東郷美森は俺の彼女である【完結】   作:龍流

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『結城友奈は勇者である』

 結城友奈は勇者である。

 

「ごめん、結城ちゃん……そこ、どいてくれるかな?」

「どかないよ」

 

 彼女は、強い。

 

「ダメだよ、哲くん。私はここをどかない。だって、哲くんがいなくなっちゃったら、鷲尾さんが悲しむから」

 

 なんでもお父さんから武術の手ほどきを受けているそうで、多分ステゴロに関してはそこらへんの男を軽くのしてしまえるレベルだ。でも、それは表面的な強さの理由で、彼女の強さの本質ではない。

 

「だから私は、哲くんを止めるよ」

 

 朗らかな陽だまりのような、誰かを安心させる暖かさ。

 闇の中で人々を輝く、灯火(ともしび)のような眩い炎。

 結城友奈の強さとは、優しさと同居した強さなのだ。

 

「怪我をさせちゃうかもしれない……痛い思いをさせちゃうかもしれない……だから、先に謝らせて。ごめんね、哲くん」

 

 すごいな、と思う。

 口では「ごめん」と言っているのに、目が完全に据わっている。もちろんいい意味で、だ。

 結城ちゃんの瞳には、既に『おれを殴ってでも止める』という強い意志が宿っていた。そして多分、おれが何を言っても、どれだけ言葉を尽くしたとしても、やめる気配はない。

 結城友奈には、確固たる信念と覚悟があった。

 

「いくよ」

 

 それは、単純なパンチだった。

 けれど、避けなければヤバいと全身が警告を発していた。だから、ギリギリで避けた。

 結果、結城ちゃんの拳は空を切り、壁に当たり、そして砕けた。

 

「……は?」

 

 繰り返そう。

 砕けたのだ。

 壁が、だ。

 結城ちゃんの腕には、いつの間にか桜色の手甲が巻きついていた。

 

「変わった……?」

 

 解答は、蹴りだった。

 まるで鞭のように唸るその蹴撃は、今度は廊下に並んでいたロッカーをダンボールのように吹っ飛ばした。

 脚も、変化する。スカートが消え、やはり桜色のブーツとインナーのスパッツに姿が変わっていた。

 遅れて全身が、変化する。より淡い色に染まった髪が、ポニーテールになって揺れる。白を基調にした装束が、風を受けて鮮やかに翻る。

 

「私、全力だから」

 

 勇者、結城友奈がおれの前に立ちはだかった。

 

 彼女は勇者だ。見惚れてしまいそうになるほど美しい、勇者だ。

 けれども、その姿、その圧力、その絶望感は……おれにとっては、魔王そのものだった。

 勝てない、と確信する。

 おれは背を向けて、脱兎の如く逃げ出した。

 

「そのっち! そのっち! 園子さん!」

「なに~?」

「なんか! なんかないのか!? こう、勇者に対抗できるような不思議な力とか、そういうの!」

「うん。ないよ」

「そっか! ないか!」

 

 結城ちゃんから逃げ回るおれをのほほんと眺めているそのっちは、やはりのほほんとした口調で言った。

 

「だって、ゆーゆは勇者だけど、哲くんは勇者じゃないからね」

 

 告げられた本質に、体が固まる。

 たった一言でトラウマに切り込んでくるの、ほんとやめてほしいんだけど。これだから天然天才っ子は……

 

「動き、止めていいの?」

 

 あ、やべ。

 

 自分からそのっちに問いかけて、自分から聞いた答えに動揺して、結果、それが致命的な隙になった。

 避けられない。

 踏み込み、一発。結城ちゃんの肘が、おれの腹に大きくめり込んだ。

 

「あっ……が」

 

 体が、折り曲がる。腹の中が衝撃でかき回されて、肺の中の空気を全て吐き出した。

 そして当然、勇者の連撃は終わらない。

 

「歯、食い縛ってね」

 

 その意味を聞き返す前に、掌底で顎を打ち上げられた。人体の急所を的確に狙った一撃に、意識を刈り取られかける。もはや、漏れ出る声すらない。

 

「っ……!?」

 

 トドメは、大上段からの回し蹴りだった。

 顔面に突き刺さる衝撃と、体が丸ごと吹っ飛んで浮き上がる感覚に、痛覚が遅れて添えられる。多分、おれは漫画の敵キャラのような吹っ飛び方をしているんだろうな、と。思いながら、廊下を馬鹿みたいに何回転もして、壁に叩きつけられてようやく止まった。

 

「……っぁ」

「立たないで、哲くん」

 

 痛い。苦しい。辛い。

 口の中からいろいろなものを吐き出しながら、のたうち回る。

 

「てっつん、大丈夫?」

「これ、が……大丈夫そうに見える、か? そのっち?」

「痛い?」

「そりゃ、もう」

「そっか~。ここはてっつんの夢の中なのに、痛い思いをするなんて大変だね」

 

 ……ん? 

 ああ……そうか。そういうことか。

 

「痛いでしょ? 苦しいでしょ? だからお願い、哲くん。もう立ち上がらないで」

「いいや。痛くもないし、苦しくもない」

「……え?」

 

 結城ちゃんは、目をいっぱいに見開いて、おれをみる。驚くのも無理はない。完膚なきまでに叩きのめしたと思った相手が立ち上がってくれば、それは驚くだろう。

 

「どうして、立てるの……?」

「立つな、って言われたら、立ち上がるのが男の子だ」

 

 腹に肘をくらって、顎に掌底を受けて、頭に回し蹴りを浴びて。そりゃ、普通なら立ち上がれない。勇者と一般人のスペック差は歴然で、正面から戦って勝てないのは火を見るよりも明らかだ。

 でも、おれは立ち上がれる。

 だって、痛くないし、苦しくないからだ。

 ここは、おれの夢の中。おれがそういう風に思い込めば、思い込んだ通りに結果は変わる。

 

「この世界の主はおれだ。だから、おれが痛くないって思い込めば痛くないし、苦しくないって思えば苦しくない」

「なっ……なにそれ!? ずるいよ!? 反則だよ!」

「一般的男子中学生相手に勇者システム持ち出してくる人に言われてもなぁ……」

 

 そりゃ説得力に欠けるよ、結城ちゃん。

 とはいえ、これならなんとかなりそう……というか、楽に勝てそうだ。おれはヒントをくれたそのっちに、さらに問いかける。

 

「なあ、そのっち。これ、おれが強くイメージしたら結城ちゃんの勇者装備を外すこととかできないの?」

「できないよ~」

「あ、できないんですか」

「だって、この世界はてっつんの世界であると同時に、神樹様の世界でもあるからね~。神樹様由来の力には、強く干渉できないんだよ~」

「じゃあ、結城ちゃんをいきなり不思議な力でぶっ飛ばすとか、眠らせるとか。そういうこともできない?」

「てっつんは神様じゃないからね~。あくまでも、普通の男子中学生なんだよ」

 

 オーケー。解説ありがとう。

 ならば、仕方ない。

 

「ごめん……哲くん。一度でダメなら、もう一度。私、やるよ」

 

 結城ちゃんが、大きく息を吸った。拳を握り締めて、腰を落とし、構えに入る。

 来るな、と直感した。

 

「勇者──」

 

 それは多分、彼女の必殺技。

 数多くの敵を倒し、何度も仲間を守ってきた、優しくて強い自慢の拳。

 

 

 

「──パァアアアンチッ!」

 

 

 

 それを、

 

「……え?」

 

 相殺する。

 おれの拳と、結城ちゃんの拳。二つの拳骨が正面衝突し、校舎全体を衝撃で揺らした。

 おれは倒れない。踏ん張って、受け止める。

 

「な、なんで……?」

「『普通の男子パンチ』だ」

「……いや名前ダサっ!?」

「うるせえ」

 

 勇者パンチも大概ダサいわ。

 おれにとって、結城ちゃんは勇者であって勇者ではない。だって、ここはおれが思い描いた理想の世界で、バーテックスなんて敵はいなくて、みんなが戦わないで済む世界だからだ。だから、おれにとって結城ちゃんはかわいい彼女の大親友の、普通の女の子。

 普通の女の子の拳なら、普通の男の子のおれが受け止められない道理はない。

 

「くっ……で、でも!」

 

 大技で仕留め切れない、と判断したのか。あるいは、直感に従って選択したのか。おれの拳を振り払って、結城ちゃんはそのまま即座に近接格闘に移行した。

 それは、正しい判断だ。

 おれは、べつに武術を習っていたわけではない。だから、正しい人の殴り方も、威力の出る蹴りの繰り出し方も知らない。イメージできないからわからない。対して、おれは『武術を習っている結城ちゃん』を知っている。彼女が多分おれより強いと、理解してしまっている。だから、どんなに強くイメージしても、結城ちゃんに殴り合いで勝てる確固たるイメージが浮かんでこないのだ。

 頬を殴り抜かれて、よろめく。痛くない。

 首筋に、手刀を叩き込まれる。痛くない。

 飛び蹴りをもろに受けて、あばらをへし折られる。折れていない。

 

「いってぇ……いや痛くない!」

「瘦せ我慢やめなよ!」

「我慢してない!」

「倒れてよっ!」

「倒れないっ!」

 

 殴られ、蹴りつけられ、叩き伏せられ、また殴られる。

 多分この瞬間、おれは世界で一番女子にボコボコにされている男子中学生だろう。

 このまま耐えることは、おそらくできる。でも、このまま耐え続けても、おれは前に進めない。だったら、どうする? 

 べつのやり方で勝つ方法を探せばいい。

 おれにはまだ、奥の手が残されている。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 ひとしきりおれをボコボコにして、結城ちゃんが距離を取る。息を吸って、整えているその隙に。

 おれは、最大最強の反撃の一手を繰り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結城ちゃんって、須美のおっぱい揉んだことある?」

 

 空気が凍り付くのを、実感した。

 

「おっ……!? え、え……?」

「おれはあるよ」

 

 息切れで紅潮していた結城ちゃんの頬が、さらに真っ赤に染まる。

 

「て、哲くん……なに言って」

「なんだよ、須美のおっぱい揉んだことないのかよ。じゃあ、ダメだな。おれより下じゃん。そんなんで、よく須美の大親友名乗れたな」

 

 プルプル、と。結城ちゃんの肩が震える。

 うん。めちゃくちゃ効いてる。効いてるわ。うしろから突き刺さるそのっちの視線が痛いけど、背に腹は代えられない。

 攻撃で勝てないなら、おれは口撃(こうげき)で勝つ。

 

「おっぱいも触ったことないのに、彼氏を止められるなんて……随分と思いあがったな、結城ちゃん。おれの方が須美との関係が深いって、すぐわかるじゃん。客観的に明らかじゃん」

「てっつんは客観的に最低なんだよ~」

 

 すまんそのっち。ちょっと黙っててくれ。

 

「あ……」

「あ?」

「あるもんっ!」

 

 あるのっ!? 

 聞き返す前に、おれは一瞬で距離を詰めてきた結城ちゃんの右ストレートに、頬を打ち抜かれた。明らかに、さっきの勇者パンチより体重と殺意がのったいいパンチだった。

 

「ぐっほぁ!?」

「私だって、鷲尾さんと温泉に入った時に触らせてもらったもん! 背中の流しあいっことかもしたもん! 哲くんの方こそ、おっぱい触ったくらいで威張らないでよ!」

「うぐっ……須美のおっぱい、結城ちゃん的にどうだった?」

「おっきくて、やわらかかったよ!」

「だよなわかる」

 

 そこだけは深く同意し、おれは殴られた痛みを意識から排除した。

 

「でもなぁ……背中の流しあいっことかは、おれもしたことあるしなぁ」

「え」

「べつに彼女なんだから、一緒にお風呂入るくらいは普通なんだよな。それを今さら自慢げに言われても……」

「哲くんはエッチすぎなの!」

 

 気合い、一閃。

 今度は、回し蹴りでぶっ飛ばされる。間違いなく、今までの蹴りの中で最も威力が高い一撃だった。

 

「あっ……がっはぁ……」

「いつも鷲尾さんにお世話してもらって、ぼた餅も当たり前みたいに作ってもらって!」

「げほっ、ごほ……結城ちゃんだって、作ってもらってるじゃん……」

「哲くんのぼた餅、私のよりいつも多い!」

「そりゃ彼氏だからな。愛の重さだよ」

「食べきれないことあるくせに!」

「でも残したことはないぞ。ちゃんと他の人と食べてる。ていうか、牡丹餅って結構重くないか? 腹に溜まるんだけど」

「あ、それはちょっとわかる。私も体重が……」

 

 攻撃が一瞬緩む。だが、すぐに思い出したように激しさを増す。

 そこからは、もうひどいもんだった。

 おれは一方的に殴られて、ボコボコにされ続ける。

 おれは一方的に口を動かして、結城ちゃんを煽り続ける。

 

「結城ちゃん、須美のうなじ見たことあるの?」

「もちろんあるよ! 私、鷲尾さんの髪型アレンジするの得意なんだよ!」

「そうか。おれは暇さえあれば櫛で梳いたりお手入れしたりしてるよ。須美の方からやってくれっておねだりしてくることもある」

「ぐっ……でも、鷲尾さんは私のために洋食作ってくれるよ!」

「そうか。おれは骨の髄まで和食派だ。須美の料理に胃袋掴まれて、すっかり順応しちまった。多分、おれの魂が和食の形をしていたんだろうな」

「和食の形!?」

 

 けれど、段々と。結城ちゃんも言い返すようになってきて。

 

「私、哲くんの愚痴、鷲尾さんからいろいろ聞いてるよ!」

「え。マジ?」

「マジだよ! 鷲尾さん言ってた! 哲くんは家で靴下すぐ脱ぎたがるけど、脱いだ靴下を洗濯機に入れずにそこらへんに放り投げちゃうって!」

「ぐっ……ぬぅ。気をつけます」

「そうだよ反省して!」

 

 いつの間にか拳よりも、言葉の方に熱が入るようになって。

 

「まあ結局、おれの方が須美のこと、好きなんだよな」

「そんなことないっ! 私も大好きだもん!」

「いいや。おれの方が好きだね」

「私の方が好き!」

「おれの方が好きだ!」

「私の方が大好き!」

「おれの方が超好きだ!」

「わっ……私の方がギュイーンでぴかーんって感じで好き!」

「なっ……だったらおれは、ギュオオンでジャキーンって感じで大好きだ!」

「むっ……むむむ」

 

 そして、

 

「そんなことないよ! 私の方が絶対、ぜーったい! ()()()()のこと、大好きなんだから!」

 

 おれは、()()()

 

「東郷さん?」

「あ……」

 

 勇者の表情が、歪む。

 

「わ、私……違う。私は、東郷さんじゃなくて……鷲尾さんのことを」

「違わないよ」

 

 ずるい勝ち方だ。でも、おれにはこれしかなかった。

 

「わかるよ、結城ちゃん」

 

 結城友奈に、鷲尾須美と東郷美森は違う人間だと、気づいてもらうしかなかった。

 

「結城ちゃんは……『東郷さん』のことを本当に大切に思ってくれているんだよな」

 

 東郷美森。

 それは、おれが好きだった女の子の新しい名前だ。

 おれは、記憶を失った須美のことを勝手に不幸だって決めつけていた。でも……それは違った。結城ちゃんと東郷さんの間には、夢の世界で眠ったままのおれなんかじゃ推し量れない、深くて強い絆があって。きっと『東郷美森』は、結城友奈と出会うことで救われたんだ。

 おれが拘っていた過去じゃない。今、彼女は幸せなんだ。

 

「結城ちゃんがここにいるのは、東郷さんが幸せな証拠だ。鷲尾須美という存在じゃなくなった東郷さんが、楽しく毎日を過ごしている証明なんだ」

 

 そういえば、忘れていた。

 おれはこの子に、ずっとお礼が言いたかったんだ。

 

「だから、ありがとう、結城ちゃん。きみは、おれの勇者だ」

 

 記憶をなくした東郷美森はきっと不安な気持ちで一杯だっただろう。脚も動かず、そのまま、知らない街で孤独に溺れてしまっていたかもしれない。

 でも、この子がそんな彼女を闇の中から救い上げてくれた。

 その小さな手のひらをいっぱいに開いて、差し伸べてくれた。

 

 

「東郷美森と友達になってくれて、本当にありがとう」

 

 

 現実の世界は絶望に満ちていて。おれが救ってほしかった人たちは、みんな辛い目に遭って。

 けれど、救いはあった。おれの目の前に、希望の勇者は拳を握り締めて立っている。

 おれは、神様を信じない。ミノさんを殺した神樹も信じない。

 でも、結城友奈は心から信じることができる。

 

「結城ちゃんがいれば、きっと東郷さんは大丈夫だ。安心して、任せられる」

「哲くん……」

「でも……だからさ。これだけは、言わせてもらう」

 

 そう。結城友奈の大親友が東郷美森であるからこそ。

 

 

「『鷲尾須美』は、おれの女だ」

 

 

 それだけは、譲るわけにはいかない。

 鷲尾須美が東郷美森として、幸せに生きているなら。

 おれも彼女を追いかけて、前に進まなければならない。過去に囚われたまま、こんな居心地のいい夢の中で、いつまでも眠っているわけにはいかない。

 あの子の隣に立つ男として、恥ずかしいから。

 

「……あーあ。ずるいなぁ」

 

 握り拳が、ほどけた。

 涙が一筋、頬を流れて零れ落ちる。

 

「ほんと、かっこいい彼氏さんだよ、哲くんは」

「……ありがとう」

 

 最高の勇者に、そう言ってもらえるなら。

 

「最高の褒め言葉だ」

 

 きみがいたから、彼女の世界が色づいた。

 きみがいたから、彼女の世界を信じることができた。

 感謝してもしきれない。

 だから、何度でも言おう。

 

 

 結城友奈は、勇者である。

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