《伊能 愛》
「き、記憶喪失って…それ本当に本当?」
「残念だけどマジでない。そもそも名前すらわかんないんだ」
ハァと溜息をつく男の子。その様子だと本当みたいで凄く困ってそうだった。一応背格好辺りは僕達と同年代だから一緒に修学旅行に来ていた同学年だとは思うんだけど…僕も同学年の男の子全てを把握しているわけじゃないから何とも言えないね。
「それじゃ委員長に聞いてみようよ」
「委員長?」
「あそこにいる眼鏡をかけた女の子。真面目で頭のいい子だよ」
指させば当の委員長は織部さんに抱き着いて泣いていた。ずっと心配していた親友が無事でほっとしたんだよね。
「今はお取込み中かな」
「そうだな。ちょっとだけ待ってあげよう」
男の子と一緒になって微笑ましく見ていると、ぞろぞろとほかの皆が寄ってきた。…その中で二人ほど足りないのは考えたくない、かな
「伊能さん、大丈夫?」
「うん。この人に助けてもらったから平気だよ」
同じクラスの白川さんに男の子を紹介する様に返事をすると、少し驚きながらも男の子に視線を向ける。それはほかの皆も同様だった。
「アンタ、さっき蝶をぶっ飛ばしてた…」
「私も見た。一人で伊能さんを守っていた」
「あーあの時は必死で…」
皆に視線を向けられたせいか、男の子は気まずそうに頬を掻いていた。その様子が本当に子供っぽく、少し笑ってしまう。そんな男の子に助け舟を出そうとして、男の子の事情を説明することにする。
「ねぇ皆この人記憶が無いんだって。誰かこの人を知っている人いるかな」
「はぁ~記憶喪失ぅ~?」
「記憶喪失ってあの記憶喪失?」
疑うような目で見るのは天然パーマの甲斐君にアイドルの三浦さん。確かに疑いそうな事だけど本当なんだ。
「嘘かと思うけど本当なんだ。それで俺は君たちと同年代っぽいから誰か知っている人がいないかなって思ったんだけど…」
ちょっと困った様子の男の子。そんな男の子を神野がねっとりするような目で男の子を見定めする。その様子はまるで獲物を狙うような目で…少し不快になった。
「アタシならこんな強くてイイ男知らない筈はないんだけどねぇ~」
「あはは…この様子だと俺は君達とは無関係なのかな」
悲し気に語るその姿は仲間を見つけることが出来なかったように見えて…元気づけないと思った所で怒鳴り声が横から飛んできた。
「おい!そんな奴の事は放っておいてこの島いったい何がどうなってんだよ!?何だよあの化け物虫は!」
がなり立てるのは不良の上條。確かに不安になるのは分かるけど大声を出す必要はない。そんな事をしたら余計に体力を使うし何より蟲を誘い出してしまうかもしれない。
「…分かりません。今の私達に分かるのはあの化け物みたいなアゲハ達から身を隠して救助が来るまで三日間生き抜く事です」
そんな喚く声に答えた帽子の少女織部睦美さんはそう呟くのが精一杯だった。確かにこの島の場合は救助は最長でも三日もかかる可能性がある。僕達にはその救助が来るまでなんとしてでも生き延びなくちゃいけない。
「三日もかかるのかよ!一体どうすりゃいいってんだよ!」
「そんなに騒ぐなよっ!アタシたち誰もが分かんないんだから!」
ソフト部のキャプテン松岡さんががなり立てる上條に止めようとする。何となくだがこの二人相性が悪そうだ、口論が激しくなりそうになるのをどうしようか考えてふと思い出した。今の今まで委員長成瀬千歳の事を忘れていたのだ。
「委員長っ」
「伊能さん!無事でよかった。…ごめんなさい助けに入ることが出来なくて」
「いいよ、アレはもうどうしようもなかったし。それよりもこの人が誰か知ってる?」
相変わらず生真面目な委員長に苦笑し、どうやら本格的に居た堪れなくなってきたのか僕の後ろで立っていた男の子を押し出す。
「貴方は、さっきアゲハに立ち向かった…」
「うん。僕を助けてくれた人、それよりこの人記憶喪失なんだって。同じ学年で見かけた?」
委員長が知らないとなるとお手上げだ。もしかしたら本当に旅行客なのかもしれない。そんな僕の心配は委員長の一言で吹っ飛んだ。
「見かけては…ちょっと待って。そう言えば三組で急に転校生が入ったって…」
「転校生?俺は君たちと同じ高校生なのか?」
転校生。その存在は考えていなかった。僕は二組で同じクラスなら男子の名字ぐらいは分かるが、隣のクラスとなるとさっぱりだ。でもそうなると流石に同じ学年の僕の耳に転校生の事が入らないのはおかしいような?
「本当に急に修学旅行直前に入ったって話よ。…ええ、そうよ。私がチラリと見た転校生は貴方そっくりで…確か苗字は《蟻原》って言ってたような」
「…その話が本当なら、そっか俺は転校生で名前は蟻原っていうのか」
ホッとした様子の男の子…蟻原君。その顔は安堵に満ちていて僕も思わず嬉しくなる。
「良かったね。蟻原君。自分の事が分かって」
「と言っても少しだけだけど。後は同じクラスの人が居ればもう少しだけ俺のルーツが分かるんだけど」
確かに同じクラスの人なら話をしたかもしれない。だけど生憎僕達のメンバーで三組は…小田君だけだった。今その小田君は体液を吸われて干からびて死んでいる。蟻原君の情報は分からずじまいだった。…その死に顔は苦悶に満ちている。
「平気か伊能さん。少し顔色が悪いぞ」
「……大丈夫だよ蟻原君。それよりもこれから」
今後の事を考えようとした時だった。神野が声を上げた。
「静かにしろ!何か聞こえる」
神野の言う通り、確かに何か空から大きな音が聞こえる。空に響く大きなその音はどこかで聞き覚えがある様なそんな音だった。
「ヘリの音だ!助けが来たんだ!」
「やったわ!私たち助かるのね!」
皆が喜びの歓声を上げる。勿論僕も同じだった。ようやくこの島から脱出できると安堵の息を吐いた。
「よかった~ もう僕駄目かと思ったよ」
「ま、これで一安心だね。最もカプコン製のヘリじゃなければいいんだけど…」
「あははっ 何それ?」
「墜落するのがお約束のヘリ。それにしても救助ってかなり早いんだな。流石の日本」
うんうんと頷く蟻原君。そんな彼の言葉でふと一株の不安がよぎる。流石に早すぎないかと、飛行機の墜落からわずか数時間でやってくるほど救助隊は早いのかなと思ってしまったのだ。
その不安を消すために委員長に相談しようと振り返った時、僕はまだこの地獄が終らない事を理解してしまった。
《蟻原》
それは俺が反応するより速い一瞬の出来事だった。大きなハチ、俺が認識したのはそれだけだった。
「睦美!睦美助けて!」
「千歳ちゃぁぁああん!!」
委員長が帽子の少女織部睦美をかばいハチに捕らわれてしまったのだ。人一人を軽々と持ち上げたハチは暴れる委員長を尻にある針で刺し、ぐったりと動かなくなった委員長をそのまま運んでしまったのだ。
「蝶の次はハチかよ…」
それはある意味想像しておくべき事態だった。蝶が巨大化していたのだ、それならほかの虫だって大きくなってるのは道理のはずで…自分のルーツが分かって警戒を怠り自惚れていた瞬間の出来事だった。
「委員長が攫われた…助けに行かないと」
隣の伊能さんが呆けた様に、しかしそれでも委員長を助けようと考えてか辺りを見回す。同じ仲間たちを見て…そして俺を見た。
「…蟻原君」
その目は何よりも言葉を発していた。委員長を助けたいと。この子は馬鹿じゃない。危ないというのは分かっている筈だ、でもそれでもという思いが込められていた。…そんな目をしないでくれ、心がゾクゾクする。俺はどうやらその人を助けようとする目にとても弱いみたいなんだ。
だから…
「行こう。委員長を助けに」
「うん!」
目標が決まれば後は何をするのか。まずは傍で言い争っている人達に説得をしてみようか。…俺と伊能さんだけで行くのは最終手段としよう。
「それでも同じ学校の仲間だろ!私達が助けに行かなきゃ誰が行くっていうんだ!」
「おいおいこのリーダーのいう事を聞けよ。そりゃ家族やダチ、恋人なら行くかもしれねぇけどよぉアイツは他人だぜ?オマケに毒を撃たれちゃ助からねぇ 俺は死んだ人間より生きた人間を優先するぜ」
仲間を助けたいと主張するキャプテン松岡さんに剃り込みの入った不良の上條が呆れたような顔をする。言ってることは物凄く真っ当なのにやたらとムカつくような言い方はや・め・ろ。なんか蹴りを入れたくなるだろ。
「千歳ちゃんは生きています!アレはジカバチ、麻酔を打たれて巣に連れて行かれただけです」
毅然と上條に反論するのはテンガロンハットを被ってクッソ可愛いリュックを背負っている織部さん。その言い方だと結構虫について詳しいのかな?
「巣に連れていかれたって事はまだ生きてるって事だよね。…ああ、幼虫にやる新鮮な餌か」
生きた獲物を眠らせて巣に運ぶ。想像するのは胸糞最悪な展開。だから俺は蟲姦が嫌いだって言ってんだろ!
「いやぁぁ!!」
「新鮮な餌って…幼虫が生きたまま食うのかよ」
俺の言葉で絶句するアイドル?三浦さんにやたらと扇情的な神野。…少し不謹慎だったか?でも気にしている時間はない。
「織部さん。ジカバチの習性を知っているの?なら委員長の連れていかれた居場所の想像つくの?」
「はい!ジカバチは獲物を捕まえたら巣に真っ直ぐ持ち帰るんです。連れていかれた方角は覚えていますからあっちです」
伊能さんの言葉にはっきりと頷き方向を指し示す織部さん。そのハッキリとした言い方、この娘…かなりの蟲の知識を持っている。
「おいおい何勝手に話をしてるんだ!リーダーは俺だぞ!ここは頭である俺のいう事を聞いてもらおうか」
「ならリーダーの方針は?」
「行かない、だ。俺達が分裂すれば生き残る確率は低くなるんだろぉ。喧嘩でも何でも頭数が居れば有利に運ぶってのが定石だ」
うぅん、言ってることが本当に正論過ぎて感情面で説得するのは不確実だな。ここは自称リーダーを損得方面で話を進ませた方が良いのかも。織部さんに近づき、織部さんにだけ聞こえる様に耳打ちする。
(織部さん。ちょっとアレだが上條の言い方は正論をついている。何か説得するだけの材料は無いか)
(材料…ですか)
(最悪俺と君と伊能さんとついでに松岡さんだけでも強行突破できるけど暴力沙汰を起こしてしまうかもしれない。力に頼るのは後からでも良いはずだ。だから助けに行くだけの理由を考えてくれないか)
本当にどうしようもなかったら上條を張っ倒して進むことだってできる。見た限りこのメンバーで力がもっともあるのは俺、その次に上條だ。上條を打ちのめしたら後は物事を強引に進めることだってできる。でもそれは最終手段。だから知識を持っている織部さんに相談したのだが…
「あの、皆さん携帯は持っていませんか?私のは壊れてしまったんですが」
話を変える様に携帯について聞きだす織部さん。いきなりの言葉に皆が怪訝な顔をすると説明を始めた。
「携帯はGPS機能で現在の居場所や標高が分かるんです」
「それが一体なんになるのぉ~」
間延びした独特の言い方は天然パーマの甲斐。ふざけているように見えてその姿勢は織部さんの知識を聞こうとしている。コイツ頭の回転が速いな、又は柔軟性か。織部さんの知識が生き残るうえで必要不可欠と思っているのかも。
「地形や標高が分かれば蟲の種類が絞れます。虫はとても温度と湿度に敏感なの」
「そう言えばハイキングで標高が変わるだけで虫の種類が全然違ってくるよね」
「そうなの?」
「僕ワンダーフォーゲル部だから少しだけしっているんだよ」
むふんとする伊能さん。…得意になってるところ悪いけどワンダーフォーゲル部って何なんですかね?
「生息している蟲達の予想が出来れば急に襲われることは無い。情報が確保できないと私たちの生存確率はぐんと減ってしまう」
「おい!誰か使える携帯を持っている奴はいないか!」
鬼気迫る表情の織部さんに上條が焦りの表情を浮かべる。感情的な発言だと上條は否定してくるが今の俺たちに必要な論理的な事になると認めざるを得ないようだ。実際に虫の情報を知ってるかで対応が全然違うもんね
皆自分の携帯を確認するが、当たり前のように壊れているようだ。俺?俺は持っていませんよ、寧ろ下さい。
「そう言えば、確か千歳ちゃんは圏外だって言ってました」
「あ~委員長ちゃんの携帯だけ生きていたよね~こりゃ携帯をとりに行った方が正解だね~」
少々わざとらしいが織部さんが委員長の携帯が使えると言えば甲斐が同調する。事実かどうかは不明だがこれで俺達の行動は確定された。
「よし!リーダーとして決断した!委員長を助けに行くぞ!」
こうして俺達は委員長を助けにジカバチの巣へ向かう事になったのだ。