「しっかし改めてみるとデケェな…」
「圧巻ですね」
おやっさんが呟くのが聞こえたので返事を返す。確かに改めてあのムカデを見ると本当にデカい。
場所は船の近くの森の中。ムカデが離れたらすぐに動けるように待機中である。
「…織部さん達は大丈夫でしょうか?」
不安げな声を出すのは識森さん。まぁ仕方ないとは言えば仕方ない、なにせ織部さん達が上手くいかなければこの島からの脱出は不可能なんだから。
「あ?上手くいくに決まってんだろ」
そんな不安をバッサリと切り捨てるのは神野だ。その顔は織部さんが失敗することは無いという確信に満ちていた。
「…ふっ」
「何笑ってんだ蟻原」
「いや何、織部さんを信頼するようになったんだなぁとか思って」
最初会ったときは自分さえ生き残ればいいという感じの尻軽女だったのに、今ではもはや姐御といった風体だ。肚が座れば人間こんなに変わるのか、と思えば微笑のような物が出てくる
「チッ そりゃそうだろ。あの虫女が居なけれあたしたちはとっくに虫の腹の中だ」
「確かにそうだな、あの虫女の知識が無けりゃ流石の俺様も本気でやばかったぜ」
神野の言葉にうんうんと頷くのは上條。何か心境の変化があったのか、初日と比べ随分と丸くなった気がする。これもまた成長と呼べるのだろうか。
(危機があるからこそ人は成長するってか?皮肉だなぁ)
危機を乗り越えた時人は成長する。嬉しいやら悲しいやら複雑な気分になっていると船に変化が出始めた。
「ムカデの奴動いてるぞ」
「煙の方向に行ってる…」
「嬢ちゃんが上手くやったみたいだな」
するすると動き始めたムカデはのっそりと山の中に出てきた煙へと向かっていく。織部さん達がうまくムカデを集めて燃やしたので誘われて山へと向かったのだ。
「良し!今のうちに船に乗り込むぞ!」
おやっさんの掛け声と主に船へと向かう。後はいかにして物資を調達し救命艇を運べるかだ。
「おいおい、大丈夫なのかよこの船…」
呆然と壊れた船を見上げる上條。気持ちは凄くわかる、船体は傾き何故未だに浮いているのかわからないほどだ。特にムカデが巻き付いていたブリッジの損傷がひどく一目でもう操縦することが不可能だと判断できるほどだ。
「あーもう滅茶苦茶だよ」
「これ、救命艇は無事なんすか?」
ムカデの交尾後のすさまじさに甲斐と二人でげんなりしていれば神野の慌てた声が聞こえてくる。
「おいお前ら!あっち見ろよ!ムカデが二匹になってる!」
見ればなんと山の方にも大ムカデがおり、船にいた方とにらみ合いが発生していたのだ。その光景はまさしく織部さんが危惧していた光景だった。
「ほぅ、そりゃ景気が良いな」
「お父さん、馬鹿なこと言ってないで、時間が無いのよ!」
おやっさんの冗談に識森さんが窘める。そうだ今は大ムカデの事を気にしている場合ではない。さっさと急がないと二匹ともこちらに来る可能性だってあるのだ。
(織部さん、伊能。大丈夫だよな?)
ムカデを誘い出している仲間たちの安否を祈りながら俺達は船へと駆けていくのだった。
「あった!無事で良かった!」
船へと乗り込み、大きく迂回したところ見つけたのはオレンジの小型の救命艇。全員が乗るには多少手狭そうだがそうも言ってられない。寧ろムカデに巻かれながらも無事だったことに安堵するべきだった。
「大ムカデが戻ってくる前に救命艇を海面に下ろし、織部さん達皆を迎えに行きます」
「んなこと解ってんだよっ それよりコイツをどうするんだっ!」
「まぁ待て…チッ電源が死んでやがる」
上条の慌てる声におやっさんは冷静に返すが…本来なら救命艇を海面に下ろすはずのスイッチは反応しなかった。まぁここまで船が損壊しいてるのだ。半分読めていた事だ。
「なら手動だ。コイツを回せば…」
クランクハンドルを回し、救命艇を釣り上げているロープを手動で下す。なるほど電源が死んでもちゃんと用意されているって事だ。ってなると
「よしっ上條お前の出番だ!」
「は!?俺ぇ!?」
「おやっさんは片腕が無いから無理。識森さんは物資の場所が分かる、神野は女の子。甲斐はああ見えて理系。残りは俺とお前」
指させばグググと上條が唸る。んで俺は力仕事要員だが荷物などの運搬の方がやりたい。って事で
「上條君の~ちょっと良いとこ見ってみたい♪」
「適材適所っしょ。アンタならできるっ」
「チクショウ!テメェ等覚えてやがれよ!」
意外にも物わかりが良い上條、ウガッーと吠えるとクランクに飛びつき全力で回し始める。中々の重労働なのか重そうなクランクを動かす上條は直ぐに苦悶の表情を浮かべた。頑張れ上條!お前の犠牲は無駄にはしない!
「さぁ上條が頑張っている間に物資を取りに行きましょう!」
「え、ええ。それでは着いて来て下さい!」
ひとまず救命艇は上条に任せて移動する。
「それで、一応聞きますが何を集めるんで?」
「救命艇の食糧は一週間程度…燃料はフルで12時間程度しか運航できません」
ふむ、って事はしこたま物資をかき集めないとマズいって事か。なにせ生き残っているメンバーは19名、食料は節約してもすぐに尽きるだろうし(皆お腹空かせているのは間違いない)燃料も人がいる分消費も激しいだろう
「良しっ!それじゃ涼子と嬢ちゃんと天パの坊主は食料をかき集めてくれ。俺とこっちの坊主は燃料とかを見に行くぞ」
「分かりました。それでは神野さん甲斐君こっちです」
「神野、甲斐、食えるもんは何でも持って着てくれ。滅茶苦茶腹減ったから大量に喰うかもしれん」
「ハイハイ分かったよ。ったくアンタって本当呑気だな」
「はっ 目いっぱい持ってくるさ」
移動の途中で識森さんと甲斐、神野と別れる。食料品は食堂にでも行けば大量にあるだろうし、どうやらそっちの方が救命艇には近い様だ。
食料を識森さん達に任せて数分、初見の俺では迷いそうになる船の中をおやっさんに先導してもらって進んでいく。そこでふと思ったことを口にした
「…ねぇおやっさん」
「何だ?」
「誰もいないっすね」
船内には誰も居なかったのだ。慌ただしく移動した形跡は見られるがそれでも人っ子一人いない。
「大方ムカデにビビって逃げたんだろうよ」
「それで、全員死んだ。ですかね」
「………」
おやっさんは何も言わなかったが実際はそうなのかもしれない。何せ大ムカデが船に巻き付いてきたのだ、辛うじて生き残った人たちムカデから逃げる様に船を下りて森の方に行き…流石に想像が過ぎるだろうか?
ま、結局のところ考えても仕方のない事ではある。船の人間は誰一人いなくなり、救助に来た中でこの識森親子が最後の生存者であることに間違いはないのだから。
「なぁ、割と気になってたんだがお前」
「はい?」
「一体何者…いやすまん。何でもない」
…頭を振るおやっさん。なるほど確かに普通の人からしてみれば自意識過剰でなければ俺はいささかに変に見えるのかもしれない。今のうちに事情を話しておくか。
「多分、普通の高校生ですよ」
「多分だと?」
「あー実は記憶喪失で」
この島で起きた時には記憶を失っていた事、生存者から話を聞いて転校生であり俺の事を詳しく知っている人たちは誰もいない事を今更だが説明する。
「…そうか、そりゃ大変だったな」
「いえ、皆が居ましたから。だから俺は大丈夫でした」
記憶を失い自分が誰なのか分からない中であった仲間達。彼らのお陰で俺はここまで来れた、恥ずかしくて言えないが皆には感謝している。守りたいと思うほどには。
「そうか、よく頑張ったな」
「わっわわ!?」
俺を複雑そうに見ていたおやっさんはいきなり頭をぐしゃぐしゃと撫でてくる。ゴツゴツとしたぶっきらぼうな手が頭を撫でてくるのはなんて言うか…ほんの少し涙ぐんでしまう。
思えばずっと周りにいた人たちは守らなくちゃいけない人達だった。いくら織部さんが知識を持っていても伊能が助けてくれても精神的にはずっと気を張りっぱなしだったのだ。
「そ、それで見つかったんですか?」
どもりながらも平静を装う。安心するにはまだ早く、流石に今の涙目を見られるのは気恥ずかしい。
そんな俺ににやにやと笑うおやっさんは遂に目的の部屋を見つけたのか、声を上げた。
「見つけたぞって…こいつは」
おやっさんが顔を顰めたのと俺の鼻がガソリンの匂いを嗅ぎ取ったのはほぼ同時だった。胸が重くなる様なそれでいて中毒にはまりそうな匂い。確認するまでもない予備であろう燃料が漏れていたのだ。
「チッ 気化してやがる…早く急がねぇと」
「…コレ、使えますか?」
「無理だな。仕方ねぇ燃料は諦めるぞ」
流石にこぼれた燃料の方はどうにもできない。救命艇が持ってくれればいいのだが…こればっかりは神のみぞ知るって奴だ。燃料は諦め他に何か探すものは無いかと尋ねる。
「燃料はどうにもならんが、他に集めるもんがある。それを取りに行くぞ」
「他に?」
「武器だ。…保安庁の連中が持っていた銃がある。それを取りに行くぞ」
「コレ…何であの人達使わなかったんすかね?」
手に持つのはアサルトライフルだ、確か名称は89式だったか?一つも使ったことが無いのだろうか汚れのない黒光りする銃身とずっしりとくる確かな重さがこの武骨な銃の威力を物語っている。
「そこまで頭が回らんかったんだろうよ。人間パニックになると当たり前の事がすっぽ抜けるもんだ」
苦渋の顔をするおやっさん。それもその筈この銃は二丁見つかっており、弾も豊富にあったのだ。もし保安庁の人たちが早々に大ムカデ相手にこれを使っていたら…少なくともこの船には何人か人がいただろうに。
「使い方は分かるんですか?」
「猟銃と似た様なもんだろ。大まかには違ってねぇさ」
意外と雑である。後で識森さんに聞けば…あれ?あの人銃を撃てたっけ?何か不安だ。きっと使い方は安全装置を外して引き金を引くって事に変わりはないと思うけど。
「ぼさっとしてねぇで弾を集めるぞ」
「ウィっす」
とにもかくにも物資を集めないとならないのは確かだ。おやっさんと手分けしてライフル弾をバッグに詰め込んでいく。重みは増していくがそれだけ身を守る者が増えると考えれば問題ない。
「…ねぇおやっさん折角だから聞きたいんだけど良いですか?」
「時間がねぇのに一体…いや、どうした言ってみろ」
弾を集めながら、俺は気が付けば低めの声でおやっさんにずっと考えて燻っていた物を話そうとしていた。それが声に出ていたのかおやっさんも話を聞いてくれるようだ。
「この島、虫が巨大化して居たじゃないですか。あれって正直どう思います?」
「どうってのは?」
「巨大化の原因です」
ふと気になっていた事だった、どうして虫は巨大化したのだろうか。小さいままでも生きていたはずなのにどうして巨大化と言う進化を果たしてしまったのだろうか。その事がどうにも腑に落ちないのだ
「この島は二週間前までは普通だったと聞きます。なら虫たちは突然巨大化したと考えるべきだ」
「…ふむ」
「でも、織部さんの話によると虫は突然巨大化なんてするわけがないって事になります。でも実際には巨大化している、急速に成長し成虫にさえなっている」
巨大化と同時に急成長さえしている、ヘビトンボがいい例だ。八か月で成虫になるのが僅か二週間で成虫だ。常識を超えた成長スピードと言わざるを得ない。
「二週間前までは普通だった虫が一日で巨大化して成虫になる?ちょっと考えにくい。でもある事を仮定すれば割とおかしな話じゃない」
「……」
「おやっさん。もしかしてこの島の異常って…人為的な、つまり蟲の巨大化ってのは人間が引き起こしたんじゃないですか?」
おやっさんは黙り込み、俺に視線を向ける。その険しい目が続きを話せと催促をするので自分の勝手な考えだと前向きをしたうえで妄想と空想が混じった持論を語る
「根拠はシンメイ製薬メディカルセンターです。あの診療所には巨大な水槽があり、そこに巨大な蟹がいたんです」
「巨大な水槽にデカくなった蟹か。確かにそりゃきな臭いな」
蟹を捕まるために水槽が用意されていたとは思えない、寧ろで逆で蟹の為に水槽が用意されたわけで…そう言う考えも含めて考えるとどうしても人的な作為を考えてしまう。
それに蟲が巨大化したものだと思っていたが実際は虫ではない蟹もまた大きくなっていた事実もある訳だし。
「虫だけが巨大化したのなら異常現象でも起こったと納得できそうだったんですが流石に蟹が大きくなっているのは…オマケにフジツボも大きくなっていましたし」
蟹だけならまだしもフジツボまでとなるとこれはもう虫だけの話ではない、となれば
「それで坊主はシンメイ製薬を疑ってるのか」
「そう言う事です。シンメイ製薬の人間が何か実験を行いそれで事故が起き島がとんでもない事になった…ってのが俺の持論です」
まるで陳腐なB級映画の様で笑えて来る。尤も真相は甲斐が見つけてきたSDカードを見なければ分からないが…概ね間違っているとは思えなくなってきた。
「なるほど、確かにそれが本当なら大問題って奴だ」
「でしょ?まぁ人間の仕業であってほしいっていう望みも入ってますが」
「あ?一体どうしてだ。普通は糞野郎って罵る所じゃねぇか」
おやっさんの怪訝な顔にふっと笑う。だってそうじゃないか
「もし、この巨大化現象が自然現象だった場合、俺達人間は虫に淘汰されるって事になるじゃないですか」
「ふぃー取りあえずこんだけありゃ大丈夫か」
食料がぎっしりと入った段ボールを置き一息つく神野。総勢19名が救命艇に乗る事を考えると流石に食料も多くはなる。疲れた体をもみほぐすのは当然だった。
「はぁ…はぁ…おい美鈴!さっさと変わりやがれ!これ以上は流石に無理だぞ」
そんな神野に怒鳴ったのは上着を脱ぎ棄て汗だくになった上條だった。ただでさえ重いクランクを動かし続けたのだ、疲労は蓄積されていた。それでも一人で救命艇を船外まで動かしたのだから大したものだった。
「ああ、わかったよ。アンタは救命艇の中で保安庁さんの手伝いをしていな」
「はぁ…はぁ…ああ、サンキュー」
ヘロヘロになった上條はそう告げるとよろよろと梯子を上り救命艇の中へと入っていく。救命艇の中では識森が物資の整理をしていたからそれでも手伝っていた方が良いだろう
「甲斐、段ボールは運び終えたか?」
「もうちょっと。これで最後ッス」
そこまで言い終わった時だった、後方から低い声と共に現れたのは燃料を確かに行動していた二人だった。
「おい、急ぐぞ、燃料が気化し始めやがった」
「もうすぐ船が爆発するって」
「はぁ!?マジかよ…」
二人が嘘を話しているとは思えないからこそ素っ頓狂な声が出てしまう。確かに船から出ている煙も心なしか多くなっている気がする。どう考えても危険なことに変わりは無かった。
急いで蟻原たちが持ってきたずっしを救命艇に運び出す。
「手の空いてるやつはさっさと救命艇の中へ入れ」
「って事はおやっさんは早く中に入らないと駄目じゃん」
グイグイと背中を押す蟻原。確かにその通りだ、片腕では作業一つするにもどうしても不便が出てしまうならばこそ早く救命艇に入らないといけない。
「甲斐、おやっさんを連れて中へ入ってくれ。神野、早く救命艇を…げっ!」
あらかた物資を救命艇へと入れ2人がもたつきながらも救命艇に入った時だった。山の方からこちらへとムカデがやってきたのだ。ずるりと動くその姿は精彩を欠いているように見えながらもこちらを真っ直ぐに向かっていたのだ。
「識森さん!ムカデが来ています!」
「っ!直ぐに動かせるように船を起動します!」
言葉と共に船が振動し始めいつでも海面に着水次第移動できるようになる。しかし神野はそれを確認する暇もなくクランクを動かす。ムカデのスピードは思ったよりかも早い、船までやって来るのに数分も掛からないだろう。
「クソッ!あと少しだってのに!」
ようやくこの異常な島から脱出できるのだ。それなのに離れていたはずのムカデがまたやって来るなんてとんだ計算違いだ。湧き上がる汗を拭いもせず歯を食いしばり必死で重いクランクを回す。
「こんなとこで死んでたまるか!」
「そうだな、こんな所じゃ死ねないよな」
焦りながら出た叫び声に返されたのはいたって冷静な声。いっそ冷淡にすら聞こえた声に悪態をつこうと振り向けば蟻原は困ったような顔をしていた。その顔に嫌な物を感じる。
「神野、ワリィけど、それ気に入ってるから持っててくれないか?」
「…おい蟻原?アンタいったいに何やって!?」
声は最後まで出なかった。蟻原は持っていたマチェットを神野に押し付け、受け取ったのを確認すると米俵みたいに担ぎ出したのだ。
「おい上条!甲斐!頼んだぞ!」
「う、うわぁあああ!?」
救命艇の扉から顔をだす上條に向かって神野を投げ飛ばす蟻原。幸か不幸か蟻原の力は思いのほか力強く、投げ飛ばされた神野は上條を巻き添えにするようにして救命艇の中へと入っていった。
ズズンッ
「来やがったか!?」
神野が救命艇に入った瞬間、大ムカデもまた船へと巻き付いてくる。悪態をついたのは一瞬だった、すぐに近くにあった消防用斧を取り出し、救命艇を繋いでいたロープを切り離す!
「せいやっ!」
ガギンッと金属質な音を立てたロープは思いのほかあっさりと断ち切ることが出来、救命艇はいささか乱暴だが海へと着水する。申し訳ないが中の人たちの無事はそちらでどうにかしてもらう。
「それじゃ俺もここらで失礼して…駄目?」
ギュイギュイギュイッ!
蟻原も後に続くように海へと飛び込もうとしたが、ムカデはどうやら蟻原の事を認識した様で回り込んでしまった。
威嚇をしているのか何度も口を開閉している様子を見るとどうやら逃がす気はさらさらないらしい。
「あーなるほど?どうもお前から見れば俺は気に入った女に纏わりつく間男に見えるってか?」
船の燃料の匂いをメスのムカデの匂いと認識しているのなら、蟻原はその雌に付着している害虫である。威嚇をされるのも逃がす気もないのも納得であった。
「あははー まぁそれでも喰われる気は無いんでねっ!」
言葉を発した瞬間、突如としてムカデは蟻原を食らいつこうと突進をしてきたのだ。当たれば数時間前に見た猟友会の人達と同じように上半身を食いちぎられるだろう。
しかし蟻原は違った。懐から取り出したロープを半壊しているブリッジの残骸に引っ掛け自身の腕力と脚力を頼りに跳躍したのだ。ひらりと飛び上がった蟻原の真下ではムカデが破壊音を奏でながら船へと頭を突っ込んでいた。
「っと!織部さんから二重8の字結び教えてもらってよかった!」
蟻原が使ったロープは以前、焚火の夜に編み込んで貰ったジグモの糸だった。強靭で、しなやかな糸は即席のロープとしては十分な物だった。そこに織部から教わった二重8の字結びをすれば拙いながらも上へと進める移動手段となったのだ。
(つってもこれで事態が解決したわけじゃない、コイツをどうにかしないと!)
またもや襲い掛かり生えている脚で引き裂こうとしたのを転がりながら避け、ムカデの対処を考える蟻原。危険はあるが自分は大丈夫。懸念していた救命艇は意図を読み取ってくれたのか巡視船から離れている。
蟻原がムカデを引き付けた理由は救命艇を船から離れさせるためだった。ムカデが救命艇に注意を惹かれたら壊されるのは目に見えているし、船の爆発に巻き込まれてもオジャンだ。
(いつまでもムカデが船に執着するとは思えん。どうにかしてコイツを…え、無理じゃない?)
今までは虫相手に何とか対抗できた。自身の身体能力と睦美の知恵で凌げていたからだ。しかしこのムカデにはどうすればいいのか考えが思い浮かばない。
「ふん!…ってやっぱダメージなしかー」
ギュイィィイイイ!!
現に今持っていた消防斧を投げつけたが、頭部に刺さったままで死ぬわけでもなく寧ろさらに怒りが倍増したように見える。
「そもそも、人間の手でコイツをどうにかできたらそいつ人間じゃねぇよなー」
乾いた笑いしか出てこない。自分ではどうすることも出来ず、しかしこのままではこちらの体力が尽きてしまう。
どうにかして逃げ乍ら考えを巡らせていた時、甘ったるい中毒になりそうな奇妙な臭いが鼻をくすぐった。
「コレ、ガソリンの匂い?…そう言えばさっきおやっさんが」
燃料が気化していたと話していたのだ。燃料が気化した場合多少の火花が原因でも爆発する可能性があると。
「火花…ならぜんさんの猟銃を使えば行けるか!?」
移動の為に使っていたロープを回収し背負っていた猟銃を取り出す。89式ライフルは救命艇の中へと入れてしまったので残りの火器類は形見の猟銃しかなかったのだ。
「後は、爆発に巻き込まれなけりゃいいんだが グッ!?」
猟銃を匂いの元へとむけた時だった、いつの間にか引き離したはずのムカデが現れ脚で蟻原を捕まえた。
(おいおい糞が!?捕食コースまっしぐらかよ!)
引きずられ景色が一瞬のうちに変わっていく中、悪態をつく余裕はまだあった。全身を掴まれた訳では無く片腕だけだったので、猟銃を手放す事は無かったからだ。
「あぐっ!痛ってぇ!」
それでも締め付ける強さは人間の比ではない。ジャケットがよほど丈夫なのか切断されることはなくともギチギチと腕から悲鳴が出てくる。
それでも歯を食いしばり止まった先にはこちらを見る大ムカデの六つの目。そして捕食しようとギチギチと音を鳴らす口
(…あーこんな状況の時なんて言うんだっけ?…確か…)
絶対的に不利な状況だが、考えるのはそんなどうでもいい事。銃はまだ手にしており、弾も一発だけ装填されている。震える手で狙いを向けるは異臭を放つ船。
小さな火花は自身の手の中に。大ムカデに対して不敵に笑う。
「…ガン飛ばしてんじゃねぇよ」
ドンッ!
放たれた一発の弾丸は匂いの元へ吸い込まれる様に消えていき…
ドッォオン!!!
そして光が爆ぜた。
恐らく次回最終話…のはずです