世界一強くて、世界一やさしい勇者は、もう拳を構えなかった。
結城ちゃんの横を抜けて、奥へと進む。
すれ違う時に「がんばって」と言われた。その一言が、とても嬉しい。ありがとう、と小さく呟いて、おれは先を急いだ。
そのっちは、ついて来なかった。結城ちゃんと戦っている時はつかず離れずの距離でおれのことを応援したり、罵声を飛ばしたり、さりげなく見守ってくれていたのに、いつの間にか気配が完全に消えていた。
多分、気を遣ってくれたのだ。おれと彼女が、二人っきりになれるように。そのっちは天然だけど、昔から人の機敏や自然な勘については、とても鋭い子だった。話したいこと、聞きたいことはまだまだあったけど、今はその気持ちをありがたく受け取ろう。
不思議と、気持ちは落ち着いていた。
あれほど慣れ親しんだ讃州中学の廊下が、今は静かで無機質な空間に見える。それは決して悪い意味ではなく、この世界から出ていくことを決めたおれの決意が、そう見せているのだろう、と。そんな風に、むしろ自然に感じられた。
「……学校を卒業する時って、多分こんな気持ちなんだろうな」
無機質な、なんの変哲もないはずの廊下が、ひどく名残惜しい。
目に見える景色を懐かしいと思うのは、心が思い出に彩りを添えるからだ。
おれが今、見ているものは全て幻で、決して現実ではない。だけど、思い出はたしかにあって、それを切り捨てて、おれは前に進もうとしている。だから、実体のない想像の景色が、こんなにも色づいて見えるし、美しく感じられる。
それはきっと、とても幸せなことで。おれがこの夢の世界で過ごした時間が、鮮やかにきらめいていたことの証明に思えた。
廊下を歩く。足音が響く。耳を澄まして、前へと進む。
場所は、最初からわかっていた。迷わず、何度も開けてきた扉を開く。
放課後の教室。
夕日が当たる窓際で、彼女は待っていた。
「ごめん。待たせた」
「遅い」
おれの彼女は、ちょっと厳しい。
時間に遅れたり、約束を少しでも違えると、ちょっと怒る。
だから、まず謝った。それでも、いつも通り怒られたわけだけど。
「遅刻よ」
「結城ちゃんと遊んでたんだ」
「彼女を待たせて?」
「そう言われると、最低の彼氏みたいに聞こえるな……」
「わたしを置いて出ていくつもりの人なんて、最低の彼氏だわ」
怒っている顔も、やっぱりかわいいな、なんて。
考えてしまうおれは、やはり骨の髄まで彼女に惚れきっている。
「……本当に、出ていくの?」
夕暮れに照らされて、白い肌が映える。
綺麗だ、と思った。
「うん。出て行く」
大好きな翡翠色の瞳が、おれを見る。
「わたしと、別れるの?」
「……うん」
「……そう」
細くしなやかな指が、スマートフォンに触れた。
「わたしは、いや」
そして、光が溢れ出た。
彼女の姿が、変化する。
全身を隈なく覆う、黒のインナー。その上から身に纏うのは、薄紫に緑の差し色が入った勇者装束。東郷美森ではない。鷲尾須美としての、勇者の姿。
勇者、鷲尾須美だ。
東郷美森と同じ年齢に成長した彼女が、当時のままの勇者として、おれに向かって弓を構え、矢を番えた。
「哲くんと離れるなんて、絶対にいや」
こうなるだろうとは、思っていた。
ミノさんから、おれは何度も聞いていた。
『いやぁ、将来須美の旦那になる奴は果報者だけど、色々と大変そうだな』
「哲くんがいなくなって、この世界も……思い出も全部、全部……なくなっちゃうくらいなら」
もしくはこうも言っていた。
『須美はちょいジメジメした所があるから、ぐいぐいリードしてくれる相方がいいと思う』
「哲くんを殺して、わたしも死ぬ」
おれはよく知っている。
おれの彼女は世界一かわいくて、そして……結構
「それは、困るな」
知っているから、焦りはない。
向けられたそれが頭に当たれば、頭蓋が砕け散るだろう。腕を掠めれば、間節が切れて捻じれ飛ぶだろう。こわくないわけがない。おそろしくて、今にも膝が笑い出しそうだ。
「おれは死にたくないし、須美にも死んでほしくない」
ただし、それだけだ。
照準された矢は、彼女がおれに対して抱く、当たり前の感情。
置いていかないで、という心の叫びだ。
もちろん、おれは現実の世界に戻るつもりである。進んで死ぬ気はないし、痛いのも苦しいのもさっきの結城ちゃんとの死闘で散々経験したので、もう懲り懲り。今後一切、御免被りたい。
だけど、それでも、しかし、
「撃ちたければ、撃てばいい」
鷲尾須美の彼氏である以上、必然、おれは日本男児である。
彼女の気持ちから逃げ出すような、甘っちょろい男ではない。
「それで、須美の気が済むのなら、おれは構わない」
「本当に、撃つわよ……?」
「だから、撃てばいいって言ってるだろ」
「このっ……わからずや!」
返事は即射だった。
矢は弓に番えられていて、矢尻にも指がかかっている状態。当然、指を離すという極小の動作だけで、矢は放たれる。
もちろんそれは、おれの胸に突き刺さった。
「っ────」
声が出ない、という表現の意味をはじめて理解した。
ふ、と。
吐き出した息と一緒に、血の塊が溢れ出る。
突き刺さった矢は、おそろしいほど真っ直ぐにおれの胸の中心を貫いていた。
「え……?」
それを撃ったはずの張本人が、呆然と呟く。
おれは、激痛と出血のショックで、膝から崩れ落ちた。
「どう、して……?」
いやいや……そんな信じられないような顔で、おれを見ないでほしい。
おれは勇者ではないのだ。至近距離から放たれた矢を胸に受ければ、そりゃ普通に倒れるに決まってる。
もしも、少年漫画の主人公であったなら、ここから気合いで持ち直せたかもしれないが……誠に遺憾ながら、おれは普通の男子中学生なので、まあ、ふつうに死ぬ。
でも、その矢にはおれが想像していたような……それこそ、先ほどの結城ちゃんが見せた勇者の膂力のような、凄まじい力は込められていなかった。しかし、それでも矢を胸に受けた事実は変わらないわけで、
「あー、思ったよりいたい、な……、ぐっ……」
「哲くん!」
前のめりに倒れる体を、駆け寄った須美が支えてくれた。吐き出した血で、このきれいな装束を汚してしまうのが申し訳ないな、なんて。そんなことを考えてしまうあたり、案外おれは図太いのかもしれない。
「なんで……」
「なんでってそりゃ……彼女の気持ち、だから?」
まあ、アレだ。
彼女の気持ちは、どんなものであっても受け止めたい、みたいな。馬鹿な彼女が大好きである以上、きっとおれも馬鹿な彼氏だから。
だから、この終わりはバカップルな俺たちに、きっとお似合いだ。頭の中が霞んで、思考がまとまらず、鈍っていくのを感じる。痛みを消そうにも、そう思い込む気力すら失われたみたいだ。
神樹様由来の力は消せない、とそのっちは言っていた。さすがは、勇者様の弓と矢と言ったところだろうか。
だが、もう少しだけ。強がってみせよう。きっとこれが、彼氏らしく格好をつける、最後の機会だから。
「あ~、彼女にハートを射抜かれるとか、おれは幸せもんだな……」
「馬鹿言わないで! ハートじゃなくて心臓よ! ていうか、心臓は外してるわ! もしも当たったら即死でしょう!?」
……いや、そういうこと言ってるんじゃないんだよな。
なんなんだ。おれの彼女は……最後まで几帳面でクソ真面目か?
「わたし……最初の一発は、避けてくれると思ったのに」
「……ああ。そうだと思ったよ。射形も乱れていたし、腕も震えてたもんな。おれでも避けれるように、撃っただろ」
「哲くん、まさか……」
「ん、わざと受けた」
翡翠の瞳が、驚愕で見開かれる。おれが、気がついていないって思っていたんだろうな。
でも、そのっちは最初からヒントをくれていたんだ。
ここはおれの夢の世界。出ていくためには須美に会う必要がある、とそのっちは言っていたが……なぜ、須美に会う必要があるのか?
簡単な話。勇者の力で、殺してもらうためだ。
おれがこの世界で意識を失って、目覚めるためにはそうするしかない。おれの想像力を超えた勇者の……神樹の力で、この世界から存在を消すしかない。
須美の作った矢は、殺傷力を最大限に落としてあるのだろう。威力の浅い矢を至近距離でビビらせて、逃げ回るおれを追い詰めて、疲労させて、
「最後は一撃で、急所をズドン……と。おれを現実の世界に帰すつもりだったんだろ」
「……ちがう。わたしは……」
「さすがに、わかるぞ。彼氏だからな」
「……馬鹿」
まったくもって、胸が痛い。
そのままの意味でも痛いけれど……なにより、こんなにも綺麗な彼女をポロポロと泣かせてしまうことに、胸が歌む。
「哲くんは……馬鹿よ。せっかく、銀が思い出させてくれたのに……わざわざ、こんな痛い思いまでして。わたし、いつでも別れる覚悟はできていたのに……」
「馬鹿言ってるのは、そっちだ。一撃でやられたら、たしかに苦しまないかもしれない、でも、須美にちゃんとお別れが言えないだろ」
「だって、だって……ちゃんとお別れを言われたら……」
涙の雫が、重なって落ちる。
「ちゃんとお別れを言われたら、わたしの決意が鈍っちゃうじゃない……っ」
……そうだよな。
「ごめん。おれのわがままで、ごめん。須美」
「須美、って……」
「ん?」
「須美って、気安く呼ばないで……わたしは結局、哲くんが想像した、夢の中の偽物なんだから……」
「偽物じゃない」
「え?」
「偽物じゃない、って言ったんだ」
ああ、そうだ。偽物じゃない。
おれを想って泣いてくれている、この子の感情が。この胸に突き刺さる、激情の矢が。
偽物であってたまるものか。
「……ずっと、疑問に思っていたんだ。この夢の中で、本物はなんだろう、って」
ミノさんと会って、話して、真実を思い出した時。最初は、おれの想像が全てだと思っていた。神樹様という媒体を通じて繋がる夢の中で、いくつか迷い込んだ現実の要素が、薄っぺらいリアリティを上書きして貼り付けているだけだと、そう思っていた。
でも、どんな夢もいつかは覚めるように。どんな夢でも、長くその中にいれば違和感に気付く。否、気付くはずだった。
全てを理解しているような口ぶりのそのっちや、おれに目覚めるように呼びかけてくれたミノさん。二人の共通点を考えれば、答えは自然にわかってしまった。
「きみは……神樹様に捧げられた『鷲尾須美の記憶』なんだな」
勇者の力として払う代償。供物。
おれの彼女は、鷲尾須美であって、鷲尾須美ではない。
おれのために泣いてくれている彼女は『鷲尾須美の記憶』そのものだ。
だから、違和感がなかった。ミノさんに関する記憶を思い出すまで、夢だと気がつかなかった。この世界で生きる鷲尾須美の思い出は、間違いなく本物だったからだ。
「……ええ、そうよ」
「……よかった」
「え?」
「よかったよ」
東郷さんは、結城ちゃんのおかげで、今を幸せに生きている。おれはその事実に、すごく感謝して、現実の世界に希望を見出して。
でも、それでも……消え去ってしまった鷲尾須美の記憶はどこいくんだろう、と。ミノさんが死んで、悲しいままの思いを抱えた鷲尾須美の意識は、どこに落ちてしまうんだろう、と。気になって、苦しくて、悲しくて、仕方がなかった。
でも、実際は……
「きみは、おれの隣にいてくれた」
おれがずっと夢の中にいたのは、居心地が良かったから。違和感なんてない、日々の生活に温もりを感じていたからだ。
なによりも、おれの隣で笑い、楽しみ、寄り添ってくれる彼女が、本物に思えて……おれ自身が彼女のことを、本当に想っていたからだ。
「だから……噓なんかじゃないんだ」
これは、本物の夢だ。
不器用で、馬鹿で、度胸もない。そこらへんに転がっている、物語の主人公にもなれないようなただの男子が思い描いた、本物の恋。
起伏もなく、ただ甘ったるいだけの、緩やかで穏やかな、身を沈めるような日常。
案外、悪くはなかった。
「自惚れに、なっちゃうかもしれないけど……でも、おれはきみが、おれの側でずっと笑顔で居てくれたことを、知っているから。だから、さ……」
特別な力なんてない。何の取柄もない。ただの男だけど、
「須美のことを……ちょっとは幸せにできた……って。そう思っても、いいのかな?」
濡れている頬に、手を添える。
泣かせたくはなかったのに、眉尻から溢れる涙が、やはり止まらなかった。
「当たり前でしょう……」
だけど、この子は強いから、
「鷲尾須美は……大山哲の彼女で、幸せでした」
涙を拭って言い放たれた、その力強い宣言に思わず苦笑してしまう。
「そっか。それは、本当によかった」
痛い。苦しい。呼吸も、満足にできない。
それでも。
彼女と見詰め合うこの時を、こんなにも惜しく思ったことはない。
おれは、神様を信じない。
神様がいたから、ミノさんは死んだ。神様がいたから、鷲尾須美は記憶をなくした。神様がいたから、そのっちはきっと今も現実で、辛い思いをしている。
たとえそれが、世界を守るためだとしても、おれは神様を絶対に許さない。世界を壊すことで、大切な人達を守ることができるなら、おれは喜んで世界を壊すだろう。
だから、これは仮定の話だ。そんなどうしようもないおれが、神様に何か願い事をするとしたら……そういう仮定の話だ。
もしも、願いが一つ叶うなら。
彼女と見詰め合うこの瞬間を、永遠にしてほしい。
「哲くん」
「ん」
「膝枕、してほしい?」
「……いや、いいよ」
教室の床に、大の字に寝っ転がる。
「須美」
「はい」
「腕枕、してあげようか?」
「……はい。お願いします」
胸に矢を突き刺したまま、彼女を腕枕した男子中学生は、多分夢の世界を含めてもおれくらいのものだろう。
「あのさ、須美」
「なに?」
「その服……ちょっとエロくない?」
「……もう。哲くんは最後までエッチね」
「男は……彼女のそういう姿、他のヤツに見せたくないんだよ」
「独占欲?」
「……ああ。そうだよ」
「ふふ」
「なに笑ってんの?」
「嬉しいから」
「……そっか」
「それに、わたしに笑っていてほしいって言ったのは、哲くんよ?」
「……たしかに」
腕にのる、頭の重さが心地良い。
おれは今、彼女を支えているという実感があった。この感覚を、手放したくなかった。
「須美」
「はい」
「一人にして、ごめんな」
離れたくない。
「おれだけ、現実に……帰ってごめんな」
「……大丈夫」
別れたくない。
「わたしは、記憶だから。だからいつまでも、哲くんの中にいるわ。きっと、哲くんと同じ世界を、わたしは見てる」
腕の中に抱いた、この熱を、
「でも……それでも、わたしは夢だから」
絶対に──
「わたしのことは、忘れてね」
──忘れたく、ない。
視界が霞む。体の感覚が、薄れていく。
いやだ。
まだ、おれは……
「どうか、幸せに生きてください。わたしの、大好きな人」
最後の言葉を、発することはできなかった。
「あなたの生きる未来の、
彼女の口に、塞がれたからだ。
唇に移されたその熱が、
目覚めたあとの日々は、目まぐるしく過ぎていった。
おれは丸々二年間眠っていたらしく、目覚めれば奇跡、とまで主治医の先生から言われていたらしい。両親には随分と心配をかけたし、泣かれてしまった。
ずっと寝たきりだったので体はとても重く、起き上がって歩けるようになるまで時間がかかった。でも、健康的には何の問題もないようで、きちんとリハビリをすれば元通りの生活が送れるだろう、と先生は太鼓判を押してくれた。それでも、普通に歩けるようになって外出許可が出るまではそれなりの時間がかかってしまい、自由に動けるようになるには数ヶ月の時間を要した。
完治を待ってから、遠出がしたい、と適当な理由をでっちあげて、おれは四国の中央に向かった。行き先はもちろん、彼女の学校……讃州中学だ。
おれは、東郷美森に会いたかった。彼女がおれのことを覚えてくれているかはわからない。でも、鷲尾須美ではなく、東郷美森として生きている彼女がどんな学校に通って、どんな風に過ごしているのか、一目見たかった。だけど、そんな言い分は結局、ただの言い訳で。
おれは、彼女にもう一度会って、言葉を交わしたかったのだ。
坂を駆け上って、息が上がる。はじめて通る、けれど見覚えのある通学路に胸が高鳴る。夢の中でしか見たことがなかった校門を見つけて、悪いことをしているわけでもないのに、目立たない場所を探してそこに隠れた。登校してくるたくさんの生徒の中から、必死にその姿を探して。
「……あ」
彼女を見つけた瞬間に、おれは気がついてしまった。
──覚えているより、ずっと綺麗になった。
東郷美森は、おれが思い描いた以上の美しい女性になっていて、隣を歩く結城友奈と言葉を交わしていた。流れるような黒髪も、それを彩ってまとめる緑色のリボンも、花が咲いたような柔らかな笑みも。全て、おれが心から望んでいた、彼女の幸せな姿だった。
──でも。
その横顔が。
その笑顔が。
おれが知っている『鷲尾須美』とは、明らかに違うことを、すぐに理解してしまった。
「……っ」
動揺してしまう、自分がいた。
わかっていたはずだった。この子が、鷲尾須美ではなく東郷美森であることは。
わかっている、はずだったのに……
何か言おうと思った。声をかけようと思った。一瞬でも、少しでも、彼女と関わりを持ちたかった。彼女の記憶の中に『大山哲』という人間がいるか、確かめたかった。
でも、それが怖くなってしまった。
一度自覚した感情を封じ込められるほど、おれは器用な人間ではない。
「……馬鹿だな、おれ」
言い訳を呟いて、気持ちを落ち着かせて。
気がつけば、逃げるようにその場から走り去っていた。
「……はぁ」
何をやっているんだろう、と。あらためて、自嘲を多分に含んだ溜息を漏らす。
こんな遠い場所までやってきて、おれは膝を抱えてアリの行列を眺めている。こんなこと、付き合いの長い幼馴染でもやらないだろう。
「へいへーい。そこのボーイ! 何してるの~?」
空気を読まない、能天気な声に水を差されて顔を上げる。
おれは、思わず目を見開いて……それから、声が震えないように抑えて言った。
「……見ればわかるだろ? アリさんとお話ししているんだよ」
「わ~! いいね~。わたしも混ざるんだぜ~」
彼女はあんなに変わったのに、こっちはそのままで、少し安心する。
いや、安心するっていうのは少し違うか。
おれが覚えているより、ずっときれいになった。
「ひさしぶり、そのっち」
「てっつんもね~。背、伸びた?」
「寝っぱなしだったから、あんま伸びた実感ないな」
「えへへ~。実は、わたしもずっーと寝てるみたいな感じだったんよ~。お揃いだ! 二人揃ってねぼすけさんなんだぜ~」
「いやなお揃いだな……でも、そのっち」
「なーに~?」
「身体、治ってよかったな」
「……てっつんも、目が覚めてよかった」
「ああ」
特に会話は続かず、二人でそのまましゃがんで、じっとアリの行列を眺める。
そのっちは何も言わなかった。
その優しさが、胸に沁みる。けれど、いつまでも黙っているわけにはいかない。
「そのっち」
「んー?」
「言葉にする前に、二度失恋した……って言ったら、笑うか?」
「……笑わないよ」
「そっか」
「うん」
「……ありがとう」
「どういたしまして~」
やっぱり、そのっちはそれ以上言葉を発することはなく。
おれは気遣いに甘えて、黙ってアリさん達と向き合うことにした。しかし、やはりわからない。
「……やっぱ、なに言ってるかわかんねぇな」
「修行が足りないんだぜ~」
視界が滲む。
突然、頭上から降ってきた大粒の水滴を、雨と勘違いしたのか。アリさん達は慌てたように隊列を乱して散らばった。申し訳ない。仕事の邪魔をしてしまった。でも、どうか許してほしい。
この雨は、しばらく止みそうにないから。
その雨は、止めようとすればするほど、身体の奥から溢れ出て勢いを増した。
「わーっ! 大変だ。雨だよっ! アリさん達、早く巣の中に戻った方がいいかも~!」
おれは、一言も喋らなかったけれど。
涙が枯れるまで、そのっちはおれの隣で、ずっとアリさん達とおしゃべりをしてくれていた。
次回、完結