催眠おじさんVS美少女勇者:地球最大の決戦!RtA 作:ルシエド
「おじさまって悪く言うと舐められやすい、良く言えば親しみやすい人ですよね……」
「なんだ突然。催眠で操った人間は尽くが小生を崇め奉るんだが?」
「いえ、なんというか……
神樹館には色んな先生が居るんです。
慕われてるけど仏頂面の安芸先生。
小学生にも敬語を全く使われずナナちゃんと呼ばれてる先生。
顔が怖くて怒鳴り声が大きくて誰からも怖がられてる通称ゴリ松先生……」
「いい加減ゴリ松の本名が知りたくなってきたな神樹館」
「その……おじさまは、親しまれて、怖がられない人でしょう?」
「威厳が無いってハッキリ言え! 無駄に気遣うなハゲ!」
「ハゲてません! もう。おじさまには何が足りないんでしょうね?」
「おバカ!
威圧感のある催眠種付けおじさんが居るか!
催眠で逆転する時のカタルシスが消えるだろ!
そういうのは別の種付けおじさんの役目なんだ!
催眠おじさんの外見は情けなさ・醜さ・穏やかさ・陰キャっぽさが大事なんだ!
できる限り見下される顔と雰囲気が大事なんだ! それが趣! 雅なんだよ!」
「はぁ……おじさまを醜いって思ったことはないですけどね、私」
「お、おう。急にそんなこと言うなよ。嬉しいだろ」
「可愛いなぁこの人……」
「あ゛? 舐めてんのかメスガキ」
「見下される方がいいんじゃないんですか?」
「まあそうなんだけどさ……」
威圧感のあるゴリマッチョの強面男の催眠おじさんは、遺伝子的に存在する可能性が低いと、科学的に証明されている。
壁際の席で並んで座る二人は、ハンバーガーを食べ始めた。
須美が一口食べてハッとする。
「……美味しい」
「うむ。食わず嫌いはよろしくない。日本の外で生まれても美味いものは美味いのだ」
「でも私は……ハンバーガーよりは白米、うどん、ぼたもちの方が好きですね」
「好きなもん言え。好きなもん食え。小生が奢ってやる。いやまあ高くないのならだが」
「あ、ならおじさまも好きなもの言ってください。私が家で作りますから」
「しまったな……
精神的優位を取ろうとしたら取り返されちまった。
みー子の料理は店の飯より強い……みー子に優位とマウントを取られてしまう」
「そんな大仰な。褒めても朝ご飯にハンバーガーくらいしか出ませんよ?」
「……随分譲歩したな」
「昔、私が鷲尾の家に来た時のことを思い出したんです。
前に話しましたっけ?
私、視野が狭くて。
自分の居場所を作ろうとしてて必死で。
鷲尾の家に自分が染まるのが怖くて。
我慢できないことを通そうとしてて。
洋食派だった鷲尾の家の朝御飯を、和食に染めちゃったんです。
……今思うと、鷲尾の両親が合わせてくれたのもあったのかな、って」
「さて。それは聞いてみねえと分からんな」
「私、ずっと周りに合わせてもらってます。
家族にも。
銀にもそのっちにも。
おじさまにもです。
今度は私がおじさまの好きな食べ物に合わせる番なのかな……って。なんだかそう思えて」
「……お前は鷲尾家の誇りだよ。ったく。多分、家に来た日からずっとそうなんだろうな」
おじさんはポテトをガツガツ食いながら笑った。
好きな人のためなら変われる。
大切な人のために自分を曲げられる。
けれどその奥に曲がらない一本筋がある。
真面目すぎる堅物でクラスメイトに距離を取られがちなのが今の須美だが、それもきっとすぐに柔らかくなって、多くの人が彼女を愛するようになるだろう。
変わっていないけど、変わっていっている、そんな須美を見守ることに、おじさんは親が子の成長を見るような幸福を感じていた。
「でもお前の和食が好きだからな、小生は。朝は毎朝お前の好きな和食で頼む」
「はい!」
「フィレオフィッシュよりお前の白身魚の煮魚の方が美味い」
「……はい!」
赤くなった頬に手を当てて冷まそうとしている須美が可愛らしくて、自分が催眠無しでも他人を幸せな気持ちにできることが誇らしくて、おじさんの胸の内が暖かくなる。
そこで須美がおじさんの顔を見つめて、気付き、手を伸ばした。
「ほっぺたについてましたよ。ふふっ」
須美の手が、おじさんの頬に付いたポテトの欠片を取り、そのまま食べようとして止まり、一秒の停止の後、バーガーの包み紙の中に戻した。
こほん、と須美は咳払い。
それでごまかせたつもりらしい。
おじさんはごまかされてあげることにした。
「今の私、ちょっと東郷さんみたいでしたか?」
「大分美森だったな」
「くっ……段々とあの人になっていってる気がする……!」
「ま、悪いことじゃないだろ。
須美より美森の方が人生楽しんでる感じはするからな。あっちの方が幸せそうだ」
「私の幸せは私が決めます。あの人はあの人、私は私です」
「っと、そうだな。悪い」
「悪くないです。私の幸せを考えてくれることは、悪いわけがないですから」
須美は澄ました顔で微笑み、バーガーを食べようとして、バーガーに挟まっていたピクルスをボロッボロ落とした。
「……ち、違うんです、わざとでは……」
「あーまあ、慣れてないとそうなるよな」
おじさんは苦笑し、その辺に転がったピクルスを拾って店の隅のゴミ箱に捨てた。
「ビッグマックとか大変だぞ。グラブル廃人の大学生の単位よりポロポロ落ちるからな」
「落ちるもの、ということなんですか?」
「おお。だからこう、バーガーの包み紙から出して持つんじゃねえんだ。
包み紙でバーガー持ったまま、こぼれ落ちるとしても包み紙の中に落ちるように……」
「こ、こうですか?」
「こう。この辺持って……和食と違って難しいのは分かる。でも簡単だからな、ほれ」
おじさんが須美の手を取って、須美にバーガーの食べ方を教える。
須美はおじさんとの距離がいつもより近くなって、一瞬体を強張らせたが、"人にものを教わる時に余計なことを考えてはならない"という生真面目さで、すぐに学ぶことに集中する。
真面目におじさんの手に触れている手元に集中し、不器用ながらそれを真似る。
飾り気の無いシャンプーの香りしかしない須美の髪の香りが、おじさんの鼻孔をくすぐった。
ほどなくして、須美はバーガーの中身がこぼれ落ちない食べ方を覚える。
「よし、100点。お前も今日よりバーガー初心者からバーガーマスターじゃ……」
「初心者からマスターまでの道のりが短すぎませんか……?」
須美が笑って、おじさんが笑う。
「でも全体的にこう、油と塩という感じですね。ジャンクフードと言うのも分かります」
「これがたまらねえんだ。深夜に時々猛烈に食いたくなる感じが小生大好き」
「でも健康には悪いですね。おじさま、今後マックに行く時は私に声をかけてくださいね」
「え゛っ」
「私もついて行きます。こんなもの頻繁に食べていたら栄養が偏りますよ?」
「デートかな?」
「デっ……違います。行くなとは言いません。でも、行き過ぎだと思ったら止めますからね」
「ええー……小生は自由を守るため断固抗議させていただきますよ」
「代わりに深夜にラーメン屋に行ってるのは見逃してあげますから、ね?」
「え゛っ」
「あのあたりはちゃんとおじさまの食事の栄養計算に入れてますから」
「え゛っ」
「せっかく最近のおじさまは精悍になってきたのに、もったいないですよ。
痩せたのが戻っちゃいますし、私と朝走るのについてこれなくなってしまいますよ?」
「須美のせいでイケメンになってしまう~」
「はい、そのイケメンと健康を守ってくださると私は嬉しいです」
「……イケメンじゃねえよお前って突っ込んでくれる人相手じゃねえとこのボケは通らんな」
「他人の顔を褒めておいて自分の顔を卑下するのは卑怯ですよ。
おじさまは気分が楽かもしれませんが、私は気分が悪くなります。
おじさまをバカにする人がいたら、たとえそれがおじさまでも私は嫌です」
「ん……む……すまん。以後気を付ける」
「ありがとうございます。おじさま」
「しかしうーん……なんたることだ……小生の不健康バンザイ生活が終わってしまう……」
ポテトを齧りながら、おじさんがちょっと迷い始める。
須美は別におじさんに禁止などしていない。
ただ、不健康になりそうなマック食い過ぎは止める、というだけの話だ。
だが須美に甘々なおじさんは、ここに須美を踏み込ませるとなし崩しにあんまりマックに来なくなってしまう……と、半ば確信していた。
健康に良い須美の食事ばかり食べて間食も食べなくなってしまう気もしていた。
それは元ダークサイドおじさんとしてはあるまじき姿である。
おじさんが須美から目を逸らすと、そこに、先程話した大赦夫妻の娘二人の片方が居た。
歳は須美と同じくらいか、それより下か。
内気そうな少女は、おじさんと目が合うとビクッとしたが、気丈におじさんに話しかける。
「あ、あの」
「お。姉妹の妹の方か。何か用か?」
「あの、お姉ちゃんとお母さんがごめんなさい。
その……お姉ちゃんはテレビで見たことをそのまま言ってて……」
「おう、まあそんなとこだろう。
子供の言うことは気にしな……いや気にした方がいいな。
年頃の女の子に"そう見えた"っていうのは割と深刻な問題じゃねえの……?」
「おじさま! 私は気にしなくていいと思います!」
「うるせえ! あ、君は気にしなくていいからね。楽しそうなお姉ちゃんでいいじゃないか」
「あ……はい! そ、それでですね、お母さんも、変にツボに入ると笑っちゃう人で……」
「あの人はまあ…………………………大赦で小生と仕事してる時も似た感じだから」
「えっ」
「気にするな。小生は気にしない。小生知ってる。犬吠埼の女は愉快だ」
「えっ」
「今日はどうしたんだ? お前達は夏休みだとして、親は仕事だろう。何かあったのか」
「あ、えと、土日が仕事らしくて。今日は代休なんだそうです」
「土日……あー、なるほどなるほど、そういうことね、小生完璧に理解した」
「おじさま何かご存知なんですか?」
「おう。……マックシェイクも飲みたくなってきたな」
「うちの冷蔵庫にアイスが冷やしてありますよ」
「お、マジ? ってそうじゃねーな、土日の話ね土日の話」
おじさんは飲み切る寸前のコーラの蓋を取り、コーラと氷をまとめて噛み砕き、口を開いた。
この人飴を噛み砕く銀と同じタイプね、と須美は口には出さず思う。
「土日、大赦主催の文化保全目的のコンクールがある。
曲はピアノとヴァイオリン一組ならなんでもあり。
会場にはミュージックステーションのカラフルな階段を用意させた」
「それ絶対要らないやつでしたよね?」
「あの階段を降りる時のトゥルルルートゥルルルルーの曲名知らないから流せなかった……」
「おじさまはコンクールというかバラエティの人材ですよね、本当に。やめましょうね」
「はい……階段も撤去します……」
「というか、おじさまよく知ってましたね。
興味が無いことには一切手を伸ばさないのがおじさまのイメージでした」
「小生も出るからな」
「え」
「えっ?」
本気の困惑の声だった。おじさんは一人だけ得意げな顔である。
「秘密だぞ。当日サプライズで会場を沸かせる予定だからな」
「お、おじさま、頭に何か湧いてしまったんですか?」
「湧いとらんわ! 失礼だな!」
「ご、ごめんなさい。でもおじさまに音痴のイメージが多大にあったので……」
「……フッ、そのイメージは正しい。
小生のリズム感はまあまあクソだ。
だが小生を誘った園子が、名案を出して来た。ま、当日小生の勝利の報告を待ってろ」
「おじさま? 大丈夫ですよね? そのっちとおじさまの組み合わせは爆弾ですよ?」
「『芸術』を―――見せてやるよ」
「だ、駄目よこれは……当日私と銀も行かないと……!」
おじさんがキメ顔をすると、須美が危機感を持ち、少女がくすっと笑った。
家族のことを擁護し謝りに来たのに笑ってしまって、少女は慌てる。
「す、すみません」
「小生の威厳が足りてねえ証拠だなコレ……グググ。君、笑ったことはええんやで」
「やっぱり威厳を維持するために太らない食生活が大切なんですよ、おじさま」
「うーん……しゃあねえ、須美の頼みは断れんしな」
「私のためでなく、自分のためにしてください。健康ってそういうものですよ?」
「自分の健康のために最善を尽くす? ハッ。
それができるなら小学生の頃の小生は虫歯になってねーわ」
「歯磨きサボる子だったんですね……あと自慢げに言わないでください。怒りますからね」
「ウッス。健康にも気を付けるっす」
「よろしい」
須美はコーラをシャカシャカ振って炭酸を抜き、マイルドにしてからゆっくり飲み、おじさんに再度あれこれを確認する。
「大体ですね、おじさまのマック通いを見張る私にもリスクがあるんですよ?
おじさまは忘れてるかもしれませんが、今日は私の付き添いです。
もし私がマクドナルドに来た姿が知り合いに見られたら……分かってますよね? おじさま」
「アタシに見られたらどうなるって?」
「銀に見られたら腹を切るわ」
「ええっ、マジ?」
「銀には特に普段から厳しく言ってますから……
銀にしっかりするよう言ってる私が、普段の言葉と違うことをするんです。
そんなの、銀に申し訳が立ちません。銀に何を言われても私は文句を言えないと思います」
「えー、アタシは気にしてないのになー」
「だから知り合いに見られたら記憶を銀んんんんんん!?!?」
「ナイスリアクション! 須美!」
「ナイスリアクション! みー子!」
「なんでおじさまそっちに回ってるんですか!?」
おじさんと銀が特に意味もなくハイタッチをしていた。
須美がおじさんの襟首を掴んでぐわんぐわん揺らす。
「おじさま! おじさま! 銀の全ての記憶を消してください!」
「廃人化命令怖い」
「違います! いい感じに! 記憶を! デリート! Shift+Delete!」
「わしおじさんアタシの記憶消すんすか? うっへぇ」
「えーどうしよかっなー催眠術の使い方忘れちゃったなー困ったなー」
「おじさまあああああ! 裏切ったんですか!?」
「先に和食を裏切ったのはお前だ!!!!」
「うっ」
「この裏切者が……他人を裏切者呼ばわりするなんざ十年早い!」
「う、ううっ……ごめんなさい……! 和食の皆……! 私は、大和撫子として恥ずかしい!」
「アタシゃマックで和食に土下座する女初めて見たよ」
須美はここではないどこか、和食の神に土下座した。
和食そのものに土下座した。
陳謝である。
迷いの無い土下座に、マクドナルドがどよめいた。
「頭を上げな、みー子……」
「ですが……」
「ほーら高い高い」
「なっ……!? も、持ち上げないでください!」
「ハッハッハ、みー子は軽いな。毎晩体重計乗って気にしてるのに」
「おじさま!!」
土下座をさっさとやめさせるためか、おじさんはふざけた様子で須美の両脇に手を入れて抱き上げて、その場でくるくると回った。
そして壁際席にダンクシュートする。
須美を椅子にちょこんと座らせ、おじさんは銀の肩をぽんぽん叩く。
「銀、からかってやるな。受け入れてやれ」
「ちぇー。アタシはちょっとからかっただけじゃないですかー」
「今日の須美はいい子だからな。あんまりいじってやるな」
「むう……しょうがいなあ、須美は」
「ほらみー子、銀が許してくれたんだからお礼言わないと」
「え? あ、ありがとう、銀」
「小生にも感謝しなさい」
「え? あ、ありがとうございます、おじさま」
「いいってことよ。またマック食いに来ような」
「はい! ……? あれなんだか混乱してる隙を突かれて丸め込まれたような……?」
「須美は可愛いなぁ。あ、アタシも昼御飯買わないと」
犬吠埼家の末っ子は『おかしい、一番この女の子をいじってたのはこのおじさんだったはず』と戦慄していた。
「場は……暖まったみたいだね~」
「! その声は……SONO'CHIさん!」
グラサンを身に着けた乃木園子まで現れた。
この時点で、須美のマクドナルド来訪が明日神樹館中の話題になることが確定した。
「待たせたみたいだね、インチキおじさん。主役の登場だよ~」
「園子はアタシと来たけど出待ちしてただけだぞ」
「待ってないけど待ってたぜ! 土曜が本番だ、分かってるか? お前の音楽を見せてくれ」
「foo……やってみせるよ、オリコン一位に乃木園子とおじさんの名前を刻んで見せるぜ~!」
「ヒュー! 流石です園子さん! オリコンは関係ねえよ思い上がりホリエモン級か?」
園子がグラサンを放り投げ、キャッチしたおじさんがグラサンをかける。
「行こうインチキおじさん。ピリオドの向こう側へ」
「ピリオドの向こう側に何があるか実は知らないんだ小生……」
「知らないの? じゃあ私が教えてあげるよ。私も知らないけど」
「ありがとうよ、そのそのそのっち……!」
「行こう、無限大の彼方へ……!」
「なんか目的地変わったな……!」
「そうだね……!」
「行くか……!」
「園だね……!」
そんな全てを置き去りにする二人を、犬吠埼家の末っ子が見ていた。
そして翌日。
そんな全てを置き去りにする二人が参加するというコンクールに、犬吠埼の末っ子は来てしまっていた。
「ど、どうなってしまうんだろう……」
少女は音楽が好きだった。
だから来た。
そこまではいい。
だが、そこに大怪獣が来るとなればどうだろう。
少女は大怪獣が来るかも、といった心持ちで、音楽を聴きに来たのである。
音楽を楽しみにしつつ、昨日見たモンスター達が何をするか、ちょっと楽しみにしていた。
そんな少女の後ろでは、歳の近そうな少女らがこそこそと内緒話をしていた。
「ちょっと銀、もっと前の席はないの?」
「無理言うな。こんだけの人が来てんだぞ。前の方に須美のデカい尻が入る隙間は無いよ」
「デカ……そんなにデカくないわよ! 東郷さんと比べれば小さいわ!」
「そりゃ比較対象がデカいだけだろ……? とにかく、これ以上前の席は無理だって」
「ぐぬぬ……この距離でもしもの時に動けるかしら……?」
「ま、大丈夫だろ。
あの二人はめっちゃ自由だが道理は弁えてる。
コンクールを台無しにするようなことまではしないだろ。
むしろルールで許される範囲で観客の頭おかしくしてきそうなのが怖い」
「そうね……そうかもしれないわ。ルールはどうだったかしら」
「審査員投票と観客投票。
観客側の票が全部で100票。
審査員が5人でそれぞれ100票持ってる。
合計600票が最高得点で、その中で点数競うぜって感じ」
「よかった。変なことしたら審査員が即刻落としてくれそうだもの」
「あ、安芸先生が審査員にいるぞ。黒スーツだ、はー、大人の女って感じでかっけー」
「え? あ、本当ね。学校が夏休みだからこういう仕事もしてるのかしら……?」
「お、始まった……ってトップバッター園子とわしおじさん!?」
「このコンクールの運営者を更迭しなさい。無能よ」
「やべえぞやべ……二人グラサンかけてる!」
「芸能人気取りのそのっちとおじさまに妙に腹が立つわね」
「って、ミュージックステーションだ!」
「ミュージックステーションの手を振りながら入場してくるやつ!」
「ヤバい! 会場がもうミュージックステーションになってる!」
おじさんと園子がサングラスを豪快に投げ捨てたその時にはもう、彼と彼女はその空間を完璧に『支配』していた。
「始めてください」
安芸の声が響く。
園子がヴァイオリンを構え、おじさんがピアノの鍵盤の蓋を開ける。
そして園子がヴァイオリンを投げ捨て、おじさんが蓋を閉じた。
おじさんがステージに布団を敷き、園子がサンチョのぬいぐるみを枕にして布団に入り、寝息を立て始める。
「は?」
満ちる困惑。33秒が経過し、おじさんが手を叩き、声を上げた。
「はいっ!」
「むにゃむにゃ」
園子が起きて、また寝始める。
審査員の安芸が、戦慄の表情で立ち上がった。
「これはまさか……『4'33"』……『4分33秒』!?」
「知っているのか安芸!?」
「第一楽章、33秒、『休み』!
第二楽章、2分40秒、『休み』!
第三楽章、1分20秒、『休み』!
全てが休みの無音の音楽!
旧世紀の1952年にジョン・ケージが生み出した前衛楽曲です!
旧世紀にはオーケストラを集めてただ休むだけの合唱も行われました!
休むだけの無音合唱は音楽媒体化され、そこそこ売れて流通したと聞きます!」
「!?」
すやすやそのっちは芸術。
「『音を音そのものとして聞く』。
それがこの音楽芸術の本質です。
演奏された音は人工の音でしかない。
ゆえに、演奏しないことで、偶然の音を聞く。
無音の演奏を選んだ、ということです!
それは加工されていない海のさざなみにもたとえられる……!
おそらく、表現技法は『休み』!
すなわち、『寝る』!
乃木園子さんの寝息を聞け! ということです!
かつて、伝説のピアニスト・チューダーがこれを演奏しました。
鍵盤の蓋を閉じることで演奏開始とし、開けることで終了としたとのことです。
普通の逆です。ならばこの演奏は、彼が蓋を開け、彼女がヴァイオリンを拾い終わります!」
「なんだと……!? これも芸術だというのか!?」
「なるほど……園子さんの寝息を聴かせる演奏……素材の良さを活かしていますね」
「寝息の無音を聴く、というわけですね」
「怒らないでくださいね。ただ寝てるだけじゃないですか」
2分40秒が経過する。
「はいっ!」
おじさんが手を叩き声を上げると、園子が起きて、布団から出て、おじさんが代わりに布団に入っていく。
園子がおじさんの頭を撫でてやると、すぐにおじさんは眠りに入り、寝息を立て始める。
園子は優しい微笑みで、おじさんの頭を撫でてやっていた。
「むにゃむにゃ」
安芸の眼鏡が冷たい光を放ち、安芸の指が知性を感じさせる動きで眼鏡を押し上げる。
「寝る人間が変わった……!? まさか、そのために楽章の区切りを……!?」
「安芸! これは一体!?」
「『4分33秒』は、正規な曲名すら無い曲です。
『4分33秒』は通称に過ぎない。
何故ならこれは『無音』だからです。
ただの無音。
されど無音。
この芸術概念では、無音を有音と等価と考えます。
彼と彼女は別の寝息、別の無音を作ったんです。
僅かな違い。僅かに違う無音の世界。
寝息だけが響くこの無音の空間。
彼と彼女の僅かに違う寝息の音が……『無音』というものを浮き彫りにする―――!!」
寝る時に隣にそのっちが傍に居て頭を撫でてくれるのは芸術。
「ケージが見出した真理がここにはあります。
この世に真の無音はない。
聞き手の心の臓が動く限り、真の無音を聞くことはない。
無音と呼ばれる空間の中には、ささやかな音が混じっている。
無音と有音は同じ世界にある。
音は永遠にある。
その人間の人生が終わるまでずっと響いている。
その人間の人生が終わってもずっと響いている。
無音は永遠。
音楽も永遠。
音楽というものは、永遠に続くものであるという希望。
その空間を音で満たさなくてもいいのだと。
静かなる場所で無音を聞こうとしてなお音が在る、それこそが音楽の未来の希望なのだと……」
「深読みしすぎでは?」
そして4分33秒の芸術の時間が終わろうとした、その時。
おじさんを包み込んでいた布団が吹っ飛んだ。
「ふ―――布団が―――吹っ飛んだ―――?」
「安芸! なんなんだこれは!」
「"布団が吹っ飛んだ"んです……
無音で布団が吹っ飛びました。
あれはラウシェンバーグなどが取り入れたもの……
『無い』を『有る』とするもの。
虚無の視覚化。
無音を聞くという概念を視覚に訴えたコンバーティング。
だから白い布団を選んだ!
画家が無音の演奏を、白色のCanvasをそのまま出すことで表現したように」
「深読みしすぎでは?」
「見てご覧なさい。あの二人がもう布団の中にいません」
「あっ……本当だ!」
「音は"在り"。
音は"無く"。
そして、最後には……」
そして、園子をお姫様抱っこし黄金に輝くおじさんが、壁から生えてきた。
音楽は、壁で反射し耳に届くもの。
音楽そのものと化した彼らが壁から生まれることで、この芸術は完成する。
おじさんは鍵盤の蓋を開け、おじさんと園子が二人でヴァイオリンを高く掲げた。
「「 ―――跡部
新しい国が生まれた……!
爆笑、歓声、困惑、野次、その他諸々の声が一斉に上がる。
「おおおおおおおおっ!! なんかよくわからんが芸術だったぞ!!」
「お……おお? おおおおおおおお!!」
「……なんか……そうだ……酷い風邪引いた時にこういう夢見るんだよな……」
「超統領……やはり俺達のトップはあんたしかいねえぜ……!」
須美は天を仰いだ。
「おじさまが親しみ持たれやすい理由とかって絶対容姿じゃないわ……」
銀は床を見つめた。
「地獄だ……地獄が生まれた……この後に普通にコンクールやれって言うのか……!」
「地獄ね……」
トップバッターがこれで、どう次が演奏すれば良いのか。
次に誰が演奏しても白けるのではないか。
審査員のほとんどが絶望の空気に包まれていた。
会場全体に"あーコンクール終わった終わった、すごかったね"という空気が広がっていた。
もう終わった感じになってしまっていた。
まるでシーズン途中で優勝が消えた阪神のように、消化試合感が満ち満ちていた。
「次の方、どうぞ」
そんな空気の中、二番手がステージに上がる。
「催眠剣豪・フレンドに出したサーヴァントを催眠で落とすおじさんです。それでは一曲」
「地獄に宇宙開闢が訪れたぞ」
「僕おじさんなんでこういうのど自慢大会出るの初めてなんですよね。では、すぅー」
「おいカメラ止めろ!」
ロックンロールが始まる。