催眠おじさんVS美少女勇者:地球最大の決戦!RtA 作:ルシエド
くっくっくっ、とおじさんは笑う。
「尊い人間の自由意志を奪って傀儡とし、踏み躙るが催眠術師。そうだろう?」
彼の目の前には、催眠で自意識が消失し、虚ろな目で椅子に座っている須美がいた。
朝の習慣の水垢離――体を冷水で流し清浄にし、神仏に祈願する水行。この世界ではこれで神に繋がる力を高めることができる――の後の須美は、拭くために髪を下ろしていた。
いつも折り上げている黒髪は、下ろせば肩甲骨も覆うほどに長く、それでいて高級な絹糸を黒く染めたもののように美しい。
須美の宝石のような色合いの瞳、白磁器のような白く美しい肌、全体的に整った容姿に、黒い長髪がよく映えていた。
普段折り上げているのに髪に癖がついてないのは、髪質の問題で、生来美人になる才能があるとしか言いようがない。
この大人っぽい髪型であったなら、おじさんも須美を大学生だと思っていただろう。
逆に言えば、普段は髪をまとめて折り上げているため、活発な子供の印象や、やんちゃな女の子の印象が強いのだ。
体の発育が優れているため、流石に少年に見えるということはないだろう。
勇者が戦う者であるなら、長い髪をまとめているのは、戦闘の邪魔にならないようにしたいという考えもあるのかもしれない。
髪をまとめることもせず、虚ろな目でどんな命令も受容する状態にある今の須美は、いかなる命令も受け入れてしまう状態にある。
この状態の須美には何をしても記憶すら残らない。
むき出しの心はあまりにも弱い。
ダークサイドの催眠術師であるおじさんに何を言われても、その通りにするだろう。
「弱音を気高い意思で踏み越え、"勇気ある者"として振る舞っていた鷲尾須美はもういない」
須美の意思は取り上げられ、おじさんの手の中にある。
「お前の明日はとうに小生のものだ。
さて、この世界で最初に勇者を手中に収められたのは幸運だったが、さてどうするか」
くっくっく、とおじさんが笑い、おじさんの腹が鳴る。
数秒の沈黙。
おじさんが指をぱちんと鳴らすと、須美の自意識消失状態が消え、デフォルトの催眠状態にまで戻って来た。
須美には催眠のスイッチである指の鳴る音は聞こえなかったが、おじさんの腹が鳴る音は何故か聞こえていたらしく、須美はちょっと笑いをこらえるような表情をしていた。
「……腹減ったな。朝飯を頼む」
「はい!」
須美が髪を軽く束ねて、台所に向かった。
とんとんとん、と小気味の良い料理の音が聞こえてきて、ほどなくして須美が料理を配膳してくる。白米、味噌汁、焼鮭、漬物といったベーシックなラインナップ。
この歳にして須美は和食の料理技法を相当なレベルまで極めていた。
おじさんが鷲尾家に寄生するクソ虫と化してから既に数日が経過していた。
おじさんは毎日須美の作る食事を食べていたが、その美味さにしっかり胃袋を掴まれてしまっていた。
須美の存在が不都合になれば精神を壊して証拠を消してトンズラ、という選択肢もあったはずのおじさんは、もうすっかり何かあっても須美を切り捨てるのを躊躇うおじさんになっていた。
須美の和食の味に魅了されている。
「美味いな。その歳で大したもんだ」
「えへへ……こほん。
いえ、まだまだ大したことはありません。
この鷲尾須美、未だ精進中の身です。
以後もおじさまの舌に合うような料理を作ってみせます」
「小生みたいなのに目をつけられなければ良妻賢母だったろうになあ、気の毒に」
「りょ、良妻賢母だなんて……まだ大和撫子が精一杯です!」
須美は真面目くさった表情で、背筋をピンと伸ばし、敬礼をした。
おじさんはもうアラサーに入って数年の人間なので、油物が多少キツい。
朝から重い食事もちょっとキツい。
"無理"じゃないのがおじさんらしい。
それでも豚カツも豚骨ラーメンも大好きな将来的体型豚野郎一直線のおじさんである。
だがしょうがない。
おじさんは糖分と塩分と脂肪分が大好きなのだ。
たとえ、体が受け付けなくなっても。
そんなおじさんを健康に良い和食で魅了した須美の料理の腕は、文句なしの最高クラスだ。
おじさんは焼鮭で米が進み、漬物の酸味と旨味で口内をさっぱりさせ、また鮭と米を食らい、ワカメと豆腐の味噌汁を流し込む。
もはやアラサー相応に元気の無い体しか持っていないおじさんの体に、須美の健康的な和食はよく合致したようだ。
「しかしなんで和食だけなんだ。普通パンとかも定期的に出すものなんじゃないのか」
「……おじさまが望むなら……出し……出しますが……?」
「な、なんだその苦渋の顔は……いや別に和食で良いぞ、めっちゃ美味いからな」
「そうですか! では和食だけ出しますね!
おじさまはお父様やお母様みたいな洋食派じゃなかったようで良かったです! 大好き!」
「うおっ、なんだこいつ、和食好きなのか? そんなに?」
「和食は私達の魂です。鬼畜米英の洋食になんて手を出すべきじゃありませんよ?」
「なんだこのロリ右翼!?」
「愛国はこの国に住まう者の義務です!
この美しい国を守る、それが勇者の使命!
この国の美しき文化を守る、それが人々の使命!
朝は洋食ではなく和食! それだけはこの家でも通させていただきました!」
「……お前みたいにそんなこと言ってる子供他にいるのか? だとしたら凄い世界だが」
「いいえ! ですが必ずや、啓蒙で皆に愛国思想を植え付けてみせます!」
「ただの右翼じゃねーな……右翼の頂点、キャプテン右翼だ」
おじさんの中の須美の印象がちょっとばかり修正される。
数日前は須美に同情しかしていなかったおじさんだが、洋食派だった鷲尾家が今は完全に和食派になっているのを見ると、須美も須美で大分いい性格をしているようだ。
芯に強さがある。
彼女がかわいそうなのは確かな事実だ。
だがかわいそう、というだけで終わらず、苦痛や不幸に耐えてそれを乗り越える心の強さが、須美の中にはあった。
それは泥の中で咲く花のようで、闇の中で輝く光のような強さでもある。
ただまあそれも、おじさんの催眠には敵わなかったようだが。
「今日は土曜日だ。飯食い終わったらお前の本当の親に会いに行くぞ」
「―――え?」
「お前、この家に来てから一度も会ってないんだろう。
親子が会うのにそんな特別な理由は要らん。たまに顔見せに行くくらいでいい」
「で、でも。
大赦の人が前の家の家族には会わないようにって。
勇者に相応しい家格の家の子になったんだから、過去は忘れろって……」
「構わん。この世界はほどなくして小生が支配者になる世界だ。
好き勝手にやる権利を先取りしたところで誰にも文句は言わせん」
「大分距離が……
神樹館と私の昔の家でも、400km以上離れてますよ? 車でも一時間以上です」
「電車でまったり行けばいい。朝出発して夕方帰ってくればいいだろう」
「今日は弓道と空手の稽古があるんです」
「今日は休め」
「そんなの不良じゃないですか!」
「『小生の言うことを聞いたら良い子で聞かなかったら不良だ』」
「はい……須美おじさまの言うことを聞きます……」
「本当に面倒くっせえ女だな」
二人は外出の準備をして、秋にしては比較的暑い、陽光が照らす中外出を観光した。
須美は髪をまとめて折り上げるいつもの髪型に、青・水色・白の長袖ワンピース、軽い荷物を入れた紺色のハンドバッグといった格好。
おじさんは須美の今の父親の服を適当に借りてきたので、厳密に自分がどういう格好をしているのかも分かっていない。普通の格好ではあるが、おじさんは自分の格好に興味がなかった。
"ファッションセンス上がれ!"と自分にかける催眠術師は何故かいないのだ。
「駅までの道がわっかんねえな。コンビニで地図買って、駅の場所探して……」
「私がおじさまの道案内をします! 私を頼ってください!」
「お、おう」
「安心して任せてください! 私が地図アプリより有能だということを証明してみせます!」
「地元の人間でも地図アプリより有能な人間ってそうそう居ねえぞ」
気合いの入った様子で須美がおじさんの手を引き、その微笑ましさにおじさんは思わずヘタクソな微笑みを浮かべていた。
「みー子は前の家の両親と会えることは、嬉しいか?」
「……嬉しいです」
これが須美にとって余計なおせっかいか、そうでないかを判断するくらいは、心を理解し支配する催眠術師にとって造作もないことだった。
「そうか。存分に小生の暇潰しになってくれ。今のところあんまりやることがなくてな」
「暇潰しなんですか?」
「暇潰しだ」
「そうは見えないんですけど……」
「催眠術師は何が楽しくて人生生きてると思う?」
「?」
「『人間』だ。
人間が娯楽なんだよ、多くの催眠術師は。
金が欲しいならそういうことに使う。
世間に不満があるなら革命するのに使う。
人間が大好きか大嫌いなやつが多いんだ。
だから人間の外側にある損益じゃなくて人間の心にばっか興味持ってるんだな」
「そういうものなんですか?」
「善人をオモチャにする奴。
悪人をオモチャにする奴。
催眠おじさんの一族は大体このどっちかだな。お前は善人な方だ。いい子だよ」
「ふふっ、おじさまは定期的に私を褒めますね」
「そうか? そうかもな。ケッケッケ」
二人は駅に辿り着いたが、おじさんは券売機の前でいきなり首を傾げた。
「おい須美、この切符販売機どうなってるんだ? 見たことないんだが、どう操作すんだ」
「え? これ50年くらい前からある機械ですけど」
「知らねえ……異世界の日本だからか?
それとも西暦終わってからそのレベルにめっちゃ時間経ってんのかこの世界」
「大丈夫です、おじさまのお世話をするのは私の仕事です。代わりに買ってみせますとも」
「いや買い方教えろや」
「私が代わりに買います! 頼ってください!」
「『買い方を教えろ!』」
須美に買い方を教わり、二人分の切符を買って、おじさんは須美を抱えるようにして電車に乗り込んだ。
車両の隅っこの、四人用のボックス席で、向き合うように二人で座る。
人はあまり居なかった。
悠々と席を使い、二人はぼーっと窓の外の景色を眺める。
「電車から見える風景って、眺めてるとちょっとワクワクしませんか?」
「つり革の下に美人が居る時は眺めててワクワクするな」
「そういうのじゃありません! もう。
移り変わる景色とか、遠くに行ってる感じとか、そういうのですよ」
「……ああ、子供の頃、そんなこと思ったことがあったな。そういえば」
懐かしそうに、何かを思い出すようにしながら、おじさんはヘタクソな微笑みを浮かべた。
「お前くらいの年の頃、小生はプールの後の授業の空気が好きだったな。
開けた窓から吹き込んでくる風が、少し湿った髪を撫でる特別感が好きだった」
「あ、私もそういうの好きです。一緒ですね」
「そうか? そういうものか。一緒かもな」
くすくす、と笑っていた須美の顔が、一瞬で顔面蒼白になり、You Tubeで金を取って配信できそうなレベルの形相へと変わった。
「ひっ」
「ん?」
「む、虫っ! 変な形の! おじさま、取って窓から逃してください!」
「いや……自分で叩いて潰せばいいんじゃないのか?」
「虫は苦手なんです!」
「そうなのか。勇者らしくな……いや、女の子らしいのか」
「催眠かけて私に虫を処理させるとかしないでくださいね!」
「注文が多いな。待ってろ、今潰すから」
「あ、潰すのはかわいそうだからつまんで外に出してあげてください!」
「本当に注文多いな! 分かったよ!」
「ありがとうございます!」
どうやら虫が須美の近くに居て、不意打ちでたいそう驚かされてしまったらしい。
おじさんは「よっこいせ」と腰を上げ、「おじさんくさいですね」という須美の指摘に「うるせえ」と返し、須美の横の虫に近づいた。
須美はビビっておじさんが座っていたところに移動している。
「ん? これは……」
「何やってるんですかおじさま!
ちゃんと目玉付いてるんですか!?
その目と手は飾りなんですか!?
あなたは世界で一番偉大な人じゃないですか!
こんなものじゃないはずです本気を出してください! 早く虫を!」
「虫ってのはこの細い木の枝の切れっ端のことかな」
「……」
「あ、生まれて初めて木の枝見た人?
お嬢様は流石だな、小生はお嬢様じゃないから分からなかったよ」
「うっ、ネチネチしてる……ごめんなさい」
「ちゃんと謝れるならいい。以後気をつけろよ」
「はい……かくなる上は」
すっ、と須美はハンドバッグに手を入れ、そこから白木鞘の短刀を取り出した。
「この自決用の短刀で切腹してお詫びを……!」
「『今すぐやめろ』」
「はい」
「どういう教育されたんだ親の顔が見たいぞみー子! ……親の顔見に行くんだったな」
須美から取り上げた短刀を懐にしまい、須美の罪悪感を催眠で抜き取り、おじさんはふぅと深く息を吐く。
「これが勇者か……」
おじさんは眉間を揉みながら椅子に腰を下ろし、須美の切腹のせいですっかり頭の中から抜け落ちていた木の枝が、おじさんの尻に刺さった。
「ぐああああああッ!!」
「おじさまー!?」
全人類に催眠をかけて"自分に危害を加えるな"と命令することができても、ケツに刺さる木の枝一本止められない―――催眠おじさんとは、悲しい生き物なのかもしれない。