原子操作術で、来たるべき時に備えよう。 作:非対称ジメチルヒドラジン
デパートで服を5、6着買った後、タクシーに乗り帰宅する。
あの後再び市原に電話したが繋がらなかった。
何故だろう。いや、ただ忙しいだけか。
とにかく、家に帰ると鍵を締め、地下に潜る。
最近の習慣だ。地下にいる時が一番落ち着く。
誰にも狙われない。
地下にはそういう保証があるのだ。
日課の射撃演習。
自動小銃を担ぎ、ベニヤ板を撃ち抜く。
ここ最近命中精度が上がった。
パンッ!パパパンッ!
狙いは外れない。
下手な軍人より上手いかも知れないな。
そんな事を思いながら弾倉を交換。
空になったマガジンを外し、新しいのを差し込む。
プルルルッ!プルルルッ!
電話だ。
発信者は市原だった。
「早川っ!ニュースを見ろ!やべえぞっ」
「何があったんだ?」
「東京でエボラ患者が出たみたいだ、洒落にならねぇ」
「はあっ?嘘だろっ!?」
[都内でエボラ出血熱患者、30代男性が重症]
致死率80-90%。
仮に救命できても重篤な後遺症を残す程の凶暴性。
エボラウイルスは80-800nm程の細長いRNAウイルスだ。
他の多くのウイルスと異なり、免疫系を攪乱するデコイを放ち、生体の防御機構をほぼ完全にすり抜けるという特徴がある。
これが驚異的な感染性の高さに繋がっている。また、体細胞の構成要素であるタンパク質を分解することで最強の毒性を発揮する。免疫系を操作して血管を攻撃させ破壊し、肝臓を始めとする全身の臓器を冒して発症者を死に至らしめる。
そのため、エボラウイルスはWHOのリスクグループ4の病原体に指定されており、バイオセーフティーレベルは最高度の4が要求されている。
洒落にならない。流石に笑えない。
これはあくまで推測だが、このウイルスの感染情報が流れたせいで日本円の売り注文が増加し、円安を引き起こしているのでは無いだろうか?
専門家っぽく命名するなら、これはエボラショックだ。
「早川、マスクは買ったか!?消毒液は!?」
「おいおいマジかよ、何もねぇよ」
「あーあ、終わったなお前、しょうがねぇからうちにあるものを郵送で届けてやんよ、ちょっと待ってろ」
「いや、マスクは要らない、多分おれは大丈夫だ」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ、死ぬぞお前」
俺には自信がある。
原子操作術でこの場を乗り切る自信が。
プチッ。電話を切る。
そして唱える。
「炭素原子を補集、活性炭を生成」
炭素が掻き集められ、構造が変化。
反応性の高い多孔質状に組み変わる。
「フィルター、吸入缶を作成、生物兵器を完全にシャットアウトできる性能が欲しい」
缶詰のような形をしたガスの吸入缶。
緑色の塗装が施されたそれには、大量の活性炭が詰められている。更に多重フィルターにより活性炭の逆流を防止、粉末を吸い込まない様にと工夫が施されている。
それが2つ。
「マスクを作成、モデルはPMK−2」
合成ゴムが生成され、アクリル板が変形。
みるみるうちに形を変え、奇妙な面を形作る。
PMK−2、ソビエト連邦製。
このマスクは生物、化学兵器の攻撃下で最低24時間の安全を保証してくれる。所謂、ガスマスクだ。
マスクは顔を覆い尽くし、ウイルスの侵入を許さない。
性能は確かだ。
「原子操作、マスクを装着」
ベルトが締まり、ガスマスクが顔に装着される。
視界が少し狭くなった。それに呼吸がしにくい。
だがこれで、安全は保証される。
非常時にはこれを付けるようにしよう。
不要な外出も控えて、リスクを下げなければ。
プルルルッ!プルルルッ!
突然の電話。例の業者からだ。
「早川サンですか?例の品、中国から届きましたヨ」
「はい、すぐ行きます」
札束の袋を片手にタクシーを呼ぶ。
目的地は近くのコンテナ集積所。
中国から輸入したレアメタルを受け取りに行く。
とても忙しい。最近は休む間もない。
レアメタルを手当たり次第に輸入しているせいで受け取りや支払い作業に追われて大変だ。
だが稼いだ金は有効に使わなくては。
溜め込むだけでは勿体無い。
そして今回注文したのは3,000kgのタングステン。
価格交渉の末、諸々込みで6500万で話がまとまった。
さっさと取りに行こう。
支払いは現金一括だ。中国の仲介業者に直接手渡そう。
関税とかは知らない。そこらへんは向こうで何とかしてくれるだろう。
しかしエボラ出血熱の発生、これは笑えない。
予想を超えたバッドニュースだ。
パンデミックになる前に何か対策を打たねば。