正体不明の人を喰らう怪物、世界各地どころか日本国内ですら断絶した情報、過酷な環境によって先細りしていく人々の前向きな意思。カムイの勇者である雪花が人の命を守ろうとも、人の勇者であるうんこたれが人の心をささえようとも、誤魔化しきれない破滅の予感に旭川市周辺を纏める仮初めの為政者達は焦りを募らせる一方だった。
「会議も三時間になりましたが……纏まりませんな」
「やはり、話し合うだけではなく何かしらの行動を起こして状況を動かさなければ突破口の手掛かりさえも掴めないのでは?」
「何をするにしても不確定な要素が多すぎる、こうも情報が足りなくては何に手を付ければいいのやら」
「結局、身動きの取れない理由ばかりが見えて何もできず……か……」
堂々巡りに混迷する会議室。それを例のごとく夜回りにてひっそりと壁越し聞く雪花が夜空を見上げた。怪物の襲撃に著しく機能を低下させたライフライン、激減した街の明かりのせいか夜空の星々の明るさは目に刺さる程だった。
「寒いなぁ……」
勇者の力によって体に感じる寒さはかなりやわらいでいるはずなのにこぼれる呟き。今回も会議に進展は無さそうだし、もう少し様子を見て何も無ければ今日はもう引き上げようかと考えながらも雪花は耳をそば立て続ける。
「この地を脱出して移動するにも、この地に籠城する地盤をもっと固めるにも、体力が無く生産も少なく消費が嵩む老人達が足手まといか」
「及川さん……」
「先の襲撃で避難しきれず、怪物どもの行動パターンを乱して勇者様の邪魔となり、挙げ句に救助に向かった若者を巻き添えに勇者様の目の前で喰われたのも老人だった……邪魔としか言えない」
「及川さん、あまりそう言った発言は……」
行き詰まりの会議の果てに及川より落とされた冷たい発言。状況故に血迷ったのでもなく、会議に違う視点を与えるために露悪を演じたのでもなく、ハッキリとした口調から紛れもなく本音だと察してしまうような言葉。諌めようとした他のまとめ役も心中では否定しきれないのか、その言葉に覇気は無かった。
「……寒い…………」
雪花の脳裏に過るのは恐怖に歪んだ老人の顔と悔しさと恐怖に絶叫する若者の声。後少し、ほんの少しの差で助けられなかった命が助けを求めて雪花へと手を伸ばす光景が心を蝕む。
「勇者様は戦えるとはいえ十代半ばの少女でもある、あんな死に方をされては勇者様の心に悪影響を及ぼして今後に支障をきたしかねない。せめて、死ぬにしても勇者様の知覚しないところで死んで欲しいものだ」
不謹慎だと謗られてもおかしくない及川の発言だが、この場に集まったまとめ役達全員にとっては少なからず同意してしまう心情があったのか反論も諌める発言も無かった。事実、戦闘終了を報せる通信にて雪花の声が深く沈んでしまっているのをまとめ役達は耳にしており、実際に良くない影響を及ぼしてしまっているとだれもが察してしまっているのだ。
旭川市周辺の人間を守れるのは雪花一人、人は精神状態によって働きが大きく左右される、まとめ役達は雪花の悪影響が長く続けばそれ相応に人の被害が増える事を確信している。
「二次災害で命を落とした若者も甥の親しい友人で、怪物に破壊された住居の復旧作業に精を出す真面目な青年だったと聞いている。たった一人の邪魔者が逃げ送れたせいで勇者様にも復旧作業にも悪影響を及ぼしてしまった」
誰もが強く制止しないからか、及川の冷たい言葉は止まらない。そんか会議を盗み聞いてても気が滅入る一方だと判断した雪花はその場を去ろうと重い腰をゆっくりと持ち上げた。
「今までのように真面目な人間や勇気ある若者ばかりが犠牲になっていては仮に怪物の襲撃が無くなった未来があるとして、生き残るのは役立たずの老人や我等のような人を切り捨てる思考ばかりの人間となる、そんな有り様で復興などできるはずがない」
「姥捨山、か……」
誰か呟いた古い日本の極一部あった悲しい風習。老化によって働き口として衰え、日々に消費する糧を自身で購えなくなった老人を衰えた足腰では降りられぬ山に置き去りにする口減らし。それが去り際の雪花の耳へと川底のヘドロのようにへばりついた。
食糧の分配が滞るようになった、老人のみの家庭に分配される食糧が少なくなったなどの噂が雪花の耳に届くようになってしばらく、街全体の雰囲気が肌で感じる程度には悪くなってしまったが、うんこたれはそんな事より労働だと言わんばかりに休暇返上で元気に人助けをしていた。
「なんとかと煙は高い所が好きって言うけど、絶妙に馬鹿とは言い難い君はなんでこんな所にいるのかな?」
町外れにある古民家の屋根に着地した雪花がうんこたれに問う。着地した際に屋根のトタン張りを少し凹ませてしまったが、この家の主は昨年に病で逝去しているので特に気にする事無く雪花は神々の一団へと一礼しつつうんこたれの横に腰を降ろした。
「紅葉狩りだよ。ほら、秋原も見てみろよ。なんま*1良い眺めだとは思わないか?」
街外れ、故に山との境目。間近に堂々と鎮座する山を見上げた雪花の目に映るのは木枯らしに吹かれて木々を赤や黄色に染めて化粧した雄々しくも華々しい大自然。
「……ふーん」
なるほど、普段から街中より遠目にも見ているはずなのに、改めて見上げてみれば心に染み入る鮮やかさかも。と、荘厳な眺めに心を和ませる雪花。
「生まれ育ったこの地がこんなにも美しいだなんて、実に誇らしいとは思わないか?」
「じっこクサイこと言ってんねぇ……でもまぁ、わりと同意だね」
カムイに寄り添われる花と神に愛される勇ましきうんこたれが顔を見合わせて小さく笑い合う。
「茶請けに鮭とば*2くらいしかないけど、茶でもどうだ? 静岡の良い茶葉が上手く保存されてたんた」
「へぇ! ……消費期限大丈夫なの? ってかそんなのどこにあったの?」
年単位で本州とは通信さえできていないのにそんな上等な茶葉が現存していた事に驚いた雪花だが、ほんの少しだけ冷静に考えてそれを口にしても大丈夫なのか、そもそも出所はどこなのかと訝しむ。
雪花の問いに、うんこたれは水筒から湯呑みに注いだお茶を手渡した後に真下へと指差した。
「ここの権蔵爺さんが亡くなる前に『俺が死んだらこの家含めて有る物全部ぼんずが好きに使え』って言ってたんだ。そんで、最近になって台所の床下収納から消費期限ギリギリの茶葉を見つけた」
「なるほどね」
生前の権蔵爺さんとやらとうんこたれのは大層仲が良かったのだろう、それこそ血縁関係なしに財産の全てを相続させるほどに。と、推測する雪花。
「えーと……。屋根へこませちゃった、ごめん」
「なーに、権蔵爺さんなんて寝タバコで畳のそこかしこに小火の跡を残してるからな、それに比べりゃ大したことないって。」
和室の障子も半分焼けてるしな。と、笑って言いのけるうんこたれ。雪花は権蔵爺さんとやらの生前の危うすぎるうっかりに困惑し、反応に困ったので手渡されたお茶を飲んで沈黙を誤魔化す。
「へぇ、美味しいじゃん」
「口に合って良かった」
にやりと笑むうんこたれ。
「話を戻すんだけどさ」
「なんだ?」
「今度はなんの企みがあって屋根の上に陣取って山を見張ってたのか気になるんだけど」
避難する人達のために囮になりつつ熊退治のために山を見張った事しかり、子供の引率しつつ干した魚を見張りながら鹿を誘き寄せていた事にしかり、うんこたれは腰を落ち着けている時は何か目的を待ちながらそうする事を雪花は知っている。今回の紅葉狩りと称した屋根上待機も何か企みがあっての事だろうと訊ねてみれば苦笑いが返された。
「おいおい、まるで俺が四六時中何か企んでるみたいな言い方に聞こえるんだが?」
「ただの紅葉狩りにそのライフル銃は必要ないでしょうに」
「……あー、うん……」
雪花が無造作にうんこたれの傍らに置かれたライフル銃を指摘すれば言葉に詰まるうんこたれ。やや沈黙した後、観念したように「これは保険程度なんだけど」と、前置きしてから白状する。
「山からたくさん食糧を採ってきてるからな。特に、こっちの方面の山に入ってた人達はかなり頑張っていたから、人が山を食いあさった分野生動物の食糧が不足してるかもしれない」
「ははーん。飢えた獣が、特に熊が餌を探して街に降りてくるかもしれないから見張ってたって事ね」
「熊が来なけりゃただの紅葉狩り、来るなら一発脅かして追い払えばいいってだけの話さ」
獣との生存競争にて石橋を叩いていたと笑ううんこたれ。これも神々に囁かれて導かれたが故の行動なのかと周囲の神々に視線を巡らせた雪花だが、どの神も微笑みながら首を左右に振るだけだった。どうやら、休暇ついでの労働は完全にうんこたれの意思と推測によるものらしい。
「カムイか?」
「みんなニコニコしてるよ」
雪花が何もない所を見るならばそこにカムイがいると知っているうんこたれが短く問い、知られている事を知っている雪花も短く答えて茶請けの鮭とばを齧る。
「いい塩梅の固さと塩気だね、美味しい」
「んだべ*3」
満足そうに頷くうんこたれに、この鮭とばを拵えたのはうんこたれなのだろうと察する雪花。
何を語るでもなく色とりどりの赤や黄色を目で楽しみ、そよ風のような木枯らしに乗って耳に触れるカムイの穏やかな囁きに包まれる。北から吹き抜けていく風は冷たいはずなのに、雪花は肌を僅かに冷たく感じるだけで寒さそのものを忘れていた。
「なぁ」
少しだけ引き締まったようなうんこたれの声。
「最近のオイさん達、どう思う?」
「……どうって?」
「わかるだろ。食糧の分配とか、壊れた住居の修繕とか、あからさまに年寄り達を蔑ろにしてるのに気付いてないって事はないだろ」
雪花は問い掛けの真意にほぼ気付いてはいたが、繊細な話題だろうと察し、それならばしっかりと言葉にさせて正確に認識を擦り合わせてから話すべきだと判断して問い返す。すると、渋い表情のうんこたれから予想通りの言葉が返された。
「怪我の手当てとか、調子が悪いかもって人の診察だって年寄り達は後回しだ」
うんこたれの言葉に雪花が思い出すのは誰かが言った姥捨山という悲しい風習。
「私達はいよいよそこまで追い詰められてるのか。って、考えちゃうね」
全てに手が回らないから手が回る範囲におさめるために余剰を放棄する、その余剰に老人達が選ばれた。と、意識して自分の思考を冷たいものに切り替えた雪花は無表情を繕う。
どうしてか、たった今まで気にならなかった空気の冷たさが煩わしく感じる雪花。
「先行き見えなくて不安なのはわかるさ。でも、だからって人が人を選んで少しずつ死に追いやるなんて悲し過ぎる」
でも、そうしなければ老いも若きも共に倒れるかもしれない。とは、雪花は言葉にしなかった。したくなかった。
「人は老いる、仕方ない事だ。でも、老いて体がおぼつかなくなったからって何もできない訳じゃない。何もできないってのがダメって言うのならば赤ん坊だってそうなってしまうじゃないか」
純粋に憂い、義憤に震え、人を思うまっすぐなうんこたれに冷静なだけの言葉をきかせたくなかったのだ。
「さっきの鮭とば、権蔵爺さんが作り方を教えてくれたんだ」
「そうなんだ」
「俺の鉄砲の使い方だってアイヌの言葉や風習も先人に教えて貰ったものだ」
「そっか」
山菜の採り方、魚の捕まえ方、畑の管理方法、なんだって先人に教えて貰ったからこそ知る事ができた。と、強く言いきるうんこたれ。
「世界中の神々の伝承、それだって誰か先人が書に遺したり言い伝えてくれたから俺は知ることができた。知恵と知識は先人から伝承されるんだ。先人を、老人達を蔑ろにしたらその人達が伝承されて培ってきた物を失ってしまう」
真摯で、実感に満ち溢れた言葉で力説するうんこたれ。その姿にまとめ役達の最近の指針に対して少しの納得もしていない事がありありと表現されていた。
「……ってのは、俺の感情にムリヤリに理屈をこねたものでさ」
「え?」
唐突に拍子をずらした言葉に聞き返す疑問符を口からこぼす雪花
「気に食わない、どうにも気に食わない、とにかく気に食わない、腹が立つ」
「……えぇ」
ムスー。と、鼻息を強く長く鳴らしたうんこたれと立派な前置きのわりに最終的には単純な感情論だった事に力が抜ける雪花。
「だからさ」
言葉を続けるうんこたれ。それに対してまだ続きがあるのかと表情で訴えながらも耳を傾ける雪花。
「オイさんに直接文句言ってきた」
「うーん、行動的だにゃあ」
「それで喧嘩になったから家出した」
「おっとぉ、終末的な情勢での思春期イベント」
「家出先はここだ」
「権蔵爺さんとやらもまさか家出先に使われるとは思わなかっただろうね」
「家出先っていうかもう俺ここに住むわ、新生活ってやつだな」
「唐突な独立宣言」
「ここが俺の城だ」
「家事とかできんの?」
「…………」
「助けを求める目で私を見るな」
「鮭を干すか肉を焼くかしかできねんだわ、助けて」
「声に出して助けを求められても困るんだけど」
「お願いします!」
「土下座するな!」
こいつ、頭の回転は悪くない癖に考えなしで行動してるな。と、トタン屋根におでこをつけるうんこたれを見て呆れる雪花。
「そもそも助けてって言われてもどうしろってのさ」
「毎日白いご飯食べれるくらいの生活くらいはしたい。ご飯の炊き方を教えてください……」
別に自分が教えなくてもなんだかんだ人たらしなうんこたれを慕う誰かが教えるだろう。むしろ、多くの人が教えたがって寄ってきては色々と世話を焼き始めるだろうと雪花は情けない姿なうんこたれの後頭部を見つつ考える。それならば、自分は避難用の穴を拡張する作業していた方が互いに有意義なのではとも考える。しかし──
「頼む、このままだったら野垂れ死ぬ未来しかないんだ」
「……え~」
──周囲から向けられる神々の期待に満ちた視線が雪花から断るという選択肢を奪おうと圧力をかける。
「……しかたないにゃあ」
「! 助かる!」
圧力に抗ったところで多くの神々が臍を曲げてしまったらロクな事にもならなさそうだ。と、圧力に負けた雪花が渋々と了承すれば無邪気に喜ぶうんこたれ。しかし、神々からの期待の視線という圧力は途切れずに雪花へと集中し続ける。
え、なに? うんこたれの食事事情について手助けしてやって欲しいから拒否不可能な期待で押し潰そうとしてたんじゃなくて他の目的があるの? と、雪花は無邪気に喜ぶうんこたれを尻目に眺めつつなんとも言えない曖昧な表情で考える。
右を見てうんこの神様、左を見て便所の神様、ちょっと離れた場所にもうんこの神様、うんこたれの背後に便所の美女神、そこかしこにうんこと便所。うんこ、うんこ、うんこ、うんこ、うんこがたくさん。山盛りのうんこが雪花とうんこたれを包囲する。
「あ」
「どうした?」
うんこと便所、これらの多くはその名の通り便所に宿る。主な活動範囲は本来ならばうんこたれの背後ではなくて便所なのだ。つまり、便所こそがホーム。それに思い至った雪花が確かめるように呟く。
「トイレ、掃除……?」
「トイレ掃除?」
誰だって自室に限らず収納場所や仕事場などの自分の領域が綺麗な方が善しと考える。一部例外な人はいるかもしれないが清潔な方が喜ばしいのは常識で、神々もそうなのかもしれない。そして、ここにいるうんこと便所達は生活力の低そうなうんこたれの独り暮らしに憑いていくにあたって自分達の領域である便所の清潔が保たれるのかと不安に感じていたのかもしれない。と、推測した雪花の呟きに対して激しく頷くうんこと便所。
「そっかー……」
「トイレの何を納得したんだ?」
「……神々の御告げで君にトイレ掃除を教える事になったわ」
音無き歓声。うんこが飛び跳ねてよろこび、便所が大袈裟に万歳と手を上げ、うんこの美女神と便所の美女神が笑顔でハイタッチ。雪花の内心は何が悲しくて同年代男子の便所掃除まで面倒見てやらなければいけないのかと猛烈にげんなり。
「トイレ掃除かー、水タンクにのせる洗剤とかスプレー噴霧して流すだけのアレで済ますんじゃダメなのか?」
男性ってのは立って用を足す際に細かな飛沫で床を汚す事を『面倒だから大も小も座ってしてよ 』と、母に言われて面倒くさそうにしていた父を見ていたので知っている雪花。お祝いムードから一転してまたも雪花へと縋るような視線を集め出した神々に辟易しつつ言葉を連ねる。
「駄目らしいよ、床までしっかり掃除しろってさ」
「神様は厳しいな」
「普段面倒見て貰ってるんだから、それぐらい面倒くさがらずにやっときなよ」
「……死んだ母ちゃんもよく『面倒くさがらずに部屋の掃除くらいなさい』って言ってたっけ」
しみじみと呟きながら雪花を見るうんこたれ。
「死んだ母親を思いながら私を見るな、凄く微妙な気分になる」
「……母ちゃん」
「私を母ちゃんと呼ぶな!」
誰がお前の母ちゃんか、うんこたれの息子なんていないししいらない、そもそも子を産むような年齢でもない。と、ツッコミの疲れによって雪花の気分だけが激しく老け込む。
後日、生活力が底辺の友人が家の中で野宿しているかのような生活っぷりが見ていられなくなったので、雪花はなんだかんだご飯を焚く以外の料理を教えたりその他細々とした生活の知恵を授けるはめになった。