時が過ぎるのは、いつだってあっという間だ。
穏やかに吹き抜ける風が、気持ちいい。
「春だねえ」
「春ですねぇ」
大学までの道を、ゆったりと歩く。
学び舎までの道のりに桜並木があるのは定番だが、今年は特に綺麗に咲いている。舞い散る桜吹雪が、新入生を心から歓迎しているようで、実に心憎い。
朝から幸せな気持ちにさせてくれる桜の樹達に心の中で感謝の言葉を送りつつ、俺は隣を歩くサークルの後輩に話を振った。
「
「はい! バッチリです! あんまりお手伝いできていない分、新入生の勧誘活動、しっかりがんばりますよ~!」
「樹ちゃんはいてくれるだけで宣伝効果があるからなぁ。もちろん、歌ってくれたらもっと最高だけど」
「はい! 学内歓迎ライブの方でも『勇者部』のことはバッチリ宣伝するつもりなので、任せてください!」
「そりゃ心強い」
両手を握りしめてふんす! と、かわいらしくやる気を漲らせているのは、俺が所属するサークルの後輩、犬吠埼樹ちゃん。なんとすでにデビューしている現役バリバリの女子大生シンガーだ。今年の新入生の間でもその名前はかなり広まっているらしく、あちこちでサインやら写真やらをお願いされて、大人気なんだとか。引っ込み思案だった性格はそのまましなやかで芯のある性質になって、すっかり森ガール風のファッションが似合う女子大生になっている。
「勧誘活動の方はどんな感じですか? 私、全然参加できてないので……」
「大丈夫、みんながんばってやってるよ。まあ、ウチは派手な出し物とかがないから、地道にチラシ配りとかだけど。今朝も担当が……あ」
言ってる側から、チラシ配りをサボっている不届き者を発見した。
「アリさんだ~。へいへーい、元気~?」
道端でチラシを抱えたまましゃがみ込み、アリの行列に手を振って話しかけている変人女子大生が一人。四国広しといえども、朝っぱらからアリさん相手にお話しする女子大生は、俺が知る限り一人しかいない。
「おい、
「あっ! てっつん! いっつん! グッモーニン~!」
「俺と樹ちゃんをセット扱いするのはやめなさい。それはそれとして、おはよう」
「あはは……おはようございます、園子さん」
まったく精神年齢の成長が感じられない彼女の名前は、もはや説明するまでもないと思うが、乃木園子。小学校と高校、それに大学まで一緒になってしまった腐れ縁女子である。
「今日はそのっちがチラシ配りの当番だったよな?」
「えへへ……そうだったんだけど、アリさん達を見てたら新作のインスピレーションが浮かんできちゃったんよ~」
さり気なく膝の上に置いてあるメモ帳には、その言い訳がましい言い訳が、しかし言い訳ではないことを証明するかのようにびっしりと文字が書き連ねられている。これだけ見事に桜の花が咲いて、みなが上を見上げて歩いている中で、足元のアリに興味を示して創作意欲をかきたてられているあたりが、もう本当にそのっちらしい。
「園子さんすごい! 作家さんみたいですね!」
「みたい、じゃなくて実際に作家さんなんだよ、樹ちゃん……あんまり認めたくないけど」
「えへへ~、朝から褒められると照れるなぁ」
「事実を言っただけで、褒めてはいないぞ」
そう。樹ちゃんが立派な歌手として活動しているように、今やそのっちは……否、乃木園子『先生』は大学生の身でありながらヒット作を連発している、女子大生人気小説家だ。その独特な感性で紡がれたストーリーと、読者に優しく語りかけるような朗らかな文体は老若男女問わず人気を博し、しれっと文学賞まで受賞している。出版された作品は重版連発。俺も全部読んでいるけど、たしかにおもしろいし泣ける。やはり樹ちゃん同様に学内では有名人で、休み時間には度々ミニサイン会が開かれている。
「でも、大丈夫だよてっつん」
「ほほう。チラシ配りをサボって何が大丈夫なのか、説明してみなさい。そのっち」
「うん! 今朝はウチのサークルも、校門前でパフォーマンスするらしいんよ~。だから、チラシ配りはそんなにがんばらなくてもいいよ、って。ゆーゆとわっしーが言ってたよ」
「は?」
聞いてないんだが?
「樹ちゃん!」
「は、はい!」
嫌な予感がする。というか、嫌な予感しかしない。
そのっちの襟首をひっつかみ、樹ちゃんと一緒にダッシュする。部活、サークル勧誘でこの時期はとても混雑している校門前が、今朝はさらに混雑していた。
「あっ……て、哲さん! あれは!」
「っ……! あれ、は!」
樹ちゃんが指差した先。校門の上には、マントをはためかせて朝日の下に佇む、漆黒の影……
「国を守れと人が呼ぶ……愛を守れと叫んでいる……」
明らかな変人がいた。
「憂国の戦士、国防仮面! 見参!」
いや、正確には『国防仮面』さんがいた。
詰襟の衣装とマントで隠し切れない巨乳を揺らしながら、国防仮面さんは高らかに叫ぶ。
「讃州大学、新入生の諸君! 入学おめでとう! 熱き国防の志を持つきみ! 朗らかな愛国の心を持つそこのあなた! ボランティアサークル『勇者部』に入ろうっ! 素晴らしき国防と愛国の活動が、きみたちを待っている!」
俺は、スマホのメッセージアプリを起動し、グループ通話を開始した。
この場にいるそのっちや樹ちゃん以外にも、数名のサークルメンバーがいるのか。意外なほどあっさりと連絡が繋がり、通話への参加を示すアイコンが、一瞬で増える。
「えー、勇者部
極めて冷静で、極めて理知的な静かな声で、俺は言った。
「あの国防馬鹿女を、早急に取り押さえろ」
時間は流れて、お昼。サークルの部室にて。
俺は、とても綺麗な姿勢で正座している一人の女性を、腕を組んで見下ろしていた。
「で、何か申し開きはありますか?」
「ありません」
コ、コイツ……
反省の色がまるでない……!
「あっはっは……もうおかしくってお腹痛いわ~。構内でもめちゃくちゃ話題になってるわよ、今朝のアレ」
「笑い事じゃないですよ、風会長」
腹を抱えて人目も憚らずケタケタと笑い転げているのは、このサークルの会長、犬吠埼風先輩。普段は明るい性格としっかり者気質でサークル全体を引っ張る優れたリーダーなのだが『昔の部員』が絡むと、どうにも暴走しがちというか、常識的ではなくおもしろい方に舵取りする傾向にある。
讃州大学、ボランティアサークル『勇者部』。何の因果か、このサークルにはかつての讃州中学勇者部のメンバーが、勢揃いしていた。
「いいんじゃない? 写真も動画もバンバン撮られてSNSで拡散されてるみたいだし、もうほんと宣伝効果はバッチリって感じ」
「私の愛国心が伝わったんですね……!」
「いや伝わってないから。芸人気質がおもしろがられているだけだから」
何を勘違いしているんだ、この国防芸人は。
「
「
「……大学生なら、大丈夫かなって」
「大学生もセーフじゃなくてがっつりアウトだわ」
思想の押しつけ、ダメ、絶対。
そもそも、と。俺は東郷さんにくっついて馬鹿をやっていた二人を見る。
「どうして
「あ、あはは~……なんていうか、やっぱりインパクトはあった方がいいかなって。東郷さんも、悪気があったわけじゃないと思うし……許してあげてくれないかな? 哲くん」
大学生になった友奈ちゃんは中学生の頃と同じヘアピンをつけているが、髪はさっぱりと切ってショートボブに近い髪型になっている。元々の快活な印象もあって、よく似合っていた。最近は格闘技系の部活でも活動しつつ、勇者部の仕事を手伝ってくれている。
「友奈ちゃん! やっぱり私の気持ちをわかってくれるのは友奈ちゃんだけ……へぶっ!?」
「ちょっと黙ってろ、国防芸人」
そのっちが持ち込んでサークルの部室に十匹くらい置いてあるサンチョのぬいぐるみを、東郷さんに投げつけて黙らせる。また睨まれたが、東郷さんに睨まれるのは大学に入ってからすっかり慣れっこになったので、こわくもなんともない。日本男児が睨まれた程度で怯むと思うなよ。
「……アタシは、一応止めたわよ。でも、コイツらが束になって暴走したら、そもそもアタシ一人で止められるわけないでしょ」
「ああ、うん、まあ、仰る通り」
壁に寄りかかって、やはり中学の頃と変わらずむっしゃむっしゃとにぼしを食らっているのは、三好夏凜である。友奈ちゃんとは対照的に、中学生の頃よりも髪を伸ばして、背中の中ほどくらいまであるロングヘアを颯爽とたなびかせるクールビューティーに成長していた。胸はにぼしとサプリの力を持ってしてもダメだったが、今や勇者部の中でも目を引く美人さんになっている。胸はやはりちょっと残念だが。
こんな見た目であちこちの運動系サークルに出没しては、髪をまとめてスイッチが入った瞬間に大活躍してくるので、そのギャップも相まって樹ちゃんやそのっちとは別ベクトルで有名人になっている。髪は運動するのに邪魔じゃないの? と聞いたことがあるのだが、本人曰く「手入れする楽しみと気を遣う余裕を覚えた」とのことらしい。人間って変わるものだな、と思ったり思わなかったり。
「あ、哲くん。そろそろ出ないと、暗くなっちゃうと思うよ」
友奈ちゃんに言われて、時計を見る。説教に夢中になっていたせいで、時間を確認するのをすっかり忘れていた。
「もうこんな時間か。ありがとう、友奈ちゃん。風会長、お先に失礼して、ちょっと行ってきます」
「はいはーい。気をつけていってらっしゃい。でも、ほんとに二人だけで大丈夫?」
「まあ、いつもより頭数は少ないですけど、ほどほどのところで切り上げるんで、平気ですよ。それに、そこの国防芸人をこき使うつもりなので」
「横暴だわ」
「当然のペナルティだ」
ぶつくさ文句を言いつつも、東郷さんも正座を解いて立ち上がり、準備をしている。
「じゃあ、行ってきます」
「清掃任務に向かいます」
他のメンバーはなんだかんだで忙しかったり、都合がつかなかったりするので、今日の勇者部の活動は俺と東郷さんだけ。墓地とその周り清掃活動のボランティアである。
適当なところで切り上げる、とは言ったものの、いざやり始めるとこういう作業にはつい力が入ってしまうものだ。
雑巾を絞り、箒で掃いて、バケツに水を汲んで。気がつけば、空は明らかな夕暮れ模様に変わっていた。
「……ごめん。ちょっと見立てが甘かったというか、がんばって作業を詰め込み過ぎた」
「それは、大山くんが謝ることじゃないわ。健全な精神は、清潔な場から育まれるもの。特にご先祖の方々が眠るお墓は、いくら綺麗にしても罰は当たらないわ」
「そういうものかね」
「ええ、そういうものよ」
隣を歩く横顔を、ちらりと見る。
昔よりも、一段と大人びて磨きがかかった容姿は、すれ違った男が思わず振り向いてしまうような魅力に溢れている。
「そういえば、東郷さんって幽霊とか信じてるの?」
「愚問ね。英霊の加護を疑ったことはないけれど、それはそれとして私が信じている超常の力はα波だけよ」
「前から思ってたんだけど、α波への信頼感強すぎないか?」
「お掃除で疲れた大山くんに……パワーを送ります」
「やめろやめろ。なんかマジで出てそうだからいやだぞ、それ」
手のひらを向けてぐるぐると回す独特なムーヴから身を避ける。避けないで、いや避けるわ、などと。くだらない雑談をしているうちに、俺たちはその墓前に着いた。
「いつも、最後にしてごめんな……ミノさん」
刻まれた文字は、三ノ輪家。
ミノさんやそのご先祖様達が入っているそのお墓の前に、膝をつく。おれと東郷さんはミノさんのご両親から許可を貰って、こうして定期的にお墓の掃除をしている。他のボランティアとセットになってしまうことも多いけれど……まあ、ミノさんなら笑って許してくれるだろう、というのがおれと東郷さんの共通見解だ。
「その分綺麗にすればいいのよ。ねえ、銀?」
自然な口調で、東郷さんがお墓に語りかける。
「そうだな」
俺は頷いた。
普段、サークルでいがみ合うことが多い俺たちだが、こういう時の意見は不思議と一致していた。
一段と気合いを入れてお墓掃除をしながら、とりとめもないことを話す。
「さっき、幽霊の話をした理由なんだけどさ」
「ええ」
「こうやって一生懸命労働していると、時々思うんだよな。ミノさんは、おれたちのこと見てくれてるのかな、って」
「……ふーん。大山くんは、銀の御霊に見守ってもらわないと、ろくにお掃除もできないのね」
「いやそうは言ってないだろ」
「まだまだね」
「すぐ煽るな」
「私は銀がここに居ようと居まいと、関係ないわ」
力一杯雑巾を絞って、東郷さんは不敵に笑う。やっぱり美人だな……ていうか、美人はどんなことしても様になるのが、やっぱずるいな。
「大山くんは、銀と仲がよかったんでしょう?」
「……じゃなきゃ、毎回ここにきて掃除しないよ」
「それはそうね」
「……おれのこと、あんまり覚えてない?」
「ごめんなさい。私、事故の影響で小学生六年生前後の記憶が曖昧で……」
対外的には、そういうことになっているらしい。
今、神樹様がいなくなり、人々が自分の足で歩き始めたこの世界に勇者システムは存在しない。それはとても喜ばしいことだけど、俺はそのっちからこうも聞いていた。
『勇者の力を使った代償は、全員に返還されたんよ。でも、それはあくまで神樹様が用意した代替品。腕や身体の機能ならともかく、記憶が正確に元に戻るかどうかは……正直、わたしにもわからないんだ~』
結論を言ってしまえば。
東郷美森は、乃木園子や三ノ輪銀のことを思い出した。
そして、大山哲のことは忘れていた。
それだけのことだ。
正直、俺みたいな男子、記憶の喪失がなかったとしても覚えて貰っているかあやしい。だから、これは当然の結果だ。ショックを受けることすら馬鹿らしい。普通の男である俺が、普通に受け取るべき、普通の結果。
「ふぅ……」
作業を終え、手を洗って一息吐いた俺の前に、牡丹餅が差し出される。言うまでもなく、東郷さんが作ったものだった。
「お疲れ様。牡丹餅よ」
「ん? ああ、ありがとう。でも今は大丈夫……」
「牡丹餅よ」
「いや、それ結構お腹にたまるから……」
「牡丹餅」
「よかったら、これから東郷さんと一緒に夕飯でもって思ってたし……」
「牡丹餅」
「わーかったよ! わかりましたよ! 食べます! 有難く、いただきますから! だからそんなに寄るな! 圧が強いから!」
「牡丹餅の勝利ね」
本当にまったく……変なところばっかり図太くなって、彼女とは似ても似つかない。胸ばっかり成長しやがって……一体、何を食べてどう変化した結果、彼女がこんな風になってしまったのか。俺には見当もつかない。
牡丹餅を口の中に押し込んで、溜息を吐きながら……でも、二人っきりで気を遣わず、牡丹餅を食える仲にはなったな、と。ふと思う。
東郷美森は、鷲尾須美ではない。
東郷美森は、俺のことをまったく覚えていない。
それらの事実を踏まえた上で、俺は東郷美森という女性と、交流してきた。この馬鹿女が鷲尾須美ではないことはわかっている。この国防芸人が、俺のことをそこらへんの便利な男子程度にしか見ていないことは知っている。
「東郷さん」
「なに? 大山くん」
「好きです。俺と付き合ってください」
だからおれは、もう一度最初からきみに恋をした。
「……」
ぽろり、と。
白く、細く、長い、上品な指先から、食べかけの牡丹餅がこぼれ落ちる。どこからかアリさん達がやってきて、その天の恵みに感謝しつつ、巣へと運んで行った。
「……ふーん」
顎に手を当てる。
「うーん」
額に手を当てる。
「ううーん」
さらに、腕を組んで考え込む。
「……あの、東郷さん?」
悩むの、長くない?
「審議が終わりました」
審議してたの?
「大山哲くん」
「あ、はい」
鼻先に、指先がビシっと突きつけられる。
「やりなおし、です」
「……は?」
なんだって?
「告白が不完全だから、やり直してくださいって言ったのよ。なんか、適当な感じだったし、風情を感じないわ」
「はぁ!?」
いやいやいやいや、ちょっと待ってほしい。
告白をして、イエスかノーではなく。ダメ出しをされた挙句、リテイクを要求される男とか、聞いたこともないいんだが!?
というか、男の告白に風情を求めるな!
「いや、東郷さん。俺、今の告白……ふざけてるとかそういうつもりは毛頭なくて、ちゃんと真面目に言ったつもりだったんだけど」
「ダメよ」
「……ダメなんですか?」
「ええ、全然ダメ。これなら、小学六年生の頃に私を校舎裏に呼び出した男の子の方が、よっぽど度胸があって素敵で、かっこよかったわ」
「…………え?」
耳から入れたその言葉を、脳で理解するのに時間がかかった。
「東郷さん……」
まさか。
おれのことを、思い出して……?
「まあ、そんなことはどうでもいいんです」
コ、コイツ……?
おれの数年分の葛藤、一言で切り捨てやがった、この女!
続けて、東郷さんは言った。
「だって、今。この瞬間に、私に気持ちを伝えてくれているのは、あなたでしょう?」
……本当に、勘弁してほしい。
いつの間に、俺が好きだった女の子は、こんなに強い女になってしまったのだろう。
「大山哲くん」
「……はい」
「今の私は、東郷美森です。鷲尾須美ではありません」
「…………はい」
「それでも、私に。東郷美森という女に、もう一度告白してくれますか?」
「はい」
考えるまでもなく、即答した。
「もう一度、あなたに気持ちを伝えさせてください」
やっぱり、ミノさんの言う通りだった。
『須美はきっと、ピシッとした日本男児の方が好きだぞ~?』
生半可な告白じゃ、この高嶺の花は落ちないから。
「東郷さん。ミノさんのお墓の前に、立ってもらっていいかな?」
だからちょっと不謹慎かもしれないけれど、
『須美に気持ちを伝える時……アタシがみている場所で、告白すること』
でも、俺はミノさんとの約束を守りたいから、許してほしい。
「……銀の前で告白するなんて、いい度胸ね」
「それくらいの覚悟があるってことで」
「……うん。わかったわ」
彼女の前で、膝をつく。
「東郷美森さん」
「はい」
「俺は、あなたが好きです」
おれは二回失恋した。二回、告白に失敗した。
「花が踊る春風の中を、一緒に歩きたい」
しかし、どう足掻いてもおれという男は……綺麗な瞳の、黒髪巨乳で見た目だけ清楚なおっぱい美人が……どうしても好みだったらしい。
「傘を鳴らす夕立の中を、寄り添って歩きたい」
俺の人生最大の不幸は、愛する人がこの世からいなくなってしまったこと。
「赤に染まる街路樹を、一緒に見上げたい」
俺が心から惚れた鷲尾須美という女性は、もうどこにもいない。
けれど、逆に考えればいい。
「すくい上げた綿雪を、間近で見詰めて笑い合いたい」
俺の人生最大の幸運は、一人の大和撫子に三度、恋をしたことなのだ、と。
銀色に輝く夕焼け空と、笑顔のきみへ。
俺は宣言する。
春夏秋冬。これから先、どんな時も、
「東郷美森さん。俺とずっと一緒にいてください」
返事よりも、早く。
彼女の身体が、腕の中に飛び込んできた。
結果、片膝をついていた俺はその勢いに倒れ込み、けれど彼女のことはしっかり抱きしめて、石畳の上に仰向けに倒れ込んだ。
「あっぶな……!?」
「……哲くん」
「なに?」
「腕枕、して」
「どうぞ」
身体の全てを預けて、彼女は笑う。
「返事をします」
「お願いします」
一緒に、空を見上げる。
それは多分、おれの人生の中で最も綺麗な赤色だったけれど、
「不束者ですが、どうかよろしくお願いします」
傾けた首の先。
おれに腕枕されている彼女の横顔の方が、世界で一番綺麗だった。
全てが変わったはずだった。でも、腕で支える彼女の重さだけは、そんなに変わっていないように思えた。
だからきっと、こんなおれでも支えていけるだろう。
鷲尾須美は勇者だった。
東郷美森は勇者だった。
どちらも、今は過去の話だ。
彼女のことを問われたならば、俺は胸を張って答えよう。
東郷美森は俺の彼女である。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました