《蟻原》
「ふぅ…取り合えずは何とかなったか」
ジカバチの巣からギリギリで逃げ出しひたすら走り回り少し開けた場所に着いた俺達。周りの皆が息も絶え絶えの中割と平気な俺はひとまず抱えていた委員長をゆっくりと地面に降ろす。
「千歳ちゃん!千歳ちゃん!」
すぐさま織部さんが駆けつけ委員長の無事を確認する。傷は見たところないようだが…伊能さんもそばに駆け寄り軽く点検する。うん、流石に俺では女の子の身体を物色することは出来ないからね。
「うん、体の方は背中の小さな刺し傷以外特に怪我はないよ」
「…うぅ」
伊能さんの判断でホッと一息をつければうめき声をあげる委員長。まだ起きる気配は無かったがやはりと言うか気絶していただけだった。委員長に縋りつき
目に涙を貯め嬉しそうにする織部さん。
「良かった お帰りなさいっ」
「あぁ~無事で良かった~」
こちらもホッと一息。あまり体に疲れは感じないが精神的には疲れたのだ。委員長が無事に助かって本当によかった。織部さんが委員長に抱き着くその姿は本当に心が癒される。なんたって美少女の絡み合いだもんね!
「蟻原君もお疲れさま」
「ははっ 有難う」
伊能さんから肩をポンポンと叩かれ労われる。最もあの場に俺が居なくても織部さんが何とかしてくれそうではあったのだが…役に立てたのなら嬉しい限りだ。
「おい虫女!アキラは助かるんだよな!?」
「はい、千歳ちゃんもアキラさんも大丈夫だと思います。でも出来るだけスポーツドリンクか生理食塩水をたくさん摂取させて毒を体外に排出させないと」
「マジだな!?マジでそうすればアキラは助かるんだな!?」
あっちの方も大丈夫そうだ。兎も角人を助けることが出来てホッとした。近くでは上条が勝手な行動をしたことを責めるキャプテンがいたが、まぁ大丈夫だろう。上条は話を聞かないし謝る気配もないがツンデレだと思えば腹も立たない。
「で、何でハチが集まってきたんだよっ!あんな大群死ぬかと思った!」
織部さんに詰め寄るのは扇情的格好をした美人神野美鈴。確かに脱出した俺も確認したが空にはジカバチの集団がかなりの数いたのだ。アレはどういうことかと説明する織部さん
「アレは私が呼んだの。キャプテンにお願いしてジカバチを呼び寄せてもらったの」
織部さんの説明によるとハチの仲間は整髪料や柔軟剤の匂いに敏感で匂いによってくる可能性があるのだという。その性質を利用させておびき寄せたって事か。
「あれ?ならジカバチが同志討ちをし始めたのは何で?」
「アレはヘアスプレーをジカバチに吹きかけたからです。外から来たジカバチはその匂いに反応して虫同士で戦いを始めたんです」
虫の性質を利用し虫同士を争わせ、自分たちが助かる可能性を作り出す。…ははっこれは参った。虫に対抗する俺なんかよりも凄い女の子だよ織部さんは
「これで一つ重要なことが見つかったな。アイツらはどんなにデカくっても所詮虫ケラだって事。俺達の知識が通用するそれってつまり俺達が一歩先に行ってるって事っしょ」
「その通りだ。甲斐の言う通り織部さんの知識があれば俺達は生き残れる。織部さんこそが俺たちにとって最重要なんだ」
甲斐の言う通りだ。織部さんの知識があればこの島で生き残れる確率は物凄く上がる。それほどまでに彼女の知識は有用性があるのだ。そしてその行動力もや性格も得難いものだ。
「…あれ?」
「どうしたの蟻原君」
「織部さんってかなりの優良物件なのでは」
「確かに知識があって行動力があるよね」
「勇敢さも持ち合わせて冷静さも兼ね合わせてる」
「性格も良いし…スタイルも」
「顔なんてとんでもない美人だ。特に覚悟を決めた時」
「………そうだね」
「やべーとんでもない逸材だ」
「あ、あのそこまでにして…」
物凄い完璧ぶりに伊能さんと一緒になってべた褒めする。そうすれば顔を赤くしてワタワタとする織部さん。性格は虫がらみ以外では多少大人し目だがそこがまた非常に過保護欲をそそる。…物凄い女の子だぁ。
「あのっ!睦美さんこ、これなんですか?」
そんなつかの間の日常を謳歌していた時だった。あまり目立たない白川さんが神野の背中を指さしたのだ。その背中を俺達も見て見るとそこには神野のムッチリ尻も劣らないデカい虫がひっついていたのだ。
「なになに 何かいるの!?」
「動くな神野。下手に動けば虫を刺激しちまう」
慌てる神野を取りあえず落ち着かせる。虫の事はチンプンカンプンだが分かったことが一つある。虫は動きや刺激に反応する。いまここで神野が下手に動けば噛まれるかもしれないのだ。
「と、とってよ!あんたなら虫だって一撃だろ」
「出来ればそうするけど、下手に殺して状況が悪化する方が悪手でしょ」
あたふたする神野に取りあえず落ち着かせその間に虫博士こと織部さんに見てもらう。
「これはっ!?マダニです! マダニに噛まれるとウィルスに感染して最悪死んでしまうんですっ!」
織部さんが慌てて神野の背中に張り付いたマダニを払い落す。マダニ、詳細は知らないがダニってのはミリ単位の小さい生き物はずだ。それが人のケツまでの大きさと考えると…マズくない?
「そんな…囲まれてる!? 私たちマダニの巣に入ってしまったんだ!」
ジカバチの巣から抜け出せたと思えば、どうやら地獄はまだまだ続くみたいだな。
《伊能 愛》
「蟻原君、さっきから思ってたんだけど…」
「うん?」
「君の足音。あんまりしないのは何で?」
「………さぁ?」
声をひそめながら隣の足音がしない蟻原君に突っ込むが当の本人は不思議そうに首を傾げていた。確かに記憶喪失だから分からないっていうのはおかしなことじゃないけど流石にここまでいくと一体元はどんな人だったんだろう?
「そんな事よりもっと足音に集中して。君の忍び足はまだまだ発展途上だ」
(……はぁ)
溜息をつきそうになりながら、音が出ないように吸血蟲マダニの潜む森を歩く。
何故マダニのいる森を歩くことになったのか。それは数分前の事だった。
ジカバチの巣から逃げ出した僕達はマダニの巣から逃げようと言う話をしていた。織部さんの説明によると噛まれるだけでウィルスに感染し死に至る可能性があるんだ。それが無数にいる森、誰ともなく逃げようと考えるのはおかしなことじゃ無かった。特にキャプテン松岡さんは早く安全な道に行くべきだと皆を鼓舞していた。
だがその中で織部さんは委員長を連れてマダニの巣を突っ切っていくと言い出したんだ。勿論危ない事だと説明したが、織部さんは頑なに委員長を連れて行くと聞かなかった。
『医療施設はマダニの巣を抜けた海岸線近くにあります。あんなジカバチに刺されたからには何かあってからじゃ遅いの』
持っていた携帯で地図を確認したら確かに森の中を突き進んだ方が早かった。今からマダニの森を迂回し来た道を戻ってから海岸線をぐるりと回ってからだと時間がかかり過ぎてしまう。
一刻も早い処置をしなればいけない。そうなるとアキラと言う不良仲間?を背負っていた上条も織部さんの意見に賛成した。
そうなったら後は流れる様に皆が織部さんについて行くと言い出し、安全な道を行くと言ったキャプテンが少しだけ孤立した。最も直ぐに織部さんについて行くって言ったけど。
『織部さん、マダニは危険だという君があの中に入るって事はちゃんと避けられる方法があるって事なんだよね』
蟻原君は少し考えてから確認する様に織部さんの説明を受けていた。説明によるとマダニは動物の吐く二酸化炭素や温度変化、振動を察知して襲うらしい。山歩きでする体力を消耗させたくない歩き方をすれば襲われる可能性はぐっと下がる事になる。
「両手を組んで手のひらを脇に入れ上半身を丸くしてください。そのまま自分の心音を感じながら下を向いて動くことで最も静かに動くことが出来ます」
「…なるほど、確かにその動きなら危険はグッと下がるか…分かった。それでマダニの巣を突っ切ろう」
織部さんの説明を受けうんうんと納得した蟻原君。……僕も知っていたんだけどなぁその動き方。これでも一応ワンダーフォーゲル部なんだけど…もしかして僕、織部さんの下位互換?
「どうした、動きに乱れが出来てるぞ」
「…知ってるよ」
周りの木々からちらちら見えるのは無数のマダニ。そんな中声をかなり潜め乍らこんな呑気な会話ができているのはすぐ後ろを歩く蟻原君のせいだろう。あまりのも自然体で動くから僕もつい危険な場所だと理解しつつ雑談に興じてしまっている。
歩き始めて大体40分ぐらい。依然として道の終わりはなく、今もまだ僕達はマダニの巣の中を歩いていた。前を歩く皆の様子はやっぱりと言うか結構疲労しているようだ。
(無理もないよね…慣れない山歩きに加えて、命の危険もあるんだから)
出来る限り平坦な道を進んでいるとはいえ、舗装されたアスファルトの道路を歩いているわけじゃない。葉や枝、小石を踏むことだってあるし、ましてや今は音を立てない様にゆっくりと歩かなければいけないのだ。
少しでも音を出したら死ぬ。そう考えれば皆の精神的な疲労は凄いはず。そんな中で比較的疲労が少なさそうに見えるのは織部さんと僕ぐらいか。
織部さんは確か昆虫採取をするため山歩きをしていると委員長から聞いたことがある。だから山歩きの仕方や皆よりも体力があるんだろう。大体の理由で僕も同じ、これでも余裕はある。
(でも、蟻原君は本当になんなんだろうね)
同じ高校生のはずなのに、かなりの馬鹿力や結構な体力。オマケにこんな危険な場所なのに音を立てない歩き方さえ無意識でしてしまう。謎が多すぎてよくわかんないや。
(でもわかっているのは、多分お人好し…かな)
僕を真っ先に助けてくれたことや上条の友人アキラを助けに行ったとき、ほぼ慌てながらも真っ先に飛び込むあの姿からは良い人なのだろう。そんな彼の姿をチラリと盗み見る。
周りを伺う真剣な表情は、そこら辺の男子さえ真っ青な気迫がある。それなのにこちらに話しかける時は出来る限り真摯で居ようとする。女子には丁寧に男子には気安く人懐こい性格な変な人。でも僕はそんな変な人に助けられた。…このお礼はどうやって返せばいいのかな?
「しかし、伊能さん結構体力あるね」
「うん?まぁ体力はそれなりに…?」
そう言えば今まで割と気にしてなかったけど僕はここまで体力があって精神が図太かったかな?修学旅行前は一応普通の女の子より上ぐらいだと思ってたんだけど、どうしてかこの島に来てから随分と身体が軽くなった気がする。この異様な状況なら皆みたいに疲れててもおかしくないのに。
(うぅん僕ってここまで体が丈夫だったかな…何か変なもの食べたっけ?)
飛行機の中でお菓子を少し摘まんだぐらいで他には特に何も口にして居ない筈…そう言えば蟻原君から渡されたミネラルウォーターを飲んでから体の調子がとても良くなったような…それに蟻原君の囁き声も集中すれば聞こえるようになってる。
そんな事を考えて移動していた時だった。
皆が立ち止まったのだ。何事かと思い皆の見ているところ見れば、そこには誰かが座っていた。こちらがに背を向けているので顔は分からない。
ジャージのような格好で、髪が長い女の人だ。…その姿にある人を思い起させる。
「なぁあれ、美術の野沢じゃないのか」
美術部顧問の先生だ。僕はこの人がイマイチ好きになれない、嘲笑いどこか人を見下した目をすることがあるのだ。…野沢先生では無くて合うのなら中条先生の方が良かったのに。
「先生?先生も無事だったんですね」
甲斐君とキャプテンが声を出すがそれよりも立ち上がり俯きながらこちらへとフラフラと歩くその姿が気味悪く不気味に感じた。ゴクリと喉を鳴らす中隣に来た蟻原君が、ボソッと呟いた。
「あれ…死んでいないか」
「へ?」
まさか死んだ人間が動くなんて、そう答えようとした時だ。俯いた野沢先生が顔を上げた瞬間皆が息をのんだ。無論それは僕も。
顔のいたるところにびっしりとマダニがくっ付いていたのだ。
小さいのから大きいのまでうじゃうじゃと野沢先生の顔を這いまわりうごめくその顔はいつか見た葉っぱの裏にびっしりとくっついた小さな虫の集合体を思い出す。
「…コレ……生きてんの?」
「生きているの基準を考えると死んでいるんじゃないの」
甲斐君の言葉に無慈悲な言葉を出すのは蟻原君だ。確かにこの状態で生きているのかと問われれば…死んでいるのと一緒だ。口以外のすべての場所に吸血されている野沢先生はもう助からないと考えた方が良い。
「いやぁぁぁあああ!!助けてっ!助けてぇぇ!死にたくないよぉぉ!!」
「てめぇ! 動くなっっ!」
悲惨な野沢先生の状況に遂に三浦さんが絶叫を上げてしまった。もう色々と限界だったのだろう、何時死んでもおかしくない行軍。抱えていた恐怖が爆発してしまったのだ。慌てて神野が口を塞ごうとするがもう手遅れだった。
「マズい!」
マダニが一斉に僕達に襲い掛かろうとしている。この数では余りにも…!思考がよろめく、この窮地を脱するにはどうすればいいのか。
(マダニの習性…先生を使って…でもマダニは叫び声と振動どっちを取るの!?)
思いついたのは非道な行動。しかし動こうにもそれが窮地を脱するのかわからず、躊躇してしまった。
「っ!」
しかし虫に詳しい織部さんを見て、僕が思いついたことは間違っていなかった。織部さんは近くに合った枝を拾うとしている。その枝で何をするのか、直ぐに察した。
野沢先生を棒で叩き転倒させマダニの囮にしようというのだ。
「それは、俺がやる」
しかし、織部さんより先に蟻原君がその枝を拾ってしまった。驚く織部さんにそんな事を言ったのだろう、すぐに枝を構え野沢先生を突き飛ばす。
突き飛ばされた野沢先生は背中から地面へ転倒し…その瞬間ものすごい数のマダニが野沢先生に襲い掛かった。その隙を逃さず織部さんが先頭に立ち背負っていたリュックを盾にして走っていく。
「私が先頭を走ります!みんなついてきて!」
その姿を追い、皆が一斉に走り出す。後ろからはマダニの騒ぐ音が絶えずに聞こえてくる。絶体絶命、それでもみんな生き残るために必死で足を動かす。
「はぁ…はぁ…んぅ!」
そんな中一人今にも倒れそうな人がいた。僕のクラスメイト白川さんだ。今ので体力が尽きてしまったのか息が絶え絶えで今にも崩れ落ちそうだった。元々大人しい人で走る事が苦手な女の子だ、今の今まで文句も言わず付いてこれたのだから彼女は立派だったのだろう。でもこの状況ではとてもマズい。僕が手を引いて無理矢理連れて行こうかと考えた時やっぱり彼はすでに行動していた。
「白川さん、平気か!?抱えるから来い!」
「ひゃっ!」
有無を言わさず白川さんをお姫様抱っこの要領で抱きかかえると一気に走り飛ばしていく。
「蟻原、君!?ご、ごめんね!」
「はっ!良いって事よ!それより伊能!ちゃんとついてきているか!?」
人一人抱えているのにかなりの余裕そうな軽口。こっちは結構きついのにそれでも彼にとってはまだ余裕があるのだろうか。
「僕は平気!それより白川さんを落さないでよっ!」
「おうさ!」
僕の僅か後ろを走り最後尾を走る彼。その思惑を感じ取ってやっぱりどこまでも人が良いんだなと思った。
次の話で原作一巻が終ります。