男が憧れるシチュエーション、というものがいくつかあると思う。
放課後に手を繋いで帰ったり。
こっそり、バレンタインのチョコレートをもらったり。
中でも、彼女に『膝枕をしてもらう』というシチュエーションは、そういった憧れの中でも屈指に人気が高い、ある種王道といってもいい絶対的な需要がある。男なら、一度は絶対に憧れたことがあるはずだ。
だが果たして、実際に彼女に膝枕をしてもらったことがある男性はどれくらいいるのだろうか?
勘違いしないでほしいのだが、これは決して彼女がいない歴=年齢の男性諸君を煽っているわけではない。むしろ、中学二年生というおれの年齢を考えれば、膝枕をされた経験がない男の方が多いだろう。あるいは、お母さんにしてもらった経験がある男子はそれなりの数いるかもしれないが、それは大体の場合まだ小さい頃の話なので、母ちゃんに膝枕された経験は記憶の彼方に忘却されているであろうし、中学二年という思春期真っ只中の時期に、母ちゃんに膝枕されているヤツはただのヤベーマザコンである。
前置きが長くなったが、結論を言おう。
この俺……讃州中学男子二年、
「哲くん……その、えっと……あの、どう?」
「……えーと、リラックス、できます」
もう少し、膝枕に関する所感を述べさせてほしい。
恋愛漫画や小説、ドラマなどで俺が観てきた『彼女に膝枕をされる羨ましいイケメン』達は、そのまま眠ってしまったり、あるいは直前まで繰り広げていた激戦の影響で、やはりそのまま目を閉じて永眠してしまうパターンがめちゃくちゃ多かった。というか、そういうパターンがほとんどだったと思う。要するに、膝枕というシチュエーションは、膝枕をされる側に、多大なリラックス効果をもたらすはずなのだ。
事実、ミニスカートに黒のタイツという男の理想をいっぱいに詰め込んだ彼女の太ももは、とても肉付きが良く、柔らかい。けれども、おれは居眠りどころか安眠すらできない強大なプレッシャーに苛まれていた。
何故か? 答えは簡単だ。彼女の身体的特徴の一つが、おれのリラックスを真正面から阻害しているのである。
(ああ……胸の双丘が近すぎて、ドキドキしかしねぇ!)
要するにこういうことだ。つまり、おっぱいのせいである。
自慢じゃないが、おれの彼女は胸が大きい。すごく大きい。めちゃくちゃ大きい。大事なことなので、三回言いました。
とにかく、中学生でそんなに大きいことある? ほんとに? マジ? っていうくらい大きい。
彼女が所属する部活の部長が『メガロポリス』と称するくらいには、ほんとに大きい。ぶっちゃけ巨乳である。100人がみたら奇乳好きのバカ以外の99人が頷くくらい、巨乳である。
俺は今、そんな彼女の太股に頭を預けて、仰向けに寝ている。膝枕されるなら大体の場合、男側の体勢は仰向けだろう。うつ伏せだと、彼女の太股に顔をうずめるただのど変態になってしまう。それはそれで非常に魅力的だが、おれが体験しているのはそんなアブノーマルな膝枕ではなく、いたってノーマルな膝枕である。
さて。
仰向けに寝ている、ということは。おれは彼女を見上げる形になるということだ。しかし、見上げた先にあるのはこれでもかと存在感を主張してくる双子の連峰であり、それが気になって彼女の顔色を伺うとかそういうことはまったくできない。もうめんどくさいので、すげー簡潔に言ってしまえばおっぱいに溺れて死んでしまいそうだ。何度でも言おう。何度だって、心の中で叫ぼう。プレッシャーが強い、圧が強い。ヤバい。助けてくれ。
だが、冷静な顔でパニクっているおれとは裏腹に、彼女はとてもうれしそうだった。おっぱいのせいで表情は見えないけど。
「よかった。一回、やってあげてみたかったの。膝枕」
「……男が女の子に膝枕してもらうのは、純粋な憧れとしてあると思うけど。でも、女子の方も男に膝枕してあげたいって。そういう風に思うものなのか?」
「ええ、もちろん。好きな男の子の頭を、膝の上で好きにできるんですもの」
「え、なにそれちょっとこわい」
いたって普通にイチャつくカップルのように言葉を交わしているが、おれはいろいろと限界だった。こんなにかわいい彼女が現在進行形で膝枕してくれているとはいえ、魂の形がクソ童貞なので、くどいようだったがいろいろと限界だった。心臓が早鐘のように波打ち、緊張で冷汗が止まらない。
大丈夫かこれ?
おれの心臓がバクバクバクバクと、アホみたいに音を鳴らしてるの、気づかれてないか?
すごく心配になったが、幸いなことに彼女は気がついていないのか。いたって普通に、いつものように喋っている。
「それでね? 風先輩ったら……」
「ああ、うん。それはたしかに犬吠埼先輩っぽいわ」
「でしょう? だから、それで友奈ちゃんがね……」
「あっはは……それはたしかに結城ちゃんっぽいわ」
「そうなの! で、結局どうなったかっていうと、夏凛ちゃんが……」
「はっはっは。にぼしにぼし。マジにぼしだわ」
今はなんとか、普通に会話を回すことができている。彼女の大好きな部活の話に、的確かつ正確で、ウィットに富んだ返しをできているが……正直、おれの理性がいつまで保つかわからない。早々に手を打たなければ、まずいことになるだろう。
あれだな、よし。発想の転換だ。
胸を、胸だと思わなければいいんだ。
あれは、ただの脂肪の塊。ただの、脂肪の塊。ただの脂肪の塊だ(自己催眠)。
胸が近い。着ている服の繊維まで見えそうだ。ヨシ、胸ではなく繊維を見よう(意味不明)。
どうでもいいが、おれの彼女は私服もかわいい。
今日、着ているのは少しロリータちっくなブラウスとミニスカート。白と水色を基調にした清楚な色合いはイメージにぴったりで、襟の花の刺繡がお気に入りだと前に嬉しそうに言っていた。好きな服のことを語ってくれるのは、すごく嬉しいし、かわいい。すごく嬉しいし、かわいいのだが……このブラウス、胸の下にベルトとそれを留めるボタンがあるので、どうしても『童貞を殺せる服』系統のアレな感じの破壊力を感じてしまうんだよなぁ……。彼女は和服も好きなので、多分着物の帯のようにちょっとホールド感のあるきっちりした服が好きなんだと思う。そもそも、胸の大きい女性がブラウスを第一ボタンまで締めていると、それだけでかなり目立つ。だけど彼女は根がかなり真面目なので、きっちり第一ボタンまで留めるタイプだ。というか、制服を着崩すなんて論外だと前に言っていた。
「哲くん? 聞いてる?」
「もちろん聞いてるよ。犬吠埼ちゃんって前も壁だから前後わからないよな」
小気味いいジョークを返しつつ、おれは思う。
かわいい私服……おれは、お前を恨むぜ。
お前がこんなにも童貞を殺すデザインだから、おれは今、幸せの中で苦しんでいる。
「だから、わたしこう言ったの。大艦巨砲主義です、って。いいでしょう?」
「スィ、ムーチョ(はい、とても)」
何が巨砲だよ、こちとら並び立つ巨峰で心が一杯だわちくしょうめ。
……まずいな。
いよいよ、限界が近づいてきた。
具体的には、おれの股関の神樹様(意味深)が、その頭を上げようとしている。かわいすぎる彼女に膝枕されると、股間の神樹の状態にまで気を遣わなきゃいけないんだな……覚えておこう。
とはいえ、股間の神樹でテント設営をしてしまうのは、非常にまずい。いくらなんでも、軽蔑されてしまう。
逆に考えよう。視界をあの双丘が覆っているから、こんなにも落ち着かないのだ。
目を閉じて、心を鎮める。
時に、人間の五感による知覚の割合は、約八割が視覚に頼っていると言われている。諸説あるが、より正確に言うと、視覚が87%、聴覚が7%、鼻が3%、触覚が2%、味覚が1%らしい。つまり、目を閉じれば彼女のかわいさの87%を遮断できるということだ。めちゃくちゃもったいないけど、非常に効率的で素晴らしい一手である。頭いいな、おれ。天才か?
深呼吸をする。彼女のめっちゃいい匂いがした。違うそうじゃない。
頭の裏の感覚に集中する。ほんとにやわらかくて寝心地のいい太ももだ。違うそうじゃない。
「ねえ、哲くん聞いてる? 目、閉じてるからって寝ちゃだめよ?」
「確認しなくても大丈夫だって」
たった7%。されどその7%の情報を、おれの耳がしっかり拾い上げる。目を閉じていると、逆にはっきりと意識できた。可憐で涼やかで、それでいて芯の通った意思の強さを感じさせる、彼女の声音。おれの名前を呼んでくれるその声が、おれは大好きだ。
ほんと、カラオケでめちゃくちゃ愛国心を感じる歌を熱唱しているとは、思えない。
「哲くん」
むにゅり、と。やわらかい感触があった。
それは彼女の胸が当たったとか、決してそういうラッキースケベ的なイベントではなく、彼女の手のひらがおれの頬をむにゅむにゅと弄ぶことに起因する知覚だった。目を閉じていても、2%の触覚からは決して逃れることができない。
「はふ……あの……彼女さん」
「はい……なんでしょう、彼氏さん?」
「ひゃめていただいでもよろひいですか?」
「ふふ……だめです」
ああもう、うん。これはダメだ。
あまり意地を張っていると、先におれのほっぺたの方が、弄ばれ過ぎてお餅になっちまう。
瞼をあげて、瞳を開く。
「……ようやく、こっちみた」
零れる吐息が、感じられるほどの近さで。彼女が、こちらを覗き込んでいた。
息が、詰まる。
見詰めているだけで心が一杯になる、翡翠色の瞳。
空から降りてきたばかりの、足跡を残すことすら躊躇われるような、白雪の肌。
優しい夜の闇をそのまま溶かし込んだ、艶やかに流れる黒髪。
漫画や小説で飽きるほど聞いてきた、美しさを伝える表現。それ以外に表しようがないけれど、おれの語彙と言葉を編む力が、彼女の美しさに追いつかない。
だからおれは、素直にこう言った。
「かわいい」
自然に紡いだ、なんてことのないありきたりな言葉が、真っ白な頬に明るい朱色を落とす。
「もう……そういうこと、いきなり言うのもだめ」
口ではそう言っても、緩んだほっぺたと下がった目尻は隠せない。
まったくもって、おれはバカだ。大馬鹿野郎だ。
こんなにもかわいい彼女がいるのに、そのかわいさの87%を切り捨てようとしていたなんて。つくづく救いようのない大馬鹿野郎だ。
「起きていいかな?」
「あら、もう起きちゃうの?」
「いつまでもおれの頭のっけてると、疲れるでしょ」
「そんなことないわ」
「そんなことあるって」
膝枕は結構疲れる。人間の頭はなかなかに重い。そんなことない、と強がって言っているけど彼女の方もそこそこ疲れているはず。
だから、選手交代だ。
「ほい」
「……え?」
太ももの上からするりと頭を抜いて、ほどほどに鍛えている腹筋の力で上体を起こしたおれは……そのまま態勢を変えて、また床に横になった。仰向けで、大の字になるように。
「膝枕の次は、腕枕でしょ。どうぞ?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
こてん。
横になった彼女の頭が、おれの腕に乗った。
「頭、大丈夫?」
「ええ、大丈夫。哲くんこそ、重くない?」
「鍛えてますから」
「さすが、日本男子ね」
「はい、日本男子ですから」
さっきとは違って並ぶように一緒に横になっているから、彼女の顔がずっと近い。二の腕に頭がのっているから、尚更だ。
なんとなく、こっちの方が好きだとおれは思った。
ドキドキするのは、膝枕だったけど。おれが安心できるのは、腕枕の方だ。
「ごめん」
「なに?」
「おれ、腕枕の方が好きかも」
「どうして? わたしの膝枕はご不満?」
「いや、ちがっ……そんなことはないけど、でも……」
「でも?」
至近距離でおれをからかうその顔は、とても楽しげだ。その笑顔を見て、ようやくしっくりきた。
「わかった」
「え?」
「こっちの方が、
普段は、部活の中でしっかり者としてのポジションを確立している彼女だけど。
でもだからこそ、こういう時くらいは、おれが支える側になってあげたい。
「……うん」
手のひらを広げて、彼女の頭の後ろに、ゆっくり手を添える。
もう片方の手を、指を絡ませて繋ぐ。
暖かい身体を、そっと抱き寄せる。
恥ずかしそうに。でも、はっきりと。彼女は小さく、おれにだけ聞こえる声で囁いた。
「わたしも、こっちの方が好き」
ところで。
人間の五感による知覚の割合は、約八割が視覚に頼っていると言われている。諸説あるが、より正確に言うと、視覚が87%、聴覚が7%、鼻が3%、触覚が2%、味覚が1%らしい。
可憐な顔立ちを、目で見る。
鈴の音のような声を、耳で楽しむ。
くすぐったい匂いを、鼻で受け取る。
繋いだ手の温かさを、感じる。
目で、耳で、鼻で、手で。
見て、楽しんで、受け取って、感じて。
でも、おれは欲張りで、きみのことが大好きだから。
あと、ひとつ。
残りの1%も、味わいたい。
「哲くん」
今度は、彼女の方から目を閉じてくれたので。静かに、唇を近づける。
最後の1%は、とても甘かった。