕われているという事で、特にこの慕われようは勇者である雪花自身と比べても遜色無いほどに人気者だという事だ。それこそ、多くの人がうんこたれの人助けする姿を見て心の支えにするほどに。
もしも、そんな人物が人助けの最中に無残な死を迎えてしまったらどうなるか、旭川市周辺に逃げ延びてきた人々の心に大きな傷を遺し、大きな混乱の元になるのは火を見るより明らかだった。
誰だってそうだけど、アンタは特にそう簡単に死んでいい人間じゃない! 自覚してよ!
歯が軋む程に喰い縛り、胸中で怒鳴る雪花。通信機の電源を切断して通信を完全に遮断したのは普段は秘めている素の感情を表に出しているのを聞かれるのを嫌がったからではない。旭川市周辺の人々を守る雪花は人々の命のみならずその心も最大限守ろうとしているからこそ、自分の重さを理解してないうんこたれに解らせてやるために説教するのを邪魔されたくなかったからだ。
雪花が唇を一文字に引き締めて跳躍し、先程までうんこたれが物見櫓代わりに使ってた廃ビルの屋上に着地する。
「あ、勇者様。お疲れ様です! でしゃばってサーセンっしたぁ!」
「いや、君のサポートは実際の所ホントに的確だった。でも、私が怒ってるのはそこじゃない!」
着地した雪花がうんこたれに眼を合わせた直後、腰を綺麗に曲げて深々と頭を下げられる。が、不本意ながら勇者としての立場によって頭を下げられ慣れてしまっていた雪花はそれに勢いを萎えさせる事なく距離を詰めて口を開く。
「私は助けた時にちゃんと避難してって言ったはずだよ! 君にもしもの事があったら生き残ってる人達にどれほどの影響があるか解ってるの?!
「えーと、みんなの食い扶持か減るッス」
あぁ、やっぱり解ってない。たしかに君の調達してくる食糧の量は安定して多いけど、それでもたった一人の調達量が減っただけでこの旭川市周辺の幾万の人々が合わさった食糧の供給量と消費量からすれば誤差の範囲だ。と、盛大にため息を吐いてみせる雪花。
「こんな事を言われても気分悪いかもだけど、君の事を調べたよ」
「え?」
「君に死なれると多くの人が悲しむし、こんな状況なのに団結できてる人達の和が乱れる」
「え?」
曲げた腰はそのままに顔を上げて雪花を見るうんこたれ、端正な顔を間抜けな表情にしていた。
こんな間抜けな顔をするくせにこの男は多くの人の心身を救う英雄で、戦えないだけで在り方は間違いなく勇者だ。最悪の場合は自分一人だけでも助かろうと誰からも隠れて避難場所の穴を掘っている私とは違う。と、思考と感性の両方で断じる雪花。
断じたのと同時に、雪花は自覚する。
勇者でありながら自分を勇者にあまりふさわしいと思ってない雪花は、ヒーローのようなうんこたれの在り方を眩しく思い、同時に少しだけ嫉妬していたのだ。普段は飲み込む事ができていた怒りの感情が飲み込みきれずに表に出て来てしまったのは、小さな嫉妬心に刺激されてうんこたれに対して強く感情を向けてしまったからだった。
「……もっと自分の重さを理解して貰わなきゃ皆が困るよ」
理屈で相手を嗜めようとしていたのではなく、ただ気に食わないから苛立ちをぶつける。子供の癇癪のようなそれを自分がしていた事に気付いてばつが悪くなった雪花が声の調子を低くして締めくくる。
「ッス、サーセンッス」
むりやりに締めくくったせいで要領を得ているとは言い難い言葉だったのに、それでも素直に頭をもう一度下げるうんこたれ。その素直な姿に雪花はばつが悪い思いを増しながらも毒気を抜かれるような気持ちになっていく。
うんこたれのくせに、不思議なやつ。いや、うんこたれの時点で大分不思議だけど。と、胸中での呟き。
「……でも、自分は勇者様にそこまで買って貰える程の人間じゃ──」
謙遜やへつらいではないであろう本心から言っていると解るうんこたれの真面目な声色に雪花がどうしたものかと唇をへの字に曲げたと同時に、喧騒が戻りきらない街中で人の悲鳴が響く。うんこたれが言葉を切って俊敏に顔を上げて屋上の淵に走り寄って声の元を探し、雪花も同じように悲鳴の元を探す。
安全確認したつもりだったけど、見落としがあってまだ怪物の生き残りがいたのかもしれない。と、首筋に冷たい物を刺されるような気持ちで眼を凝らす。その最中、隣にいたうんこたれが静かに呟いた。
「──やっぱり、来た」
「え?」
怪物を探して高い位置に視線を巡らせていた雪花、悲鳴の元を探して低い位置に眼を凝らしていたうんこたれ、似てるようで違う二人。先に探し物を見つけ方のはうんこたれだ。
「どこで何が──」
「秋原! 耳を塞げ!」
先程まで懐にあった癇癪のような怒りもばつの悪さも忘れてうんこたれに問い掛ける雪花の声を吹き飛ばす銃声。発砲したのは担いでいたライフル銃を天に向けたうんこたれ。
至近距離で火薬の爆発する音に耳鳴りを患いながら、雪花は信じられぬ物を見た。いや、聞いた。
「ウオォォォォォォォッ!!!!」
──ォォォォォォォォォ
銃声のこだまが鳴り止まない街に響くうんこたれの咆哮。それと重なるカムイ達の音鳴き嘶き。雪花とうんこたれのそばに佇むコシンプが、二人を包む大気が、街路樹が、路傍の石が、咆哮の届く全てに宿る全てのカムイが嘶く。
荘厳だ。と、一瞬だけ全てを忘れて雪花は茫然とする。カムイに愛されて、背中を押されている。と、茫然に鈍る思考でただ感じとる。
端正な顔付きを鷹のように研ぎ澄ませたうんこたれがライフル銃を肩に構え、一呼吸の間も無い内に二度目の発砲。火薬の爆発する音に、雪花は危急を思い出してハッとした。
「射線から隠れた! くそっ、あの熊銃を理解してる! やっぱりあの熊は狩りに出た人を何度も襲ってたんだ!」
「熊!?」
「秋原! 俺をあそこまで運んでくれ、悠長にビルを降りてたら間に合わない!」
「え、え、あ、わかった!」
勢いに押されたと言えばそれまで。勇者になってから久しく無かった名字での呼び捨てや状況を把握しきれない内に強く言われた指示とカムイ達の肯定的な意思、なによりも自身を射抜く強くて深い純粋な瞳に雪花は考える先にそうするべきだと感じ、うんこたれを抱きかかえて指示の位置へと跳躍。
着地した先で雪花が見たのは恐怖と苦痛に顔を歪める女性と女性の足を咥えて引き摺る熊、まさに、捕食寸前の光景だった。
暴虐と暴食、野生の象徴、熊。無機質に人を食い散らかす人類の天敵である怪物とは違う荒々しい暴力。野山に生きる者の剥き出しな本能の眼光が雪花を鋭く刺し貫き、雪花は勇者の力を持ちながらも人としての本能が恐怖を覚え、ありのままの少女としての部分が「ひ」と、引きつった呼吸のような悲鳴を絞り出させる。
「ウオォォォォォォォッ!!!!」
──ォォォォォォォォォ
咆哮、嘶き。雪花から飛び出すように離れたうんこたれがライフル銃を構えながらカムイ達と鼓舞し合う。咆哮に意識を引かれた熊が咥えていた女性を離した。
「秋原、隙を見てあの人を連れて離れろ」
「君は……!」
「熊を撃つ!」
そんなの危ない。と、雪花は思った。勇者の力なら、カムイの力宿る槍ならば熊にだって勝てる。と、雪花の残っていた冷静な思考が計算した。
「いや、私が──」
「殺しに穢れるな!」
雪花の言葉を遮る強い声、その声量に刺激されたのか熊が太い後肢で立ち上がってうんこたれを睨む。直後、ライフル銃が火を噴いて銃声を響かせる。
「お前を殺す武器はここにあるぞ! お前の敵は俺だ!」
ほんの一瞬だけよろめき、熊が殺意を吠えた。二足立ちから四つ這い、熊がうんこたれ目掛けて走る。
「秋原! 行け!」
雪花が何故その指示に従ったのかは雪花自身もよく解っていなかった。雪花の槍ならばどれほど強くとも獣を仕留める事など容易いはずなのに、それをせずに雪花は熊を避けるように大回りで走って苦痛に喘ぐ女性へと駆け寄る。
「勇者様、お助けください……!」
「うん、ここから離れるから捕まって下さい」
雪花が抱えた女性を一時的に避難させるために目の前の建物の屋根上に向かって跳躍、同時に銃声。反射的に音の方へと振り返った雪花が見たのはうんこたれに肉薄していた熊が悶えるように顔を前肢で掻きむしる姿。
片目から流血する熊。至近距離から眼を撃って潰したのか。と、雪花は勇者の優れた動体視力で知る。
「ウオォォォォォォォッ!!!!」
──ォォォォォォォォォ
祈るような咆哮、応える嘶き。恐らくは残るもう片方の眼を潰すために放たれた弾丸。しかし、悶える熊に狙いが外れて熊の額をはじいて毛を散らすだけに終わる。頑強な熊の頭骨が弾丸を防いだのだ。
鉄砲に触れてから日が浅いとは思えない程に手早くライフル銃から弾倉を抜いて新しく弾を装填するうんこたれ。その隙に肉薄していた熊がうんこたれに噛み付こうと生き物を殺して喰らうための顎を開いた。
「危ない!」
屋根上から苛烈な死闘を見ていた雪花がこのまま見ている場合ではないと、この旭川市周辺の人々にとって代えの効かないあのうんこたれを死なせるなと、熊を貫くためにカムイの力宿る槍を投げようと構える。が、
「手を出すなと言った!」
たった一言、叱責するようなうんこたれの叫びに躊躇が生じて動きが止まる。
「カムイ! ヌプル コンルスィ エホマリュェ!」
──ォォォォォォォォォ!
耳慣れない言葉を叫び、うんこたれは熊の開いた顎に銃口を突き入れる。
くぐもった発砲音。熊が暴れ、ライフル銃を握るうんこたれが熊の顔の動きに合わせて振り回される。
「アエアトゥイノミ ヤァィ アトゥ タサ!」
──ォォォォォォォォォ!
耳慣れない叫びを繰り返し、振り回され続けるうんこたれがライフルの体内射撃も繰り返す。乱れ動く熊とうんこたれに投げ槍での援護の期を逃した雪花が歯噛みの思いで死闘の行く末を見守る。
「ウオォォォォォォォッ!!!!」
──ォォォォォォォォォォ!!!!
カムイに愛される者の咆哮、人を愛するカムイ達が嘶く。
射撃、熊が喘ぐ。怯えるように振り回された前肢の爪がうんこたれの額を裂く。
射撃、熊が倒れる。うんこたれも地に叩きつけられるがライフル銃を握る手は堅く握られている。
射撃、熊の痙攣の動きすらも止まる。
「ハァ……ハァ……」
満身創痍、疲労困憊、それでも勝者がゆっくりと立ち上がって事切れた敗者を見下ろした。
「天に還れ、悪いカムイ」
悪いカムイ、人を殺した神。この地に古くから生きていたアイヌにとって死とは神の世界に還るという事。
うんこたれは人を苦しめる悪い神を痛みで諌め、これを在るべき場所に還らせる神の討伐をしてみせたのだ。
轟く歓声。避難指示が解除されて街に戻ったが熊に気付いて隠れていた人々が、苦痛と恐怖に泣いていた女性が、うんこたれを愛して背中を押していたカムイ達が、死闘を見守っていた全てがうんこたれを讃えて祝福する。
深く息を吐きながらその場にへたりこむうんこたれ。
頬が引きつり、未だ堅くライフル銃を握っているうんこたれの手が震えているのに雪花は気付く。
恐怖に耐えて戦っていたのか、今も恐怖に震えているのか、それでもあんなに勇敢だったのか。
勇者じゃないか。と、雪花は思う。
恐怖の上で踏みとどまりながらも勇敢な死闘を制したうんこたれ、額を負傷したうんこたれを手当てしようと四方八方から駆け寄ってくる人々、それらを見ていた雪花はこうも思う。
あのうんこたれはきっとこれからも人のため誰かのために今みたいな無茶をするのだろう、もしかしたらそれが原因で簡単に死んでしまうかもしれない。そうなってしまった場合、これ程うんこたれを慕う人々にどれだけの影響があるか想像したくもない。
無茶するのを止められるのならそれに越したことはないけど、さっき話した感じや今の捨て身っぷりだとそれも難しいかもしれない。
あのうんこたれにはよくよく気を配っておかないと騒動の度にひどく心労に苦しめられそうだ。
これから先の精神的な疲労を想像した雪花が、深く深くため息を吐き出した。
心労に苦しまされる、雪花のそんな心配と予感は翌日には現実のものとなった。額を熊に裂かれる重傷を負っていた筈のうんこたれが早朝から大きな荷物を抱えて山に入り、そろそろ日が落ちるという時間帯になっても帰ってないという話を及川から聞いた雪花がげんなりとしながら山でうんこたれを探していた。
「え、この川を辿ればいいの?」
どこかで負傷して動けなくなっているのか、実は昨日の熊とは違う熊がいて遭遇してしまったか。と、嫌な想像をしつつ山の向こうに沈む夕陽を追うように跳躍していた雪花にコシンプが道を示す。それを特に疑う理由なんて無い雪花が素直に従って川を辿ると、程なくして山間の薄暗闇を焚き火の灯りで押し退けて何かの作業をしているうんこたれを見付けた。
「そろそろ日が暮れちゃうよ、夜の山は危ないから帰らないと」
「あ、勇者様。見回りっすか? お疲れ様っス」
作業に集中していたのか背後に着地しても気付かれなかった雪花がうんこたれの背中に声をかけると、額に大きくガーゼを貼り付けたうんこたれが振り返る。その手にはナイフと何度も撫で削って先端に削り節の房を作った木の棒を携えている。
箒か神社の神主が持つ大幣に似てる。と、謎の棒を見て雪花は感想を抱き、うんこたれの前に同じような棒を複数本立てている木の枝を組んで作ったワイルドな木棚とそれに乗る新鮮な鮭を見て、不思議なやつが不思議な事やってるなとも感想を抱いた。
「見回りっていうか、君が帰ってこないって及川さんから聞いて捜しにきたんだけど」
「うげ、昨日今日とまた心配掛けちまった……昨日もあんなに怒られたのに失敗したなあ」
「へぇ……うん、まぁ、あんだけ無茶して何も言われない方が不思議か」
どうあがいても勝ち目の無い怪物を複数相手に鬼ごっこをして、その直後に野生の熊と取っ組み合いの死闘。まともな神経をしている人間には真似できない行為だし、まともな神経をしている大人なら叱りつけるだけの暴挙だと頷く雪花。
「それで、君は頭ぱっくり裂けた翌日に何をやってたの? はたから見ると小学生がする夏休みの自由研究なクオリティで邪教の儀式を準備してるようにしか見えないんだけど」
コシンプがうんこたれの頭に乗った姿を見つつ訊ねる雪花にうんこたれが苦笑しつつ答える。
「小学生クオリティってのは否定できないけど、邪教ってところは否定したいっスね」
「儀式なのは否定しないんだ」
「っス」
頷きながらも手に持っていた謎の棒をワイルドな棚に括り付けるうんこたれ。
「なにそれ?」
「このぼっこスか?」
「いや、全体的に。その棒もそうだし、その棚も鮭も」
山の向こうに太陽が隠れ、辺りが急速に暗くなる中で焚き火の赤い灯りに照らされながらもうんこたれが雪花に向き直って口を開く。その動きで頭上からずり落ちそうになってコシンプがうんこたれの顔を叩いたが、当然のようにうんこたれは気付いていない。気付くことができない。
「棚は祭壇でぼっこは祭壇の一部で、自分なりにアイヌの祭壇を再現したんスよ。鮭はカムイへの捧げ物っスね」
「へー」
なんでそんな物をこんな所で君が? と、視線で訊ねる雪花。
「昨日熊と戦った時、カムイに願い事と約束をしたんス」
「願い事? 約束?」
「カムイ ヌプル コンルスィ エホマリュェ。カムイよ、力が欲しいです……って願って。アエアトゥイノミ ヤァィ アトゥ タサ、贄を贈ります……ってな感じで約束したんスよ」
「アイヌ語?」
「っス。物知りな人の家にあった資料で覚えたっス」
文法も発音も適当なんスけど。と、補足するうんこたれ。熊退治そのもののインパクトが強くて忘れていたけど何か叫んでいたな。と思い出す雪花。
「力が欲しいって願った時、わや怖かったはずなのに一歩踏み込んで熊の口を塞げるくらいに集中できたんス。あの一瞬だけ怖くなかったって気付いたのは後になってからなんスけどね」
あの叫びの瞬間、カムイ達の嘶きが強くなったと記憶していた雪花がうんこたれの頭上にいるコシンプをチラリと一度だけ見る。誇らしげに鼻をスンと動かしたのが見えた。
「んで、こりゃあカムイが願いを聞き入れて何かしてくれたんだなと思ったんで約束通り捧げ物を贈ろうとしてる訳っスよ」
「それでアイヌ風味な祭壇と贄の鮭?」
「土着の方法に近付けた方が土着の神様なカムイに感謝の気持ちが伝わるんじゃないかなーって気がしたんス」
祭壇に指をさして「これ全体がヌササン」と言い、房のある木の棒を指さして「こっちはイナウっス」と何やら楽しそうに説明するうんこたれ、日本文化に初めて触れてはしゃぐ外国人を見るような微笑ましさを覚える雪花。
ひとしきり説明を終えたうんこたれが祭壇を作るのに余らせていたらしき枝や削り屑を拾い集めて焚き火に放り込んで周囲の掃除を始める。
「説明ついでにいくつか聞いていい?」
「自分に答えられる事なら」
図らずして謎言語の真相を知った雪花がそういえばと思い出した疑問を解決するために訊ねる。
「熊が出た時、君は『やっぱり』って言ってたじゃん。熊が出る事を予測してたの?」
訊ねられたうんこたれが「あー」と若干ながらばつの悪そうな声を出す。
「予測ってほどたしかな物じゃ無かったっス。賢い動物が獲物を狩る時にどうするかって考えて、獲物の群れに気付かれないように隠れて忍び寄って不意打ちするのに避難した直後の街に誰もいない時がやりやすいだろうなって程度の予想っス」
「それで、私への援護ついでにあのビルから熊が街に入ってないか見張ってたって事?」
「くるかもなーって程度の勘だったんスけど、まさか本当に来た上に適当に登った廃ビルのすぐ近くで人を襲ったのは完全に偶然っスね」
へへへ。と、笑ううんこたれ。同時に周囲の茂みで虫がコロコロと鳴き、そのささやかな祭り囃子に吐息のような小さいカムイの声が混ざったのを雪花は感じ取る。
勘、虫の知らせ。これがきっとカムイが感覚に訴えて導かれたというやつなのだろうかと雪花は思う。
「なるほどね、つまり君は私を援護してる体裁を保ちつつ、それによって私に君を認識させて怪物に狙われた時に助けて貰えるように安全を確保して、自分の目的のためにも怪物だけじゃなくて熊も見張ってた訳だ」
「……っス。やっぱりわかっちゃうっスか」
へへへ。と、誤魔化すような笑いをひそめて申し訳なさそうな顔で後頭部を掻くうんこたれ。それを見て雪花が薄く笑う。
「逃げ遅れたひとを庇って自分も逃げ遅れたからついでにもっと危険に首を突っ込んだ感じかな?」
「まぁ……そっスね。勇者様はなんでもお見通しっスか」
その判断もカムイに導かれたからなのか、それとも生来の気質故の判断だったのか、雪花は推測する情報が少ないので深く考えるのを辞めておいた。
「上手く出しに使われちゃったかぁ。アホっぽい喋り方する癖になかなかやるじゃん」
悪い状況に追い込まれながらも一つの行動で最低限の安全を確保しつつ複数の意味を持つ行動を実行できる大胆な判断力と行動力を称賛する雪花。うんこたれが叱られる寸前の子供のように雪花の顔色を伺いながら口を開く。
「……怒ってないんスか?」
「怒ってたけどね、終わってみたらほとんど全部が上手くいって終わっちゃったからなんかもう清々しいよ」
軽いため息混じりにいいながら、真面目な表情を取り繕った雪花が「だけど」と言葉を繋げる。
「ほとんど上手くいったけど、君のそのおでこは上手くいかなかった部分もある証明だよ。熊の腕力と爪なら後少しだけ深く当たってたら君の頭はぱっくり割れてたんだから」
「……ス」
うんこたれがガーゼ越しに額の傷を手で触れる。その触れた手を頭上からコシンプが前肢を伸ばして一度だけ撫でて鼻を鳴らした。
人を殺した獣、悪いカムイ。悪いカムイに連れていかれないように気配を残したコシンプ。もしかして、熊の爪による死を回避した背景に以前コシンプが頭に引っかけた尿が関係しているのだろうかと気付く雪花だが、ひとまずは追及せずに言葉を続ける。
「熊を倒した時の歓声と色んな人が君の手当てのために飛び出してきたのは君も見たはず。君がどれだけ自己評価が低くても皆に慕われてるのは事実だよ」
「……」
「ビルの屋上で言った通り、君に何かあった場合多くの人にそれなりの影響があるってのはちゃんと自覚してよね」
少しだけ強めの口調で言い付けた雪花だが、内心では自分はこんな説教臭い事を言うのは柄じゃないし似合ってもいないしそもそも自分もそんな偉い人間でもないのに。と、半ば自嘲気味だった。
「……っス」
「わかればよろしい」
腰に手を当てて頷く雪花。やはり、自嘲。
額から手を離したうんこたれ、同時に前肢を戻したコシンプが頭上で座り直すのを雪花は見た。
「あー、もしかしてっスけど、自分の頭になんか付いてるんスか? ちょいちょい視線が頭にいくのを感じるんスけど」
言いながら自分の頭に手を伸ばして乱雑に撫でるうんこたれ、その直前にコシンプが俊敏に頭から肩に乗り移る。
「付いてるって言うか、憑いてたって言うか……なついている?」
「なつく?」
「カムイが乗ってた」
「え?」
口を半開きにし、眼を剥くうんこたれ。その間抜けな表情が面白くて雪花が軽く噴き出す。
「え? えぇ? ……あっ! もしかして今潰しちゃったんじゃ!?」
「あははっ、肩に飛び移って逃げてるから大丈夫だよ」
血相を変え、慌てて頭から手を離してまじまじと掌を見詰めるうんこたれを笑う雪花。またも間抜けな表情になったうんこたれが自分の肩を見て首をかしげた。その動きに合わせて、うんこたれには見えないコシンプが至近距離で眼を合わせながら同じように首を傾ける。
「何も見えないし何も感じないっス……」
「まぁ、そういうものなんじゃない?」
「はへー」
肩の上にいる何かを触ろうとおっかなびっくりに手を伸ばすうんこたれ。手の伸ばし方が控え目過ぎてコシンプから離れた空中を撫でていたが、コシンプが首を伸ばして頭を差し出した事により人とカムイが触れあった。
コシンプが嬉しそうに眼を細めるが、うんこたれはそれが解らずに空気を何度か撫でて手を引っ込める。
「カムイって、今まで自分が思ってたよりももっと身近にいるんスね」
はえー。と、もう一度掌をまじまじと見詰めるうんこたれ。
「私が嘘を言ってるかも。とは考えないんだ?」
「……なんていうか、感覚が勇者様の言ってる事に納得しちゃってたんで欠片もうたがってなかったっス」
これはカムイがそう納得させたのか、いや、たぶんこのうんこたれが元々人を疑う質では無いからだろう。と、純朴な瞳に納得する雪花。
「話しは変わるけど、祭壇はこれで完成? それならもう日が暮れてるし帰宅をオススメしたいんだけど」
「っス。仕上げがまだっス」
思い出したように祭壇に向き直るうんこたれ。肩に乗っていたコシンプが祭壇へと飛び移る。
「カムイ イヤイライケレ!」
──ゥゥゥゥゥゥゥ……
うんこたれが手を合わせて拝み、それに合わせてコシンプが尾を降って頷いた。そして、木々や石、風や川、あらゆる物が雪花にのみ聞こえる声で優しく唄う。
うんこたれはそれに気付けない。しかし、満足そうに微笑んだ。
「ほんとは歌ったり祝詞上げたり踊ったりと色々あるんだろうけど覚えきれないんで感謝の言葉だけで勘弁っス……ってな訳で捧げ物終了っス」
「今のは?」
「アイヌ語でありがとうって意味っスね」
言いながら荷物を纏めて帰り支度を整えるうんこたれ。その背中に雪花が問い掛ける。
「なんでアイヌ語なの?」
「古くからこの地にいたのなら、古い時代から使ってた言葉の方が伝わりやすいんじゃないかなって思ったんス。何かを伝えたいなら、ちゃんと伝える事ができるようにって感じっスね」
「へー」
そういうものなのかな? と、思いつつ捧げ物の鮭を鼻先でつついていたコシンプに眼をを向けて視線で問い掛ける。やや間を置いて視線に気付いたコシンプが雪花へと視線を向けて答えを返した。
「別にアイヌ語だろうが大和言葉だろうが現代語だろうが伝えたいって意志があるなら伝わるらしいよ」
「ファッ!?」
荷物を纏める手を止めたうんこたれが激しく首を回して雪花を見る。
「私もアイヌ語や大和言葉もわからないけど通じてるし」
「……そうなんスか」
沈黙に虫の鳴く音が染み渡る。ややあって、雪花が追加でコシンプの意思を翻訳した。
「真摯に伝えようとする気持ちは評価してくれてるらしいよ?」
「……そっスか」
こいつ、実は面白いやつなのかも知れない。と、雪花はうんこたれの疲れたような表情を見て少しだけ思った
。