催眠おじさんVS美少女勇者:地球最大の決戦!RtA   作:ルシエド

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思い出7倍

「軟骨お持ちしました」

 

「おいしかったー! ごちそうさま~」

 

「いるいる、こういう他の人のメニュー来る前に自分の分食い終わっちゃう人。速えな園子」

 

「いけなかったかな……?」

 

「その健啖を褒めて軟骨をやろう」

 

「わーい!」

 

 ほんの一瞬、園子が躊躇った様子を見せたが、それもすぐ消える。

 乃木園子が"他人の気持ちを分かろうとしないから自由な子"なのではなく、"自分が変な子で自由すぎるから周りに引かれることもあると自覚できてる子"なことは、親しい者なら知っている。

 自由な彼女を受け入れる姿勢を周りが時折見せれば、園子はいつでも自分を抑えないでいることができる。須美が言う"園子に甘すぎる"というのは、こういうところにもあった。

 

「アタシとしちゃ、わしおじさんがそんなビビってる理由が分からないんすよね」

 

「そうか?」

 

「アタシの中だとおじさんってラスボス一人で倒しちゃう隠しキャラの仲間なので……」

 

「小生をやりこみ要素にするな。ビビってる理由か……強い、というのもあるが」

 

 銀はカツカレーをかっこみながら疑問を口にし、おじさんは小学生にも分かるようにどう語るものかを少し考える。

 

「そうだな……ピンと来ないかもしれんが、お前達が人間で居るために必要なんだ」

 

「?」

 

「もうちょっと踏み込んだ話をしようか」

 

 おじさんは個々の学力を考える。

 須美は努力でいつもテストで90点以上を取るタイプ。

 美森はその上位互換。

 園子は100点を余裕で取れるがマークシートに文字で解答を書いて0点タイプ。

 銀は50点台と一番低く、しずくは銀ほど低くはないが須美ほど高くもない。

 個々の理解度に差を付けないよう、説明の内容には気を付けようと、彼は考えた。

 

「日本神話の神様っていうのはさ、自然の具現なわけよ。

 小生達のような生物とはまた違うんだ。

 彼らは自然を表す神だ。

 自然災害ってのはその時代、倒せないものだった。

 だから人は自然を神様にした。

 頭を下げ、謝り、許してもらうのを待つ……

 『勝てないもの』を神にした。

 同時に、『謝れば許してくれるもの』にした。去らない自然災害はないからな」

 

「ふむふむ」

 

「神は許す側。

 人間は許してもらう側。

 それがルールだ。

 『赦し』こそあるが、神という名の自然は、人間の最大の強敵として在り……」

 

「特製ラーメンお持ちしましたー」

 

「あ、はい! そこの白髪の子です! しずく、熱いから気を付けな」

 

「ありがとう」

 

『一々話を中断すんのは死ね-100点と思うがしずくを気遣ってるので+200点』

 

「わしおじさん結局最後でしたね。うちの弟だったら不機嫌になってましたよ」

 

「うるせえ。

 ん? ここのファミレス、レンゲデフォで付いて来ないのか……

 ドリンクバーの横に積まれてたのそういうことか。ちょっと取ってくるわ」

 

「あ、おじさま、私が取ってきます。

 お話を続けてください。私は確かこのお話は前に聞いたことがあるので……」

 

「む……じゃあ頼む、美森。ありがとう」

 

「大袈裟ですよ」

 

(やはり未来の私……隙がない……彼女こそが最大の強敵……)

 

 上品に微笑む美森を見やり、須美は神をも超える最大最強の強敵に戦慄を覚えていた。

 

「神し、謝ることで、許してもらうことができる。

 悲惨な末路を迎えた人間は、大昔よく神様にされてただろ?

 崇徳とかああいうの。

 謝れば許してくれる。だから、人は死人を神様にするんだ。

 だがゲスの暗黒卿は、この神様の概念の反対側にいる。面倒くっせえことにな……」

 

「反対側……?」

 

「そのそのそのっちその通り。

 人間を物扱いする。

 心を壊す。

 都合の良い人形に変える。

 嫌がる人間を虐げる……

 そういうことするのが暗黒卿だが、自分が悪いことしてる自覚はあるんだよな。

 許しを求めてねえ。

 許されるとも思ってねえ。

 『悪は許されない』と言ってる。

 めっちゃ開き直って、自分を倒しに来る正義が居ることも分かっててやってる。

 そのうちそのっち、自分を倒す何かが来るとすら思ってるフシがあるんだよな……」

 

「そのっち~」

 

 美森が戻って来て、おじさんの話の邪魔をしないように無言で席に戻り、しずくの前にレンゲを置いた。

 話を続けているおじさんが、お気に入りの飴を美森の前に置き、美森が微笑む。

 

「暗黒卿はだから、どちらかというと……

 『自分を許さない』最強最善の奴が来ることを期待してる。

 小生が見る限り正義に倒されれば笑って死ぬな。

 まあ大抵の正義の味方は返り討ちにして正義のヒロインピンチものしてるんだが」

 

「ヒロインピンチ……?」

 

「まあそれは脇に置いておけい小娘。

 ゲスの暗黒卿は『許さない』『許されない』が基本だ。

 悪は許されない。

 生まれつき悪でも。

 悪の一族に生まれても。

 悪行しか出来ないクズに生まれても。

 悪いことをしたやつは許されない。

 許されないけど、生きていてもいい……ってのがゲスの暗黒卿の基本主張だ」

 

「はえ~」

 

「逆に言えば、『悪は許されない』は絶対の基本主張なんだ。

 絶対に人類は、催眠おじさんを滅ぼしに来ると。

 そう分かった上で、好きに生きよう……そう考えた。

 だからゲスの暗黒卿と呼ばれたんだ。

 世の中には悪としてしか生きられない人間も居るからな。

 いつか滅ぼされる日まで、悪として、善人を踏み躙って生きていこう、と彼は声を上げた」

 

「……ああ、おじさまの師匠って感じがしますね」

 

「どの辺が?」

 

「気にしないでください、話の続きをどうぞ」

 

「おお……? うん。小生を拾って弟子にしてくれたゲスの暗黒卿はそういう人で……」

 

「塩ラーメンお持ちいたしました」

 

「しゃあ! やっと来た!」

 

「お待たせして申し訳ありません、お客様」

 

「いえいえ、待った分だけ美味しくいただかせてもらいますよ。

 うーん食べる前から香りの時点で美味えんだよなラーメン……いただきます」

 

 おじさんはラーメンが好きだった。

 麺も好き。ネギも好き。チャーシューも好き。メンマも好き。ナルトも結構好きだった。

 

「……そういや小生感動したんだよな。この世界のラーメンどこもナルトがあってさ」

 

「へ? わしおじさんの世界とか時代には無かったんですか?」

 

「どこの世界の日本でも西暦2010年くらいにはナルトは絶滅を始める。

 あってもなくても変わらないなら入れなくていいや、ってなってな。

 この世界が神世紀になったの2018年くらいだったか?

 世界が大変なことになった後、誰かが気合いで復活させたんじゃねえかな……うめうめ」

 

「インチキおじさんにとっての懐かしの味なんやね~」

 

『しずく、教えてやれ』

 

「徳島の、ラーメン」

 

「ん?」

 

「徳島の……前にあるのが、鳴門海峡」

 

「ああ、ラーメンの具のナルトは鳴門海峡にちなんで名付けられたんだったな。

 だからナルトの発祥が徳島であるという説もあるんだったか。

 しずくは徳島出身だからかそのへんに詳しいのか? 一応地元だもんな」

 

「ん。だから、徳島ラーメンには……鳴門のナルト、をずっと載せてる、ラーメン屋がある」

 

「! そういうことか……! ありがとう徳島……! サンキューしずく……!」

 

「私が、お礼を、言われるようなことしてない」

 

『いーよいーよ受け取っとけ』

 

 宇宙に歴史があるように―――地の上にも、歴史はあるのだ。

 

「天の神と、人の悪。

 そこには対照性がある。

 日本の神の物語は、『許しで終わる』んだ。

 神が"許してあげる"ことで終わる。

 対し、人の悪は『許さない』で終わる。

 "お前を絶対に許さない"で、許されない悪を倒して、ハッピーエンドなんだな」

 

「なるほど……」

 

「だから絶対に相容れん。

 同時に、支配の仕方も違う。

 大赦の資料も読んだが……

 この世界の神様は、

 『思い上がった人の傲慢という悪を許さない』

 なんだろう。

 人間が完璧な善じゃないと許さんやつ。

 自然神は不滅だから、倒しても人間がまた悪になると攻めて来るやつだ」

 

 非の打ち所がない善人だけで構成されている社会にとって、天の神は脅威でもなんでもない。

 そういう社会を、天の神は攻撃しないからだ。

 

「逆にゲスの暗黒卿は、

 『人間はもっと悪になって犯罪ガンガンしていいんだぞ』

 だな。

 神は人に善く在れと言う。

 悪は人に悪でいいぞと言う。

 こういうところも相容れないからクケーッ死ねッーってなるんだよなあいつら……」

 

 善人を踏み躙ることに罪悪感がない悪人にとって、ゲスの暗黒卿は脅威でもなんでもない。

 そういう人間にとって、ゲスの暗黒卿は頼れる仲間だからだ。

 

「どこにでも絶対に仲良くなれない人らっているもんなんすねえ」

 

「おう。最悪の光の神と最悪の闇の催眠おじさん、アライメントの両極よ。

 そして最悪なのはな……

 小生の知る限り、この二者のどっちの下でも、弱者はボロボロ死ぬことなんだ」

 

「おおう」

 

 善だけを許す神と、許されない悪を肯定する悪。どちらも、人間社会にとっては猛毒だ。

 

「善性を求めて虐殺する者と、悪だと開き直って虐殺する者、小生はどっちも知っている」

 

 ズズズ、とおじさんがラーメンをすする。

 

「『支配』というのはな。

 『理を塗り換える』ということなんだ。

 神が理を書き換えて、星の表面を灼熱の世界に変えたのと近い。

 それまでの"当たり前"がなくなる。

 新しい"当たり前"が世界に満ちる。

 それはとても恐ろしいことなんだ。

 書き換えられてから三百年経ってしまってるこの世界だと、ピンと来ないかもしれないが」

 

 おじさんがテーブルの端の胡椒を取り、塩ラーメンにドバっとかける。

 

 半分ほど食べられたラーメンの味が変わり、アクセントがつき、メリハリがついて飽きが来なくなった。人によってはこちらの方が美味しいと思うだろう。

 

 だが、味を塗り替えられたラーメンは、もう以前のラーメンではない。

 

「生きにくいんだよな……

 光の神の下でも、悪の皇帝の下でも……

 善が強制されるのは生きにくい。

 悪が蔓延ってるのも生きにくい。

 ほどほどがいいんだほどほどが。

 "中庸"が大事なんだ。

 そういう意味では神樹は勝つと理想的だよな。

 人間が善良だと喜ぶ。

 人間の醜悪もある程度容認してる。

 比較的真ん中を進んでるから勝つならここに勝ってほしくはある。無論最善は人間の勝利だが」

 

 極端に光と善に寄っている虐殺者、天の神。

 極端に闇と悪に寄っている陵辱者、ゲスの暗黒卿。

 敵はどちらも強大で、どちらも倒さなければならない。

 ……もし、もしも。神話のように、神樹が未来に繋がる流れを見ているのだとしたら。おじさんが勇者・鷲尾須美に催眠の魔の手を伸ばしても神樹が様子見を選んだ理由は、もしかしたらここにあったのかもしれない。

 

「よいかメスガキ共。

 人間にとって最も理想的なのは、

 『お前の干渉なんて迷惑なだけだからもう関わってくんな』

 なんだ……スケールが違う上位種の排除なんだ……

 最初に余計な干渉してきた天の神をぶち殺し最近来たゲスの暗黒卿もぶち殺すんだ」

 

「できるんですか?」

 

「……催眠スマホが追加であと80個くらいあれば」

 

「つまり無理なんですね」

 

「ああ~クソがよぉ~君が代ぉ~力の差がよォ~!

 なんだよ太陽神の化身が鏡って……小生の催眠の天敵じゃねえか……!」

 

「……」

『なーんか大変な時期みてえだな。俺ら何も知らなかったわけだ』

 

 もりもり盛られた長ネギをチャーシューで包んでムシャムシャ食って、おじさんは深く深くため息を吐く。

 

「小生が交渉しに行って天の神と同盟できねえかなー。100パーできねえけど」

 

「は!? 天の神と……同盟!?」

 

「呉越同舟ってやつさ。一時的に手を組もうぜ、みたいに持ちかけるのよ」

 

「結界の外をあんなにした神様と、っすか……」

 

 銀が難しい顔をした。

 勇者達は大赦が隠していた真実をもう既に知っている。

 結界の外も全員が見た。

 彼女らの中で、天の神は酷いことをした倒すべきラスボスとして認識されており、それと手を組むということに抵抗感を覚えるのも自然なことだ。

 根本的に外野なおじさんと違い、彼女らはこの世界で生まれ育った当事者なのだから。

 

 加えて言えば、おじさんの言葉に銀が何色を示したのは、そこに認識の差があるからだ。

 この世界で生まれ育った銀の観点がおじさんと少し違う、というのは間違いなくある。

 だがそれ以上に、"ゲスの暗黒卿を人伝てに聞いた話でしか知らない"というのが、決定的な認識の差になっていた。

 

「だってさぁ……

 ゲスの暗黒卿クズとカスの味方なんだよ……

 普通の社会に生きられないゴミの理解者なんだよ……

 だから小生も拾ってもらえたんだけどさ……

 あの人の支配地域に入った平和な世界の若い女性は洗脳か死かどっちかだからね」

 

「うわぁ」

 

「天の神と組んでゲスの暗黒卿どうにかした後に天の神を後ろから刺してえよぉ~」

 

「あ、裏切る前提なんすか……」

 

「カスを上手いこと利用してカスと同士討ちさせて美味しいとこだけ持っていきたい!!!」

 

「いいのわっしー? わっしーそういう卑怯なのあんま好きじゃないと思ったけど」

 

「流石ですおじさま……

 裏切りは戦争の常。

 戦史は裏切りで出来ている……

 大日本帝国を裏切りし者誅すべし!

 とは、思いますが。

 別に日本人も裏切りしてないわけではないですしね。

 田中隆吉を裏切り者と言う者も、戦後日本をマシにしたと言う者もいます。

 裏切りは恥ずべき悪癖ですがおじさまの裏切りはきっとこの世界を守ります!」

 

「わっしーの変なスイッチ入っちゃった~おじさんは特別扱いらしいぜ~」

 

「鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ブスマンコは言った。

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学び、催眠おじさんはメスガキに学ぶ……

 何か……小生の知識か経験に……ゲスの暗黒卿を倒す手立ては無いものか……?」

 

『そんな変なものに学んでるから変なオッサンに育ったんじゃねーの?』

 

(シズク)

 

 シズクをたしなめつつ、しずくは疑問を口にする。

 

「その。なんというか。よくそんな人の下に居られたね……って、思った」

 

「……ゲスでクズでカスでゴミだったけど……優しかったんだよな、小生には」

 

「……おじさまには優しかったんですか。悪い人なのに」

 

「悪い人にも優しい人は居るさ。

 いい人ってのは誰にでも優しい人だ。

 悪い人ってのは優しさがあってもどうにもならないくらい悪い人のことを言う」

 

「なんでその人はおじさまに優しかったんですか?」

 

「知らんわ。小生は須美が小生に優しい理由すら分かってねえんだぞ」

 

「―――ああ、なるほど。なんとなく分かってきました」

 

「何がだ」

 

「おじさまが分からないことって、そこそこ限られますからね」

 

「もうちょっと具体的に……」

 

「それは脇に置いておきましょう。その人と再会したとして、どうなると思いますか?」

 

「小生が秒で死ぬか奴隷になる」

 

「えっ」

 

「あの人は親でも子でも殺す。

 殺さなくても心を壊す。

 容赦はない。

 あの人は死にたいわけじゃあねえからだ。ゲスの暗黒卿曰く……」

 

 おじさんの人格を最初に形成したのが親で、最後に全てを変えたのが須美なら、その間で最も大きな影響は与えたのは、間違いなくゲスの暗黒卿だった。

 

「社会とは。

 支配者と被支配者によって構築される。

 経済的な支配者。

 独裁者。

 貴族。

 大企業の所有者。

 そして、催眠術師。

 そういった人間が社会を動かす。

 下の人間を支配する。

 時には教育や情報獲得すら制限して支配する。

 そして……いつの日か、支配した対象に全てを覆される。

 いつだって人を支配するのは傲慢な者であり、多くの場合、その結末は―――」

 

 須美と美森には分かる。しずくとシズクにも分かる。

 二組の四人は、それぞれ違う意味でおじさんの言葉の裏にある感情を理解する。

 

 須美と美森は親に対し、複雑な感情を持っていた時期があったから。

 それでいて、親を愛する気持ちはちゃんとあったから。

 ゲスの暗黒卿にどこか親に対する気持ちのようなものを抱いている彼の一面を理解する。

 

 しずくとシズクは親に対し、敵意や拒絶の感情を持っていたから。

 それでいて、親に育てられた自分を捨てられない自覚があるから。

 おじさんがゲスの暗黒卿を殺す覚悟を決めて、しっかりとした敵意を持とうとしても、その気持ちが自然と折れそうになってしまう苦しみ。そんな彼の一面を、二人は理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻。

 帰り道を送ってくれたおじさんに手を振って、しずくは施設に入っていった。

 親が心中したしずくは、当座の生活のため神樹館に歩いて通える距離の施設に入れられていた。

 おじさんに仕事を振られた大赦のメンツもあり、里親探しも進められていて、やがて"次の家"も見つかるだろうという話になっていた。

 大赦の気遣いなのか、施設に少ない個室も与えられている。

 元々の家庭などに問題があって他の子供と共同の寝室で寝られない子供にこういう部屋が与えられる、という話を、しずくは前に盗み聞きして知っていた。

 

 こういう個室で一人で寝ていると、子供は寂しくて泣いてしまうことも多い、という話も、しずくは盗み聞きしていた。

 だがしずくはここで泣いたことなど一度もない。

 寂しさよりも安心感が勝った。

 自分を殴る者が居ない家など初めてだった。

 夜中に寝ている時に叩き起こされて殴られる心配がない家は初めてだった。

 

 目を閉じて、寝て、でも寝ている時に叩き起こされてまた殴られるかもしれない、夢と現実の区別がつかないまま殴られる気持ち悪い時間が来るかもしれない……そう思いながら、怯えと共にベッドに入ることはもうないのだ。

 しずくにとって夜寝ることは、夜の虐待を恐れながら寝床に入ることであり、朝起きることは、その一日の虐待を恐れながら寝床から出ることだった。

 

 だから今の彼女は、たとえようもなく、救われていた。

 

『大変な話聞いた気がすんな、オイ』

 

「うん」

 

『お役目ってのは面倒なことやってんだなあ。そりゃ勇者とか言うわけだ』

 

 まだ眠くはならないから、しずくは椅子に座ってぼんやりとする。

 話し相手はいつも自分の内にいるから、飽きることはない。

 

『俺もしずくも、あいつらみたいな"特別"じゃねえんだよなあ』

 

「うん」

 

 特別な催眠使いの世界外来。

 特別な勇者。

 選ばれし者ばかりだ。

 その中にしずく/シズクが混ざっているのは、特殊な二重人格ゆえの特殊体質、それ以外に何も理由はない。

 須美達は普通に同級生として接しており、須美達から見れば壁は無かったが、しずく/シズクから見れば、自分と特別な者達の間には壁があった。

 

 尊敬できる特別な人間と自分の間に立っている、うっすらとした透明な壁が。

 

『昼飯、満足できたか?』

 

「お腹いっぱいになった」

 

『お前がお腹いっぱいなら、俺は満足だよ』

 

「……」

 

『ん? どうした?』

 

「なんでもない」

 

 記憶は共有できる。

 心を繋げることもできる。

 ただ、伝えようとしない表層の思考は伝わらない。

 しずくは言おうとしたことを言わず、沈黙を選び、その思考は記憶にもならず霧散した。

 

『オセロってのがあるな、やるか?』

 

「記憶共有してるからやる意味がないかも」

 

『あーそうだよな。先読みしたら意味ねーな! うはは!』

 

「魔法使いさんの笑いがうつってる」

 

『えーマジかよ最悪だ。あいつの笑い方とかばっちぃだろ、ぺっぺっ』

 

「もう」

 

 いつものように会話をする。

 これまでのような日々の会話を続ける。

 けれど、何か足りないような、物足りないような感触があって、しずくは首を傾げる。

 それが、『皆』で話す楽しさを知ってしまったからだということに、しずくは気付かない。

 

 いつも、話し相手はシズクしかいなかった。それが当たり前だった。

 自分の心から生み出したもう一つの人格と話すことで、自分を満足させてきた。

 そんな彼女が『皆』と、『自分ではない人』と会話する楽しみを知ってしまえば、もうそこから離れようとは思わないだろう。

 『自分ではない人』と話すのは、新鮮で、楽しくて、予想もしない言葉が出てきて……「ああ、これが生きてるってことなんだ」と、しずくもシズクも、心のどこかで感じていた。

 

「また話したいね」

 

『そんな機会そうそうあるとは思わねーけどな。俺達とあいつらは友達じゃねえんだ』

 

「……」

 

『……ま、期待する分にはいいんじゃねえか。期待するだけならタダだしよ』

 

「!」

 

『あいつら、なんかかっこよかった。

 なんか尊かった。

 なんとなくだけど……

 あいつらなら、しずくの期待を裏切らない。そんな気がする。あのオッサンは特に』

 

「シズク……」

 

『あーなんか俺らしくないこと言ってる! 忘れろ! 忘れてくれ!』

 

「シズクが覚えてるから私も覚えてる」

 

『あー!』

 

 この施設の門限は早い。

 子供のための施設だからだ。

 冬は16時半頃、夏は17時半頃には点呼を行い、全員居るのを確認して門を閉める。

 居ない子がいたら大人が探しに行き、見つからなければ大騒ぎだ。

 門限の後、子供達の自由時間があって、晩御飯の時間があり、また自由時間があって、その後消灯である。

 夜ふかしは厳禁だ。

 といっても、しずくにもシズクにも、まだ夜ふかしになるような趣味なんてないけれども。

 

 晩御飯を無言で食べ終わって風呂にも入ったしずくは、時計を見やる。

 もう20時を回っていた。何気なく、今日のことを思い出す。

 21時を回る。消灯時間がやってくる。電気が消えて、それでもしずくは、ぼうっと思い出す。

 22時を回る。それでも何故か、今日皆で話していた時間の記憶が、頭から離れない。

 思い出すだけで、胸の奥がぼうっと暖かくなって、口角が上がってしまう。

 

『楽しかったか?』

 

「うん」

 

 幸せな気持ちで眠れるかも、としずくが思った、その時。

 

 部屋の窓から、コツンと音がした。

 

「?」

 

 しずくが首を傾げて、窓を開ける。

 すると、ぬっと顔が出てきて、しずくの

 よく知ったおじさんの顔が至近距離に現れて、しずくはちょっとパニックになった。

 

「よっ」

 

「!?」

 

『な、なんだお前! 夜這いか!

 しずくにはまだそういうのはえーんだよ! 失せろ! 死ね! いや殺す!

 オラかかってこい! しずく、危機感だ! これはヤベえぞ! 俺に代われ!』

 

「やっぱり起きてたな。

 小生の読みは大当たりだったわけだ。

 ちょっと着替えな。あ、靴は買ってきたからこれを履け」

 

「?」

『……?』

 

 しずくはのそのそ着替えて、おじさんの渡した靴を履き、外に出た。

 ママチャリにまたがったおじさんは、荷台の座布団をポンポンと叩き、何故か得意げだった。

 

「……何か用?」

 

「小生が本来ダークサイドの催眠おじさんであることを思い知らせてやろうと思ってな」

 

「?」

『台詞がバカ丸出しで困るんだが……オッサン悪役の才能ねえぞ』

 

「お前も今日からかなり悪い子だぞ、ケッケッケ。チャリ取ってきたからな、後ろ乗れ」

 

 しずくはおじさんの自転車の荷台にちょこんと座り、おじさんが自転車をこぎ始める。

 

 季節は夏。

 夜中も暑い。

 だが昼間ほどは暑くなくて、昼間にあった『上から暑さが降ってくる』ような感覚がなくて、地面から湧き上がるような不思議な暑さがあった。

 自転車に乗っているしずくに風があたり、それが涼しくて心地いい。

 

 服の下のちょっと汗ばんだところと、汗で服が体に貼り付いているのがちょっと恥ずかしくて、服をパタパタして乾かしていると、そこにも夏の風が入ってくる。

 夏の風に乗って、彼の匂いが少し流れてくる。

 それもちょっと気恥ずかしくて、しずくは自分が普段無表情であることに感謝した。

 今は、どんな顔をすればいいのか分からなかったから。

 

(なんだろ。わくわくする)

 

 いけないことをしている。そんな気がして、しずくはいつしか微笑んでいた。

 そして気付く。

 自分がまた、変わっていることに。

 

 しずくにとって、"してはいけないこと"は恐怖だった。

 彼女の親は殴るために殴る理由を探した。虐待の典型例のように。

 そして殴る度に、"お前はしてはいけないことをした"と言い続けた。

 しずくが無感情に見えるのも、『感情を出すのはしてはいけないこと』になってしまったからだと言える。

 してはいけないことを、絶対にしないようにする。

 大人の言うことには、絶対に逆らわないようにする。

 彼女の短い人生は、ずっとそんな繰り返しだった。

 

 なのに今、彼女は笑って、してはいけないことをしている。

 消灯時間以後部屋からは出るなと言われているのに。

 門限の後に外に出てはいけないと言われているのに。

 "大人の言うこと"を無視して、おじさんと一緒に外を駆けている。

 してはいけないことをしながら、しずくは笑っていた。

 

 『してはいけないことをしても殴られない権利』を、おじさんが彼女に与えている。

 

 してはいけないことをしても怒られない今を、しずくは楽しんでいる。

 

 それはきっと、『いい子でなければ殴られる』山伏家には無かったもので、彼女が今日始めて味わう、悪い子の幸せだった。

 

「どこに行くの?」

 

「それは着いてのお楽しみよォ。あ、そうそう、オラッ! 催眠!」

 

「!?」

 

「普段からああだと不便だろ。

 二人の合意があればいつでも人格交代できるようにしといたぞ。

 片方が嫌がれば交代はできねえからな。

 今日みてえなクソ催眠野郎が来ても問題はナッシングだ。

 あ、命の危機を前にすると勝手に代わるのはそのままだから注意しとけ」

 

「マジか!? ……マジだ! 俺が危険な状況でもねえのに表に出てる!」

 

『わー、これはすごい』

 

 おじさんがちょこっとだけ精神の構造にメスを入れ、びっくりしたシズクがちょっと落ちそうになり、慌てておじさんにしがみつく。

 

「シズク! そのまんまでいろ! 用があるのはお前だ!」

 

「はああああああああああ!? 俺!? 俺と何もすることねーだろ、こんな時間に!」

 

「あるね! ヒャッハー! ケイデンスを倍にするぞ!」

 

 おじさんがラーメンの屋台の前で、自転車を止めた時。

 

『……ああ』

 

 当事者のシズクではなく、それを隣で見ているしずくが、彼の意図を理解した。

 

「入るぞ」

 

「あ、おいちょっと待てよ! なんで俺をラーメンの屋台に連れて来てんだよ!」

 

「いらっしゃ……おお、常連さんじゃないか。

 また来たのかい。今日は女の子? この前のおじさん達また連れて来ておくれよ」

 

「東郷&鷲尾のオッサン達は最近健康診断に引っかかってな……小生しか来れん」

 

「ああ……大変だねえ」

 

「ま、今日はこのレディをもてなしてくれ。最高のラーメンを頼む」

 

「はいよっ」

 

 ラーメン屋の親父がくっくっくと笑い、シズクが座らせられて、おじさんがその隣に座る。

 

「なんなんだ一体……」

 

『魔法使いさんは、シズクを連れて来たかったんだよ』

 

「そりゃ分かるけど」

 

『今日のお昼、シズクだけ美味しいもの食べてなかったから』

 

「―――は?」

 

『だから、連れて来たんだよ。私が食べたのが、ラーメンだったから』

 

「え……いや、んな、俺別にそんな……しずくが満足だったら、それで」

 

『私は、しずくも満足できてたら、嬉しかったな。心残り。……だったのかも』

 

「っ」

 

『これ、私を気遣ったのか……

 それとも、シズクを気遣ったのか……

 ううん。きっと、どっちも、なんだろうね』

 

 シズクの視線が右に行き、左に行き、上に行き、下に行き、戸惑いの果てにシズクはおじさんの背中をバシッと叩いた。

 

「あ痛っ」

 

「余っ計なことしやがって! しずくだけ気遣ってりゃいいんだよ! このバカ!」

 

「ふん……

 これは罪の痛み……

 そして深夜のラーメンは罪の味だ……この意味が分かるな?」

 

「全然分からん」

 

「はぁーシズクちゃんは風情がわからないんすねー反省して小生に感謝しろよ? ん?」

 

「腹立つ!」

 

「んんっ」

 

 もう一発、シズクは平手で叩いた。

 

「……ありがとよ」

 

 シズクがお礼を言い、おじさんはスマホの録音を止めた。

 

「貴重なもん録れたわ」

 

「殺す!!!!!」

 

 喧々諤々二人は衝突していたが、ラーメンが来るとピタリと止まる。

 徳島系の流れを組む魚介系(香川系)スープは美味で、シズクの舌にバッチリ合った。

 おじさんもうめうめ言いながらラーメンをかっこんでいる。

 

「おいシズク、この夜のことは秘密だぞ?

 最近安芸さんも催眠効いてんのか微妙なんだよなあ……

 バレるとメチャクチャに怒られる。

 多分須美にも怒られる。小学生女子に怒られるのは……尊厳が削れる」

 

「情けないこと言ってんじゃねえよ……わぁったわぁった、俺達の秘密な」

 

「ありがとよ。助かる。親父! このレディに替え玉を頼む! あと半ライス!」

 

「はいよ」

 

 ラーメンをすすっていると、夏の風が吹く。

 屋台の風鈴がチリンと鳴った。

 おじさんが注文してくれた替え玉を丼に入れるだけで、なんだか楽しい気持ちになって。

 白い前髪が風に揺れると、外で食事をしている感が増して、なんだか食事が新鮮で。

 ラーメン屋の親父とおじさんが笑って、笑い声に包まれてラーメンを食べていると、なんだか幸せを感じられる気がして。

 

 しずくはとても心が穏やかで、心が暖かになっていった。

 心だけがお風呂に浸かっているような、そんな気持ち。

 心だけが、暖かな春の草原にいるような、そんな気分だった。

 

「なんか……普通だな。普通なんだけどさ。俺には特別っていうか……よく分かんねえ」

 

 シズクの口から、ぽろっと心の言葉が漏れる。

 おじさんも笑って、屋台の安い割り箸で丼を叩いて、かんかんと音を慣らしていた。

 

「普通の幸せって、あるといいもんだよな。クカカッ」

 

 笑うのが下手だな、とシズクは思う。

 

『そうだね。うん。普通の幸せ。……私も、そう思う』

 

 しずくもまた、シズクの中で微笑んでいた。

 

 そんな空気が、おじさんに酒が入ってくると変わってくる。

 

「なんだよあのホモ野郎……!

 トラウマだよ……!

 思い出したくねえ……!

 でも思い出す……!

 辛かった……! きつかった……!

 小生の人生こんなんばっかし……!

 恋ってなんなの……? 恋って綺麗なもんじゃないの……!?」

 

「大変だな、催おじ……酒ってそんなに美味いのか? ちょっとくれ……うわ不味っ」

 

「酒なんてアルコール入ってるだけの臭え不味い水だぞ。味だけならコーラの方がいい」

 

「なんでそんなもんを浴びるように飲んでんだよ。バカなのか?」

 

「は? バカって言ったやつがバカなんだが? はいシズクバカ」

 

「じゃあテメーもバカだろうがあぁん!?」

 

 別の意味で、シズクも笑い始めていた。

 

『シズク、代わって』

 

「ん? おお」

 

『ほら代わったぞ』

 

「ありがとう」

 

 代わって出て来たしずくが、ホモ・トラウマ・ダメージングに蝕まれるおじさんの頭を、ぽんぽんと撫でる。

 

「よしよし。泣いていいよ」

 

「泣くかあ……俺はこの夏30になるんだぞ……立派なおっさんですぅ……」

 

「よしよし。おっさんでも、泣いていいよ」

 

「駄目ですぅ……小生は……泣いてる子供を抱きしめる方ですわよ……」

 

『ダメなオッサンだなこいつ。しゃーねえ、困った時はこのシズク様を頼っていいぞ』

 

「シズクが頼れって言ってる」

 

「小生は小中学生には頼りません……焼酎学生……マスター、もう一杯くれ」

 

『うわぁダメな大人だ! なんだこいつ!』

 

 ラーメン屋台の店主が、とっておきのプリンをサービスでしずくに出しながら、腹が捩れそうなくらいに大いに笑っていた。

 

 

 

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