催眠おじさんVS美少女勇者:地球最大の決戦!RtA   作:ルシエド

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催眠感度3倍

 カリカリ、と鉛筆が走る音がする。

 シャーペンを使ったらどうだ、とおじさんは言った。

 鉛筆以外は非国民です、と須美は答えた。

 命令形で言えばおじさんの言葉に須美は逆らえないが、おじさんは命令形では言わなかった。

 

 もう一々教えられて宿題をやるより一人でやったほうが早い段階に入った須美を横目に、おじさんは須美の部屋を少し見渡した。

 

 部屋灯のスイッチの周りの壁に触れた跡がほとんどない。

 何年か一つの部屋に人間が住んでいると、電気がついていない暗い状態で、スイッチのある辺りを手探りで探すことが増えてくる。

 よってスイッチ周辺に僅かに手垢等の痕跡が残るものだ。

 それがない。

 

 部屋の畳の日焼け度合いが僅かに自然でない。

 畳床の寿命は20年ほどで、5年に一度ほど裏返すのがよい程度には日焼けの影響が残る。

 よって家具があればそれに沿った日焼けがあるか、もしくは全く日焼けが無いかのどちらかであるのが自然だ。

 が、この部屋はそうではなかった。

 明らかに大人用の家具が配置されていた日焼けが残っている。

 子供向けの、須美の体格向けの家具が置かれてからせいぜい一年。

 もっと長くこの部屋が"須美の部屋"であったなら、日焼けもそれ相応であるはずだ。

 

 この部屋は綺麗だ。

 おそらく須美が掃除好きで、生真面目にこまめな掃除をしているからだろう。

 だがある一定の高さにある一部の部屋の装飾に、埃が乗ったままになっている。

 大まか150cm以上の高さ―――須美の目よりも高い位置だ。

 自分の目より高い位置にあるため、おそらくそこに埃があることにも気付いていないのだろう。

 

 須美が身長の問題で見えていない高さの所に、一年ほどの分であると推測できる量の埃が積み上がっている。

 須美がこの部屋を与えられる前はおそらく大人が掃除していて、須美が掃除をするようになってここが見えなくなったからこうなったのだろう。

 須美の真面目な性格が反映された掃除と、それが作り上げた清潔感の塊のような部屋が、その埃の存在をかえって際立たせているようだった。

 

 おじさんは精緻な観察力をもって、この部屋から須美の性格と習慣、須美の部屋が彼女に与えられた時期を推測する。

 

「この部屋を与えられたのは最近か?」

 

 宿題を終えた頃を見計らい、おじさんは須美に声をかけた。

 第一声がこの世界に関することではなく、須美に関することだったのは、本人も無自覚な彼の心の反映である。

 催眠術師らしく、おじさんは須美から僅かな"苦しみの気配"を感じ取っていた。

 

「私がこの家に来たのが、少し前なので。だからこの部屋を与えられたのも最近ですね」

 

「この家に来た……? 養女か?」

 

「はい。引き取られたんです。勇者に相応しい家格を与えるために」

 

「勇者?」

 

「勇者は―――この世界を守るんです」

 

 須美いわく、この世界はかつて死のウイルスに汚染され、人類は滅びかけたが、樹に姿を変えた神―――神樹によって四国を包む結界が張られ、四国は人類最後の方舟となったという。

 

「―――新型コロナウイルスか」

 

「違います」

 

「違うのか……」

 

 結界の外はウイルスの嵐で、生存者が居る可能性は低いとか。

 そんな世界を滅ぼしたウイルスから生まれた巨大な怪物が、『バーテックス』。

 バーテックスには通常の攻撃は通用しない、らしい。

 そしてバーテックスは放置すれば世界を滅ぼしてしまうという。

 だから神樹の力を与えられた人間……勇者が、それを迎撃しなければならない。

 

 "須美が又聞きした話ばかりで自分で確かめた話が少ない"ことがおじさんは気になったが、世界の状況は大まかに理解できた。

 

「お前が勇者というのは分かったが、それはお前でなければならないのか? 大人は?」

 

「年齢と性別と才能に枷があると聞いてます。

 私くらいの年頃で、女の子で、神樹様の力を受け取れる人物だけだとか」

 

「なるほどな……

 選ばれし無垢な少女のみが得られる力、勇者の力……

 穢れしかない中年男性のみが得られる力、催眠おじさんの力……

 小生の力と存在の対極に存在する者……それが神樹の勇者……?」

 

「そうですね」

 

「そうですねじゃないが?」

 

 ウイルスから生まれた怪物。

 それを迎撃する勇者。

 勇者が勝てば世界は存続、敗北すれば世界は滅亡。

 とても分かりやすい構図であり、おじさんは"下手に動くと世界がトぶな"と思い、多少大人しくしておくことを決めた。

 

「現代系かと思ったらまたファンタジー系の世界か……勇者の対の魔王も居るのか?」

 

「おじさまって子供っぽい考え方するんですね、ふふっ。

 ゲームの世界ならともかく現実の世界に魔王なんて居るわけないじゃないですか」

 

「お前自分の肩書き言ってみろ」

 

「勇者です!」

 

「だよなァー!!」

 

 須美の体つきから"弓術の筋肉の付き方をしている"ことを理解していたおじさんは、彼女がどういう武器で戦っているかも大まかに理解していた。

 左手の内側の弓を持つ左手特有のマメ。

 右手の指に見られる矢を持つ右手特有のマメ。

 それらは明確に、須美の体に刻まれた"戦うための努力の跡"だった。

 

 一般的で善良な大人であれば、11歳の女の子が戦闘の訓練を仕込まれているのを見れば眉を顰めるだろうが、おじさんは眉一つ動かしはしなかった。

 

「名字もその時に変わったのか。小学生には酷であろうに」

 

「いえ、名前も変わりました」

 

「なんで!?

 ……いや、呪術か。

 偽の名前を被せるのは呪術の呪除けの基本だったな。

 いい機会だからと名前も名字も変えた、といったところか」

 

「昔の名前は、東郷(とうごう)美森(みもり)です」

 

「なるほど。『美』を遺したのはどっちの家の指示だ?」

 

「? 知りません」

 

「むぅ……せめて名前を一文字残すところとか……

 それで残すのが『美』のあたりとか……

 親が子にする気遣いを微かに感じたが。どちらの家の親かは不明か」

 

「……」

 

「家が変わって、辛いことは?」

 

「……」

 

「寂しくはないのか?」

 

「……」

 

 数時間前にかけた軽い催眠と、須美の意志が拮抗していた。

 "言えない"と拒絶することはできない。

 でも無言のまま、催眠おじさんの問いかけを先送りにする抵抗はできる。

 催眠に弱い須美がここまで抵抗するということは、それだけ『言いたくない』ということなのは間違いない。

 

 『寂しい』と言いたくない。

 『辛い』と言いたくない。

 そういうことなのだろう。

 あまりにも不器用すぎる真面目さを下地にした、抵抗の意志。

 だがおじさんがそれを尊重するわけがない。

 

 ()()()()()()()()()()()()のは、催眠術師の本能のようなものだ。

 

「『今は本音で語れ』」

 

 重ねがけの強力な催眠が、須美の張りぼての振る舞いの奥の、心の弱い部分を抉り出す。

 

「最初は……まず、怖くて、不安でした……

 ここが新しい家で、新しい家族なんだって……

 住み慣れた家も家族ももう会えないって、もうお別れなんだって、思って……」

 

「そうか。怖かったか」

 

「戦うのもしたことなんてなくて……

 でも、だけど、戦わないと世界が滅びるって言われて。

 他の子は怖がってないって言われて。

 怖がってちゃいけないって思って。

 神樹様のお役目を怖がっちゃいけないって思って。

 弓を使うから練習しなさいって言われて。

 でも怖くて、恐ろしくて、思いっきり転んだ時みたいに、痛かったらどうしようって……」

 

「その恐れが普通だ。間違っていない」

 

「でも、もっと怖かったのは……居場所がなくなってしまうこと……」

 

「!」

 

「私、もう、東郷の家の子じゃないから。

 勇者になる子として、ここに居るから。

 勇者として価値を示さないと、この家に居場所がないから。

 "絶対に失敗しちゃいけない"……そう……思って……だから……だから私……」

 

 重ねがけされた催眠の影響で、虚ろな目と虚ろな表情を浮かべていた須美が、恐れと不安と緊張で、スカートを握り締める。

 見目麗しい少女の須美が、今は可憐な容姿より、憐れみの方が目につくようになっていた。

 少女は、可憐で、憐れで、不憫だった。彼から憐憫の情を引き出すほどに。

 

「そう、周りが言ったのか?」

 

「……いえ、言いませんでした。

 気負わなくていいって。

 無理しなくていいって。

 ただ健やかに、幸せであってくれればそれで十分だ……って、言ってくれました」

 

「そうか。それは……それそのものは、良かったな」

 

「いい人だったんです。

 本当の親みたいに接してくれる鷲尾家の両親も。

 お姉さんみたいに接してくれる使用人の人達も。

 学校の同級生も。

 ちょっと怖いけど生徒想いの先生も。

 だから、だから、だから、私しか守れないなら、私が頑張るしかないって思ったんです」

 

「なら、不安になることもないだろう。お前の居場所はそこにあるじゃないか」

 

「皆が本当は何考えてるかなんて私には分かりませんし……

 言ってることが本心だって、信じたい私も、信じられない私もいるんです」

 

「うっわメンドくせっ」

 

「面倒臭い女でごめんなさい……」

 

「幸せになる才能がない女だなお前……

 友達を選んだ方がいいぞ。

 お前は一人だとあんまり幸せになれん女だ。

 いい友達を作ってそいつに幸せにしてもらうのが一番だぞ、うん」

 

「はい……幸せってなんなんでしょうね?」

 

「急に哲学的な話」

 

「私、東郷の家に居た頃は幸せでした。

 鷲尾の家でも幸せだと思います。

 でもなんだか……昔と今の、何が違うんでしょう」

 

「小生に聞かれても困る。君のことなんて全然知らんからね?」

 

「おじさまなら分かるはずです!」

 

「唐突にデカい期待投げつけて来るんじゃないよ! 今日初対面だからね!?」

 

「おじさまなら私のことを分かってくれます……!

 分かってもらえないなら私の分かってもらう努力が足りなかったということ。

 これから頑張って分かってもらおうと思うのでよろしくお願いします!」

 

「だいぶ頑張り屋さんだなお前。

 こんな頑張る小学生普通居る……?

 本音語れって催眠かける前はこういう本音の片鱗も見せてなかったよな?

 頑張りすぎて小さな弱音を心の奥に溜め込んでどっかで爆発するタイプだな」

 

「私は大丈夫……大丈夫じゃない……大丈夫。

 大丈夫だって思うのも、大丈夫じゃないって思うのも、本音……」

 

「本音が複雑に絡み合っている人間に催眠をかけるとすぐこれだ。面倒だよなぁ」

 

「ごめんなさい、おじさま」

 

「謝るな。小生はお前の支配者だ。お前に謝れなどと命令した覚えはない」

 

 ふぅ、と一息吐いて、おじさんは座布団を一枚敷き、壁に背を預けて座り込んだ。

 

「みー子、お前の問題は」

 

「みー子?」

 

「今の名前が須『美』、前の名前が『美』森。よってみー子。どうだ」

 

「若々しいネーミングセンスでいいと思います!」

 

「小学生にとっての"若々しい"って小学生レベルってことじゃねーか?」

 

 須美もまた、座布団をおじさんの隣に敷き、彼の隣にちょこんと座った。

 

「おじさまはこの世で最も気遣いができる人ですね……」

 

「ここまで過大な褒め言葉使うほど深く催眠かけた覚えねえんだけどなんだろうねこれ」

 

「私の前の名前と今の名前を一緒に呼べる呼び方に、気遣いが感じられるなって」

 

「あああああ滑ったギャグを解説するみたいなことやめろ! 解説すんな!」

 

「はい、解説やめます!」

 

「みー子お前……真面目な癖に性格の本質がエンタの神様の化身か何かか」

 

「エンタ?」

 

「通じない! そっか西暦終わってめっちゃ経った世界だって言ってたなさっき!」

 

 おじさんの何が面白かったのか、須美が可愛らしい顔でくすくすと笑って、青空に雲がかかるように、須美の表情が儚げなものに移り変わる。

 

「前の自分と今の自分って、どっちが本当の自分なんでしょうね?」

 

「ん?」

 

「昔、私は"大赦"に連なる家の端っこの一般家庭の普通の女の子だったんです」

 

「『嘘をつくな』」

 

「本当ですよ」

 

「催眠で自白させたんだからマジか……嘘だろ……?」

 

「なんでそこに疑問持つんですか?」

 

「お前みたいな女人生で一回も見たことないからだよ」

 

「私はおじさまが人生で出会った女性の中で一番特別……? ちょ、ちょっと照れますね」

 

「そういうとこだぞ」

 

 こほん、と須美は咳払いした。

 

「時々思っちゃうんです。

 本当の自分って、本当の私って、どっちなんだろうって」

 

「濃厚な思春期を感じるワードだ……」

 

「前の私こんなに礼儀作法なんて知らなかったんです。

 弓に触れたこともなくて、運動もこんなにしてなかった。

 こんなに丁寧語使ってた覚えもないです。

 "考え方"が、普通の家のそれから、名家のそれになってて……

 家も変わって、学校も変わって、名前も変わって。

 習慣も変わって、考え方も変わって、するべきことも変わった。

 普通の女の子の美森と、勇者の須美は、どっちが本当の私なのかなって、ふと思って」

 

「思春期……と言うには、ちょっと悩みが深刻か」

 

「あ、いえ、そんな深刻ってわけでもないでも……いえ、自分でもわからないです。

 私はこのことを、深刻に思ってるのか、そうじゃないのかも分からなくて……」

 

「本当のお前なんて居ないぞ」

 

「え?」

 

「最初の自分が本当の自分か?

 変化し成長した後の自分が本当の自分か?

 虚言癖が嘘を事実だと思い込んだ状態は本当の自分か?

 過去の大切なことを忘れたらお前は本当の自分じゃなくなるのか?」

 

「それは……分かりません」

 

「本当のお前なんていない。

 昨日までの、今日からの、明日からのお前が全てだ。

 口で語る本当の自分など虚構だ。

 他人が語る本当のお前など嘘っぱちだ。

 自分に都合の良い本当の自分などない。

 メロドラマで語られるような本当の自分などない。

 昨日に努力し、今日を真面目に生き、明日からも頑張るお前が本当の自分だ」

 

「本当の自分なんていない……? 頑張る私……?」

 

「別の見方をすれば、どっちも本当の自分だとも言えるな。

 催眠で理性を消され本能で動く淫乱女が、

 『これが本当の私だ!』

 って言ったらそれは本当の自分かという話さ。

 理性があるのが本当の自分か。ないのが本当の自分か。天鎖斬月快楽天衝……」

 

「?」

 

「……性知識が薄すぎる……いや小学生だったか。時々忘れる容姿してんのが悪い」

 

「はぁ」

 

 小首を傾げる須美の真っ直ぐで純粋な視線に、おじさんは居心地悪そうにして、何かを誤魔化すように須美の額に軽くデコピンをした。

 

「意思は捻じ曲げられる。

 本音は捏造できる。

 思い込みが現実を変える。

 主義主張すら人は簡単に入れ替える。

 本当の自分などただの言葉遊びだと催眠術師(われわれ)は知っている」

 

「心はもうちょっと確かなものだと、私は思います」

 

「この世界はお前みたいな子供が命を懸けて戦っている。

 そして子供も親もそれを自然と受け入れている。

 平然と受け入れてはいないが、断るという選択肢を考えてもいないように感じる」

 

「? それは、神樹様がそう命じられたから……神樹様のお役目を断るだなんて、そんな」

 

「そうだな、『信仰』は催眠のようなものだ」

 

「……」

 

「意思と自由を他者が勝手に操るなら、信仰と催眠に違いなどないんじゃないかねえ」

 

 "ここは神様に救われて守られている世界なんだな"とおじさんは思う。

 であれば、民衆の善良さもある程度納得できる。

 神が実在する。

 神の実在を宗教に利用できる。

 であれば、倫理は宗教によって極めて強力に規格化できる。

 善人の割合がありえないほど高くもなるだろう。

 

 お天道様が見ている、という概念が日本にはある。

 「他の誰が見てなくても太陽は見ている」……転じて、太陽という神が見ているという、日本人の倫理をある程度担保する、自戒の倫理の言葉である。

 太陽は人なんて見ていない。

 これは太陽の擬人化で、神格化。太陽に意思を見る考え方である。

 "神様が見ているから悪いことはできないね"という考え方を、日本人はずっと昔から持っていたのである。

 

 この世界は、その少し先。

 「神様が言うことには逆らっちゃいけないね」まで行っている。

 

 『自分がこの世界に来る前からこの子は洗脳されていた』―――と、おじさんは思った。

 

「宗教に洗脳されている人間の意思。

 催眠に支配されている人間の意思。

 社会に適合されている人間の意思。

 どれが本物の意思で本当の自分なのかなど、考えるだけ時間の無駄だとは思わんかね?」

 

「……よくわかりません」

 

「くはは、すまんな。小学生に聞かせるには話を複雑化させすぎたか」

 

 おじさんは話がズレてきていることを感じる。

 おじさんは持論を語るのが好きなのだ。

 催眠おじさんは大体若者に長々とした話を聞いてもらえないので、話を聞いて貰いたくなったら催眠をかけるかキャバクラに行く。

 

「……話がズレたな。みー子と何の話してたんだっけ?」

 

「おじさま、もしかしてもうアルツハイマーが!? 病院に行かないと!」

 

「そんな歳じゃねえのは見りゃ分かるだろうがァ! まだギリ30になってねえ!」

 

「おじさんって感じの年齢ですね」

 

「クソが事実だから反論できねえ」

 

 須美に悪意が無く、返答は素直に思ったことを反射的に口にしているだけだということは、催眠をかけてるおじさんが一番よく分かっている。

 分かっているので怒るに怒れない。

 怒れないが、おじさんは須美の額にデコピンをかました。

 

「あいたっ」

 

「ああ、思い出した。一番の問題は、

 『皆が本当は何考えてるかなんて私には分かりませんし』

 ってとこだと見た。お前、周りに自分がどう見られてるか割と気にするタイプだな」

 

「そう……ですか?」

 

「だけど周囲の目を気にしなくなったらそれはそれでモンスターになりそうだな……」

 

「モンスター……」

 

「褒めてんだぞ」

 

「! ありがとうございます!」

 

「お前は周りをあんま信じてない……いや、信じたいけど信じられないとかそんなんか」

 

「そんなことは」

 

「周りがいい人で好意をくれてるなら、あとはお前がそれを信じるだけだ」

 

「……」

 

「寂しいのは分かる。

 本当の親に会いたい気持ちも間違っていない。

 そういう気持ちが無い子供の方が気色悪い。

 だが、それだけじゃないだろ。

 周りの本心が分からない、なんて言うのは、周りが言ってる言葉を信じられない証拠だ」

 

「……おっしゃる通りです」

 

 催眠に侵された須美の頭は、普段思考の表面にも絶対に上がってこないように気を付けている『心の隅にある言葉』を、口に出していく。

 

「みー子はなんだ、人間不信か?」

 

「違います」

 

「彼氏にでも振られて他人の言葉が信じられなくなったか?」

 

「か……彼氏とか出来たことなんてないです! もう!」

 

「お前……その歳とその容姿で彼氏の1人や2人も作ってないとか大問題だぞ」

 

「2人も作ったらそれこそ大問題だと思うんですけど」

 

「小生がお前くらいの年頃には彼女の10人や20人……

 いやすまん嘘だ。催眠術習得するまで友達も彼女も作れたことねえわ」

 

「おじさま……」

 

「……いや小生の話はいいんだよ! みー子の話だろ!」

 

 困った人だなあ、みたいな顔で、須美は曖昧な笑みを浮かべた。

 

「私と今の両親は、血が繋がってないじゃないですか」

 

「らしいな。そういえば顔もあんま似とらん」

 

「養女ですからね。だから、その、よく分からないんです」

 

「親の気持ちがか?」

 

「はい。

 いい人なんです。

 いい人なんですけど、いい人だから分からないんです。

 内心では私のこと、疎んでるかもしれない。

 でも優しい人だから、表に出さないで優しくしてくれてるだけかもしれない。

 血が繋がってないのに図々しく鷲尾家の人間らしく振る舞ってる私を、嫌ってるかも」

 

「小学生の悩みじゃねえよなぁ。どうなってんだこの世界。子供の扱いの倫理古戦場かよ」

 

「そう思う自分も居るんです。

 でも、分かってるんです。今の両親も愛してくれてるって。

 頭が分かってるけど、心が分かってくれないんです……私がダメな子だから」

 

「いや……そうか。

 幼い子供は、物心つく前から親と一緒にいて、その愛を疑わない。

 だが今の親とはそうではないんだろうな。

 付き合いもせいぜい一年なんだろう? それなら、その愛を信じられないのも仕方なし」

 

「仕方なくなんてないです。

 ちゃんと、愛してくれてるって、頭では分かってるのに……

 心が、そうなってくれない。

 東郷の家では素直に親に甘えられたのに。

 鷲尾の家では全然できないんです。

 『娘』になれないんです。鷲尾の両親は、ちゃんと『親』をしてくれてるのに」

 

「真面目だな。バカに見えるくらいに」

 

「血が繋がってない娘に、親はどういう気持ちを抱くのか、私には分からない」

 

「そんなもん小生も分からんわ。ただ、そうだな。

 小生が見たお前の今の両親は、お前にそんな面倒な気持ちは持ってないと思ったぞ」

 

「……」

 

 須美のこの悩みは、心の隅に降り積もった小さな気持ちの集積体。

 本来一年か二年、あるいはもっと長い時間をかけることで、自然と消化していく気持ち。

 

「小生の知り合いの托卵おじさんは夫婦に気付かれず種付けするのが好きでな……

 そのために催眠を使っていたダークサイドの使い手だった。

 必然、その男に目をつけられた夫婦の間に生まれる子は半分血が繋がっていない。

 妻と托卵おじさんの間に生まれた子だからな。

 だが小生が知る限り親子仲は最高の家庭だった。血の繋がりなんて関係なくな」

 

「最低では? 死んでほしいですね」

 

「催眠術師なんて大体クソカスに決まってるだろう。というか急激に辛辣になるなビビる」

 

 "こいつ小生相手以外には悪意ある罵倒言えるんだったな"と、おじさんは急に厳しいことを厳しい顔で言い始めた須美を見て、催眠が的確に機能していることを確認していた。

 

「血の繋がりなど些細なことだ。

 大事なのは、親子として過ごした時間なのだ。

 催眠托卵がそれを証明している。

 前の家の親も、今の家の親も、どちらもちゃんとお前と親子であると思うぞ」

 

「……おじさまにそう言われても納得できない想いがあります。ダメですね、私」

 

 須美はおじさんの横で膝を抱えてしょぼんとし、おじさんの視線が一気に冷たくなった。

 

「面倒臭えな」

 

「え?」

 

「『鷲尾家の両親の愛を信じろ。周囲の好意の言葉を信じろ』」

 

「きゅぅ」

 

「これだからガキは面倒なんだ。

 正解も真実も分かっているのに受け入れない……

 いや、これガキに限ったことじゃないか?

 まあいい。

 小生こういう面倒臭いの嫌いなの。時間の無駄だと思うの。わかる?」

 

「うぐ……」

 

「コミックス数巻かけて心の問題解決するとか。

 長々絆育んでカウンセリング続けて成長させるとか。

 トラウマ乗り越えようとして失敗するの何回かやるとか。

 そういうの要らねえんだよな……

 催眠で『その悩みを自分の意思で乗り越えろ』って命令すりゃいいし……」

 

「うう……! あんなにも愛されているのに不安になってた私が情けない……!!」

 

「あっまた催眠が過剰に効いてる」

 

 身も蓋もない催眠救済。

 他人に言葉を貰って成長し変化するのと、他人から催眠を受けて成長し変化するのは、何が違うのか? というのが、このおじさんの持論である。

 "心が成長するならなんでもいいだろ学派"の一員ゆえに、その催眠は強引であった。

 

 おじさんは催眠を緩和し、緩和しすぎたらまた掛け直し、ちょうどいいバランスに須美の催眠度合いを持っていく。

 矛盾する催眠を掛けすぎると精神的に不安定になりやすくなるが、おじさんは最小回数の催眠調整で適度な催眠レベルを実現させていた。

 

「『この世界の誰よりも小生の言葉を信じろ』」

 

「……はい」

 

「お前はよく頑張っている。

 お前は立派だ。

 お前は十分素晴らしい人間だ。

 お前は報われる。

 お前のことを周りはちゃんと見ている。

 不安になるな。怯えるな。

 お前に辛くても頑張れと言う人間がいれば小生が……いや何言ってるんだかな、らしくない」

 

 ふと、自分らしくないことを言いそうになり、おじさんは口を噤んで腕を組んだ。

 

 須美は微笑む。

 自然と微笑む。

 夜明けに自然と花開き、静謐で美麗な花を陽光に向ける朝顔のような、花咲くような微笑みだった。そこには、確かな"安心"があった。

 

「ありがとうございます、おじさま」

 

 須美の肩から、少しだけ力が抜けた。

 

「礼を言えという命令はしてないんだがな。

 だが礼を言うことはいいことだ。

 『ありがとうございます』

 『おはようございます』

 『いただきます』

 『ごちそうさま』

 『催眠なんて信じてるんですか?』

 『ほらやっぱり催眠なんて効いてない』

 『私が催眠にかかってるわけないでしょう』

 がちゃんと言えるのは礼儀作法がなっているということだ」

 

「なんか変なの混ざってませんか?」

 

「頑張り屋に褒美をやろう。なんでも言っていいぞ。聞くかどうかは小生が決める」

 

「あ、なら。来月の授業の分の予習を手伝ってもらえませんか? お願いします、おじさま」

 

「面倒臭いくらい頑張り屋だなお前」

 

「早め早めに授業でやる範囲を分かっておきたいんです」

 

「このメスガキが……! わからせてやる!」

 

「はい! 頑張って分かります!」

 

 催眠がきっちりかかっている時でも、催眠が薄れている時でも、等しくその人間が使える地力、すなわち『学力』。

 己の学力を催眠に依存するおじさんと違い、須美はちゃんとした努力家なのだった。

 

 

 

 

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